第36話 スピンオフ1「永遠のメリーゴーランド(ミコと芦田さんの場合)」
それは中学2年生の夏休みも半ばを過ぎようとした頃だった。
「美子ー、安藤さんから電話ーーーー!」
その日
アタシが部屋で夏休みの宿題をしていると、ドアの向こうで兄の茂が声をかけてきた。
「ウン、こっちにまわしてー。」
アタシは兄に電話を部屋の子機にまわしてもらうようお願いすると、ほどなくその子機がプルルル----と音を立てた。
「ハイ、アタシです。」
「あ、ミコ?」
「久美子ー、ひさしーネ。元気でやってる?」
アタシは藤本 美子、友達からは美をミと読んでミコと呼ばれることが多い。
そして今電話をかけてきたのは安藤 久美子といって、アタシが中1のときとても仲の良かった女の子の一人だ。
「じつはさぁ、ミコにチョットお願いがあるんだわぁー。 これからアンタんちに行ってもいいかな?」
いつもは小さいことをあまり気にしない久美子がそのときはやけに真剣そうな口調だった。
「あ、ウン。いいヨ。アタシんちでいいの?どっかで待合わせしてもいいけど?」
「ウウン。アンタんちのほうが都合がいいから。 じゃあ、30分くらいでそっちに行くから。」
そう言って久美子からの電話は切れた。
そして30分後
ほとんど正確に久美子はアタシんちを訪れてくる。
「ミコ、ひさしぶりー。新しいクラスはもう慣れた?」
「ウン。まあ、1年のとき一緒だった久保ちゃんと奈央も一緒だしさぁ。あと、ほら、同じクラスだった井川さんも一緒なんだヨ。」
「あ、そうなんだぁー。アタシ、井川さんってほとんど話したことなかったけど、あの娘ってミコとツートップのすっごい秀才だったもんネ?」
「アハハ。アタシのほうが下だヨー。 あの人って将来医者をめざしてるらしいから、やっぱ頭いいわ。」
そんな挨拶から始まって久美子は途中で買ってきたらしい缶ジュースを1本アタシに渡してお菓子の袋を開いた。
「あ、サンキュー!」
アタシはプシュッと缶ジュースのプルトップを開け、そして一口喉を潤す。
「で? さっき電話でなんか深刻そうな感じだったけど、アタシに頼みって言ってたよネ?」
「ウン。じつはミコだから頼めることなんだけどね…。」
「まあ、とにかく言ってみてヨ? 久美子の頼みだったらなんとかしてあげたいって思うし。」
「じつはさぁ…。 ミコのクラスに小谷 哲君っているでしょ?」
「ああ、ウン。いるネェ。なんか女の子みたくキレイな顔した人でしょ? 今アタシの席の隣に座ってるヨ。」
「ウン、そうそう。あの子ってアタシの幼稚園からの幼馴染なんだわ。」
「あ、そうなんだぁー。 それで、その子がどうしたの? もしかしてアタシに愛のキューピット役でもお願いしたいとか?(笑)」
「そんなんじゃないわヨ。 アタシってそういう趣味ないし。」
「そういう趣味ってどんな趣味ヨ?(笑) アンタって前から中性的なビジュアル系のバンドとか大好きできゃぁきゃぁ言ってたじゃん?」
「ウーン、そういう中性ビジュアル系ならいいだけどね、あの子の場合は本物だから…。」
「本物ってなにが?」
すると久美子はアタシの前にずいっと顔を近づけてきた。
「ミコ、とにかく驚かないでアタシの話をよく聞いてネ?」
「い、いいヨ…。どうしたの?そんな緊迫した顔しちゃって。」
「じつはさ、小谷君ね、あの子…じつは本物の女の子なんだわ。」
「ハァァァーーーーーー!?」
アタシはとぼけたような声を上げてさらにこう続けた。
「なんか言ってることがよくわかんないけど、女の子っぽいのは同感だけど、女の子そのものってこと?」
「ウン、そういうこと。」
「あ、もしかして、よく聞く性同一性なんとかっていう? 身体が男だけど心が女って言ってるひとたちのこと?」
「ウウン、そういうんじゃないヨ。 ホントの女の子ってこと。アタシたちと同じ。」
そして久美子は小谷君が1週間ほど前の夜中に急な腹痛で病院に運ばれたこと、それは女性の生理であり、検査の結果彼の身体には子宮があって染色体も女性のXXであったことがわかったということなどをアタシに話した。
「エ、ってことは、つまり小谷君は今まで男の子として育てられてきたけど、それは間違いでじつは女の子だったってこと?」
「まあ、ストレートに言えばそういうことだネ。」
「びっくりしたぁー!へぇー、そういうことってあるんだネェ。 まあ、でもそう言われてみればたしかにあの人の雰囲気って異性っていうより同性っぽい感じするしねー。」
「ウン。アタシも彼は幼稚園からずっと知ってたしね。 哲ちゃんって話し方も態度もちゃんと男の子なんだけど、どっか女の子のオーラみたいのをずっと感じたたんだよね。」
「そっかぁ。じゃあ、小谷君は女の子として生活するようになるわけ?」
「ウン。そういうことで決めたらしいヨ。」
「でもさぁ、学校とかってどうするの? まさか今の学校にそのまま通い続けるってわけにはいかないでしょ?」
「ウウン。哲ちゃんは今の学校に通って卒業したいって。」
「エェェーーーッ! でもそれじゃ周りの人たちきっとすごい驚くんじゃない?」
「だろうネ。 それでさ、ミコにお願いがあるんだ。」
「なにヨ?」
「彼…っていうか彼女の友達になってやってくれないかなぁ?」
「エーッ! アタシが?」
「ウン。ダメ?」
「ダメ…っていうんじゃないけど…。」
「もしアタシが同じクラスだったら良かったんだけどさ。でも哲ちゃんと同じクラスでこんなこと頼めるのってミコしかいないんだヨー。」
久美子はウルウルとした目でアタシのことを見る。
(ウーン…、たしかにあの人って嫌な人とはぜんぜん思わないけど、アタシって、席が隣なのにほとんど話とかしたことってなかったよなぁ…。)
でもこんなに真剣な久美子って今までほとんど見たことなかった。
中1のときはアタシらって冗談ばっかり言い合って、気を使わないで付き合ってきたし。
まあ、アタシが友達になって、それから女同士の輪みたいのに入れてやれば…。
「ウン。わかった! じゃあ、アタシ、彼、じゃなかった彼女の友達になってみるヨ。」
そしてアタシは久美子にそう返事をしたのだった。
夏休みが終わって数日後
いよいよ今日小谷君、あ、違った!小谷さんが女の子として登校してくる。
クラスはそのことでとにかくざわついていた。
どちらかというと、女の子は意外と冷静にその事実を受け止め始めている様子。
しかし男の子たちは今まで彼女を『哲ちゃん』と呼び一緒に遊んできたわけで、どこか割り切れていない雰囲気を感じる。
とくに彼女と仲が良かった安田君や工藤君なんかは朝からずっと落ち着かない雰囲気だった。
朝のHR開始時間になってもまだ担任の山岸先生は教室に現れない。
そして5分ほど遅れてガラッと教室の扉が開き山岸先生は入って来た。
教室の中はシーンと静まり返る。
先生の隣にいるのはアタシたちと同じ女子の制服を身に付け、ショートボブの髪形をして目のクリッとした可愛らしい感じの女の子。
(エ、あれ…小谷君?)
どこからどう見ても女の子にしか見えない。
彼女は下を向いて顔を真っ赤にし、スカートから覗く細く白い足は小刻みに震えていた。
先生はクルッと黒板の方に向きを変え白いチョークを摘んで大きな字で『小谷 凛』と書き
「これが新しい小谷さんの名前です。 『りん』さんと読みます。」と言い、そしてアタシたちに今までの経緯を簡単に説明した。
「小谷さんは生物学的に本当は女性です。みんなにはこのことを理解してほしいの。」
最後に先生がそう言ったとき、クラス委員の井川さんがスッと立ち上がって
「小谷さん、席に座ろう?」
と声をかける。
そして、小谷さんはその言葉にホッとしたような表情を浮かべてアタシの隣にある自分の席に腰を下ろした。
それから、そのまま1時間目の山岸先生の英語の授業が始まる。
授業中アタシは隣の席に座る彼女の横顔にフッと目をやった。
紺のジャンパースカートの上に着たボレロから見える肩は小さくて優しい曲線を描き
そして少し茶色っぽい亜麻色の髪の毛
ふっくらしたピンク色の頬とプクンとして柔らかそうな小さ目の唇
つるんとした形の良いおでこ
女の子らしい優しい目元。
きっと基本的には夏休み前に小谷君だったときの身体なんだろうけど、こうして女の子として意識してしまうともう男の子として生活していたときの面影はあまり感じないように思える。
(なんか、すごく可愛いんですけど…。)
それにしても、こうして今まで男の子だって思っていた人がある日突然女の子の制服を着て自分の隣に座っているのはすごく不思議な感覚だった。
みんなが座っている席を前から見ていくと女子の列の隣に男子の列、そしてその隣はまた女子の列というようになっていて、だから横列は男と女が必ず隣り合わせて座っている。
その中で男子の一列に紅一点で座っている彼女の姿はやっぱり違和感を感じてしまう。
英語の授業が終り2時間目の社会の授業が始まるまでの10分休み
アタシは隣に座る彼女に意を決してこう話しかけた。
「ね、『凛』でいいよね?」
彼女はアタシに
「うん、もちろん!」
と言ってニコッと微笑む。
(わぁ、ホント可愛いやぁー!)
アタシの差し出した手を握り返してくれた。
そして、白くてとても柔らかい彼女の手を握ったとき、アタシは心の中で何かビビッとくるものを感じてしまったのだった。
しばらくの間、彼女は女の子の言葉遣いにまだ戸惑っている様子だった。
簡単なところでは主語の「アタシ」か「わたし」。
注意しててもときどきは「ボク」という単語がでてきてしまう。
ただアタシは
「そんなに意識しすぎてもしょうがないヨ。」
と凛にアドバイスしたりした。
「まあオレはさすがにまずいけど、女の子でボクってけっこう可愛かったりするじゃん(笑)
女の子たちの中にいればきっとそのうち無意識で女言葉になっちゃうんじゃないかな。」
凛はそんなアタシのアドバイスを謙虚に受け入れていたようだった。
女の子として学校に通学を始めて半月ほどが経ち、身体の状態も安定してきたことから彼女も体育の授業に参加するようになった。後で凛に聞いたことだけど、これは初め学校にとっても彼女自身にとっても少し心配をしていた点だったらしい。
体育の授業は体操着でやるわけで、当然男女別々に分かれてそのための着替えをすることになる。
今まで男子として意識していた人が女の子として他の女子たちに混ざって同じ部屋で着替えをする。
そのときの周りの女子の反応、そして何より凛自身の気持が最初は少し複雑なものがあったような気がする。
それでもアタシの周りの女の子たちに、凛に対して意識して自分の身体を隠そうとする娘は一人もいなかったように思う。どちらかというと凛のほうが、恥かしがって隠してしまう。
「女同士なんだから別に見たってかまわないヨ。」
アタシは凛にこんなことを言った。
すると彼女は意外にも他の娘たちの裸を見ることに大した気持はない。逆に自分の身体を見られるほうが恥ずかしいということを言っていた。
それはもしかしたら、遅ればせながら女性の人生を歩むことになった彼女が、他の女子の身体の発育状況と自分のそれとの間に多少のギャップを感じていたせいかもしれないと思った。
それでも彼女はそのうち彼女自身そういう感情をあまり意識しなくなっていた。
それは彼女に3回目の生理がきた頃からだったらしい。
アタシは、それはやっぱりアタシたちと彼女との間の絶対的な共通点である女性の生理という存在が、彼女にとって自分が周りと同じ女の身体であるということを否応なく意識させてしまったのだろうって思った。
2年生の終わりごろ
男女に分かれて「心と身体の教育」というのが行われたことがあった。
当然凛もアタシたち女子の中に混ざって話を聞いていた。
その授業の講師として来たのは、大正大学産婦人科の女医の先生。
その先生はアタシたちにこんな話をしてくれた。
「もし世の中が男性だけ、もしくは女性だけで子孫を残せるとしたらどうなっていたと思いますか?」
この問に対する女の子たちの反応はそれぞれだったが
「同じ女だけだったら戦争とかなくてきっとすごく繁栄した世の中だったんじゃないかって思います。」
という答えが何人かいた。
それに対しその先生はこう言った。
「もしかしたら、そうかもしれないわネ。 でもアタシは多分人間は成長する前に滅んでいたんじゃないかって思うの。なぜかっていうと、価値観が同じものだけであることは成長を生み出す刺激がないから。人間っていうのは考えながら、悩みながら成長していくものだから。男と女はやっぱり根底にある価値観が違うでしょ? だからお互い理解し合おうとする。そしてその理解し合おうとする気持が愛じゃないかってアタシは思うの。だからアナタたち女の子には、男の子という存在を遠ざけようとするんじゃなく理解しようとする努力を是非して欲しいと思います。」
その先生は男性と女性の価値観の違いを積極的に認めること、そしてそれを理解する努力をアタシたちに話してくれた。
そのときフッと、アタシの横にいる凛の表情を見ると、彼女はとても真剣そうな顔でその先生の話を聞いていた。
それはきっと、ある日突然価値観の変更を迫られた彼女にとってこれから先の人生を歩いていくために一番大切なことだって思ったのかもしれない。
女の子の付き合いは気の合ったグループ単位で行動することが多い。
アタシは、クラスの中で久保ちゃんや奈央といった1年のとき仲が良かった娘たちと2年になってもそのままグループを作っていた。
そしてそこに凛が混ざった。
最初はわりと遠慮がちだった彼女は、次第に自分からも積極的にアタシたちに話題を振ってくるようになった。それは彼女が女の子のことを無理に勉強してきたものではなく、どちらかっていうと男女の枠を超えて素直に感じたものを表現しているように思えた。このときアタシは久美子に頼まれたからではなく、一人の人間としての凛に興味を持ったような気がする。
アタシは凛の考えることというのは、すごくピュアで透明感のあるように思えた。
そう、彼女は人間としてすごく純粋でまっすぐな気持を持っているように感じたんだ。
アタシは次第にお互い話をしていなくても、たとえ別々のことをしていても、自分の横に彼女がいることが心地良いような気持になっていった。
そしてアタシは自然と凛と一緒にいる時間が増えていった。
中3になりアタシと凛はさらに仲が良くなっていく。
日頃は、それまで同じグループで仲が良かった久保ちゃんや奈央も含めて行動していたけど、アタシと凛はそのうち休みの日も一緒に時間を過すことが多くなった。
今年はいよいよ受験生、そのため日曜日には2人で一緒に図書館で勉強をして帰りにはお気に入りのクレープ屋さんで生クリームたっぷりのクレープを頬張っておしゃべりに花を咲かせていた。
そして3年生になって少し経った頃、
凛にとって運命的な一人の男の子が現れる。
彼は石川 渉君といって関西から転校してきた人だった。
凛は次第にこの彼に心を惹かれていった。
彼は女心をくすぐるような、どこか小学生の少年っぽさを残した男の子だった。
一見すると暖簾に腕押しのようなひょうひょうとした性格で、まっすぐでピュアな凛の性格を上手く操ってしまう。だから凛も彼に対してどう対応したらいいのか、最初は戸惑っている気持があったらしい。
そしてこのワタル君と凛の心は3年生のはじめにみんなで行ったディズニーランドでお互い重なり合っていく。
凛は女性として生活をするようになって、それまで異性であったはずの女の子を同性として意識するよう努力してきた。
しかしワタル君を異性であると意識するようになるのには不思議とそういう努力をする必要はなかったみたいだった。きっと凛はそのとき本能的に自分の中の女性を受け入れていったんじゃないだろうか。
そして2人は自然に惹かれあっていったんだと思う。
3年生の夏休みが終りに近づく頃
凛とワタル君は初めて2人きりの初デートをすることになった。
場所は都内のプール
凛はこのとき初めて女の子としての水着デビューを果たすことになった。
ただ彼女はこの水着デビューをするにあたっては最初自分なりに計画があるらしかった。
初めに女の子同士でその後慣れてきたら男の子も混ざって、なんてことを彼女は考えていたらしい。
ところがこのワタル君とのプールデートの約束でそうしたホップ・ステップを通り越していっきに最大加速のジャンプをすることになってしまった。
「どーしようぉぉぉーーー!」
彼女はかなり戸惑っていた。
そしてそのデートの日の数日前
彼女はアタシに電話をかけてきて、アタシはこんな相談を受けた。
「ねぇ、ミコォ。アタシさぁ、水着なんか着てもヘンじゃないかなぁ?」
「ヘンって? なんか凛の言ってることの意味がよくわかんないけど。」
彼女は少し躊躇ってこう言った。
「だからさぁ、似合わないっていうか…。」
「ウーン、似合うか似合わないかっていうのは人それぞれの感じ方があるからよくわかんないけど、でもさぁ。」
「でも?」
「男の子ってさ、女の子の水着姿とか見たらやっぱりどうしてもエッチな想像とかしちゃうじゃん?」
「まあ…だろうネ。」
「だから石川君も凛の水着姿見たらきっとそういうのは想像しちゃうんじゃないかな。」
「エ、そうなのかなぁ?」
「アタシはそう思うヨ。 だって、それは彼は男で凛は女なんだもん。アンタはそういうとこで自信をちゃんと持ったほうがいいヨ。 それにせっかく水着姿になって男の子に何も意識されないんじゃなんか寂しいじゃん。」
「そうだネー。」
そして結局アタシは凛の水着選びにも付き合うことになった。
この頃では体育の着替えのときなどお互い何の意識もなく裸を見合っていたけど、可愛い水着を身に付けた凛の身体は思ってたよりもずっと女性らしい体型になっていた。
彼女は3年生になった頃には生理の時期も安定し、そしてそれまで多少中性的な体つきもこの時期から急に女性らしく柔らかな丸みを帯びていく。
中3の初めにはブラジャーもつけるようになり、腰のラインもくびれと丸みがハッキリしてきた。
そんな身体の急激な変化に彼女自身も少し戸惑いを感じているようではあったけど、そうした身体の変化は心の変化にも少しずつ影響を与えていったように見える。
そんなアタシと凛は高校受験で同じ目標を持つことになった。
彼女をけしかけたのはアタシだった。
アタシは小さい頃から青葉学院にずっと憧れを持っていて、じつは中学受験で青葉学院の中等部を受験したけどあっけなく不合格。それで高校受験ではなんとしてもこの学校に合格つもりで1年生のときから一生懸命勉強してきた。
哲君だった頃の凛はけっして成績は悪いほうではなかった。
クラスで10番くらい、学年だと50番くらいだろうか。
ただ青葉の合格レベルはかなり高く、特に女子では偏差値70以上が最低の可能性だった。
アタシは、安易に凛に同じ学校の受験を勧めてしまって最初少し後悔した気持もあったけど、まっすぐな凛の性格を見ていると彼女にとって必ずしも無理な希望ではないような気がしていた。
実際目標を持って本気で勉強を始めた彼女の成績はみるみるうちに上昇をし始めた。
そして2学期には彼女の偏差値は70ラインを超え合格の光が見え始めてきた。
そして
この頃、アタシはある一人の男性に小さな恋心を抱き始めてた。
カレの名前は芦田さんといって、凛が中2のとき初めての生理で病院に入院したとき同室だった人だった。
アタシたちの初めての出会いは、中3になってすぐの頃アタシと凛が青葉学院のキャンパスをはじめて見学で訪れたときだった。
高等部の正門がわからず青葉通りに面した大学の大きな正門のところでウロウロとしていたアタシと凛。
そこにたまたまキャンパスから出てきた当時青葉大1年生のカレとすれ違った。
アタシにとってのカレの初印象は、ドキッ!という気持ち。
これを他の言葉で表現することはできそうにない。
凛と一緒にいるアタシに
「はじめまして。芦田っていいます。」と言ってニコッと微笑んだあの笑顔。
5歳も年上の大学生のカレだったけど
素直な気持で
(カ、カワイイー!)
って思っちゃったんだ。
何がカワイイのかって言われると説明しようがないけど、14年間の人生の中で初めて胸が本当に締め付けられるみたいな。キューンって(笑)
そしてアタシは半分無理にお願いしちゃってカレにキャンパスの中を案内してもらった。
そのときカレに奢ってもらった学食のソフトクリーム。
これはもう絶対に忘れらない美味しさ!
舐めると少なくなっていくクリームを見ながら
ああ、このままずっと減らなければいいのにーってさえ思った。
そして帰りの電車の中ではつい凛に
「大学生から見たら…中学生なんて問題外なのかなぁ?」
なんて呟いてしまったアタシ…。
だって5歳差っていったら、アタシが高校生のときカレは大学生。
そしてアタシが大学生になるとカレは卒業しちゃうし。
どこでもどうやっても重ならないから…。
でも凛は意外にあっさりこう応えてくれた。
「でもさぁ、アタシたちが大学1年で18歳になったら23歳じゃん? それくらいの年の差で恋人同士ってけっこういると思うよ。」
そうか!
中学生と大学生って考えるからすごく離れているように思っちゃうけど、でも
年齢が上にあがっていけば5歳差ってけっこうありなんだよネ!
ものは考えようかもしれない。
そして凛はそんなアタシの心の中に芽生えたかすかな恋心を知ってか知らずか
アタシの肩を枕代わりにしてコクコクとうたた寝を始めたのであった。
中3
秋風が吹き、その中に冬の香りが少し混じり始めた頃
アタシと凛は、青葉学院大学の学園祭に出かけた。
もし青葉学院高等部に入学できたらやっぱり将来は青菜学院大学に進学したい。
勉強へのファイトを少しでも掻き立てるため、でもアタシにとってはそれは半分口実みたいなもんで、じつは後の半分は青葉大にいる芦田さんに会いたかったからだった。
その頃、アタシは芦田さんと携帯電話の番号を交換してときどき電話で話をするようになっていた。
とはいっても、ほとんどかけるのはアタシの方からで、そのたびに口実を練っていた。
「英語の問題のここがわからないの。」
「芦田さんが高校受験したときどういう勉強してたの?」
「青葉学院大学のこと聞かせて?」
そんな口実も何回も繰り返すうちに段々ネタ切れにもなってくる。
それでも、カレはアタシからの電話に時間をかけて丁寧にゆっくり応えてくれた。
そしてある日の電話でカレは
「そういえば、もうすぐウチの大学も学園祭のシーズンだなぁ。」
と話してくれた。
「大学の学園祭ってその大学の学生じゃない人も来ていいんですか?」
「もちろんさ。 むしろ外部の人の方がずっと多いくらいだヨ。」
「大学生じゃない人も?」
「ああ、青葉大を目指す高校生とか、あと中学生だってたくさん来てるヨ。」
(ああ、なんてチャンスッ!)
気がついたらアタシは受話器に向かってこう叫んでいた。
「ア、アタシも行きたいーーー。」
すると
芦田さんは優しい声で
「来るかい?」と言ってくれた。
「いいんですか?」
「もちろん。よかったら凛ちゃんも誘っておいでヨ。」
(あ、やっぱり凛も一緒なのね…。)
少し寂しい気持になったけど
でも、久しぶりに生芦田さんに会えるチャンスなんだもん!
「あの…。」
「ウン、なにかな?」
「もしアタシたちが行ったら芦田さん一緒に案内してくれますか?」
ダメ…かなぁ。
なんて返事されるか心臓がドキンドキン…。
「ああ、オレでよかったらいいヨ。」
「わぁーーい!」
そして当日
1ヶ月ぶりに会った芦田さんの姿
「やあ、ひさしぶり。」
カレは
少し跳ねている頭の後ろの癖ッ毛
そしてかなり穿き古している感じのジーンズと茶色のセーター
(やぁん、カワイイーー!)
「じつはオレの入ってる『旅の会』も店を出しているんだヨ。 まずそこから行ってみるよう。」
そう言うと芦田さんは正門から続く銀杏並木をまっすぐ歩いて突き当たりのロータリーに並んでいる一軒の屋台に連れてってくれた。
「よぉ、売上どうだ?」
「まあまあだな。 アレ? 芦田の妹さん? でもオマエって妹いたっけ?」
屋台でお好み焼きを焼いている芦田さんの友達の男の人がアタシと凛を見てそう言った。
「いや、オレのガールフレンドたち。」
「エ、まじ!? でもすごく若そうに見えるけど…。」
「そうさ、だって中3だもん。」
「オイオイ、それって危なくねーか?(笑)」
「アハハハ。 じつは前に入院したとき病院で知り合った娘とその友達なんだヨ(笑)」
「あ、そうなんだー。 やぁ、はじめまして。コイツのサークル仲間で木下っていいます。」
「こんにちわ。藤本 美子です。」
「小谷 凛です。」
「2人も今度青葉の高等部を受けるんだ。」
「そうなんだー! じゃあ、将来は青葉大に進学?」
「あ、ハイ。できたら。」
「じゃあ、そのときはぜひこの『旅の会』に入ってマスコットガールに!」
「アハハハ。」
すると
そのとき女の人が2人アタシたちのところに寄ってきた。
「あら、高坊。 今日は当番だったっけ?」
そのうちの一人
髪の長い、赤いルージュを唇に引いたとてもキレイな女の人が芦田さんに話しかけてきた。
「いや、今日はみんなに任せるヨ。 今日は知り合いの女の子の案内役で来たんだ。」
「わぁ、カワイイ娘たちー。 こんにちわー。」
そう言ってそのキレイな女の人はアタシたちの方を向いて挨拶した。
何か仲良さそう…。
芦田さんと同じ学年の人かな。
いいな…。いつも一緒にいれて。
なんかすごくキレイな人だし…。
薄いブルーのブラウスに黒のタイトスカートが大人っぽいな。
ああ、何かアタシちょっとジェラシーかも。
嫌な顔になってないかな…。
その後いろいろなお店を回り、ときどき校舎の中に入っては音楽サークルのライブとかも覗いていみる。
どれを見てもやっぱり大学の学園祭は中学の文化祭なんかぜんぜん比較にならないくらいスゴイパワー!
お昼が近くなりアタシたちは学食へ行ってみた。
お昼ごはんは学食で芦田さんがご馳走してくれた。
「さあ、何でも好きなものを選んでいいヨ。 とはいっても学食だからどれも安いけど(笑)」
「わぁー、メニューがこんなにたくさんー。」
「あ、ミコ。コレ美味しそう! でも、これもいいな…。 ああ、迷っちゃうなぁー。」
いろいろ迷った結果、アタシはハンバーグランチ、凛はかにクリームコロッケ、そして芦田さんは青葉物語を選んだ。
「おいしー! 学食のご飯ってもっと大雑把な味なのかって思ったら、お店のみたいに美味しいー。」
アタシも凛も大きな大学の学食に大はしゃぎしながらご飯を食べた。
ご飯が終わると、凛が急にキャンパスの中に建っている間澤記念館の前で写真を撮りたいと言い出した。
いつもはあまり強引な主張をしない凛にしてはやけに熱心そうにそこに行きたがるのが少し不思議だった。
「よし、じゃあ行ってみよう!」
そして芦田さんの鶴の一声で3人でそこに行くことを決定。
間澤記念館は青葉学院の象徴的な建物で、学校案内などの記事でもこの建物の写真がよく載っている。
古いギリシア風の円柱が特徴的で、初めて青葉キャンパスに来たときアタシもとてもステキな建物だと思っていた。
そしてアタシたちがその建物の入口で写真を撮ろうとしたとき
「あれ! 凛ちゃん? おおっ、藤本さんもおるやないか! どないしたん?」
アタシたちがその声の方向を向くと
びっくりしたことにそこには同じクラスの石川ワタル君がいたのだった。
「ワタル君、どーしたの!? びっくり!」
その姿にアタシが驚いて声をあげると
彼は
「びっくりはこっちも同じやで。ボクは青葉の見学に来たんや。 ボクもここの高等部受験するやしな。」
そのときアタシはピーンときた。
(そっか…。凛めぇ、仕組んだなー。)
すると凛は
「エー! でもワタル君も来てるなんてホントびっくりしたよぉ!」
といかにも偶然の出会いのような言い方。
(うわっ、しらじらしぃー!(笑))
そして彼女はこう続けた。
「あ、 ネェ!せっかくだしさぁ、大勢で動くより2人ずつに分かれて行動しない? アタシ、ワタル君と見ていくから、ミコは芦田さんと2人で。 ネ、芦田さん。いいでしょ?」
「エ、ボクはいいけど…。ミコちゃんはせっかく凛ちゃんと来たのに、いいの?」
(ハイ! モチロン! やったー!芦田さんとツーショットだぁーい!)
しかしさすがに声に出しては言えず
アタシは必死に目でその気持を訴えた。
「ウン。じゃあ、そうしようか。」
芦田さんは笑顔でそう答えた。
「じゃあ、決まりネ! それで後はフリータイムってことで。 芦田さん、ミコのことヨロシクお願いします。」
「ウン、オッケー。 じゃあ、もしなんかあったら携帯にかけて?」
そう言って2組のカップルはそれぞれ別行動となったのであった。
凛、アリガトー!
ああ、なんてハッピーディ!
2人の学園祭、ブラボー!
4月
アタシと凛そして石川ワタル君の3人は晴れて青葉学院高等部に入学することができた。
そしてアタシと凛はなんとまた同じクラスになることになった!
この頃凛とワタル君はお互いの気持を確かめ合いお付き合いを始めたようだった。
そしてアタシたちは、同じクラスの中で知り合った佐倉 美由紀ちゃんという新しい仲間を加えて行動を共にしていく。
みーちゃんこと美由紀ちゃんは、お母さんがイギリス人と日本人のハーフ、つまり本人はクオーターということになるらしい。
そのためか、少し目の色が茶色で髪の色も茶色がかっていて、肌の色は白くまるで人形のように美しい娘だった。
入学式の日の教室ではじめて会ったときは、教室の中で何人もの男の子たちが振り返って彼女を見ていた。
ただし
彼女の性格はその外見とはかけ離れていて、かなり破天荒であけっぴろげ(笑)
そのためアタシと凛は彼女とすぐに仲良くなっていった。
そして
高等部1年の夏休みの終り
アタシは凛の彼氏であるワタル君についての秘密を知ることになる。
それはちょうど夏休みが終わる前日のことだった。
アタシは明日からの始業に備えていつもより少し早くベッドに入った。
しかし夏休みのくせがついてしまい目を閉じても中々眠ることはできない。
そしてようやくウトウトし始めたのは12時を過ぎた頃だった。
そんなとき
「ミコちゃん…ミコちゃん…。」
アタシの夢の中に現れたのは、なぜかワタル君だった。
「ミコちゃんには今までホンマに世話になったなぁー。」
いつも元気そうな彼が懐かしむようにアタシにそう言っている。
「エ、キミ、どこかに行っちゃうの。」
アタシがそう尋ねると彼は
「ウン。もうみんなに会えへんのや。」
「そのことを凛は知ってるの?」
「いや、知らへん。 だからキミだけには言っておきたくてなぁ。」
「なんでアタシに?」
「それは………。」
そこでアタシはハッと目が覚めた。
(ああ、夢かぁ。 あ…なんか汗かいちゃってる。」
そう思ってベッドの横にかけてあるハンドタオルを手にとって額を拭うと
「エッッ!」
アタシの勉強机の椅子の上にボーっとした影が浮いていた。
(ウ…ソ…。 まさか幽霊?)
でもアタシの身体はこうして自由に動いている。
幽霊が出たときよく聞く金縛りのようにはなっていないようだった。
するとその影は次第にワタル君の姿へとまとまっていった。
きゃぁぁぁーーーーーーーっっ!
っと叫ぼうとするけど驚きで声にならない。
「あ、あああ、あああああ、、、。」
声にならない声を絞り出しながらアタシは身体中から汗がドッと滲み出るのを感じた。
「すまんな。 驚かないでくれ。」
(こ、声出したーーーーーっ!)
「女の子の寝ているところに突然現れたのは謝る。 でも、どうか落ち着いてほしい。」
ハッキリとした姿になったワタル君は請うようにアタシに言った。
ゴクッ
アタシは唾を飲み、彼の姿を凝視した。
「ア、アナタ…ワタル君なの?」
「ウン、そうや。」
「な、なんでそんな…そんな…。」
彼は椅子に腰をかけて足を組み小さく微笑みながらこう言った。
「キミにさよならを言いに来たんや。」
「さよならって?」
「ボクは今日でキミたちの前から姿を消すんや。」
「あの、言ってる意味がよくわからないヨ。」
「じつは、ボクはキミたちのように本当に生きている存在ではないんや。」
「じゃ、じゃあ、アナタは幽霊…だったの?」
「チョット違う。 ボクは『心』や。」
そして彼は自分が本当は石川 渉ではなく、小4のときに亡くなった鮎川 渡という人物であること。
凛や久美子が小さい頃ときどき遊んだ幼馴染であること
中2のときに哲であった凛に女性としての象徴が起こり、女性としての人生を歩むことになった彼女がその後の人生の中で男性として生活していたときの呪縛によって不幸な人生を歩む未来を知ってしまい、それを矯正するために時間を与えられ、自分が生まれ変わりの機会を伸ばして彼女の前に現れたことなどを話してくれた。
「そしてそのボクの役目もようやく終わったようやし。 そろそろボクに与えられた時間はタイムアウトになるわけや。」
「それで、アナタはどうなるの?」
「次の生まれ変わりの順番を待つことになるなぁ。 そして、キミたちと一緒に過していた石川 渉というボクの存在は消させてもらう。」
「じゃ、じゃあアナタは存在しないことになっちゃうの?」
「まあ、そういうことやな。 ただ凛ちゃんと久美ちゃんそしてキミ、この3人の記憶は残して置こうって思っている。この3人だけにはボクが存在したことを忘れないで欲しいから。 そしてキミにお願いがあるんや。 ボクは凛ちゃんに女性として男を愛しそして命を繋げることの感情を身に付けてもらうためにこの2年間を注いできた。しかし彼女にはまだ消化しきれていないところも多い。 だからもし彼女がふらつきそうになったとき、キミが一言でエエからアドバイスしてやって欲しいんや。」
「でも、アナタがいなくなれば凛は悲しむヨ?」
「それが…凛ちゃんのためや。」
ワタル君は悲しそうな微笑でそう答えた。
「ひとつ…聞きたいことがあるワ。アタシにはそれを聞く権利があると思うの。」
「なんやろ?」
「アナタがそこまで凛にしてあげようとする理由を教えて欲しい。 いくら小さい頃の幼馴染といったって自分の生まれ変わるチャンスを伸ばしてまでそうしてあげたのはなぜなの? もしアタシなら…いくら友達でもきっとできないって思う。」
「………。」
「アナタは、凛の何なの!?」
「ハハハ、さすが鋭いなぁ。 ホンマ、ミコちゃん、キミは鋭い女の子や。」
「教えて欲しいの!」
「…ふぅ。 まあ、エエやろ。 エエか?これはキミとボクの2人だけの秘密や。 誰にも話さないで欲しい。たとえ凛にでもな。」
「…わかったワ。 でも、今はアナタは凛と呼んだよネ。 そこにどんな意味があるの?」
「前世、これを信じるかどうかはキミ次第やけど。 前世でボクと凛は兄妹やった。」
「エ、アナタと凛が兄妹!?」
「…そうや。」
「ボクらが前世で生きていた時代は昭和のはじめ。 ボクは昭和10年生まれで凛は昭和12年生まれの兄妹やった。 2歳年下の凛はいつもボクに纏わりついててな、「ワタル兄ちゃん、ワタル兄ちゃん」言ってな、そら可愛かったわぁ。
その頃の日本は今みたいに豊かな時代ではなかったけど、ボクらの家族はいつも笑いが絶えん明るい家やったんや。ちょうど凛が生まれた年に盧溝橋事件ゆうのがあってな、これを切っ掛けにして日本は中国との戦争に突入していくんや。」
「1937年に起こった事件よネ。 たしか夜の暗闇の中で日本軍と中国軍のどっちからか銃声が起こって、それがきっかけになったって。でもそのどっちが最初に発砲したかは未だに謎だって。」
「おおーっ! さすが秀才のミコちゃんやな(笑) まあそういうことや。 それでもその頃は戦争は中国大陸での局地戦やったからな、日本の国内にいる国民はそれほど実感はなかった。 しかし1941年、昭和16年の12月7日に日本がとうとうアメリカに攻撃を仕掛けてしまったんや。」
「真珠奇襲、そして太平洋戦争のはじまりよネ。」
「そうやな。 そのときボクは6歳で国民学校の1年生、凛はまだ家で母親と遊んどった。」
「国民学校?」
「まあ、今でいう小学校やな。 しかし日本人かて満更馬鹿やなかったからな、ボクら小さい子供はともかく大人たちは本音ではアメリカ相手にホンマに勝てるんかいなと思っとったみたいやな。 でも、日本はそれまでに第一大戦、日清、日露と3つの大きな戦争に勝利してしもうたからな。日本人の間にも少なからず驕りみたいのはあったんや。」
「でも、第一次大戦ではアメリカが日本の同盟国だったし、日清も日露もそれまでの政権が倒れそうで内部崩壊していた状態だったから勝てたんでしょ?」
「うはっ! さすがやなー! ただ、これで日本は大国意識が芽生えてしまった。 そのため独善的になってしまったんやろな。 最初は日本軍が国外のいたるところで勝利を収めていった。 まあ、これはある意味当たり前で、アメリカやイギリスなどの連合軍はそれまでドイツ相手の欧州戦争に戦力を向けていたから、太平洋方面はどうしても手薄になってしまって大きな力を発揮できなかったんや。しかし翌年昭和17年のミッドウエー海戦でアメリカが勝利するとそこからは日本は転げ落ちるような負け戦を続けてしまうんや。 運不運もあるやろうけど、それ以前にそのときのアメリカと日本の情報力は格段の差があったからな。よく精神力が物量に負けたなんていうけど、それよりもそういう意識の差があったんやないかって思うわ。 そしてノルマンディー上陸とかでドイツの敗戦が決定的になってくると、アメリカは今度は戦力を太平洋に向け始めた。 それまでは戦争いうても国外の戦がほとんどで国民はあんまりピンと来てなかったんやけど、昭和19年頃になると日本の本土への空襲なんかが本格化してきて、みんながそういう実感を感じ始めたんや。」
「ワタル君、よく勉強したネー! それってどうやってそこまで調べたの?」
「ワハハハーーーー。 まあ、その話は後や。 そんでな、ボクらの住んでた東京もそういう空襲がたびたびあってな、夜中に「ウーーーーーー!」なんてサイレンが突然鳴ってな、そのたびに飛び起きて防空壕に逃げ込んどった。 食べるものも少のうなって、毎日わけのわからん葉っぱと小さな小麦粉の玉しか入っとらん水みたいな水団、ときどきサツマイモとか。それかて腹いっぱい食えるわけやない。 そのとき凛はよく「お腹すいたヨー!」言うて涙こぼしてな。 それでも、この戦争が終わればまたお腹一杯食べられる言うて頑張ったわ。 そして戦争があと少しで終わるゆう昭和20年3月10日…。」
「東京…大空襲…。」
「そうや。 真夜中に空を見上げるとものすごい音がしてな。 そのうちヒューンって音がして焼夷弾が降って来たんや。 あっちこっちで家や建物から火が上がって、たちまちそこら中火の海やった。 ウチは隅田川の近くでな、逃げていた人が水に飛び込んだりしたけど、その水の上にもものすごい火柱が立って、泳いでいた人はみんな丸焦げや。 そしてボクの家はお父ちゃんとお母ちゃんが家の下敷きになってしもうて、ボクと凛はその直前にお父ちゃんたちにすごい勢いで投げ出されてな。そのときは何とか外に出れたんや。 そのとき凛はその場に座り込んでしもうて、家の中で柱の下敷きになっているお母ちゃんたちに「嫌だー! 凛もここにいるー!」言うて大泣きして、どうしてもその場を離れようとせん…。」
「ウ、ウン…。」
「そしたら柱に挟まれながらお母ちゃんがボクらに「あっち行けー!」って気が狂ったみたいに叫ぶんや。それでボクは座り込んでいた凛を無理やり担いで逃げたんや。 凛は「離してー! 凛はお母ちゃんたちと一緒にいるんだー!」って叫びまくっとったがな。」
「ボクと凛は何とか近くの防空壕に入ることができたんや。 近所に住んどった金物屋のおっちゃんがボクらの歩いているを見つけてくれな。防空坊に引きずり込んでくれたんや。 防空壕の中で凛は「ワタル兄ちゃん、怖いヨォー。」言うてな、近所のお姉ちゃんにもらった小さな熊のぬいぐるみを握り締めとってな…。」
「じゃあ、それで2人は助かったの?」
「いや。 しばらくして飛行機の爆音が遠くなったからな。なんとか助かったかって思ったら、外の方で遠くからゴォォォーーーーっていうすごい音が聞こえてきてな。ボクが外を見たらそれはまるで火の津波みたいやった。 それでその津波はすごい勢いでその防空壕の中にも入ってきて…。そこにいたみんなは全員丸焦げや。」
「アナタも凛も…?」
「そうや。一瞬のことやった。 アッと思ったら…。」
「そうなんだ…。 ご、ごめん、何か涙が止まらない…。」
「そしてフッと気がつくとボクの周りには誰もおらへんで、一人で薄暗い森の中におった。 ああ、これが死後の世界なんかな…って思っとったら、そこに一人のおっちゃんがボクに向かって歩いてきたんや。 それで鏡を一枚渡された。 ボクがその鏡を見ると、ボクのそれまでの人生が映ったんや。 ボクは凛のことが心配でな。 そのことを心に念じたら今度は凛の姿が映った。そしてその鏡は生まれ変わった凛の姿も映し始めたんや。 そのうちこの鏡は心に念じた人のある一定の未来も映せることに気付いた。それでボクは凛の生まれ変わりの誕生から未来までを念じて映したんや。」
「そしたら…凛の不幸な姿が?」
「そうや。そのおっちゃんは「キミももうすぐ生まれ変われる。今度は平和で戦争のない時代だ。」と言った。 でもボクは妹の凛が不幸になってしまう未来にどうしても我慢できなかった。そこでそのおっちゃんにお願いしたんや。 「ボクの自我を消さないで凛と同じときに生まれ変わらせてくれ。」ってな。そうすればボクが凛のそばにいて助けてやれるって思ったんや。 でも、そのおっちゃっんは「人間は生まれ変わるとき必ず前世の記憶を消される。 前世の記憶を持ったまま生まれ変わってしまうことは自分自身にとって必ず良い結果にはならないからだ。」って言うんや。 それでもボクはお願いした。 そしたら、そのおっちゃんは「それではキミが前の人生で生きた10年間だけ、前世の記憶を持ったまま生きさせてあげよう。」って言うたんや。」
「それでアナタはまた死んだ…。」
「そうや。そのとき一時期、凛や久美ちゃんたちと交わって遊ぶことができた。 しかしそれだけじゃどうにもならんかった。 小学生のボクは身体も弱く無力やったからな。 それで2回目に死んだ後生まれ変わりの順番を遅らせてもいいから、成長したボクと凛を交わらせてくれとな、またそのおっちゃんに頼んだんや。」
「そういう…ことだったんだ。 でも、久美子は? なんであの娘の記憶までも消そうとしないの?」
「さっき話した凛にぬいぐるみをくれた近所のお姉ちゃんな、あれが久美ちゃんの前世や。」
「エ、そ、そうなんだ? じゃあ、久美子もあのときに?」
「まあ、そうやろな。 人の生まれ変わるタイミングって大体決まっとるらしいから、久美ちゃんもあのときあたりに亡くなったんやろう。」
「そう…なんだ? あ、それとあとひとつ。アナタも凛も前世の名前と今の名前が同じだよネ?」
「人が幼くして死ぬときは、次の人生で同じ名前を引きずるもんらしいわ。 新しい親は自分で考えてその名前を付けたように思うけど、それはほとんど直感的に思い浮かびそこに後付で理由を見つけるみたいなもんや。」
「そっかぁ…。」
「ボクはあの戦争を経験して思った。 戦争は人間を狂わせるもんやってな。 人はキレイなものをキレイと感じ、哀れみの心を持つ。しかし戦争というのはそういう人間の感情を麻痺させて獣にしてしまう。だからボクはそういう戦争というものの正体が知りたくてな、2年間の与えられた時間のうち凛と交わる時間以外の時間をそのための勉強に費やした。 いろいろな人の話を聞きにいったりな。 外国人のじーちゃんたちとも話したわ。青葉学院の近くは外国人がたくさん住んでいるさかいにな。
あるアメリカ人の92歳のじーちゃんの話を聞いたときは、そのじーちゃんはな、ノルマンディー上陸作戦に参加したそうや。 それで上陸用舟艇が海岸の近くまで連れてってくれるんやけど、200mくらい手前で降ろされて、後はそこから自分で海の中を歩いていかなならんかったそうや。そしたら陸の方からドイツの兵隊が機関銃ですごい勢いで弾を撃ってきて、たった10m進む間に100人のアメリカ兵が撃たれて海の中で死んだらしいわ。 そのじ-ちゃんも肩を撃たれて足を滑らせて海の中に潜ってしもたらしいが、そのとき自分の顔の数センチのところを弾が走ってったって言うとった。 戦争いうんは、勝ったほうも負けたほうも死んだ人は戻ってこん。本当は戦争に勝ち負けなんてないんや。
そういや、みーちゃんのお婆さんはイギリス人やろ?」
「ウン。そうらしいネ。」
「彼女のお婆さんのお父さん、つまりみーちゃんの曾お爺さんやな、その人は東京大空襲でアメリカ兵に混ざってB29で出撃したイギリスのパイロットやった。 それでもボクは彼女のことを何も恨んでおらん。みーちゃんはみーちゃんやしな。」
「そう…なんだ?」
「エエか、ミコちゃん。キミは先生を目指しているんやろ? よく聞いてくれや。 子供を生かすも殺すも教育や。 ボクが話をしたあるじーちゃんは戦前小学校の先生をしとってな。 そのじーちゃんは自分が子供たちを戦場に駆り出してしまったことの責任を今でも忘れておらんそうや。どうかキミは子供たちに美しいものを美しいと感じ、人を心から愛せる人間に育ててやって欲しい。 ボクからのお願いや。」
「ウン、わかった。 約束するヨ。」
「ウン、アリガトな。 ほなら、ボクはそろそろ行くわ。」
「もう、会えないの?」
「ウン、会えん。 少なくともワタルとしてはな。」
「別の誰かとして?」
「そうやな。いつの時代か、ときの流れの中の誰かとして…。」
そして彼は消えていった。
次の日
新学期の初日
朝、教室に入って来た凛は少し怪訝そうな顔をしてアタシにこう聞いた。
「ねえ、ミコ。今日ワタル君見た?」
アタシはそんな凛の問に心の中を涙で一杯にして、しかし無表情でこう答えた。
「だから石川 渉なんて知らないわヨ。 それにだいたい若松中学から青葉学院受かったのってアタシと凛の2人だけだったじゃん。」
アタシが大学に進学したとき、アタシと芦田さんは正式に男女としての交際を始めた。
そのときカレは青葉学院大の大学院博士課程3年生のときだった。
カレは大学の先生になることが小さい頃からの夢だったそうだ。
カレがアタシのことを女性として意識し始めたのはアタシが高3の頃だったらしい。
カレは大学の教師、そしてアタシは小学校の先生という分野の違いはあったけど、アタシたちはこの頃会うたびにお互いの夢を語り合った。
アタシが小学校の先生になりたいという夢を持った切っ掛けは、小学校5年生の頃だったと思う。
そのときのアタシのクラスの担任だった大原先生は生徒にけっこう厳しい先生だった。
だから大原先生は他のクラスの生徒にはあまり人気がなかった。
しかしウチのクラスの生徒は誰もが大原先生のことを信頼して慕っていた。
それは大原先生がすべての生徒に厳しかったからだって思う。
アタシが小6にあがったとき、将来の夢を書くという宿題がでたことがあった。
アタシは「大原先生のような小学校の先生になりたいです。」と書いて提出した。
お世辞を書いたつもりはなかった。アタシは真剣にそうなりたいって思ったんだ。
そしてそれからしばらくしてノートがあたしの手元に返されたとき、そのノートには先生の文字がびっしりと書かれていた。
「生徒の望むことをしてあげれば生徒は喜ぶ、しかし世の中は必ずしも望む通りにはならない場合がある。そのときにその生徒がどれだけ自分に強くなれるか、負けずに苦難に立ち向かえるか、それを身に付けさせるのが教師の役目だと先生は思っています。君はとても感受性が強く、そして自分に対してとても強い女の子である気がします。もし君が将来教師というものを目指すなら、生徒と同じ目線に立たず、教師としての強さを生徒に示せる、そんな教師になってくれたらと望んでいます。」
中学受験で青葉学院中等部を落ちてしまったとき、アタシははじめて涙を流してしまった。大粒の涙をとめどなく流して、大原先生の胸にしがみ付いて大泣きしてしまった。
そのとき先生はアタシにこう言った。
「運不運はあるだろう。しかし自分が夢をかなえるためにしてきた努力よりも他の合格した人がしてきた努力の方が上回っていたと今は考えなさい。そして高校受験で君が中学の3年間で誰にも負けない努力ができたことの結果を示すんだ。そうすればそれは君にとって一生の自信になるから。」
先生は泣きじゃくるアタシの頭を何度も優しく撫でながらそう言ってくれた。
アタシはこの大原先生の話を芦田さんにしたとき、カレは何度も頷いて納得をしてくれた。
「大原先生は生徒たちに厳しくすることで愛情を示していたんだヨ。それがたとえそのとき生徒に理解されなくても、いつか自分の教えてきたことがその生徒のためになるって信じてたんだとボクは思う。」
こうしてアタシと芦田さんは、けっして縮まらない年齢差と反対に心の距離を縮めていった。
そしてカレはアタシが大学に進学する少し前に交際を申し込んでくれた。
「もっと早く言ってくれてもよかったのに…。」
アタシがこう言うと
カレは
「やっぱり年齢差を気にしていたのかもしれない。 高校生のキミを恋愛に縛りたくなかったから。」
カレは素直に心の中を明かしてくれた。
そしてそれがアタシにとってはよけい嬉しかった。
「バカ…アタシはずっとずっとアナタの言葉を待ってたのヨ(笑)」
女にとって本当に好きな相手の年齢は多分それほど気にならないってアタシは思う。
それよりも、そういう本当に好きになれる人と出会えた幸せのほうが大切じゃないだろうか。
年上だからと年下の女の子にいつも格好を良くしたいって思う人より、相手に自分の心をちゃんと開いてくれる人なら、それはきっとお互いの信頼になっていくって思うんだ。
その後
アタシは大学を卒業し青葉学院初等部に教師として職を得て、そして同じ年にカレは大学院博士課程を終えて青葉大の助手となった。
それから2年程が過ぎたとき
大親友の凛は青葉大の正門前にある国連大学の事務員として勤めているので、学校帰りにはしょっちゅう待合わせをして一緒に帰っている。
「あのさ…。」
一緒に歩いていた凛が何となくモジモジとしながら話し出した。
「どうしたの? やけにハッキリしない言い方じゃん?」
「アタシさ、プロポーズ…されちゃった。」
「エ! 笹村さんから?」
「当たり前じゃん(笑)」
「それで? 受けたんでしょ?」
「ウ、ウン。まあ…。(ニヤニヤ)」
「凛、顔が緩みっぱなしー。」
「アハハ、そうかなー?(デレ)」
「まあ、でもこれでワタル君もやっと安心だネ。」
「アハハ、そうかも(笑) でも今頃はカレも生まれ変わっていてどこか他の女の子と出会ってるのかなぁ…。」
「かもしれないネー。あの人って女の子の気持を掴むの上手だし(笑)」
「そっかぁー。そうかもしれないネェ…。」
「ちょっと複雑な気持?」
「ウーン、かもしれない(笑) でもカレがいたからアタシはトオル君と出会ったわけだし。」
「そうかもしれないネー。 きっとワタル君はすごく喜んでくれていると思うヨ。」
そして凛の結婚式の少し前
アタシは芦田さんからプロポーズをされた。
カレのプロポーズはあまり気が利いていない言葉だった。
「オレと結婚してくれないか?」
ストレートで何の飾り気もなくて
でも、アタシはそんなストレートで飾り気のないカレの言葉をずっと待っていた気がする。
「ハイ。お受けします。」
アタシはカレと同じようにそのままの気持を伝えた。
「なんかアタシたちって映画みたいにいかないネ(笑)」
あたしが涙交じりの笑顔で笑いながらそう言うと
カレは
「でも、こんなオレたちって最高のカップルだろ?(笑)」
その言葉に2人で顔を見合わせて笑い合ってしまった。
ある日
凛の結婚を前に、アタシと凛そして久美子の3人で鮎川ワタル君のお墓にお参りに行った。
お参りを済ませて、3人で近くの喫茶店に向かおうとするとき
「あ、ゴメン。 アタシ、お墓のところに忘れ物しちゃった! 先に喫茶店行ってて?」
アタシはそう言ってワタル君のお墓に戻っていった。
そして再びワタル君のお墓に戻っていったアタシは、彼の前に立ちこう言う。
「ワタル君、アナタの妹さんの凛はとってもステキな女性に成長しましたヨ。 アナタが2回のときの流れに跨って彼女にしてあげた優しさを彼女はずっとずっと忘れないって思います。 どうか安心してください。 次にアナタがこの世界に生まれ変わってきたときには、多分お互い見ず知らずの他人同士。 でもアタシたちは石川 渉という人がいたことをずっと忘れないでしょう。」
そしてアタシは彼にニコッと微笑んでそのお墓を後にした。
それから数年が経ち
アタシ、凛、久美子、そしてみーにもそれぞれ子供ができて慌しい中に幸せを感じられる生活を送っている。
それぞれが別々の人生を歩みながら、ときどき顔を会わせては昔を懐かしめる。
そんなのが幸せだって感じられるアタシたちはきっと本当に幸せなのだろう。
~fin




