第32話 カレーライス
「はっきり言って、会津君はかなりわかりやすいね」
授業が終わった後に2人で学食でお茶をしていたときにこの前の新歓パーティの話になり、ミコはそんなことを言った。
「エ、そう?」
「ウン。彼は凛に気があるんだヨ」
「エー!?そうかなあ?」
「ほら、男のコって好きな女のコには他の女のコと違う態度とるじゃない?」
「でもさあ、好きな女のコっていたって、アタシたち、この前初めて会ったんだヨ?」
「一目惚れってことじゃない?」
「ちょっと、やめてヨォ~~~(笑)」
会ったその日に恋の花咲くこともあるというけど
それはお互いがそうなった場合でアタシにその気はまったくない。
でも、教育学科のミコがそう言うと妙に真実味も感じたりするから怖い。
「男のコってそんなんで女のコの気が惹けるって本当に考えてたりするんだって。 まあ、凛もそう気にすることないヨ。友達の一人として付き合ってればそのうち向こうも変わるでしょ」
残りのカップに入ったコーヒーを一気に飲み干すと
「さあ、5限目は教育原論だわ。そろそろ行かなくちゃ。じゃ、凛。また明日ね」
そう言ってミコは席を立ち上がった。
「さて、アタシも図書館行かなくちゃ」
来週の授業に提出するレポートを書くのに必要な資料を借りなくてはいけないのだ。
するとそのときだ。
「おーい、凛」
学食の入口からそう言って歩いてきたのは久しぶりに会うトオル君の姿だった。
入学式での勧誘以来新入部員のお世話に忙しくてここ3週間ほど会えなかった。
「今晩電話しようと思ってたんだけど、会えてよかったよ」
いつものトオル君の温かい笑顔だった。
図書館に寄った後、アタシとトオル君は肩を並べて正門まで続く銀杏並木のメインストリートを歩き始めた。
青葉学院の名前の通り、この時期青々とした銀杏の葉が風に靡いてサワサワと小さな音を立てる。
この風景を初めて見たのは、中3のときミコと2人で青葉学院を訪れたときだった。
メインストリートには溢れんばかりの大学生に紛れて高等部の生徒たちも歩いていて、誰もが誇らしくそして楽しそうに見えた。
そしてミコと一緒に青葉学院高等部に合格したとき、自分たちもこれから彼らと同じようにこの道を歩くのだとということがとても嬉しかった。
あのときにアタシの隣にはワタルがいた。
アタシは毎日この道をカレと肩を並べて一緒に歩いていた。
そしてときは流れ
今、アタシの横にはトオル君がいる。
なぜ今の自分がいるのだろう?
アタシはときどきこんなことを考えるときがある。
中2の夏休みにいきなり、そしてあまりにも突然に告げられた『女』という自分の本当の性
そして再会したワタルという存在
カレはアタシにとても多くのモノを与えてくれた
女として男性を愛することの喜び
愛されることの幸せ
振り返って思い出してみれば、アタシはどこかでワタルに導かれていたようにも感じる。
そんなことを考えているとき
「…にでも行ってみるか?」
トオル君に突然話を振られてアタシはビクッとした。
「エ、あ、ゴメン。聞き逃しちゃった。どこに行くって言ったの?」
トオル君は少し呆れたような顔をして
「どうしたんだ?考え事してたみたいだけど」
と再度アタシに尋ねる。
「あのね、大したことじゃないんだけど、この道を歩いてて、フッとアタシが初めて青葉のキャンパスに来た時のことを思い出しちゃって」
「ああ、たしか中3のときミコちゃんと下見に来たんだっけ?」
「そう。懐かしいなって思って」
「中3のときの凛かあー、どんな感じの女のコだったんだろうなぁ」
「フフフ、さあ、どーでしょう(笑) でもさ」
「ウン?」
「そのときトオル君は青葉高等部の1年生だったわけだし、もしかしたらこの道のどっかでアタシとミコとすれ違っていたかもしれないヨ?(笑)」
「あ、そっか!そういえばそうだな(笑)」
「フフフ、高1のトオル君はどんな男のコだったんだろうね?」
こんな話をしながらアタシたちが青葉通りを渋谷駅方面に向かって歩いていたときだった。
「あれ、凛ちゃんやないかあー!」
アタシは向こうから歩いて来た人から突然声をかけられる。
フッと振りかえるとそれは同じサークルの会津君であった。
「あ、こんにちわ」
この前のこともあったが、ミコのアドバイスもあり、アタシはサークルの一友達としての努めて笑顔で挨拶する。
「どこ行くん?」
「あ、どこっていうんじゃないけど、お茶でもしに行こうかって思って。会津くんは渋谷の方から来たみたいだけど?」
「ああ、ボクはバイトの帰りや。これから学食で夕メシのラーメンでも食おう思ってな」
そう話しながら会津君はトオル君の方をちらっと見るとアタシに尋ねた。
「凛ちゃんの友達かい?」
アタシは一瞬少し恥ずかしがりながらも
「あ、エット、アタシの…彼なの」
と紹介した。
「やあ、はじめまして。国際政経学部2年の笹村っていいます。」
トオル君は会津君に丁寧に挨拶をした。
すると
アタシには初対面でやけにぶっきらぼうだったはずの会津君は、
「凛ちゃんの彼氏でっかあ。あ、ボク、凛ちゃんと同じサークルで経営学部1年の会津いいます。よろしゅう」
そう言って意外にも礼儀正しくペコっと頭を下げたのだ。
正直、アタシはちょっと心配ではあったんだ。
もし、ミコの言うように彼がアタシに気があるんだとしたら、彼氏であるトオル君に失礼な態度をとるんじゃないかって。
でも、会津君はアタシが思っていたよりも大人だったみたいで安心した。
「あれ?」
最初は気付かなかったが、よく会津君の姿を見ると、彼はヨレヨレのTシャツにボロボロのジーンズという、この前のパーティでのホストスタイルとはかなりかけ離れた格好だった。
「ねえ、バイトってここらへんでやってるの?」
「ああ、今日のは渋谷の道玄坂のレストランや」
「今日のはって、他にもやってるの?」
「月水金が今日の店のウエイター兼皿洗いで、火木が夜の警備員のバイト、そんで土日はサークルとかやな」
「そ、そんなに!?キミってちゃんと授業出てるの?」
「まあ、最低限はな。 それに勉強も大事やけど、まず働かんと先に飢え死んでしまうからなー(笑)」
もしかして、アタシ悪いこと聞いちゃったのかな…。
じつは彼の家は貧しくて、無理して東京の私立大学に来て苦労をしているんじゃないだろうか
そう考えていると
「なあ、会津君。よかったら俺たちと一緒にメシ食いに行かないか?」
黙って横で話を聞いていたトオル君が会津君を食事に誘ったのだ。
「え、でも、トオル君ーーー」
アタシは正直ちょっと戸惑った。
だって、久しぶりにトオル君と会えたんだし
せっかく2人でいるのにっ!
「いいじゃないか。なあ、会津君、どうだろう?」
トオル君は渋っている様子のアタシを静止して会津君に再び尋ねた。
「断れええぇぇ~~~~~~!」
アタシはキッとした目で会津君の顔をにらみテレパシーを送る。
すると会津君もきっとアタシのただならぬ気配を察していてくれたのか
「いやあ、でも…」
そう言って遠慮する様子だった。
(なんだ、この人もけっこうデリケートなとこあるじゃん)
「そっかあ、そうだよね!アハハ。ほら、トオル君。会津君も忙しいみたいだしさあ。無理に誘っちゃ悪いんじゃない?」
アタシが安心してそう言う。
すると会津君は
「いや、べつに忙しくはあらへんで。ボクはただ外食するような金がないだけや」
と平然と言ったのだ。
それに対しトオル君が
「なんだ。そんなことだったら気にするなよ。俺が誘ったんだから今日は俺が奢るから」
そう言ってニコッと笑って胸を叩くポーズをすると
「エ、ホンマでっか?ほなら、ご馳走になったろかな」
トオル君の言葉に会津君の顔はぱあっと晴れた。
(会津めえぇぇ~~~~~!)
(飄々としやがってえ~~~!)
(ちょっとでも期待したアタシがバカだったあぁぁ~~~~!)
アタシは恨めしそうな表情を会津君に向けたが彼はそんなことなんかお構いなしにニコニコとしている。
そんなわけで、久しぶりのデートなのに、
なぜか会津君というコブ付きで食事に行く羽目になったのである。
ここは宮益坂からちょっと脇道に入ったとあるラーメン屋さん
トオル君いわくこのお店は安くて美味しいのに加え量が多いことで有名らしい。
トオル君の所属する空手部御用達だそうだ。
「さあ、会津君。ここなら気にせず何でも食ってくれ」
トオル君の言葉に嬉々とする会津君。
「やったぁー!これで一食浮いたわぁ。笹村さん、ご馳走になります」
そう言って彼は大盛り味噌ラーメンにチャーハン大盛りを頼む。
「あ、あと餃子もええでっか?」
「ちょ、ちょっと!会津君、キミ、そんなに食べきれるの?」
「こんなんチョロイもんや。食えるときに食っとかんと」
(まったく、この人には遠慮ってものがないのだろうか?)
「アハハ、いいよ。食えるならどんどん頼んで。あ、俺は大盛りの味噌チャーシューとギョーザね。凛は?」
「あ、じゃあ、チャーハンを、もちろん普通盛りで、お願いします」
アタシは店員さんにそう頼んで出されたお水を一口含めた。
ガツガツ
むしゃむしゃ
注文した料理が揃うとさっそく会津君は脇目も逸れずガツガツと貪りつく。
その姿はまるで生クリームてんこ盛りパフェを抱えてがぶり付くみーちゃんのようだ。
「ふぅ~、美味かったぁー!」
ようやく満足してお箸を下ろすと会津君のショックはどれもまるで舐めたように綺麗になっていた。
「す、すごいねぇー!キミひとりで全部食べちゃった」
「そやかて、こんな豪華なメシは久しぶりなんやもん」
そう言って会津君は楊枝を一本取り歯に挟む。
「豪華って、ラーメンやチャーハンが?」
「ウン」
「キミって普段どんなものを食べてるの?」
「青葉の学食ではラーメン、そば、カレー。この3種類しか食べたことないなあ。夕メシはバイト先の賄いが出るときはわりと豪華やけど、朝メシは基本的に食パン」
「エ、朝ごはん、食パンだけなの?」
「いや、食パンの耳や。近所のパン屋でただでくれるさかいにな(笑)」
「耳…だけ!?はぁ~~~~、なんかすごい食生活だねぇー」
すると
アタシと会津君の会話を聞いていたトオル君は彼に対し興味深そうな顔をして言った。
「でも、君はすごく自由に暮らしているよな?」
「そう!そうなんですねんっ!」
そう言って会津君は突然席を立ち上がり、そして目をキラキラとさせてトオル君の手を握った。
「いやあ、やっぱり笹村さんは男同士!わかってくれまっか。限られた4年間の大学生活やもん。ボク、いつも自由でいたいんです」
「わかるよ。ウン、わかる。きっと金よりも大切なものがある。どんな金を持ってても過ぎ去った時間を取り戻せないからな」
「そうかなあ…」
アタシは2人の話にちょっと複雑そうな顔をする。
「まあ、凛は女のコだから。女には女の価値観があるんだよ」
ふぅーん…
アタシの男としての時間は中2で終わっちゃったからな
でも、もし、あのまま男として生きていたとしたら、アタシもこの2人の言うことに同感してたんだろうか
それから、トオル君と会津君は堰を切ったように語り始めた。
普段はわりとクールなイメージで大人っぽいトオル君に対して、会津君はどこか少年っぽさを持ち軽い感じがするけど
不思議とこの2人は馬が合ったみたいで、どこかで似た部分を持っているのかもしれない。
「じゃあ、ここで失礼します。笹村さん、今日はごちそうさまでした。ホンマに楽しかったですわ」
「ああ、俺もすごく楽しかったよ。今度、よかったらまた遊びに行こうぜ」
「ハイ、ぜひ。ほんじゃ、凛ちゃんもさいなら~」
そう言って彼は夜のバイトへと向かうためまた雑踏の中に消えていったのだった。
そして、その週の日曜日
トオル君は大会が近く部活の特訓
ミコは芦田さんとデートらしい
何も予定がないアタシは少し寝坊して9時頃のそのそと起きて遅い朝食を食べていた。
すると
「ねぇ、凛。今日暇ならちょっと頼まれごとしてくれないかなあ?」
そう言ってキッチンで洗い物をしている母親に声をかけられる。
「エ、なあに?」
「ウン。あのね、松戸のちーちゃんのとこに届け物をしてほしいのよ」
ちーちゃんというのは、千鶴さんといってうちの母親の妹
つまりアタシにとっては叔母さんということだ。
彼女は3人姉妹の年の離れた末っ子で今はまだ32歳
2年前に松戸に住む大学の先生に嫁いだ。
うちから松戸は電車に乗って東京をほぼ縦断して行くので結構時間がかかる。
それでも彼女は昔からアタシにいろいろ気をかけて可愛がってくれたので、ちーちゃんに会いにいくのは楽しみであった。
「あ、凛~!よく来たねえ。さあ、あがって」
1年ぶりに会ったちーちゃんは今ちょうど妊娠中で、お腹の赤ちゃんの新米お母さん。
笑顔でお腹を抱えながら出てきたちーちゃんはとても幸せそうな感じだった。
「わぁ、ちーちゃん。お腹大きくなったねー」
「フフフ、凛もいつかお母さんになるんだから順番だヨ(笑)」
「アタシもかあ。いつかそうなるのかなあ?」
リビングのソファに座ってお腹を優しくさするちーちゃんの姿はすでに母親そのものだ。
そんな彼女を見ていて、アタシは昔あったあることを思い出した。
それはまだアタシが女性として整形手術が終わって退院し、その後1ヶ月ほどの間定期検査のため病院に通ってたときのことだった。
主治医だった祥子先生は検査が終わるとときどきアタシを病院の喫茶室に誘ってケーキやパフェをご馳走してくれた。
そのとき先生はいろいろな話をしてくれたのだが、あるときこんなことを話してくれた。
「ねぇ、凛ちゃん。男と女の違いってどういうところだと思う」
「ウーン、そうだなあ。やっぱり女性は赤ちゃんを産むってことじゃない?」
「そうね。女性は男性と結ばれることによって赤ちゃんを授かる。結果的に産むかどうかは別として女性はそういう能力を持った存在ってことだよね。そして、そのために女の身体は男とは色々なところで異なっているのヨ」
「たとえば?」
「そうね、たとえば女性は男性より身体付きがぽちゃぽちゃして腕や足の腿が柔らかいでしょ?それは女性が赤ちゃんを抱いたとき温かく優しくすっぽりと包んであげるため。授乳するときちょうど乳房の位置に赤ちゃんの頭が来るようにできているの」
「へぇー、知らなかったぁ。うまくできてるよね」
「それに、顔つきね。男と女の顔つきっていうのはけっこう違うでしょ?女性っぽい顔の男性とかもいるけど、やっぱり表情がどっか違う。何故かというと、にじみ出てくるものが違うの」
「にじみ出てくるもの?」
「そう。男は男にしかなれないし女もそう。だから内面からにじみ出てくるものをいくら真似をしても絶対にできないの。凛ちゃんは本当は女のコとして生まれていた。だから女を選んだんじゃなく、じつは女以外のものを選ぶことはできなかったってアタシは思ってる。そしてね、大切なのはこのにじみ出てくる表情だと思うの。なぜ女は女らしい顔つきをしているかっていうと、それは赤ちゃんが母親の優しい笑顔に包まれて安心して眠るためなの。そして男はそういう女と子供を外敵から守っていくために精悍で逞しい身体をしている。それぞれにちゃんと神様から与えられた役割があって、それを変えるということは絶対にできないのヨ」
こんなふうに
今自分の目の前にいるちーちゃんはまさに母親だった。
そしてアタシもいつか彼女の後を追っていくのだろうか。
「じゃあ、凛。気をつけて帰るのヨ。菜摘お姉ちゃん(お母さん)によろしくね」
「ウン。じゃあ、またねー」
お茶をご馳走になり、アタシは11時ごろチーちゃんの家を後にした。
じつは、ちーちゃんには「お昼ご飯を食べていきなヨ」と何度も勧められたのだったが、アタシはあえてそれを遠慮してきた。
なぜかというと、松戸には以前ちーちゃんや母親やと何度か来たとても美味しいスパゲティ屋さんがあって、それを楽しみにして来たからだ。
そのお店は繁華街の方ではなく住宅街の一角にある。
「えっと、こっちのほうだっけ」
もうかなり前にきたことのあるお店だったので、道も多少うろ覚えだった。
アタシは見覚えのある目印を探してお店を探していた。
そのとき通りの向こうの方から歩いてくる工事作業用の服を着た男の人とすれ違った。
すると
「あれっ!」
すれ違いざまにその人から突然声をかけられた。
「エ?」
その声にアタシが振り返ると、なんとそれは会津君だったのだ。
「びっくり!こんなところでどうしたの?」
「ボクこそびっくりやわ(笑) ボクん家、ここら辺やもん。深夜バイトの帰りで今帰ってきたところやねん。凛ちゃんこそ、なんでこないなところにおるん?」
「親に頼まれて親戚の家に届け物に来たの。今までずっとアルバイトしてたの?」
「ああ、水道工事のバイトや。ハードだけど給料ええさかいにな」
「そうなんだあ。大変だねー。そういえば、ちゃんとご飯食べてる?」
「ワハハ、今日はまだ」
「呆れた! 本当に身体壊しちゃうヨ?」
「まあ、とりあえず米だけはあるから帰ったらお茶漬けでも食おう思ってるから」
アタシはこれから美味しいスパゲティを食べるつもりでここまで来たんだけど
会津君がお茶漬けのお昼ご飯と聞いてはどうも心がチクチク痛む。
(ウーーーーン…)
(「じゃあね」とこのまま去りがたいなあ)
そこでこんな提案をしてみた。
「ね、アタシ、栄養のつくもの何か奢ってあげようか?」
すると
「それは悪いからええよ」
彼は意外にもあっさりそれを断ったのだ。
「なんで?この前はトオル君に喜んで奢ってもたってたじゃん?」
「女のコに奢られるのはボクのプライドが許さへんもん」
「はあ、まったく意地っ張りだネ キミは」
そこでちょっと考えてアタシはこう言った。
「じゃあ、カレー作ってあげようか?」
すると彼の表情が急に変わる。
「エ、凛ちゃんが作ってくれるんか?」
「ウン。それなら材料費で500円もあればできるから。アタシも一緒に食べるから半分出すヨ。それならいいでしょ? 」
アタシがそう言うと
「やったぁー!」
彼は少し大げさなポーズで喜んでいた。
「ここがボクのアパートや」
そう言って会津君に案内されたのは『東海第四荘』という、ものすごいおんぼろのアパートだった。
「なんか…、『倒壊しそう』って読める」
「ワハハ、凛ちゃんおもろいことろ言うな。まあ、入ってや」
彼は笑い飛ばしていたけど、案の定階段を上るとギシギシと妙な音がする。
彼の部屋は2階の一番奥にある部屋だった。
部屋の中に入ると、玄関からすぐに小さな台所があって、その奥はに6畳ほどの和室になっている。
端に本棚がひとつと真ん中に小さなテーブルがあって、それ以外の家具は何もない。
ただ、窓は明るく隣の家の庭に面していて光がいっぱいに入っている。
「まあ、座ってんか。何もない部屋やろお」
「ホント、何もないんだねー」
「ハハ、はっきり言うなあ(笑)」
「とりあえず何か飲むかい?コーヒー、といってもインスタントやけど、それかお茶のどっちがいい?」
「あ、じゃあ、アタシが入れるヨ。会津君は座ってて」
そう言ってアタシは玄関口にある小さな台所に立ってお湯を沸かしインスタントコーヒーを1つ入れて彼に出した。
何気なくあたりを見回すと、男の部屋にしては台所は洗い物の残りもなくきれいに整理されている。
「さてっと…」
アタシは、さっき会津君と近くのスーパーに行って買ってきた豚肉と玉ねぎ2つと人参1本、じゃがいも2つそれに特売のカレー粉を取り出す。
そして棚の中にある調味料を確認してカレーの作成にかかった。
野菜を煮込んでいる間にお米を研ぎ、炊飯器を早炊きにしてスイッチオン
そしてしばらくしてカレーライスができあがった。
「ハイ、どーぞ」
会津君の分は特大盛りにしたカレーライスをテーブルの上に置くと彼は
「ああ、ええ匂いやあー」
と言いクンクンと匂いを嗅ぐ。
そしてスプーンで一口すくってそれを口に放り込んだ。
「う、うまああぁぁーーーーーーいっっ!!」
かなり大げさなポーズで叫んだ。
「そんな大げさな(笑)」
「いや、ホンマ美味いで!こんな美味いカレーライスなんて久々やもん」
「急いで作ったからちょっと大雑把になっちゃったけど」
「そんなことないでえ。味に深みがあるわ」
「あ、それはインスタントコーヒーを隠し味に使ってるの。そうするとコクがでるんだヨ。あとご飯が汁を吸っちゃうから少し固めに炊いて」
「ほえー、さすが女のコやなあ。男が作る料理とはちょっと違うわ」
結局彼は大盛り3杯をおかわりし満足した様子だった。
「はぁー、美味かったわぁー。もう食えん」
「そりゃそうでしょ(笑) 炊飯器で炊いた4合ぜんぶなくなっちゃったんだもん」
アタシは笑いながらそう言って彼にお茶を出した。
「残ったカレーは2つのタッパーに分けて冷凍庫に入れておいたから。けっこう持つと思うから、解凍して食べてね」
「そんなことまで?なんかびっくりやな」
「なんで?」
「いや、よう気づくんやなあって思ってな。凛ちゃんはええ奥さんになりそうやな。笹村さんがホンマに羨ましいわ」
「そんなことないのヨ。アタシだって母親に教えてもらいながらそうなったんだし」
「凛ちゃんのお母さんってきっと素敵な人なんやろなあ。凛ちゃん見てるとようわかるわ」
初対面のぶっきらぼうな彼とは結び付かないほど、今の彼は素直に褒めてくれる。
とても彼の意外な一面だった。
そんなことを話していると、フッと本棚にあるアルバムが目に入った。
「あれ、これって会津君の昔の写真?」
「ああ、そうや。昔、いうてもだいたい高校時代のもんやけどな」
「見てもいい?」
「ああ、ええよ」
アタシは数冊あるアルバムの一冊を取り出し広げた。
「あれ、会津君って高校時代からテニスやってたんだ?」
「ああ。中1のとき始めてな。これでも高2のとき国体までもうちょっと行きそうになったんやで」
「エッ、それってすごいじゃない。だったら、サークルよりちゃんと体育会のテニス部に入った方がよかったんじゃない?」
「いや、それはええよ。体育会の部活やと練習も大変でバイトできんし、先輩もうるさいしな。ボクは自由にテニスができたほうがええんや(笑)」
「そういえばこの前もそんなこと言ってたよね。でも、バイトばっかりやって大変じゃない?」
「まあな。でも働かな食っていけんもん」
「それなら東京の私立大学より地元の国立大学のほうが家の負担も少なくない?」
「東京の私大とくに青葉に行けいうたんは親父やし。それにボクんち親父が会社経営しとるからホンマは貧しいわけやないねん」
「エ、そうだったの?」
「そうや。ただ単に親が金をくれへんだけで家に金がないわけやないねん。」
そう言って彼は実家のことを話し始めた。
「親からの仕送りは学費とこのアパートの家賃の3万円だけ。あとは男なら自分で稼げがうちの親父のセリフなんや。ときどきお母ちゃんが心配して米とか味噌とかは送ってくるけど」
「じゃあ、生活費は全部アルバイトで?」
「そうや。高校のときかておとーちゃんの会社の配送センターでバイトして稼いでどったんや」
「へぇー、厳しいお父さんなんだねー」
「その上、うちのおとーちゃんは大学時代応援団やっとってな。筋のまがったことが大嫌いやねん。高1のころ、ボクちょっといい気になっとったときがあって、一方的に好かれとった女のコのことちょっと弄んでしもたんや」
「悪いんだあ!反省しなさいっ!」
「ハハ、ちゃんと反省しとるって(笑) なんたってやくざみたいのに締められたからな」
「やくざみたいの?相手の女のコの身内が?」
「いや、おとーちゃんたちや。 おとーちゃん、全国から大学時代の応援団の仲間だったおっちゃんたちを集めてな。そんでボクのこと袋叩きや」
「エエっ!?」
「家のそばの原っぱに呼び出されて、気がついたら20人くらいのガタイのいいおっちゃんに囲まれとったん。それでその真ん中におとーちゃんがおってな。「これからオマエの根性を鍛え直したる!」言うて、もう、殴るわ、蹴るわ、めちゃくちゃやった。そんでボクのこと締め終わったあと看病するのかと思ったら、そのまま原っぱに置き去りにして自分たちは酒飲みに行ってもうたんや」
「プ、ププーーーーー!! なんか、すごいね(笑)」
「笑い事やあらへんでぇ。 あのことは今でもトラウマになっとるわ(笑)」
「なんかすごいお父さんみたいだけど、でも、キミはそういうお父さんのこと嫌いじゃない気がするヨ?」
アタシはそう言った。
すると会津君はちょっと照れたような顔になった。
「ウン、そうやな(笑)そうかもしれん」
そう言って手に持ったカップのコーヒーをずずっと啜った。
(あ!)
それを見たときアタシはどきっとした
正直言えばそのとき心が揺れた気がしたのだ。
なぜなら
そのときの彼の表情がとてもワタルに似ていたから。
なぜだろう…
なぜだかわからないけど、アタシは突然そう感じてしまったのだ。




