第30話 新しいスタート
季節は春
いよいよ青葉学院高等部を卒業する時期がきた。
3年前
アタシとミコそしてワタルはこの青葉学院に入学した。
みーちゃんと友達になり
そして、1年生の夏ワタルがいなくなった。
とても悲しくてアタシはいっぱい泣いた。
でもカレはアタシにたくさんの優しさと思い出を残してくれた。
それを心にしまいながら、今アタシはトオル君と一緒に同じ時間を歩いている。
そして今日アタシたちは卒業の時を迎えた。
そういえばみーちゃんは、現在本格的女優デビューを果たしている。
それはTVの連続ドラマで『彼氏と彼女の恋愛パターン』という人気作。
このドラマは放映開始以来当初の予想を大きく超える人気を博し中高生の間では『カレカノ』と呼ばれ、みーちゃんはその中で主人公の友人小春の役を演じて注目されていた。
驚いたことに、放映以来の1か月でみーちゃんについての問い合わせが殺到し、なんと現在ファンクラブの創設まで検討されているとか。
このことを彼女から聞き「何かクラブのいい名称ないかな?」と尋ねられた時ミコは大笑いで
「アハハ、マウンテンゴリラ☆ファンクラブでいいじゃん!」
って言ったっけ。
まあ、とにかく彼女もこれで自分が目指すべき道をはっきりとさせたわけだ。
アタシたち3人は内部進学試験も何とか乗り切り、アタシは国際政経学部の国際コミュニケーション学科に、教師志望のミコは教育人間科学部の教育学科を選ぶ。そしてみーちゃんはかねてから希望していた総合文化政策学部へと進学が決まった。
そして今日はいよいよ想いでのたくさん詰まったこの青葉学院高等部の卒業式なのである。
式の始まるまでの時間
アタシは高等部と大学が隣接する広場のベンチに座っていた。
ここにはいろいろな思い出があった。
まだワタルがいたとき、カレと一緒にここに座っていろんな話をしたこともあった。
ワタルは歴史が大好きだった。
カレは、人間が辿ってきた歴史は戦争の歴史だといって、自分で調べたことを熱心にアタシに話してくれた。
「最後の大戦が終わってから約70年、70年という期間は人類の生い立ちから見てほんの一瞬の瞬きに過ぎない、けど人間の歴史の中で70年間も平和な時代を保てたっていうのは本当に少ないんや。江戸時代、日本は260年間の平和な時間を得ることができた。しかし、それは鎖国という外国と交わらないことの要素が強かった。明治以降外国との交わりの中で戦争を避けてこれだけ平和な時間を持てたことは日本人が誇りにするべきことやとボクは思ってる」
夕焼けどきのこの場所でワタルはアタシに熱心に語っていた。
だからアタシは国際コミュニケーション学科を選んだ。
それは、カレのそういう想いをアタシが少しでも引き継いであげたいって思ったからだ。
(ワタル、キミは今何をしているのかな? もしかしてもう生まれ変わって、別の誰かになって、アタシと同じ世界にいるのかな?)
そんなことを考えたら、フッと目から涙が一つ、ぽろっと筋を立てて落ちていく。
そしてアタシはトオル君と出会った。
それは偶然なのか、それとも必然だったのかは今はまだわからない。
でも、いつか分かるような気がする。
アタシは3年間の時間を辿りながらそんなことを考えていた。
そのとき
「あ、いた!凛~~~~~~~!!」
そう言って高等部校舎の入口から声が聞こえてくる。
フッとそっちの方向を見るとミコとみーちゃんが手を振って立っている。
「こんなとこにいたんだ? そろそろ卒業式が始まるよ。行こう?」
ミコはアタシの座るベンチに歩いてくるとニコッと微笑んで手を出した。
そしてアタシはその手を握りして立ち上がる。
「ねえ、3人で手をつないでいかない?」
みーちゃんはこんな提案をした。
「うん、いいね」
そしてアタシたちお互いの手をつなぎ歩き出した。
明日からの新しいスタートに向かって。
4月、入学式
アタシたちもいよいよ大学生となる。
入学式の会場となる青葉学院記念館は青葉通りに面したとても大きな体育館兼講堂だ。
そういえば高等部時代バレーボール大会でここを使用したことがあったっけ。
そして今日、この大きな講堂には今たくさんの新入生たちで溢れかえっていた。
会場の中にはこれでもかというくらい、数千の数のパイプ椅子が果てしなく並んでいて、その端っこにアタシとミコは腰を下ろした。
そしていよいよ式が始まって新入生を迎えるカレッジソング唱和となったとき、フッと客席の方から聞こえる張りのある声の方を見ると
「ああっ!お、お父さんっ!」
なんと青葉学院大応援団OBの席で、両手でエールを振りながらカレッジソングを歌っていたのはトオル君のお父さんだった。
その周りを多分お父さんの友達で応援団のOBと思われる年配の男の人たち数人が囲んで歌っている。
そのあまりの勇ましさに前の方に並んで立つ現役応援団も霞んでしまうだ。
カレッジソングの演奏が終わったときアタシはフッとお父さんと目が合った。
お父さんは数千の学生たちの中からアタシの姿を見つけると
「パチン」
と片目をウインクして見せる。
カッコよかったですヨー!
アタシはペコンと小さくお辞儀をしてそれに応えた。
そして式が終了し新入生たちが続々と講堂の中から出てくる。
キャンパスには溢れるほどの新入生たちの笑顔が輝いていた。
アタシとミコもその波の中に混ざって、アタシたちは学食でお昼ご飯を食べるため歩き出した。
さて
キャンパスのそこかしこには大きな声がこだましている。
今日から5日間、キャンパスでは色々なクラブやサークルの新歓活動が行われるのだ。
あちらこちらに入部案内のチラシを配ったり、クラブの紹介をする上級生たちの姿があった。
記念館から学食へと向かう短い道のりの間にもそうしたチラシを配る人が大勢いてアタシとミコは両手いっぱいにいろいろなサークルのチラシを抱えることになった。
そしてアタシたちが学食の近くに来たとき少し先にある中央広場の方をフッと見ると
「あ、凛。あれっ!」
ミコはある人だかりの方に向かって指をさす。
見ると、そこではなんと空手部の部活紹介の準備が行われているところだった。
空手着を着た数人が大きなビニールシートを広げてスピーカーなどの機材をセットしている。
(もしかして、トオル君もいたりして…)
そんなことを思ってその集団を注意深く見てみると
(あ、本当にいた!(笑))
今年2年生だが新入部生が入るまでは最下級生のトオル君は、先輩の支持を受けて「オッス!オッス!」と答えながら何か熱心に準備をしている。
「ね、ミコ。ほら、アレ見て」
そう言ってアタシはその集団に向かって指をさした。
「あれ、あ!ホントだ、笹村さん、いるねー(笑)」
そう言ってミコはくすっと笑う。
「ね、ちょっと行ってみない?」
そう言ってアタシとミコはその空手部の場所に目立たないように近寄ってみる。
準備を終えた空手の皆さんはいよいよ本番らしい。
先輩らしき人が列の先頭に立ち、そしてその後ろにはトオル君を含む後輩らしき人たちが一列に並んだ。
「なんだ、なんだ?」
次第に新入生たちがその周りに集まってきて、アタシとミコはその波の端っこに隠れるように立つ。
「オーーーーーッスッッ!!!」
先頭の先輩が大声でそう言うと
「オーーーーーーーースッッ!!!」
後ろのトオル君たち後輩がそれに応えて叫ぶ。
「我々はー、青葉学院大学ー、空手部です! わが空手部はかの渡瀬哲夫先輩も輩出した長い歴史と伝統を持つ部ですー!空手部というと何か怖いイメージがあるかもしれません。しかしー、先輩と後輩の間は極めてアットホーム。 みんな仲良くやっております!」
「今日はその一例をお見せしましょー!」
そして
「昨年度新入生 笹村ー!一歩、前へ出ろー!」
そう言われたトオル君は
「オーーーースッッ!!」
と叫んで足を踏み出した。
「あ、トオル君だ!」
アタシがミコに囁く。
すると
「あ、あの人カッコいい!」
「ほんとだねー、カッコいい。どこの学部の人だろ?」
そう言ってアタシの周りで女のコたちの囁く声が聞こえる。
(ダメっ!アタシの彼氏だぞー!)
と言いたい気持ちを抑えて
アタシは再び演技の方に向き直った。
「彼は昨年度の新入生の笹村透君です!」
「よぉぉぉーーーーしっっ!!笹村ぁぁーーーーっっ!!」
「オーーースッッ!!!」
「空手部はどーーだぁ!?先輩は優しいかぁぁーーー!?」
「オーーーースッッ!!とても優しいでーーーすっっ!!!」
「どんなところが優しいーーー!?」
「オーーーーースッ!!!この前もーーーー、ラーメン奢ってやるから付いてこいって言われて行ったっす!!でも、ラーメン食った後財布忘れたから払っておけって言われて行くんじゃなかったって後悔してるっすーーーっっ!!」
「そういうことは早く忘れろーーーーーっっ!!」
「オーーーースッッ!!失礼しましたーーーーっっ!!!」
トオル君たちはこんな漫才を披露し、そしてそこに並んでいる空手部員全員でとうとう踊りだす。
「こんな楽しい空手部~♪
先輩、後輩、みんな仲間さぁ~♪
みんなおいでよ、空手部へ~♪
ぼくらの楽しい空手部~♪」
筋肉モリモリの男たちがくねくねと奇妙なダンスで手足を曲げて踊るその姿は不気味以外の何物でもなかった(笑)
周りで見ている新入生たちは大爆笑
アタシとミコは普段冷静でクールなトオル君の姿を想像し涙を流しながらお腹をかけて笑ってしまう。
一回目の公演?が終わってトオル君たちは後片づけを始めた。
そこにアタシとミコはゆっくりと近づいて行き
「ト・オ・ル・君」
と声をかけた。
すると
しゃがみこんで後片付けをしているカレはフッと顔をあげ
「わ、わわわっっ!! り、凛ー!あ、あああ、ミコちゃんまで…」
そう叫んでカレは顔を真っ赤にしていた。
「もしかして…見てた?」
「うん! しっかり♪」
「あああ、こんなとこを見られちまうとはっっ!だから、嫌だって言ったのにぃぃ~~~~!」
「フフフーー。笹村さん、すごく楽しませていただきましたわ」
ミコも微笑みながらトオル君に言う。
「まいったなあ(笑)」
そう言ってトオル君は頭をかきながら照れている。
アタシは意外なトオル君のひょうきんな一面を見てしまったのであった。
「あ、そういえばトオル君のお父さんが入学式に来ていたよ。」
「ああ、そう言えば大学から招待されているって言ってたな。」
「応援団の振りをつけてカレッジソング歌って、すごくカッコよかったぁ♪」
「エ、あのオヤジそんなことしてたの?しょーがねーなあ(笑)」
「ううん、とってもカッコよかったヨー」
「ハハハ、じゃあ、凜がそう言ってたってオヤジに伝えとくよ」
こうして思いもかけないトオル君たちの公演を堪能したアタシとミコは再び学食へと向かったのだった。
大きな学食にも関わらずさすがに今日は人で溢れかえっている。
アタシたちはようやく空いている席を見つけ荷物を下ろすと、アタシたちはやっと一息つくことができた。
「あれ、そういえばこの席って…」
思いついたようにミコがそう呟く。
「どうしたの?」
「あ、ウウン。この席ってさ、アタシと凜が初めて青葉のキャンパスに来た時に芦田さんに連れてきてもらった席じゃなかったっけ?」
「あ、ああっ!そういえばそうだね!」
中3のときアタシとミコは青葉のキャンパスを見学で訪れ間違って大学の正門から入ってしまった。
そのとき、偶然アタシは当時青葉大の2年生だった芦田さんと再会し、そしてアタシとミコは芦田さんに無理やりお願いしてキャンパスを案内してもらったのだ。
その後アタシたちは芦田さんに学食に連れてきてもらってソフトクリームをごちそうになった。
そしてそのときミコは5歳年上の優しい芦田さんに一目ぼれしてしまったわけだ。
それから彼女と芦田さんは長い時をかけて少しずつ距離を縮めていった。
「そういえば、芦田さんは元気?」
アタシがミコにそう尋ねると
ミコはニコッと微笑み
「ウン、すごく元気だヨ。カレも今年から大学院の2年生なの」
と答えた。
その少し照れたようなミコの微笑みにアタシはピンと来た。
「カレって…あ、もしかして?」
アタシがそう言うとミコは少し頬を赤らめて
「今日凜にも言おうって思ってたんだけどね。おととい、芦田さんが付きあわないかって言ってくれて」
と話し始めた。
「そうなんだー!ミコ、おめでとう」
「エヘヘ、ありがとぉ」
いつもは冷静でアタシたちのお姉さん役の彼女はこのときは本当に女のコそのものだった。
そんな感じでアタシたちがテーブルで食事をしながら話をしていると
「あの、ごめんなさい」
そう言って同じテーブルの対面に座っている女の人2人がアタシたちに突然声をかけてきた。
「あの、アナタたちもしかして今年の新入生?」
「ハイ、そうですけど…」
「アタシたち、2年生なの。ところで、サークルか部活ってもう決めた?」
「あ、いえ、まだです。いろいろ勧誘のチラシはもらったんですけど、いっぱいあって目移りしちゃって(笑)」
「そうだよねー。それでさ、テニスサークルって興味ないかなあ?」
話を聞くと、この2人はどうも青葉大のあるテニスサークルのメンバーらしい。
「テニス、ですか?アタシやったことないなあ」
「アタシもだヨ」
アタシとミコは突然のテニスサークルのお誘いに顔を見合わせる。
「あ、やったことなかったらこれから始めればいいじゃない。アタシたちも含めて初心者が多いし。」
そう言って一人がアタシとミコにバッグに入っているサークルのチラシを渡した。
「硬式テニス愛好会シュガー、ですか」
「そうよ。部員は2年生から4年生で現在約40名。そのうち女のコは12人かしら」
「ね、入るかどうかは別として話だけでも聞いてみない?」
そう言って2人はアタシたちを誘った。
アタシとミコは
「どうする?」
とお互い顔を見合わせ小声で相談する。
そして
「じゃあ、お話だけでも聞かせていただいていいですか?」
ということになった。
「よかったぁ!じゃあ、ちょっと移動しようか」
そう言って2人がアタシたちを連れて行ったのは別の校舎にある第一学食だった。
青葉大のキャンパスの中には合計で4つほどの学食がある。
そのうち第一、第二の学食は大きくて席がたくさんあり、あとの2つは小規模なカフェテリアのような感じだ。
それらはいずれも高等部時代アタシもミコも行ったことがあったが、だいたい頻繁に訪れたのは最初にアタシたちがいた第二学食だった。
第一学食は学生会館の地下にあって座席数は2千席と一番大きくて古い学食だ。
2人はアタシたちをそこに連れていく途中お互いの名前を教え挨拶してくれた。
「アタシは工藤美紗で教育学科の2年生、もうひとりは松田絵里、仏文科の2年生ヨ。それじゃ、アナタは2人とも高等部出身なんだ?」
「はい、そうです。工藤さんは教育学科なんですか。アタシも教育なんです」
ミコがそう答えると
「エー、そうなんだぁ!じゃあ、授業のこと色々教えてあげるわ」
工藤さんは嬉しそうにそう言った。
「いきなり声かけられてちょっと驚きました(笑)」
「2人ともカワイかったからね。他のサークルに盗られないうちについ声をかけちゃったのヨ」
「アタシたちがあ?そうかなあ?」
「そうだヨ。周りにいた男のコたちけっこうアナタたちのこと見てるの気づかなかった?」
第一学食の片隅
そこは大学用語で『サークル席』というらしい
いわゆるサークル仲間の溜り場に着くと、そこには10人ほどの上級生らしき人たちが座って思い思いに話している。
「あれ、美弥子と美和じゃん。さっき探したのにいなかったけど、どこ行ってたんだよ?」
「あ、ごめぇん。別の学食でお昼食べてたのヨ。それでさ、すごくカワイイ女のコ2人GETしちゃってさ」
「おいおい、女が女をナンパかよ?おぶねーな(笑)」
「そうね、こんなカワイイ娘ならそれもありかもね」
美紗さんはそんな冗談を言って脅かしてきてアタシはついみーちゃんを思い出して苦笑してしまう。
そして彼女は横に座っているサークルの部長を紹介してくれた。
「やあ、はじめまして。キャプテンをやってる野本っていいます」
野本さんは割と背が高い落ち着いた感じの人で、微笑んだ時の印象はどこか少年っぽさの残る感じよい人だった。
「小谷 凛です」
「藤本美子です」
アタシとミコがそう挨拶したときだった。
「あれ、びっくり!小谷さん?」
と野本さんの横に座っている人が声をあげた。
フッと見ると、それはなんと高等部のとき1学年上だった柴田さんだった。
「やあ、久しぶり」
彼はそうアタシに声をかける。
「びっくりしました。柴田さん、応援団じゃなかったんですか?」
そう、柴田さんは高等部時代は応援団で、そのためチア部だったアタシは部同士のお付き合いで互いけっこう話したこともあったのだ。
「アハハ、誘われたんだけどさ、逃げてきちゃった(笑)大学に入ったら色々な友達がほしいって思ったから。小谷さんもチア部は?」
「うーん、大学はいいかなあって思ってます。練習かなりハードだし、色々な友達がほしいなって思ってるから」
すると野本さんが
「なんだ、2人とも高等部だったのか。それなら、このサークルにも高等部卒が何人かいるからいいんじゃないか。どうだい?」
と言ってくれる。
「そうだよ、凛ちゃんも美子ちゃんもこのサークルで一緒に楽しもうよー。大歓迎だよ」
美紗さんたちもそう言ってアタシたちの入部を促した。
「どうする?ミコ」
「そうだねー、アタシはいいと思うな。みんなすごく仲好さそうだし温かそうだし」
「ウン、アタシもそう思った。じゃあ入っちゃおっか?」
そしてアタシとミコは野本さんの方を向き直り、
「それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
と入部のお願いをした。
「よかったぁー!大歓迎ヨ」
周りの人たちもそう言ってアタシたちを歓迎してくれる。
こうして思わぬ出会いから、アタシとミコはシュガー硬式テニス愛好会に入部することになったのある。
そしてアタシたちは席に座り野本さんから活動の色々な説明を受ける。
そのときだった
プルルルルルーーーーーー
プルルルルルーーーーーー
アタシの携帯電話が小刻みな音を立てて震えた。
画面を見るとそこにはみーちゃんからの着信表示が出ていた。
「あ、すません」
そう言って「はい、もしもし」と出ると
「やっほぅー!凛?」
電話の向こうから聞こえてきたのはみーちゃんの元気そうな声だった。
「あ、みーちゃん、今どこから?」
「正門のところヨ。じつはアタシ、ちょっと遅れて入学式の会場に入ってね、その後次の仕事まで2時間くらい空きができたからブラブラしてるのヨ。凜は今何をしてるの?」
「あ、今ミコと一緒なんだけど、テニスのサークルに勧誘されてね、それで第一学食のところにいるの」
「そっかぁ、そうなんだ。いいなぁー」
そう言ったみーちゃんの声は本当にアタシたちが羨ましそうだった。
芸能界という自分の夢をみつけたみーちゃんだったけど、大学と芸能界の掛け持ちは実際かなりハードで犠牲にするものも多いらしい。
高等部の時の一件があって、前田さんの絶対命令で学業との両立が徹底されたけど、この仕事を選んだのはみーちゃん自身でもあるわけで、それに甘えきることはできない。
だから仕事も土日以外に授業のない日は積極的に入れるようにすることにしたらしい。
そのため最近ではミーちゃんの姿をTVや雑誌などで見ることがかなり増えた。
ただ、そういうことでアタシたちに経験できることができないみーちゃんにはやはりどこか割り切れない気持ちもあった。
寂しそうなみーちゃんの声にアタシは
「あのさっ!」
と突然叫んだ。
「ウン、なあに?」
「みーちゃんも一緒にこのサークルに入らない?」
みーちゃんはアタシのこの提案に少し考えたように間をおいて言った。
「でもさ、アタシなんかが入ったってほとんど活動に参加できないじゃん。そしたら他の人たちだけじゃなくアンタやミコにも迷惑かけちゃう。アタシ、アンタらにこれ以上迷惑かけたくないもん…」
「そんなことないって!出られる日だけ出ればいいじゃん。アタシ、部長さんにお願いするから、ね」
するとアタシの横にいるミコが
「それってみーから?」
と電話を代わる。
「みー、アタシだよ。アタシからも頼んであげるから。一緒にやろうヨ。アタシらは何があってもずっと友達じゃん」
そう言って彼女はみーちゃんを励ました。
それから再び電話を替わったアタシは、受話器の向こうでみーちゃんの小さくすすり泣く声を聴く。
いつも勝気な彼女が泣くなんてことはめったにないのだ。
そして彼女はこう言った。
「ウン、アリガト。アタシ、アンタたちと友達になれてホントよかったあ」
アタシは電話を切ると部長の野本さんの方を向き、お願いをすることにした。
「あの、お願いがあるんです。女のコをもうひとり入部させてもらえませんでしょうか」
アタシがそう言うと野本さんは気さくそうに
「なんだ、そんなことか。もちろんいいよ。うちは来る者拒まずだからね」
と言ってくれた。
「じつはその娘は大学に通いながらお仕事もするんです」
しかしアタシがそう言うと急に野本さんの顔が曇る。
「え、大学行きながら? でも、それじゃ活動にほとんど参加できなくなるんじゃないかな?他のやつとも打ち解けにくいだろうし…」
「それはアタシたちがちゃんとフォローします。いろいろな人話せる機会を作って彼女も頑張ります。すごく努力家なんです」
アタシとミコは力を込めて言った。
すると横にいた高等部応援団出身の柴田さんはアタシたちの会話にピンと来たらしく
「あの、野本さん、俺からもお願いします。多分、その娘って俺も知ってる娘だと思うんですけど、気取りがなくてすごくいい娘なんです」
と応援してくれた。
その言葉に野本さんは
「わかった。じゃあ、俺からもフォローはするよ。近くにいるんでしょ?とりあえず連れてきてよ」
と気持ちよく了解してくれたのである。
「あ、ありがとうございます!あの、それで…」
「ウン、なに?」
「あの、会って驚かないでほしいんですけど…」
そう
一番の心配はそれだ。
野本さんもまさかその入部希望者が人気女優の佐倉美由紀だなんて夢にも思っていないだろう。
アタシのその言葉に野本さんは不思議そうな顔で
「驚く?まさか身長2mの巨大な女のコとか?(笑)まあ、いいや、とにかく連れてきてヨ」
と言って笑っているけど、やはり一抹の不安はある。
とにかくここは野本さんを信じてっ!
アタシとミコはさっそく正門にいるみーちゃんの所に向かった。
彼女はどこか怪しげな変装ルックで正門のところでぽつんと立っていた。
いつものつややかな栗毛色の髪の毛をひっつめ髪にしておさげに編み、定番の度の入っていない伊達眼鏡をかけている。
そして無駄に地味なダボっとした麻のワンピースのスカート。
それが今の彼女の姿。
まあ気持ちはわからなくはないんだけど
そりゃ大学の入学式に人気女優がいたらキャンパスはパニックになるだろう。
でも、それにしても今の彼女の姿はいつものフランス人形張りのミーちゃんの要旨とはギャップがありすぎて
彼女が元のお姫様の姿に戻ったときの野本さんたちの驚きを想像すると思わず笑ってしまう。
「ああ、アタシ、大学に入ったら色々なおしゃれできるって期待してたんだけどなあ」
アタシたちに会った彼女はそう嘆く。
その言葉にミコは
「贅沢言うな(笑)アンタがそのまんまの格好でキャンパスの中歩いてたらみんなびっくりなんだから」
とコツンと頭を叩いた。
「でも、ホントにアタシなんかが迷惑じゃない?」
みーちゃんは遠慮がちにそう繰り返した。
そんな彼女に
「迷惑なわけないじゃん!みー、アンタ、アタシらに気を遣いすぎっ!」
ミコはそう言ってみーちゃんの頭を軽く小突く。
アタシたちがサークルのみんなの待つ学食の席へと戻ると、
キャプテンの野本さんは、さっきの少し難しいような顔をおくびにも出さず
「やあ、はじめまして。シュガーのみんなが君を歓迎しますよ」
と言ってくれた。
その言葉にみーちゃんは安心した顔になる。
彼女は少し頬を染めとても嬉しそうな顔で
「あ、あの、アタシ、早くみなさんと仲良くなれるように一生懸命頑張ります。どうぞよろしくお願いします」
と言って深々と頭を下げた。
みーちゃんの謙虚な態度に周りのみんなは好印象だった。
「こちらこそよろしくー」
「仲良くなろうねー」
と暖かく声をかけてくれ、アタシとミコは一安心したのであった。
そのとき
サークルのメンバーのひとりが
「そういえば、君ってどっかで見たことあるような…気のせいかなあ?」
とみーちゃんに近寄ってまじまじと眺め始めた。
他の人たちの中からも
「ああ、そういえば君ってどことなく、あの佐倉 美由紀に雰囲気が似てるんじゃない?」
という声が上がる。
「佐倉 美由紀ってあの人気女優の?」
「ああ、たしかに似てるなあ」
「そういえば、彼女って高等部出身で青葉大にあがったって聞いたけど、まさか…ね(笑)」
「アハハ、まさかだよ(笑)いくらなんでもそんなすごいアイドルが俺たちの前に現れるわけないじゃん。そういう人っていうのは滅多に大学に来ないんもんだよ。ましてサークルなんか…」
そのときだった。
みーちゃんはニコッと笑って突然すくっと席から立ち上がる。
彼女はやおらひっつめた髪をスルスルとほどき、まん丸の伊達メガネを外した。
そして、フワッと一回その綺麗な栗毛色の髪を靡かせると
「ええっ!う、うそぉぉぉーーーー!!!」
素の姿に戻った彼女を見てみんなはびっくり仰天!
「え、あ、あ…!!!」
キャプテンの野本さんにいたっては食べていたピザを口にくわえたまま固まってしまっている。
みーちゃんは
「ハーイ、その佐倉 美由紀デース!」
と威勢よく手をあげて言うと
パチっとウインクしたのであった。
「皆さん、これからよろしくー!」
さて、それからみーちゃんはどうかといえば
天性の人懐っこさと気さくさもあって、彼女はすっかりサークルの中に打ち解けてしまっている。
彼女のサークルの参加日は毎月一回の月末の土曜日
この日のためにみーちゃんは芸能人の仕事を日々一生懸命こなし、一方で学校の授業にもかなりしっかりと出席しているらしい。
たまにみーちゃんがお昼どきにサークルのたまり場に顔を出すと、彼女は積極的に話しかけて友達になる。
基本的にキャンパスの中では変装ルックなので、話している相手も苗字だけ聞いてもまさか彼女があの女優の佐倉 美由紀とは夢にも思っていない。
そしてそれを知ったとき驚いて腰を抜かすというパターンだった。
あるときはアタシとミコがたまり場に顔を出すとみーちゃんは既に来ていてまだ見知らぬ先輩らしき人と楽しそうに話している。
「あ、凛、ミコ。こちら2年生の松本さん。今友達になったの。あのね、キリスト教概論の去年の必勝ノート持ってて貸してくれるんだって!ラッキーしちゃった。アンタたちにも回してあげるからね」
そう言ってはしゃぐみーちゃんの姿はとても楽しそうだった。
そして彼女はたちまちのうちにサークルのみんなに「みーちゃん」「みーこ」などと呼ばれ友達としても愛されるようになったのである。




