第3話 初登校、そして新しい友達
ボクがこれからの人生を女性として生きていくためにはいくつか絶対に避けられないことがあった。
そして、そのため手術の準備や検査と並行して戸籍の変更などの手続きや環境の変化についての話し合いが行われた。
ボクの場合もともとが女性の身体であったわけで、本当は男性であるはずのいわゆる性同一性障害者が受ける性転換手術と違いそれ自体は難しいものではないらしい。
簡単に言ってしまえば、男性の性器に似てできているオデキを取るだけ。
そしてそのときそのオデキに通ってしまっている尿道を本来の位置に戻し、小さくすぼんでいる膣口を広げるというものらしい。
先生によれば、ボクの身体はすでに生理が始まっているので、手術の後は自然に女性らしい身体つきになっていくのだという。
また法律的なことも、性の変更ではなく本来の性への訂正ということになるのだそうだ。
じつは、これはこの病院の顧問弁護士さんが裁判所と打ち合わせてすでに仮処分の内諾をもらっているらしい。
しかし一番の問題は環境の変化についてであった。
つまり
男として生活していた者がある日突然女として生活するようになるわけで、ひとつは生活する場所の問題、そして中学生のボクにとってはそれとともにこれから通う学校をどうするかということがあった。
ボクには大阪に父方の祖母の妹であるお婆ちゃんがいる。
お婆ちゃんは大きな地主で一等地にいくつもビルを持っている。
しかしこのお婆ちゃんには子供がいなかった。
旦那さんもすでに亡くなっていて今は大きなお屋敷でお手伝いさんと暮らしている。
そんなお婆ちゃんがボクを養女として引き取りたいという話もあったらしい。
誰も知らない場所で新しい人生を送る。
そういうのもありかもしれない。
いやむしろこういう場合そのほうがいいと考えるのが普通だろう。
でも、ボクはその提案にはどうしてもか心を惹かれなかった。
それはつまり逃げてしまうということで…
もしいつか昔のボクのことを知る人が周りに現れたとき、ボクはまた他の場所に逃げなければなってしまうんじゃないかという気がしたのだ。
そしてボクは人生の中でずっと逃げ続けなきゃいけない。
嘘の過去を取り繕って生きていくことになるからだ。
「あの…、今の中学に通い続けることはできないでしょうか?」
何度目かの話し合いの席で、ボクは出席していた両親や医師の先生方、そして病院の顧問弁護士の先生に向かって唐突に言った。
それを聞いたそこにいるみんなは誰も驚いた顔になった。
「いや、それは不可能ではないだろうが、それによって受ける君の苦労は相当大きくなるんだよ?」
弁護士の宮田先生がボクにそう尋ねた。
「大丈夫。みんなに受け入れてもらえるよう頑張ります。ボクは、逃げたくないんです」
「うーーーーん…」
その場にいたみんなが唸って考え始めた。
そして、その沈黙を破ったのは新しくボクの主治医になった女医の来栖祥子先生だった。
「私は哲君の意見に賛成です。一度逃げてしまうと哲君は人生の中でずっと逃げ続けることになってしまいます。 受け入れについては私たちが学校の先生方とよく話し合いをすれば、案外そちらのほうがこれからの生活の中でスムーズなのではないでしょうか」
祥子先生は力を込めてそう話してくれた。
「なるほど、哲がそれを望むのなら私たちも精一杯サポートします」
最初は否定的な表情だった両親も祥子先生の話を聞いてそう言ってくれた。
するとそれまで両腕を組んで考え込んでいた議長役の外科部長の松原先生がスクッと立ち上がった。
「わかりました。それではこの件については主治医の来栖先生と弁護士の宮田先生を中心にチームを作ってもらいます。そして学校の先生を交えて話し合いを行っていただきましょう。必要ならば我々も全面的に協力をします」
「あ、ありがとうございます!」
みんなの温かい言葉にボクや両親はそこにいる先生方に頭を下げてお礼を言った。
こうして新しいボクの方向性は決まった。
松原先生は次にこう続けた。
「それと、弁護士の宮田先生にご尽力頂いた結果、哲君の戸籍の変更について仮処分の申請が認められました。 手術の日をもって哲君は法的にも男性から女性に訂正となります。つきましては名前についてですが、またか安直に子をつけて『哲子』とするわけにもいかんでしょう」
「たしかにそれじゃ黒柳徹子さんと似てますしね。昔ならそれでもいいかもしれないが、今の時代中学生の女の子で哲子はほとんど聞かないなあ」
「ご両親は、それについて何かお考えはありませんか?」
すると父親がカバンに入れてあった何かの古ぼけたノートを取り出して席を立ちあがった。
「じつはその点についてなんですが、最近哲の生まれたときのアルバムを見ておりましたら本棚の隅でこのようなものを見つけまして。 これは哲が生まれる前に妻と2人で赤ちゃんの名前を考えたものを書き留めたノートなんです」
父親はその古ぼけたノートを広げて続けた。
「小谷の家系には生まれてくる子に一文字で名前をつける習慣みたいなものがありまして、そこでいくつかの中からピックアップして付けたのが哲という名前でした」
「ホォー。それじゃもしかしてそのとき女の子の名前も考えていたわけですか?」
「ええ、そういうことです」
「それはなんという名前だったのかお聞きしてもいいですか?」
「はい。もし女の子だったらと考えていたのはやはり一文字で『凛』という名前でした」
「凛さん、か。小谷 凛。うん、いいじゃないか!響きも可愛らしいし」
弁護士の宮田先生が大きく頷いて同調する。
「ありがとうございます。私たち両親は物事をまっすぐ見つめ妥協せずに人生を歩んでいってほしいという気持ちで哲と名付けました。この名前はもし生まれる子が女であっても同じ気持ちで、凛とした姿勢でまっすぐに人生を歩んで行ける、そういう娘に育って欲しいと願って考えたものです」
「凛ちゃん、ご両親の気持ちがよく込められていてとても素敵な名前ですわ」
祥子先生が嬉しそうに言った。
「それじゃ、どうだろう、哲君。ご両親のお気持ちを尊重して凛さんという名前で君は受け入れてくれるかな?」
「はい。ボクは両親がつけてくれた名前ならそれでいいです」
こうして女性であるボクの名前は『小谷 凛』と決まった。
その2日後
ボクはようやく空いた個室へと移されることになった。
そのときはすでに坂口のおじさんは退院していて、病室の中はボクと芦田さんの2人だけだった。
ボクが相部屋にいる最後の日、ボクは芦田さんに自分の事情を打ち明けることにした。
一週間ほど前ボクに突然起こった腹痛と出血
調査の結果ボクの身体は本当は男性ではなく女性であるということがわかった。
そしてこれからの人生で女性であることを選んだ気持ちをボクは芦田さんに拙い言葉で話した。
最初はびっくりした表情をしていた芦田さんだったけど、彼は黙ってボクの話を最後まで聞いてくれた。
そして、一通りの話が終わった後、芦田さんは穏やかな笑顔を浮かべて言った。
「そうかぁ。じつをいうとボクも初対面で君に会ったときそういう雰囲気をどこかで感じてんだ。君と同じ部屋にいて、どっかに不思議な違和感があったんだよ。だから僕は君が女性としての人生を選んだことを間違いとは思わない。君が考えるように人は有るべき物を受け入れたほうがいいかもしれないって思うよ。自然に逆らうことには勇気がいる、しかしそれを受け入れることもまた勇気なのだからね」
そして芦田さんはボクが個室に移るとき小さな紙袋をひとつくれた。
袋の中を見るとそこには桜の花びらを型どった小さな髪留めがひとつ入っていた。
「あ、かわいいー!」
そう言ってボクの顔に思わず小さな笑みがこぼれる。
それまで自分を男だと思って生きてきたボクの口からそんな言葉が出たことに、たぶんボク自身が意外だったと思う。
でもそれはなぜか無意識に、そしてとても自然に出たものだった。
「その表情はもう女のコだね。 病院生活で外に出られないから、こんなものしかあげられないけど。君の新しいスタートへのプレゼントのつもりで下の売店で買ってきたんだ」
「あ、ありがとうございます。すごく嬉しいです。ずっと大切にします!」
芦田さんはボクより五歳年上だ
でも、もしも、もしも女性のボクがいつか出会う男性がいるとしたら
その人は芦田さんみたいに本当に優しい、人の気持ちを大切にしてくれる人がいいな…。
そうことを思ったりしたんだ。
それから一週間後
繰り返される検査が終わってボクはいよいよ手術の日を迎えた。
この手術が終わればボクは本当に女性としての人生を始めることになる。
割り切ろうとしてもボクの中にはまだいろいろな不安が頭をよぎっていた。
手術当日
ボクの身体は移動ベッドに移され、付き添いの看護婦さんによって手術室までの道のりを進んでいった。
カタカタと小さく揺れるベッドの上でボクは正直怖かった。
女であることを選んだことに後悔したりもした。
ボクはこれからもボクのままでいられるのだろうか…。
もしかしたら今までの自分を忘れて全然違う自分になっちゃったりするんじゃないだろうか。
手術室までのわずか5分ほどの時間にボクはいろいろなことを考えた。
そしてボクは手術台の上に乗せられ、右肩から麻酔注射を打たるとそこでボクの意識の糸は途切れた。
次に意識が戻ったときボクは自分の病室のベッドの上に横たわっていた。
まだ少しボーっとする意識の中でうっすらと目を開けるとベッドの傍らに両親と、そして幼馴染の女のコ久美ちゃんの姿が映っていた。
「ああ、久美ちゃん…。来てくれたんだ」
彼女は安藤久美子といって幼稚園の頃から遊んできた幼馴染の同じ年の女のコだ。
ボクはまだ麻酔が残って感覚が鈍い右手を無理に持ち上げようとしてみた。
でも手先に力が入らず途中でパタッと手を下ろしてしまった。
まだ麻酔が残っていて身体が思うように動かない。
すると久美ちゃんは、ボクの手を取り上げ静かに握った。
感覚は鈍かったけど、久美ちゃんの柔らかくて温かい手の感触がわかる。
「凛、事情はおじさんとおばさんから聞いたヨ。アタシたちさ、小さい頃からずっと友達だったんだよ。そしてこれからもずっと友達なんだからネ」
そう言って彼女はボクのオデコを優しく撫でてくれた。
凛…
久美ちゃんはもうボクのことを凛って呼んでくれるんだ。
なんか嬉しいな…。
ボクが彼女と出会ったのは幼稚園の頃だった。
その頃けっこう内気で友達の少なかったボクに比べ活発な方だった久美ちゃんの周りにはたくさんの友達がいた。
ある日、ボクは幼稚園の砂場でひとりでお城を作っていた。
するとそこに久美ちゃんがやってきてこう尋ねてきた。
「哲ちゃん、久美もこのお城に一緒に住んでいいでしょ?」
ボクは嬉しくなって思わず
「ウンッ!」と大きな返事をした。
そして2人のお城作りが始まった。
「屋上に哲ちゃんと久美が2人でいっぱい泳げる大きなプールを作ろうよ。」
「うん!作ろう!」
できあがったお城はボクたちの腰くらいもある立派なものだった。
「わぁーい!できたぁー!」
2人は飛び上がって喜んだ。
でもそれも次の日の雨でぜんぶ流れちゃったけど…ね(笑)
それからボクと久美ちゃんは仲の良い友達になった。
小学校のときもボクはほとんどの時間を久美ちゃんと一緒に過ごしていた。
高学年になるとボク達は同級生の男子から「ふーふだ。」なんてからかわれたりすることもあった。
そんなとき久美ちゃんは
「なんでそんなこと言うの?アタシ、哲ちゃんと一緒にいると楽しいもん!」
なんて逆にそういう男どもに言い返してたっけ(笑)
でも中学に入りそれぞれに同性の友達ができるとボク達は昔ほど一緒に遊ばなくなっていった。
今までボクと彼女は、異性の友達だった。
でも今はもう同性の友達になっちゃったんだよね。
オデコの上の久美ちゃんの温かい手がボクの心を優しく溶かしていく気がした。
そのとき突然ボクは心の底から何かわけがわからない気持ちが湧き上がってきて
涙が溢れて止まらなくなった。
「ぅ、ぅぅ…」
そしてボクは小さな嗚咽を漏らす。
すると
「凛、アタシたちずっとずっと友達だヨ」
彼女は細くて白い指で涙で濡れたボクの顔を優しく拭ってくれた。
「あ、先生も来てくれたんだヨ」
久美ちゃんの言葉にフッと目を部屋の入口の方に向けると、そこにはボクの担任の山岸先生が立っている。
山岸先生はボクが2年生でクラス替えをしたとき初めて担任になった。
ときどき冗談を言いながらも生徒が悪いことをした時にはビシッと叱る、そういう優しくて頼もしい先生だった。
山岸先生はボク達の姿を見てゆっくりベッドに近づいてきた。
「せ、先生…」
「小谷君、ううん、もう小谷さんね。 学校でご両親や主治医の先生といろいろ話し合ったわ。アタシはアナタが「今の学校に通い続けたい、逃げたくない」て言ったと聞いたときとっても嬉しかった。そして、そういうアナタをこの学校から卒業させようってみんな賛成してくれたの。男だって女だって、みんなアタシの生徒たちだから。退院したら元気で学校に登校していらっしゃい」
久美ちゃんの温かい眼差し
優しい山岸先生の言葉
いまはじめてわかった気がした。
ボクはけっして一人で生きて生きたんじゃないんだってことが。
そして
それから10日ほどが経ち
ボクはいよいよ退院の日を迎えた。
「なんか自分の妹がいなくなっちゃうみたいで寂しいわぁ」
医者として、いや、それ以上にボクのことをいろいろ心配してくれた主治医の祥子先生はそう言ってボクの手を握った。
「祥子先生、いろいろありがとうございました。ボク、本当に感謝してます」
「ウン。でも凛ちゃん、もうボクじゃなくアタシでしょ。アナタはもう女のコなんだからネ」
その日、ボクは母親が買ってきてくれた薄いピンクのワンピースを身につけていた。
じつは、ボクがきちんと女性の服を着るのはこれが初めてだった。
手術が終わったあと下着は女の子のものを付けるようになったけど、フリフリの女の子用のパジャマにはやっぱり抵抗があって母親にお願いして中性っぽいのを身に着けてきた。
だからスカートというものは正直かなり抵抗があった。
上半身の服はスタイルの違いはあるけど男女でそれほどの差はない。
しかし、下半身ではズボンかスカートかというのは決定的な違いのように感じた。
ズボンをはいていればどんなに暴れても気にする必要はない。
でも、スカートだとめくれてしまうと下着が見えてしまうわけで
そう考えるとそれはかなり恥ずかしかった。
退院の準備を終え病室で着替えるとき、父親は外に追い出され部屋にはボクと母親だけが残った。
ボクは無意識に男の子のときはいていたズボンを探した。
しかし、そんなものは当然もうない。
戸惑うボクに母親は用意した一着の薄いブルーのワンピースを出した。
「エ、これを着るの!?」
「当たり前じゃない。男の服なんかもうないわよ」
母親は当然のことのように言う。
仕方がなくボクはそのワンピースを手にとった。
ゴテゴテした感じではなくてわりとシンプルなシルエットのピンクのワンピ
それでも丸い襟首の縁には小さなフリルがついていて、それが女性の服であることを主張してる。
でも、「着ろ」と言われてもどう着たらいいのかわからない。
男の服ならズボッとかぶるかはくかしてボタンを留めるくらいだろう。
しかし女の子の服はどうもそういうわけではないようだ。
そういえば、前に翔子先生が話してくれたけど
女性がスカートをはくことにはスタイルよりもちゃんとした理由があるらしい。
女性の性器は男性のものよりも常に湿っていて、だからばい菌が入りやすいのだそうだ。
それで女性は通気性がいいスカートをはくという文化ができたんだという。
その話を聞いたとき、男と女ってこんなにも違うんだって驚いた。
母親はそのワンピースを手に取ると、まずボクの頭からそれ被せて下ろし、そして背中にあるファスナーをあげた。
さらにスカートの裾を引き全体のシルエットを整える。
初めてスカートというモノを身に着けた印象は、とにかく頼りないというか
腰から下が布に覆われているだけっていう感じ
なんていうのか…
まるでズボンをはき忘れてパンツだけでいるような気分なのだ。
ただ思ってたほどスースーと寒々した感じはない。
そして母親はボクの髪の毛に丹念にブラシをかけた。
もともと男のコにしてはわりと長めだったボクの髪はすでに1ヶ月ほどの入院でかなり伸びていて、毛先は肩に触れるほどになっていた。
ボクはその髪に芦田さんにもらった桜の形の髪留めをつけてもらった。
病室から出てきたときボクはちょうど廊下に上がってきた父親とすれ違う。
(あ、お父さん)
そう思ってボクは恥ずかしそうに下を向いて歩いた。
(あれっ)
しかしすれ違っても父親はまったくボクに気づかない様子だ。
そしてお互いがすれ違って数歩歩いたときだ。
「エッ!」
と声をあげると父親はクルッと振り返り、そして驚いたような表情で立ち尽くしていた。
「哲、あ、いや、凛か…?」
「…ウン」
「い、いやあ、別人かと思った。びっくりしたな」
「変…かな?」
「あ、いや。割と、いや、すごく似合ってる」
父親は照れたような顔でそう言った。
そしてボクはいよいよ病院の出口へと向かった。
父親が車を玄関の前に回して止めるとそこから悟が降りてボクに近づいてきた。
彼は3歳年下でいま小学5年生のボクの弟だ。
悟は完全に女のコの姿となって表れた兄(姉)に一瞬戸惑うような表情になったが
「凛ちゃん、そっちの荷物オレが持つよ」
ぶっきらぼうにそう言って、ボクが両手に抱えているバッグを取り上げた。
「エ、あ、ありがとぉ…」
その様子がどこか可笑しくボクは
「くすっ」
と小さく笑ってしまう。
彼は今まではボクのことを『哲ニイ』なんて呼んでいたから今度は『凛ネエ』って呼ぶのかと思ってたけど、やっぱり少し恥ずかしいみたいだ。
そしてボクたちを乗せた車はゆっくりと走り出た。
振り返ると祥子先生はしばらく手を振って見送ってくれていた。
退院してから二週間
ボクの体調も次第に安定してきて、いよいよ明日から登校することになった。
夏休み前までは男のコだったボクが夏休みが終わったら女のコとして登校してくるって
きっと事情はもう伝わってるんだろうけど、みんなどう思うんだろう…。
女のコたちはボクを同性と認めるんだろうか?
気味悪がられたりしないだろうか?
男友達はボクと口をきいてくれるだろうか?
そんな不安ばかりがどうしても募ってしまう。
そして
自分の部屋で明日の用意をしているときだった。
「コンコン」
ボクの部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「いるよぉ」
するとドアを開けて母親が顔を出す。
「ちょっといいかしら?」
「ウン、なに?」
「どう? 明日の用意できた?」
「だいたいね。明日は午前中の授業で帰ってきちゃっていいんでしょ?」
学校との話し合いで明日から一週間は体調を考えて午前中授業だけとすることになっている。
「そうね。 あ、それとそっちが済んだら悪いけどちょっと下に降りてきてくれないかな?」
「いいけど、なに?」
「あ、ウン。ちょっと…ね(笑)」
母親は一言そう言うと、なぜか悪戯っぽい顔をして微笑んで部屋を出て行った。
教材の用意がひと段落したボクは階段を下りて母親のいる和室へと入る。
「さっき、なんか用だった?」
「ウン、 ちょっとこっちに来てもらえる?」
母親の座る前は大きな木製のお膳の上には大きな箱が積まれている。
ボクもその横に腰を下ろして座ろうとした。
すると
「ほら、凛!女のコがそういう座り方はないでしょう!?」
突然母親からきついお叱りの言葉が飛んだ。
「ァ…」
いつものように何気なく座ろうとしていたボクの足はあぐらの態勢
しかもスカート姿だったから前から見たらパンツが丸見え状態だ。
ボクは慌てて足を組み直した。
「まあ、今までの生活習慣をいきなり全部直せっていうのは無理かもしれないけど、女の子は身繕いくらいは意識として気をつけていかないとね。そういうところで無意識に男の人を勘違いさせちゃうと危険なことがあるから」
そう言っていつも優しい表情の母親が珍しくキッとしたように言った。
「危険って?」
「場合によっては襲われることもあるってこと、性の対象としてね」
「襲われるーー!? ボクが?」
「当たり前じゃない。だってアナタは女のコなんだから」
「ああ、そっか…」
「「ああ、そっか」じゃないわヨ? 男の人をいつも警戒しろとは言わないけど、そういう意識は持っていてほしいわネ。 そして場合によってはそういうことによって望まない妊娠をしちゃう可能性もあるっていうこと」
そうか、そうだよね…。
ボクだってもしそういうことがあれば妊娠しちゃうんだ。
ああ、なんか今まで考えなくても良かったことをこれからは考えなくちゃいけない。
なんか難しいな…。
フッと割り切れないような気持ちで心の中でもやっとする気がした。
「あ、それでね。アナタを呼んだのはそういうことじゃなくってね、これを着てみてほしかったのヨ」
そう言って母親は傍らに積まれた箱をボクの前に差し出した。
「なに、これ?」
「「なに、これ?」って、アナタの制服ヨ! アナタ、まさか明日から学校に今までの男の制服で行くつもり?」
そうか
制服のことすっかり忘れてた。
っていうか、そうだよネ。
女のコのボクが男の制服で現れちゃ、みんなは
「いったい何が変わったの?」
って思うだろうし。
そんなことを考えるとなんか可笑しくって
ボクはクスクスと笑い出してしまった。
「もぉ、何笑ってるのヨ? おかしな娘ね」
母親は不思議そうな顔をしてボクを見ている。
「さあ、とにかく着てみてくれない?」
「あ、ウン」
ボクはおもむろにその箱を開いた。
中にはボクの通う若松中学の女のコたちが着ている制服と同じものが入っている。
紺のジャンパースカートとボレロ、そして白のブラウス。
ウチの中学は男子は黒の学ラン、女子はこの制服と指定されている。
「とりあえず制服とブラウスを用意しておいたから。あと靴もローファーの女子用のを3足用意したわ。一応サイズ測って買ったつもりだけど、ちょっと着てもらえる?」
「今、ここで?」
「当たり前じゃない。もし調整するところがあるんなら今日のうちにしておかなっくちゃいけないのヨ。女同士なんだから恥ずかしがってちゃこれから体育で着替えたりするのに困っちゃうじゃない」
「ウ、ウン…」
そう言われ仕方がなくボクは着ていた服を脱ぎ下着になる。
胸のふくらみはまだ小さいのでブラジャーは着けていないが、なんとも頼りない小さなショーツとキャミソールは見まごうことなき女のコのものだ。
入院する前までボクの部屋にあった男の服や下着などは入院後家に帰ってくるとすべて姿を消していた。
そして今タンスの中には可愛いらしい女のコの服やランジェリーが所狭しと詰められている。
こうしてボクは男としての自分の生活が一気に女のコ色に塗り替えられていくのをひしひしと感じていた。
そして今制服までその色に変わっていく。
用意した女子の制服を一通り身につけたボクを母親はまじまじと眺めている。
「あらぁ!いいじゃない! とってもよく似合ってるわぁ」
「そ、そうかな?」
「そうよぉ。 そっかぁ、こうやって見るとやっぱりアナタって女のコだったのネェ…って思うわ。男のコの制服よりしっくりくるもん」
(ああ、言い返す言葉が見つからない)
「ほら、鏡で自分の姿を見てご覧なさい」
そう言われてボクは部屋の隅にある大きな姿見に自分の姿を映してみる。
(アツ!)
鏡の中に映っているのはまぎれもないひとりの女のコだった。
肩先まで伸びた髪の毛
小さななだらかな肩先
小さく膨らんだ胸元
スカートから伸びた細く白い足
ボクが右手を上げればその娘もそうする。
ボクが上げた手を小さく振ればやはりその娘も同じことをした。
小さくニコッと微笑んでみるとその娘も微笑み返す。
そっか
これがボクなんだ…。
退院して今までも何度かスカート姿の自分を鏡で見たことはあった。
それでも今の制服姿の自分にはすごく新鮮な驚きを感じた。
だって
夏休みが始まる前までいつも教室の中で自分の周り居た女のコたちと同じ女のコが
そこに居たから。
翌朝
ボクはいよいよ今日から学校へ登校を始めることになる。
しかしやはりボクの気は重かった。
普段なら8時ごろに家を出るのだけど、今日は授業前に先生たちとの打ち合わせがあるので7時半に家を出ることになっている。
ところが、支度を終えて母親と玄関に向かうがドアを開けるところでボクの身体は固まってしまう。
「どうしたの?」
「お、お母さん。なんか怖い…」
ボクの足は小刻みに震えていた。
しかし母親は不思議そうな顔で尋ねる。
「怖い?なんで?」
「だって、ドアを開けて通りに出て、もし知ってる人がいたりしたら…」
「いいじゃない。そうしたら「お早うございます」って言えばいいのヨ」
「この前まで男だったボクが女のコになっちゃったんだヨ?」
すると母親は意外そうな顔でこう言った。
「あら、それは間違えね。 アナタは女になったんじゃなくて元々女だったんだから。だから男だったこともないわ」
なんだろう、この母親の変わりようは?
検査の結果が出たときあれだけオロオロしてたのに、今はまるで最初からボクが女のコだったように扱ってる。
「さあ、凛、いきましょう。こんなところで止まってちゃいつまでも先に進めないわヨ。 いい?オンナはね、『その時』が来たら覚悟を決めて前に進むものヨッ!」
そう言って母親は少し勢いよく玄関のドアを開いた。
20mほどの庭を抜けて道路に出るとちょうど出勤時間のサラリーマンらしい人達が何人か歩いている。
すれ違うたびにドキドキと胸を高まらせるボクに対して彼らは誰もボクの方を振り返ろうとしない。
「ね、通りを歩く女のコ一人一人にいちいち反応するわけないでしょ。アナタってけっこう自意識過剰ヨ?」
そう言いながら母親は意地悪そうな顔でボクを笑った。
(よかった…)
少し気が楽になったボクは足を早めて歩き出す。
いつもの通い慣れた通学路がまるで初めて歩く風景のようにさえ思えて不思議だった。
晩夏の少し生暖かい風がスカートから伸びる素足を優しく撫でていく。
そして次第に学校が近づいてきた。
最初は調子良かったボクの足取りも学校が近づくにつれてまただんだと重く感じられてきた。
しかしそんなボクの背中を母親は容赦なく押す。
とうとう正門まであと50mほどの距離。
ボクの足はピタッと止まってしまう。
「どうしたの? ほら、先生方だって待ってるんだから」
「ウ、ウン。わかってるんだけどさ…」
そんなとき向こうからバタバタと駆けてくる数人の男子生徒の足音が耳に入ってきた。
(ドキーーー!!!)
「ほら、急げよ!また先輩にどやされっぞ!」
「まったくオマエがいつまでもメシ食ってるから!!」
多分別の学年の人たちだろう。
ボクも彼らもお互いに知った顔ではない。
どうも部活の朝練に遅刻したようだ。
彼らがボクの横を通り過ぎるときそのうちの一人がチラッとボクの姿に目をやる。
しかし彼らはそのまま気にせず通り過ぎていってしまった。
「凛ーーーー、行くわヨーーーー!!」
少し先に進んだ母親がボクを急かして声をかけた。
下駄箱を抜けて校舎の中に入ると廊下を数人の生徒が歩いている。
1階は職員室と1年生の教室が中心なので見知った顔には出会わない。
そしてボクたちはようやく目的の職員室にたどり着いた。
廊下からドアのガラス越しに中を伺うと数人の先生がいるのが見えた。
しかしボクの担任の山岸先生の姿が見えない。
ボクは少さくドアを開けると、そばにいる社会の戸田先生に声をかけた。
「戸田せんせぇ、戸田せんせぇ…」
消えてしまいそうな小さな声
しかし先生は全くボクの声に気づかない。
(こっち向いてよーーーー!)
ボクは心の中でテレパシーを送る。
そんなボクの心が通じたのか、戸田先生は突然くるっとドアのほうを振り返りいきなりボクと目が合ってしまった。
「おおっ、小谷ぃ!」
そして戸田先生は奥の方にいる山岸先生を大声で呼んだ。
「山岸せんせぇーーーー!小谷が来ましたヨォォーーーーーッッ!!」
(あわわわーーーーーーーーーー!)
(そ、そんな大声でーーーーーー!!)
そのスピーカーみたいな声にさすがに気づいたのだろう。
奥の校長室の方から山岸先生が出てくるのが見えた。
「あらぁ、小谷さん。お帰りーーー。さあ、中に入って」
山岸先生は嬉しそうな顔でボクを出迎えてくれた。
そしてボクと母親は校長室へと通される。
校長室に入るとまずボクはまっすぐに立たされる。
山岸先生はボクの全身を上から下まで見回すと
「ウンッ!素敵な女のコ!」
そう言ってにこっと微笑んだ。
続いて部屋の中に入ってきたのは校長先生、教頭先生そして学年主任の木島先生。
3人はボクの姿を見て驚いたように言う。
「おお、これは可愛らしい!」
「なるほど、やっぱり女のコだったんだなぁ」
口々にそう言われてボクの顔は真っ赤になってしまう。
「さあ、座って」
そして山岸先生が中心になって女子生徒としての校則や注意が説明される。
「女子の髪型は基本的に肩より下まで伸びている場合はゴムで結うこと。ゴムはカラーのものではなく黒のものだけです。脱色やパーマは禁止です。ただし地毛の場合は予め申し出ていれば問題ありません。小谷さんの場合髪の毛が亜麻色だわね。とても綺麗な色をしてるわ。それは染めているわけではないですよね?」
「あ、ハイ。元々の髪質です」
「だったらいいわ。あとはスカートの長さは膝のあたりという感じで。えっと、今の状態ならいいわね。あと生理のときの体育授業の扱いはこの説明書を読んでおいて頂戴。はい、じゃあ以上です。それじゃ生徒手帳の交換をします」
そう言われてボクは生徒手帳をカバンの中から取り出した。
ウチの中学では生徒手帳のカバーについて男子は青、女子は薄いピンクと決まっている。
ボクは今まで持っていた青のカバーの生徒手帳を先生に出し、そして先生は用意したピンクの生徒手帳を出しボクに渡してくれる。
真新しいピンクの手帳の開くと最後のページにあったボクの前の名前『小谷 哲』は新しい『小谷 凛』に変わっていて、性別欄も男子から女子へと変更されていた。
ここまで来ればもう引き返せない。
というか、引き返しようがない。
今になって「やっぱり男のままでいたかった」なんてわけにはいかないんだ。
まあ身体はもう完全な女だからどうしようもないんだけど。
それでも生徒手帳を手にしてそのことをあたらめて実感した。
「さあ、そろそろ時間ね」
そう言って山岸先生はソファから腰を上げた。
ウチの学校では8時20分に朝のホームルームがある。
「それじゃ、小谷さん。胸を張って行きましょう!」
「ハ、ハイ」
そう答えてボクも少し躊躇いながら席を立った。
「凛、頑張って!」
横にいる母親が右指で小さなVサインを作って励ましてくれる。
「う、うん」
ボクはそれに小さく苦笑いをしながらVサインで応えるけど、まだ気持ちは動揺していた。
1階の職員室から廊下を通って2階に階段を上がり少し歩けばそこがボクの2年B組の教室。
ここまでは事情をよくわかっている先生たちだけだったけど、教室には友達の中によく事情を理解していない人もいるかもしれない。
いきなり女子の制服を着て登校してきたボクに
「哲ちゃんがオカマになったぁーーー!」
なんて言うやつもいるかもしれない。
「オンナはね、『その時』が来たら覚悟を決めて前に進むものヨッ!」
家を出るときに言われた母親の言葉はわかるけど、やはり心の動揺は抑えられない。
いつもなら3,4分ほどの距離がとても遠く感じられる。
とても転校生みたいな気分にはなれない。
しかしそう思いながらもいよいよ教室に着いてしまう。
山岸先生はボクをまず廊下に待たせて自分ひとりで教室に入っていった。
ドア越しに教室の中の音が聞こえてくる。
「きりーつ、きおつけー、礼」
「おはようございます」
「はい、着席してください。」
しばらくの沈黙
そしてひと呼吸おいて山岸先生は再び話し始める。
「エー、みなさんも夏休み中にお父さんやお母さんから説明がったと思いますが、小谷さんがやっと学校に出てこれるようになりました」
教室の中はしんと静まり返り、先生の声以外聞こえてこない。
「今、わたしが小谷君ではなく小谷さんと言ったことに気づいた人もいると思います。小谷さんは今日から男子生徒ではなく女子生徒として学校に通うことになります。戸籍の性別もすでに女性に訂正されています」
「みなさんに勘違いして欲しくないのは、これは小谷さんが望んでそうしたのではないということ。 じつは彼女は本当は女児として生まれました。しかしお母さんの体内にいるときにホルモンの影響を受けて女性器の上に男児によく似た排泄口ができてしまったの。つまり本来女性の場合膣口と隣接した位置にできるはずの尿道が別の場所に通ってしまったわけです。しかし小谷さんの身体はそのこと以外完全な女性のものであり、染色体もXXという女性の染色体であることが確認されました。そして夏休みが始まって少しした頃彼女の身体に女性の生理が訪れたのです」
「こういったことは普段男子はあまり聞かない情報だと思うけど、今はしっかり聞いていて欲しいの。
小谷さんはとても迷いました。ある薬剤を投与すれば今までどおり男の姿でいられないこともないけど、それはあくまで外見であって将来結婚しても女性を妊娠させることはできない。しかもその薬剤投与は生涯続けなくてはならない。しかし女性として生きていくなら妊娠も出産もできる。
そして彼女は結論的に本来の自分の自然な性を選択したわけです。先ほど言った出産時の点についても今回の手術で完全に修正されて、彼女の身体は100%ほかの女性と変わらないものになりました」
「次に彼女にとって大きな問題であったのは学校をどうするかということでした。
どこか遠くの他の学校に転校したほうがいいんじゃないか、そういう意見が大勢でした。しかしそうすれば彼女は転校先の学校で自分の過去を取り繕う嘘をつかなければならないでしょう。そしてそうした嘘はさらに新しい嘘を繰り返し、その結果彼女の13歳までの人生はすべて嘘になってしまうことにもなりかねません。そこで彼女は今の学校に通い続けることを選びました。
わたしは彼女のそうした勇気をとても嬉しく、そして誇りに感じました。英単語や漢字や年号を覚えるだけが教育じゃない。自分が社会で生きていくための勇気と知恵を身につける、これこそが本当の教育だって先生たちは思っています。
そして先生たちはみんな彼女をこの学校で卒業させてやることを誓ったのです。
彼女は今回のことで書類上の性別が男性から女性へと性別が変更されました。しかしそれは単に書類的なことであって、彼女は元から女性であったということ、そして性別が変わっても人間は変わっていないということをみなさんによく理解して欲しいと思います」
山岸先生の話に誰も口を挟む者はいない。
そして先生はここまで話すと廊下にいるボクを呼んだ。
ボクは心臓を抑えながら教室の中に入っていった。
ガラッ!
ボクは躊躇いながらいつもよりもゆっくりと教室のドアを開いた。
そして、目を下の方に落としながら教室の中へと入っていく。
ゆっくり顔を上げたとき
ボクはいきなりクラスの仲間たちの視線がボクに注がれるのを感じた。
「え、あ、あの…」
夏休み前のボクとはまったく違うボクの姿を前に、クラスのみんなは何故か静かだった。
そしてボクは次第に足がガクガクと震えだして止まらなくなる。
先生は再び教壇の前に立ち、そして後ろを振り向いて黒板に大きくボクの名前を書いた。
『小谷 凛』
「これが小谷さんの新しい名前です。『りん』さんと読みます。小谷 凛さんは今までも、そしてこれからもあなたたちの大切な友達です」
シーンと静まる室内
ただみんなのボクへの視線が突き刺さるように向けられている。
そのときだった。
「小谷さん、席に座ろう。」
すくっと立ち上がってそう言ったのはクラス委員の井川 楓さんだった。
ボクはその瞬間井川さんの言葉に緊張から解放されたような気持ちになった。
「あ、ありがとう」
井川さんの言葉に山岸先生はニコッと微笑む。
「ハイ、じゃあ、小谷さんも自分の席に座って頂戴」
すると別の女子が立ち上がってこう言った。
「先生、今の小谷さんの席は男子の列だから、今度席替えをやりましょうヨ!」
ボクのクラスでは男子と女子が一列ずつ交互に座っている。
夏休み前のボクは当然男子の列にいたわけで、そうなると男子の列に女子のボクが一人だけ混ざってしまうことになる。
「そうね。それじゃ近いうち席替えをしましょう。みなさん、よろしいですか?」
パチパチパチ
最初に女子が、そしてそれにつられて次第に男子も拍手で賛成の意思を示した。
こうしてボクは夏休み前と同じように再びクラスの一員に戻れることになったのだ。
「ね、『凛』でいいよね?」
1時間目の授業が終わった後に突然横の席に座ってる女のコから声をかけられて、ボクは驚いて振り向いた。
彼女は藤本 美子さんといって井川さんとともに学年でも1,2を争う秀才、しかも学校でも有名な美人さんだ。
2年生で行うクラス替え初めて同じクラスになり、それに伴って席決めをしたときボクは彼女の隣になった。
そのとき男友達の安田や工藤たちは相当悔しがっていたっけ。
まあボク自身は彼女に対し可愛い娘だなっていうくらいの感情しかなく、今まで特に親しく話したり意識したことはなかった。
その彼女が今ボクに話しかけているわけだ。
「ね、凛って呼んじゃっていいでしょ?」
彼女は再びボクに聞いてきた。
「あ、ウン。もちろん!」
すると藤本さんは真っ白な細い手をボクの方に差し出してこう言った。
「アタシのことはこれからミコって呼んじゃってネ。友達になろうヨ!」
「あ、ありがとう。こちらこそヨロシク」
そう言ってボクは彼女の差し出した手を握り返す。
こうして女としてのボクに初めての同性の友達ができた。
ミコは近くの席にいる2人の女のコを呼び寄せた。
この2人は彼女といつも一緒にいる仲のいい友達だった。
「まあ今更自己紹介してもしょうがないけどね(笑) 久保ちゃんと奈央」
「今まであまり話せなかったけどこれからヨロシクね」
「仲良くなろうねー」
2人はミコと同じようにボクにボクに手を差し出してくれる。
ボクはその温かい手を握ってホッとしたような気持ちになれたんだ。
その日
ボクは午前授業で家に帰ってきた。
家に帰ると母親は買い物に出かけたらしくダイニングテーブルの上に「冷やし中華を作って冷蔵庫に入れておくからお昼ご飯に食べていてね。」という手紙が置いてあった。
自分の部屋に行き制服を脱いでハンガーにかけ、そして普段着に着替える。
まだあまりピンと来ないけど、病院の祥子先生からは女性の服装に慣れるためにもなるべくスカートをはくように言われていた。
だからボクはクローゼットからデニムのスカートとスカイブルーのカットソーのシャツを出しそれを身につけた。
そして階段を下りて再びダイニングに行き、冷蔵庫から母親が作ってくれた冷やし中華と朝ごはんの残りの野菜の煮物それとお漬物を出してテーブルに並べた。
コップに麦茶を注いで一口含みそしてご飯を食べはじめる。
食べ終わると何気なしにTVのスイッチをつけてみた。
画面にはお笑い芸人たちが楽しく話している場面が映っているけど、ボクの頭の中にはほとんど入ってこない。
ボーッとしたようにただ画面を見ているだけ。
そして頭の中では朝からのことが走馬灯のように浮かんでくる。
(ハァ…)
ボクは小さくため息をつく。
なんかいろいろあった一日だな
ドキドキしたりホッとしたり
なんかこうしている自分が夢みたいで
本当はぜんぶ夢の出来事なんじゃないかとさえ思える。
でも、そう考えながらフッと下半身を見ると
そこには確かに女のコのスカートを穿いている自分がいるわけで
もしかしてボクはいま女装でもしているんじゃないかと思いそのスカートを少し上の方に上げてみると、そこには小さな可愛い女のコのショーツが見える。
そしてかつてはそこに小さくてもあった確かな膨らみは今はつるんとした丘のような形になっている。
こうして現実をまざまざと見てしまうとボクは逃げようがない気持ちになる。
そんなことを考えていると
ピンポーーン
インターホンが鳴り母親が帰ってきた。
「ご飯わかった?」
「ウン、ごちそうさま。美味しかった。」
母親はソファに座るボクの前に腰を下ろし学校でのことを尋ねる。
「今日はどうだった?」
「ウン、思ったよりずっとふつうだった。山岸先生もちゃんと説明してくれて」
「そう、よかったわネェ。まあとにかく性別が変わったってアナタはアナタなんだから、何も変わってないのヨ」
たしかに言われてみるとそうだ。
男だって女だってボクはボクで何も変わったわけじゃない。
「でも、今まで仲良かった安田や工藤は複雑そうな顔してたなあ」
「まあ、たしかに男友達が女友達になっちゃったわけだしネ(笑) でも、少し時間が経てばきっと安田君たちもまた話せるようになると思うわ」
「そうかなぁ…」
「お母さんはそう思うな。 そのときには昔とはアナタへの接し方が少し変わるかもしれないけど」
「接し方が変わるって、よそよそしくなるとか?」
「うーん、ちょっと違うかな。 異性としての接し方になるっていうのかな。話せることもあるし話せないこともあるし、一緒にできることもあるしできないこともあるしってこと。ただ、それは彼らがアナタのことを友達だと思わなくなったからじゃないの。異性のマナーみたいなもんかなぁ」
「異性のマナーかぁ…」
「そう。逆に女のコだって男のコに対してマナーがあるのヨ。幼い頃は男だって女だってなんでも同じことを一緒にできたけど、大きくなっていくと少しずつ分かれていくのねぇ。でも、だからこそお互いを理解しようと努力する。それが異性へのマナーなのかなってお母さんは思ってる」
「なんかわかったような、わからないような…」
「まあ、とにかく娘は母親を見て育つって言うしね。女のコの先輩であるアタシをよーく見習うことネ!」
「あれ、お母さんってまだ『コ』がつくわけ?」
「あったりまえじゃない! オンナは一生女のコなのヨッ!(笑)」
「アハハハーーーー」
そしてその夜
ボクはお風呂から上がり洗面台の前で身体を拭きバスタオルを巻きつけ
フッと目の前の大きな鏡に映っている自分の身体に目をやる。
思い立って巻きつけているバスタオルを取ってみと、まだ小さな膨らみだけど、ボクの胸は乳首が明らかに大きくなり円錐状に突起してきているのがわかる。
クルッと後ろを振り返るとお尻の形も以前より少し丸く大きくなっているような気がする。
ほかの女のコたちもこうやって変わっていったのだろうか…。
パジャマを身に付けるとボクは自分の部屋に戻ってベッドの上に腰を下ろし、そしてふっと思い立って受話器を取り上げた。
かけた先は久美ちゃんだった。
「もしもし」
「あれ、凛。どうしたの? 電話くれるのって久しぶりだよネ?」
「ウン。ちょっと久美ちゃんの声が聞きたくなっちゃって。今だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだヨー。ご飯食べ終わって自分の部屋で音楽聴いてただけだから。今日学校どうだった?」
久美ちゃんは隣のA組で今日は一日お互いに学校で見かけていない。
ボクはずいぶん長くなった髪を首を振って横に払いながら受話器を持つ手を変えた。
「ウン、思ったよりスムーズだったヨ」
そう言ってボクは朝家を出てから学校までの道のり、そして教室に入って足の震えが止まらなかったことなんかをゆっくりと久美ちゃんに語った。
「ウン、ウン。そっかぁー」
久美ちゃんはボクの話に楽しそうに相槌を打ってくれる。
「でね、そしたら突然ボクの隣の席の藤本さんって女のコが話しかけてくれたんだ。「友達になろうヨ!」って言ってくれて」
「ヘェー、良かったネー。 藤本さんってあの頭がよくって可愛い娘だよネ? たしかミコって呼ばれてるんだよね」
「そうそう。久美ちゃん、彼女のこと知ってるの?」
「あ、ウン。1年生のときアタシ、あの娘と同じクラスだったんだヨ」
「そうなんだ?」
「まあ、すごく仲良かったっていうんじゃないけど、会えばふつうに話すくらいかな」
「あのさ、もしかして…」
「ん、なに?」
「あ、ウウン。なんでもない」
「もしかして久美ちゃんがミコにボクのことを頼んでくれたの?」
ボクはそう言いかけて言葉を濁した。
そうだとしても久美ちゃんのことだから、きっと「アタシは知らないヨ」って言うと思ったから。
そしてボクと久美ちゃんはそれから1時間ほどは夢中になっていろいろな話をした。
以前だったら安田や工藤なんかから電話があってもお互い用件だけ伝えて終わるみたいな感じだったのに、ただ話をするってことがこんなに楽しいなんてホント意外だった。