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第29話 カレと一緒に超える壁

トオル君と初めてキスをしたのは付き合い始めて3ヶ月ほどのこと

それはワタルとのファーストキス以来2回目のキスだった。


カレのキスは温かく、そしてアタシの心を優しく包み込むものだった。

そしてそのとき、アタシは自分の中で何かとても不思議な感情を呼び起こすような感じがしていた。


思い出せば、中2の夏休みの『あのとき』まで、自分が男だと思って生きてきた。

それまでも他の男子より明らかに華奢な身体つき、女性らしい顔で何度も女の子と勘違いされてきた。

しかしそれもじつは自分自身が勘違いしてたのだ。


それでも一応自分なりに男としての誇りがあったわけで。

まさか自分がいつか男を相手にキスするなんて想像したこともなかった。

だから女性として生活するようになって、いつか自分が男性と交わることがあるのかもしれないということを考えると少しゾッとしたりしたこともあった。


中学生という年頃、そして周りの男友達たちとの会話の中で、性に対する関心も全然なかったわけじゃない。

ただ、不思議とセックスへの欲望はあまり感じなかった。


周りにとくに仲の良い女友達はいなかったけど、幼馴染の久美ちゃんとは中学になってからも以前ほどではないけど会えば話すくらいの関係ではあった。

小学校の頃までは毎日のように遊んでいた2人だったけど、中学になってお互い同性の友達と遊ぶ機会の方が多くなったのだ。


それでも、久美ちゃんもアタシも別にお互いを避けようと思っていたわけではなかった。2人はきっと他の男女よりも近くにいて、だから他の人たちよりお互いを理解していたんだって思う。


今から考えるとチョット危険かもしれないけど…

じつは、アタシと久美ちゃんは一度だけそういう雰囲気になりそうになったことがあった。


それは中1になって1ヶ月が経とうとしたある日曜日のこと

サッカー部の休日練習が終わった帰り道、アタシと久美ちゃんは道でバッタリ会った。


「あ、哲ちゃーん!」

久美ちゃんは少し遠いとこからアタシを見つけると、そう言って小さく手を振ってきた。

久しぶりに会う久美ちゃんの笑顔はとても眩しくて、そして2人は何の気なしに一緒に歩きだし会話が始まった。


「そういえば、アタシたちって、中学生になってあんまり話したことなかったよね?」

久美ちゃんはフッと思い出すようにこんなことを言った。


「そういやそうだね。久美ちゃんはもう友達できた?」

「ウン。クラスの中で何人か仲のいい女のコができたヨ。哲ちゃんは?」


「ボクは、ほら、安田とか」

「ああ、安田君かあ。そういえば6年生の時、哲ちゃんと仲良かったもんね。その代わりアタシは遊んでもらえなくなっちゃったけど(笑)」


「そ、そんなことは…ごめん」

「アハハ。でも、ホントはちょっと寂しかったかな」


そのときの久美ちゃんの表情は小学生の頃の気さくに話せていた彼女のものとはちょっと違っていたように感じた。

そして2人は昔を懐かしむように会話をつづけた。


お互いの家が近づいてきてひとしきり話したあと久美ちゃんはこう尋ねてきた。

「ねえ、哲ちゃんは今日はなんか予定あるの?」


「ウウン。特に何もないけど」


そう答えると久美ちゃんはニコッと微笑みそしていきなりこう言ったのだ。

「じゃあさ、久しぶりに2人でデートしない?」


「デ、デート!?」


「ウン、そうだヨ。いつも安田君たちと一緒だから声かけると悪いかなって思ってたの。でも、たまにはアタシが哲ちゃんを取り返したっていいんじゃない?」

そう言って久美ちゃんはアタシの手に自分の手を絡ませて少し悪戯そうに笑う。

そんな久美ちゃんに男として満更悪い気がしなかった。


久しぶりの2人だけの時間はとても楽しかった。

アタシたちは家に向かっていた道を逆に戻り益の方向に歩き出す。

あの頃2人でよく行った駄菓子屋やおもちゃ屋を覗いたりデパートの屋上から望遠鏡で街を見下ろしたり


気がつくと夕方

日はもう暮れかかっている。


「ああ、楽しかったねー」

「ウン。楽しかったー!」


そのとき彼女は思う位出したようにこう提案した。

「あ、そうだ!ね、哲ちゃん。帰る前にちょっとだけ、あの頃よく遊んだ公園に行ってみない?」


「赤いブランコの公園?」

「ウン、そう」


そこは2人が幼稚園の頃からいつも遊んでいた場所だった。

そしてのちにアタシとワタルが最後に別れた場所でもあった。


アタシと久美ちゃんは並んだ2台の赤いブランコに腰をかけてキィキィと小さく揺らす。

夕日が遠くのビルの隙間に隠れようとしていた。



そしてしばらくの無言


フッと久美ちゃんはアタシにこう尋ねてきた。

「ねぇ、聞いてもいい?」


「うん?」

「哲ちゃんは…誰か好きな娘っているの?」


「え、好きな娘? そ、そんなのいないよ」

「じゃあさ…アタシのことは?」


「え、久美ちゃんのこと?」

「ウン、そう。哲ちゃんはアタシのこと好き?」


そのときアタシは久美ちゃんにそう言われて、正直かなり戸惑った。

彼女が聞いているのは多分異性としての感情なのだろう。


そしてアタシはチラッと久美ちゃんの顔を見て、こう答えた。

「好きだよ。だって…」


「久美ちゃんは大切な友達だから」

アタシはその言葉の後にそう続けるつもりだったのだ。


しかしそれは間に合わなかった。


「え!?」


その瞬間

彼女はスゥっと目を閉じると自分の顔をアタシの顔に近づけてきて、2つの唇は重なった。

ようやく彼女の生暖かい唇が離れたあとアタシの頭の中は混乱していた。


「え、あ、その…」

情けないことにこっちは言葉にならない言葉を出すしかない。


男は女に恥をかかせちゃいけない。

幼いながら父親にそう言われていたことを思い出した。

それでもこの状況をどう考えればいいのか、頭の中は完全にパニックだった。


「フフフ」

悪戯っぽく笑う彼女

やっぱり彼女のほうが一枚も二枚も上手だった。


今となってはこれを異性とのクスにカウントしていいのかどうかはわからないけど、アタシのファーストキスは悲しくも切ないレズの味となってしまったのだった(笑)



その後

中2の夏休みにアタシは自分が本当は女であることを知り180度生活を変えることになる。

アタシはワタルへの気持ちが芽生え、そしてカレとの別れを経験し今こうしてトオル君とお付き合いをしている。

そして久美ちゃんは本物の石川 渉(ワタルA)と5年のときの流れを経てお互いの気持ちを結んだのである。


そのとき

じつはアタシはちょっと複雑な気持ちだった。


それが、かつては異性であると思ってた久美ちゃんを他人に盗られた気持ちからなのか、それとも大切な幼馴染に恋人ができたという気持ちからなのかはわからない。


ただ、それはミコに芦田さんという恋人ができたときとは違う

何か微妙な気持ちだった。



そして中3の終わり

アタシはワタルと初めてのキスをした。

それはアタシにとって初めての異性とのキスだった。


カレとのキスはとても衝撃であった。

まるで吸い込まれてそうなったというか

熱くて強くて

それは久美ちゃんとのキスとはぜんぜん違っていた。


お互いが磁石のように自然に引かれあって、気がついたときは唇を重ねていたという感じ。

そして包み込まれるような温かさ…。


キスをしていた時間はほんの数秒だったかもしれない。

でも、それはアタシにとってはとても長い時間だったような気もする。


「ふぅ…」

カレの唇が離れるとアタシは小さな息を吐く。

そしてアタシは自分の頭をカレの広い胸に押し付けると


トクン、トクン…


カレの鼓動が優しくアタシの頭の中に響いてくるのがとても心地よかった。


トオル君とのキスはワタルとしたキスに似ていた。

カレが伸ばした大きな腕がアタシの身体を優しく包み込む。

そんなときアタシは不思議と、とても幸せで優しい気持ちになれるのだ。


でも最近はそうした気持ちがときにエスカレートしたりもする。

カレはアタシのことを抱きしめているときとき

ときどき、何気なくアタシの胸に手を置いたりした。

そのとき、アタシはビリっとまるで電流が流れたように痺れる感覚がした。


「ぁ…」


そんなときはアタシの口から小さな吐息が漏れてしまうこともあった。

するとカレはその小さな声に気付いているのか、ピクッとしてその手を胸から離してしまう。


アタシは、カレがそれ以上を求めるときがもうすぐ来るような気がしていた。



***********************************************************

クリスマス

この日、アタシは一つの決心をしていた。

それは2人で一緒にひとつの壁を越えること。


それによって、二人は今よりももっと近い関係になれるんじゃないかって想いがあったんだけど、その反面で不安なこともあった。

それは体の関係ができてしまうことでカレの気持ちがどう変化するかということ

そしてカレだけじゃなくアタシ自身も自分がどう変わってしまうのかわからない怖さ。

でも、アタシはカレを信じることにした。



「じゃあ、今晩は遅くなると思うから」

その日アタシは母親にそう言って家を出た。


5時に渋谷駅前の宮益坂入口で待ち合わせをしていた。

駅を出ると、交差点の向こうには渋谷の街のネオンと色とりどりの電飾でライトアップされた宮益坂のケヤキ並木が見える。

そしてそこには少し所在なさげに立っているトオル君の姿があった。


いつも冷静そうなカレはこのとき少し落ち着かないように辺りをキョロキョロしている。

きっとアタシの姿を見落とすまいと注意を払ってくれているのだろう。

アタシはそんなカレの姿を見てつい可笑しく思えて笑えてしまう。


交差点の信号が青になった。

アタシはそんなカレの待つ場所へと少し足早に歩き出す。



「トオル君、お待たせー!」

アタシは横を向く彼に近づきながらそう声をかけた。

そしてクルッと振り返ったカレはアタシの姿を見て少しぎこちなさそうに微笑む。



トオル君が予約をしてくれたレストランはそこから歩いて15分ほどの距離にある。

途中にお店があるとショーウインドウを覗いたり、。その15分ほどの道のりを楽しむようにアタシたちはゆっくり時間をかけて歩いた。


そしてその途中には青葉大のキャンパスがある。

ミッションスクールである青葉大ではこの時期大きなクリスマスツリーが飾られ、正門を開けて一般の人にも開放をしている。


青葉通り沿いの正門から続く銀杏並木の奥に見えるキラキラと輝くクリスマスのツリー

今までもミコやみーちゃんと一緒に何度かこのツリーを見たことはあったけど、

今夜はトオル君と一緒に迎える初めてのクリスマス

2人で手をつないで仰ぎ見るキラキラと光るツリーの灯り

アタシはこのときの光景をきっと一生忘れることはないだろうと思った。


するとそのときだった。

「あの、すみません」


正門を出ようとしたとき

アタシたちはそこに立っていたおじいさんとおばあさんに突然声をかけられた。


「申し訳ないけど、シャッターを押してもらえませんでしょうか」

おじいさんは少し遠慮がちにアタシたちにそう尋ねてきた。

見ると手にはデジタルカメラを持っている。


「ああ、いいですよ」

トオル君はニコッと微笑んでそのカメラを受け取った。


2人は銀杏並木とツリーが重なるように並んで立ち、そしておばあさんはおじいさんの腕に自分の手を絡ませてた。


「それじゃ、撮ります」

トオル君がそう声をかけると2人はニコッと微笑む。


パシャツ!


そしてカレは写したカメラをそのおじいさんに返した。


「ホウ、これは綺麗に撮れている。カメラを撮るのが上手いですな」

デジカメを再生モードにして画像を確認するとおじいさんは感心するように言った。


「いえ、それほどでも(笑)」

トオル君はおじいさんの褒め言葉に照れたような表情をする。


「君たちは青葉大の学生さんですか?」

「ええ。僕は青葉大の1年生です。彼女は今高等部の3年生なんです」

トオル君がそう言うとアタシは2人にペコっと頭を下げた。


「あら、そうなのー。じゃあ、貴女も来年は青葉大に?」

「ハイ。その予定です」


「そうかあ。じゃあ、2人とも私たちの後輩だ」

そう言っておじいさんとおばあさんはニコッと微笑んだ。


「じゃあ、お二人は青葉大の卒業生なんですか?」

アタシが尋ねると


「ええ。といっても、もう50年以上も前の卒業なんだけどね」

おばあさんは少し照れたような顔をした。


「私とこのおじいさんは当時青葉大の学生でね。カレが私のひとつ先輩だったのよ。カレは当時空手部に入っていて、私はその部のマネージャーをやっててね」


「エッ!空手部だったんですか?じつは俺もなんです」

おばあさんの言葉にトオル君が驚いたように言うと


「そうなのかあ! いやあ、びっくりしたなあ。じゃあ、君は僕の空手部の後輩でもあるわけだ」

おじいさんもかなりびっくりした表情で答えた。


「いやあ、それじゃお二人共大先輩ですねー」

「本当に偶然ねえ。これも神様のお導きかしら」

こうして2組のカップルの会話が始まった。


するとそのとき

おばあさんは、トオル君がおじいさんと話している間にアタシの耳元にそっと小さくこう囁く。

「じつはね、私たちもう10分くらい前からシャッターを押してくれる人を探していたのよ」


アタシは意外そうな顔で尋ねた。

「エ、そうなんですか? あ、じゃあ、ほかの人に断られたり…とか?」


「ううん、違うの。私たちが声をかけなかっただけなのよ」

「でも、こんな寒い中で10分も探していたなんて」


するとおばあさんは少し悪戯そうな表情になって、そしてこう言った。

「フフフ、それはね、今日このキャンパスの中で見かけるカップルのうち一番幸せそうな2人を探してたの。そしてあなたたちを見つけたってわけ」


「アタシたちを…ですか?」

「ええ、あなたたち、とても素敵なカップルだったんですもの。あなたの彼を見る笑顔がとっても輝いて見えたのよ。だから、ぜひあなたたちに今日の写真を撮ってもらいたかったの」

アタシはおばあさんのこの言葉に少し頬を染めてしまった。


「神様はあなたにとてもいいご縁をお与えくださったのよ。これからもお二人で支えあって、大切に育んでいってくださいね」


聖夜の偶然の出会い

それは聖夜の小さな小さなプレゼントだったのかもしれない

アタシにはそう思えた。




そしてしばらくした後

アタシとトオル君はおばあさんたちと分かれ、学校を後にして再び歩き出した。


「あ、ほら。凛、あそこの店だよ」

そう言ってトオル君が指をさしたお店は青葉通りから少し脇道に入ったところにある小さな赤レンガの壁のあるオシャレな感じで、それは『レモンハート』という名前のお店だった。


トオル君がそのお店の木製のドアを開けるとカランと小さな鈴の音が鳴る。

中に入ると正面から見た感じより奥は深く、カウンターの他に20卓くらいのテーブル席が設けられていた。


すると

「いらっしゃいませ」

と声がかかる。


アタシたちの前にスっと現れてスマートにお辞儀をしたのは黒いスーツと蝶ネクタイを着こなした、30代くらいのとても感じの良い男の人だった。


トオル君が予約をした自分の名前を告げると

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

彼がそう言って案内してくれたのは、そのお店の一番奥にある角の小さなテーブル

あたりには大きな照明器具はなく、所々に小さなランプが置かれている。

木製のテーブルには真っ白なクロスが掛かっていて、その上には薄いピンクのキャンドルの灯りがゆらゆらと幻想的に揺れていた。



そして素敵な食事が進み、デザートが運ばれてきた頃

カレはアタシの前にスっと小さな箱を差し出した。


「メリークリスマス。これ、俺からのクリスマスプレゼントなんだ」

薄いブルーの包み紙でラッピングされている小箱


「わあ、ありがとぉ。開けてもいい?」


包を開くとそこには小さなダイヤのついたプラチナのドルフィンリング

「ぁ…」

アタシは小さく呟く。


指輪をキャンドルの灯りにかざすと、先の方にあるドルフィンにキラキラと光が反射する。


「気に入ってもらえた」

「うん、すごく。すごく嬉しい、こんな素敵な…なんか、嘘みたい」


「ね、トオル君。着けてくれる?」

そう言うとカレは

「いいよ」

アタシからその指輪を受け取った。

「なんか、照れるな(笑)」

「フフフ。じつはアタシも(笑)」


考えてみれば、何か結婚指輪みたいなシートュエーションだ。

トオル君はアタシの右手を取り、その薬指にゆっくりと指輪を通してくれた。


「わぁ、可愛い…」

思わず溜息が出そうになる。


指輪をキャンドルの灯りにかざすと、先の方にあるドルフィンにキラキラと光が反射していた。


今度は

アタシはその指輪をしたままで、今度は自分のカバンから少し大きな袋を取り出し、トオル君に差し出した。


「メリークリスマス!アタシからのプレゼントです」


トオル君はさっそく渡された袋のリボンを解くと

「おおっ、マフラーだっ!」

と嬉しそうな声を出す。


「あれ、俺のイニシアルも入ってる。これって、もしかして?」

「あ、ウン。一応手作りなんだ。あまり上手じゃないけど」


じつはアタシがマフラーを編んだのは二度目

一つ目はワタルにあげようとしたものだった。


高1の夏休みから少しずつ編み始めて寒くなったらカレにあげるつもりだった。

しかしその前にカレはアタシの前からいなくなった。


編みかけのマフラーは今でも家のアタシの机の引き出しの中に仕舞われたままだ。

だから編んだのは二度目だけど、完全に編み上げてあげたのはトオル君が初めてということになる。


「こんなふうに、来年も再来年もずっとトオル君と一緒にクリスマスを迎えられるといいなあ」

「ずっと一緒だよ。ずっと二人で歩いて行こうって言っただろ」

「うん!」




辺りに行き交う人はすべてカップルだけ

アタシとトオル君は今そういう場所にいる。


「ここで、…いいかな?」

トオル君は瞬くネオンのついた建物の並びの一軒をちらっと見るといつもと違う、少し上ずったような小さな声で言った。


「ウ、…ウン」

アタシは、下を俯きながら肩に置かれたトオル君の手をキュッと握って答えた。


狭く外から見えないような塀を抜けると、そこには20畳ほどのロビーがある。

その隅にフロントらしきものがあって、壁面には30ほどの部屋の写真が載ったボードがかかっていて、そのうちいくつかの写真は明るく点滅している。


「明るい写真の部屋が空いてるってことかな?」

トオル君は小声でアタシに尋ねる。

「わかんないけど、多分…」


そのとき

「いらっしゃいませ」


ドキッとして声のしてきた方向を見ると、フロントらしきところにある小窓から年配の女性が顔を出した。

「あ、あの…」


「ランプのついている中からご希望のお部屋を選んでボタンを押してください」

その女性はそう事務的に答えた。


その声はちょっと冷たい感じもするが、事務的に言うことでお客さんは逆に気にならないのかもしれない。


「凛、どれがいい?」

「アタシはどれでも…いい。トオル君、早く選んで?」

「ウ、ウン」

アタシから見ても今のカレはカチンカチンに固まってる感じがする。

そして、カレがそのパネルの中から一室の写真のボタンを押すと


ガタン!


いさな音を立ててキーらしきものが落ちてきた。


「これが…部屋のキーか」

そのキーには301号室と部屋番号が書いてある。

横に書いてある案内板を見ると301号室は3階の1号室という意味らしい。


「なんか大学の教室番号みたいだな」

そう言ってカレは小さく笑った。


なるほど

たしかに!

言われてみると大学の教室みたいで分かりやすい


「フフフ、面白いね」

アタシもカレの発想に思わず笑ってしまった。


でも、

じつはそれでも内心ではアタシの心臓はもう張り裂けんばかり

それを誤魔化すように笑ってるみたいで

そして、それがよけい可笑しかったりする。



アタシたちはエレベーターに乗り3階のボタンを押した。


(なんか、不思議な気持ちだな…)


なんかいつもエレベーターに乗ってるときより、今はすごくゆっくり上がっている気がする。

エレベーターなんてどれも同じだからスピードなんて変わらないはずだけど

でも、このときアタシにとって時間のスピードがとてもゆっくり進んでいるように思える。





そしてエレベータは3階に着く。


カタン


小さな音を立ててそのエレベーターは止まり、スゥーっとドアが開く


そのときだった


ドキッ!!


開いたドアの向こう側には、ひと組のカップルが立っていたのだ。


2人は多分アタシたちと同じくらいの年齢だろう。

ドアが開いたとき立っていた位置がお互い正面だったことで、瞬間的にアタシもその女のコもそれぞれの彼氏の胸に自分の顔を埋めた。


むこうの女のコは派手な感じの娘ではない。

彼女は艶のある黒い髪の小柄な女のコで、白いブラウスに黒のサスペンダースカートをおしゃれに着こなしていた。

彼氏はその娘の顔を両腕で優しく包んでくれている。


そして2組は互いに身を避けながらすれ違った。

お互いがすれ違ったときアタシとその女のコの目が一瞬だけ合った。

それはほんの0.5秒ほど

そのとき彼女はアタシにテレパシーみたいなものを送った。


ただ一言

「頑張って」

と。



「ああ、ここだ」

アタシとトオル君はいよいよ部屋の前

キーを差し入れキィーっとドアを開けると細い廊下に比べて部屋の中は思ったより広い空間だ。

そこには大きめのベッドがひとつとその横に小さなソファとテーブルが並んでいる。


アタシもトオル君もその部屋の中で所在無げに目をあちこちに泳がせていた。


「す、座ろうか?」

そう言ってトオル君はアタシにソファを勧めてくれる。


「ウ、ウン。あ、トオル君、上着かけておかないとシワになっちゃうヨ。かして?」

「あ、ああ、ありがと」


すべてが初めての経験

とにかくぎこちない2人で

お互いなんて話したらいいかわからない。


そして、しばらくの沈黙の後フッと口を開いたのはトオル君だった。

「あ、あのさ…」


「ウン…」

「俺…こういうのって初めてだから、上手く言えないけど…」


「…」

「これからもずっと凛のこと大切にしたいって思ってる。だから今日が2人にとっていい思い出になればいいなって思う…」


そのとき

アタシは、トオル君の言葉に心の奥が温かくなっていく気がした。


絞り出すような声で一生懸命アタシに語りかけてくれるカレがとても愛おしく、そして可愛く思えたんだ。

アタシは決心した。

「ウン。アタシも…トオル君のことずっと大切にしたいヨ」


トオル君の顔がゆっくりアタシの顔に近づいてきてキスをする。

そして、アタシはカレの厚い胸にしがみついて顔を埋めた。




すべてが終わったあと

アタシとカレはベッドの上に身体を横たえてお互いを抱きしめ合う。


フッとを見ると、シーツには所々に血の染みがついている。

アタシはそれを彼の腕の中でぼーっとした頭で眺めていた。


(何か信じられないなあ…)


中2のときまで自分が男だと思って生きてきたのに、今こんなふうになっちゃうなんて

もしかして、中2のときまでのアタシは夢だったんじゃないだろうかとさえ思える。

それとも、今こうしているのが夢だったりして…。



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