第28話 彼氏の家
12月
3年生はこの時期高等部生活の最後の山場を乗り越える。
先月に行われた最後の学力テストの結果を踏まえて内部進学する大学での学部が決定されることになる。
ミコは余裕をもって最初からの希望通り教育人間科学部教育学科に推薦を決め、みーちゃんは例の一件で期末試験を受けなかったため、前回テストの7割評価となってしまい職員会議でかなり揉めたそうだけど、その後の学習態度も参考になんとか希望していた総合文化政策学部に潜り込むことができた。
そして、かくいうアタシはというと、これからの自分に何ができるかをいろいろ考えた結果国際政経学部の国際コミュニケーション学科を志望し、それがなんとか認められた。
こうしてそれぞれの進路が決まってくるこの時期、みんなは自動車学校に通い始めたり卒業旅行の計画を立てたりと思い思いの時間を過ごすようになる。
そしてそんなある日
「あのさ、実は頼みがあるんだけどな・・・今週の土曜日って暇かな?」
トオル君は電話でなぜか遠慮がちにそんなことを言う。
「土曜は特に何も予定ないけど、頼みってなに?」
「あ、いや。そんな大したことじゃないんだけどさ・・・」
「ウン?」
「・・・・」
「どうしたの?」
「あ、いや・・・」
トオル君はけっしておしゃべりなタイプではないけど、言いたいことはいつもキチンと言う。
今日のトオル君はどうも様子がヘンだ。
するとトオル君は
「あ、嫌だったらもちろんいいんだ」
と突然あわてたように言い出す。
「そんな、まだ何も聞いてないのに嫌とかわかんないヨ?ね、ちゃんと言って?」
アタシはそう言いながらも頭の中で勝手な想像をしてしまう。
(もしかして、一緒にどこかに泊りで行こうとか・・・)
(もしそういうことなら、何もないってことはやっぱり・・・ないよね)
そんな一人勝手な妄想が頭の中を巡る。
「実はさ・・・一緒に来てほしいんだ」
トオル君はぼそっとそう呟いた。
(や、やっぱりぃぃーーー!)
ドキッ!ドキッ!ドキッ!
アタシの鼓動の音が急激に高まっていく。
「あ、あの、トオル君・・・その・・・わかっていうと思うけど、アタシ・・・初めて・・・なんだけど・・・」
(ああ、言葉が上手く出ないーーーっ!)
焦って呂律の回らない言葉でアタシはトオル君にそう尋ねる。
「ああ、わかってる。だからオレも上手く言えないだけど・・・」
トオル君は真剣そうな声でそう言う。
電話の向こうとこっち
お互いの言葉のやり取りが交錯する。
(なんでいきなり? どうしよう・・・)
正直決心がつかなかった。
だって
女として生活するようになって4年が過ぎ、その間にはワタルとのファーストキス、そしてトオル君とのセカンドキスもあった。
でも、それだって最初はけっこう勇気が必要だった。
13歳まで自分のことを男だと思い込み生活してきた自分が男とキスするなんて、何度か想像はしたことはあったけど、想像の中では正直あまり気持ちがいいと思えなかった。
それが、ワタルと初めてのキスのとき、それがあまりに自然なものだったから自分自身びっくりした。
でも、今度は男の人を自分の中に受け入れてしまうなんて・・・。
「じゃ、じゃあ、あの、アレ・・・買って・・・。え、どうしよう・・・」
「あ、いや。そんな気を遣う必要ないよ」
「そ、そんなっ!!だって・・・もし、できちゃったら!」
「できちゃったらって、何が?」
「それは・・・その・・・」
「じゃあ、そんなに気を使ってくれるんなら、クッキーでいいんじゃないか?あ、ウチの父親はなんでも食っちゃうから」
「へ?クッキー?」
もしかしてアタシの勘違いデスカ?
勝手な妄想ダッタ?
アタシは受話器を抑えながら顔から火が噴き出そうになった。
「ああ、よく家でひとりでもしゃもしゃと食ってる(笑)」
「そ、それじゃあ?」
「ウチに遊びに来ないかってことだけど・・・違うのか?」
「あ、ウウン!そうヨ!そういうこと!ア、アハハ!!」
アタシは完全に明後日の方向に行ってしまっている話をなんとかこじつけようと必死だ。
「そっかあ、トオル君のお父さんって甘党なんだあ。じゃあ。あ、じゃあ、アタシすっごく美味しいものお選んじゃおう!」
というように、最後は無理やり話のつじつまを合わせたのだった。
「じゃあ、いいのかな?」
「ウン。もちろん!」
「よかった(笑)もしかしたら迷惑かなって、ちょっと心配だったんだ」
「迷惑なわけないじゃん(笑)トオル君、アタシに気を遣いすぎだヨ?」
「そうかもしれないけど、でも親に会うってやっぱり緊張するじゃないか」
「そうかもしれないけど、でもアタシはトオル君のお父さんやお母さんに会ってみたいな。トオル君とお付き合いしてること知ってほしいし。今度アタシの家にも遊びに来てね?」
「ウン、もちろん。凛、サンキュ」
トオル君とのお付き合いを始めて少しした頃、母親にはカレの存在をきちんと話しておいた。
母親は中学生のときの自分を思い出したのだろう
「そっかぁ、いい人そうね。大切に育てていくのヨ」
とニコッと微笑んでそう言った。
その一方で、その後母親からそのことを聞かされた父親の表情は少し複雑そうだった。
アタシが洗面所で父親とすれ違ったとき父は
「あ、凛」
とアタシを呼び止めた。
「あ、ウン。なに?」
「え、あ、いや。そのだな・・・」
モジモジとはっきりしない父親の目は完全に泳いでいた。
「その、ほ、ほらっ!」
「ほら?」
「し、式場はもう決めたのか?」
「はああーーーー!?お父さん何言ってんのっ!?」
4年前、アタシが初めて女生徒として中学に登校したとき、一緒についてきた母親はこう言った。
「女は一度決めたら前に進むものヨ!」
やっぱりいざとなったときには男より女の方が度胸があるんだろうか。
アタシはフッとそんなことを考えながら、それでも父親のそういう姿をなぜか『かわいい』などと思ってしまったのである。
初めて行く彼氏の家だからやっぱり服装にも気を遣う。
「あんまりキッチリした感じだとヘンだよね?」
「そうねぇ。ほどほどでいいんじゃないかしら。ほら、これなんかどう?」
そうやって、アタシは母親と相談をし、薄茶の落ち着いた感じのワンピースにクリーム色のボレロを着ていくことにした。
そして次の土曜日
アタシはトオル君と待ち合わせた新宿駅に向かう。
待ち合わせの時間は朝10時だったけど、アタシは30分ほど早めに到着しデパートでユーハイムのハウムクーヘンとクッキーの詰め合わせを買った。
ふわぁ~っとした甘いバターの香りが漏れてきそうな箱を抱えてアタシはカレとの待ち合わせ場所に行く。
トオル君の家は新宿駅から西武線に乗って10分ほど行った閑静な住宅街にあった。
かなり大きな家の前には明るい庭が広がっていて、そこには周囲に花壇が作られていて色とりどりの花が咲いている。
きっとトオル君のお母さんが世話をしているのだろう。
ピンポォォォ~~~~ン
インターホンを鳴らししばらくすると
「はぁーーい」
と女のコの声が聞こえる。
そして出てきたのは方に着くくらいのセミロングの髪をした笑顔のステキな女のコ、そしてその後ろにはとても優しそうな感じの、きっとトオル君のお母さんなのだろう女の人が立っていた。
アタシは緊張しながらもペコンと頭を下げて挨拶する。
「はじめまして。小谷と申します」
「いらっしゃい。透の母です。お待ちしてましたよ」
「あ、こいつは、オレの妹。若葉っていって、今年高校に入学したんだ」
「こいつはないでしょー! あ、はじめまして 若葉です」
そしてアタシは応接間とダイニングがつながった大きな部屋に通された。
そしてそのソファにはトオル君のお父さんらしい男の人が一人座っている。
「さあ、どうぞ。座ってちょうだい」
お母さんはアタシにそう声をかけてくれたが、アタシは立ったままでその男の人に挨拶をした。
「あ、あの、はじめまして。小谷 凛と申します」
その男の人は広げている新聞の隙間からアタシの方をチラッと見ると
「ああ、そうですか。まあ、どうぞ」
とぶっきらぼうに席を勧めた。
「あ、はい。失礼します」
(もしかして、アタシ嫌われちゃってるんだろうか・・・)
トオル君自身があまりお喋りな方ではないので、そのお父さんが寡黙だとしたらそれは分かる気がする。
でもどうもそういう感じではない気がする。
(アタシ、やっぱり来なかった方が良かったのかなぁ・・・)
ズーンといきなり気が沈んでしまう。
するとアタシの隣にスッと腰を下ろした妹の若葉ちゃんが
「あ、気にしないで。お父さん、初めて会う息子の彼女に照れちゃってるだけなんだから(笑)」
とアタシの耳に手を当てて囁いた。
「照れ、てるの?」
アタシも若葉ちゃんに囁き返す。
「そうなの(笑) でも大丈夫ヨ。そういうときは簡単。こうすればいいの」
そう言って若葉ちゃんは「コホン」と小さく咳払いするといきなりこう歌いだした。
「われらが母校~♪」
するとそのとき新聞を広げて読んでいるお父さんの口からこんな声が漏れてくる。
「青葉大~♪」
そしてお父さんは読んでいた新聞紙を突然バサッと下ろすとブンブンと手を振りながら大声で歌い始めてしまう。
「紫匂う 西郊の森 夢覚めやらぬ緑が岡の~♪
霞にそびゆ我が白亜城 春光麗に日は差し染めて
常盤木の色 映ゆる~♪
われらが母校 青葉大~♪」
「あれ、これって!」
びっくりするアタシに
「フフフ、凛さんの学校の大学の校歌でしょ?」
若葉ちゃんは笑って答える。
すると
それを聞いたお父さんは
「若葉、校歌じゃないぞ!カレッジソングだ!」
と注意する。
「ハイハイ。校歌じゃなくてカレッジソングね(笑)」
若葉ちゃんは呆れるように笑ってお手上げのポーズをした。
「エ、でも、どうしてお父さんがこの歌を?」
「フフフン、それは青葉学院大学はわが母校だからさっ!」
「お父さんも青葉だったんですか?」
「ああ、そうさ。しかもっ!第53代青葉学院大学応援団長なのだっ」
そう言ってお父さんはエッヘンと胸を張った。
「すごーい!じゃあ、トオルさんの先輩ってことですね」
「ああ、そういうことだな。君も大学はそのまま青葉大に進むんだろ?」
「ハイ、そのつもりです」
「じゃあ、君も僕の後輩ってことになるな」
「先輩、よろしくお願いします」
「「ハハハ、まかしとけっ!」
「フフフ」
最初は気難しそうに見えたトオル君のお父さんは、じつはちょっと照れ屋さん、そしてとても優しい人であることがわかった。
「お父さんは大学時代の思い出がすごくありそうですね」
「ああ、楽しかったなぁー。本当に楽しい4年間だった」
「どんな思い出だか聞いてもいいですか?」
「ああ、いいよ。僕らのころは今みたいに携帯電話もなければパソコンなんていうのもなかった。ただ大学に行けばそこには必ず友達がいた」
「ウンウン」
「いうなればアナログの時代だったけど、だからこそ友達同士の思い出は多かったんだ」
「うちの親は学費だけ出して男ならあとはなんとかしろって主義だったからね。でも応援団やってたからバイトをする時間も多くは取れなくていつもピーピーしてた」
「お小遣いをくれなかったんですか?」
「ああ、そうさ。自宅通いだったから、衣食住は困らなかったけど、金がないときはよく昼メシ抜いてたな(笑)」
「エ!お昼ご飯をですか?」
「ああ。それでOBが来ると哀れに思って奢ってくれたりね。 それと、大学の横に青葉会館って施設があるだろ?」
「あ、ハイ、ありますねぇ」
「あそこの当時の社長が応援団出身でね。 結婚式が終わったあとの残飯を恵んでくれたり。あのときは豪華な残飯にみんな発狂しながら食ったっけ(笑)」
「す、すごい生活送ってたんですねー!」
「たしかに、今から思えばすごい生活だったかもね。ああ、そういえば・・・」
「エ、なんですか?」
「こんな話をしてたらフッとあるヤツを思い出したんだ。退屈かもしれないけど聞いてみるかい?」
「ぜひ!」
「当時僕は大学3年生でね。大学の団同士の交流で池袋にある聖教大学応援団のヤツラと付き合いがあったんだ。それで聖教の2つ下の学年にアー坊ってのがいてね」
「アー坊・・・さん、ですか?」
「ああ。ちゃんとした名前はなんていったけなあ。もう30年も前のことだから、あいざわ、あいだ・・・うーん、違うな。とにかく、みんなアー坊って呼んでたからね(笑)」
「フフフ。それで?」
「うん。そのアー坊ってやつとあるとき知り合ったんだけど、妙に馬があってね、僕が卒業するまでの1年ちょっとの間だったけど、ときどき2人で遊んだりしたんだ」
「へぇー。大学を超えたお付き合いだったんですねぇ」
「うん、そうだな。アイツも違う大学なのに僕のことを笹村先輩って呼んで慕ってくれてね、2人で夜遅くまでアイツのアパートで色んなことを話したっけ」
「アー坊さんはアパートで一人暮らしだったんですか?」
「うん。アイツは関西の方の出身でね。大学で東京に出てきてたんだよ。それがさ・・・(笑)」
「エ、どうしたんですか?」
「あ、いや、思い出したらつい笑っちゃってね(笑) ここからが愉快なんだ」
「わくわく(笑)」
「アー坊は、多摩川沿いのおんぼろアパートに住んでたんだけど、親からは仕送りが全くなくてね」
「エ、仕送り全然貰わないで? じゃあ、アー坊さんの家は貧乏だったんですか?」
「いや、ヤツの家もたしか親が会社を経営してるって言ってたからわりと裕福だったんじゃないかな。ただ、同じように親がわざと金を与えなかったらしい。だからいつも金がなくてピーピーだった」
「それでアイツの家に行くと2人とも金がないからね。 酒を飲んでもつまみに食うものがなくってよく困ったよ(笑) あるときなんか、2人の金を合わせても100円しかない。そこでスーパーに行って特売キャベツをまるごと1つ買ってきてそれを炒めてつまりにするんだ。 ただし、キャベツは芯までぜんぶ使う」
「芯も食べちゃうんですか?」
「そうだ。ふつう君が料理するときには芯は捨てちゃうだろ?」
「ええ、固くて食べられないし」
「そこを工夫して食べるんだ。芯は包丁で薄く切って炒める。味付けは塩と醤油だけ、胡椒なんて気の利いたものはない これがじつに美味いんだ!」
「わぁ、なんか想像したら美味しそうな感じがしてきました」
「それでもキャベツが買えるときはまだいい。 それすらも買えないときは」
「どうするんですか?」
「いよいよのときは野草を採って食うんだ」
「野草・・・ですか? でも東京に野草なんてあるんですか?」
「ハハハ、野草っていたって山菜とかそんなたいそうなもんじゃない。多摩川の土手に生えているヨモギとかツクシなんかを刈るんだよ」
「エエッ!ヨモギとかツクシ・・・ですか?」
「ああ。これが炒めて醤油で味をつけると美味いんだ。ところがあるときっ!」
「ど、どうしたんですか?」
「こういことがあったんだ」
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それは僕が大学3年の終わり頃だった。
じつはツクシというのはけっこう見つけるのが大変でね。
量をたくさん集めるとなると一苦労なんだが、僕らは土手のある場所にたくさんツクシが生えている場所を見つけて、そこによく摘みに行ってたんだ。
あるとき、親父から輸入もののウイスキーを丸々ひと瓶もらってね。
せっかくだからアー坊と一緒に飲もうと思ってやつのアパートに行ったんだ。
しかしツマミを買う金まではない。
夕暮れどき、僕とアー坊はいつものように土手に酒のつまみのツクシ狩りに出かけたんだ。
「笹村先輩、あの苅場が見つかってラッキーでしたな」
「ああ。しかしそれにしても、他の場所は点々としか生えていないのに、なんであそこだけあんなに密集してるんだろうな?」
「そうですなー。そういわれてみると・・・。まあ、何か理由があってあそこら辺だけ土が肥沃なんでっしゃろな」
「あ、アー坊。あそこだ!今日もたっぷり生えているぞおー!」
「ウヒヒ!これで今日のツマミも手に入って久しぶりの高級ウイスキーで乾杯やあー!」
そして僕らが今日のツマミを摘み始めようとしたそのとき
すると、そこに向こうの方からテケテケテケと3匹ばかりのダックスフンド犬が飼い主を引っ張ってやってきてね。
「ワン!ワン!」「ワン!ワン!」
彼ら三匹は僕とアー坊に向かってやおら吠えだしたんだ。
「なんだ?俺たち犬に吠えられるような怪しい人物に見えるのかな?」
「さあー?厳つい笹村先輩はともかく、僕はソフトなイメージで有名なんですがなあ」
「ったく、アー坊はよく言うぜ(笑)」
すると、その3匹の犬の手綱を持った品の良さそうなおばあさん
「すみませんねえ。ちょっとよろしいですか?」
彼女はそう言ってちょうど僕らのツマミの苅場のあたりに犬を連れて行ったんだ。
そしてその三匹は辺りを
「クン、クン、クン」
と匂いを嗅ぐ。
「なんでっしゃろなあ?」
「さあ?」
「まさか、今日の僕らのツマミがこいつらに食ってしまわれるんやないですか?」
「まさか(笑) 犬がツクシを食うなんて聞いたことがねーよ」
僕とアー坊がそう話しているそのときだった!!
三匹の犬がすぅっと後ろの片足を上げたかと思うと
「シャアアーーーーーーー・・・・・・」
と三匹揃っておしっこしやがったんだ。
そしてその飼い主の品の良さそうなおばあさんはニコニコとした顔でその犬たちを見て
「オホホホ。まったくこの子たちはこの場所じゃないとおしっこしたがらないんだから困っちゃうわあ」
僕とアー坊はその姿を見て真っ青さ。
「ま、まさか・・・この場所だけやけにツクシの育ちがいいのは・・・・」
「て、天然肥料・・・・」
「ウゲエエエーーーーーーー!!!」
僕もアー坊も今までそこのツクシの炒め物をたっぷり食ってきたからね。
それで、それを思い出しちゃってね。しばらくは2人とも野菜が食べられなかったんだよ(笑)
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「クスクスクスーーーー」
アタシはその話に口を押さえて笑った。
そのときのお父さんとアー坊さんの姿を思い浮かべるとしばらくその笑いが収まりそうもなかった。
「アハハ。それでも楽しかったなぁー。本当に毎日がキラキラとしていた」
「そうやって話しているお父さんの顔って今もキラキラしていますヨ」
「ハハハ、じゃあ自信持っていいんだな。いいかい?どんなにお金があっても買えないもの、それは時間だ。 君たちは今その時間を一番贅沢使えるときだ。だからこそ一瞬一瞬を大切にしてほしい。いろんな経験をして、自分と違う意見をたくさん聞いて。そうすれば大人になったときもきっと輝ける」
「ハイ!」
すると、そのとき今まで黙って話を聞いていた妹の若葉ちゃんが
「へぇー、珍しいんだあ」
「そう言ってニヤッと笑った。
「なにがだ?」
お父さんがそう尋ねる。
「だって、お父さんって初めて会う女の子にはいつもムスっとしてるのに(笑) 凛さんにはなにかシンパシーを感じちゃったのかなあ?」
「ウーン、なんて言うんだろうな。彼女は人の話をとても真剣に聞いてくれる。だから話すほうも聞いて欲しいと思ってくる。そういうことじゃないかな」
第一印象は厳しそうな感じのトオル君のお父さん
でも、じつはとても優しい人だってわかった。
そして、お父さんにもアタシたちと同じように、お父さんの青春時代があったんだって。
「そういえば、凛ちゃんのおうちはスーパーマーケットを経営してるんだって?」
お父さんが目の前にある紅茶を一口飲んでアタシにそう尋ねた。
「あ、ハイ。サトーヨーカドとかマイエーみたいにたくさんはないですけど」
「なんていうお店だい?」
「ウエルマートっていうチェーン店なんです。 でも首都圏に20店舗くらいしかないからきっとご存知ないと思います」
「いや、知ってるよ。そうか、ウエルマートさんかあ」
「父をご存知なんですか?」
「いや、直接は知らないよ。 うちの会社は輸入食品も扱っているからね。ウエルマートは、とても堅実で消費者の立場を考えた経営で業界でも注目されている。そうかあ、あの小谷さんの娘さんかあ!」
意外なところに繋がりというものがあるもんだ。
「さあ、さあ。そろそろお昼ご飯にしましょう」
キッチンにいたトオル君のお母さんがそう言って出てきた。
「あ、すみません!アタシ、なんのお手伝いもしなくて」
「いいのよ。凛さんはお客様なんだから。今日はゆっくりお父さんの話し相手でもしてあげて」
「ね、凛さん。今日のお昼はお庭でバーベキューだヨ」
そう言って妹の若葉ちゃんがお皿を運ぶ。
とりあえずアタシも食器の用意をする手伝いをして綺麗な花壇のある庭に出た。
「わぁ、広いお庭ですねー」
トオル君の家は門を潜って玄関までの間がかなり広い庭になっている。
アタシ家は正面の庭の他に家の裏手に本庭があるがこれほどの大きさはない。
庭のところどころに手作りと思われる花壇が作られていて、そこには色とりどりの花が咲いている。
どの花もよく手入れされている感じで、きっとトオル君のお母さんが大切に育てているのだろう。
その庭の奥の方にレンガが積み上げられたバーベキューコンロがある。
お父さんとトオル君はその横に木製の折りたたみテーブルを出して椅子を並べた。
「すごい!お家でよくバーベキューされるんですか?」
アタシが、テーブルを組み立てているお父さんにそう聞くと
「ああ、昔はよくやったなあ。今は透も若葉も大きくなったから久しぶりだけど」
と嬉しそうに答えた。
そしてコンロの中の木炭に火がつけられ、その上の金網に串に刺したお肉や野菜が並べられた。
お肉から滴り落ちる油がジュゥジュゥと美味しそうな音を立てる。
そういえば、アタシがまだ哲だったころ
まだ悟が小さかった小学生のとき、ときどき父親とキャンプに行ったことがあった。
2人で薪に火をつけて、そこに飯盒や釣ってきた鮎を並べてご飯を作った。
大学時代は山岳部だった父親は、自分の息子ができたら一緒にこうやってキャンプに行くのが夢だったらしい。
ウチは元々戦前は金物屋をやっていたらしい。
アタシの曾お祖父さんに当たる人は戦争中の空襲で亡くなったが、その息子にあたる(つまりアタシのお祖父さん)が戦後焼け野原になった土地のいくつかを買ってそこで食品雑貨店を開く。
そのお店は次第に大きくなり、まだ土地の値段がとても安かった頃大きな敷地を買いそこに移転してアメリカ式のスーパーマーケットのハシリみたいなものを始める。
それがウエルマートのスタート。
そしてその後それほどの拡大経営をしなかったため大手スーパーのようにお店の数は多くはならなかったが、堅実な経営で地元の人に支持されて、大手スーパーが進出した時もお客はそれほど逃げず逆にその大手スーパーのほうが程なくして撤退してしまったそうだ。
お祖父さんの代には5店舗ほどだったウエルマートは、今から10年ほど前に父親が社長になると次第に店舗を拡大していて現在はスーパー20店舗、そしてコンビニチェーン30店舗で従業員も700名以上になっていた。
そのため3歳年下の悟がちょうど小学校にあがった頃、父親は社長としてかなり忙しく動くようになり、悟とそういう機会をもてなかったことが心残りだと話していた。
美味しいお肉をほおばりながら楽しい昼食は進んでいった。
お父さんとトオル君はビールを美味しそうに飲んでいる。
そしてアタシが空になったお父さんのコップに
「あ、おつぎします」
と言ってビールを注ぎ入れたとき
「凛さんもビール飲んでみるかい?」
お父さんがちょっと悪戯そうな顔でそう言った。
「ダメですよ。凛さんはまだ高校生なんですから」
お母さんがそう嗜めると、お父さんは笑いながら
「そうか。そうだったなあ」
と言う。
じつはアタシもお酒というものは飲んだことがないわけではない。
まだアタシが哲として生活していた頃、ウチの父親にふざけて一口飲ませられたことがあった。
正直言ってそのときの感想は
「にがぁぁ~~~~~~~!」
こんなものを父が美味しそうに飲むのが信じられなかった。
「あの、ビールって・・・美味しいですか?」
アタシはお父さんにそう尋ねた。
「ああ、美味い」
「でも、苦いでしょ?」
「ハハハ、この苦さが美味いのさ」
そう言ってアタシの注いだコップの中のビールを一気に飲み干すと
「ああ、最高だ!」
と言って目を細めた。
するとそのとき
「あれ、そういえば・・・」
フッとお父さんはそう言葉を漏らす。
「なあ、前にもこんなことってなかったか?」
お父さんはアタシの隣に座っているトオル君にそう尋ねる。
「エ、こんなこと?前にってどれくらい?」
トオル君はちょっと不思議そうな顔で聞き返した。
「ああ、エット、かなり前だな。オマエが小学生の頃だよ」
そしてちょっと考えるように顎に指を当てると
「ああ、思い出した!」
そう言ってポンと手を打つ。
「ほら、あの子が来たときだ。オマエが公園で見つけた迷子の男の子」
そう言うとトオル君も
「ああ、そういえば!アイツのときもこうやって夕飯でバーベキューやったっけ」
と思い出したように言った。
「あの子って?」
アタシがトオル君にそう尋ねる。
「ほら、凛にも話したろ?オレが小3のとき公園で偶然会った男の子のころ」
「ああ!あの『幻の少年』?」
「そうそう」
「そうだ。思い出したぞ。あの日、透があの子と家で食パン食って寝ていて、それで帰ったら見知らぬ子がいてみんなびっくりしたんだっけ。それで警察に電話してその子の母親が引き取りに来るまでウチで夕飯食べたりお風呂入ったりしたんだ」
お父さんは懐かしむようにそう話し始めた。
「なあ、親父。その子の名前って何ていったっけ?」
トオル君がお父さんにそう聞いたが
お父さんも
「ああ、なんて言ったっけなあ・・・」
とよく覚えていない。
そのとき若葉ちゃんが
「あれ? お兄ちゃん。その子から何回か手紙来てたじゃん」
と言ってきた。
「いや、だからその手紙が見つからなくなっちゃったんだよ」
「エ、でもアタシこの前見たヨ」
「見たって、それどこで?」
「えッとね、お兄ちゃんが隠してる秘蔵の本の間で」
すると
若葉ちゃんがそう言うとトオル君は急に慌てたように吃りだした。
「オッ、オマエッ!それっ!隠しておいたのにっ!」
アタシは若葉ちゃんに尋ねた。
「ね、若葉ちゃん。秘蔵の本って?」
若葉ちゃんはニヤッと笑って答える。
「お兄ちゃん秘蔵のエ・ロ・ホ・ン(笑)」
それを聞きアタシは一瞬ポカーンとした後笑い出してしまった。
「プ、プププーーー!そ、それは確かに秘蔵の本だね!」
トオル君は隣でバツの悪そうな顔をしている。
へぇ、トオル君もやっぱりそういうの読むんだぁ
そりゃ、まあそうだよね
男の子なんだし
でも・・・秘蔵のエロ本って・・・爆笑
クスクスーークスクスーーー
アタシはつい下を向いて笑いが止まらくなる。
トオル君はそんなアタシにかける言葉が見つからずチラチラと見ていた。
「ね、ねぇ、トオル君」
「ん?なに?」
アタシが声をかけるとちょっと拗ねたように答えるカレ
「その幻の少年からきた手紙、どんなことが書いてあったの?」
「ああ、そういやそうだな。ちょっと持ってくるから」
そう言ってカレは足早に家の中に入っていった。
「お兄ちゃん、逃げたな(笑) ね、ああやって自分が拙くなると逃げちゃう時あるんだから。凛さん、気をつけて」
そう言って若葉ちゃんが笑い出す。
「アハハ、ウン、気をつけるわ」
それにしてもアタシと若葉ちゃん
けっこう気が合う。
可愛い感じの素敵な笑顔の中にちょっと悪戯っぽい目
気さくな性格
でも、アタシより1つ年下だけど、しっかりした感じでどこかお姉さんっぽい雰囲気を持っている
玄関で初めて彼女を見たとき、誰かに似ているって思ってたけど
今わかった!
そう、彼女はどこか久美ちゃんに感じが似ている気がするのだ。
アタシには弟しかいないけど、姉妹がいたらこういう娘ならきっといいだろうな
そういう感じの娘なのだ。
そんなことを考えていたとき、バタバタと歩く音がして家の中からトオル君が戻ってくる。
ちょっと慌てた様子
多分、自分がいないうちに好き勝手言われないように焦って手紙を見つけて戻ってきたのだろう(笑)
すると
トオル君はアタシの顔を見るなり
「いやあー、びっくりしたよ!」
と言ってきた。
「フフフ、アタシたち何も言ってないヨ」
「あ、いや。違うんだ。この手紙の住所見てびっくりしたんだ」
「エ、その子の住所?どこだったの?」
「それがさ、多分凛の家のすぐ近くだと思うんだ」
「エ!そうなの?」
「ああ。ほら、これってそうだろ?」
そう言ってトオル君はかなり古くなりちょっと黄ばんだ封筒をアタシに渡してくれた。
住所を見ると、なるほど・・・
すぐ近くというよりも同じ町内だろう
そしてアタシはその横に書かれた名前を見てもっと驚く
そこには小学校2年生のたどたどしい字であったが、たしかに
『鮎川 渡』
と書かれていたのだ。
エエエーーーーーーーーッッ!!
手紙を持った右手がカタカタと小さく震え始める。
アタシの様子に周りのトオル君もみんなも不思議そうな顔をした。
「どうしたんだ?凛」
「ア、アタシ・・・アタシ・・・この子のこと・・・知ってる」
「エエッ!!」
「凛さんの知り合いかね?」
お父さんはアタシに尋ねた。
「知り合いっていうか・・・小さい頃、アタシがまだ小2くらいのころクラスメートで何回か遊んだことがったんです」
「ほぅ、よかったら、詳しく聞いてもいいかな?」
「ええ」
アタシは幼馴染の久美ちゃんと家の近所の公園で遊んでいたとき偶然出会ったこと
そして彼がじつは自分たちと同じクラスの一員だったが、病気がちでほとんど学校に来ず、みんなから忘れられていた存在であったこと
などを話した。
しかし、さすがに彼の本当の姿、つまりその後中3になってアタシの前に現われた彼については話せない。
話の一部始終を聞いたお父さんは興味深そうに頷いた。
「そうかあ。まさかそんな繋がりがあったとは・・・奇遇というか。それで、その鮎川君は今も君の家の近所に住んでるのかな?」
「あ、いえ・・・」
「どっかに引っ越しちゃったのか?」
トオル君がそう尋ねた。
「彼はね・・・亡くなったの。小3のときに」
「エッッ!!そ、そうだったのか・・・」
「ウン・・・。元々身体が弱かったらしくてね。ご両親も本人も長くは生きられないってことがわかってたみたいで・・・」
「そう、かあ・・・。アイツ・・・」
「ねぇ、アタシ、その手紙読んでもいい?」
「ああ、いいよ」
トオル君が渡してくれた手紙を手に取り、アタシは2年ぶりにワタルの温もりに触れた。
ワタルの好きだった色
薄いブルーに当時男の子の間で流行していたアニメの絵が端に書かれたその便箋にはこう書かれていた。
とおるくん
あのときはぼくのことを助けてくれて本当にありがとう
ぼくはとおるくんと遊べてとてもうれしかったです。
ぼくは体が弱くてあまり外で遊べないから
あんなに遊べたことはとてもいい思い出になりました。
とおるくんは元気でうらやましいな。
じつはこの前ぼくにも友だちが2人できました。
2人とも女の子です。
とてもやさしくてかわいいので
もしこんどとおるくんに会えたらそのとききっとしょうかいするね。
おじさんとおばさんとわかばちゃんにもぼくがありがとうって言ってたって言っておいてください。
それじゃあまたね。
鮎川 渡
アタシはその手紙を読んでいる途中ひとつ不思議なことに気づいた。
友だちが2人できたっていうのは、間違いなくアタシと久美ちゃんのことだ。
でも、「2人とも女の子」って・・・
どうして?
だって、あの頃アタシはまだ哲だったはずなのに
ハッ!!
そのときアタシは久美ちゃんが前に言った言葉をフッと思い出した。
「彼はなんでアンタのことを『アイツ』じゃなくて『あのコ』って表現したんだろうなって思わない?」
「鮎川君が凛のことを最初から女のコだってわかってた?」
まさか・・・
だって・・・
でもこの手紙の内容はそうとしか考えられなかった。
じゃあ、彼は・・本当にアタシの未来を・・・
「なあ、もしかして、手紙の中に出てくる2人の女の子って・・・」
「ウン、多分・・・アタシと久美ちゃんのことだと思う」
すると
それまでじっと話を聞いていたお父さんがぽつんとこんなことを話し始めた。
「そういえば・・・」
「あのとき、こうやってこの場所でバーベキューをやってたんだ」
「え、ええ」
「渡君はあのときも、自分の身体が弱いことを言っていた。そして自分がもっと強かったらよかったって僕に話したんだ」
「彼がそんなことを?」
「ああ。僕は彼に言ったんだ。身体を強くすることも大切だけど、一番大切なのは心を強くすることだよってね。心の強い人間が本当は一番強いんだよって。小2には難しい話だったのかもしれないけど、彼は僕の話をじっと聞いてたな。そして聞いてきたんだ」
「なんて聞いたんですか?」
「おじさん、心を強くするにはどうすればいいの?ってね」
「それで僕は答えた。君が世の中で一番大切だと思うことについて勉強しなさい。どんなことでもいい。ひとつだけでもいい。好きなことを一生懸命勉強しなさい、って」
「そうかあ、それで・・・」
2度目に石川 渉としてこの世に現れたとき、ワタルはきっとお父さんのその言葉を覚えていたのだろう。
それで彼は歴史を一生懸命勉強していたのかもしれない。
「でもさ、俺はもしかしたら本当にヤツに凛を紹介してもらったのかもしれないな」
トオル君はフッとそう呟いた。
そう
そうかもしれない
アタシとトオル君は彼に導かれたのかもしれない
ねえ、ワタル・・・
君は一体誰なの?




