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第27話 危険な香り

10月

夏が終わりを告げつつも少し生暖かい風の香りが残っている季節


学校を辞める辞めないとさんざんドタバタ劇を演じたみーちゃんもようやく落ち着きを取り戻し、最近では土日の芸能活動も次第に板についてきて週末芸能人として活躍の幅を広げてきた。

TVでもドラマだけでなくCMでもみーちゃんの姿を頻繁に見るようになり、その知名度はますます高まっている。


彼女の外面の良さは天下一品だ。

学校の中ではサバンナを闊歩するマウンテンゴリラのように雄々しく駆け回っているが、一歩外に出ればお淑やかなお嬢様を演じ、イギリス系のクオーターでお人形のような容姿もあって最近では「お嫁さんにしたい若手女優のベスト3にまで入っているらしいというから驚きだ。


事務所が彼女に付けたキャッチフレーズが、なんと『天使の微笑み☆佐倉 美由紀』だとか。

しかし彼女の真の姿を知るアタシたちからすれば『悪魔の雄叫び』じゃないの?と疑いたくなる(笑)


そんなみーちゃんがある土曜日に電話をかけてきた。

「あ、凛?じつはちょっとしたお願いがあるんだけどなぁ」

この前置きだけですでにアタシは不気味な気配を感じてしまう。


「エ、お願い? な、なにかなぁ?」

「そんな警戒しないでヨ(笑)」


「だってさ、みーちゃんからそんな改まって言われると、また何かしでかしたんじゃないかって思って…」

「アハハ、まあアンタらにはさんざん迷惑かけたからそう思うのは無理ないけどさ」


(よくわかっていらっしゃる)


「でも今回はそうじゃないのヨ」


(『今回は』っていう時点ですでに警戒水域だヨ)


「あのさ、じつは来週の日曜日と祭日の月曜日に湘南でTVの撮影をやるんだけど、一緒に出演予定だったエキストラの女のコ2人が急に来れなくなっちゃってさ、それでアンタとミコにお願いできないかなって思ってね」

「エキストラ?それってアタシたちもTVに出るってこと?」


「そういうこと。もちろんメインはアタシと日向咲ちゃんと水谷麻子ちゃんの3人なんだけど、ビーチバレーをするシーンがあるの。それでそこに女のコ3人混ざってもらう予定だったんだけどね、2人が来れなくなっちゃったわけ」


あとの2人はアタシもよくTVで見る知った名前だ。

みーちゃんよりも前にデビューし、すでにかなり有名な若手女優とアイドルタレントとして活躍している。


「10月にビーチバレー!?」

「まあ、そういうことヨ。もちろん事務所からアルバイト代も出るから」


「ウーーーーーン…」

「ね、お願い」


まあ、TVの仕事っていうのもそれなりに興味あるんだけど…。

聞くとすでにミコの方にも電話をして了承をもらったという。

スケジュールとしては土曜日にトオル君と会うことになっているけど、日曜日は何も予定はなかった。


「そうだねぇ…。まあ、ミコが一緒なら」

アタシがそこまで言いかけると

「ああ、よかった!じゃあ、日曜日の朝にうちの事務所前に集合ね。よろしくーーー!」

と言って勝手にガチャっと切ってしまった。





そして日曜日の朝

アタシとミコは渋谷にあるスターダストプロの事務所へと向かった。


「やあ、久しぶりですね」

そこには前田さんの姿もある。

前田さんはいつものように優しい笑顔でアタシたちを迎えてくれた。


「このたびは急なお願いをしてしまって申し訳ありませんね」

前田さんはアタシとミコに丁寧に詫びた。


「あ、いえ。アタシたちもいい経験させてもらってすみません」

さすが大人のミコはそんなふうに言葉を返すと


アタシたちの横でみーちゃんが

「そう、何事も経験だよネッ!」

とケタケタと笑う。


そんなみーちゃんにミコは

「まったくアンタはっ!」

と脇を肘で小突いて「メッ!」という顔をするがノー天気なみーちゃんは動じない。


そうしているうちに日向咲ちゃんと水谷麻子ちゃんもやって来て前田さんの紹介でお互い挨拶をした。

2人は芸能人という外見に似合わず気さくで、アタシたちにもごく普通に話してくれとても好印象だ。


「TVでよく見てますヨ」

アタシが日向さんにそう言うと


「わぁ、ありがとぉ。嬉しいなぁー」

と言ってニコッと微笑んでくれた。

さすが芸能人!

その微笑みは同性のアタシたちでさえクラッとさせてしまう。


「フフフ、でもじつはアタシもアナタたちのこと知ってるんだヨ」

日向さんは微笑みながらそう言った。


「エ、なんでですか?あ、みーちゃんが話したとか?」

「ウウン。ほら、ディズニーランドのCMで。佐倉さんと一緒に出てたでしょ?」

「あー、そっかぁ(笑)」


「でも意外だったなぁ」

アタシの方を見ながら日向さんはフッとそう呟いた。

「意外って、何がですか?」

「アタシ、アナタも佐倉さんと一緒にデビューするって思ったから。 断ったんでしょ?前田さんのお誘い」


「エ、エエ…」

「もったいないなぁ(笑)前田さん、がっかりしたでしょ?」

「どうかなぁ(笑)」


「フフフ、じつはあのCMで事務所に問い合わせがかなりあったらしいヨ」

「問い合わせですか?」

「ウン。そしたら、アナタが出演した女のコの中で一番問い合わせが多かったって」


「エエー!信じられないなぁ(笑)」

「そうかな?アタシはわかるような気がするけどな」


「そんな…、アタシなんて」

「アタシなんて?どうしてそんなふうに思っちゃうのかなあ?」


何て返事したらいいか戸惑うアタシに彼女はさらにこう続けた。

「アタシは自分に自信を持つのは悪いことじゃないって思うな。そうすれば自分の世界がもっと広がるかもしれないわヨ。少なくともアタシたち芸能人はそうでないとやっていけないしね(笑)」

そう言って彼女はニコッと笑った。


「さあ、そろそろ出発しましょう!」

全員揃ったのを確認して前田さんが合図の掛け声をした。

そしてアタシたち女のコ5人と前田さんをはじめとしたスターダストプロのメンバーは3台の車に便乗し目的地湘南海岸へと向かうのであった。



夏が終わった湘南海岸は人影はまばらだ。

それでもこの海岸が他の海岸と違うのは夏を過ぎても少しだけ、ずっと夏の頃の空気をいつも漂わせているところ。

ふわっっとした潮の香りが鼻をくすぐり、そして何組かのカップルやサーフィンを楽しむ人たちが砂浜に腰を下ろし楽しそうに話をしている。

10月とはいえ今日は特に天気が良く少し暑さを感じるくらい太陽が照りつけている。


「わぁー、なんか貸し切り状態みたい!」

アタシとミコは上にある駐車場に車を止めるとさっそく車を降りて砂浜に降りてみる。

「ねー、みーちゃんたちも車を出てみたら?気持ちいいヨ」

アタシは車に戻って中にいる3人にそう言っても、3人はなぜか降りてくる気配はない。


「出たいのはやまやまなんだけどさ。アタシたちがいきなり現れちゃうと大騒ぎになっちゃうでしょ?」

みーちゃんはそう言って「ほぅっ」とため息をつく。


(ああ、そっか)

よく考えてみればそうだよね。

みーちゃんたち3人はすでにTVなどでかなり知名度が高くなっている人気アイドル。

そんなのがいきなり海岸に出現したらそりゃ周りにいる人たちはびっくりして大騒ぎになる。


「ハハハ、小谷さん、もう少し待っててください。今から準備をしますので」

前田さんが笑いながらアタシにそう言う。


「準備、ですか?」

「ええ。すでに警察には撮影のための海岸使用の許可はもらってあるので、これから使用する一帯に柵を作って関係者以外入ってこないようにするんです。それからガードマンの方たちも今到着したので配置に着いてもらいます」

「へぇー、TVの撮影ってそんな準備があるんだあー!」

アタシもミコも普段は見たこともない世界に興味津々になっている。


前田さんの指示で事務所とTV局の関係者20人くらいが一気に動き出す。

まず砂浜に杭を打ちそこにロープを張って告知板を数か所立てた。

次にその中に大きなテントを2つほど張る。ここはきっと関係者の休息所なのだろう。

そしてビーチバレー用のネットを立て、ポイントに数台のTVカメラの機材がセットされていく。


あれよあれよという間に立派なセットが出来上がっていった。

アタシとミコはその手際の良さに見とれている。

アタシたちが学校で文化祭の準備をしているようなイメージだけど、スピードと正確さはさすが本職という感じだ。

しばらくして一通りの準備が終わり、そして要所要所に5人ほどのガードマンが立った。


この様子を見ていた周りの人たちは「なんだ、なんだ?」tばかりに次第に集まってきた。


そして前田さんはそうした人たちにマイクを使って挨拶を行う。

「お騒がせして申し訳ございません。ただいまより約4時間、柵で囲った場所をTV撮影に使用させていただきます。何卒ご協力のほどお願いいたします」


「へぇー、TV撮影だってさ!」

「誰が来るんだろう?」

「楽しみー!」

観衆は観衆を呼び、そしてわずか15分ほどの間に柵を取り囲む人たちは数百人にもなってしまった。


「す、すごい人数…」

アタシとミコは予想外のこの事態にびっくりだ。


「あの、前田さん。たしかビーチバレーは20分だってみーちゃんが言ってましたけど」

ミコが不思議そうに前田さんに尋ねると

「ええ、そうです。君たちはこの世界に入りませんでしたが、これはいい経験です。良く知っておいてくださいね。我々はわずか20分の番組を制作するのに4時間をかけるのです。そうやって何度もリハーサルをやって20分の内容に煮詰めていくんですよ。」

前田さんはアタシたちにそう丁寧に説明してくれた。


そして、すべての準備が整うといよいよみーちゃんたち主役の登場だ。

3人はマネージャーや関係者に囲まれてゆっくりと車から出てきた。


「おい、あれって佐倉 美由紀じゃねーの!?」

「ほんとだっ!日向咲と水谷麻子もいるぜ!」

周りから一気に「わぁー!」っと歓声が上がる。


みーちゃんたち3人は大勢のファンに取り囲まれてもみくちゃにされながら、それを早足で抜けると柵の中にあるテントへと身を滑り込ませる。


「わぁ、みーちゃん、かわいいー!」

「みーちゃぁーん!」

そこかしこからそんな声が上がり、みーちゃんは少し照れたようにニコッと微笑み、小さく手を振ってそれに応えている。

その姿はアタシたちの知っている普段のみーちゃんとはまったく別の、芸能人佐倉美由紀だった。


アタシとミコはその姿にただただ見とれているだけ。

「すごい人気だねぇ、みーちゃん」

「ウン、アタシもびっくり。普段マウンテンゴリラみたいに雄叫びあげているあの娘がこんなふうに変わっちゃうんだねー」


「さあ、それじゃ君たちも隣のテントに入ってください」

前田さんがアタシとミコに声をかける。


そしてそれから間もなく再び周囲の大きな歓声があがる。

それは今日のビーチバレーの試合の相手である最近売り出し中の男性お笑いタレントの『ブレーメン』の3人組が到着したときだった。


テントで、みーちゃんたちアイドルと一緒にアタシとミコも3人を紹介され挨拶をする。

「こちらは小谷凜さんと藤本美子さん。佐倉さんの学校の友達で、今日は無理にお願いして出演してもらっているんです」

前田さんがそう言ってアタシとミコを紹介してくれると

「そうでっかあ。ボクは高木健太いいます。今日はよろしゅう」

3人のうち一番背が高い、良く日焼けをした男の人がニコッと微笑んでそう挨拶した。


(あれ、なんかこの人って…ワタルに感じが似てるな)

大阪弁、見上げるような身長、そして笑った時の感じ、その人はどこかワタルを思い出させるような雰囲気だった。


「さあ、それじゃあ皆さん、準備をしてください」

そしてアタシたちはテントの奥に作られた幕の中で水着に着替える。

みーちゃんたちアイドル3人はわりと大胆なビキニタイプ、そしてアタシとミコは薄いピンクのワンピースの水着が用意されていた。


そしていよいよ番組が始まった。

司会役のTV局の女性アナウンサーがみーちゃんたちアイドル3人にインタビューが行われる。


「えー、今日はここ湘南海岸で大人気女性アイドルの3人とお笑いトリオブレーメンをお迎えしてビーチバレーの試合が行われます。それではインタビューをしてみましょう」

アナウンサーはまず初めにみーちゃんにマイクを向けた。

「それではまず、佐倉美由紀さんです」

「こんにちわー」

みーちゃんはここ一番の営業スマイルでニコッと微笑み周囲の男どもを虜にしてしまう。


「佐倉さんは学校でチアリーディング部に入っていらっしゃるそうですが、バレーもさぞや得意なのではないですか?」

「あ、いえ(笑)アタシ、バレー、ホント苦手なんですヨー。玉がくるときゃぁって逃げ回っちゃう感じで(笑)」

そう言ってみーちゃんは照れ笑いをする。


「よーく言うわ(笑)みーったらバレーボール大会の時は弾丸サーブの女王って恐れられてたくせに」

ミコはそう言って首をすくめて囁く。

「ア、アハハ。まあ、今は芸能人みーちゃんだから」

そう言ってアタシは苦笑い。


そうこういっている間にインタビューも終わり、ピィィィーーーーーー!というホイッスルの合図でいよいよ試合が始まった。


試合は女性アイドル3人とアタシとミコを入れたエキストラ3人の6人に対し、相手はブレーメンの3人に男性エキストラ3人を加えた6人。

一応ハンディとして男性側はアタックのときは左手で打つことになっている。1セットマッチで先に15点を取ったほうが勝ちだ。


わぁ、わぁきゃぁ、きゃぁと歓声が上がる中試合は進みむ。

装う必要のないアタシとミコはけっこう真剣だ。

そして最後は、飛んできたボールをアタシがすくい、それをミコがトスしてみーちゃんがつい本気を出してアタック!


パシッ!


鋭い音とともにはじかれたボールは綺麗に相手コートの左端に決まった。


「よっしゃー!」

とついてマウンテンポーズをとってしまうみーちゃん

しかしその後すぐに

「あら、いやだ。アタシったら(笑)」

とまた装いモードに入ってしまうとこがみーちゃんらしい(笑)


試合が終わるとアタシたちはみんなけこう汗びっしょり。

そこに身体を撫でる少し冷たい秋の風がとても気持ちいい。


アタシが汗の浸る身体にタオルを当てていると、そこにさっき挨拶したブレーメンの高木さんが寄ってきて

「いい汗かいたわあー」

と笑顔で声をかけてきた。


「ホントですねー。アタシもこんな気持ちいいのって久しぶりです」

「凛ちゃんたちは佐倉さんの友達なんやて?」


初めて会う男の人、しかもいつもTVの中で見ている有名人にいきなりファーストネームで呼ばれてなんかこそばゆい(笑)


「あ、ハイ。1年生のときからアタシとミコとみーちゃんの3人でいつも一緒だったんですヨ」

「そうなんやあ。女同士の友達てもっとあっさりした感じかて思っとった」

「そういうのもあるかもしれないけど、ホントに大切な友達はやっぱりずっと仲がいいんじゃないかなあ」

「そっか(笑)ほんなら、そういう大切な友達に出会えたことはホンマラッキーやったな」


そう言って見せた優しそうな高木さんの笑顔にアタシもなぜか素直な気持ちになって

「ウン!」

と返事をしてしまう。

すると高木さんは

「おおっっ!」

とちょっと驚いたような顔をした。


「え、なんですか?」

「あ、いや。あんな、今の凜ちゃんの笑顔がすごく眩しかったもんで、つい引き込まれそうになったわ(笑)」


その言葉にアタシは顔を真っ赤にしてしまう。

「や、やだなぁー!芸能人の人はホント言葉が上手いですね(笑)」

しかしそう言って誤魔化そうとすればするほどアタシの顔は上気していく。

アタシはこのときまるで魔法にでもかかったかのように、不思議な気持ちになっていた。


そんなとき少し離れたところににいるミコを方をフッと見ると彼女はなぜか怪訝そうな顔でアタシの方を見ている。

たしかにミコは時々固いところもあるけど、いつものミコならアタシが芸能人と話をしたくらいで不快な顔をしたりはしない。

アタシは、なぜだかわからないけど、どこかやましいような気持ちが湧き上がってきて、ついミコから視線をそらしてしまった。



「さあ、後片づけが終わったぞー!」

スタッフの人たちが現場の整理を終わり、そしてようやく撮影終了となった。

フッと時計を見ると時間はもう4時だ。

そういえばお昼ご飯に車の中でサンドイッチを食べたきり、しかもビーチバレーをやっていたせいでお腹がぺこぺこだった。


「それじゃ、旅館に向かいましょう」


明日は日陰茶屋での撮影が予定されていて、今日はみんなで近くの旅館にお泊りの予定。


こうして総勢20人の一行のうちみーちゃんたち女性アイドル3人とブレーメンの3人は2台の車に分かれ、そしてアタシとミコ、スタッフは用意されたバスに便乗して目的地へと向かった。




葉山マリーナからほど近い趣のある一軒の日本旅館、そこが今日の宿泊場所だ。


中は純日本風で大きなお風呂まであった。

アイドル3人とアタシとミコ、そして今回唯一の女性スタッフでみーちゃんのマネージャー若木さんの6人はさっそくその大浴場で汗を流すことにした。


「わぁー、檜のお風呂なんて初めてー!」

「すごいねー。いい匂いがする」

窓の向こうには海が見える素晴らしい景色だ。


そんなとき

「凜ちゃんって着やせして見えるけどけっこう胸大きいのねー!」

と話しかけてきたのはみーちゃんのマネージャーの若木さんだった。


彼女は、以前の男のマネージャーの水谷さんから例の一件で交代してみーちゃんのマネージャーになった。

現在25歳、わりと年齢が近いこともあってみーちゃんとは上手くやっているらしい。

みーちゃんは仕事以外でも彼女に色々な相談をしている。

そしてアタシやミコもみーちゃんに彼女を紹介されて以来けっこう仲良くさせてもらっていて、アタシたちにとって良いお姉さんという存在だ。


「えへへー、そうかなあ」

若木さんの言葉に照れながら自分の胸に手を当てる。


中2の夏に初潮を迎えてから次第に女としての特徴を示し始めたアタシの身体。

高校に入るとお尻はまん丸と膨らみがはっきりし、胸は徐々にブラをサイズを変えていく。

そして今ではCカップまでに成長してしまったのである。


「凛ちゃんは、彼氏がいるんだっけ?」

「あ、ハイ。同じ高校の先輩だった人です」

「そっかあ、じゃあ、彼氏さんもけっこう我慢してるんじゃない?」


「我慢って?」

「正常な男子ならいつも考えている・こ・と(笑)」

彼女はそう言ってアタシの乳首の先を指で軽くつつく。

「あ…」


そっか

考えてみればそうなのかもしれない

ううん、きっとそうなんだろう。


付き合いはじめてちょうど7か月が経った。

アタシとトオル君は3か月ほど前にはじめてキスをした。


アタシはキスをするときカレに抱きしめられている感じがとても好きだ。

温かくって、そしてカレの胸に自分の頭を埋めているとトクトクと小さな鼓動が聞こえる。

その鼓動を聞いているとまるで音楽を聞いているように身体がフワフワとした気分になれる。


しかし、男の人はきっとそれだけじゃ済まないだろうとも思っていた。

ただ乏しい性についての知識の中で、流されてしまう自分が怖かったりもしていた。


「あの、若木さんは…」

アタシは適切な言葉が見つからずに口ごもってしまう。


「アタシは、なにかしら?」

「若木さんは…付き合ってる人っているんですか?」

「ああ、ウン。いるわヨ。若干1名ね(笑)」


「その人とは、その…」

そこから先がさらに適切な言葉が見つからない。

すると彼女はズバッとこう答えた。

「セックス?」


「え、あ、エット…」

「アハハ。だよね?」

「まあ、ウン…」


「ウン、してるヨ。モチロン」

「やっぱり?そう、ですよね」

「そりゃ、アタシだって健康な女性だしね。してほしいって思うし」


「してほしいって、若木さんが思ったりするの?」

アタシは高まる胸の鼓動を押えながら意外な展開になった若木さんの話に聞き入ってしまう。


「ウン、思うわね。これはアナタたちにとってもそう遠い話じゃないと思うな。ただ…」

「ただ?」

「自分自身がそうなりたいって思うまで、そうしないほうがいいってアタシは思う」


「女のコから?」

「ウン、そうね。女のコが、この人とならそうなりたいって思うまで。それまでゆっくりと時間をかけてでも相手の気持ちを見ておくことをお勧めるわ」


「そっかあ…」

「女のコの場合、どんなに注意したとしても妊娠っていうリスクもあるわけだしね」

「そう、ですね…」


今までこんな話はミコやみーちゃんともほとんどしたことはなかった。

多分アタシたちの中でそういう経験がすでにあるのは久美ちゃんくらいだろう。

その久美ちゃんとでもめったにこういう話はない。

それでも、いつかアタシにも『そういうとき』が来るのだろう。

そのときアタシはどう思ってそのための一歩を踏み出すのだろうか。



お風呂をあがるとアタシたちは旅館の浴衣に着替えて大広間に集合する。

そしてこれから今日の仕事の打ち上げを兼ねた夕食が始まるのだ。


総勢26人の関係者が一堂に集まってテーブルの前に座った。

お刺身やサザエのつぼ焼き、色とりどりのお料理が並べられている。

ただし未成年のアタシやミコ、みーちゃんの3人はアルコール類は禁止、特にみーちゃんは調子に乗りやすいので前田さんから厳命されていて、もし一滴でも飲んだらまた自分がつきっきりの家庭教師を復活させると脅かされている。

その代わりにアタシたちにはジュースやコーラが用意されていた。


前田さんの挨拶の後宴会は始まり、場は次第に盛り上がっていく。

そこにはビーチバレーの対戦相手だったブレーメンの3人も座り、わいわいと賑やかに語らっていた。


アタシもTVという普段自分とは全く縁がない世界の人たちと話ができて、その世界は思っていた以上にいろいろな刺激があふれていることを知り少し興奮をしていた。


そんなときブレーメンのメンバーの一人、高木さんがアタシの横にスッと腰を下ろし話しかけてくる。

「凜ちゃん、今日はお疲れやったな」


高木さんは、聞いたところでは年齢は27歳らしい。

それにしては少年っぽいいたずらな目をしていて、関西弁のせいもあってニコッと笑うとどことなくワタルに似た感じがする。


「どうやった?こういう世界は」

「あ、とっても楽しかったです。それにとても意外だったのが」

「ウン」

「たった20分の番組を作るのにすごい時間をかけてるってこと。びっくりしました」


「ああ、そやなあ。凜ちゃんたちがTVで見てるのは1時間の番組でも、その何倍もの手間をかけてるんや」

「そうですねー。それにスタッフのみんなが全員で協力して作ってる感じがよくわかっていい勉強になりました」


「そういうとこをわかってくれるのはうれしいな。凛ちゃんみたいに素直な娘ってボクはじめてや」

そう言って高木さんはまた優しく微笑んだ。


TVの中ではわりと毒舌というイメージがある高木さんだったけど、こうして実際に会って話すと彼はすごく感じのいい人だった。


アタシは不思議と彼に10歳の年齢差をほとんど感じなかった。

話してみると、高木さんは同じ年だったワタルとは少し違う、きっと自分に兄がいたらこういう感じなのかなと思う。


そんなとき

「なあ、凜ちゃん。ここら辺ってよく知っとるんか?」

と高木さんが聞いてきた。

「あ、いえ。葉山は何度か親に連れてきてもらったことはあるんですけど、ここは知りませんでした」


「そなんやあ。知っとるか?ここから歩いて少し行ったところに海が一望できるメチャクチャ眺めのいい喫茶店があるんやで」

「え、そうなんですか? わぁ、今度ミコと一緒に行ってみよう!どこにあるんですか?」


すると高木さんは内緒話をするようにアタシの耳に自分の手を当てるとこう言った。

「な、これからちょっと行ってみんか?」


「え、でも…、もうすぐ9時ですよ?明日も早いから今日はなるべく早く寝るようにって前田さんも言ってたし」


アタシはこのときその喫茶店への興味とともに、高木さんともう少し話をしてみたいという気持ちが正直言ってあった。

しかし今日初めて会った、しかも男の人と2人だけで夜に出歩くことへの抵抗感もなかったわけじゃない。

でも、きっと何か言い訳を探していたのかもしれない。


だからその後高木さんが

「ウン、そやからちょっとだけ、な。一杯だけお茶してすぐに帰ってくれば10時までには寝れるし」

と言うと

「ウーン…」

と考えるようなポーズを見せながらも

「そこな、紅茶とレモンケーキがすごく美味いって女のコに有名な店やていうし。せっかくここまで来てどこにも行かんと帰るんはもったいないやろ?」

という言葉につい乗ってしまった。

そして

「そう、ですねえ…、じゃあ、ちょっとだけなら」

とOKの返事をしてしまう。

「よっしゃ!ほんなら1時間だけな。行って帰る時間を除くと30分くらいお茶できるしな」


そんなわけで、せっかくの葉山の思い出にと、アタシは高木さんと夜の海岸へと出かけることになったのだった。


時間は夜9時になろうとしている。

夕食を兼ねた宴会は終わり、メンバーはそれぞれの部屋へと戻っていく。


アタシはこの後高木さんと旅館の玄関から少し離れた場所で待ち合わせをすることになっていた。

そして席を立ち大広間を出ようとしたとき

「あれ、凛。どこ行くの?」

とミコに呼び止められた。


「エ、あ、あの、ちょっと、コンビニに行ってこようと思って」

「コンビニ?何か買いに行くの?」

そう聞いてミコは少し怪訝そうな顔でアタシを見る。

「あ、ウ、ウン。眠るまで雑誌でも読もうと思って」

「雑誌?そっか。じゃあ、アタシも一緒に行こうかな。何かアイスでも食べたくなっちゃったし」


ミコにそう言われてアタシは焦ってしまう。

「エ、あ、じゃ、じゃあアタシ買ってきてあげるヨ」

「そう?」

「ウ、ウン。どんなのがいいの?」

「そうねぇ、じゃあ、イチゴのカキ氷」

「ウン!わかった。イチゴのカキ氷ね!」


「あのさ、ホントに一人で大丈夫?」

「大丈夫!大丈夫!アハハ、じゃあ、行ってくるね」

そう言ってアタシはミコの視線から逃げるようにしてその場を後にしたのであった。



待ち合わせの場所に行くともう高木さんは先に来て待っていてくれている。

「凛ちゃん、大丈夫やったか?」

「あ、ハイ。出るときミコに声かけられて、コンビニに行ってくるって言っちゃった」

「そっか。ほんなら行こうか?」

そしてアタシたちは真っ暗な海岸を一緒に歩き出した。



東京都心から車でほんの1時間半

通勤や通学で通ってくる人もいるくらいの距離にある葉山海岸

それでもここはやっぱり東京の夜の街の中とはぜんぜん違う

海岸線にぽつんぽつんと所々小さな明かりと、そして真っ黒いじゅうたんを敷いたような夜空にはそこから漏れ出した光のような星がある以外すべてが闇の中

しんと静まり返った浜辺にはザアーザアーと波の音だけしか聞こえない。


女のコとして生活するようになって、両親はアタシに昔より明らかに口やかましくなった気がする。

男として生活していたときはきっと言われなかっただろうことも折に触れて注意される。


高校生になっても門限は夜8時。

遅くなる時は必ず電話をしろと言われている。

今回の撮影お泊りだってミコが一緒でそして前田さんというウチの両親が全面的に信頼している人がいてやっと許されたわけだし。

だから、こうしてこんな遅い時間に普段とぜんぜん違う場所を歩いているだけでアタシにはけっこう刺激だった。


「ああ、なんかこういうのって久しぶりー」

そう言って腕をあげて大きく伸びをする。


「そうなんか?」

「ウン。普段は夜遅くまで外にいるとお母さんがけっこううるさいんです(笑)」

「ハハハ。凜ちゃん、いいとこのお嬢さんって感じやしな(笑)」


「あ、そんなんじゃないんですけどね。でも、やっぱり色々うるさいんです」

「まあ、親なんてそんなもんや。まして凜ちゃんは女のコやし心配して当然やな」

そう言って高木さんは楽しそうに笑う。


そんな高木さんにアタシはちょっと意地悪そうな顔で

「高木さんは男だからご両親はそんなにうるさくなかったんじゃないんですか?いいなぁー」

と言った。


すると高木さんは

「ああ、ボクの場合おとーちゃんが子供のとき死んでしもたからな。中学の頃からボクもバイトでけっこう遅かったし」

気にしない口調でそう答えたのだった。


「エ、そ、そうだったんですか?あの、ごめんなさい」

「ああ、ええよ。小さかったからほとんどおとーちゃんの記憶ないし。ぜんぜん気にしとらん」

そう言って彼は少し後ろを歩くアタシの方をくるっと振り返ると、ニコッと笑う。


「さあ、着いたで。あそこや、あそこ」

彼の指さした先には海岸道路沿いに小さな明かりが見える。


近くまで寄るとその明かりの元には白いペンキの壁に、海側に面してテラスのある小さな喫茶店があった。


「わぁ、可愛いお店ですねー」

さっそくお店の中に入ると、そこは外見から想像した以上に明るく清潔な店内だった。

お店の中にはこんな時間でも数組のカップルがお茶をしている。

高木さんはアタシを海に面したテラスの席に案内してくれる。

そこには3組ほどの木のテーブルと椅子があって、各席ごとにテーブルの上に小さなランプが備えられていて、ぼんやりした明かりを灯している。

それはとても幻想的だった。


「エット、ボクが頼んでもええかな?」

「あ、ハイ。お任せします」


高木さんはテーブルの上にある小さなベルをチリンと鳴らしウエイターさんを呼ぶと、レモンケーキとオレンジペコの紅茶のセットを2つ頼んだ。

「じつはボクもけっこう甘党やねん(笑)」

そう言って高木さんはニヤッと笑う。


しばらくしてアタシの前に置かれたレモンケーキは予想以上に美味しかった。

シフォンケーキの上にたっぷりとかかったレモンソースのケーキは口の中にふわっと溶けて、そしてオレンジペコの紅茶がそれにとてもよく合う。


「すっごく美味しいです!」

「ハハハ、凜ちゃんに気に入ってもらえて良かったわ」


そして美味しいケーキと紅茶に合わせておしゃべりは弾む。

TVの中で面白いことをぺらぺらと喋っているイメージと逆に、高木さんはむしろアタシの話をよく聞いてくれる聞き上手な人だった。

アタシは普段の自分の生活、学校での出来事などをいつも以上に良く話している。

そんなアタシの話をまるでお兄さんのように、ニコニコと笑顔で聞いてくれた。


そしてフッと気が付くと

「あ、もうこんな時間!」

アタシの左手の腕度計の針はもう11時になろうとしている。


「あ、ホンマやな。すまん、ボクが注意せなんかったから」

「ウウン、アタシも楽しくって時間が経つのわからなかったから」

「とにかくそろそろ店を出て戻ろうか」

「ハイ」


そしてアタシたちは再び来た道をテクテクと歩き出した。

行きに見た星はさっきより夜空の天井に登っている。

そして潮の香りの混じった夜風はアタシのスカートから出た素足を優しく撫でて気持ちよかった。


そんなとき

「あ、凛ちゃん。ちょっと」

そう言って少し前を歩く高木さんがアタシを止めた。


「エ?」

「ほら、そこに大きな溝があって水が溜まっとる。ちょっと待っててや」

高木さんはそう言うとピョンとジャンプしてその溝を飛び越え、そしてアタシに右手を差し出した。


「あ、ありがとぉ」

アタシはその右手を取りそしてエイッとジャンプをしてそれを飛び越える。


すると

高木さんはアタシの手をそのまま離さず再び歩き出した。

正直言ってアタシは少し戸惑っていた。

彼氏がいるのに別の男の人と手をつなぎながら歩いている自分に少し後ろめたい気持ちがあったからだ。


でも、

きっと自分に兄がいたとしたらこんな感じなんだろうな…


あの頃

弟の悟には兄がいて、それは自分だった

それがあるとき

じつはそれが兄ではなく本当は姉だったとわかり

そのとき悟はどんな気持ちだったんだろうか


アタシはそんなことをフッと考えた。

そして、今だけ自分のお兄ちゃんのつもりで、高木さんのその大きな手をそっと握り返した。

そしてアタシたちはまた歩き始める。


「なあ、凜ちゃん。ボクな、初めて挨拶されたとき、凜ちゃんの笑顔がすごく眩しかったわあ。ああ、この娘はきっと両親の愛情をいっぱい受けて育ったんやろな、だからこんなにまっすぐで透明な心を持っとるんやろな、って思ったんや」

「エー、そんなアタシなんてそんな大したもんじゃないです」


すると

「なあ、ボク好きになってもええか?」

高木さんは小さな声でそう呟いた。


「エ?」

アタシはその意味が分からずとっさに聞き返す。


そのときだった

アタシの身体は高木さんの太い腕にグイッと引き寄せされて

そしてアタシの顔のすぐ前には高木さんの顔が


「エ、やだな、高木さん、ふざけてる?」

アタシは笑って誤魔化そうとした。


しかし高木さんはその手を緩めてくれない。

「ふざけてなんかないわ、ボク、初めて凜ちゃんに会ったときキミのこと好きになってもうたんや」


「ダメですヨ。アタシ、彼氏だっているんですヨ」

「ええやんか。今だけ彼氏のこと忘れてしまえば」


そう言って高木さんはアタシの身体を強く抱きしめてキスをしようとした。


「やだ、ちょっと!ホントにやだぁぁーーーー!」

そう叫ぶが彼の力は強かった。

そして彼の唇がアタシの唇の先に触れようとしたときだった。


「オマエは何をしとるんだぁぁぁーーーーーーーっっ!!」

すぐ横からそう怒鳴る声が聞こえたかと思うと、その声の主はすごい力で彼の身体をアタシから引き離し投げ飛ばしてしまった。


一瞬のことにアタシはボー然とし、その場にヘナヘナと座り込んでしまう。

ハッとして上を見上げるとそこには前田さんが鬼のような形相で立っていた。


「ウチの事務所関連の仕事ではこういうことは絶対ご法度だと何度も言っておいたはずだ!!オマエは私の預かった娘に何をしてるんだっっ!?」


投げ飛ばされた高木さんは唖然とした表情だった。

そしてすぐにガクガクと震えだす。


みーちゃんに以前聞いたことがある。

スターダストプロはかなりの大手プロダクションでもあるけど、この業界で前田さんの評判はすごく高く信頼があった。

前田さんは滅多なことで怒る人ではないけど、本当に前田さんを怒らせて芸能界を追放された人もいたらしい。

まして、いくら今人気があるとはいえ、TVに出だしてそれほど経っていないお笑いタレントにとって前田さんを怒らせるということがどんなに怖いことか、きっとわかっているはずだ。


「あ、あの、その…す、すみません」

高木さんは完全に狼狽していた。


そしてその高木さんに前田さんは落ち着いた口調でこう言う。

「君は東京に帰りたまえ。ブレーメンのあとの2人にはこのことは黙っておいてやる。二度とこんな真似したら私は君を芸能界から追放してやる」


その静かだけど怒りのこもった前田さんの言葉に高木さんは腰を上げるとトボトボと一人で歩いて行ってしまった。


「さあ、起きて」

そして腰を落としたままのアタシは前田さんの手に支えられて身を起こしたそのときだった。


パンッ!


前田さんの右手がアタシの頬を叩いた。

乾いた音が静かな海岸に響く。


「あ…」

「女の子が軽はずみに初めて会ったような男に付いていくんじゃない!君もしっかり反省しなさいっ!」

前田さんは厳しい目でアタシを見つめながらそう言った。


「ご、ごめんなさい。前田さん、ごめんなさい」

そう言いながらアタシの目には次第に涙が込み上げてきた。

それは前田さんやみんなに迷惑をかけてしまった自分のふがいなさ、そしてトオル君のことをたとえひと時でも忘れていた自分自身への怒りに対してだった。


「前田さん、ホントごめんなさい!」

アタシはそう叫んで前田さんの大きな胸に涙でくちゃくちゃになった顔を埋めた。


「わかったらもういい。さあ、旅館に帰ろう」

前田さんはそう言ってアタシの肩に自分の着ていたブレザーの上着をかけてくれるとゆっくりと歩き出した。



そしてしばらく歩くと遠くに旅館の明かりが見えてくる。

少し近づくとその玄関のところに白い人影が立っているのが見えた。

それはミコの姿だった。


「ミ、ミコ?」


「君が高木君と2人で出かけたらしいと知らせてくれたのは彼女なんだ。彼女は君のことが心配でずっとここで立って待っていてくれたんだよ」

前田さんはアタシにそう言うと、ミコに寄って行き、そして

「じゃあ、後は君に任せます」

と言って旅館の中に入っていった。


ミコは寂しそうな目でアタシを見つめていた。

「みーたちはもう寝ちゃってるよ。ね、凛。少し、歩こうか?」

ミコは静かにアタシに言った。


ミコはアタシを連れて旅館から歩いて50mほどのところにある葉山マリーナに行き、そしてそこにあるベンチに2人は腰を掛けた。


そして彼女はアタシの少し赤くなった右頬に静かに自分の右手をあてさする。

「前田さんにひっぱたかれたの?」

「あ、…ウン」

「赤く、なっちゃったね」

「いいの、アタシが悪いんだから」


「まったくこの娘は…しょうがない娘ねっ。アタシに心配ばっかりかけて…」

「ごめんね、ミコ、ごめんね…」

そしてアタシの目にはまた涙が浮かんでくる。


そのとき

「そんなんじゃアンタのワタル君だって悲しんじゃうよ?」

ミコが小さな声でつぶやいた一言にアタシはびっくりして彼女の顔を見つめた。


「ア、アンタのワタル君って!?ミコ、それって…」

「そうヨ、凛のワタル君。アタシたちが中3から高1までを一緒に過ごした石川渉君、でも本当の名前は鮎川渡君、だよね?」


「ミコ、…どうしてそれを?」

「アタシの記憶が戻ったと思った?」

「ウ、ウン」


「残念ながらそれは違うの。アタシはワタル君についての記憶をなくしちゃいなかったのよ」

「じゃあ、なくした振りをしてたってこと?」

「まあ、そうね」


「どうして?」

「ワタル君に頼まれたからよ。このままずっと黙っていようとも思ったけど、アンタにとってそれは良いことじゃないみたいだから、そろそろ話したほうがいいかなって思ったの」


「ワタル君が、ミコにアタシのことを?」

「そうだよ。彼はずっとアンタのことを心配して、そして夏休みの終わり、アンタと最後に会った後にアタシのところに最後の実体を現したの。いい?凛 、アンタは生まれた時から女だったんだから。そしてワタル君に愛されて、笹村さんに愛されて今のアンタがいるんだから」


「ウン、ごめんね。アタシ、ホント、いい気になってたって思う。ワタル君にもトオル君にも。そしてミコにこんなに心配させちゃった。ごめんね」


「それとアンタにもうひとつ話しておこうと思うの」

「な、なに?」


「アンタと友達になってしばらくしたころ、アンタ、アタシに聞いたじゃん? 自分と友達になってくれって久美子に頼まれたのか?って」

「あ、ウン。あったね」


「あのとき、アタシはそんなこと頼まれてないヨって、アンタに言ったけどあれってホントは嘘だったの。アンタが入院してるとき久美子がうちに来てね、アンタと友達になってくれって頼まれたのよ」

「そう、なんだ?」


「ウン。だからアタシはアンタに友達になろうよって声をかけた。でもね、そんなスタート、今ではどうでもいいことなのよ。アタシはアンタと友達になってそして大好きになっていった。今はお互い本当に楽しい時間を共有できる大切な存在になれたって思ってる。アンタはアタシにとってかけがえのない親友なんだから。それが大切なんじゃないかってアタシは思ってる」


「ウン、アタシも、アタシもミコのこと一番大切な友達だから、大好きだから」

「だったら、アタシのこともっと頼んなさいよぉ…アタシもアンタのこと頼っちゃうから」


「ウン、ミコ、ありがとう、ミコ、大好き」

「アタシも凜のこと大好き、大好き」


そしてアタシとミコは星空の下でお互いを抱きしめあって泣き続けたのだった。




次の日の朝

アタシの目は寝不足と泣きすぎで真っ赤だった。

帰りのバスの中でみーちゃんが不思議そうにその理由を尋ねてくる。


アタシは話をそらすために

「そ、そういえばさ、前田さんって何かスポーツとかやってたのかな?」

と聞いた。


「前田さん?なんで?」

みーちゃんはそう突っ込んでくる。


「あ、ウウン。なんか健康そうだし、アハハ。なんかやってたのかなあって思っただけヨ」

「ああ、なんかね、家庭教師やってくれてたとき教えてもらったんだけど、大学時代柔道と空手やってて、両方とも三段らしいよ」


「エ、柔道と空手が三段…」

「ウン、大学時代新宿のやくざを三人くらい半殺しにしたことあったって」


(ぞ、ぞぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~!!!)


アタシ、下手したら半殺しじゃ済まなかった?

ああ、前田さんの言うことは大人しく聞こう。

みーちゃんの話に背筋が凍ったアタシだった。


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