第23話 アナタと一緒に歩いていきたい
ワタルがいなくなって1年半
アタシは自分の心の中にひとつの区切りができたように感じ始めた。
そして2年生も終りに近づいてきた3月のある日のことだ。
突然トオル先輩から電話があった。
その電話は最初は他愛もない会話から始まった。
「先輩もいよいよ卒業ですね」
「ああ、3年間色々あったような気がするし、でも空手ばっかりで何もなかったような気もするし」
「ひとつでも打ち込めるものがあったらいいじゃないですか。アタシなんかまだ自分が何を目指したいのかわかってないんです」
「それはまだこれから時間があるから、ゆっくり見つければいいさ」
「先輩は大学でも空手部に入るんですか?」
「ああ、そのつもりだよ。高等部のときの先輩たちもいるしね」
彼はアタシより1つ学年が上だ。
そして今年いよいよ高等部を卒業して青葉の国際政経学部に進むことが決まっている。
彼のお父さんはSTC(笹村トレーディングカンパニー)という大正時代から続く貿易会社の社長さんをしている。
彼は大学を卒業したらその仕事を継ぐ予定でいるそうだ。
これもワタルとの共通項なんだけど、彼は歴史が好きで、昔は史学科を考えていたらしいが、彼は色々考えて最終的に国際経済学科を進学先に選んだ。
アタシの家は、父親がアタシが中学の頃は7軒ほどだったウエルマートスーパーをここ数年間で20軒に増やしていた。系列のコンビニチェーンも30軒以上に増え、今年はいよいよ株式を上場したりしたそうだ。従業員は、今では正社員だけでも700人以上になっているらしい。
父親は、男のコとして生活していた頃はそれをアタシに継いでもらいたいらしかったけど、でもやはり今では弟の悟にそれを期待しているみたいだ。
それでも父親はときどきこう言う。
「悟にもそれを強要をするつもりはない。凛は女のコなんだからいつか好きな人ができたら嫁に行けばいいさ。いざとなったら社員の中で優秀な者に社長を引き継げばいい」
でもそう言われると何か父親がかわいそうでもあるような気がするし、それに女であるから自分が最初からそういう期待をされていないということにどこかモヤモヤした不満を感じてたりもした。
アタシはトオル先輩にそういう自分の気持ちを話したことがある。
すると彼はこう言った。
「男同士だから、キミのお父さんの気持はわらなくもないな。お父さんは自分のやってきた人生を継いで欲しい気持はあるけど、そのことで子供が自分で自分の未来を作っていく自由を縛りたくないんだよ」
「先輩は?」
「オレはオレが望んだからね。貿易会社なら世界中の人たちと接する機会があるだろ。それぞれの国にはそれぞれの文化や歴史がある。オレはそれを肌で感じたいって思ったんだ」
(すごいな…)
この人はちゃんと自分の夢を持っている。
自分の置かれた環境と自分の持つ夢を重ね合わせようとする方法をしっかりと考えているんだ。
最近アタシはトオル先輩と話す機会が多くなって、こんなことを感じていた。
彼は周りの人をとても大切にする。
友達のこともとても大事にしているのがよくわかる。
だからあまり多くをしゃべるタイプではないけど、彼は友達から信頼されて慕われているんだろう。
そしてきっとそういう人だから家族も大切にしているんだろうなって思う。
なんかそういうのっていいよね。
アタシも彼と一緒にいると何か優しい気持になれたりする。
気持ちが温かくなれるんだ。
彼はお世辞とか冗談とかが上手な方じゃないけど、ワタルとどこか似たところを持ってるのかもしれない。
そんなことをフッと思ったりしたときだ。
「ところでさ…今日電話したのはキミに伝えたいことがあったんだ」
トオル先輩は急に遠慮がちに口ごもった。
「何でしょう?」
アタシはそんな彼の声に多分小さな予感を覚えたのだろうと思う。
電話の向こうのトオル先輩は3秒ほどの沈黙の後、ゆっくりと言った。
「じつはさ…オレ…、キミのことが好きなんだ」
「え…」
それでも、それはあまりに突然の告白だった。
そしてアタシは先輩のその言葉に一瞬時間が止まったみたいな気がして
頭の中が真っ白になった。
トオル先輩は一息呼吸を置くとこう言葉を続けた。
「正直言うと、いつからこういう気持ちになったのかはわからない。でもキミが横にいてくれて、キミと一緒にいる自分がすごく幸せだって感じている。そしてキミを大切にしたいって思ったんだ」
彼の言い方は少し不器用なのかもしれないけど、でも彼の気持が真剣であることはすごくよくわかる。
ただアタシは心の片隅で説明できない戸惑いを感じていた。
それは、うまく言葉にできないけど…
彼と一緒にいるとアタシ自身も居心地がいいって感じていた。
でも先輩と後輩としてでなく、彼氏と彼女になった後で甘えんぼのアタシが彼の迷惑になったりしないだろうかっていう不安を感じたのだ。
彼はワタルのようにいなくなることはありえないだろう。
でもアタシが彼のことを本当に好きになって、彼は彼女になったアタシをずっと見ていて、ずっと好きでいてくれるだろうか。
こんなふうに考えたらズルいのかもしれない
それにこんなことを考えたら恋愛なんかできないんだろうけど…。
「あの…」
「ウン、なに?」
「それって…少し考えてそれでお返事してもいいですか?」
アタシは戸惑いを抑えきれず、少し震えるような声でそう尋ねた。
「あ、うん。もちろんそれでいいよ。凛ちゃんは卒業式の日は学校に来るんだろ?」
「あ、ハイ。その日ウチのチア部でも卒業生の送別会があるから」
「じゃあ、もしできたら、その送別会の後に会えないかな?」
「ハイ。わかりました」
「ありがとな。突然こんなことを言って驚かしちゃったな」
「あ、イエ。そんな…」
「じゃあ、そのときに…。おやすみ」
「ハイ、おやすみなさい」
そしてアタシは電話を切った。
「ふぅ…」
アタシは持っていたコードレスの受話器を置くとベッドの上にごろんと身体を横たえた。
今までもトオル先輩がアタシに多少でも好意を持ってくれていると感じなかったわけではない。
個人的に2人で約束したりということはなかったけど、学校の中でときどき会って話しをしていると、彼がアタシに気を配ってくれているのはよく伝わってきた。
そして、それを嬉しく感じている自分もいたと思う。
でも正直彼が今日本当に告白をしてくるとは思っていなかった。
学校の中で派手に目立つタイプの存在ではなかったけど、誠実で優しくて頼りがいがあるという彼を好きな女のコが少なくないことは知っていた。
だからアタシに優しくしてくれているという好意を感じながらも、それを誤解しないようにしようと思っていたのかもしれない。
どうしたらいいのかなぁ……。
次の日は日曜日だった。
朝食を食べると、アタシは頭の中を整理するためにフラッと散歩に出ることにした。
途中いつもの赤いブランコの公園の前を通りかかる。
ワタルに相談したい気にもなったけど、アタシは公園の中に入るのをやめた。
これは自分で考えることだから。
そうしないとワタルにもトオル先輩にも失礼な気がしたから。
そうやって歩いているうちに、アタシはいつの間にか隣町まで来てしまった。
「アレ? こんなとこまで来ちゃったんだ」
そう思ってフッとそこに建っている建物を見上げると
道の向こうに青いペンキで塗られた可愛らしい建物が見える。
それはワタルが最後のデートでアタシを連れて行っていくれた喫茶店だった。
ここって……。
アタシはその建物の前まで行ってみることにした。
もう1年半前にもなる。
高1の夏の終りにワタルがアタシに教えてくれた小さな喫茶店。
中を覗いてみると、まだ時間が早いのかお客さんの姿は見えない。
ここならゆっくり考えられそう。
そう思ってアタシはその喫茶店に入った。
カラン
ドアについている鈴が小さな音を立てて鳴ると
「いらっしゃいませ」
あの時と同じようにお店の中にはカウンターごしに小さな髭を生やした優しい笑顔のマスターがアタシに声をかけた。
アタシは窓際の、あのときワタルと一緒に座った席を見つけ、そこに腰を下ろす。
「アレ? 初めてのお客さんですよね?」
マスターは氷の入ったお水を持ってきてくれたときアタシにそう尋ねた。
「あ、いえ、ずっと前に一度だけ来たことがあるんです」
アタシがそう答えると
「やっぱりそうかぁ。どこか見覚えがあるなって思ったんでね。その時も一人でしたっけ?2人だったような気もするけど。ウーン…よく思い出せないな」
マスターは考えるように小さく首をひねると笑って言った。
フフフ…
ワタルもマスターの記憶までは完全に消してなかったのかな。
思わぬところにワタルの記憶の断片を残している人がいるみたいだ。
「ご注文は?」
「あ、ホットココアをお願いします」
アタシがそう言うとマスターはニコッと微笑みそしてカウンターへと戻って用意を始める。
すこしすると、ほろ苦いカカオの匂いをした湯気を立てたホットココアが出てきた。
そしてマスターはそれと一緒にアタシのテーブルにシナモンの香りのするクッキーが2枚ほど入った小さなお皿を置く。
「アレ、アタシ、クッキーも頼みましたっけ?」
「いや、これは特別サービス。シナモンクッキーは嫌いかな?」
「ウウン。大好きです。ありがとうございます」
「どういたしまして。じつはこれ、ウチの奥さんが焼いたものなんだ。いつもなら一人のお客さんにはあまり話しかけないようにしてるんだけどね。キミはなんか懐かしい人のような気がしたもんでね」
アタシはマスターが出してくれたクッキーを一枚手に取りそれを半分に割って口の中に入れた。
その瞬間ふわぁっとシナモンの良い香りが鼻の辺りをくすぐる。
「わぁ、すごく美味しいです」
「ハハハ、それはよかった。じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
マスターはまたカウンターに戻り、手で洗い立てのコーヒーカップを布巾で拭っている。
ホットココアを一口啜ると心が甘く解けていくような気分になる。
「ね、マスター。聞いてもいいですか?」
アタシは1年半前にたった1回会っただけのこのマスターにどこか親しみを感じて、声をかけてみた。
「なにかな?」
「例えばの話なんですけど、前に付き合った人とぜんぜんタイプの違う人を好きになったりするのってあるんでしょうか?」
「タイプかぁ。そうだなぁ…。まずタイプってなんだろうね?」
「エ、タイプって…」
アタシはマスターからの突然の逆質問に戸惑う。
マスターはそんなアタシの困惑の表情に小さく微笑み、そしてこう言った。
「よく好きなタイプ、嫌いなタイプっていうけど、タイプなんてのは言ってみれば第一印象みたいなものにすぎないんじゃないかなってボクは思うんだよね」
「第一印象? あ、言われてみれば、そうかもしれないですね」
「人を好きになるっていうのは切っ掛けが大事かもしれない。そういう点でタイプっていうのはそういう切っ掛けになったりするかもね。でも、好きでい続けられるかどうかはタイプだけじゃ難しいんじゃないかなと思うね。その人の奥深い優しさとか愛情とか。そして好きになることももちろん大切だけど、好きでい続けられる相手かどうかはそういう奥深いところじゃなかなって思うね」
ワタルはこの店でときどきマスターと色々な話をしていたらしい。
マスターの言葉はとても聞き心地がよく、ワタルがこのマスターと話をしたい理由が良くわかる気がした。
タイプはきっかけにすぎない
そういえばワタルが自分のタイプかなんて考えたこともなかった。
人にはそれぞれの魅力があってその魅力に偶然触れる縁を持ったことが大切なのかもしれないな。
そう考えるとアタシはいつものトオル先輩の笑顔を思い出していた。
タイプは違うけど、ワタルもトオル先輩も一緒にいてあったかくって心が優しい。
その共通点があればそれぞれの違いがあっていいんじゃないかって。
アタシはそう思った。
カップに残ったココアを一息に飲み干すとアタシは席を立ち上がってマスターに言った。
「ごちそうさまでした」
「お、さっきと少し違った顔になったね。どうやらキミの心は決まったのかな?」
マスターは私の心を小さく覗くようにそう尋ねた。
「まだわからないことが多いけど…」
アタシはマスターの質問に小さく笑いながら答える。
するとマスターはニヤッと笑ってこう言った。
「わからないのを手探りで進むのが人生さ。だからこそ人生は楽しい」
それから数日後
いよいよ3年生は卒業式の日を迎えた。
アタシたちチア部の後輩たちはその間に3年生を送り出す会の準備を進める。
「凛、そっちのクロスもうちょっと引っ張って。」
「みーちゃん、お菓子とケーキの準備できたよぉ」
「早苗ちゃん、佐藤先生、そろそろ呼んできてー!」
狭い部室の中をバタバタと駆け回り整えて、飾りつけも全部自分たちの手作りだ。
「さあ、できたぁー!」
いよいよ卒業生たちを迎える準備が整った。
そして12時
卒業式が終わってクラスでの別れを済ませた先輩たち8人がみんな一緒に部室に入ってくる。
パチパチという拍手の中を少し照れくさそうに進む先輩たち。
入部したときはきついことも言われたり厳しい練習に泣きそうになったこともあった。
でも、そういうことを先輩も後輩もみんな一緒にやってきた仲
アタシたちは今までの2年間の思い出をこの人たちに支えられて過してきたんだ。
そう思ったら彼女たちが明日からいなくなってしまうことがとても悲しくて寂しくて……。
先輩たちが全員揃って前に並んだところで、2年生を代表してアタシとみーちゃんが花束をキャプテンのチーコさんと副キャプテンの奈美さんに渡す。
この日のために用意した大きな花束を両手で抱える2人の先輩は少し涙ぐんでいた。
先輩たちの胸に飾られているピンクのバラ
それは彼女たちがこの高校での生活をいよいよ最後を迎えることをアタシ後輩に嫌でも感じさせている。
「ありがとう」
一列に並んだ8人の先輩たちから、キャプテンのチーコさんが一歩前に出て挨拶をする。
「みんな、こんなステキなお別れ会、ホントありがとね。アタシたち、チア部を最後までやってきて本当に良かったって思ってます。
エット…、少し思い出話をします。今花束をくれたみーと凛の2人が入って来たときのこと。みーは小学生のときからのチア経験者だけあってさすがにテクニックもあったし練習も上手にこなしていけど、凛は高校に入ってから始めて色々大変じゃないかってけっこう心配してました。でも2年経ってみるとそんな彼女が部の中で一番頑張り屋で仲間の雰囲気を温かくしてくれていたのは意外でした。
こんなステキな仲間たちと過せた3年間はアタシたちにとって最高の思い出です」
目に涙を溜めながらそう話すチーコさんたちを前にしてアタシたち後輩部員はもうみんなしくしくという声をあげ始めていた。
「アタシたちが我慢してるんだから。みんなも最後まで笑顔で送り出してね」
先輩たちは涙で顔を歪ませているアタシたちに声をかける。
みんなもう涙が止まらない。
先輩たちと一緒に過してきた2年間がまるで走馬灯のように思い出されてくる。
「凛、アンタってなんかホント自分の妹みたいで目が離せなかったのヨ。元気でね」
そう言ってチーコさんはアタシの身体をギュッと抱きしめてくれた。
「さあ、最後なんだからみんなで歌おう!」
そう言って優実先生はギターを取り出しストラップを肩に架けて鳴らし始めた。
ポロン、ポロンーーーーー
ゆっくりしたイントロのメロディでアタシたちはそれが何の曲であるかすぐわかった。
それは優実先生が部活が終わった後ときどきギターで弾いていた曲
先生にとってはこうやって何度も自分の教え子たちを送り出してきたのだろう。
胸に残る
愛しい人よ
飲み明かしてた懐かしいとき
秋が恋を切なくすれば
一人身のキャンパス
涙のチャペル
もうあの頃のことは夢の中へ
知らぬ間に遠く years go by
みんなが肩を組んで
少し涙声を混じらせて
でも元気に
先輩たちを悲しんで送らないようにって
精一杯歌った。
フィナーレに与えられた時間はいつもよりも早く感じるかのように過ぎて行く。
「1年生は先輩たちを助けてあげて、そして新しく入ってくる後輩たちの面倒をしっかり見てあげてね。2年生のみんなは、あと1年間、精一杯キラキラ輝いてください」
最後は後輩みんなで部室のドアから廊下の両側一列に並んで先輩たちを拍手で送り出した。
そして彼女たちが青葉学院高等部で過した時間はこのとき最後を迎えた。
「ああ、アタシたちも1年後にこうやって送り出されていくのかなあ・・・」
先輩たちがいなくなった部室でみーちゃんがアタシにそう呟く。
「あと1年間かあ。青葉に入学して色んなことがあったようで、でもあっという間に過ぎていく感じするよね」
「そうだよねー。凛と初めて会ったときのこと、アタシまだよく覚えてるもん。」
「アタシもー。みーちゃんにはじめて話しかけられたとき、「わー、お人形さんみたにきれいー」って思ったんだヨ(笑)」
「そのイメージって今でも継続してる?(笑)」
「ウーン、そうだねえ…きれいっていうのは継続中。でも・・・」
「でも?」
「みーちゃんの性格って外見のイメージとぜんぜん違うんだもん(笑)」
「アハハーー。アタシはもともとこうなのさー。それまではずっと他人が期待する性格を装ってたみたいで、でもアンタやミコに会えてホントのアタシになりたんだって思う」
「そっかあ」
「うん、ねぇ・・・」
「なあに?みーちゃん」
「あのときアタシと友達になってくれてアリガト」
「そんな。アタシも同じだヨー。みーちゃんと友達になれてよかったって思ってるヨ。これからもずっとずっと友達でいようね」
「うん。エヘヘ…」
「エヘヘ…」
そしてみーちゃんは
「アーン、凛ーーーー!」
そう叫んでアタシの身体を抱きしめた。
「アンタたちそんなとこでレズってないで後片付け手伝ってヨー」
そんなアタシたちを見てさっちゃんが呆れたように言った。
そっか…
あと1年なんだよね
でも、もしかしたらアタシがこの2年間で自分にとってホントに大切にしたいものを見つけられた気がする。
それを今から確かめにいこう。
「あれ、凛。このあとみんなとカラオケ一緒に行かないの?」
後片付けが一通り終わって部室を出ようとしたとき、そばにいたエリちゃんがそう聞いてきた。
「あ、ウン。ゴメン。このあとチョット約束があって」
「そうなんだー。じゃあねー」
「ウン。またねー」
そう言ってみんなと分かれたアタシは少し足を速めて正門を出た。
トオル先輩との約束の時間は3時
場所は高等部の正門を出て少し渋谷の方に歩いたところにある『らいむ』という喫茶店だった。
今は2時55分を過ぎようとしたところ
アタシは腕時計を見てさらに足を速め、半分駆けるようにスタスタと歩く。
そしてやっとその喫茶店に着いたのはちょうど3時を3分ほど過ぎた時間だった。
カランーーーー
お店の木でできたドアを開けると軽い鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませー」
若い女性のウエイトレスさんがそう声をかけた。
アタシは中に入るなり店内をクルッと見回す。
すると奥の方の席でこっちの方を向いて座っているトオル先輩がニコッと笑って小さく手を上げた。
「すみませんー。お待たせしちゃって。少し早めに来ようって思ってたのに」
「ああ、いいよ。オレも少し前に来たばっかりだから」
笑顔でそう言うトオル先輩だったけど、彼の飲んでいるカップの中には底の方に少しのコーヒーが残っているだけだった。
アタシはトオル先輩の前の椅子に腰を下ろす。
「送別会はどうだった?」
トオル先輩は小さく手を上げてウエイトレスさんを呼びながらアタシにそう聞いた。
「それがね、佐藤先生がサザンのyayaをギターで歌ったんです。そしたらもうみんな涙がとまらなくなっちゃって(笑)」
「アハハ、あの人のサザン好きは有名だからなー。先生たちで酒を飲みに行くとそればっかりらしいぜ(笑)」
「エー、やっぱりそうなんですか?(笑) トオル先輩はどうでした?泣いちゃいませんでした?」
「俺たちは空手部だからなあ。野郎ばっかりだから最後までドンチャン騒ぎさ。」
「そうなんだあ。じゃあ、卒業式のときは?」
「ウーン…あんまりよく覚えてない」
「エ、覚えてないんですか?」
「ああ、じつは『こっち』の方がずっと気になっちゃっててさ(笑)」
「アハハ、せっかくの卒業式なのにもったいないですヨー」
アタシはそう言ってフッとあることを感じていた。
自分も昔は男として生活していたからなのだろうか
ときどき日常の色々な出来事の中で男と女の違いというものを感じることがある。
男の人は大きな目標を追うと小さなことに目が向かなくなったりするときがあるんじゃないだろうか。
それに対して女の人は日々の小さなことひとつひとつをとても大切にする気がする。
だから男と女ではどうも自分の周りにある時間の流れが少し違うような気がする。
そしていつの間にか自分自身がそういう女性の感覚になっていることにフッと驚いたりする。
「そうかもしれないな。でも、ずっと考えてたんだ」
トオル先輩はそう言ってまっすぐアタシを見た。
「でもオレにとってはこっちの方がずっと大切だったんだ」
「エ……」
「キミと初めて会ったときのことをオレはよく覚えている。そしてキミが入学してきて再会したとき、そのときからオレはキミの姿をずっと追っていたんだと思う。今まで2年間好きだって気持を胸の中にしまってきた。でもそれを言わないで卒業してしまうことはできなかった」
「トオル…先輩」
「だからキミの気持を聞くだけでいいからって思って。ただそれでキミに色んなことを考えさせちゃったかもしれない」
そう言って彼は少し苦笑いするような顔になった。
「ね、トオル先輩」
アタシはフッとそう言って席の横に置いたバッグの中から小さな包みを取り出す。
「これ、卒業式のお祝いです。もらっていただけますか?」
「エ、これをオレに?」
少し驚いたような顔でトオル先輩はその包みを受け取った。
アタシはニコッと笑って頷く。
「あ、ありがとう。あの、開けてみてもいいかな」
「ハイ」
包みを開くと中には真っ白な小さなオルゴール
彼はそのオルゴールの蓋をしずかに開いた。
するとその小さな箱からはポロン、ポロンとあるメロディが流れ始める。
そのメロディをしばらく聞いていた彼は
「あれ、この曲って…」
「『アナタと一緒に歩いていきたい』知ってます?」
「ああ、WINGの曲だろ。オレもこの曲けっこう好きなんだ。エ、でも、あれ? それってもしかして…?」
トオル先輩は少し混乱したような顔になった。
そしてアタシは
「アナタと一緒に歩いていってもいいですか?」
カレの目をまっすぐに見つめてそう言った。
「じゃあ…いいの?」
「アナタだから」
その瞬間
「やったーーーーーーっ!」
ガタンと席を立ってトオル先輩は大きなバンザイポーズをとった。
店内にいる人たちが一斉にこっちを振り返った。
普段はクールなカレのこの一瞬の行動にはアタシもけっこうびっくりした顔になる。
すると
「あ……」
フッと我に返ったようにカレはスッと席に座り、そして照れたような顔でアタシを見て笑った。
そんなカレの顔を見たとき
その瞬間
アタシはこの人を本当に好きになったって気がした。
「フフフ…」
「エット…ハハ、ハハハ」
そしてアタシとカレはお互いの顔を見合わせて笑った。




