第22話 bye bye my dearling
あれから少しだけときが流れた。
今でも頭が少しボーっとしている。
学校に行ってミコやみーちゃんと話をしていても何となく気のないような返事ばかり。
2人はしきりに心配してくれているけど
「ゴメンね。何でもないから」
アタシは曖昧な返事をするばかりだった。
そんなとき
赤いブランコの公園でワタルとの最後のお別れをしてから1ヶ月ほど経った、7月のはじめ
ある日曜日の夕方、久美ちゃんから電話があった。
「今ワタル君も一緒なんだ。ちょっと公園まで出てこれない?」
久美ちゃんは落ち込んでいるアタシを気遣うように優しい声でそう言った。
正直言えば、今は何もする気がない、少し面倒くさい気持ちがあった。
それでも久美ちゃんの気持を思えばそうやって声をかけてくれることはとてもありがたかった。
「ウン。いいヨ」
そう返事をすると夕飯前だから遅くならないうようにという母親に
「わかってる」
そう言ってジーンズにシャツという洒落っ気のない格好で外に出た。
もうすぐ夏になろうとする風は少し生暖かい感じがする。
そういえば、ワタルがいなくなった夏の終りの夕方もこんな感じだったな。
公園を出たところで振り返ったアタシはカレに
「また学校で会おうね」
って言ったんだ。
でも、そこにはもうカレの姿はなかった。
あとすこしすればあれから1年だ。
公園に着くとワタルが最後に実体を見せたとき座っていた赤いブランコのところには、もう久美ちゃんとワタルAがいて、アタシの姿を見つけると
「やっほー!凛、こっち、こっち」
久美ちゃんがそう言って手を振っている。
彼女の隣にはワタルAが優しそうな笑顔で立っていた。
こうやって見ると、この2人ってホントいい雰囲気になっている。
「お待たせー」
そう言ってアタシはニコッと微笑んで彼らの方に歩いていくけど、長い付き合いの久美ちゃんはまだ元気のなアタシの雰囲気を敏感に感じている様子だった。
「凛さ、まだチョット元気ないでしょ?」
「エヘヘ、ちょっとね。でも、もう少ししたらきっとまた元気になるから」
「この前ね、ミコから電話があったの。「凛の様子がヘンみたいだけど、何かあったの?」って」
「ミコが?」
「あの娘、アンタのこと心配なんだヨ。あの娘にとってアンタはホントの親友だから。アンタにとってもそうだし」
「ウン。そうだね。ミコにも心配かけちゃって、アタシってダメだな…」
「そう思ったなら元気だしな? …といってもなんに切っ掛けもないのに元気出せって言ったって無理か」
「アタシさ、カレがいなくなって、写真も何もなくなっちゃって、カレを思い出せるものが何もないんだ。今は自分の頭の中にカレの笑顔がまだあるけど、もしかしてそのうちその記憶まで段々薄らいでいっちゃのかな…って」
すると久美ちゃんは
「凛、ちょっとこっちにおいで」
そう言ってボクの手を引っ張って赤いブランコの前に連れて行った。
「アンタの言うように、彼の姿はいつかおぼろいでいっちゃうかもしれないけど、彼がアンタに残していってくれた優しさは絶対に忘れることはないんだヨ。ココを見て?」
そう言って久美ちゃんはワタルが座っていた左側のブランコを指差した。
「これがどうしたの?」
アタシは少し不思議そうな顔をする。
「まあ御覧なさい」
そう言うと久美ちゃんは赤いペンキの塗られた木で作られているその座席を裏返した。
「アアアアッッ!!」
そこにはこう書かれていた。
「キミの未来がきっとすてきなものであることを祈ってる To R from W」
「彼が最後に姿を消そうとするとき、アンタずっとしゃがみこんで泣いてたでしょ。 そのときワタル君が彼に言ってくれたの。「鮎川、何かひとつだけでいいから凛ちゃんに残してやってくれないか」って。それがこれ」
「エ、ワタル君が?」
アタシはそう言って驚いたように久美ちゃんの横に立つワタルAを見た。
彼は照れくさそうにして言った。
「鮎川はあのときボクに言ったんや。「姿を残してあげることはできないけど、自分の気持だけ彼女に残したい。1ヶ月したらブランコの裏を見せてやってくれ」ってな」
「そ、そうなんだ…」
「なあ、凛ちゃん。これは男同士の気持やから、もう今のキミにはようわからんかもしれん。アイツが姿を残さなかったのはアイツのキミに対する優しさなんやで。それをわかてやってくれや」
「ウン、そうだね。アタシがカレの気持を大切にしなきゃね」
そう言ってカレがブランコの裏に彫った字を指でゆっくりなぞった。
それからアタシは自分にもっと強くなろうって決心した。
ミコやみーちゃんには
「凛、ちょっとだけ雰囲気変わったね」
なんて言われたりした。
「エ、どんなふうに?」
「ウーン、なんていうのかな…すこし凛っていう名前の意味に近くなったっていうのかな」
ミコが少し考えながらそう言うと
「あ、そうそうアタシもそう思った」
とみーちゃんも相槌を打って同意をする。
「じゃあ、アタシって今までは名前と逆の感じだったってこと?」
「そうだね。前は『甘えんぼの凛ちゃん』って感じかな(笑)」
ミコがそう言ってクスクスと笑った。
「ひどーーーい!(笑)」
「アハハハ」
ミコやみーちゃんはこんなにアタシのこと心配してくれたんだ。
こんなふうに笑い合える友達ってすごくありがたいって思う。
ふたたび優しい時間がアタシの周りを包み、こうして季節は穏やかに過ぎていった。
しかし
冬休みが終わった初日の登校日
とうとうその日がやってきたのだ。
それはワタルが最後にアタシに告げたカレと同じ姿をした『悪しき心』の出現。
その彼は何の前触れもなく突然姿を現す。
その日教室に入ると何となくいつもと違う違和感を感じる。
誰も何も変わった様子はないのに何かが違うような気がしてしょうがなかった。
そしてフッと窓の方を見たとき、アタシはその違和感の理由に気がついた。
アレ? 窓際の男子の列が少し長いような…。
そうだ。
1,2,3……
順番に数えてみると休み前より1つ席が多い。
その列にはすでにほとんどの男子が座っていて話をしている。
しかしその真ん中辺りにぽっかりと空いたひとつの席がある。
その席の前には松原君、後ろには鬼頭君が座っている。
でも、この2人の間には休み前には確か空いた席はなかったはずだ。
「ねぇ、エリちゃん。もしかして転校生とか来るの?席がひとつ多いけど」
アタシは近くにいるエリちゃんにそう尋ねた。
すると彼女は
「エ?そんな話は聞いてないけど。どこの席ヨ?」
と問い返してくる。
「ほら、あそこの空いてるとこ」
そう言ってアタシはその席を指差した。
ところがエリちゃんはそれに対し
「やだなぁー、凛。アンタ、自分の彼氏の座ってる席忘れちゃったの?」
そう言ってケラケラと笑い出したのだ。
「アタシの彼氏?」
「だって、あそこ石川君の席じゃん」
「エエエッッ!」
そうか……
とうとう姿を現したんだ
あのときワタルが言ってたのがホントに起こったんだ。
アタシは胸が急に高まってきた。
ドキドキする心をどうにも抑えることができない。
それはその人がどういうふうにアタシに接しようとするのかというすこし怖い気持ちと、それと逆にたとえ別人格でもワタルの姿をまた見ることができるという気持ちの両方だった。
そしてそのときは来た。
ガラッ
教室のドアが開いて入って来たのはまさにあのときアタシの前から姿を消したワタルそのものだった。
「ひさしぶりやなー。元気やったか?」
彼は自分の席に向かう途中すれ違う友達にそう声をかけている。
そして彼は席にカバンを置くと、いよいよアタシの方へと歩いてきた。
「やぁ、凛ちゃん。おはよーさん」
平然とした顔で彼はアタシにそう話しかけてきたのだ。
「お、おは…よぉ」
本当に久しぶりに会うワタルの姿。
そしてそれはワタルそのものだった。
彼の話し方も、そしてその笑顔もすべてがアタシの知っていたワタルだった。
アタシがマジマジと彼の顔を見ると
「ん?どないしたん?」
彼は不思議そうな顔をして、そしてニコッと微笑む。
「悪しき心を刺激しちゃあかん。ヤツの力はそれほど長い時間持たないはずやからさりげなくいなせばええんやから」
あのときのワタルの言葉を思い出したアタシは引きつりそうになる顔を必死に平然に装った。
「あ、あのさ、休み中どっか行ったの?」
「いやー、ハッチやグッチとパチンコの新装開店めぐりしてな。15万円ももうかってもーたわ」
ハッチやグッチって……
この人、そんな情報ももう持ってるんだ。
これは油断できないぞ。
「ア、アハハ。す、すごいじゃない。そんなに儲かったんだ」
「そうや。凛ちゃん、今日何か奢ったろか?」
エ、この人2人でどっか行くってこと?
「あ、エット、すごく嬉しいんだけど、ゴメン、アタシ今日大阪からお婆ちゃんが出てくるから早く家に帰らなくちゃいけないんだ。」
「なーんや。残念。」
「ウン!すごく残念!また今度誘って?」
ああ、冷や汗が出てきそう
アタシとワタルのそういう会話をそばで聞いてて、ミコは何も言おうとしないが、みーちゃんは不思議そうな顔をした。
ワタルが離れるとみーちゃんは
「ねぇ、何かヘンにぎこちないっていうか、アンタらうまくいってるの?」
と囁いた。
「エ、ウ、ウン。ぜんぜん。うまくいってるって」
少しどもるようにアタシは返事をする。
その日
アタシは家に帰ると夕方さっそく久美ちゃんに電話をした。
「エエッ!やっぱり現れちゃったの?ニセワタルが。それでどんな感じだったの?」
電話の向こうの久美ちゃんはかなり驚いた様子で、そして興奮気味に話をしている。
「それがさ、もうぜんぜん見分けが付かないような。ホントにカレが戻ってきたみたいでさ。でもねどこかが違うのヨ」
「違うってどう違うの?」
「ウーン、何ていうかなぁ。うまく説明できないけど、優しい感じの笑顔なんだけど、一緒にいて温かい気分になれないっていうのかな」
「あー、そういうのってあるよねぇ。ホントに好きになった相手だけに感じる女のコの直感みたいな」
「そうかもしれない。そういうのが感じられないの。だからやっぱり別人なんだなって思っちゃって」
「でもさ、それじゃヘンな言い方だけど、良かったじゃん」
「良かったって?」
「ウン。もしさ、その人がそういうところまで彼と一緒なら逆に辛いでしょ?同じなのに別人って。それでもしその人とワタル君が完全に重なっちゃって、アンタがその人のことホントに好きになっちゃったらまずいしさ」
「アタシはもう…」
「もうなにヨ? まさかもうずっと恋はしませんって言うんじゃないでしょ?」
「わかんない…。だって、ワタル君だから好きになったんだし」
「ウン、そうだね。でも、もし凛がいつかまた誰かを好きになったとき、その人に対する気持をワタル君のことを理由にして閉じちゃうとしたら、きっと一番悲しむのはワタル君だと思うヨ」
「ウン。もしいつかそういう人がアタシにも現れたとしたら…そうだね…」
そしてアタシはそれからしばらくの間この偽物のワタルと共に奇妙な高校生活を過すことになる。
さて
ウチの学校では2年生の終り近くに修学旅行に行く。
冬休みが終わるとみんなその話題で持ちきりになるのだけど、せっかくの修学旅行、それまでにニセワタルがいなくなってくれればって思ってたんだけど、彼の存在は予想以上に長く続いていた。
ワタルは彼のことを『悪しき心』とだけ言っていた。
アタシは彼がどういう悪いことをした人なのか聞いていない。
それまでの彼は、あの頃のワタルとまったく変わらないように振る舞い友達とも仲良さそうに話をしている。
そんな彼の姿を見ていると、何が悪しきことなのか、もしかしたらこの人はホントのワタルなんじゃないかと次第に思ってしまうこともあった。
それでも
「奴を刺激したらいかんぞ!」
ワタルが残した残したこの言葉通りアタシは努めて彼と普通に接するように気をつけている。
そしてとうとう修学旅行まで彼の存在は続いてしまったのだった。
九州と長崎へ5泊6日の旅。
彼もとても楽しそうではしゃいでいる。
「凛ちゃん、一緒に写真撮ろうや!」
「ハイハイ」
ハッチが構えたカメラの前でアタシとワタルは2人並んで仲良さそうにパチリ
ただ不思議と、彼は口では相変わらず軽口であの頃のワタルとそっくりなのに、態度ではアタシに限らず女のコというものに対してどこか臆病で遠慮しているような雰囲気を感じた。
これは『本物のワタル』と明らかな違いをみつけたところで、アタシは彼のそういうところに奇妙な可笑しさすら感じてしまった。
ワタルが言った『危険』という意味はわからないけど、今のところ危険というよりむしろ安全そのものという印象さえ受ける。
たとえばアタシと一緒に歩いていて偶然手が触れると、彼はビクッとして自分の手を引っ込めようとする。
アタシだけじゃない。
ミコやみーちゃんと話をしているときにも、彼の優しそうな笑みはあのときと同じようだったけど、よく観察すると彼の目は相手の女のコをほとんど見ていない。
そのときの彼の顔は照れているというよりも、明らかに女のコというものに慣れていない様な感じだったのだ。
普段の学校生活の中での彼はワタルのことを完全に知り尽くし、それに徹しているように見えていたけど、意外なところでの違いを見せるニセワタルという人物に対しアタシはほんの少しだけど興味を持たせられた。
そこでアタシはついあのときのワタルの言葉を忘れて、このニセワタルのことを少しだけからかってやりたくなった。
それはこのニセワタルの正体に興味があったからでもあった。
それは修学旅行2日目のことだった。
アタシたちの今日の日程は長崎の街
それぞれがめいめいのグループを組んで名物の坂を登り名所を見学していく。
彼はいつものコンビ、グッチとハッチとともにペチャクチャとしゃべりながら歩いていた。
ミコやみーちゃんと3人で歩いていたアタシは
「ゴメン、ちょっとワタル君のとこ行ってくる」
そう言って彼女たちと別れた。
「あ、ちょっと。凛?」
そのときフッとミコが声をかけたが、その声に振り向いたアタシにミコはすぐに
「ウウン、なんでもない。じゃあ後で大浦天主堂の前で合流しよう?」
そう言って小さく手を振った。
「ウン、オッケー!」
アタシはそう言うと足を早め少し前を歩くニセワタルたちの方に向かっていく。
アタシは彼らを見つけるとタッタッタっと駆け足で彼らの前に出る。
そして
「やっほー!」と声をかけた。
「よぉ、凛ちゃん」
ワタルはニコッと微笑んで返事をするが、目はまっすぐこっちを見ようとしていない。
「お、ワタル。彼女の登場か。それじゃオレら先に歩いてるから」
グッチとハッチは気を利かせてくれるようにそう言ってワタルを置いて歩いて行った。
「どないしたん?ミコちゃんたちと一緒に行動してる思ったけど」
ワタルは足をアタシの歩くスピードに合わせながらそう尋ねた。
「だって、せっかくの修学旅行だもん!一緒の思い出も作りたいじゃない?」
「ハハ、そやな。ボクもいい思い出作りたいわ」
アタシはワタルを装う彼に少し探りを入れようとした。
そこでまずはこう聞いてみた。
「ねぇ、覚えてる? アタシたちが初めて会ったときのこと」
すると彼は
「どっちのことやろ?キミが哲だったときのことかな?それとも凛ちゃんになったときのことやろか?」
驚いた!
そんなことまで知ってるって。
「あのときは正直ホンマびっくりしたわ。男の幼馴染が帰ってきたら女のコに変わっとったからな」
「でしょーね(笑)」
「ボクはそのとき哲がいなくなったような、少し寂しい気がして」
「『哲ちゃん』はいなくなってないんじゃない? ホラ、ここにいるじゃん」
そう言ってアタシは少し意地悪そうな目をした。
すると
ワタルは少しマジメそうな顔をしてこう返してきた。
「それはちゃうな。 哲はもうおらへんヨ」
「だって、アタシが哲ちゃんだヨ。外見が女のコに変わったから?」
「哲はもうおらん。キミは凛ちゃんという女のコやないか」
「エ…」
「ボクは『あのとき』に言ったやろ?下駄箱のところで怪我をしたボクの指にキミは自分でバンドエイドを貼ってくれた。ただバンドエイドをくれたんやなしに、自分で貼ってくれたやろ?そんな女のコをボクは好きになってしもうたんやって」
知ってる…。
彼はアタシとワタルの思い出のすべてを知っているんだ。
自分でモーションを仕掛けておいて勝手かもしれないけど、そのときアタシはこのニセワタルに何か沸々と湧き上がるような不快感を感じた。
彼はワタルに成り切ることでアタシが喜ぶと思ってるのかもしれない。
たしかにワタルと同じ姿の彼を見ることであの頃を思い出せることに喜んでいる所はあったと思う。
でも、アタシにとってワタルとの2人だけの思い出は誰にも踏み込んでほしくないものだった。
それをいくら姿が似ていてもワタル以外の人に真似されたくないし、語ってもほしくもなかった。
だから、もしかしたらそのすべてを知っているニセワタルという存在にアタシは急に不快感を感じ、そしてそれまで彼が女のコに対して控え目なところに少し愛嬌を感じていた部分も嫌悪感に逆転してしまったのかもしれない。
「ふぅん、そんなことまで知ってるんだ…」
「ん、どないしたん?」
「アナタは、アタシとワタル君とのことをどこまで知ってるの?」
アタシは彼の目を厳しい顔で見る。
そしてアタシはとうとう言ってしまった。
すると、その言葉にニセワタルは少し考えるように黙ってしまう。
「どこまで知ってるのって聞いてるんだけど?」
「なあ、凛ちゃん。アイツ(ワタル)から聞いてると思うけど、ボクが現世でこの実体を保てるのはあと少しの間や。それまでボクにほんの少しの思い出を作らせてもらえんかな?」
そう言ったニセワタルの表情はどこか寂しげだった。
「アナタは…誰なの?」
そう尋ねるとニセワタルはフッと天を仰ぐように見てこう話し出した。
「ボクは、小さい頃から引っ込み思案な子供やった。友達もできず、まして女のコと話なんかしたこともなかった。デブっててワタルみたいにカッコよくなかったしな、女のコたちはむしろボクのことを気味悪がって避けられてたくらいや。それで中学時代は引きこもって学校にほとんど行かなくなってしもて、修学旅行も結局パスやった。中学卒業した後も高校にも行かずそのまま引きこもりが続いてな。 それで23歳のときやった。もう何もかも嫌になって自分で自分の命を絶ってしもうたんや」
「じ、自殺!?」
「そうや。自分の部屋で睡眠薬を大量に飲んでな。そして向こうの世界に行った。それでも、もし自分が高校に行ってたらきっと友達みたいなものもできて、修学旅行に行って、そんな生活をしてたのかもしれないって思ったらどうしても心残りやった。それでほんのちょっとの間だけワタルの姿を借りて思い出を作れればって思って…、悪いとは思いつつワタルに成りすましたんや」
「そうなんだ…。辛い人生だったんだね」
「まあな。そやから、今こうしてハッチやグッチたちと話してて、「ああ、友達ってこういうものやったんや」って思ってすごく楽しい。でも凛ちゃんたち女のコには正直言うと、どう接したらエエのかまだ慣れてへんのや(苦笑)」
「ウン、そんな感じしてた」
「そやけど、こうしてキミたちと話してみると女のコってあったかいいもんやなって思って、もしボクがワタルみたいにカッコよかったら好きな彼女とか作ってきっと楽しい人生やったんやないかって羨ましかったわ」
「でもアタシはワタル君のカッコよさに惹かれたわけじゃないヨ?」
「ウン、わかっとる。アイツは優しそうやしな。なあ、凛ちゃん。お願いがあるんや」
「お願い?」
「別に何か特別なことをしてほしいとは思わん。あと少し、あと3日だけ、キミたちの友達としてボクに接してくれんか?」
「アナタはあと3日で消えちゃうの?」
「そうや。修学旅行の最終日の夜12時。これがボクが現世で実体を持てるタイムリミットなんや。」
「………」
「彼女としてのキミやなくてもええ。友達として、最後の思い出をボクに作らせてくれんか?」
「わかった。じゃあ、友達としてね?」
「ああ、それでええ。ワハハハ、うれしいなぁ!」
「あ、その笑い方ってワタル君そっくり(笑)」
「そらそーや。アイツのコピーみたいなもんやから(笑)」
こうして、アタシはあと3日間という約束で、このニセワタルを友達として受け入れることになったのだった。
ニセワタルはとても優しかった。
途中でお茶を飲むときには、彼はアタシを窓際の景色がよく見えるほうの席に座らせようとして、椅子を引いてくれたりする。
外のベンチに腰をかけようとすると自分のポケットからハンカチを取り出してアタシの座ろうとするところにそれをかけてくれた。
まるで女のコと付き合うためのマニュアル本をなぞるような行動をする彼に、かえって不器用さを感じてしまったりするけど、アタシのことを大切にしてくれようとするその気持はよくわかる。
だからアタシはあの頃のワタル君が今だけ戻ってきたように彼に話しかけ、そして接した。
そしてそんな楽しい日々はあっという間に過ぎて行き、いよいよ今日は修学旅行最終日となった。
昨日から博多に移動していたアタシたちは、太宰府天満宮や色々な名所を訪れながら夕方には宿舎のホテルに入った。
最終日の夕食は大きなホールでのバイキング料理
目の前には色々な料理を盛った大皿がテーブルの上にずらーーと並んでいる。
こういうときは男よりも女のコの方がずっと目ざといものだ。
自分の好みの料理を素早くチェックするのだが、それを周りに悟られないするのが女のコのすごいところ。
顔では無表情を装いながら目ではちらちらとそれぞれの料理の内容と位置をチェックして、そして最も効率的にお気に入りの料理を集められるルートを頭の中で割り出す。
「それでは今日は修学旅行の最後の日です。皆で主イエスキリストにお祈りを捧げましょう。」
ウチの学校はミッションスクールなので、こうしたパーティなどの前には必ずお祈りということをする。
そして先生の言葉にみんなは目を閉じて両手を胸に組んだ。
「主、イエスキリストよ。我々は本日を持って5日間の修学旅行を無事に終えることができました。そして今夜は晩餐の会を持ち、皆で食事を分け合い楽しいひと時を持つことができましたことを深く感謝します。アーメン」
「アーメン」
「さて、それでは楽しいひと時を過しましょう」
先生の合図でいよいよパーティの開始、それとともに女のコたちはお目当てのさらに次々と殺到していく。
そして瞬く間に空になるお皿たち
男のコたちはやむを得ず自分の好みと関係のない皿でも空いてそうなところを選んでおずおずと料理を集め始める。
そのとき!
「あ、プチケーキきたヨッ!プチケーキ!」
「やったぁー!」
運ばれてきた大きなお皿の上には、ストロベリーショート屋チョコケーキ、モンブラン、チーズケーキ、プチシューなどが山盛りに盛られて、そしてその周りをイチゴやらメロンやら巨峰やらといったフルーツが囲んでいる。
「わぁー!おいしそうー!」
「アタシ、モンブラン大好き!」
「ねぇ、エリ。そのストロベリーショート2つ取って」
「アンタ、チョコケーキそんなに取って食べきれるの?」
「みーちゃん、ミルフィーユとそのフルーツタルト取り替えない?」
「しょーがないなぁ。じゃあ、凛、アンタのチョコエクレアも1つよこしなさいヨ」
ワーワー!
キャーキャー!
そうした女のコたちの周りにいる男子たちはその姿をボーゼンとした顔で眺めている。
「お、おい。なんかスゲーな。まるでハイエナみたいだぜ」
「ああ、さっき神様に食事を分け合うってお祈りしたんじゃねーのか?」
「いや…これは狩りさ。そしてヤツらは狩人なんだ」
「オレもケーキ食いたかったんだけど、あの中に入ったら殺されそうだからやめとくよ…」
彼らは恐れおののくような目で女のコたちを見つめている。
そこに男の先生がスッと寄ってきてケーキ皿に群がる女のコ達を指差す。
そしてこう言った。
「いいか、この姿をよーく目に焼き付けておくんだ。女はな、狙った獲物は絶対に外さない。オマエたちが将来結婚するときこの姿を思い出して、そして相手を選ぶんだぞ。これも教育のひとつなんだからな!」
男のコたちは先生のその言葉に視線の先にいる女のコたちを見つめ、そして
「ああ、先生。忘れようたって忘れられネーヨ!今オレたちの前で戦っている誇り高い戦士たちの姿をな」
と呟いたとか。
それから間もなく女のコたちはパラパラとその大皿から離れていく。
お皿の上に残っているのは何やらわけのわからないフルーツのようなもの数切れだけ。
「刈りつくしたみたいだな…」
「ああ、スゲーよ。ぺんぺん草も残っちゃいねーな」
一通りおなかを満たした女のコたちは今度はジュースを片手にペチャクチャと話を始める。
そんなときアタシがフッとニセワタルの方を見ると、彼はいつものグッチ&ハッチコンビと楽しそうに話をしていた。
すると目が合った彼はアタシの方にゆっくり歩いてくる。
「やぁ、凛ちゃん」
「お料理、たくさん食べた?」
「ああ、もう腹がパンパンや。こんな美味い料理久しぶりに食ったわ」
「そう、よかった。あの…」
「ん、なんや?」
「あと何時間かでいなくなっちゃうんだね?」
「ああ、いよいよお別れや」
「元気でねって言うのはヘンかもしれないけど…」
「ハハハ、確かにちょっとヘンかもな(笑)凛ちゃんこそ元気でな」
「ウン、アリガト。この5日間楽しかった」
「ボクもや。なあ、凛ちゃん」
「なあに?」
「最後の頼みがあるんやけど…」
「エ、なに?」
「あのな、図々しいお願いかもしれんけど、最後の最後に30分だけ、形だけでええんや、ボクとデートしてくれへんかな?博多の町を2人で歩くだけでええんや」
ウーーーーン……
アタシは考えた。
友達としてっていうことで彼を受け入れたはずだったから
それ以上のことを求められても応えるつもりはなかった。
でも、ニセワタルはこの5日間アタシに精一杯優しくしてくれた。
彼が自分が消えてしまう前に最後のよい思い出を作りたいっていう気持はわからないでもない。
「いいヨ。わかった」
アタシがニコッと微笑んで彼にそう答えると
「わぁー!やったー!」
彼は身体すべてで喜ぶ表情をあらわした。
「そんな大袈裟だヨ」
「いーや、大袈裟やないでぇ。ああ、これで思い残すことはないわぁ。ほなら、9時にホテルの前の橋のたもとで待っとるから」
そう言って彼はまたグッチ&ハッチコンビの方へと戻っていった。
彼にとって最初で最後の修学旅行、きっと満足したんだろうな。
あんなに喜んでるんなら最後のデートくらいいいよね。
アタシがそう思ったとき
プルルルルーーーーーーーーーー
ポシェットの中に入れた携帯電話が急に鳴り出した。
アタシが電話を取り出すと久美ちゃんからの着信表示が出ている。
あれ、どうしたんだろ
久美ちゃん、今日までアタシが修学旅行だってこと知ってるはずだけど
そう不思議に思ってアタシはその電話に出る。
「もしもし。あ、凛?」
「久美ちゃんだよね?どーしたの?」
「ア、アンタ今どこにいるの?」
電話の向こうの久美ちゃんはかなり慌てている様子だった。
「どこって修学旅行先のホテルだけど。今ね、最終日のパーティやってるとこ。」
すると久美ちゃんは
「ホテルの名前と住所教えて!?アタシたち、今からすぐそっちに行くから!」
「エ、そっちにって、ここって博多だヨ?」
「いいから早く教えなさい!」
こんな口調の久美ちゃんは初めてだ。
アタシは久美ちゃんにホテルの名前や場所を教えると
「わかったわ。今アタシたちも福岡空港に着いたところなんだわ」
と久美ちゃんは言った。
「エ、なんで?アタシたちって久美ちゃんの他に誰がいるの?」
「とにかく今からーーーー」
そして、そう言ったところで急に電話の声は途切れて切れてしまった。
一体どうしたというんだろう…
アタシが自分の腕にはめている時計を見ると8時50分になろうとしていた。
博多駅からここまで1時間はかかるだろう。
9時にニセワタルと待合わせをして30分間のデートだから9時半にはホテルに戻れる。
久美ちゃんにはココの場所を教えてあるから大丈夫だよね。
そう考えてアタシはニセワタルとの約束の場所に向かうことにした。
約束した橋のたもとではすでにニセワタルが待っていていくれていた。
「お待たせー」
着替える時間もなく、2人とも制服のままだ。
そしてアタシたちは肩を並べて歩き出す。
博多の街には大きなビルがたくさんあって、中心地は東京とほとんど変わらないような感じがする。
それでも面白かったのは街のそこかしこに屋台のお店が出ていていろいろなものを売っている。
名物の博多ラーメン屋、もつ焼きやお好み焼きのお店まである。
そういう雰囲気は東京の中心街にはあまり見られない。
「わぁー、こんなにたくさん屋台のお店があるなんて、話には聞いてたけど実際見るとすごいねー」
少しウキウキするようにアタシがそう言うと
「ホンマやな。ボクも博多は来たことなかったけど、こんなところで暮らすのも楽しそうやわ」
彼もものめずらしそうにキョロキョロと目を配らせた。
「ねぇ、アナタはどこで暮らしていたの?」
「ボクはずっと大阪や」
「へぇー、じゃあその大阪弁って本物なんだ?」
「そうや。本物のワタルの関西弁はニセものやけどニセもののワタルのボクの関西弁はホンモノってわけや」
「アハハ、何かややこしいね(笑)」
「確かにそうやな(笑)どっちがどっちかこんがらがってきそうやわ」
「あの…さ、こんなこと聞いちゃっていいかな?」
「なんや?」
「アナタは…いつごろ亡くなった人なの?」
「今から3年ほど前やな」
「じゃあ、それほど経ってないんだ?」
「まあ、そうやな。だから今回こうして現世に実体を現せる力も残っていたんやろな。強く念じてハッと気がついたらワタルの姿になっていたんや」
「今度はきっといい人生を送れるといいね」
「そう…やな」
そうやって話しながら歩いているうちにアタシたちは随分ホテルから離れた辺りまで歩いて来てしまう。表通りからはずれ辺りには人通りもほとんどなかった。
「あ、なんかけっこう遠くまで来ちゃったみたい。これじゃ戻るのに大変だヨ」
アタシがそう言って彼の方を向いたときだ。
今まで女のコの目を見て話そうとしなかった彼はアタシの目をじっと見てこう言った。
「なあ、凛ちゃん。こんなところで2人で暮らしたら楽しいと思わんか?」
「エ、2人で…って、どうしてアタシがアナタと?」
アタシは驚いたようについきつい口調でそう言ってしまった。
するとそのアタシの言葉に彼の表情が急に険しくなった。
そしてそれまで優しかった彼は吐き捨てるようにこう言った。
「フン、結局女なんてそうや。カッコいい男にはホイホイ靡くくせにボクみたいな顔も頭も良くない男はまるで汚い物を見るように馬鹿にする。オマエかてそこらの女とかわらへんやないか」
急変した彼の口調にアタシは戸惑った。
「ど、どうしたの?何でいきなりそんなこと言うの?」
すると彼はいきなり
「黙れっ!」
とアタシを怒鳴りつけた。
ビクッとして身を引こうとしたアタシの怯える目を彼はじっと見つめ続ける。
そのとき、アタシは身体中に強い気だるさが襲ってきて意識が急に遠のいていくような気がした。
「なあ、凛ちゃん。ここでボクと2人で暮らそうや?」
ニセワタルはもう一度撫で回すような声でそう囁いた。
「…ハイ」
彼はアタシの身体を抱いてさらに奥の方の暗がりへと歩いていった。
そこには何軒かのラブホテルが固まって建っていた。
そして彼はそのうちの一軒にアタシを連れ込む。
部屋の中に入ると彼はアタシの目を見つめ
「凛ちゃん、長いこといなくなってゴメンな。ボクや、ワタルや」
とアタシの耳元で囁いた。
そしてアタシはカレの顔をじっと見つめる。
すると、あのとき夏の終りにワタルと赤いブランコの公園で別れたときの光景が記憶の中に蘇ってきた。
「ワタル君?…本当のワタル君なの?」
「そうや。ボクや」
「今までどこに行ってたの?ずっと寂しかったのに」
「スマンかったな。今日は凛ちゃんを迎えにきたんや」
「アタシを迎えに?」
「そうや。凛ちゃんをボクの嫁さんにするためにな」
「アタシ、アナタの…。ホントに?」
「ああ、ホンマや。2人で子供を作って一緒に暮らそう」
「2人の赤ちゃん…を?」
「そうや。だから今日ボクは凛ちゃんを抱く。ええな」
ニセワタルがそう言うとアタシは何かに操られているかのように身に付けていた制服を脱いでいった。
上着のブレザーを、スカートを脱ぎ、そしてブラウスを脱ぐと下着だけの姿になって彼の前に立つ。
「キレイや…凛ちゃん。キレイやな」
彼はアタシの身体を自分に引き寄せた。
「…ワタル君」
アタシは彼の胸に自分の顔を沈める。
するとそのとき!
木製の部屋のドアが
ドン!ドン!ドン!
と音を立てて響く。
そして最後に
ドンッッ!
という大きな音とともにそのドアは蹴破られた。
「凛!だいじょうぶっ!?」
そう叫んで入って来たのは久美ちゃんとワタルAの2人だった。
そして久美ちゃんはニセワタルの胸に抱かれているアタシの身体を無理やり引き離しワタルAが2人の間に立ちはだかった。
「ちょっと!久美ちゃん、なにするの!?せっかくワタル君が戻ってきたのに!」
アタシは久美ちゃんにつかまれた両手をジタバタとほどこうとするが彼女は強くそれを握り締めたまま離そうとしない。
そして彼女は
「凛!しっかりしてっ!」
と叫んだ。
「なんで!?ワタル君!ワタル君!助けてよぉー!」
そう言って抵抗するアタシに久美ちゃんはいきなり
パン!パン!
と両頬に強烈な平手ビンタ
すると
「アレ?アタシ…なんでこんなとこに?」
それまで遠のいていたアタシの意識が急に戻ってきたのだ。
そしてハッと自分の身体を見ると服もブラも脱いでショーツだけの状態
「キャァァーーーー!!な、なんでこんな格好で!!?」
そう叫ぶアタシに久美ちゃんはベッドの上に置いてあったバスローブをかけてくれた。
「凛、アンタ、このニセワタルに催眠かけられてたのヨッ!」
「エエエッ!」
アタシはニセワタルの顔を睨んだ。
「ア、アナタ、自分が自殺して行けなかった修学旅行の思い出を作りたいだけだってアタシに言ったのに。嘘だったの!?」
ニセワタルは憎悪の表情を浮かべて何も答えようとしない。
「そんなの嘘も嘘!大嘘ヨッ!」
久美ちゃんはバスローブに包まれたアタシを抱き締めながらそう叫ぶ。
そしてニセワタルに対峙して立ちはだかるワタルAが言った。
「凛ちゃん、よく聞けや。コイツは自殺なんかで死んだんやあらへん。コイツはな死刑になって死んだヤツなんやっ!」
「し、死刑!!」
「そうや。5年前、ボクらがまだ小学生の頃大阪の方で女子高生の連続強姦殺害事件があったやろ。10人の女のコを犯して殺して大騒ぎになった事件や。その犯人がコイツで、その後コイツは逮捕されて23歳のとき死刑になったんや。」
「そんな…。じゃあ、あの話は全部嘘だったんだ」
「コイツは小さい頃から女のコに相手にされないことで女のコに逆恨みをして犯行を続けたんや。そして死刑になった後最後の力を使って鮎川の実体を盗んで成りすまし、凛ちゃんの心を惹いてキミを妊娠させようとしたんや」
「なんでそんなことを?」
「自分の子供ができれば自分の存在を現世に実体化させたままでいられるからヨ。子供ができればその原因となった自分の存在がなければ自然の摂理に反することになるからね。そうやってこの人は自分を生き返らせようとしたわけ」
2人にそこまで説明されるとニセワタルは顔はゆがめて言った。
「フン、ワタルのヤツが調べたのか?」
「そうヨッ!アンタの正体はぜんぶわかってるんだからねっ!もう諦めて向こうの世界に帰りなさいっ!」
「うるさいっ!凛っ、さあ、こっちに来い!」
「いやだっ!誰がアンタなんかの子を妊娠するもんかっ!」
「オマエら女は所詮そうやって見栄えだけで男を選んでいるだけだろがっ!それか見栄えが悪けりゃ金だろがっ。そのどっちも持たないオレがそうやってどれだけ傷ついてきたか、オマエら女は何も考えようとしねー!」
「ち、ちがうっ!アタシはそんなんでワタル君を好きになったわけじゃない!」
「ちがわねーヨ。もしワタルがオレみたいな容姿だったら、それでもオマエはワタルのことを好きになったか?」
するとそれを聞いて久美ちゃんはゆっくりと言った。
「アンタは女ってものを勘違いしてるんだヨ。アンタが女のコたちに嫌われていたのは容姿なんかじゃない。その気持ち悪い勘違いだってことにいい加減気付きなさいっ!」
「なんだとーーっ!このアマーーー!」
ニセワタルはものすごい力で久美ちゃんを突き飛ばしアタシを無理やり引き寄せた。
ワタルAは倒れた久美ちゃんを庇いそして
「このガキャァァー!オレの久美子になにすんじゃあああーーー!!」
そう言って突進していくがニセワタルのものすごい力に弾き飛ばされてしまう。
そしてニセワタルは無理やりアタシの唇に自分の唇を重ねようとした。
「いやぁぁーーーー!いやだぁーーー!絶対にいやだぁぁーーー!!」
しかし必死に抵抗するアタシはニセワタルに簡単に押さえつけられてしまう。
近づいてくるニセワタルの唇
そのときアタシは脱ぎ捨てた自分の制服の上着が手に触れ、それを掴むと迫ってくるニセワタルの顔に押しつけた。
すると彼は
「ぎゃぁぁーーーーっ!!」
いきなりすごい悲鳴を上げて顔を離すとその場でのたうち回った。
そしてニセワタルが顔を上げたときアタシが制服の上着を押し付けたところにはくっきりと模様のようなものができていて、そこからはプスプスと焼け爛れたような跡ができていた。
「なんでっ!?」
ウチの学校はミッションスクールで、盾の形をした校章を男女とも制服の上着の胸に着けることになっている。
これは『信仰の盾』と呼ばれ青葉学院のキリスト教主義を象徴するものだ。
しかしニセワタルはこの校章を着けるのをことさら嫌がって寒い日でもシャツだけでいることが多かったし、礼拝の時間になると決まって姿を見せなかった。
そういえばこの校章はそのひとつひとつが洗礼を受けているという話を聞いたことがある。
「もしかして…」
アタシは横でまだのた打ち回っているニセワタルの頭から自分の制服の上着をバサッと被せた。
すると
「ぎゃぁぁーーーーーっっ!!」
「熱いーーー!熱いーーーっ!!」
ニセワタルはそう叫び転げまわった。
そして制服をかぶった彼の頭からはぶすぶすと焼けるような煙が上がり始めた。
「主イエスキリストよ、どうか私たちをお守りください。この悪しき心を闇に葬ってください」
アタシはカレの身体を押さえつけながらブツブツと念じた。
「いやだぁぁーーーー!オレは絶対に女をゆるさねーーー!まだまだ生きて仕返ししてやるんだぁぁぁーーーー!」
ニセワタルは断末魔の叫び声をあげ、そして最後は蒸発するようにその姿を消してしまったのだった。
「お、おわった…」
これですべてが終わった。
そう思ったときアタシは自然と涙が溢れてきてそして久美ちゃんにすがるように泣き出した。
「ああーーーん!あああーーーん!!」
久美ちゃんはそんなアタシを抱きしめて黙って背中をさすってくれている。
そしてしばらくして
「さあ、凛。とにかくココから出よう。服を着て?」
そう言われて脱ぎ捨てられた自分の服を集めてそれを着るとアタシたちは部屋を出た。
「とにかく気持を少し落ち着かせんとな」
アタシたちは表通りまで行くと近くにあったファミリレストランに入る。
温かいレモンティを一口飲んだとき初めて今までのことを思い出して言葉にできない悲しさがこみ上げてきた。
「まあ、とにかくこれでぜんぶ終りヨ」
久美ちゃんがそう言って小さな声で涙をこぼしているアタシに言った。
「ウン、そうだね。それにしても、久美ちゃんから電話をもらったときはビックリしたけど、どうしてニセワタルが今日行動に出るってわかったの?」
「ワタル君がね、鮎川君があのニセワタルのことを調べていたの。そして最後の力を使ってそれをアタシとワタル君に知らせたのヨ。」
「ワタル君が?」
「そうヨ。彼、アンタのこと最後まで心配してね、何度か生れ変ろうとするチャンスを見送って調べてくれてたらしいの」
「それでワタル君は?」
「アタシたちにこのことを知らせて、そして今度こそ生れ変ることになるって言って消えていったわ」
「じゃあ…もう、完全にいなくなっちゃったんだ」
「そういうことだね。ねぇ、凛」
「エ、なに?」
「彼の存在はなくなっちゃったけど、アタシたちはさ、彼のことずっと忘れないでいようヨ。」
「ウン。そうだね。絶対に忘れない。」
そのときフッと時計を見ると
「ああ!もう12時過ぎてる!」
「エッ!もうそんな時間?」
久美ちゃんもビックリして自分の腕時計を見た。
「凛、アンタ、宿泊先で大騒ぎになってるんじゃないの?早く戻ったほうがいいヨ」
「ウ、ウン。でもアタシより久美ちゃんたちはどうするの?もう東京に帰れる便なんてないでしょ?」
「ああ、アタシたちは…どっかそこらへんのホテルに泊まってくから」
「エ、だって、こんな時間で空いてるホテルなんかあるの?」
「ウーン、さっきみたいなのだったら…あるでしょ?」
「さっきみたいのって…ラブホテル!?」
「まあ、そんなとこ。アタシたち、もうさ…(笑)」
そう言って久美ちゃんは顔を緩ませながらチラッとワタルAの方を見る。
ワタルAは久美ちゃんの言葉に
「ワハハハ!まあ、心配すんなや」
と照れまくってる表情だ。
「そ、そうだったの?知らなかったー!」
「エヘヘ、じつはさ、アタシたちが20歳になったら結婚しようって、カレが言ってくれてさ」
「ヘェー。おめでとう。ワタル君も初恋がかなったんだねぇー」
「さあ、凛。もうホント遅くなっちゃうから。向こうに帰ったら連絡頂戴ね」
「ウン、わかった」
そしてアタシは久美ちゃんとワタルAにお礼を言って宿泊先のホテルへの道を急いだ。
ホテルの前に着いたのはもう12時半
当然正面玄関はもう薄暗くなっている。
正面から入れば先生に見つかるのは確実
そこでアタシは少し離れた場所からまず携帯電話でミコにかけてみることにした。
プルルルーーーーー
プルルルルーーーー
3回目のコールの後
「もしもし」
とミコの声が聞こえる。
その声は小さく潜めた様子だ。
「あ、ミコ?」
アタシがそう呼びかけると
「凛、アンタぁぁ~~~!ひとりで一体どこに行っちゃってたのヨッ!」
久しぶりに聞くミコのお怒りMAXの声だ。
「ゴメ~~ン。怒らないでぇぇ~~」
「とにかく今から裏手の非常口をあけるから」
ミコはそう言うと電話が切れた。
アタシが裏口に回ると少しして
カチャッ
と小さな音を立ててドアが開き、そこからミコが辺りをうかがうように顔を出す。
「ホラッ、早く入りなさい!」
「はーい」
部屋に向かう途中、アタシとミコは先生に見つからないように抜き足差し足で薄暗い廊下を進んでいく。
そして女子6人の部屋に辿り着くと、ミコは部屋についている小さなシャワールームの中に入って、他に気付かれないよう小さな声でアタシにお叱りの言葉を浴びせかけた。
「まったく、アンタったらっ!どこ行ってたのヨッ!」
「あの、ちょっと街の中を散歩してたら道に迷っちゃって」
「だったらすぐに電話すればいいでしょーがっ!」
「それがさ、携帯の電池が切れてて、さっき充電してやっとかけれたの」
「ほんっとにしょーがない娘だねっ!とにかく早く着替えて、布団に入りなさい!さっき小宮山先生(男)が消灯の点呼に来たけど、アンタはアレでトイレに行ってるって言ったら何も言わなくなったから」
「ゴメンね。ミコ、ありがとぉ。」
「もういいから。ホラ、早く着替えちゃいな」
「ウン」
アタシはシャワールームの中で着ていた制服を脱ぎ、そして暗闇の中で自分のバッグを探し、そこからごそごそとパジャマを出し着替えた。
そして自分の布団に入ると今日一日のことが走馬灯のように思い出されてきた。
ワタルと初めて会った中3のときのこと
下駄箱のところで指に怪我をしたカレに巻いてあげたバンドエイド
ディズニーランドでの出来事
その年の夏の終り、2人でプールに行った初めてのデート
合格発表の後カレと一緒に歩いた宮益坂の風景
そして……
高1の夏の終りに
彼がアタシの前からいなくなったあの赤いブランコの公園
その一つ一つを思い出してアタシはカレの存在を確かめた。
そうしていると、どうしても抑えきれない感情がこみ上げてきて涙が溢れてきてしまう。
アタシは他の人に気付かれまいと布団を頭からかぶって、その中で小さな嗚咽の声を漏らした。
「ぅっ、ぅぅ、ぅぅぅ…」
すると
それに気付いたのか、それともアタシの様子が気になったのか、隣の布団で寝ているミコが小さな声で
「凛、眠れないの?」
と囁いた。
「ミ、ミコ…ゴメンね。邪魔しちゃって。ゴメンね…」
アタシは涙で濡れた顔を拭ってそう返事をした。
「いいヨ」
ミコは優しい声でそう言ってアタシの髪を手で撫でた。
「ね、ひさしぶりに一緒に寝ようか?」
ミコはそう囁いて自分の布団を少し持ち上げた。
「いいの?」
「ウン。いいヨ。おいで?」
アタシはミコの布団に自分の身体をもぐりこませた。
そして自分の身体をミコに摺り寄せて彼女の胸に頭をつけた。
「フフフ、また甘えんぼの凛ちゃんに戻っちゃったね?」
そう言って彼女は小さく笑う。
そしてアタシはミコの身体の甘く優しい香りに包まれながら眠りに着いた。
次の日東京に戻ると、その日の夜にでも久美ちゃんに電話しようと思っていたが、それをする前に夕方に彼女から電話があった。
彼女の声はひどく慌てていた。
「凛、今からそっちに行くから!」
そう言って電話が切れると、すぐそばに住む彼女は20分ほどでウチに来た。
「どうしたの?そんなに慌てて。また何かあったの?」
「い、いいから。アンタ、自分の小学校の卒業アルバム出してごらん。」
久美ちゃんに急かされて本棚の奥にしまってある小学校のときの卒業アルバムを取り出し久美ちゃんに差し出す。
すると久美ちゃんはそれをひったくるようにして、そして何枚かをペラペラとめくって呟いた。
「やっぱり……」
「やっぱりって、なにが?」
アタシは不思議そうな顔でそう尋ねた。
久美ちゃんはアルバムをアタシの前に置いて
「凛、この中でアンタの写っている写真探してごらん?」
と言った。
「アタシの?エット…」
そう言ってまずクラスの集合写真のページをめくる。
その頃のアタシはまだ『小谷 哲』
集合写真は向かって左手に男子が、右手に女子が並んでいる。
哲だった自分はたしか安田の隣に写っているはずだった。
「ア、アレ?いない。写ってない…。なんで?」
「そうでしょ?アンタは安田君の隣にいたはずだよね。でも写ってない」
「じゃ、じゃあ、アタシ、どこにいっちゃったの?まさかアタシの存在まで消されちゃったってこと?」
「ウウン。アンタは消えてなんかないヨ。ホラ、アンタはここ」
そう言って久美ちゃんが指を差したのは左手の女子のほう、久美ちゃんの隣にいる女のコだった。
「エ?だって…」
「よく見て?この娘。アンタでしょ?」
そう言われてアタシは久美ちゃんの隣に写っているピンクのワンピースを身に付けている女のコの顔をまじまじと見た。
「ア、アタシだ…」
「そうでしょ?これって明らかにアンタだよね?」
「でも、この頃はまだ…。」
「そう、アンタはこの頃は小谷 哲だった。それが…」
アタシは立ち上がると他の小さい頃の写真を探し始めた。
すると
その写真のどれもにその娘と同じ顔立ちの女のコが写っている。
そしてその顔は明らかに今のアタシにつながるだろうと想像できるものだった。
「なんで…そんな…」
「多分想像なんだけどね、これって鮎川君がやったんじゃないかな」
「ワタル君が?」
「ウン。アンタの過去をすべて今のアンタにつながるように摩り替えてしまった。多分おじさんやおばさんたち、みんなの記憶もね」
「なんでそんなことを?」
「これも想像だけど、アンタが過去に縛られて心のどこかにわだかまりや引け目を持たないようにって思ってやったんじゃなかってアタシは思う」
「凛、これを受け入れるかどうかはアンタの自由だけど。アタシは彼の思いは無駄にしてほしくないって思うわ」
カレは、アタシの中に残っている哲を、ワタルは最後に消してくれたんだ。
「ウン。アタシ、ワタル君の思いを受け入れる」
ワタル
アナタは最後にアタシにこれを残していってくれたんだね。
ありがとう
アタシはもう振り返らない
きっとこれから先の自分の人生を大切に生きていくから
アナタのためにも
bye bye my dearling




