第21話 meet again
それは、高2に進級したばかりの5月のことだった。
学校からの帰り道、ボクはちょうど最寄駅に着いて電車から降りホームを歩いていた。
するとそのとき
ピロロローーーーーー
バッグの中に入れてある携帯電話の着信音が聞こえるのに気づいたボクはそれを取り出し表示を見た。
そこにはしばらく会っていない久美ちゃんの懐かしい名前
(あ、久美ちゃんだぁ!)
嬉しくなったボクはさっそくその電話を耳に当てた。
「もしもし。久美ちゃん?」
「やっほぅー!凛、ひさしーねー。今話ししてだいじょうぶ?」
「ウン。いいヨ。今ちょうど駅に着いたとこだったの」
「ナイスタイミングッ!じつはそろそろアンタが帰る頃かなって思ってさ、アタシも駅の近くにいるのヨ」
「あ、そうなの?じゃあアタシそっちに行くから待ってて?」
そういうわけで、ボクは久美ちゃんと駅前のロータリーで待ち合わせたのだった。
「凛、ひさしぶりー」
そう言って相変わらずのポニーテール姿で可愛い笑顔を見せる久美ちゃん。
久美ちゃんはボクの姿を見て「あれっ」と言うような表情をする。
「凛、髪の毛短くしたでしょ?」
そうなのだ!
さすが女のコは鋭い。
2年生になってボクは少しイメチェンをしようと思った。
そしていろいろ考えた結果中2の頃から伸ばしてきた髪を5センチほど短くしたのだ。
今は肩に付く程度の長さのボブカットにしている。
「へぇー、可愛いー。少しボーイッシュな感じがしてすごくにあってるヨ」
久美ちゃんにそう言われるとなんか照れてしまう。
ボクたちは肩を並べてゆっくりと歩き出した。
「でも、どうしたの?急に。びっくりしちゃった」
ボクの質問に久美ちゃんはどことなく嬉しそうというか
テレを隠している感じがする。
「フフフ、歩きながらじゃ落ち着かないから。そこの喫茶店にでも入らない?」
ボクらは駅の近くにある一軒の喫茶店に入る。
そして窓際のテーブルに腰を下ろした。
ウエイトレスさんが冷えたお水を持って注文を聞きに来る。
ボクはアイスティーを、久美ちゃんはオレンジジュースをそれぞれ注文した。
「で、さっきの話だけどさーーー」
そう言って久美ちゃんがようやくその話を切り出す。
「じつは、あのさ、ワタル君が帰ってくるのヨ」
「エ、ワタルってどっちの?」
ボクは驚いてそう尋ねる。
「あ、ゴメン。大阪のワタル君。ワタルAのほうね」
「そっか。そりゃそうだよね(笑)」
ボクたちが大阪に行って成長、というかすっかりグレちゃったワタルAと再会したのが高1の9月。
あれから8ヶ月近くが経つ。
あれ以来ボクとワタルAとのつながりは全くなかったけど、久美ちゃんは週に何度もメールをして連絡を取り合っているという話は聞いている。
「あのさ、あのときアンタにワタル君の本当の転校理由は話したじゃない?」
「あ、ウン。ご両親が離婚したんだったよね?」
「そう。それでお母さんがワタル君を、お父さんが妹さんの方を引き取ったそうなの」
「あー、そういえば彼って妹さんいたよね。3歳年下だっけ?」
「アンタも覚えてた?昔ワタル君の家に遊びに行ったときまだ小1くらいだったんだよね。千歌ちゃんっていうの」
「そうそう、千歌ちゃん! 久美ちゃんその娘のことけっこう可愛がってときどき一緒に遊んであげてたもんね」
「ウン。でもね、離婚の理由っていうのはすごく些細なことだったんだって。ちょっとした喧嘩から売り言葉に買い言葉みたいな感じで」
「エ、そんなことで離婚しちゃうんだ?」
ボクはかなり意外だった。
ウチの両親はいつもベタベタしてる方ではないけど不思議と喧嘩というものはしたことがない。
「まあもちろんそれだけじゃなくて他にも不満が溜まってたんだろうけどさ。きっかけなんて些細な場合が多いヨ。それでさ…」
久美ちゃんは話を続ける前に一口ジュースで喉を潤した。
「それで当時のワタル君としてはものすごくショックだったのよね。彼ってその妹さんのことすごく可愛がってたしね。それで転校先の小学校では暴れだして、中学では不良仲間のボス。高校になるといつの間にか地域を束ねるワル中のワルになっちゃったって」
「へぇー、なんかどんど出世してくみたいな感じだねぇ」
「そうだねー(笑)」
「それがさ今から3ヶ月前のことなんだけどーーー」
「ウ、ウン。何かあったの?」
「バッタリ会ったんだって。お父さんとお母さんが」
「どこで?」
「それがさ、すごい偶然っていうか、不思議なことだったらしいんだけど。お父さんの会社の部下の人が大阪に出張に行く予定だったんだけど、急に奥さんが産気づいちゃったらしいの。それでどうしても外せない出張で代わりに彼のお父さんが行くことになってね。その時仕事が終わって夕食を食べに入ったファミレスで偶然お母さんと隣の席になったんだって」
「エーーー、それってすごくない? 偶然に偶然が重なったみたいな」
「でしょー!? それでお互いその時には冷静になってたからポツンポツンって会話があって、それでそれから何度か会うようになってね。そのうちもう一度やり直そうかって話になったって」
「へぇー、じゃ、よかったじゃない。ワタル、喜んだでしょ?」
「なんかすごく照れてた(笑)」
「フフフ、アイツらしいね(笑)素直になればいいのに」
そんなわけで、アイツはこの街に戻ってくるんだそうだ。
高校も久美ちゃんのメールを通じた勉強指導で数駅先の武蔵野工業高校の編入試験に受かったそうだ。
「それでさ、来週の日曜日なんだけど2人でお引越しの手伝いに行かない?」
久美ちゃんは嬉々としてそう言った。
「ウン。いいヨ」
日曜日ならチア部の練習もない。
以前はワタルとよく出かけていたけど、今はときどきミコやみーちゃんと遊びに行くくらいで暇なことが多かった。
そんなわけで翌週の日曜日
ボクと久美ちゃんは揃ってワタル家のお引越しのお手伝いへと向かった。
彼の新しい家はボクらの隣の駅にある白い清潔そうなマンションだった。
久美ちゃんはあれから3回ほどワタルと会ったらしい。
聞いた話では、ワタルはあれからアルバイトを始めて、そのお金で東京まで来ていたとか。
あのときのスタイルを想像するとカツアゲしたお金とか思いそうだけど、彼はじつはそういうことは大嫌いらしい。
そして久しぶりに会ったワタルの姿にボクは目を丸くした。
「エ?ワタル…君?」
あのときまっキンキンだったリーゼントの髪の毛は小学校時代と同じ真っ黒の五分刈りに。
そして白いズボンと虎の刺繍の入った思いっきり怪しげなジャンパーは、ありきたりのジーンズと紺のセーターに変わっていた。
「カレって変わったでしょ?(笑)」
久美ちゃんがそう言うと
ワタルはって少し照れたように
「ワハハハーーーー」
と笑った。
うん、変わった
っていうか、昔のワタルに戻ったみたいだ。
しばらく3人で話をしているとそこに2台の引越しトラックがやってくる。
その中に分乗して降りてきたのは、ワタルのお父さんとお母さんそしてあのときはまだ小1だった妹さんだった。
彼女も今では中2。
身長はボクや久美ちゃんとそう変わらないほど伸びていた。
ワタルは男だけどけっこう身長が低い方だけど、妹さんは背の高いお父さん似なのかもしれない。
それでも彼女は久しぶりに一緒に暮らすお母さんにぺたっとくっつくようにしていた。
事前にワタルからボクのことを聞いていたおじさんたちだったけど、6年ぶりに会ったボクの姿にはやっぱり驚いていたようだった。
それでもおばさんは
「ワタルから聞いたときちょっと信じられなかったけど、でもこうやって会うと、ああ、やっぱりーって思ったわ」
とあの頃の優しい笑顔で言った。
「なんかね、アナタってあの頃も他の男友達と雰囲気が違ってたのヨ。アタシや久美ちゃんと同じ空気みたいのがアナタの周りを包んでてね。不思議な感じの子だなって思ってたけど、今になって納得できたわ」
そしておばさんはワタルの方をチラッと見ると
「ね、ワタル。今度は2対1、ウウン。アタシと千歌を加えて4人ね。今度はアンタが女のコたちに従う番ヨッ!」
ちょっと意地悪そうな顔でおばさんはそう言ってクスクスと笑い出す。
それを見ておじさんと千歌ちゃんもケラケラと笑う。
ボクはワタルの家がもうあの頃の温かさを取り戻つつあるのを感じた。
「さあ、それじゃそろそろ始めようか」
引越し業者さんとおじさんそしてワタルが重い荷物を持って順番に家の中に運び込んでいき、おばさんと千歌ちゃん、ボクと久美ちゃんの4人でそれを荷解きしてお皿などを棚の中に配置していく。
業者さんたちはさすが引越しのプロ
あれだけあった大量の荷物は午前中でそのほとんどが部屋の中に運び込まれていた。
そしてあとは各部屋へのタンスや本棚、机などの配置だけとなり、1時間のお昼休憩をとることになった。
すると少し前からおばさんがお昼ご飯の準備をしていたキッチンからカレーのいい匂いが漂ってくる。
「あ、あのときのカレーの匂いだ!」
そう思ってボクと久美ちゃんはお互いに顔を見合わせニコッとした。
「さあ、久美ちゃんも凛ちゃんもテーブルに座って」
「はぁーい」
ボクと久美ちゃんが小学生の頃ワタルの家に遊びに行くと、よくおばさんはお昼ご飯にカレーをご馳走してくれた。
「おいしい~~~~~!」
ふわ~っと甘い香りのするおばさんのカレーはボクも久美ちゃんも大好きだった。
ワタルはガツガツとカレーをほおばりそして3杯目のおかわりも平らげてしまう。
「ワタル君、もっと味わって食べれば?せっかくのおばさんのカレーなのに(笑)」
ボクが笑いながらそう言うと
「そやかて、これだけ働けばお腹ペコペコやもん」
そしてフッと久美ちゃんを見ると、そんなワタルの姿を彼女は優しそうな目で見ている。
午後になりそれぞれの部屋に荷物を運び終えると、おじさんとおばさんは
「さあ、あとは私たちでやるから。3人は部屋でゆっくり話でもしてきなさい。」
そう言ってジュースとお菓子を用意してくれた。
ボクたちはワタルの部屋に腰を下ろし周りを見回す。
男のコの部屋だからわりと地味なカーテンで、家具も机にベッド、そして本棚が1つとこじんまりしている。
ただ10階の窓から見える景色は街中のほとんどを見渡せる気持ちのいいものだった。
「わぁ、いい風」
ボクはベランダから眼下に広がる街を見渡した。
ボクの家も久美ちゃんの家も一戸建てだからこんな高い場所から眺められる景色はない。
ボクたちがそうしている間にワタルは自分の部屋に運び込まれたダンボールを開いてその中にある本などを棚に並べていった。
すると
「あれ…」
そう言ってワタルの手が止まる。
「どうしたの?」
久美ちゃんがワタルに尋ねた。
「あ、いや。懐かしいアルバム見つけたんや。ボクが小3くらいのときのやつみたいやな」
ボクたちとワタルが遊ぶようになったのは小4のとき同じクラスになってから。
それまでのワタルとはぜんぜん付き合いがなかった。
「へぇー、見せて?」
そう言ってボクと久美ちゃんはワタルの横に集まる。
古い表紙のアルバムを開くとそこには何枚もの写真が貼られていて、その写真に写っている顔の何人かはボクも知っているヤツラだった。
「ワタルって安田とこの頃同じクラスだったんだ?」
ボクが安田とワタルが肩を並べてふざけ合っている写真を眺めて言った。
「ああ、安田とは1年生からずっと同じクラスやったからな。この頃はよく遊んどったよ」
「へぇー。フフフ、安田も子供っぽい顔(笑)」
ボクはそのアルバムを手に取りペラペラと一枚ずつめくっていった。
しかしそのときふっとボクの手が止まる。
それはどこかの病院の病室のようだ。
その写真の中には10人くらいの男のコたちがベッドに座っているひとりの男のコを囲んで写っている。
一人ずつの顔は小さくてわかりづらいけどボクはその写真をじっと見つめた。
そしてボクの手は小さく震える。
「あ、ああ…」
「そうしたの?凛」
ボクのその様子に久美ちゃんが尋ねて来た。
「こ、この写真…。ねぇ、ワタル君。この写真って?」
「ああ、それは小3のとき同じクラスのヤツの見舞いに男友達みんなで行ったときのや。ほれ、その真ん中でベッドに座ってるヤツや」
「あ、あの、今その子は?」
「あ、ウン。小3の終わりくらいやったかな。死んでしもうたんや」
「ねぇ、凛。この写真がどうしたのヨ?」
そう言って久美ちゃんはボクの見つめている写真に目をやった。
「久美…ちゃん。ほら、この子。この子見て?」
そう言ってボクはそのベッドに座っているパジャマ姿の男のコを指差した。
そして久美ちゃんは顔を近づけて小さく写る顔をしばらく見つめると
「アアアッッ!!」
驚きの声をあげる。
「間違いない。これってワタル君だヨね…」
久美ちゃんは漏らすような声でそう呟いた。
「ワタルって?あの急にいなくなったワタルのことかいな?」
「そう。アタシと凛が中3のとき再会したはずのワタル君」
「でも、こいつってボクと同じ石川って名前やないで。たしか鮎川って名前やったもん」
「鮎川? 鮎川…なんていうの?下の名前」
ボクがそう言うとワタルは別のダンボールの中から古くなったアドレス帳を取り出してめくり始めた。
そして
「エット、鮎川 渡。アレ、ボクと下の名前の読みが同じやな。でも、コイツのワタルは道路を渡るのワタルやで」
「やっぱり!!」
「じゃあ…アタシと凛が会ったワタル君は幽霊?」
ボクたちは考えた。
「でもさ、幽霊って学校に入れる? それになんでわざわざこっちのワタル君の記憶を吸い取ってなりすます必要があるの?」
久美ちゃんはそこが不思議そうだった。
「そこがわからないんだよねぇ…。何か心残りがあったとかって感じじゃなさそうだったし。ねぇ、ワタル君、その鮎川君って男のコってどういう感じの子だったの?」
ボクは写真を見ながらワタルBにそう尋ねた。
「ああ、ヤツは元々身体が弱かったんや。ボクは3年生のとき同じクラスになったんやけどな、学校も来たり来なかったりでな。それでも明るくってすごく感じがええヤツでな、それと不思議な感じやったのは、なんっていうか、アイツってボクらよりすごく大人っぽいところがあったんや」
「大人っぽい感じ?」
「ウン。身長もわりと高かったしな。それに考え方とか、友達への接し方とか、一緒に話をしてるとまるで兄貴と話しているような気分になったり」
そのとき
久美ちゃんが何かに気づいたように
「あああっっ!!」
と大きな声を上げた。
「な、なに?久美ちゃん、どうしたの?」
その声に驚いたボクが久美ちゃんに尋ねると
「思い出したぁーーー!あの子ヨ!凛、あの子!」
興奮したように久美ちゃんはそう叫ぶ。
「あの子?どの子?」
「ほらっ!アタシたちが小3の頃、赤いブランコの公園で遊んでたときに時々一緒に遊んでた男のコがいたじゃん!」
「エ?エエッ!あ、あの子?」
「そうだヨ。たしか同じ小学校だけど別のクラスの男のコで鮎川君って名前だった気がする。下の名前までは知らなかったけど」
久美ちゃんにそう言われて昔の記憶をたどっていくと
そう、たしかにそういう男のコはいた。
最初はぜんぜん知らない子で、たまたま公園で一緒にいて、それでボクたちはいつの間にか一緒に遊ぶようになった。
それでも1,2日くらい遊ぶとフッと1週間くらいいなくなって、また忘れた頃現れたり。
わりと身長が高くて、痩せてひょろっとした感じで、そして髪の毛がサラッとした優しそうな笑顔の男のコだった思い出があった。
「そ、そう言われてみれば…」
「でしょ?中3のときに会ったワタル君と特徴がそっくりじゃない?」
「ウ、ウン。たしかに…」
「それじゃ、あの鮎川が死んだあと幽霊になってまた2人の前に現れたってわけか?」
「でも、あのとき会った彼って中3だったよね?幽霊って成長するもんなの?」
「わかんない…わかんないけど…」
そう
たしかにあのときカレはたしかに中3の姿だった。
そしてカレはボクたちに何も悪いことをしていない。
それどころか、カレはボクにたくさんの優しさと愛をくれた。
ボクは、ボクの心はカレのおかげでホントに女のコになれた気がする。
でも、とにかくこれで『あのワタル』の正体がはっきりした。
カレは石川 渉ではなく鮎川 渡というボクと久美ちゃんにとってもうひとりの幼馴染の少年だったのだ。
ワタルAからの帰り道
久美ちゃんはボクに
「ワタルAって変わったでしょ?」
と少し照れる聞いてきた。
「ウン。変わったねぇ。変わったっていうより…あの頃のアイツに戻ったって感じなのかな」
「そうね。あの頃のカレに戻ったんだよね。あのね、アタシあれからカレといろんなことを話したんだ。いろんなことを話して、あの頃気がつかなかったカレに気づいたっていうか。ホントはマジメで優しくって、そしてアタシをいつも見守ってくれていたワタル君に気がついたんだぁー」
そう言ってワタルのことを話す久美ちゃんの顔はどこかすごく楽しそうな感じだった。
「カレね、機械関係に興味があるらしいのヨ。それで、これから新しい高校で一生懸命勉強して整備士の資格を取りたいって」
「へぇー、スゴイ。そっかぁ、アイツってそういうこともちゃんと考えてるんだなぁ。アタシなんか将来のことまだ何も考えてないもん」
「アハハ、アタシもだヨ」
「あ、そういえばさ、鮎川君のことでさっき思い出したことがひとつあったの」
「エ、なに?」
「あのときは、アタシ、彼が言い間違えただけだって思ってたんだけどね。今からするとすごく不思議な気がするの」
「どんなこと?」
「あのね、あの公園でアタシたちが鮎川君と最後に遊んだときだったんだけどね。アンタがおトイレに行ってたとき、彼がアタシにこう言ったの。 「久美ちゃん、あのコとずっと仲良くしてやってね」って。そのときはあんまり気にしなかったんだけど、これってちょっと言い方がおかしくない?」
「そうだね。アタシと久美ちゃんは幼稚園からの幼馴染なんだし、それをときどき遊んでた彼がそういうことを言うのもヘンな気がする。」
「まあ、それもそうだよね。でもさ、それだけじゃなくって、彼はなんでアンタのことを『アイツ』じゃなくて『あのコ』って表現したんだろうなって思わない?アタシは女としての生活しかしてこなかったからわからないけど、男同士でそういう表現っていうのもありなのかなぁ?」
言われてみれば確かにそうだ
いくらまだ幼い頃でも『あのコ』という表現は男が男を指すときには普通使わない
女のコが男のコを指すときはときどき使うが、男同士ではありえない表現だと思う
まして小3くらいになれば男女もそれぞれの性の自覚が出てくる。
男のコが使うとすれば、それを指す相手が女のコのときだろう。
「ね、凛もやっぱりヘンだって思うでしょ?」
「ウン。たしかに何か違和感んじるよね」
「そうなのヨ。違和感なのヨ。でもさ、今になってこう考えるとすごくスッキリしない?」
「どんな?」
「鮎川君が凛のことを最初から女のコだってわかってた?」
「エエッ!そんなっ!」
「そんなはずないけど、でもさ、そう考えると『あのコ』の意味がスッキリするじゃない?」
「たしかに…」
言われてみるとそうだ。
そういえば、アイツはいつもボクに男同士によくあるような乱暴な言葉使いをしたことはなかった。
それはアイツの性格みたいなもんだって思ってたけど、それから学校の中でときどき見かけるアイツは安田とかには普通に男同士の話し方をしていた感じだった。
「それとさ、これも今から思うとなんだけどさ。ワタルAがアタシのことを見守ってくれてたように、彼もどこかアンタのことを見守っていたような感じがするんだよね」
ウーーーン……。
なんか頭がこんがらがってくる
彼はボクに何かを感じていたんだろうか?
それともボクの何かを知っていたんだろうか?
そしてその答えはその日の夜に知ることになるのだった。
昼間の引越しの手伝いでの疲れもあってボクはベッドの中でぐっすりと眠りについていた。
するとボクの夢の中に高校生の頃のワタルの姿が現れる。
ボクとワタルは宮益坂から渋谷駅までの道を肩を並べて歩いていた。
それは、ボクが途中のお店のウインドウにかかっている洋服を眺めながらワタルに何かを話しかけている。
カレはそんなボクに優しく答えている姿だった。
そのとき
「あの服着ている凛ちゃんの姿、見たかったなぁー」
そう言うカレの声がはっきりとボクの耳に聞こえたのだ。
「だって、アナタはその前にいなくなっちゃったんじゃない…」
ボクは夢の中でカレにそう言っている。
「スマンなぁ。でももう時間切れやったんや」
「時間切れ?」
「そうや。ボクは凛ちゃんのために使える時間をすべて使い切ってしもうたんや」
「わけわかんないヨッ! アナタはずっとアタシのそばにいてくれるって思ってたのに」
ボクは夢の中でそう叫んでカレの胸の中で涙を流している。
「ゴメンな…」
ワタルはそう呟いてボクの身体をギュッと抱きしめた。
その瞬間ボクはハッと目が覚める。
そしてボクは何かの気配を感じぼんやりした頭で目をこすり机の方を見た。
すると
ボクはその椅子の上にぼやっとした光が浮いていることに気づいた。
その光は次第に人の形を帯びてくる。
「あ、ああ……。」
小刻みに震えるボクの身体
その光の瞬きの最終形は、思うことかあのワタルだった。
「ワ、ワタル…君」
「凛ちゃん、久しぶりやな。」
「ア、アナタは…幽霊だったの?」
「いや、ちょっと違うな。ボクは『心』や。」
「心?」
「そうや。ある時間だけ実態を与えられた心」
「バカッ!アナタはアタシとの約束を破ってどこ行ってたのヨッ!」
「ああ、スマンなぁ。ボクには時間がなかったんや。あれが最後のお別れのつもりやったんけど、ちょっと予想外のことが起きた。それを知らせに戻ってきたっていうわけや」
ボクは涙の溢れてくる顔をワタルに見られるのが恥ずかしくて、パジャマのすそでゴシゴシと擦る。
そして、ベッドの隅に腰をかけた。
「予想外のこと?それはなんなの?」
「ああ、それはあとでゆっくり説明する。スマンがこれからあの赤いブランコの公園に来てくれんか?」
「今から?ここでじゃダメなの?」
「ボクの原点はあの場所にある。もう時間が切れてしまっとるボクはあそこを離れて長い時間この実態を保てんのや」
「わかった。行くわ」
そう言うとボクはベッドから起き上がり、そしてクローゼットの中から薄いブルーのカットソーのシャツとデニムのスカートを取り出すとそれに着替えようとする。
しかしフッと横を見るとワタルがニコニコとした笑顔でそれを眺めていることに気づいた。
「コラッ!女のコの着替えをそんなまじまじ見てないでヨッ!エッチッ!」
「ワハハ!スマン、スマン。つい見入ってしもたわ(笑)」
そう言って笑うワタルはあのときのカレだった。
「じゃあ、公園で、待っとるから」
そう言ってワタルはそのままスゥーっと消えてしまったのだ。
着替え終えたボクはこっそりと階段を下り、そして慎重に音を立てないように玄関のドアを開けて外に出た。
時間はすでに夜中の2時を回っている。
道路には誰も歩いておらず、街灯の明かりだけが夜道を照らしている。
ボクのウチから歩いて5分ほどのところにある赤いブランコの小さな公園。
ボクはその場所で鮎川 渡君とあそび、そしてワタルと別れた場所。
それがまさかカレにとって原点の場所であるとは思わなかった。
公園につくと木立に囲まれ道路から遮断されている公園の中には2人ほどの人影が見える。
(もうこんな時間なのに)
そう思って公園を照らす小さな街灯で目を凝らしてみると、それはジーンズ姿の久美ちゃんとワタルAの2人だった。
「く、久美ちゃん!どうしたの?こんなところで」
2人はボクに気づくと近寄ってきた。
「凛、アンタもワタルBに呼ばれたんでしょ?」
「ウン。でも2人も?」
「そうヨ。彼が夢に出てきて、ここに来てくれって。まさかって思ったんだけど、とりあえず行ってみようって思って。そしたらアタシが公園に入るともうワタル君も来ててね」
するとそのときだ。
2つある赤いブランコのうち右側の一つの上に小さな光が現れて、そして小さく揺れ始めた。
キィー…キィー…
そしてその揺れは次第に大きな揺れになっていく
キィー…キィー…
しばらくするとその光はさっきと同じように人の姿を帯びてきて、それはワタルの姿へと変わっていった。
「あ、あああ…」
さっきのボクと同じように久美ちゃんが言葉にならない声を出す。
「オ、オマエ、あ、鮎川かっ!?」
ワタルAが驚いたように叫んだ。
「ああ。石川、久しぶりやな。久美ちゃんも」
「オマエ、なんで今までオレに成りすましてたんや?それにみんなの記憶を消して突然いなくなってーーー」
「ああ、スマン。1年半の間だけオマエの代わりをしとったことは謝る。ただ今は理由は聞かんでくれ。凛ちゃんだけじゃなく久美ちゃんの記憶も残したんは、2人がボクにとって唯一の幼馴染やったからや」
「そうか。そんなら男同士や。オマエの気持ちを考えてそれは聞かん。でも、オレたちをここに読んだ理由はなんや?」
「まず…、さっき凛ちゃんにはちょっと説明したけど、ボクは幽霊やない、『心』や。そんでボクはホンの少しだけど未来ゆうもんを見ることができるんや。そしてこれから起こるだろうあることを知った。凛ちゃん、もうすぐワタルがキミの近くに現れる」
「ワタル君が現れるって、それはアナタが帰って来るっていうことなの?」
「いや、違う。それはボクの姿をしとるけど全くの別人や。ボクのいる世界でな、ある悪しき心がボクの姿を盗んでキミのそばに現れるんや」
「悪しき心?」
「そうや。凛ちゃんはどうかその悪しき心に惑わされないようにしてほしいんや。ただしあまり刺激しちゃいかん。そうすれば危険なことになるかもしれんから。
その悪しき心もそれほど長い時間はその実態を持つことはできんから。1ヶ月も経てば消えてしまうやろ。時間切れになって自然にいなくなるまで適当にいなせばええ。 そして久美ちゃんと石川に頼みがあるんや。
もしも、凛ちゃんがどうしても危険になったとき、どうか2人で彼女を助けてやって欲しいんや」
ワタルBの話を聞きながらようやく落ち着きを取り戻してきた久美ちゃんは彼に答えた。
「それはわかったわ。もし何かあったときはアタシたちが凛の力になる。ただ、ひとつ聞きたいことがあるの」
「ウン、なにやろ?」
「アナタは凛の何なの?」
「大切な友達や。久美ちゃんもやよ。病弱なボクと遊んでくれた大切な幼馴染。」
「それじゃはっきり聞くわ。アナタは小3のアタシたちと遊んでたときから凛がじつは女のコだってことを知ってたんじゃない?」
「………」
「どうなの?」
「知らんかったヨ」
「ホントに?」
「ああ」
するとそれを横で聞いていたワタルAは何かを感じたのだろう。
「久美ちゃん、今は鮎川の言葉を信じてやろうや。なあ、鮎川。また会えるときは来るんか?」
「すまんな、石川。もう会えることはない。これでホントのお別れや」
ボクはワタルBのその言葉に身体が震えた。
「もう…もう、アナタと会えないの?どうして?」
「凛ちゃん。ボクの力ももうそろそろ限界なんや。この公園の中でさえ10分も実体を作るのがやっとや」
「いやだっ!行っちゃいやだっっ!!」
ボクの目から涙が溢れるようにこぼれてくる。
「辛いこと言わんといてくれ」
「だったらアタシもアナタと一緒に行く!」
ボクはカレに向かってそう叫んだ。
するとワタルBは
「アホなこというなっっ!!!」
今までカレがボクに見せたことがないほど怖い顔でボクを怒鳴りつけた。
「凛ちゃん、ええか?キミは現実の世界に生きてるんや。キミの周りにはキミのことを愛してくれるお父さんやお母さん、久美ちゃんや、ミコちゃんやみーちゃんたち友達がおる。そして…いつかキミが出会う一生をかけて本当に愛する人がな。ボクのことを想ってくれる気持ちがあるなら、これからのキミの人生を大切にしてくれ」
ボクはその場にしゃがんで泣き崩れてしまった。
久美ちゃんはそんなボクのそばにきてボクの身体を抱いてくれている。
「石川」
「なんや?」
「久美ちゃんとめぐり逢えてよかったな。彼女はホンマにええ娘や。大切にせえよ。オマエの一生をかけて幸せにしてやってくれや」
「鮎川…」
「それじゃ、そろそろ行くわ。3人ともボクの大切な友達や」
そう言うとワタルBの姿は次第にぼんやりと薄れていき
そして消えていった。
キィ…、キィ…
カレが座っていたブランコの揺れが次第に小さくなって
そして止まった。
ワタルAは地面にしゃがんで泣き続けるボクの方を見る。
そして静かに言った。
「凛ちゃん、鮎川のこと、ずっと忘れんようにしようや。アイツは確かにいて、そしてキミを愛したんやから」
ようやく気持を落ち着けたボクたちがフッと公園の時計台を見ると時間はもう2時半を回っていた。
「さあ、帰ろうや。女のコがこんな真夜中におったら危険やからな。2人ともボクが家の近くまで送ってくわ」
ワタルがそう言ってボクらは歩き始める。
そして公園を出るとき最後にもう一度だけカレが座っていたあの赤いブランコを振り返った。
ワタル君、アタシが初めて愛した人
そして
いまひとつのことを心の中で決めた
「もうボクっていうのをやめよう」
って。




