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第2話 決断

一通りの話が終わるとそろそろ夜が明けようとする時間になっていた。

ボクはとりあえずそのままこの病院に入院ということになり、空いている病室へ入ることになった。


1階の受付で入院の手続きを終えた母親に看護婦さんはこう言った。

「それでは明日着替えや洗面具などをお持ちになって入院の手続きをお願いします。あ、それと・・・、申し訳ないのですが替えの生理用のナプキンやサニタリーショーツも」


「ナ、ナプキンにショーツまで!?」


「ええ。 娘さん、あ、いえ息子さんはまだ決めませんが、どちらにしてもとりあえず今は生理中ですので」


「娘? ああ、そう・・・、ですね」

母親は看護婦さんの言葉に何と答えていいのかわからないという複雑な表情でそう呟いた。


そうなのだ。

じつはボクはさっきこの看護婦さんにナプキンと女性の生理用ショーツを着けさせられていた。


「じゃあ、アタシは家に電話して帰るから。明日はお父さんも連れて来るからね」

母親は少しボーッとした表情でボクにそう伝えると、何かを考えるように病院の出口の方に歩いて行った。


病院のロビーで母親が出口に向かっていくのを見送ると

「さあ、じゃあ病室に行きましょう。ごめんなさいね。今は一人部屋がなくて男性用の相部屋になっちゃうの。アナタがどちらを選ぶのかわからないけど、とりあえず今は男のコとして扱うしかないから」

ちょっと済まなさそうな顔で看護婦さんが言った。


正直ボクにとってはその方がありがたかった。

そりゃそうだ!

たとえボクの身体がホントは女だとしても、今のボクが女ばかりの部屋に放り込まれたらボクの方がパニックになってしまう。


コツコツコツ

ボゥッと浮き出るような明かりの小さな夜間灯だけ所々についている真夜中の病院の廊下

生まれてこの方入院というものをしたことがないボクにとってこの空間の雰囲気はかなり違和感があった。


「みんな寝ているから静かにね」


ボクを連れたその看護婦さんはしーんとした廊下を静かに歩き、そしてある一室の前で足を止めた。

中を覗くとまっ暗でみんなぐっすりと寝ているようだ。


「はい、ここよ。部屋の人への紹介は明日の朝するから。今日はぐっすり寝てね」

看護婦さんは暗闇の中でそう囁くとボクの手を引いてベッドまで案内し、そして周りのスペースカーテンをさーっと締めた。


ボクはそのベッドに潜り込んで仰向けになり、そして暗闇の中で天井をじっと見上げた。


(はぁ・・・)


とりあえずこれでやっと今日が終われる。


(もしかして、これは全部夢じゃないだろうか)

(朝になって目を覚ましたら、ボクは自分の部屋にいていつものボクに戻ってるんだ)

(そうだ、きっとそうに決まっている)

(こんな馬鹿なことがあるはずがないさ!)


そんなことをツラツラと考えているとボクのまぶたは次第に重くなっていき、そして睡魔が身も心も支配していった。




次の日の朝


3時間ほどしか眠れなかったボクの頭は少し重かった。

それでも少し無理をして身体を起こす。

そして、掛け布団をめくって病院に貸してもらったパジャマのズボンを降ろしてみた。


(あああ・・・、やっぱり夢じゃなかったんだ…)


ボクの腰を覆っているのはやっぱり昨夜と同じ、女性の生理用ショーツだった。


それを少し下にずらしてみるとそこにはしっかりとナプキンなるものが付いてて、そしてそこにはまだ少し赤黒い血が染み付いている。


それを確認したボクはドーンと気が重くなってきた。

とにかくこのままパンツを穿かないわけにもいかない。


下半身丸出しのままじゃボクは変態にされてしまう。

いや、女なら痴女か?


まあ、どっちでも同じだ。

とにかく、ボクは不愉快な気持ちでパンツとパジャマのズボンを元に戻し、再び体をベッドに横たえた。


しばらくすると昨日の看護婦さんが病室にやって来た。

「オハヨー!よく眠れた?」

彼女はボクのベッドの周りのスペースカーテンをさっと開けるとニコッと微笑んで言った。


「あ、おはようございます。なんかまだ何かボーッとしてます」

ボクはこの優しい看護婦さんに言葉に応えるように元気を振り絞って答える。


「フフ、少しは元気出たかな?」

そう言って看護婦さんはボクの額に白い手を当てた。

火照っているボクの身体に彼女の少し冷っとする手の体温が心地いい。



「あ、昨日はちゃんと自己紹介してなかったわネ。アタシは樋口 麻亜子。まーこさんって呼んでくれちゃっていいからネ。それと部屋のみんなにも紹介しとこうか」


改めて周りを見ると開かれたカーテンから他のベッドの様子が見える。


部屋の中にはボクの他に男の人が2人いるらしい。


「今このお部屋には2人いるの。こちらは坂口さんで42歳、あの有名なサニー電気のバリバリ営業課長さんよ」


ヘェ、サニーっていったら超有名だよネ。そういえばボクの周りにあるステレオもテレビもサニー製だ。


「やあ、はじめまして」

そう言って微笑む坂口さんはバリバリの営業課長のイメージとは違う、とても優しそうな感じのおじさんだ。


「それとこちらが芦田さん。今年青葉学院大学に入学したばかりの18歳。食あたりになっちゃったんだよネ。アナタ、一人暮らしでまともなもの食べてなかったんじゃないの? ちゃんとしたご飯作ってくれる彼女つくらないと、また2度目の入院なんてことになっちゃうわヨ?」


「アハハ、それを言われると辛いなあ(笑) 彼女は相手あってのことだから。とにかくよろしくね」

こうした冗談に冗談で返す雰囲気はやはりとても優しそうでイメージが良かった。


「そして彼が昨夜入院した小谷 哲君。現在華の中学2年生です。みなさん、変なことを教えちゃダメですよー」

まーこさんの言葉に部屋の中が温かい笑いで包まれていった。



それから間もなく朝食の時間となる。

正直お腹が減った。


病院食っていうとなんか不味そうなイメージしかないけど、どこが悪いわけではないボクに運ばれてきたのはいたって普通の朝食。

アルミのプレートの上には、お米のご飯に豆腐の味噌汁、ベーコンのついた目玉焼きにフルーツサラダが載っていて、あとは甘いお豆と漬物なんかが盛り付けられている。

食べてみると味も思ったほど薄くなかった。


すると向こうのベッドから

「ああ、いいなあー」

という声が聞こえてくる。

その声の方を見ると芦田さんがボクのほうを羨ましそうにじっと見ていた。


「オレなんかこれさ。ほら、見てみなよ」

そう言って指を差す芦田さんのプレートの上には、ドロドロの真っ白なお粥とこれもドロドロに煮たわけのわからない流動物体だけが乗っかっている。


「これってなんですか?」


正体不明のその流動物体に芦田さんは

「いやー、わかんないよ。味もないし。まあ食い物だということだけは確かだね。ああ、羨ましいー!」

そう言って大げさにジタバタとした素振りをしてみせた。


「ハハハ、元気なときにはなんとも思わなかった食べ物が、病院に入ってこんなにありがたく思うなんてね。芦田君もこれで懲りただろ(笑)」

ボクたちの会話にご飯をゆっくりと噛み締めるように食べていた坂口さんも参加してくる。


「エエッ、もう懲りましたともっ! ああ、早くふつうのご飯が食べたーいっ!」

こんなふうに殺風景な病室も2人の会話でパッと賑やかな雰囲気になる。


(フフフ、この2人って年齢は全然違うけどすごく波長があってるんだね。なんか漫才を聴いてるみたいだ)



朝食を終えると午後の検査までしばらくの時間はゆっくりできる。

部屋の2人はTVを見たり本を読んだりと思い思いの時間を過ごし始めた。


突然の入院で持ってきた本もないボクは何もやることもなく手持ち無沙汰だった。

かといって、どこが悪いわけもないので寝る気にもなれず少しボーっとしているとそこに部屋の中に誰かが入ってくる気配がした。

フッと入口の方を見るとそこには父親が立っている。


「お父さん、こっちだヨ」

小さな声でそう呼ぶと父親は周りの2人に小さく挨拶しながらボクのベッドの方に歩いて寄ってきた。


「よお、元気そうだな。お腹の痛みはどうだ?」

父親は少し戸惑った表情で、それでも無理して小さな笑みを作りながら、ベッドの横にある小さな椅子に腰を下ろした。


「今はそれほどでもないかな。お母さんは?」


「ああ、今入院の手続きに行ってる。あ、それとこれ着替えとか、あとおまえが退屈するんじゃなかって思ってな。部屋の中にあったマンガ本を何冊か勝手に持ってきた」

そう言って父親は紙袋に入った何冊かの漫画本をボクに渡した。


紙袋を開くと中には『こちら亀有公園前派出所』が入っている。

ボクが小学校の時からこつこつ集めてきたマンガのシリーズだった。


「ああ、それと、…看護婦さんに言われたこれ」

そう言って父親が躊躇うように小さなビニール袋をボクに渡した。

それを受け取って中を開けて見ると入っているのはナプキンとショーツだった。


「あ、ウン・・・」

ボクはそれを手に取るとなぜかとても恥ずかしい気持ちになり、俯くように目を下に落とした。


すると父親はボクの頭に自分の手を乗せ優しい顔で言う。

「話は母さんに聞いた。オレも、正直いってかなりびっくりだったけど、でも自分のことよりもお前に対して済まないなって気持ちでな。 まあ、どちらを選ぶのかはお前次第だけど、ただどちらであってもお前は俺たちの子だから。オレはおまえのためにしてやれることはできる限りしてやりたいって思ってる」


「ウン、ありがと」


「それでどうだ?どっちか決めたのか?」


「そんな、わからないよ。 まだ昨日の今日だし」


「ハハハ、そりゃそうだな。おっと・・・」

そのとき父親が脇の下に抱えていた物がボクのベッドの上にばさっと落ちた。

それは一冊の本だった。


「あれ、何か落ちたよ?」

そう言ってボクがさっとその本を拾い上げる。


するとその本の表紙には

『父親必見 娘との付き合い方』

と書いてある。


「お父さん、ちょっと気が早すぎじゃないの?」

ボクは苦笑いしがら父親にその本を返した。


すると父親は何か照れたような表情で

「いや、まあ、なんだ。心の準備だけでもと思ってな(笑)」

そう言いながら笑い返して答えた。


そういえば悟がまだ小さい頃

ボクは父親の2人で山にキャンプに行ったことがあった。

それは父親と息子で出かけたはじめての男同士のキャンプだった。


ボクたちは薪に火つけて飯盒でご飯を炊いた。

炊き上がったご飯はいつも母親が炊いてくれるものより硬かったけど、それでもとても美味しかった。


寝袋に身を包みテントから顔だけ出してみると

見上げた夜空には星が驚くくらいたくさん輝いていた。

そしてボクは父親と夜遅くまでいろんなことを話ししたっけ。



それから父親は持ってきた紙袋の中からケーキの箱やブリックのジュースを取り出しそれをボクのベッドの台の上に並べた。


「喜べ。食べ物は好きなものを食べさせていいって言われたんでな。オマエ、悟と一緒でチョコケーキが大好物だったろ」

父親はわざと明るくふるまい、そして少しお道化るように言った。


それでもそんな父親の優しさがありがたくて

「ウン。大好き」

そう言ってボクは父親にニコッと微笑んだ。


すると、そのとき父親は意外な顔をする。

「え、あ・・・」

そして驚いたような表情でボクの顔をじっと見つめたのだ。


「どうしたの?」

ボクは不思議そうに尋ねた。


「いや、一瞬オマエの表情が中学生の頃のお母さんにそっくりに見えてなあ。びっくりしたんだ」

父親は照れながらにそう答えた。


「そう? ボクってお母さんにそんなに似てるかな?」


「ああ。姿形が似ているっていうより、そう、雰囲気だな。何て言うか…、女の子が醸し出す温かで柔らかい雰囲気ていうのかな」


「女の子の雰囲気かあ・・・」


「あ、スマン。こんなこと言って気を悪くしたか?」


そう言われてボクは少し考えた。

少し前だったらきっと

「ああ、またか」

とムッとしていたことだろう。


しかし、こういう状況になった今、なえだかわからないけどボクの中にそういう感情は起きなかった。


ボクは父親の持ってきてくれた箱の中からチョコエクレアをひとつ取り出しパクッと咥えた。


「ウン!美味しい」


病院の朝ごはんはふつうのものだったが、甘いものが大好きなボクはどこか物足らなかった。だから父親の持ってきてくれたケーキはとてもありがたかったのだ。


「そういや、お父さんとお母さんって中学のときのクラスメイトだったんだよね?」

ボクは思い出したように父親にこう尋ねた。


「え?ああ、中2のときに初めて同じクラスになってな。しかも隣の席だった」

父親は昔を懐かしむように答える。


「ねえ、どっちが最初に好きになったの?」


「ハハハ、もちろんオレの方さ。お母さんはかなりモテてたからな。ライバルがたくさんいて」

ボクの問いに父親はふたたび照れた表情になった。


「ふぅん、でもお父さんだって悪くないと思うよ」


自分の父親をこう言っちゃなんだけど、42歳という年齢にしてはけっこう若い感じがする。

若い頃から柔道をやっているそうだけど、その割には猛者っとしたいかつい感じではなく、どっちかっていうとソフトなイメージかもしれない。

ただ本気で怒るとかなり強いという話は聞いたことがある。

今でもときどき父親の大学時代の友人たちがうちに集まってお酒を飲んだりするが、父親よりもずっと体が大きく強そうな後輩たちが父親のことを「鬼の小谷先輩」と呼び畏まったりしているのを見ると、それもまんざら嘘ではない気がする。


「それでどうやって2人は付き合うようになったわけ?」

ボクはちょっと意地悪そうな顔で父親にそう尋ねた。


「中3のときにな、学校で模擬試験があって、テストの前に志望校を書いたんだ。オレはお母さんと同じ高校に行きたくてな。 隣の席でお母さんの志望校の番号を書いているのを盗み見して、そっくりそのまま自分も同じ番号を書いたのさ」


「しばらくしてその模試の結果が返ってきたんだけど、後ろの席の友達がオレの結果表を勝手に見やがってな。しかも読み上げやがったのさ(笑)」


「ウン、ウン」


「そしたらオレの志望校はお母さんのとまったく同じだろ。 しかもそのときは番号写しただけでわからなかったんだけど、お母さんの第3志望の高校は女子高でな。オレの表には「男子は対象外で判定不明」とかって出ちゃって、それ聞いてお母さんもクスクス笑ってな(笑)」


「アハハ。お父さんってけっこうドジだったんだネェ」


「まあ、そう言うな(笑) あのときはとにかく必死でな。 まあ、とにかくそれでオレの気持ちがお母さんにわかっちゃったわけだ」


「それで付き合ったの?」


「付き合い始めたのはそれからしばらくしてからだ。 オレは必死に勉強した。 そしてお母さんは順当に、オレはかなり運に恵まれて同じ高校に受かったんだ。 発表を見に行ったとき偶然お母さんも来ていてな。自分の番号を見つけたとき「あったー!」って2人はほとんど同時に叫んでしまった。 隣を見たらお母さんでな(笑) それから2人でその高校から家まで一緒に帰って、その途中で電車の中でオレは自分の気持ちを初めてお母さんに伝えたわけだ」


「ヘェー!それでお母さんはなんて言ったの?」


「じつはオレも驚いたんだけどな、お母さんは「今まで待ってくれてありがとう」って言ってくれてな。彼女もオレの気持ちはわかってたからな。でも、もしオレが受験の前に自分の気持ちを伝えてたら相手が気になって勉強が手につかなくなっちゃってたかもしれない。だから2人で合格して、そしたらきっとそういう機会が2人の間にできるんじゃないかって思ってたって言ったんだ」


「なんかお母さんらしいネ(笑)」


「ああ、そうだな。そしてそういうお母さんにお前はどこか似ているってオレは思ったのさ」


ボクは自分の両親たちの馴れ初めを聞きながら不思議な思いが湧き上がってくるのを感じた。

それは2人の気持ちがつながったことがとても自然であったように感じられたこと。だから偶然が重なって父親が母親に告白したのでなくて2人の出会いが何か必然なように思えたからだ。


今のボクが「キミはけっきょく男なの、それとも女なの?」と聞かれたら、どちらかをはっきり答えるのは難しいと思う。

先生が言ったようにボクの身体は女性なのだろう。

でもボクは、生まれてからずっと今まで男として過ごしてきたのだ。

ボクがこれから先女として生活していくことを選べば今までの自分の存在はまるで嘘のようになってしまう気がする。

しかし男であることを選べば表面だけは今までどおりの生活をすることができる。

今までのボクはこれから先も存在し続けるのだ。


ただ、そうしたとすれば、女の身体である本当のボクは一生男のふりをして生きていくようなものだ。

今までは男として生きてきた。

でも本当の自分を知ってしまった今、これから先のボクは男のふりをして生きていくことになるのだ。

「自然から逃げちゃいけない」




が人として自分の未来をつくっていくためにはどちらかを選ばなくてはならないわけで。


そしてボクはそのとき女性である自分の方が自然であるように感じられた。



「あのさ、お父さん」


「ウン、どうした?」


「ボクさ、決めたヨ」


「決めたって、何を?」


「これからの人生をどっちを生きていくか」


「オ、オイオイ、オレのこんな昔話でそんな大切なことを簡単に決めちゃっていいのか?」


「簡単になんか決めてないよ。 上手く言えないけど。自然がいいんじゃないかって思ったんだ」


「さっきの話で、お母さんはきっと『2人の運命』みたいのを待っていたんじゃないか思ったんだ。それは自然にそうなることで。 ボクは本当は女として生まれていたでしょ。だからボクがそういう運命を持ってるならそれを受け入れたほうがいいって思ったんだ」


「そう決めたのか?」


「ウン、決めた。 男でも女でもボクはボクだから。それなら本当の自分であったほうがいいって思った」


「そうか…」


「でも、今まで男として生きてきたボクなんかが男を好きになれるかどうかはわからないけどね。そのときはずっと家にいてもいい?」


「まあ、そうだな。しかしそれは自然に任せよう。今からすべての予定を立てるなんて、人生つまらなすぎるさ」

そう言って父親はボクの頭の上に大きな手を乗せた。


それはとてもあったかかった。

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