第17話 二人のワタル
「新大阪~、終点です」
新幹線が停車して中にアナウンスが流れる。
ドアが開くとボクと久美ちゃんは大きなバッグを抱えてホームに降りた。
大阪は4年ぶり
この前来たのは小学校6年生の卒業式の後
ボクは安田たちクラスで仲の良かった2人の男友達と小旅行をしたときだった。
その計画を親に相談したとき母親は心配そうに少し渋るような顔をしたが、父親は
「いいじゃないか!可愛い子には旅をさせろだ」
そう言って賛成してくれた。
しかし今回はその父親が真っ先に大反対だった。
そう考えると女のコはいろいろ不自由なところが多い。
駅から外に出るとボクたちはさっそくおばあちゃんに電話をする。
「着いたかい。待ってたヨー。 それじゃ、そこからタクシーに乗っておばあちゃんちまでおいで。タクシー代は着いたらおばあちゃんが払ってあげるからね」
タクシーで15分ほど走り着いたおばあちゃんの家は相変わらず大きな豪邸だった。
おばあちゃんの旦那さんは昔大阪の中心地ミナミにいくつかの土地を持っていて、それをビルにして会社を作ったらしい。
最初3棟だった小さなビルは今では12棟ものオフィスビルにもなってこの界隈でも有名な資産家になっていったそうだ。
おばあちゃんは今年72歳。
おばあちゃんには子供ができなかった。
5歳年上の旦那さんは、もう5年前に他界している。
さらに旦那さんは一人っ子だったので家系は絶えてしまっていて、今はおばあちゃんにとって甥であるうちの父親が一番血の近い。
だからその父親の子供であるボクと悟はおばあちゃんにとっては孫のような存在で、東京に来たときには必ずウチに泊まっていくのだ。
ボクが青葉に入学したとき、おばあちゃんの喜び方といったらすごいものだった。
入学前のある日、おばあちゃんはウチに来たと思ったら
「凛ちゃんの入学祝いや。なんでも好きなもん買わしてやり」
そう言って1センチほどの厚みのある封筒をウチの親に差し出した。
ウチの親は商品券でも入っているのかと思っていたが、その封筒を開いてびっくり!
1万円札が束になって入っていた。
「こんな大金を高校になる女のコに与えられるわけないでしょー!」
両親はそう言って返そうとしたらしいが、それでもおばあちゃんも頑固で受け取らない。
結局、その100万円のうち10万円をボクの入学祝いとし、そして残りは将来ボクがお嫁に行くときの費用の足しにしようということに落ち着いたんだそうだ。
それでもおばあちゃんは今でも電話をかけてくるたびこう言っている。
「おばあちゃんな、可愛ええ凛ちゃんに肩身の狭い思いは絶対させへんからな。アンタがお嫁に行くときは最上のウエディングドレスを着せたるんや」
まあ、こんな感じにおばあちゃんはボクにベタ甘のわけである。
タクシーが家の正門の前に止まると、そこにはすでにおばあちゃんとお手伝いの女の人が待っていた。
「まあ、まあ。凛ちゃん、よう来はったなぁー!おばあちゃんな、電話もらってからアンタが来るのを指折り数えて待ってたんやでぇー」
おばあちゃんはそう言ってボクの身体を抱きしめると頬ずりをした。
ボクは横にいる久美ちゃんの方を見て
「おばあちゃん、小さい頃会ったことがあるよね?幼馴染の久美ちゃんだヨ」
と紹介する。
「お久しぶりです。久美子です。この度はお世話になります」
そう言って久美ちゃんはペコンと頭を下げる。
すると
「あらー、まあ。いいお嬢さんになったなぁー。ようこそ、待っとったでぇー」
おばあちゃんは久美ちゃんの手を握ってそう言った。
そしてボクと久美ちゃんはおばあちゃんの大きな家に入っていく。
久美ちゃんは初めて訪れるその豪邸ぶりに驚いてキョロキョロとしていた。
「さあさ、2人ともお昼ご飯まだやろ? おばあちゃん、たーっくさんご馳走用意したんやで。食べてな」
そう言って案内された20畳ほどの大きな和室に入ると、テーブルの上にはお寿司やらなにやらとものすごいご馳走が並んでいる。
しかし女のコ2人でそんな量を食べられるはずもなく、ずいぶんと残しながらもお腹はパンパンではちきれそうになった。
「ねぇ、おばあちゃん。アタシたちこれから昔大阪の方に転校した友達に会いに行きたいんだけど、住吉区の我孫子町ってどう行けばいいの?」
食後に入れてくれたお茶を飲みながらボクははおばあちゃんにそう尋ねた。
「我孫子町かい? ほんならJRの阪和線やな。ここから20分ほどのところや。そんでもあそこらへんはちょっと物騒なあたりやからなぁー。女のコ2人で大丈夫かいな…。なんなら、おばあちゃん一緒に行ってやろか?」
あ、そんな!
おばあちゃん連れてって『幻の少年探し』なんて言ったら…。
「ウウン!だいじょうぶ!危ないところには近づかないから」
ボクは慌ててそう返事をする。
「ほうか?ほなら出かけてもええけど、夕方6時までには必ず戻ってくるんやで。アンタのお父さんとの約束やさかいにな。おばあちゃん、お夕飯もご馳走用意して待っとるさかい」
「ウン、わかった」
「あ、それとな、あそこらへんで極東工業高校ってのがあるんやけど、そこの周りには絶対に近寄ったらあかんで」
「極東工業?」
「そうや。その界隈では通称ゴクドー工業っていうてな、大阪でも有名なワルの集まる高校なんや」
なんかすごいベタな名前の高校…
でも、まあ、いくらワタルでもそこまでは外れちゃってないでしょ。
そんなわけで、ボクたちはJR阪和線に乗り第一の目的地である柴崎中学へと向かうことにした。
南台小学校へ転校したワタルがもし通うとしたら学区域のこの中学である可能性が強いからだ。
しかし今日は土曜日
正門の前から校舎の中を覗いてみると生徒たちの影はほとんど見えない。
「ねぇ、裏のグラウンド側に行ってみない? どっかの部が練習してるかもしれないヨ。」
久美ちゃんの提案でボクたちは壁沿いに少し歩き裏のグラウンドに回ってみる。
「あ、サッカーやってる!」
ボクは思わず大きな声でそう言う。
東京の中学よりかなり広めのグラウンドではサッカー部らしき生徒たちが練習をしている。
ボクも男のコとして生活していたときはサッカー部だったので、あの頃が無性に懐かしくなってきた。
少しの間ボクは彼らの練習風景をじっと見つめていた。
すると
「凛、懐かしい?」
久美ちゃんがボクの気持ちを察したようにそう言う。
「あ、ウン。ちょっと…ね。 あ!ほらっ、そこでヘディング決めろっ!あー、ダメだなぁー」
「フフフ、もし将来凛が男のコを生んだら絶対その子にサッカーやらせそう(笑)」
「あはは(笑)」
そんなことを話していると
ピィーーーと休憩の合図のホイッスルが鳴った。
「あ、凛。みんな戻ってくるみたいヨ」
「ウン。行ってみようか?」
ボクと久美ちゃんはグラウンドの周りにある木陰に腰を下ろしている男のコたちのひとりに声をかけてみた。
「あのー」
突然知らない女のコに声をかけられて、その子はびっくりしたように振り向いた。
「ゴメンなさい。突然声かけたりして。ちょっと聞きたいことがあって」
「なんですやろ?」
その男のコは怪訝そうな顔でボクらを見る。
「この中学を去年卒業した人の中に石川って人いませんでしたか?」
ボクがそう尋ねると、
その男のコは隣にいた男のコの方を向き
「オマエ知っとるか?」
と尋ねた。
「さあ、知らんなぁ」
「オマエは?」
その男のコはさらに隣にいる男のコに声をかける。
「いや、知らん」
「ウーン、やっぱりワタル君ってここの中学じゃなかったのかなぁ?」
ボクと久美ちゃんは残念そうにお互いの顔を見合わせた。
すると
「ワタル?その人ってワタルっていうんでっか?」
最初に尋ねた男のコがボクにそう聞く。
「ええ、石川 渉っていうのがフルネームなんだけど」
「オイ、ワタルってあの人やないんか?」
その男のコはとなりの男のコにそう囁いた。
「でも、あの人石川って苗字とちゃうぞ」
「あの、ワタルって人はいたんですか?」
久美ちゃんがそう尋ねた。
「ハア、シバタ ワタルって人ならおりましたわ」
「ワタルってどういう字を書くの?」
「たしか「交渉する」とかの渉でワタルって読んだと思うけど。」
「その人ってどんな感じだった?」
「ウーン、身長はわりと低かったかな。165センチくらいな気がするな。髪の毛がゴワゴワで…。」
「あの、まさかと思うけどオデコにわりと目立つ傷がなかった?」
「ああ、ありましたわ」
「ワタルだ…」
ボクは久美ちゃんに頷いてそう言った。
それは小4のとき
ボクと久美ちゃんとワタルがあの赤いブランコの公園で遊んでいた。
そして立ったまま載っていたワタルは誤ってブランコから滑り落ちて前にあった鉄の柵にオデコをぶつけてしまった。
そのとき彼は救急車が来るほどの血が流れて大騒ぎになったのだった。
「でも、シバタって、なんで?」
「わからないけど、でも身長といい、ゴワゴワの髪、そしてオデコの傷。ワタルしかいないヨ」
「それで、そのシバタって人はどこの高校に行ったか知らない?」
ボクが最初の男のコに尋ねると
その子はちょっとためらったような顔をして言った。
「たしか…極東工業…やないかな」
「ゴクドー工業!?」
ボクと久美ちゃんは声を合わせてそう叫んでしまった。
「アレ?よー知ってますなぁ。アクセントで関東の方の人みたいやけど」
「あ、ウ、ウン。ちょっとね、こっちの方の人に聞いて」
「あの人、ものすごいワルでしたからなぁー」
「ワル?彼が?」
「そうですわ。先生2人相手に大暴れしたり、他の街のワルたちと喧嘩して警察に捕まったり、そらもう有名でしたわ」
たしかに勉強はしなかったし少し乱暴なところもあった。
でもあのワタルが、いつもボクらにニコニコして話していた彼が…。
ボクにはとても信じられなかった。
「とにかくさ、ここまで来たらそのゴクドーじゃなかった極東工業って学校に行ってみようヨ」
「そうだネ!」
しかしそのとき時間はもう5時を回ろうとしている。
おばあちゃんとの約束は6時。
初日から門限破りをしたらもう外に出してもらえなくなるかもしれない。
そういうわけで
ボクたちはとりあえず今日はおばあちゃんの家に帰って、それで明日改めてその極東工業に行くことになった。
次の日
お昼ご飯をおばあちゃんの家で食べたボクたちはさっそく昨日教えてもらった極東工業高校へと向かった。
さすがにおばあちゃんに極東工業に行くとは言えない。
「ミナミに行って買い物をしてくるから」
そう言うとおばあちゃんは
「ほんならこれ持っていき。何でも好きなもん買うてきなはれ」
ボクに5万円ものお小遣いを持たせてくれた。
「なんか騙しちゃってるみたいで心が痛むね」
電車の中で久美ちゃんがそう言う。
「ほんとだね。アタシたちって悪い娘なのかなぁ」
2人はそう言うと目を合わせて苦笑いをした。
極東工業は昨日行った我孫子台駅から2駅先にあった。
駅を降りると周りはわりと小さなビルが林立していて路地が多かった。ちらっと見ると路地の方にはなんか雰囲気の悪そうなお店が並んでいたりする。
ボクたちはなるべく広い人通りの多い通りを選んで目的地へと向かった。
「アレ?久美ちゃん。ホントこっちのいいのかなぁ?」
「ウーン…おかしいわね。地図だとこっちの方角なんだけど」
そこにひとりの背広を着たオジサンが歩いてきた。
「あ、ちょっと聞いてみようよ。あの、すみません。ちょっと道をお聞きしたいんですけど」
「ハイ、なんでっしゃろ?」
「ここら辺に極東工業という高校はないでしょうか?」
するとそのオジサンはギョッとしたように顔を色を変える。
そしてこう言った。
「お嬢はんたち、あんなとこに何しに行くんや?」
「ちょっと知り合いを尋ねて行くんです」
オジサンはちょっと考えたあと
「あの道を右に曲がって、それで50mほど行ったところや。でもな、お嬢はん、ええか? もし何かあったらその100m先に交番があるさかいに、大声を出してそこに逃げ込むんやで」
そう言ってオジサンは去っていく。
あの…
大声出して交番に逃げ込むって…
極東工業っていったいどんなとこなんデスカ?
ボクたちはオジサンに教えられた道を進んでいった。
そしてしばらくすると、かなりくすんだコンクリートの塀にたどり着く。
「あ、多分この塀の向こうが極東工業なんじゃないかな」
フッと見るとその塀には
「○○参上!」
とか
「極悪非道」
とか
わけのわからない文字がびっしりと書かれている。
そのとき
「オイ、ねーちゃんら!」
道にあぐらをかいて座っている2人の高校生らしき男のコが叫ぶようにいきなりボクたちに声をかけてきた。
振り向くと、一応学ランは着てはいるものの、それはすごい改造モノで、さらになんと髪の毛はまっすぐ天に向かって垂直に立っている。
まるでハリネズミみたいだ。
「こっち行ってもなにもあらへんヨ。来た道戻ったほうがええでぇー」
彼は咥えていたタバコを路面でスリ消し、そしてボクたちに凄んで見せた。
うぅぅ…
東京にはちょっといないタイプの不良だ
ある意味これぞ不良の原点みたいな
関西風に言えば『コテコテの不良』って感じ?
その姿にたじろぐボクと久美ちゃん。
しかしここで引き返しちゃなんのために大阪まできたのかわからない。
ボクは
すぅーっと一息深呼吸をすると気持ちを落ち着かせ
そしてその人に向かって
「あ、あのっ!」
と大きな声で呼びかけた。
彼は一瞬ボクの大きな声に驚いた様子だったがすぐにボクの方を睨み返して
「あ、なんやねん!こらぁー!」
そう言って怒鳴りつけてくる。
「あ、あのっ、シバタ、シバタ ワタルって人知りませんか?」
ボクは恐怖におびえながらも搾り出すような声で彼にそう尋ねた。
すると
それを聞いた彼の表情は一気に変わる。
そしてこう叫んだ。
「なんやとっ!シバターーー!?」
ひぃぃーーーー!
もしかして聞いちゃいけないこと聞いちゃったの!?
「シバタって…ねーちゃんたち、ワタル君のこと知っとんのか?」
「友達なんです。それで彼を探してて…」
「なーんや、ワタル君のダチかいな。そうならはよ言ってくれればよかったんに」
「彼ってここの生徒なんですか?」
「おお、オレら1年坊のアタマ張っとるで。まあ、あの人はオレらみたくカツアゲやら強姦やらはやらんがな。でもメチャクチャ喧嘩強うてな、入学して1週間で1年全部締めてしもーたわ」
カ、カツアゲ?
ゴーカン!?
ってキミたちホントにボクらと同じ高校1年ですか?
「そ、それで彼は今学校にいるんですか?」
「いやー、朝から見てへんから、いつものサテンでも行ったんとちゃうか?」
「あの、その喫茶店ってどこにあるかわかります?」
「駅前の裏路地にある『スコーピオン』って店や」
スコーピオンって…
どこまでコテコテな名前なんだろう…
「ありがとう。行ってみます。」
ボクたちは彼にそうお礼を行ってさっそく駅の方向へと引き返した。
「『喫茶スコーピオン』…あ、ここだね」
駅から程近い路地の奥まったところにその喫茶店はあった。
しかし、喫茶店というにはあまりにおどろおどろしい。
壁にはさっきの高校の塀みたいに「○○参上!」とか暗号みたいな文字がそこかしこに書かれている。
「久美ちゃぁぁ~~~~ん」
さっきは少しだけ強がったボクもさすがにその雰囲気に足が止まった。
しかし、こういうときの久美ちゃんは昔から強かった。
「さあ、凛。入るヨッ!」
そう言うと彼女はお店の重いドアを開けてズンズンと中に進んでいったのだ。
そして、ボクは久美ちゃんの後から恐る恐る付いていく。
ボクと久美ちゃんは窓際にあるやけにくすんだ色のソファ席に座ると店内をクルッと見回した。
しかし中は薄暗くてそこにいる客たちの顔はよくわからない。
そして僕らのテーブルにぬっと近寄ってきたのは雰囲気の暗そーな30代くらいの男の人。
彼はお水の入ったコップを置き
「ご注文は?」
そう一言だけ言った。
「あ、あの、アイスティーを…」
「じゃあ、アタシも同じで」
そして、ボクと久美ちゃんは身体を小さくして持ってきたアイスティをチューチューとすする。
少しずつ目が慣れてくると周りの雰囲気もわかってきた。
そこにいる人たちはさっきの極東工業での男の人のようなのばかりで、中には頭を金髪に染めてものすごい短いミニスカート姿の女のコも数人いた。
「久美ちゃん、だいじょうぶかな?」
「安心しなさいヨ。イザってときのために防犯ブザーを持ってきたの」
そう言って久美ちゃんは右手の中に握っているブザーをボクに見せた。
そのとき
「珍しい客やのぉー」
奥の方からそう男の人の声が聞こえてきてボクと久美ちゃんは
ドキッ!!
と身体を硬直させる。
薄暗い中で顔はよくわからないけど、
その人はゆっくりとこっちの方に近づいてくる。
彼はサングラスをかけ背中に龍の図柄の入った黒いジャンパーに白いズボン、そしてアタマはまっキンキンのリーゼントと
なんか歌舞伎町にでもいそうな、これぞ正統派チンピラスタイル!って感じだ。
「ここはあんまりフツーの客が来るような店やないんやけどな。ねーちゃんたち、どっから来たん?」
久美ちゃんは右手に隠し持った防犯ブザーの用意をしながら
「と、東京からです」
と震える声で言った。
「ホォー、東京から?東京のどこや?」
「え、S区ですけど・・・」
「なにぃ?S区やて!?」
その人はボクたちの方にさらに近づいてくる。
ひぃぃぃーーーーーー!
ボ、ボク、またなんかいけないこと言っちゃった!?
するとそのとき
久美ちゃんがスクッと立ち上がる。
そして
「シバタ ワタルって人を探してるんです!昔は石川 渉って名前でした!」
彼女はそのチンピラ風の男を睨むようにはっきりした声でそう言った。
すると
その男はサングラスをずらし
「なんやと?オマエら誰やねん?」
そう言ってボクたちをギロッと睨みつける。
「ア、ア、アンタこそ誰なのヨッ!人に名前を聞くんなら先に自分から名乗ったらっ!?」
久美ちゃんは震えながらも身体を前に出しながらそう言う。
そして
「ワシがそのシバタ ワタルじゃ!こらぁー!オマエら何調べに来たんや!?」
とうとうその男はサングラスをバッと外して怒鳴った。
「ワタル君!!!」
そのときボクと久美ちゃんはほとんど同時に彼の顔を指差してそう叫んだ。
ボクたちの突然の反応にキョトンとした顔の彼
そして久美ちゃんは
「アタシ!五小で一緒だった安藤 久美子!」
と叫んだ。
すると彼は
「エエエエエーーーーーッッ!!久美ちゃんかぁー!?」
と驚いた顔になる。
「そうだヨッ!久美子だヨッ!」
「いやぁぁーーーーーー!懐かしいのぉーーー!」
彼の表情は一瞬にして穏やかになった。
そしてボクと久美ちゃんのテーブルの向かい席にワタルは座った。
「それにしても、大阪までどないしたん?びっくりしたでぇ。旅行か何かか?」
すっかり穏やかな表情のワタルは、あの頃ボクと久美ちゃんが知っているワタルそのものだった。
「じつはね、もうひとりのアナタを探しに大阪まで来たの」
「もうひとりのボク? 言ってる意味がようわからんが」
ワタルは不思議そうな顔をして言う。
「あの…、ここじゃ話しづらいな」
久美ちゃんがそう言うと
「エエヨ。ほんなら表通りのサテンに場所を移そうや?」
ワタルはすくっと席を立ち上がった。
駅前の明るい雰囲気の喫茶店の中
ようやくあのおどろおどろしい雰囲気から解放されたボクたちはホッとひと心地つく。
今度はボクはアイスココアにショートケーキをつけて、久美ちゃんはアイスコーヒーにマロンケーキをそれぞれ注文する。
そしてワタルはホットコーヒーをすすっていた。
「それで、どないしたん?」
ワタルが切り出すように久美ちゃんに尋ねる。
「エットね、まずはこの娘を見て頂戴?」
ワタルはじーっとボクの顔を見た。
「可愛いねーちゃんやな。 久美ちゃんの友達か?」
「そうね。アタシの幼馴染ヨ。そしてアナタにとってもそう」
「ヘッ? ボクにとっても幼馴染?ハテ?誰やろ?すまんな、ねちゃん、名前なんていうねん?」
ワタルは不思議そうにボクに尋ねた。
「小谷 哲」
「ハァ!?」
「そう、哲ちゃんヨ」
「久美ちゃん、ボクをからかってどないするねん(笑)ボクの幼馴染の哲はたしか男やで?」
「そうね。アナタの知ってる哲ちゃんは男のコだったわね。でも、この娘はたしかに哲ちゃんなの」
「言ってる意味がぜんぜんわからん。だって、この娘はどう見たって女のコやん?」
久美ちゃんはボクについて今までの経緯を話した。
そしてもうひとりのワタルのことも。
「ホエー、ってことは哲はホントは女のコやったってことかいな?ハァー、なんか信じられんけど、でもそう言われてみれば何となく面影があるような…」
「ワタルが転校する前に最後に3人で行った釣り勝負。ボクは5匹でオマエは3匹だったよな。すごく悔しがって絶対勝負付けてやるって言って」
「オオオオーーーっ!それを知ってるってことは確かに哲や!それにしても、まあ、なんて可愛くなって…」
そう言ってワタルはボクを上から下までジロジロと見回す。
「コラッ!女のコの身体をそんないやらしい目で舐めまわさないでヨッ!」
久美ちゃんのお叱りにワタルは
「ワハハハハ、スマン、スマン」
と笑って謝る。
「それにしても、そのもうひとりのワタルのことやな」
「そうなのヨ。紛らわしいから仮にアナタをワタルA、もうひとりのワタル君をワタルBとするでしょ?」
「久美ちゃん、そんな人をAとかBとか記号みたいに…(苦笑)」
ワタルはそう言って苦笑い。
「まあ、とりあえずヨ。それでね、もうひとりのワタル君、つまりワタルBっていうのは同じ名前でアナタを語っていたのに、とにかくアナタと全く正反対なのヨ」
「正反対って?どう違うねん?」
「まず身長は175センチ以上でスリムなスタイル。サラサラの髪の毛に甘いマスク。その上すごく頭がよくってね」
「そ、そんな久美ちゃん。ボクのことボロクソ言わんでも(^^;」
「まあ、それでね、今年凛と一緒に青葉学院高等部に入学したわけ」
「ホエー、哲、じゃなかった凛ちゃんは青葉に入ったんか!」
「ところが夏休みを境に姿を消し、そしてその存在は凛とアタシ以外誰も覚えていないの」
「ウーン…不思議な話やな。そういえば…」
「なに?」
「いやな、大したことやあらへんけど、中3の初め頃やったかな。ボク、1週間くらいの間ずっと不思議な夢を見てたんや」
「不思議な夢って?どんな?」
「それが、ボクが物心ついてから小学校5年に転校するまでのことが夢になって映画みたいにずっと現れてきてな。なんかそれを誰かに見られているような…」
「もしかして記憶の吸い取り…」
「なに?それ」
「つまりワタルBが石川 渉っていう存在になりすますためには記憶が必要だってことヨ」
「でもボク部屋で寝てただけやで」
「まさか宇宙人とか?」
「そんな馬鹿な(笑) ただ、とにかくこれではっきりしたってことヨ。凛、アンタにとっては残酷なことかもしれないけど、今アタシたちの目の前にいるワタル君があの頃のアタシたちの幼馴染だった本物のワタル君だってことがね」
それからボクたちはいろいろな思い出話をした。
ワタルはすっかりあの頃のワタルに戻った表情で、笑いながらボクと久美ちゃんの話に聞き入っていた。
別れ際、最後に彼は言った。
「もし、ボクがいつか東京に行く機会があったら、また2人とも会ってこうやって話ししてくれるか?」
それに対し久美ちゃんはワタルの頭をコツンと小突きながら
「当たり前でしょ!来るときはアタシたちに絶対連絡することっ!黙って来たらアタシも凛もしょーちしないわヨッ!」
と言ってニコッと笑った。
ワタルは少し目を潤ませながら
「ワハハ、わかったわ。昔から久美ちゃん怒らすと怖いからな(笑)絶対連絡するわ」
あの頃の少し悪戯そうな笑顔で返事をしたのだった。
その日の夜
おばあちゃんの家の大きな和室に布団を2つ並べて寝るボクと久美ちゃん
真っ暗な部屋にポツンとオレンジ色の豆電球の光だけがついている。
「あのさ…」
久美ちゃんが天井を見つめながらポツンと呟くように話し出す。
「ウン・・・」
ボクは同じように天井を見つめながら小さく返事をする。
「昼間、喫茶店で3人で話してたとき、途中で凛がおトイレに行ってたじゃん?」
「あ、ウン」
「そのときさ、ワタル君が苗字が変わったわけ、ちょっと話してくれたんだ。 彼、小5の時大阪に転校した理由ね、親が離婚したんだって」
「そっかぁ。そうだったんだ。でも…なんか、信じられないね。アタシたちが遊びに行くとあんなにおじさんもおばさんも優しくって仲良さそうだったのに…」
「そうだね…。 それで彼はお母さんに付いて大阪の実家に行ったらしいヨ。それで妹はお父さんが引き取ったって」
「アタシたち、そういうの知らなかったんだねぇ。あのときのワタルの気持ちってぜんぜん考えてあげられなかった」
「それとさ…もうひとつ」
「ウン、なに?」
「アタシね、彼が転校するちょっと前、じつは告白されちゃったんだ」
「エ、ワタルに?」
「ウン…そう。好きだって。それでアタシはどう思ってるかって聞かれたの」
「それで、久美ちゃんはなんて答えたの?」
「哲ちゃんもワタル君も同じように好きだヨ…って」
「そっかぁ・・・」
「やっぱり…ショックだったのかな? そういうのって男のコにとって」
ボクは少し考え
そして
「…かもしれないね」
とだけ答えた。
そう言ってボクが隣の布団の久美ちゃんの方を見ると
そのときはもう彼女は、すぅすぅと小さなかわいい寝息を立てていた。




