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5話:逆転

<Ⅴ:逆転>


 コアパレイに建てられた唯一の教会。並べられた長椅子に一人の男が座っている。彼が祭りの首謀者であり、ガリアンやジョーカーを束ねるクーデターのリーダーでもある。

「タオ様より吉報です。最も危惧していたリオル=ヴィアムを撃破しました」

 首謀者に向けて、声を発する女がいる。伝達係として拾った元・奴隷だ。魔法の心得があるので、タオやガリアンから送られてくる魔法の伝言を受け取らせている。

「なぁんだ、呆気ないな。リオル=ヴィアムも戦いに関しては素人だったか」

 首謀者は気だるそうにため息を吐く。

「駐在王国軍の殱滅も、魔法兵団に扮した傭兵達が功績を挙げています」

「リングアウトにしてやった本物の魔法兵団は?」

「……さあ?」

 門の外に追いやられた魔法兵団は、首謀者が複製した鎧人形と戦っている。鎧人形に自我はないため、伝達する者がおらず、奴隷の彼女には分かり得ない結果だった。

「鎧人形と正面から戦って、生き延びれはしないだろうからなぁ」

 首謀者は、くつくつと笑う。

 大陸を恐怖に陥れた鎧人形を再現するのには、骨が折れた。完全に復元は出来ず、装甲が並の鎧よりも脆くなってしまったが、欠点を補うために魔法耐性を大幅に強化しており、魔法主体の自警団相手ならば問題ない。

「こんなものかぁ。三年前と比べると、ひどく呆気ない」

 三年前の戦略は、見事に失敗した。

 最初から最後まで何も上手くいかず、何一つとして結果を残せなかった。積み上げようとしては崩され、壊そうとすれば守られる。当時の自分は、相手の思い通りに動いていたのではないかと思うほど邪魔をされた。

 腸が煮えくり返るほど苦い思い出だ。

「新たな伝達です」

「……何だ? ガリアンが演説でも始めたか?」

「いえ……それが……ジョーカー様が……」

「ん? ジョーカーが文句でも言ってきたのか?」

 ジョーカーに地下室でヒュルネの監視をさせたのは、人材不足だからではない。むしろ、その逆。あの場所だからこそジョーカーの真価が発揮される。

 ブラインドという異名を持つ賞金首は伊達ではない。あの場では、ガリアンやファラックほどの猛者でさえ勝機はない。

「ジョーカー様が、倒されました」

「…………え? うそ?」

 首謀者は目を白黒とさせて、素っ頓狂な声を出した。



 地下室で暇を持て余したジョーカーは、食料庫から引っ張りだしたチーズをバクバクと食っていた。

「このチーズうめぇなぁ!」

 牛乳の臭みが強いものの舌触りは良く、食に関して無関心なジョーカーにもチーズの上質さが分かった。

「あー、こっちにもください。お嬢様が、お腹空かせてますので、腹の虫が悪くなる前にお願いします」

 背を預けた扉の向こう側から、暢気な声が聞こえてくる。

 扉一枚を隔てた部屋には、ヒュルネとヴァンがいる。今、声をかけてきたのはヴァンだ。

「うるせぇ! このチーズはソレガシのもんだ!」

「チッ。34位のくせに生意気な」

「てめぇ、バカにしてんのか!?」

「いえいえ、素晴らしいですね。34とか、もう……ね。うん、すごいですね…………」

「やめろぉぉぉ! 同情じみた雰囲気出してんじゃねぇぇ!」

 バンバンと扉を叩き、ジョーカーは必死に黙らせようとする。

「ちょっと! うるさいですわよ! こっちはお昼寝中ですの! 少し、静かにしてもらえませんこと!?」

「あ、はい。お騒がせして、すいません。…………って、なんでソレガシが謝らないといけねぇんだよ!」

「お嬢様、このジョーカーって男、なかなかノリが良いですね」

「そうですわね。敵にしておくにはもったいないキャラですわ」

 扉の向こう側から聞こえる雑談に、ジョーカーは全身の力が抜けた。

 緊張感が、まるでない。地上では血の流れる戦が繰り広げられているのに、ここは未だシリアスな雰囲気はなかった。

 ヒュルネやヴァンも脱走する気配を一向に見せず、ジョーカーの気持ちはぬるま湯に浸されたように緩みっぱなしである。

 ――つまらない。

 こんな場で惚けているだけで歴史的な一面は終わってしまう。

 いっそ、二人をわざと逃がせば多少は面白いことになるかもしれないが、それは彼のプライドが許さない。

 ジョーカーは残ったチーズのかけらを口に放り込む。

「どうすっかなぁ…………ん?」

 カツンと足音が鳴り響く。

 今、地下室にはジョーカー以外誰もいないはず。

 ふと外に見回り役の傭兵がいることを思い出した。彼らが降りてきたのだろうかと思い、そしてジョーカーは自分の考えが甘いことに気づいた。

 光源に照らされる足音の主。

 真っ正面から堂々と現れたのは、仲間の傭兵ではなく見知らぬ男だった。

 見たところ、普通の人間のようだが、軽装の鎧と腰に差された剣から察するに、迷い込んだ市民でないことは分かる。

 おそらく、このタイミングで現れたということは――

「おまえ、敵だな?」

「あ、えっと、うん。敵だね、たぶん」

 返答は、なんとも締まりのないものだった。

 しかし今のジョーカーには関係ない。

 相手がどんな小物であろうと、ようやく自分の役割が果たせるのだ。敵に感謝しなければならない。

「ふっふっふっふっ! 馬鹿め! こんなところに迷い込んだのが、おまえの人生の終わり! この賞金首ランキング34位の――」

「その声……! あなた、クラフトさんですの!?」

「おうい! ソレガシの決め台詞に割り込むなよ! お約束だろうがぁ!」

「もはや、阻害されることがお約束になってますわよ?」

「それは言うなぁぁぁぁ!」

 クラフトと呼ばれた男は苦笑を浮かべるだけで、何も言ってこなかった。完全に気を遣われている。

「コホン! 34位の実力、とくと見せてやるッ!」

 近場に置いてあった愛用の杖を手に取り、ジョーカーは構える。

 だが、杖を向けられたクラフトの反応は鈍かった。

「いや、争うのはやめない?」

 男が苦笑し、困り顔で言う。

「えええええええ!? 争いやろうぜ!? バトル、バトル! 血湧き肉踊る、死闘を繰り広げようぜ!」

「必死ですわねー」

「さんざん、34位と言ってましたから今更引けないのでしょう。もし戦わないで終わると34位としか言わないウザキャラで終わっちゃいますから。アイデンティティを保つのは大変ですね……」

 背後から、毒素たっぷりの野次が飛んでくるが、ジョーカーは無視する。

「えっと、君も大変だね」

「同情すんな! あぁ、クソ! せめて、見せ場だけでも作ってやる! ソレガシの業、その目に焼き付けろ!」

 高々と宣言した瞬間、異変が起きる。

 地下室を照らしていた光が弱くなった。薄暗い地下室が、更に黒色に沈んでいく。

「魔法……?」

 クラフトが眉をひそめて呟く。

「いや、それよりももっと根本的なもんだぜ?」

 自信満々でジョーカーは言い放ち、更なる異変が発現する。

 ジョーカーの体は闇に溶け込むように、姿を消した。

「……消えた」

「キャラ作りが出来ずに、消滅したんですの?」

「ゴルァ! ちげぇよ! ソレガシは、闇の精霊の血を引いているんだよ! 暗闇に紛れることなんて、朝飯前なんだよ!」

「なんだ、そうなのか」

「って、あぁあああああ! バレちまったし! まあいいぜ! 見えないことには変わりないからな!」

 ジョーカーは足音を立てずに、クラフトの正面に立つ。

 闇に紛れた状態ならば、相手の目と鼻の先に立とうが気配を察知されることはない。百戦錬磨の強者であろうと、痛みを知覚することなく逝かせられる。

 今のジョーカーは自然と同じだ。草木などに気配がないように、闇にも気配はない。

 ジョーカーは杖を振り被る。フルスイングの一撃はクラフトの首を捉えていた。

 ――だが、確実であるはずの一撃が空振りに終わった。

「は…………?」

 驚きに思わず、闇のローブがはだけて、姿を現してしまう。

 クラフトはまるでこちらの位置が分かっていたかのように、半歩分だけ下がっていた。

 ジョーカーが目を白黒とさせていると、クラフトは頭を掻きながら申し訳なさそうに口を開く。

「いやぁ……その、気配は消えてたけど……チーズの匂いで丸分かりだったんだよね」

 先ほどまで喧しかった外野さえ黙ってしまうほどの沈黙が訪れた。

 気まずい間が流れ、ジョーカーはぎこちない笑顔を作り、

「す、すべては計算通りだぜ?」

 ……………………………………………………………………。

 誰も何も言ってくれなかった。

「なんだよ! なんか言えよ! おい、ヒュルネ=シュルーケンとか、ムカつく使用人! さっきまでの野次はどうした!?」

「ダダズベリのボケに、巻き込まないでくださる?」

「さすがの私でも、フォローは出来ませんね……」

「てめぇら、調子が良いときだけ乗ってきやがって、ふざけんじゃねぇぇぇぇ!」

「えっと、大丈夫だよ。チーズさえなければ俺はやられてた。うん、チーズさえなければ」

「てめぇは、気を遣うなぁぁぁぁ!」

 喋れば喋るほど自分のプライドが切り刻まれてしまう。

「はぁ……はぁ! クソが! もういい! 暗殺スタイルはヤメだ!」

「個性を捨てるつもりですか!? いけません! だたの34位になってしまいますよ!」

「うるせぇ、色黒使用人! おいしいところだけ、会話に参加してくんじゃねぇ!」

 いい加減、目障りになってきた野次を一蹴し、ジョーカーはクラフトと正面から向かい合う。

 ここからは本気の勝負。

 もとより、闇に紛れて暗殺することだけが能ではない。

 ジョーカーは杖を左手で持ち、腰のあたりに持ってくる。それはまるで剣でも扱うような姿勢であった。

「……仕込み杖かな?」

 クラフトが目を細めて問いかけてくる。

「そうだ。ソレガシの実力は暗殺じゃねぇ」

 一撃必殺の居合い抜き。

 一人の剣士として、クラフトと相対する。

 しかし次の瞬間、ジョーカーめがけて急接近してくるものがあった。

 クラフト自身ではない。地下室で乱雑に置かれていた、椅子だった。

 仕込み杖から刃を滑らせ、椅子を両断する。

 すぐさま刃を返し、次なる攻撃に対応しようとするが、クラフトはその場から動こうとしていなかった。

「……チッ」

 今の投擲は、仕込み杖の間合いを計るためのものだろう。

 少々、相手を甘く見ていた。ヘラヘラと笑い、牙一つ持てない腑抜けかと思っていたが、その腰に差された剣は伊達ではないようだ。

「凄い切れ味だね。さて、そのお値段は?」

「なんと、一万ポッキリ! って、何言わせんだ!」

「いや、なんとなく」

 ふにゃりと笑うクラフトを見て、一瞬でもこの男を評価してしまった自分が馬鹿らしく思えた。

「でもさ。ここって狭いし、障害物も多いから、居合いって大変だろ?」

「そのためのブラインドだ! 闇に紛れて斬るのが常套手段だったが、チーズのせいで台無しだ!」

「あっ、ごめん」

「てめぇが謝るなぁぁぁぁぁぁ! 気まずいだろうがぁぁぁ!」

 もともと自分のミスなのに、それを他人に謝れると自分の惨めさが倍増する。

「クソッ! ソレガシを馬鹿にしやがって!」

「馬鹿にしてないし、甘くも見てない」

 そこで、ようやくクラフトは剣の柄に触れた。

「いち剣士として、正面から勝負したいと思ったほど良い太刀筋だよ」

「……ふん。ソレガシは暗殺者だけどな」

 上からの物言いが気に食わなかったが、他人から剣技について褒められることなど久しぶりだった。

 ジョーカーは仕込み杖を鞘に戻し、再び居合いの姿勢を作る。

 すると、クラフトはまるでジョーカーを真似るように居合いと似た格好をする。

「ソレガシの真似事か? 一瞬で死ぬぜ?」

「いや、たまたま似てるだけなんだ。居合いなんて業、俺には出来ないから」

 いまいちつかみ所のない男である。

 大抵、相手の構えを見れば、ある程度の攻撃は推測できるものだが、クラフトにはそれがない。極端な例を言ってしまえば、素人のような構えなのだ。

 だが、油断は禁物。先ほどの椅子による攻撃を鑑みるに、相手は相当な数の戦いを越えている。

 闘いにおいて、一挙手一投足が結果を大きく狂わせる。

 ジョーカーは神経を研ぎすまし、相手の動きを凝視した。

 ――動く。

 剣を納めたまま、クラフトが接近してくる。

 愚直なまでの突進。

 だがジョーカーは躊躇わない。

 己の最大限の力を以てして、刃を解き放つ。

 クラフトは鞘から剣さえ抜いていない。

 遅すぎる。一端の傭兵にも劣る遅さだった。

 必勝が見える。

 ジョーカーは刃を走らせる。

 応するクラフト。

 互いの必殺が放たれる。

「……」

 静寂があたりを包み込んだ。数瞬の間をおいて、両者に動きが現れる。

 ひざを突き、しゃがみ込んだのは――クラフトだった。

「うそだろ……?」

 自分の敗北が信じられないような震えた声を出すクラフト。

 そんな彼を見て、ジョーカーは薄く笑い、そして、

「お・金・発・見!」

 ジョーカーの身体は、仰向けに倒れていった。

 背から地面に倒れ、埃が盛大に舞う。

 ジョーカーの刃が届くよりも先にクラフトの一撃が右側頭部に入っていた。

 頭部の傷は深く、鈍い痛みが脳裏を叩く。激痛に意識が蝕まれ、目に見える物の輪郭が曖昧となっていった。

 ぼやける視界の中、クラフトらしき人影が見える。

「次はチーズ抜きで、やろう」

 ジョーカーには闇討ちをしたところでもクラフトに勝てる気がしなかった。

 理由は、彼の持つ剣にある。

「……名を……教えろ」

「俺の? あんまり言いたくないんだけど……。誰にも言わないでくれよ?」

 渋々と言った風に、クラフトは名乗る。

「クラフトってのは偽名で、実はエノーマス=ロードっていうんだ」

 エノーマス=ロード。二年前、鎧人形を掃討した英雄の名だ。

 いわく、剣の覇者。

 いわく、王の剣を持つ者。

 いわく、すべての剣士の頂上に位置する男。

 いわく、“剣王”。

「え、英雄……志士……“剣王”だとぉ……!?」

 クラフトが肩に剣を乗せる。

 終始、その剣は鞘に納まっており、一度も抜き身の姿を晒すことはなかった。

 意識が遠のいていく。

 ジョーカーの頭には、大きなタンコブが出来ていた。



 クラフトことエノーマス=ロードは、自分が誰かの企みに利用されていることに気づいた。

 もとよりエノーマス自身は頭を使うようなタイプではなく、常に誰かに振り回される人生を送っていた。故に、誰かに利用されることは慣れているので、自覚したところで何かしらの感情を抱くことはなく、もっとも近い感情と言えば「またか」とぼやきたくなるような倦怠感だけだった。

 今回の首謀者は、おおよそ見当がついている。

 アレン=グランド=シュルーケンだ。

 これほどの大事件を起こせるのは、彼しかいない。

 しかし――だ。『これ』も彼の予定調和内のことなのだろうか。

 エノーマスは昏倒するジョーカーを見下ろしながら疑問に思った。

 違和感がある。が、それを明確にすることはできない。

 頭が痛くなってきた。考えすぎはよくない。

 ひとまずエノーマスが取るべき行動は、目の前のヒュルネとヴァンを助けることだ。

 施錠してあった扉を叩き壊し、扉を開く。

 すると、そこには――ゆったりとティータイムに興じる二人の姿があった。

 ……というか、どこにティーカップや湯があったのだろうか。

「……とりあえず聞きたいんだけど。俺がわざわざ助ける必要あった?」

「ありませんわよ? だって、わたくし達、脱出する気なんて更々ありませんもの……って、どうしましたの? うなだれて、何か嫌なことでも?」

「…………いや、何でもないよ」

 倦怠感が増しに増し、エノーマスは四つん這いになってしまった。

「じゃあ、どうする? 俺は、クーデターを起こした傭兵を叩くつもりだけど……」

 倦怠感と戦いながら、エノーマスは立ち上がる。

「そう。剣王エノーマス=ロードが相手では、ガリアンも形無しですわね」

 そう言いつつ、ヒュルネが意味ありげな視線を送ってくる。

 言いたいことは大体変わる。

「えっと……ごめん。名前、偽ってたんだ」

「よくも、お嬢様に嘘をつきやがりましたな。その舌、炭火焼きにしてやりましょうか」

「ぶっちゃけ、わたくし、気づいてましたけど」

「――なんて、お嬢様は言っておられますが、図太い神経のお嬢様ごときがそんな繊細な部分に気づくはずが――うぎゃあああああ!」

 ヒュルネがローキックを入れ、ヴァンのふくらはぎを破壊する。

「えっと、話戻していいかな? ……これから、どうするつもり?」

「わたくしは何もしませんわ」

「そっか。それは賢明な判断だ」

 敵は魔法兵団の団長だけではない。情報によれば厄介な敵が何人かいる。

「お兄様のことですから、わたくしなど居なくても勝手に物語は完結してしまいますわ」

「……? それはどういう意味かな?」

「この祭りも佳境に入った、という意味ですわ。わたくしが何もしなくても、おそらく祭りは失敗で終わりますわ」

 ヒュルネの言っている意味が、エノーマスにはいまいち咀嚼できなかった。

 エノーマスのことを頼って口にしたのではない。

 もっと根本的なこと。始めから祭りが失敗することを、知っているかのような口振りであった。



 百を越える王国軍の兵を駆逐しても、ファラックは喉の渇きを潤すことができなかった。

 正規の王国軍と合間見えるチャンスとあって、この祭りはマンネリ化しつつある修行に対して良い刺激になると考えていた。

 だが、期待外れも良いところ。

 誰一人としてファラックを傷つけることはできず、誰一人としてファラックと闘える者は居なかった。このようなことならば、いっそガリアン達に対して反旗でも翻した方がいいのかもしれない。ガリアンほどの実力者と相対すれば、ファラックの蟠りが払拭される。もしくは、あの首謀者とも相対できれば――

「あー!」

 突発的な大声は、ファラックの正面から聞こえてきた。

 閑散とした大通り。一本道の先に、二人組の姿がある。

 一人は背丈の高いメイド。なにやら重々しい鞄を手に持っている。

 一人はエルフの少女。おそらく少女が声を上げたのだろう。こちらを指さし、大きく口を開けている。

「犬ですね! ナイトさん! 犬人間です! ドッグフード食べますかね!?」

 少女は何の臆した様子もなく言い放った。

「小娘! 我をバカにしておるのか……!」

 ファラックが犬歯を見せつけて怒鳴ると、隣にいたメイドが少女をかばうように前に出る。

「駄目だ、リリ。近づくな。犬の病気が移るぞ。しっしっ、どっかおいき」

 メイドが野良犬を追い払うかのような仕草をする。

「たかが、使用人が……っ!」

「それにしても、町が静かだな。おい、犬。何が起きている?」

「答える必要はない! 失せろ!」

「犬の躾がなっていないな。飼い主はどこだ? 殴って、泣かせてやる」

 ファラックの怒りゲージが急上昇する。

「今すぐ、失せろ。さもなくば殺す」

「殺す? たかが犬に、私を殺せるはずがなかろう」

 亜人差別の言葉を連発するメイド。ファラックの逆鱗に触れるどころか、ぶん殴るレベルの発言である。

 脅しを含めて、メイドに純度の高い殺意を放った。

 しかし彼女は、依然としてすまし顔を貫いている。

 岩肌のように鈍感なのか、岩山のように肝が据わっているのか。

「リリ、すまんが私用だ。少しばかり時間をくれ」

 どうやら後者のようだった。

「いいですよ。そのかわり、リリはこのあたりでアレン様を捜してきます」

「怪我だけはするなよ」

「わかってます」

「それとリオルが倒れていても、トドメだけは刺さないように」

「さあ?」

 リリという少女は曖昧な返事をして、どこかへと走り出してしまった。

「……女、何のつもりだ? まさか使用人のくせに我と戦うつもりではあるまい?」

「犬のくせに私と闘えることを光栄に思うんだな」

 メイドは鞄から使用人らしからぬ物を取り出した。

 それは白銀のガントレット。肘まで覆われるガントレットをメイドは慣れた手つきで装備する。

「なんだそれは?」

「見ての通り、私の武器だ」

 握り拳をこちらに向けて、メイドは宣言した。

 拳打を主とする小手には見えない。鉄板でも一発殴ってしまえば、造形が崩れてしまいそうなほど華奢なフォルムをしており、どこをどう見てもハッタリとしか解釈できない。

 所詮は女の考えること。虚栄で勝負を挑むなど、生兵法もいいところだ。

「使用人の服でいいのか? 動きにくかろう」

 嘲笑混じりにファラックは問う。

 メイドが着ている服の造形は、肩の可動範囲が制限されている。その上、足首あたりまであるスカートは足の動きに悪影響を及ぼし、激しい動きになるとスカートのせいで転倒するのは目に見えている。

「これが私の正装だ。これ以上のベストコンディションはない」

「ふん、虚勢だな」

「去勢されたのか? ヤンチャしすぎたか、馬鹿め」

「違うわ! この、たわけが!」

 いい加減、メイドとの対話に嫌気が差したファラックは、不意を打つように間合いを詰める。

 右の拳を、鼻頭めがけて放つ。

 さっさと黙らせた後、首の骨をへし折る――そう考えていた。

 だが、ファラックの狙いは一撃目から外れた。

 紙一重。いや、緩慢な動きで右方向へと避けられた。

 ファラックは続けざまに伸ばした右腕を裏拳へと繋げる。

 またしても、避けられた。

 屈んだ姿勢となるメイド。

 ローキックを放つと、今度は後方に飛ぶようにして蹴りを躱す。

 避けられた。

「……使用人としてはやるな」

 ふと脳裏に色黒の使用人のことを思いだした。

 あれは本当に話にならなかったが、目の前のメイドは違う。こちらを観察しながら攻撃を躱していた。

「しかし、所詮は女。我には勝てん」

 ファラックの猛攻が始まる。

 貫手を切り口とし、拳打、蹴撃、投げ……息を吐けぬほど多種多様に攻めた。

 メイドは凌ぐ……が、その防御はタイトロープの域に達していた。一つでも攻撃が通れば、メイドの牙城は一気に切り崩される。

 貫手を払い、拳をいなし、蹴りを躱し、投げ技を抜ける。

 人間の女にしては頑張っている。しかし時間の問題だ。

 メイドの息は上がり、一度も攻撃に転じていない。動きに鈍さが見られないのは、誉めてやるべきだろう。

「貴様……」

 ふとメイドが口を開く。

「かみつき攻撃はしないのか?」

 ここまできて馬鹿にされるとは思わなかった。

「せぬわ! 拳だけで我は勝利を掴んできたのだ! 舐めるでない!」

「そうか。ならば、警戒しなくて済む」

「馬鹿にしおって!」

 ファラックは身を低くし、脇腹を抉るような拳を振るう。

 次の瞬間、ファラックは顔面に強い衝撃を受けて後ろに倒れた。

「……くっ!?」

 メイドが振り抜いていた拳を戻す。

「確かに、貴様の拳は重そうだな。だが、触れなければ何の意味もない」

「一度、攻撃が通ったかと言って調子に乗るな!」

 ファラックは身を起こし、拳を構え直す。

「犬、私はこれから貴様に指一本触れずに倒す」

「ふざけたことを……! やれるものならやってみろ!」

 先手を打つように、メイドへと大きく踏み込む。同時に右肩を少し後ろに引く。

 つまるところ、フェイント。右で殴る素振りを見せ、メイドに回避させようとした。

 指一本も触れないと宣言しているのだから、メイドは回避するはず。

 だが、ファラックの読みは大きく異なった。

 メイドがカウンターのごとく――思い切り、ぶん殴ってきた。

 モロに接触。鼻頭に拳打を食らったファラックは半泣きになりながら、後ずさる。

「お?」

 メイドが、まるで「当たっちゃった?」とでも言いたげな声を上げる。

「謀ったな、女ぁ!」

 まさかのブラフにファラックの怒りは臨界点を悠々と超えた。

 鬼の形相でメイドを睨む。が、メイドの反応と言えば、

「きょろきょろするな! 貴様だ、貴様! 何を知らない振りをしている!? 指一本触れないどころか、拳一発分を思い切り叩き込んだではないか!」

「いや、私は触れていない」

 手のひらを見せつけるように両手を上げ、まるで子供が自分のオイタを認めないかのような言いぐさをする始末。

 ――しかし。メイドの言うことを証明するように、不可思議な現象が起きた。

 突風が吹き荒れ、ファラックに襲いかかる。

 それは自然の風とは言い難い。まるで大蛇が体を這っていくかのように、風の流れがファラックの体に巻き付いてくる。

「なんだ……? 何なんだ、これは!」

 風は魔法によるものではない。メイドは一言も詠唱の言葉を口にしていないからだ。

 ならば考えられる可能性は一つ。ジョーカーと同じ精霊の血が混じる稀少種であったら説明が付く。

「所詮は女――とか抜かしていたな」

 メイドが告げると、風はピタリと止んだ。

「私の知る限り、貴様より強い女は三人もいるぞ…………あ、いや、四人か? ちょっと待て、五人……?」

 指を折りまくるメイド。その数は、二桁をゆうに越えていた。

「……しまった。数を忘れてしまった。今、何人目だ?」

「知るか! 馬鹿にするのも大概にしろ!」

 ファラックが言い返すと、メイドは仕切り直しとでも言うように咳払いをする。

「まあいい。沢山居る内の一人が私だ」

「恥を捨て、他人にすがることで金を稼ぐ下人が、我よりも強いだと? 笑わせるな!」

 もう油断は捨てる。メイドは弱くない。だが、所詮は弱くないだけなのだ。

 体術に心得があり、精霊との混じりであろうとファラックには勝てない。

 理由?

 女として生まれたこと。下人として生きてきたこと。それだけで十分だ。

「そういえば、名乗るのを忘れていた」

「ほざけ、女。貴様の名など聞きたくない」

「聞かせてやるのだ。嬉しく思え」

 メイドの眼光が、真っ直ぐにファラックを捉える。

「――っ!?」

 一瞬だけ、ファラックは息が出来なかった。

 その威圧的な目つきは、今まで相対してきた猛者達とは一線を画する。

 本能的に、臆してしまった。たかが女に、たかが使用人に――怯えてしまった。

「雇われメイドのナイト……これは、実は偽名だ」

 ファラックにとってはナイトという名さえ初めて聞いたのだが、口を挟み込める余裕はない。

「本当の名は、パウ。パウ=プラクティ」

「え、英雄!? 貴様が、英雄志士“両翼”のパウ=プラクティだと!」

 ならば。突発的な風の理由は明確となった。パウ=プラクティは精霊混じりではない。パウが装着した、ガントレットに仕組みがある。

 ファラックは知っていた。

 魔法教導院が作り出した“七精武具”と呼ばれる魔導兵器の一つ、風の精霊を武具化させた『ストレイト・ウィンド』。風の精霊を自在に操り、時には巨鳥のごとく、その両腕で突風を生み出せる。

 故に、通り名が“両翼”。

 考え直すとパウはブラフなど一言も言っていない。

 殴られていたかと思っていた拳打は圧縮させた風をぶつけていた。

 本当に、彼女はファラックに触れていない。

「ククッ……! そうか、貴様があの両翼か!」

「意外だな、尻尾を振って喜ぶとは。私の名は聞きたくなかったのだろう?」

「我は貴様のような名の通った猛者と逢いたかったのだ! クハッ! クハハハハッ! 久しく高ぶるぞ! あの英雄を、我の手で屠れる! このときを待っていたのだ!」

 ファラックは高らかに笑う。

 だが、パウは悠長に待ってくれなかった。

「自分の世界に入るのは結構だが――私は短気だ。すぐに方を付けさせてもらう」

「くは……?」

 眼前にパウが迫っていた。

「1/10の力で殴るぞ。かなり吹っ飛ぶが、せいぜい死ぬな。……いや、犬は高いところから落ちても着地できるんだったか」

 大気が、パウの右腕に集中していく。

 そのとき、ファラックが出来たことと言えば、

「それは猫だ!」

 突っ込むことくらいだった。

 パウの拳が振り抜かれ、ファラックの体は砲弾のごとく大空へと発射された。



 大通りから外れた路地裏。

「つんつくつん……つんつくつん」

 タオは黒こげになったリオルを木の枝で突っついていた。

 一応息はしている。どうやら火球が直撃する寸前で、風の防護壁を展開していたようだ。

 タオが突っつく度、黒こげリオルはピクピクと四肢を痙攣させる。

 最初は面白かったものの、黒こげリオルの取るリアクションのレパートリーはピクピクと震えることしかできないので、飽きてしまった。

 木の枝を放り投げ、風の魔法で伝達を行う。

 これでタオの仕事はなくなった。

 後は、アジトに戻って密かに目を付けていた高級チーズを頂くだけだ。

「じゅるり……」

 あの濃厚な黄色のチーズを思い出しただけでも、涎が出てくる。

「お兄たま!」

「ひゃう!?」

 悲鳴じみた声に、タオは驚いて身を震わせた。

 気づけば黒こげリオルの脇に、エルフの少女が座っていた。

「誰にやらましたか!? 気を失う前に言ってください! 早く止めを刺したいので!」

 スカートの中から、えげつない手斧を取り出し、少女はリオルの首筋に当てた。

 いったい、なにが起こっているのか分からない。

 タオは目を丸めていると、黒こげリオルに変化が起きた。

 意識はないはずなのに、震える手がタオを指さす。

 少女が黒こげリオルの指に従い、タオを見る。そこでようやくタオの存在に気づいたのか、少女は朗らかな笑みを作った。

「あら? 初めまして、リリはリリット=アレン=ヴィアムと言う者です」

 手斧片手に挨拶をされ、タオは一瞬怯んだものの、すぐに自分を取り戻した。

「こんにちはっ! えれめんたる・まいすたーのタオちゃんだよっ!」

「あなたが、お兄たまを丸焼きにしてくれましたの?」

「うん! きもちわるいから、燃やしてあげたの! タオちゃんは悪くないよ!?」

 少女はニッコリと笑顔のまま、

「お兄たまを虐めていいのは私だけです。てめーみてぇなバカ丸出しのクソ女は、そこら辺の肥だめに顔突っ込んで死にやがれ、です」

 怒っていた。

 あまりにも突発的なことに、またもタオは怯んだ。

 その間に少女は、こちらに手のひらを向け、

「怒りの炎よ。我と共に称せ」

 炎の魔法を放ってきた。

「――! え、ん、じん!」

 とっさにタオは同じ炎の魔法で相殺させる。

「凄いですね。リリの詠唱についていけるなんて、ちょっとビックリです」

「タオちゃんもビックリ! ちっちゃいのに、リオル=ヴィアムくらいの魔法使えるんだね!」

「こう見えても、リリは風伝屋の魔法システム構築と精霊制御の管理をしています。経営は、お兄たまに任せきりですけれど」

 目をパチクリとさせるタオ。

「つまり、リリット=アレン=ヴィアムはリオル=ヴィアムよりも強いの?」

「お兄たまの魔法は凄いですけど、リリの方が数倍凄いです」

 無い胸を張って、リリは答える。

「あなたの魔法もそれなりですけど、所詮リリには敵いませんね」

「むっ! タオちゃんは、強いんだぞー!」

「そうですか。ならば、タオさんのできる最高の魔法はどの程度ですの?」

「ふふーん、だ! タオちゃんのさいきょー魔法でタオしちゃうもん! こーかいしても遅いんだから!」

 タオは地面に手のひらを突き出す。

「ど、り、るー!」

 途端、まるで巨大な爪で引っかかれているかのように石畳の床に、魔法陣が描かれていく。

 続いて、タオは外壁に手をかざす。

「す、とー、ぶー! ぷ、らん、たー!」

 火が舞い踊り、魔法陣を作る。

 植物のツタが伸びて、魔法陣が出来上がる。

 タオの動きは止まらない。右手を空に、左手を地面に。

「ど、らい、やー! すぷ、りん、くらー!」

 風が吹き荒れ、魔法陣を象る。

 水が湧き出て、魔法陣を成形する。

 タオの両腕はリリに向けられた。

「火の精霊王! 水の精霊王! 風の精霊王! 木の精霊王! 土の精霊王!」

 それぞれの魔法陣から光が発せられる。

 タオが習得した中で、最も高難度で最も破壊力のある魔法――召喚魔法。

 タオは強力な精霊を呼び出す。

「く、り、えいと!」

 火の魔法陣が収束していき、炎をまとう蜥蜴の姿となる。

 水の魔法陣が収束していき、水竜の姿となる。

 風の魔法陣が収束していき、怪鳥の姿となる。

 木の魔法陣が収束していき、巨大な樹木の姿となる。

 土の魔法陣が収束していき、岩で出来た巨人の姿となる。

「まさか七大精霊の内、五つも現象化させるなんて……」

 五つの精霊を前に、リリが目を丸める。

 だが実際にタオは精霊王と呼んでいたものの、現象化した精霊は本物の王ではない。

 これはタオがイメージした強力な精霊を現象化させた姿だ。

「タオは凄いのっ!」

「これほどの魔法を使えるんでしたら、ツァラスト王国と戦争できますね」

 そう口にしながらもリリの反応は薄い。怯えもせず、精霊を観察していた。

「ふふーん! どーだ、どーだ! 驚いたか!」

「えぇ、驚きました。では、次はリリの番ですね」

 リリが地面に手を向ける。なぜか、その動作はタオの動きと酷似していた。

「ええっと、こうでしたね。ど、り、るー!」

 彼女が口にしたのは、タオ独自の詠唱と同じものだった。

 信じられないことに、リリが手の差し向けた場所に、タオが描いた魔法陣と同じものが出来上がる。

「続いて。す、とー、ぶー! ぷ、らん、たー! ど、らい、やー! すぷ、りん、くらー!」

 同一の動作、同一の言語で、リリが魔法陣を形成させる。

 ただただタオは目の前の光景に、呆気を取られて口を開きっぱなしになる。

「く、り、えいと!」

 召喚の詠唱が叫ばれた。魔法陣が精霊の形を成していく。

 蜥蜴、竜、鳥、樹、巨人。

 タオが召喚した精霊の生き写しが、リリの前に現れた。

「へ……? は……? え……?」

 脳がショートを起こしてしまい、何と言っていいのか分からない。

 幻術か何かだと思った。というより、幻術であってほしかった。

 しかしながら、高度の技術を有するタオには理解してしまう。

 十年も試行錯誤し、編み出した努力の結晶が、たった数分で打ち砕かれた。

「あなたの召喚を真似てみました。どうでしょう? 現象化する際の時間はかかってしまいましたが、できてますか?」

「な、ななななな! なんで!? なんで、タオのさいきょー魔法をマネられるの!?」

 タオの悲鳴じみた声を聞いて、リリがクスリと笑う。その笑みは、年とは不相応に妖艶で、人を見下す者の表情をしていた。

「それはリリが普通ではないからです」

「知ってるもん! あなた、変だもん! タオちゃんのさいきょー魔法は、だれにもできないはずだもん!」

「簡単なことです。リリが、ヴィアム家の近親相姦で生まれた異端児だからです」

 淡々とリリが語り出す。

「リリにとって魔法は一度見てしまえば、すべて理解し、吸収し、実践できてしまいます」

 リリの瞳は空虚な色に染まっていた。

「だから周囲はリリのことを恐れて、リリを幽閉していたんです。ただ風伝屋の魔法管理を行うだけの日々はとても退屈でした……でも」

 表情が変わる。一輪の花が咲くように頬を朱色に彩り、淡紅色の唇は弓を作った。

「アレン様がリリを救ってくれたんです。あの窮屈な部屋から、お星様が照らす世界に手を引いてくれたんです」

 我が身を抱くリリ。その目には、周囲の光景など見えていなかった。

 しかしリリはすぐに我を取り戻したかのように、タオを見る。

「リリはリリット=アレン=ヴィアム。アレン様の妻となるために生まれてきた――極平凡な天才魔法少女です」

 支離滅裂な語りを聞かされたタオは――怯えていた。

 ふと、タオは自分が化け物呼ばわりされていたことを思い出すが、その記憶が懐かしく思えた。

 自分は化け物ではない。目の前に本物の化け物がいるのだから。

「さあ、タオさん? あなたの魔法、もっと見せてくれませんか?」

 リリが恍惚とした笑みを浮かべる。

 このとき、タオは心の底から悲鳴を上げた。



 コアパレイ西部近郊、西門へと続く野路を不可思議な一団が進行していた。

 一団の大多数は、身に重々しい鎧をまとい、その姿はどこかの国の正規軍のようであった。

 端から見れば、まさに軍隊の行進だ。しかし一団の先頭を歩く女性――それが一団の統一感をぶち壊していた。

「ようやくよ! そう、ようやくなのよ!」

 一団の先頭を歩く女性が、ククリ刀を木の枝のごとく振り回し、嬉々として声を張る。

 女性の風貌は一団とは関係性を問いたくなるほど奇怪な格好をしていた。猛毒のような紫色のドレスに、きらびやかな宝石を身につける女性。趣味の悪い貴族と解釈するにも、ドレスはボロボロで彼女に気品というものに無感心であることは容易に分かる。

「ニヒッ! おめでとう! ありがとう! 復帰してくれた私のお友達!」

 女性は後続する一団の方を向き、後ろ歩きをしながら声をかける。

「これから、憎きアレン=グランド=シュルーケンを血祭りに上げてやるのよ! そう、上げちゃうのよ!」

「今日も、無駄にテンション高いっすねー」

 答えるのは、ちょうど女性の正面にいる男。無精髭に、やる気の無い目つきは、数日前まで引きこもりをしていたせいではなく、元から脱力系のオヤジなのだ。

 女性よりも一回り近く年の差があるのにも関わらず、男は女性の部下として一団に所属している。

「黙りなさい! そう、黙っちゃいなさい! このヘタレ! アレンに引きこもりにされた分際で、私に意見するんじゃないわよ!」

「へーへー、わかりやしたよ。隊長殿」

「隊長と言うな! そう、言っちゃ駄目! 隊長は、二年前の話よ! 昔話なのよ!」

 元々、この一団は彼女が率いる某国の騎士団であった。しかし二年前の鎧人形によって国は陥落。騎士団は半数以上の隊員と帰る場所を失い、現在では野盗紛いなことをして生計を立てている。

 亡国の王女であり、騎士団の隊長を務めていた女性――マティマ=ハルヴィニア。この奇行多き女性が、そのマティマ=ハルヴィニア本人なのであった。

「ハルヴィニア王女ー! そろそろ、コアパレイに着きますよー!」

 後方にいた『お友達』が声を張り上げる。

「王女、言うな! そう、言っちゃ、めっ!」

「隊長殿、それ二回目」

 脱力系の男――元副隊長が嫌味を含めて言う。

「ヘタレはお黙り! そう、黙っちゃいなさい!」

 キーキーと騒ぐマティマ。

『お友達』の一同が、まるで身内の失敗を笑うかのごとく、ゲラゲラと笑い声を上げる。

「笑うなー! そう、笑うんじゃなーい!」

 マティマの命令は通らず、笑い声は止まらない。

 ギリギリと歯ぎしりをした後、マティマはククリ刀を振り回しながら進行方向へと向き直した。

 コアパレイの西門が見える。

 いつもなら解放されているはずの門は、マティマ達の進入を拒むように閉じられていた。

「隊長殿、何か変っすね」

「隊長って言うな」

「んじゃ、改めて。マティマちゃん、何か変っすね。西門が閉じてますよ」

 言われなくても分かっている。

 マティマは一団の行進を停止させた。

「誰か、遠眼鏡をちょうだい! ううん、渡しなさい!」

 一番近くにいた『お友達』が、筒状の望遠鏡をマティマに手渡した。

 マティマは筒を覗き込み、西門の状況を窺う。

「あれは……まさか……」

 見覚えのあるシルエットに、マティマの目は釘付けとなった。

「うひゃあ、懐かしい……鎧人形っすね」

 マティマと同様、遠眼鏡で同じ光景を見ていた元副隊長が断言する。

「戦ってるのは魔法兵団っすね。うわぁ……、防戦一方でじり貧っすね、ありゃあ」

 なぜ元副隊長が、冷静にしていられるのか分からなかった。

 あれは宿敵。あれは怨敵。あれは仇敵。

 数百年も続いた祖国を滅ぼした。罪なき民を殺した。帰る家に火を放った。守る城を砕いた。愛する人々を、奪い去った。

 あれは敵。必ず討ち取らなければならない敵だ。

「……っ!」

 ぶるりと全身が震え上がる。

「どうします、マティマちゃん?」

「マティマちゃんと呼ぶな」

 今だけは、野盗の真似事をしたくはない。

「マティマ隊長と呼べ」

 今だけは、せめて亡国の騎士団の真似事をしたかった。

 一団の『お友達』が、ざわめく。しかし誰にも戸惑いの言葉はない。誰もがマティマの言葉の意味を理解し、薄ら笑いを浮かべて昔の思い出を口にしていた。

 マティマは遠眼鏡を放り捨て、一団と向かい合う。

「静かにしろ!」

 たった一言で、何十人もいる『部下』達は黙った。

「王女様、二年ぶりに騎士団ごっこでもするおつもりで?」

 副隊長が憎たらしいニヤケ面をこちらに見せつける。

 だからマティマは険を含んだ目つきで、答えた。

「私は黙れと言ったのだ」

 副団長を黙らせた後、マティマは視線を部下達へと向けた。

「あぁ、何度、この夢を見たことか」

 狂気を孕んだ笑顔から、狂喜が漏れる。

「皆の者、覚えているか? 奴らだ、奴らが現れた。民を虐殺し、国を踏み潰し、我らに一生分の屈辱をもたらした、奴らが現れた! 奴らだ! あの、憎き奴らなのだ! 分かっているだろう!? 我らのプライドに唾を吐き、あざ笑った奴ら! あぁ! あぁああああっ! これは僥倖だ! 闇の精霊、悪魔が仕組んだ僥倖だ! 拾ってやろう! この僥倖、すべて残さず頂いてやろう! 僥倖が真っ赤な血に染まっていようと、我らの決意は揺るがない!」

 ククリ刀を天に翳す。

「我らは、あの頃とは違う! さあ、我らが騎士団よ! 奮い立て! 亡き国、亡き王、亡き民、亡き仲間の為に! 今、その身を戦火に投じ、憎き鎧人形を討ち取れ!」

 地を揺らすほどの雄叫びが響く。

 マティマが先陣を切り、戦場に踏み込んだ。



 地下室を出たヒュルネ達は、エノーマスと別れることとなった。

 祭りを静観するヒュルネとは異なり、エノーマスは能動的に祭りに関わろうとしている。英雄気質とも言うべきか。彼はこの場の混乱を納める気だった。

 エノーマスにとって、何の金にもならない。無駄で、不毛な行為である。

 だがエノーマスは言った。

「嫁に怒られるから」

 かかあ天下も行きすぎると独裁国家と大して変わらない。尻に敷かれる英雄というのも、また情けない像である。

 ヒュルネはエノーマスを見送った後、改めて町の静寂さを体感した。

 音と人物だけが切り取られた風景のように、町は静止している。

「お嬢様、本当に何もしないつもりですか?」

「ここまでのことは、すべてお兄様のシナリオ通りですわ。わたくしが、何かをしたところで結末に影響を与えることはできませんの」

 祭りは終わる。それはアレンが望んだ結末なのだ。

 ヒュルネには何が目的で、何が手段なのかも分かっていない。

 しかしすべての出来事が過ぎ去った後に、アレンは『最悪』を生み出す。

 何も変えられない。何も意味がない。

 だからヒュルネは動かない。

 草むらに隠れて獲物を狙う獣のように、虎視眈々とアレンが出てくるのを待つしかなかった。

 考えてみれば――。

 アレンは危険だと忠告してくれていた。自分は、危険の意味を履き違えていたのかもしれない。危険は自分ではなく、周りの者達へと向けられていたのだ。

 そのせいで、セルドラは……死んでしまった。

「わたくしは自惚れていたのかもしれませんわね」

 ヒュルネは嘆息する。

 胸中で渦巻くのは、後悔と自己嫌悪。

 こんなことなら、旅になど出なければ良かった。

 自分のマイナス思考に嫌気が差して、視線を落とす。

「……?」

 ふとポケットに膨らみがあるのに気づいた。何なのだろうかと思い、ポケットの中の物を取り出す。

 それは歪なクッションだった。

 何のために使うのか分からず、同様に何のために作ったのかも分からない。

 ただ、分かるのは――誰が誰のために作ったのか、それだけだった。

「……」

 今、ガリアンの家にいるイリシャは、何を考えているのだろうか。

 何も知らない彼女は、きっとガリアンの帰りを待っている。無事でいることを切に願いながら。

 だがガリアンは彼女の想いを裏切り、血で染まった道を進んでいる。

 想いは交わらず、悲しみしか生み出さない。そんな運命を、遠巻きで見られるほどヒュルネは落ちぶれてはいなかった。

 ギュッとクッションを握りしめる。形はナンセンスだが、相変わらず触り心地は癖になる。

「結果なんて、どうでも良いことですわね」

 ヒュルネの中で、久しい感覚が蘇る。

 それはとても小さなこと。でも、動かないヒュルネの背を押すには大きな力だった。

「……お嬢様?」

「わたくし、お兄様にこだわりすぎていましたわ」

 いつの間にか、兄のことしか見えず、大切なことを見失ってしまっていた。三年前では絶対に揺るがなかった鋼鉄の考えは年数を負うごとに寂れて、錆び付いてしまった。

 三年前、なぜヒュルネは兄の暴挙を止めようとしたのか。

 答えは数多くある。しかし大切な答えは一つしかない。

「ヴァン、行きますわよ」

「どこにですか?」

「決まっているでしょう? 人助けをしに行きますのよ」

 クッションをポケットに戻して、ヒュルネは動き出した。

 今のヒュルネを止められる者はいない。

 なぜなら、彼女はアレン=グランド=シュルーケンの妹だからだ。



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