4話:反逆
〈Ⅳ:反逆〉
祭り当日、顔を出したばかりの朝日が町並みを照らす。
コアパレイ西門付近に、魔法兵団の副団長アルテが中隊を率いて待機していた。
外敵に対する情報を待っていたアルテに、一人の団員が走り寄る。
「王国軍からようやく情報が入ってきました。やはり……鎧人形です」
久しい名が耳に入る。
鎧人形――大陸を恐怖の底に陥れた、畏怖の象徴ともいうべき存在。
闇を纏う黒き鎧、フルフェイスの兜から除く赤い瞳、人の形をした異形の化け物。
アルテは高鳴る鼓動を感じつつ、口を開く。
「数は?」
「三十弱です」
王国軍の兵士が乱視であることを願いたい。
冗談のような数字だ。
二年前の惨劇を起こしたときの鎧人形の数は十五体。今は倍以上の数が押し寄せている。
「どうしますか、副団長?」
「ガリアンなら打って出る、と言ってるところだな」
本来なら一番ここに立ちたいはずの男はいない。コアパレの市長を護衛するために、不在となっていた。
団長というのは、損な役職だ。せっかくの怨敵を目の前にしても、直接手を下せない。
「西門を閉門させる。それまで、我々は西門前まで移動し、長距離攻撃魔法で鎧人形の足止めだ。鎧人形の行進が閉門より早い場合は、奴らの真下に魔法で大穴を開けてやれ」
細かい指示を各班に言い渡し、アルテは息を大きく吸った。
「おまえら、いいか!? 待ちに待った鎧人形とのリベンジマッチだ! 今日は魔法大宴祭だが、特例として魔法の使用を許可する! ど派手にぶっ放せ! あいつらが、町に足を踏み入れられなかったら、我々の勝ちだ! そのときは大いに笑ってやれ!」
高まった志気を表すように、地を揺らすほどの雄叫びが響く。
「隊列編成!」
六十名の団員が編隊を組み、西門前まで移動する。
長く続く街道から敵影が見えてきた。
門が閉まり始めるのは、ざっと五分。それまで鎧人形を絶対に近づけさせない。
惨劇は繰り返さない。
「同時に放つな! 時間差で、瞬きする隙さえ与えるな!」
鎧人形の姿を肉眼で捉える。
二年前と、何も変わっていない姿が、いる。
体の震えを必死に堪え、攻撃命令を放とうとしたときだった。
重い物が地面を引っ掻くような音が聞こえてくる。
音のする方向は背後――西門からだ。
「副団長! 西門が……閉まっていきます!」
「なに!?」
予想よりも早い――閉門に携わる、王国軍との手続きを無視したとしても早すぎる。
不可解な現象に動じながらも、アルテは即座に後退命令を出した。
このまま西門が閉じられてしまうと、魔法兵団は完全に孤立してしまう。
一刻も早く、部隊を町に戻そうとした瞬間、突如アルテ達の進行を阻むように、暴風が吹き荒れた。あまりの風圧に大半の団員が地面に倒れてしまう。
「ま、魔法だと!?」
突発的な現象は、すぐに魔法によるものだとわかった。
アルテは魔法使いを探す。が、団員の中に魔法を使っている者はいない。
焦燥に駆られ、目を転じる。
「ひ、こう、きー!」
奇怪な言葉は頭上から降ってきた。
「……なっ!?」
アルテの頭上、門よりも高い位置に人が――浮いていた。
「飛翔魔法だと!?」
空を飛ぶ魔法――大陸内で扱える者は数えられるほどしかいない。その超難度の魔法ゆえに、この魔法都市でも使えるのは二人のみ。
「わーい! にしもん、閉まっタオ!」
謎の魔法使いの声がすると、暴風が止む。
ふと気づけば、西門はその口を堅く閉じていた。
「タオちゃんのおしごと、おわりっ! それじゃ、みんな、ばいばーい!」
謎の魔法使いはこちらに手を振った後、悠々と西門を飛び越えていった。
浮世絵離れした光景に、アルテは衝撃を受けていると、
「鎧人形、接近してきます! 副団長!」
現実に引き戻すように部下の悲鳴が飛んでくる。
「くっ! 向かい討て!」
アルテの命令と共に長距離魔法が鎧人形に浴びせられる。
しかし鎧人形の数が減ることはなかった。
二年前の悪夢が蘇る。
「鎧人形――来ます!」
敵軍の移動速度が急激に上がった。
駿馬のごとき前進に部下たちはたじろぐ。
だが、退いてはならない。
退路は断たれている。ここで取るべき決断は、逃げることではない。戦うことだ。
「防御姿勢を取れ! 補助魔法を怠るな!」
アルテは喉を潰すほどの大声を上げた。
盾を構えた団員が前に出る。
迫ってくる黒き塊。
――衝突する。
金属の悲鳴が鳴り響き、前列の団員が吹き飛ばされた。
アルテは目を疑った。
最新の防護魔法を駆使した防御陣形は、大型の魔物が相手でも崩れることはない。しかし大陸全土を相手取り、苦戦させた鎧人形の前では長年研究し、訓練してきた努力は気泡となって消えていった。
防御陣形が崩れ、なだれ込んでくる鎧人形。
惨劇は繰り返される。
*
目を覚ましたヒュルネは、狭い小部屋に押し込まれていた。
窓一つない小部屋は地下であることを示す。四方は土の壁で覆われ、急ごしらえで作られたかのように土の臭いが充満していた。
扉はある。本気を出せば、二発の蹴りで突破できそうなものだった。
「お目覚めですか、お嬢様」
すぐ隣では、ヴァンが横たわっている。寝たまま話しかけるなど、彼にしては珍しくだらしない格好であったが、その理由は容易に想像できる。ファラックにやられたダメージが響いているのだ。
「出来れば、すべてが終わるまで眠っていたかったのですけど」
倦怠感が体を蝕む。喪失感が心を蝕む。
「お嬢様、セルドラの姿が見えませんが……?」
「死にましたわ」
「……っ」
ヴァンが身を起こし、何かを言うとするが、蓄積されていた傷が彼の体を痛みつけた。
苦痛に顔をゆがませるヴァン。その目は、説明を求めていた。
「俺が殺した」
声はガリアンのものだった。
声のする方向をみれば、先程まで閉じられていた扉が開かれ、ガリアンが立っている。
「冗談ではないようですね……」
「大義のためだ。障害となるものはすべて駆逐しなければならん」
「大義ですって? 人様の大切なペットを殺して、なにをするつもりですの?」
今すぐにでも殴りかかりたい衝動を抑え、ヒュルネは問う。
「ツァラスト王国に対して、宣戦布告をする」
「クーデター……!? 馬鹿なマネはやめなさい! たかが地方都市の治安維持部隊が大国に逆らって、勝てるはずがないでしょう!」
ヒュルネは食ってかかるが、ガリアンは首を横に振る。
「魔法兵団は関係ない。俺は、あの男に協力しただけだ」
「あの男とは……アレン様ですか?」
ヴァンの問いかけに対して、ガリアンは肩をすくめるだけだった。
「クーデターを素晴らしいと絶賛するような男だ。良く知っているだろう?」
「素晴らしい?」
そのたった一言が、ヒュルネにすべてを悟らせる。
不可解だった兄の行動が理解できた。歪なピースばかりで構成されたパズルが、綺麗に噛み合い、全体像が浮かび上がった。
「……そう。あっそう」
ヒュルネは全身の力を抜く。
「勝手にやってなさい。クーデターでも反逆でも。ですけど言わせてもらいますわ」
一度抜いていた力を入れ直し、鋭い眼光をガリアンにぶつけた。
「これは、あなたの思い通りの結末を迎えることはありませんわ。クーデターを素晴らしいとかいうバカにも言っておきなさい」
「この状況で何かするつもりか?」
「何もするつもりはありませんわ。ただ、あなたは一度蹴り飛ばさないと気が済みませんけど」
「……変な気は起こすな。大人しくしていれば、危害を加えるつもりはない」
「えぇ、大人しくしてますわ。やることもないですし、ヴァンの治療でもしてますわよ」
「私の治療は暇潰しですか……!」
「…………ジョーカー、ここの番を頼む」
ガリアンが背を向けて、言い放つ。すると扉の向こう側、ゆらりとジョーカーは音もなく現れた。
「はっ! この賞金首ランキング34位のソレガシに看守を任せるとは良い度胸だぜ!」
姿を見せた途端、その濃厚な存在感は遺憾なく発揮される。
「出来ないか?」
「余裕に決まってんだろうが! この俺を誰だと思ってやがる! 俺は――」
「彼女はVIPだ。任せたぞ」
「おいこらっ! 最後まで言わせろぉ! ……くそっ。“ブラインド”のソレガシを何だと思っていやがる」
ぶつくさと不満をこぼし、ヒュルネ達を一度睨む。
「いいか! ぜってぇに逃げんなよ! まあ、逃げても捕まえるけどな! 何せ、ソレガシは――」
「ぶぇっきし!」
タイミングを見計らってか、絶妙な間にヴァンのクシャミが割って入った。
「クシャミすんなよ! あぁ、もういい! 大人しくしてろよ!」
ジョーカーは乱雑に扉を閉める。
シンと静まる小部屋。
「お嬢様。この状況、どう打破するおつもりですか?」
「すべては始まってしまいましたわ。わたくしに、出来ることなんて何もありませんの」
野に火は放たれた。すでに燃え広がった炎を鎮火させる手段を、ヒュルネは持ち合わせていない。
炎がすべてを焼き尽くし衰えるまで、見守る。
三年前と同じ。兄には敵わない。
「ただ流れに身を任せることしか、わたくしには出来ませんわ」
それは敗北宣言のようだった。
*
異常事態を知らせる警鐘を聞きつけ、魔法兵団は外敵への対処を行い、内部の混乱は駐在王国軍が担当する。
重役達の保護を主とした王国軍は、市長の邸宅にいの一番に向かった。
迅速かつ的確な段取りで、市長を保護。ロビーに市長を待機させ、邸宅周辺に二十名以上の兵士を護衛につかせる。
駐在王国軍の隊長イノコフが、次にやるべきことは情報収集なのだが、それよりも先に市長のご機嫌取りをしなければならない。
不安を抱く市長を安心させるように、周囲の安全が確保されていることを語る。すると市長は安堵し、王国軍の行動の早さを賞賛した。
内心、イノコフは敵襲に感謝していた。
功績が認められれば、出世に繋がる。コアパレイ駐在という島流しのような扱いをされた時には絶望したが、それで諦めるほど彼の野心とプライドは脆くなかった。
今回の緊急事態で、点数を稼げるだけ稼ぐ。
目障りな魔法兵団が居なくなってくれれば、尚更やりやすいのだが……。
憎たらしい団長の顔を思い浮かべ、イノコフは眉間にしわを寄せた。
ガリアン=アニミット。日和見主義かと思わせるような物腰だが、自衛のときには攻撃的な一面も持ち合わせている、厄介な男。
懐柔はできない。かと言って、敵に回すのも危険である。しかしそれ以前に、イノコフはガリアンを味方にする考えはない。
ガリアンの目――常に人を見下しているような目――が気に食わないのだ。あんな男と肩を並べるくらいなら、農奴と同じ釜の飯を食った方がマシだ。
「魔法兵団総団長ガリアン=アニミット。市長護衛のため、参りました」
現在イノコフは、市長の警護のために同じくロビーにいる。
そんな彼の前に、ガリアンは姿を現した。
部下を引き連れているが、その数は外敵への対処に人員を割いているとは思えないほど多かった。
外敵よりも市長を護衛することにウェイトを置いた、ということは――
「市長を取り入るのに必死だな、ガリアン」
イノコフと同様、ガリアンもまた市長からの評価を上げる目論見なのだろう。
「イノコフ隊長。私は優先順位を無視できるほど、楽観的ではありません」
「ほう。その言い方だと、貴様の部下達は苦戦しているようだな」
それは重畳――とでも言いたげにイノコフは微笑する。
「……それは、本当なのかね?」
市長の言葉を聞き、イノコフは己の失言に気づいた。
「大丈夫です、市長。我ら魔法兵団はそう簡単に負けはしません。今は西門を閉じ、外敵からの驚異は取り除かれました」
イノコフは奥歯を噛みしめる。
これでは王国軍よりも魔法兵団の方が優秀だと思われてしまう。
「ガリアン。それで敵は一体何者だった?」
現状確認含めて、相手の粗を晒そうとする。
「判別は不可能――と言った方がよろしいかと」
「交戦して、相手が分からない? 貴様の部下は、目隠しをして戦っていたのか?」
「今伝えられている情報は、統一性のない混成部隊ということだけです。故に、相手の出方が分かりません」
「まるで『次』があるような言い方だな」
ガリアンが首肯する。
「一度、市長には避難してもらいましょう」
「ここより安全な場所はない。ここは王国軍の精鋭が守ってるんだぞ?」
険を孕んだ眼光をガリアンにぶつける。もちろん、こんなプレッシャーが通じないことは分かっている。
しかしガリアンの対応は、いつもと違った。
のらりくらりと敵意を避けている男が、今だけは真っ向から敵意と向き合っている。
「安全? ここが?」
飄々とした澄まし顔ではない。
今のガリアンは、はっきりと相対する意志を持っていた。
「……な、何だ! 何か、言いたいことでもあるのか!?」
イノコフは一瞬でも臆した自分を隠そうと、声を荒らげた。
「安全だというのなら、証明してもらおうか」
そう、ガリアンが言った瞬間、突如としてロビーの玄関口の扉が吹き飛んだ。
分厚い木製の扉は、真っ二つに砕けて散る。
「な、何事だ!?」
「何事? 腑抜けておるな。この時、この場所、この状況で、扉が壊されたのなら、我が何者かは決まっておるだろう」
余裕を持った歩みで何者かがロビーに侵入してくる。
侵入者はコボルトだった。
見知らぬ犬人相手に、近場にいた兵士が剣を抜こうとする。
だが、剣が鞘から刃を引き出すよりも早く、コボルトが動く。
爆発的な脚力で兵士に肉薄し、その顔面に掌底を叩き込んだ。
呼吸一つも終わらない間に、一人の兵士が無力化される。
「我はファラック。貴様らの敵だ」
敵の侵入に、イノコフは息を呑む。
「か、かかれ! 敵を討ち取れ!」
ロビーで待機していた兵士十一名が一斉にコボルトへと刃を向けた。
兵士の戦闘態勢が整ったのとほぼ同時、事態は一変する。
魔法兵団の者達が抜剣し、ロビーにいた王国軍の兵士に斬りかかった。
不意打ちにより、半数以上の兵士が地面に倒れる。
「……な!?」
目の前の光景が信じられなかった。
魔法兵団が裏切るなどと考えもしなかったイノコフは思考が一瞬にして真っ白になる。
「安全ではなかったな、イノコフ隊長」
「き、貴様ぁ! ガリアン! なっ、何のつもりだ!?」
イノコフが金切り声を出す間にも、兵士達は次々と倒れていく。
その様子を笑うかのように、ガリアンは肩を竦めた。
「まだ分からないのか、イノコフ隊長『殿』?」
「こ、この逆賊が! こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」
「思っているはずないだろう。馬鹿なことを言うな」
嘲笑と共に向けられる目。いつもイノコフを見下し続けていた眼差しだった。
頭に血が上っていくのが分かる。
「きぃさまぁぁぁぁぁぁぁ!」
イノコフは剣を抜き、ガリアンとの距離を詰めた。
大きく踏み込み、横一線。
首を狙った一振りは――空を切った。
「ご立派な剣の持ち方だ。剣が泣いてる」
何が起こったのか、イノコフには分からなかった。
次の瞬間、イノコフは地面に顔を埋めていた。
斬られた、という自覚は全くない。なのに脇腹は大きく抉られ、おびただしいほどの出血が床を赤く染めていく。
全身に力が入らない。
イノコフの意識は、自失と共に闇の奥に落ちていった。
*
風の魔法を得意とする天才魔法使い。風伝屋を作り上げた優秀な経営者。絶世の美男子エルフ(自称)。
リオル=ヴィアムという名を、コアパレイで知らぬ者はいない。魔法研究のために、エルフの隠れ里からコアパレイに移り住み、彼はわずかな時間で実績を得てきた。
リオルにとってコアパレイは始まりの地である。第二の故郷と言っても過言ではない。
しかし、その故郷に危険が迫っている。
不穏な警鐘が止み、町は眠るように静かになった。その町の静けさを、リオルは『空』から見下ろす。
風の魔法を使い、浮遊・航空する――飛翔魔法をリオルは発動させていた。
「なにが起こっている?」
異様な静けさが、恐怖心を煽る。嵐の前の静けさとは、このことを言うのだろう。
リオルは西門に目を転じる。
閉じられた西門。南門を除き、三方の門が素早く閉じられたのは、魔法兵団の有能さを物語っていた。
しかしながら、魔法兵団の動きには違和感がある。
西門で敵の迎撃をしていたはずの、副団長アルテの姿が見えない。それと同様に、団長であるガリアンさえも所在不明。
胸のざわつきは、次第に明確なものになっていく。
今、この町で何かが起こる。もしくは何かが起こっている。
リオルは一度王国軍と接触しようと思ったところで、
「こんにちわ!」
「!?」
目の前に、見知らぬ少女が現れた。
突然の出現に驚いたわけではない。仮にも、ここは空。普通の人間には絶対に踏み居ることのできない領域なのだ。
「な、何者だ!?」
「タオちゃんだよー!」
娼婦のごとき挑発的な服装に、分厚い眼鏡。容姿だけ見れば特殊な環境下で育ったのは容易に察しがつくが、それでも彼女の異常性を説明にするには、見た目だけでは足りない。
「翼を持たずして空を飛べるということは、精霊混じりかっ」
「えー! ちがうよー! タオは人間! でも、さいきょーの魔法使いなの!」
「飛翔魔法……? 貴様、たかが人間のくせに飛翔魔法が使えるのか!?」
人間で、空を飛べる者など初めて見た。魔法で空を飛べる者は一人だけ知っているが、人間ではない。
「いえーい!」
リオルの問いかけに、タオはピースサインで答えてくる。
「ところでところで! あのね、エルフさん! エルフさんは『りおる=う゛ぃあむ』?」
「俺を知っているのか? ……あぁ、なるほど。そうか。そういうことか」
リオルはすべてを理解したかのようにほくそ笑む。
「君は、あれか! 俺の熱狂的なファンなのだな! 俺に憧れて魔法を勉強し、飛翔魔法を修得した、と! クククッ、存在するだけで他人に強い影響を与えてしまうなんて俺はなんて罪深い存在なのだ! お嬢さん、サインかい? ハグは無理だが、握手くらいならしてあげてもいいぞ!」
「やだー!」
首をブンブンと振るタオ。
よほど抱擁がしたいのだろう――とリオルは思った。
「すまないな。ファンとの関わりは深くないよう、心がけているんだ。ハグは勘弁してくれ」
「きもちわるー!」
「気分が悪いのか? 高等魔法の負荷かもしれないな。すぐに地面に戻った方がいい」
「ちーがーうっ!」
タオが目に涙を蓄えて言い放つ。
なにが違うのか、リオルは熟考し、そして、
「ふっ、恥ずかしがらなくてもいいんだがな……」
「きんもー! ちがう、ちがうのー! りおる=う゛ぃあむが、きもちわるいのー!」
「いや、俺の気分は悪くはない。むしろ、気分はすこぶる良い。ふふっ、まるで君は妹のようだな」
「むっかー! きもちわるい! りおる=う゛ぁいむ、タオすー!」
空中で地団太を踏む、という妙なアクションをとりつつタオは叫ぶ。
「恥ずかしがり屋なんだな、君は」
「ぶっタオーす!」
目を三角にして、タオが手のひらをリオルに向ける。
「こ、ん、ろー!」
たった一言で、魔法が現象化する。
一抱えもあるほど大きい火球が生成され、リオルに殺到した。
さすがに突然の攻撃には、リオルも驚いた。しかし、呆気に取られて火球を食らうほど、腑抜けてはいない。
下級魔法の詠唱により、火球はリオルに着弾する前に弾けて霧散した。
「驚いたな。照れ隠しに魔法を使うなんて、よほど恥ずかしかったのか」
「むきぃぃぃぃぃ! ちがうのに! ぜんぜん、ちがうのにぃぃ!」
「しかし……君の、その詠唱言語。ラエガ連邦で習ったのかい?」
ラエガ連邦は、ガルバメント大陸の南部に位置する複数の国家の総称である。独自の文化が混在する国々の中で、有名な魔法使いの一門が存在する。
独自の言語で高等魔法を自在に操る、恐るべき魔法使いの集団だ。
「しーらない!」
「そうか。あの一族の子か。つくづく、俺は罪深い男だな」
「もう、おこったぁ! りおる=う゛ぃあむ、ぶっタオす! 本気、だすもん!」
「一人のファンと、これほどまで深い交流をするのは気が引けるが……まあいい。君が隠している素顔を見てやろう!」
タオの周囲に、先ほどよりも一回り大きい火球が無数、浮かぶ。一発でも食らえば、肉体は灰と化すだろう。
しかし、リオルは怯まない。
彼が有するヴィアム家伝承の高速詠唱の前では、いかなる炎であっても火花と大差がない。
無意味。無価値。無駄。
嵐の中で、燃え盛る炎など存在しない。
「し、ち、りん!」
「やってやろう! 我がヴィアム家、最速の詠唱魔法! いくぞ! 寛大な風よ――ガチン!」
思い切り、舌を噛んだ。
「ふぁ、ふぁんふぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
リオルの「タンマ」もむなしく、タオの火球はすべて直撃した。