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幕間:祭の準備

〈幕間:祭の準備〉


 花火の音が地下室に鳴り響く。

 元は運搬会社の貯蔵庫として使われていた部屋を、再利用・改築した地下室。そこに潜む者達がいる。百を越えるであろう人数を内包するには少々地下室は狭い。その場にいる全員が一斉に運動でも始めたら、酸欠に陥るのは目に見えていた。

 しかし、そんな密集した地下室にデッドスペースがある。陰鬱な室内には釣り合わない仰々しい長いテーブルだ。テーブルの上には、コアパレイの簡易的な地図が広げられ、様々な文字と矢印が書き込まれている。

 書き込まれている文字と矢印はすべて、ある男が説明のために書き加えたものだった。

「――以上で俺の話は終了だが、誰か質問は?」

 上座に立つ男が、身近にいる人物達に問いかけるが、質問する者はいない。

 途端、男は薄らと微笑を浮かべる。

「ようやく……ようやくだ。この三年間、耐え続けた結果をようやく世間に見せつけることが出来る!」

 熱の籠もった言葉は、荒い吐息と共に吐き出された。

「祭りだ! 祭りを始めよう! さあ! 頑張ってくれよ……おまえ達!」

 男は、この祭りのために引き入れた主要人物の顔を見ていく。

 賞金首の中でも上位に位置する暗殺者。大陸屈指の魔法使い。強者への道を歩む格闘家。

 そして……この祭りで最も重要となる剣士。

「おい、『彼女』はどうするつもりだ?」

 先ほど質問タイムを設けたのだが、剣士はあくまでマイペースな調子で言った。

「あぁ……妹か」

 ヒュルネ=シュルーケン――この祭りで最も予測不能な行動を起こすはずであろう問題児だ。危険ではある。が、手に負えないわけではない。

「おまえ達、挨拶がてら丁重に捕まえてこい。あいつを野放しにするのは危険すぎる」

 男の解に頷く剣士。続くように他の主要人物達も同意した。

「さて、作戦決行は明朝だ。まず手始めにコアパレイを陥落させようじゃないか!」

 男の一声と同時に、同士達が雄叫びを上げる。

 ついに舞台上に役者達が上がる時が来た。



 まだ朝というには、少しばかり早い時刻。日も昇らず、辺りは暗闇のベールに包まれている。

 祭りの催しのために動こうとする役員達も寝静まる頃、当然の如くヒュルネは爆睡していた。ベッドで大口を開けて寝ているヒュルネの姿は貴族というよりは、泥酔したオヤジのようである。

 そんな彼女の肩を掴む者がいた。

「お嬢様、起きてくださいお嬢様」

 ヴァンはヒュルネの肩を掴み、二・三度揺らす。

「ん? あぁ……あと三日だけ……」

「日単位での睡眠時間の延長はおやめください」

 肩を揺らすだけでは効力が薄いと感じたのか、ヴァンはしばし黙考し、

「揺らすのは肩ではなく、胸の方がよろしいのですかね」

「やめい!」

 身の危険を感じたヒュルネが胸を押さえながら、残った片腕でヴァンの顔面を殴りつける。

「ぶふっ……おはようございます」

「ったく、日の目も出ていないうちから何ですの?」

「賊です。アニミット様の家の外に賊が潜んでいます」

「賊? よくもまあ、気付きましたわね」

 身を起こしたヒュルネはネグリジェ姿のまま、窓のカーテンを少しだけずらす。

 玄関口の方向を見ると、人影があった。

「実は、先ほど玄関で『夜分遅く申し訳ない。我は賊だ。早急にヒュルネ=シュルーケンとヴァン=ノディアスを呼んでこい』と言われてきたものでして」

「それ本当に賊ですの?」

「賊だったら、楽しそうですね」

 再びベッドに潜り込みたくなったが、放置しておくわけにも行かない。イリシャや三つ子に危害が及んでしまうのは避けたかった。

「ガリアン団長はいませんの?」

「アニミット様は警備のために兵舎で泊まられているようです」

 ガリアンほどの戦力がいれば頼もしいのだが、無い物ねだりをしていても仕方がない。

 気持ちを切り替えて、ヒュルネは敵と向かう覚悟を決めた。

「ついに始まりましたのね」



 服を着替え、セルドラを子供部屋から回収し、ヒュルネはヴァンと共に表に出た。

 玄関から門扉のところまでは、芝の生え揃った庭が続く。その庭に一人の男が待ちかまえていた。

 男は人間ではない。

『ぎゃああああ! 人の体に犬の頭が合体してるぅぅぅ!? 犬人間だぁぁぁ!』

 犬人コボルト。人と同じ四肢を持ちながら、全身には白き体毛に覆い尽くされている。その頭部は犬以外の何物でもない。

「あなた、どなたですの?」

 コボルトは鼻筋にシワを作る。

「ヒュルネ=シュルーケンとヴァン=ノディアスとみた。我はファラック。拳を極める者だ」

 そう言い、包帯が巻かれた拳を突き出した。

「怪我をしたくなければ、大人しく捕まってもらおう」

 闘気を放つコボルト。

 だが、要求を聞いたヒュルネは肩の力を抜いてしまった。

「あなた、お兄様の猟犬ってところかしら? ちょうどいいですわ。ヴァン、やってしまいなさい」

「すいませんお嬢様。私、実は犬アレルギーなんです。目を合わせるだけでもジンマシンが……ほら!」

 ヴァンが腕まくりをするものの、どこにもジンマシンなんて発疹していない。

「綺麗な卵肌をしながら、何言ってますの!? というか肌が綺麗すぎて少し羨ましいですわ! くぬぅ!」

 腕にシッペを食らわす。

「貴様ら、我の言葉を聞いていたか?」

 呆れ返っていたファラックが会話に参加してきた。

「ええ、聞いていますとも」

 答えるのはヴァン。彼はシッペを食らった腕を押さえ、残った片腕も腕まくりをする。

「このタイマン最強の私に挑むのは、あなたですか」

 ヴァンは拳を構える。

 どうやらスイッチが入ったようだ。

 シュルーケン家に仕える使用人の中で、ヴァンは異色な存在として扱われていた。一流の召使いの教育と、一流の護身術と護衛術を叩き込まれた使用人兼護衛――それがヴァンの役職である。

「ヴァン=ノディアス……面白い。拳を交えるつもりか」

 犬歯をのぞかせ、ファラックは身を落とす。いつでも動ける状態に入った。

「露払いも使用人の務め。早朝の仕込みとしては少々荒々しい仕事ですが、このヴァン=ノディアス、やってやりましょう」

 ヴァンが先に動いた。地を蹴り、一瞬にしてファラックとの距離を詰める。

 おそらく一気に勝負をつけるのだろう。

 上半身を捻り、そして――

「ぶへぁぎゅぅあ!」

 ぐちゃりとヴァンの体が芝生に埋もれる。

 ファラックのカウンターによってヴァンは呆気なく轟沈した。

『弱っ!』

「ほんとっ、弱いですわねぇ」

 ヴァン=ノディアス。一流の教育を受けながら、おそらくシュルーケン家の使用人の中で最も弱い。体格や筋肉の付き方は申し分ないのだが、戦い方のセンスが壊滅的なのだ。その代表的な戦歴として、五歳児と本気で喧嘩して泣かされたことがある。

「……すいませんお嬢様。この人、私よりも百倍強いです」

「安心しなさい。あなたよりも弱い奴なんていませんわよ」

「――くだらぬ」

 憤怒の色を強くして、ファラックは言った。そして倒れるヴァンの腹部を容赦なく蹴る。

「がっ!?」

「ヒュルネ=シュルーケンの下郎ゆえに、どれほどの猛者かと期待していれば……なんだ、この体たらくは」

 続けざまにもう一発、内臓を痛めつけるような攻撃が加えられる。激痛に耐えきれなかったのか、ヴァンの体から力みが消え、気絶してしまった。

「おやめなさい。もう勝負はついていますわ」

「黙れ。強者が弱者をどうしようと構わぬだろう」

 もとより――とファラックは言葉を紡ぐ。

「女に従属するような軟弱者に、かける情けなどない」

「……寛大な心を持つわたくしだから、何も聞かなかったことにしますし、もう一度言ってあげますわ。弱い者いじめなどおやめなさい」

「我ももう一度言おう。黙れ、女。女に指図される筋合いはない」

 ヒュルネの顔に血管が浮き出て、

「女など子孫を継げるだけの道具でしかない」

「ぷっちーん」と口で言うヒュルネの中で、何かが切れた。

『ひぃ!? ひゅ、ヒュルネ様……怖いです! 顔、めちゃくちゃ怖いです!』

「今日は犬鍋ですわね」

 指の骨を鳴らし、ヒュルネは前へ出る。

「まずは火入れですわね。ディープ・ブレイズで炙ってやりますわ」

『ヒュルネ様! 今日は魔法大宴祭ですから、魔法は使っちゃ駄目なんじゃ……!』

「しーらない!」

 セルドラの忠言など聞く耳を持たず、ヒュルネは詠唱を始めようとする。

 その瞬間、

「ら、い、たー!」

 不可解な叫びと共に、ヒュルネの眼前で炎が舞い踊る。

 瞬間的な炎上ではあったものの、熱波に煽られて危険を肌身で感じ取った。

 ――もう一歩前に出ていたら顔面を焼かれていた。

 息を呑み、声のする方向を見る。

 ファラックの脇、つい先ほどまで誰もいなかった場所に一人の少女が立っていた。

 おかしな少女だった。目がチカチカとするようなピンク色のワンピース――スカート丈が短く、細々としたフリル付きの装飾がある娼婦の服のような扇情的かつ可愛らしいもの――を身にまとい、白色と淡紅色で彩られたミニシルクハットを被っている。しかしながら、その統一性のあるファッションを打ち砕く要素がある。それは彼女がかけているメガネだ。重量感のある分厚いメガネは非常にアンバランスなものとなっている。

「おかしいのが来ましたわね……!」

 サーカスに出てくるピエロに比肩する派手な姿に、ヒュルネは目を奪われる。

 奇怪な少女は、ピースサインを目元に移動させてペロリと舌を出す。

「はじめまして! 『えれめんたる・まいすたー』のタオちゃんです!」

「馬鹿っぽいのが来ましたわねっ!」

「みーんな、タオのまほうでイチコロだよっ! いえい!」

「ええい、面倒だから一緒に燃やしてやりますわ! 我が血潮に流れる赤き焔よ! 憤怒の叫びは天を焦がし、宙を赤く染めよ! その名を焼失させ、我と共に名乗れ! “食らいつく火炎プレイ・ファイア”」

 上級魔法ではなく、詠唱の短い下級魔法を即座にヒュルネは唱えた。

 先日の時とは異なり、魔法が現象化する。辺りを赤く照らすほどの炎がヒュルネの目の前に発生し、ファラックと少女めがけて大蛇のごとく殺到した。

 魔法での戦闘は先手必勝が常理。

 魔法が成立した時点で、ヒュルネの勝利は確定している。

 だが――

「しょ、べ、るー!」

 たった一言、少女が口にしただけで魔法が発動した。

 少女の手前にある芝生が盛り上がり、小さな山ができる。それでも、その小山は少女やファラックよりも背丈の大きく、ヒュルネが放った炎の進路を完全に塞いでしまった。

「なっ……!? なんですの、その魔法は!?」

 詠唱というものは研究と鍛錬によっていくらでも短くできる。が、一般的に詠唱短縮には壁があり、その壁の存在が天才と常人を二分する。

 しかしながら、仮にこの少女が天才に部類する人物だったとしても、一言の詠唱という所業は常軌を逸脱している。

「タオはえれめんたる・まいすたーなの!」

 崩れた土山から姿を現した少女は、またもやピースサインでポーズを決める。

「馬鹿げてますわ。存在もやることも全部馬鹿げてますわ!」

 ややヒステリック気味にヒュルネは叫んだ。

 特に『えれめんたる・まいすたー』というのが、意味が分からない。響きは良いが、言語が滅茶苦茶だ。

『ヒュルネ様のピンチ! ここは僕の出番ですね! なんか、やられる感がハンパないですが、やってやります! やってやりますよ、ええ!』

 セルドラが定位置(ヒュルネの肩)から飛び立とうとした瞬間、

「ストップだぜ、ドラゴン!」

 ヒュルネの背後から、ボリューム調節の出来なさそうな馬鹿デカい声が聞こえてくる。

 振り返ると、一人の男が手に持った杖をセルドラに向けていた。

 血の巡りが良さそうな顔の青年だった。生気に満ちあふれた目、自信ありげに釣り上げられた口元、にじみ出る勝ち気……なぜこんな男にバックを取られたのか不思議なほど、青年の存在感は色濃い。

「ソレガシは暗殺者・ジョーカーだ! どうだ、驚いたか!」

「後ろから声を出されて、驚きましたわ……」

 呆気にとられるヒュルネ。しかし、暗殺者ことジョーカーは口をへの字にした。

「ちがぁぁぁぁぁぁう! ソレガシの名に驚け!」

「……はぁ?」

「ソレガシは、あの大陸賞金首ランキングで34位! 『ブラインド』の異名を持つ暗殺者! ジョーカーなんだぜ!?」

「いえ……暗殺者に高々と名乗られても……しかも34位ってこれまた微妙ですわね……」

「ノォォォォォ!」

 唐突にジョーカーは杖を落とし、顔を両手で覆ってその場に両膝を付いた。

 ジョーカーの変態じみたリアクションに対し、ヒュルネは「なんだこいつ」と言いたげな視線をガンガンぶつける。

「言ったな!? 言いやがったな! たかが34位だと! てめー、アレン=グランド=シュルーケンの妹だからって調子に乗るなぁ!」

 急に立ち上がったかと思うと、ジョーカーは地団太を踏みながらヒュルネを何度も指さして怒鳴り散らす。

 目を合わせるのも億劫になるほど、面倒くさい相手にヒュルネは辟易とする。

 しかし、そんなジョーカーの怒声は横合いから割り込んでくる一声で止んだ。

「やかましいぞ」

 風の唸り声のような威圧的な声が響く。

 門扉を開く音が続き、そこから姿を現したのは、一人の剣士。

「ガリアン団長!」

 剣を腰に差し、鎧を身にまとったガリアンだった。

「丁度良いところに来てくれましたわ。この不届き者達を懲らしめてくれます?」

 ヒュルネは安堵し、ガリアンに助けを求める。

 だが、

「断る」

 はっきりと拒絶された。

「……どういうことですの?」

 ピリピリとした空気が辺りを包み込む。

「こういうことだ」

 信じたくはないが、ヒュルネは一つの事実を目の当たりにする。

 ガリアンは腰に差した剣を引き抜き、地に倒れるヴァンの首筋に刃を近づけた。

 向けるべき相手が違う――そんなことを言うのも馬鹿らしくなるほど、この状況は最悪だった。

 ガリアン=アニミットは、敵だ。

「ヒュルネ嬢、手荒な歓迎ですまない。だが彼らの実力は見ただろう? 忠言しておく……、抵抗するだけ無駄だ」

「何のパフォーマンスですの? これも治安維持活動の一環とでも言い張りますの?」

「それは言い得て妙だな。確かに、あの男の妹である貴様は、コアパレイにとって危険な存在だ。……だが、俺がここにいる理由は町もお守りでない」

 刃がヒュルネへと向けられた。

「俺達はコアパレイを陥落させる」

「何を馬鹿なことを! 英雄の名が泣きますわよ!」

「そんな名ばかりの栄光などいらん」

 ガリアンの瞳には決意の色がはっきりと現れている。

 迷いも、曇りも、偽りもない。口にすること、すべてが本物だった。

「ガリアン団長! 何が目的ですの……!?」

「語るには時間がない。故に、一言で言っておこう」

 剣を納め、ガリアンは自嘲気味に笑った。

「――祭りだ」

 ガリアンが宣告するのと同時、遠くから鉄を打つような音が鳴る。それが警鐘だということは、コアパレイの住民ではないヒュルネにも分かった。

「時間だ。ついてきてもらおう」

「おっと、妙な動きはするんじゃねぇぜ。てめーを殺すことは許されてねぇが、場合によっちゃあ片腕くらいは落とすぜ?」

 背後のジョーカーが、杖で肩を叩いてくる。

「……仕方ありませんわね。ぶっちゃけ、眠くてやる気も起きませんし、ここは従いますわよ」

「相変わらずの豪気だな。だが素直に従ってくれると、こちらとしても助かる」

 そう言うとガリアンが先だって、背を向ける。

 ファラックがヴァンの体を担ぎ、タオと共にガリアンの後を追おうとした。

 そのとき、ヒュルネの耳元で囁く者がいた。

『ヒュルネ様』

 セルドラがいつになく、真剣な声でヒュルネの名を呼ぶ。

『僕が時間を稼ぎます! お逃げください!』

 ヒュルネが言い止めるよりも早く、セルドラはガリアンめがけて飛び立った。

『食らえぇぇぇ! セルドラ・ファイアー!』

 ファラックやタオを巻き込むほどの炎を噴く。

 刹那の間に、ガリアンとファラックはセルドラの気配を察知し、二人は別々の行動に出る。

 ファラックはヴァンを放り投げ、真横にいたタオ――セルドラの奇襲に気づいていない――の後頭部を掴み、無理矢理姿勢を落とさせた後、自身も屈んで炎の有効範囲から逃れた。

 一方のガリアンは身を反転させながら、腰を落として炎を掻い潜る。

 結果、完全な不意打ちであったのも関わらず、炎は三人を捉えることは出来なかった。

『おりょ?』

 身を切り替えしたガリアンがセルドラに近接しながら抜剣する。

「主人のために捨て身で来るとは素晴らしい忠誠心だ。人もまた見習わなければならぬな」

 セルドラに白刃が襲った。

「――セルドラッ!」

 刈り取られた果実のように、セルドラの体が落ちる。

 胴体に深く刻み込まれた切り傷。一刻も早く手当をしなければならなかった。

 セルドラに近寄ろうとしたヒュルネの視界が掌に覆われる。

「動くな」

 ファラックの手だった。

「ストップだぜ」

 背からジョーカーのプレッシャーが加えられる。

「退きなさい!」

「やめておけ、ヒュルネ嬢。この状況を覆せる因子を、貴様は持ち合わせていない。そもそも……もうこの火竜は助からん。見捨てておけ」

 ヒュルネの顔から血の気が引いていく。

 セルドラから流れる血の量は時間の経過と共に増える。はかなく消えていく命を表すかのように……。

 助けを求めているのか、小さな鳴き声が聞こえてくる。

 痛い、と言っているのか。寒い、と言っているのか。

 聞こえてきたのは、そんな言葉ではなかった。

『ヒュル……ネ様……逃げ……て』

 体中の血が頭に上る。思考は、わき起こる激情に埋め尽くされた。

「あぁ、あああああああああああああああああっ!」

 膝を折り、視界を開ける。

 とっさに反応したファラックがこちらを掴むように右手を下ろしてくるが、その手首を掴み取り、右下の方向に引っ張る。ファラックの体が横を向き、ヒュルネに背を向ける形となった。

 隙を見逃さず、ファラックの手首を放し、セルドラへとショートダッシュを決める。

「逃さねぇぜ!」

 背後から杖を降り被る音が耳に入る。

 判断は一瞬。前転。杖の軌道から逃れる。

「ま、つ、ちー!」

 タオの詠唱が響く。

 判断は一瞬。しゃがんだ姿勢のまま飛び込むように真横へと移動する。すると一瞬前までいた場所で小さな爆発が起こった。

 姿勢を直しながらセルドラへと肉薄する。

「セルドラっ!」

 駆けろ。手を伸ばせ。届け――

「無駄だと言ったはずだ」

 横合いから割って入ってきたガリアン。

 セルドラに意識を集中させていたために反応が遅れた。

 迎え打つような形で繰り出された蹴りが腹を抉る。

「かっ――」

 続けざまに振り下ろされた手刀が首筋に叩き込まれた。

 ヒュルネの意識は闇に吸い込まれ、未だに鳴り続く警鐘が遠くに消えていった。


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