3話:嫁……?
<Ⅲ:嫁……?>
清々しい朝――ではなく、真っ昼間にヒュルネは起床した。眠い目をこすりながら、ベッドから出てリビングへと向かう。途中、その廊下にて燕尾服のヴァンと出くわした。
「いつもながら遅い朝ですね、お嬢様」
使用人として常日頃、身なりに気を付いているヴァンではあるが、昨晩三つ子と遊んだ疲れが蓄積しているのか、少しだけその背には丸みがあった。
「二度寝は最高ですわね。わたくし、二度寝に勝る快楽を知りませんわ。それより、セルドラはどこに行きましたの?」
「あのクソガキども――失礼。三つ子の部屋に軟禁されているかと思われます」
「あとで助けに行ってあげませんとね――ヴァンが」
「嫌です」
全力で拒否するヴァンを無視して、ヒュルネはリビングの扉を開く。
小さな暖炉のあるリビングでは、イリシャが裁縫に勤しんでいた。
「あらあら。ヒュルネちゃん、どこに行ったの?」
「夢の中ですわ」
イリシャの質問を適当にあしらって、ヒュルネは周囲を見回す。
「ガリアン団長はもういませんのね」
「今日は、早朝から王国軍との会議があるんですって。……あれま、間違えちゃった」
イリシャが、なにやら入り口のない手袋らしきものを広げる。何を作っていたのかは理解しがたいが、おそらくそれは雑巾になるだろう。
「王国軍……ですの?」
「コアパレイにはねー。町が独自に設立した魔法兵団と、ツァラスト王国の駐在軍がいるのよ」
ガリアンが所属する魔法兵団とは異なる、軍隊がいるらしい。
「同じような組織が同じ場所に二つもあると、自然と仲が悪くなっちゃうのー。でも、ガリアンが下手に出てるから、喧嘩とかはないのよねー」
まともに会話をすることができているのに、少々驚きながらもヒュルネは感想を言う。
「英雄というのも大変ですのね」
何気なく言った一言に、またもイリシャは反応した。
「あらん? ヒュルネちゃん、知ってるの?」
「いえ、ぶっちゃけますと、コアパレイの英雄ということしか知りませんわ」
一年前に軽く聞いただけなので、ディテールどころか英雄という名しか知らない。
「あらー。だったら、南門に行ってみれば?」
「南門? 何でですの?」
「よしっ、クッション完成ー」
いつの間にか奇怪な手袋に綿を詰め込み、クッションに転身させた。
クッションを真上に投げて遊ぶ姿は、完全にこちらへの興味は失っている。
「お嬢様、どうせアレン様を探す目当てもありませんし、最初は南門に行ってみましょうか」
「そうですわね……」
暗躍するアレンを捕まえるのは、ほぼ不可能に等しい。なにせ、彼の目的は今のところ不明なのだ。情報が少なすぎて話にならない。
気の遠くなるような状況に、ヒュルネは暗澹とした気持ちになる。
「はい、ヒュルネちゃん」
イリシャに呼ばれて顔を向けると、顔にクッションをぶつけられた。
「それ、あげる。ガリアンの靴下を作ろうと思ってたんだけど、失敗しちゃったの」
床に落ちたクッションを拾い上げる。
やはり綿が入ったところで、クッションは入り口のない手袋にしか見えない。この造形から、どうやったら靴下が作れるのか甚だ疑問である。
グニグニと数回握る。なんというか……靴下になるはずだったものとは思えないほど肌触りが良い。癖になりそうだった。
ぐにぐにぐにぐに……、
「お嬢様?」
「はっ!」
夢中で感触を堪能している自分がいることに気づいた。
「……こほん。ありがたく受け取っておきますわ」
クッションをポケットに押し込み、ヒュルネは早速南門へ行く準備をするために、部屋に戻ろうとする。
「あらあら。そういえば、風伝屋は行った?」
「風伝屋?」
定番となりつつあるイリシャの唐突な発案に、ヒュルネとヴァンはほぼ同時に振り返って言い返した。
*
風伝屋とは、いわば超大型掲示板である。魔法都市と呼ばれるだけあって、そのシステムには魔法の力が深く関係している。風の精霊が人の声を保存し、言葉を伝えてくれる――個人指定型の肉声掲示板が風伝屋だ。
風伝屋の看板が掲げられた店に入ると、広大な室内に十を越える受付がある。が、どの受付も接客中だった。
近寄ってきた従業員らしき女性に順番待ちを告げられ、ヒュルネ達は適当な長椅子に腰を下ろす。
「風伝屋……つい二年前に作られた肉声型伝言掲示板は、瞬く間にコアパレイに浸透し、今では欠かすことのできないインフラとなっている――だそうです」
どこからともなく収集してきたパンフレットを手に持ち、ヴァンが説明文を目で追う。
「創業者のリオル=ヴィアムは若くも天才魔法使いとして名高く、風の魔法を使わせれば大陸でも指折りとか」
「ヴィアム? どこかで聞いたことがありますわね」
頭の中で引っかかりがある……のだが、どうも思い出せない。
「どっかのパーティでも会ったんでしょう」
「妙に投げやりな言い方ね。まあ、どうでもいいですけど」
『ヒュルネ様? ところで、何でこんなところに来たんですか?』
「情報収集ですわ」
イリシャからの情報によれば、ここでアレンについて何かわかるかもしれないとのことだ。詳しいことを聞こうとしたが、イリシャのマイペースのせいで話にならなかった。
「――空いたみたいですわね」
雑談を交わしているうちに、受付がいくつか空いていた。そのうち、もっとも近くにあった受付に移動する。
受付に座る女性は、純度100%の営業スマイルでヒュルネ達を出迎える。
「ようこそ、風伝屋へ。伝言ですか? 伝聞ですか?」
「……?」
唐突に二択を迫られて、ヒュルネは小首を傾げることしかできなかった。
「ぷっ! ……ぐはぁ!」
とりあえず、背後でバカにするように笑いを吹きこぼした使用人のつま先を踏んでおく。
「でんごん? でんぶん? 何ですの、それ?」
「あっ、申し訳ございません。こちら、風伝屋では大まかに二つのご利用方法があります。指定した相手に言葉を伝えるための『伝言』と、自分宛に伝えられた言葉を聞く『伝聞』の二つとなっております」
「なるほど、面白いですわね。でも……聞かれたくない内容を伝えたい場合、どうしますの?」
「そのような場合は、別途料金をお支払いしていただければ、個室を用意いたしますので完全にプライバシーを守る状態で、伝言と伝聞をご利用いただけます」
「なんともまあ……凄いわね」
「いえ、お客様のニーズにお応えするのが、商売の基本ですので」
まるでマニュアルでも用意してあるかのような返答であった。
「ちょっといいですか?」
前傾姿勢でつま先を押さえる、ヴァンが話に入ってくる。
「伝聞というのは、自分宛でないものも聞けますかね?」
受付の女性は「代理伝聞ですね」と言い、説明を始めた。
「代理伝聞の場合、その方と身内であることを証明していただければ可能です」
「……そういうことですの」
ヴァンの質問の意図を察し、ヒュルネはイリシャが言いたかったことを理解した。
ここでアレン宛の伝言を聞けば、何かわかるかもしれない。
「それでは、代理伝聞でお願いしますわ。アレン=グランド=シュルーケン宛のメッセージというのは、ありまして?」
「少々お待ちください」
そう言い返すと、受付の女性は魔法を発動させるための詠唱をする。
ヒュルネが遣う魔法とは異なり、受付の女性が唱える詠唱文は人文ではない。おそらく暗号化されたものだろう。
「――お待たせしました。アレン=グランド=シュルーケン様宛のメッセージは三件あります」
三件。予想以上に多い数字だった。
これならば、アレンの今後の行動に繋がるヒントがわかるかもしれない。
「聞かせてもらえます?」
自然と頬がほころび、ヒュルネは前のめりになって催促する。
「申し訳ございませんが、代理伝聞ですとアレン様と身内であることを証明していただかなければなりません」
足を引っかけるような返答に、自分の気持ちが早まっていることを自覚した。
咳払いを一回。冷静を取り戻す。
「そういえば言ってましたわね……一応、わたくし妹なのですが。えぇ、一応ですわよ。同じ血が流れてることと同じ両親を持つことにコンプレックスを抱いておりますの。でも、一応妹ですのよ」
『ヒュルネ様、何回一応って言うつもりですか?』
執拗なヒュルネの言い方に、女性は愛想笑いを浮かべると、
「それではアレン様の身内であるかどうかを確かめさせていただきます」
「何かしなければなりませんの?」
「質問に一つ答えていただけるだけで結構です。――アレン様が好む女性タイプは?」
「……なんですの、それ?」
懐疑的な視線を女性にぶつける。
しかし女性は至極まじめな表情でヒュルネを見つめ返した。
「代理伝聞をするためのルールです。アレン様に関する質問に答えられれば、身内だと認められて伝聞の許可が出ます。ちなみに、この質問はアレン様本人が作成されました」
「あのカス野郎、嫌がらせのような質問を……!」
アレンのニヤついた顔が目に浮かぶ。
「どうせお兄様のことですわ。好みのタイプは胸の大きい女性でしょう?」
「いえ、違います」
女性が、ばっさりと切り捨てた。
「違いますの!? 純粋に驚きですわよ! 巨乳好きの変態のくせに、好みは美乳派とでも言うつもりですの!?」
「お嬢様。周りの視線が、もの凄い勢いでこちらに集中してます。私、知り合いだと思われたくないんですけど」
「おおお、落ち着いてますわよ! べ、別に女性のタイプがわたくしと違うことに、怒ってるわけじゃありませんからね!? ね!?」
『落ち着いてないですね、これ』
そして受付の女性が、
「残り二回です」
ぼそりと言った。
「残り二回って、何ですの!?」
「解答できる回数です。あと二回外すと、二度とアレン様の代理伝聞を聞けなくなるので、お気をつけください」
「親切だか不親切だか、よくわかりませんわね、ここ!」
「ですがお嬢様。ミスが許されるのは、あと一回です。慎重になるべきかと」
珍しくヴァンがまともな発言をする。
「くっ! カス野郎の巨乳以外の性癖なんてわかりませんわよ!?」
「おそらく、もっと具体的に言わなければならないんですよ。たとえば、私の女性タイプは『イリシャのようなマイペースな人』とか」
「……あなた、人妻狙いですの?」
聞きたくないことを聞いてしまった。ということで、後半の発言は記憶から消去した。
軽く思案をする。
「具体的ということは――っ!」
その先を言うとして、ヒュルネは顔を羞恥の色に染める。
アレンの好みのタイプ。
例える人物は分かっているが――というかアレンが本人の前で公言しているのだが――実際に口にするのは抵抗があった。
なぜなら、それは自分なのだから。
「ちなみに。時間制限があるので、ご利用は計画的に」
「あなた、さっきから地味に楽しんでません!?」
返答は笑みだけだった。確実に楽しんでいる。
『ヒュルネ様、さっさと答えちゃいましょうよ』
「お嬢様にとっては簡単な質問でしょう? さあ、ぱっと言っちゃいましょう。大きな声で、はっきりと」
外野がうるさい。特にヴァンの場合、確信してやっている節があるから、なおさら憎たらしく思えた。
「えっと、お兄様の好みのタイプは……………………ヒュルネ=シュルーケン……のような…………ひと……ですわ」
周囲の雑音でかき消えそうなほど小さな声だった。
だが目の前にいる受付の女性には確実に届くはず――
「はぁ? 聞き取れないので、もう一度お願いします」
なのに、聞き返してきやがった。
「このクソアマァァァァァ!」
「クソアマが好みのタイプでよろしいでしょうか?」
「違いますわよ! というか、あなた接客態度が最悪ですわよ!」
「大丈夫です。悪質なお客様への対応は万全です」
「今わたくしのことを悪質って言いました!?」
「タイムリミットが迫っております。お急ぎください」
「~~~~!」
よもやヒュルネの周りに味方はいなかった。
イライラが限界値に達し、ヒュルネの理性は彼方に吹き飛ぶ。
「えぇ! 答えてやりますわよ! お兄様の好みですわよね!? もちろん、このわたくし! ヒュルネ=シュルーケンのような金髪巨乳美女ですわよ!」
「違います」
「あーもー! やだ! こんな人生、もうやーだー!」
受付の女性の返す刀が鋭すぎて、ヒュルネの心はもうズタボロだ。
ヴァンに至っては見知らぬオッサンに「おいおい、マジで言っちゃったよ、この人。自意識過剰すぎでしょ」とか言って話しかけてる始末。あとで蹴り潰す。
一方のセルドラは、こちらを凝視して、
『……さすがに、それはないですよ』
同情してきた。
泣きたくなる。
「まあまあ、お嬢様。そんな腐った魚のような目をしないでください。きっと、これはアレですよ。答えは『ヒュルネ=シュルーケンのような巨乳の妹』ですよ」
ね?とヴァンが受付の女性に同意を求めると、素直に女性は頷く。
「正解です」
「なにそれ!? わたくしの解答とどう違いますの!?」
「お嬢様。重要なのは妹です。重度のシスコン野郎であるアレン様には欠かすことのできない要素です」
「シビア過ぎっ! 妹が入ってないだけで不正解とか、シビア過ぎっ!」
「お客様のプライバシーを守るためです。それでは証明が果たされたので、メッセージを再生したいと思います。よろしいでしょうか?」
「……もういいですわ。さっさとしてくださいまし」
どっと体に疲れが溜まる。聞くもの聞いて、こんなところからオサラバしたい。
「一件目です。伝言者リリット様。再生します」
短い詠唱が終えると、どこからともなくそよ風が吹いてきて、この場にいない者の声が響いてきた。
《愛しのアレン様、あぁ、アレン様。どこにいられるのですか? アレン様、リリは今でも星達が祝福する夜のことを忘れてません。星の涙が降る夜、アレン様はリリを――》
「パスで」
「メッセージを中断しました」
「危うく、公共の場でとんでもないモノを放送するところでしたわ」
「二件目を再生してもよろしいでしょうか?」
ヒュルネが快諾すると、女性は「伝言者リオル=ヴィアム」とつい先ほど聞いた名前を口にした。
《アレン、この俺と決闘しろ。明日の午後三時、南門で待つ》
「これ……伝言の日付はいつですの?」
「昨日です」
「まともな情報ゲットですわ」
まだ三時までには時間がある。それに、ちょうど南門には行きたいと思っていたところだった。
アレンが現れる可能性は未知数だが、なにかしらの手がかりは得られるかもしれない。
「一応、三件目もお願いしますわ」
「はい。三件目、伝言者匿名希望です」
《お金……返して……》
「……」
思わず無言になってしまうヒュルネ。
先ほどの声――昨日の極貧剣士にそっくりだった。
何となく想像がついてしまう。あの剣士も、アレンの被害者なのだ。
「さて、行きますわよ」
なにも聞かなかったことにして、伝聞を終わりにしようとした。
「お客様、ご自身の伝聞はよろしいのでしょうか?」
ふと受付の女性が呼び止めるように問いかける。
「そうでしたわね。一応、お兄様から何かメッセージがあるかもしれませんし、お願いしますわ」
「かしこまりました。…………二件、メッセージがあります」
「あら? 意外とありますのね」
「一件目の、伝言者はアレン様です」
まさかのアレン本人からメッセージが送られてくるとは思っていなかった。
ヒュルネはメッセージの再生を促した。
いったい、兄はなにを伝えようとしているのか。深い井戸の底を眺めるような気持ちでメッセージを待つと……
《おっぱい! おっぱい! あー、それそれ! きょにゅー! きょにゅー! ヒュルネちゃんはちょーぼいん!》
「パスで」
「メッセージを中断しました」
負の気持ちごと、深いため息を吐き出す。
「あのカス野郎、脳にウジが湧いて、発狂して、舌噛みきって死んでくれないかしら?」
「お嬢様。兄妹の縁を切ったら死ぬのでは? 末期のシスコン患者なので、三日もすれば高所から飛び降りるでしょう」
「大陸は救われますわねぇ」
冗談ではあるものの、本気でそうなってほしいと思った。そんな願いなど通じるはずもないわけで……、ヒュルネは現実と向き合うことにする。
「……それで? 二件目は誰からですの?」
「匿名希望です」
「……匿名? お願いしますわ」
《かかったな! ヒュルネちゃん! 僕だよ! アレンだよ! やーい! 引っかかったね! プクク!》
「嗚呼。怒りを通り越すと、不思議な感情が芽生えるものですわね」
『それが愛ですね!』
「殺意ですわ」
《僕からのサプライズに、身悶えするヒュルネちゃんの姿が目に浮かぶよ! どうだい!? ステキだろ!? おっと、パスはダメだからね! これから重要なことを言うんだからさ!》
パスのパの字まで言いかけたところで、ヒュルネは口をヘの字にして閉じる。
聞くに耐えないが、あと数十秒だけ我慢する。もしアレンの重要なことが無駄口で終わった場合、ストレスの矛先はセルドラに向かってしまうが、そこは仕方ないことだろう。
アレンは一息の間を入れて、告げた。
《ヒュルネちゃん、本気で忠告するよ。危ないから帰りなさい。さもないと、僕の祭りに巻き込んじゃうよ?》
それは大規模な事件を起こす宣言だった。
しかしながら。その宣言はヒュルネにとって無駄口でしかない。
「上等ですわ。巻き込めるものなら巻き込んでみなさい。わたくしは、必ずあなたを捕まえてみますわ」
*
風伝屋を出たヒュルネ達は、その足で南門を目指した。
露店が立ち並ぶ街路。
活気盛んな客引きの声が投げかけられるものの、ヒュルネはすべて無視していた。
今、ヒュルネには何も見えていない。見ているものは、近い未来に起こえる惨事。
アレンによって、多くの者が絶望の淵に堕ちる。
阻止しなければならない。
いずれ祭りにより趣が変わるであろう町並みに目を向け、そして。
ぐぅ~
腹の虫が鳴った。
「わ、わたくしじゃありませんわよ!? こら! 気を遣って、目を逸らさない!」
本当にヒュルネではない。かと言ってヴァンでもない。だが実際に鳴ったものは鳴ったのだ。誰が鳴らしたのか、ヒュルネは周囲を見回すと、斜め後ろの位置にそれらしき人物を発見した。
情けない笑顔をこちらに向けつつ、腹の虫を抑えつける人物――貧乏人の剣士だった。
「あはは……どうも」
『同族殺しめぇ……ムギュゥ!?!?』
「あなた、こんなところで何していますの?」
火を噴きそうになったセルドラの頭を握りつぶし、ヒュルネは剣士に問う。
「いや、たまたま見知った顔がいたから話しかけようと思ったら、先に腹の方から声が出ちゃったみたいだ」
「お嬢様。上手いこと言おうとしてダダズベリの剣士は、どなたですか?」
「ヴァン。言ってることは正しいけれど言い過ぎですわ。こちらは極貧の剣士で、昨日わたくしの道案内をしてくれましたの」
「二人とも、言うことキツいね」
そう言って笑う剣士。気が優しいことを表すかのように愛想笑いが板に付いている。
「お腹が空いているのなら、何かごちそうしますわよ? 一度は助けてもらった身、お礼を返さなくてはシュルーケン家の名折れですわ」
ヒュルネは適当な露店を指さす。
しかし剣士は目をぱちくりとさせ、
「シュルーケン? 君、もしかしてあのアレン=グランド=シュルーケンの血縁関係者?」
ヒュルネの心中は穏やかではなかった。
(しまりましたわぁぁぁぁぁぁ!)
商人の例がある。アレンが兄だと知られたら、今度はどんな目に遭うか――
「おや、この貧乏人。お嬢様の兄であるアレン様をご存じのようですね」
「あ! な! た! なんで妙に説明口調で喋ってますの!?」
三回ほどヴァンのつま先を踵で踏みつけた後、恐る恐る剣士の方を見る。
「あぁ、アレンの妹なのか。どうりで……うん、似てる」
意外と反応は薄かった。
似ているという発言はヒュルネ的に頂けないが、ひとまず商人のときのような惨事に至らなかったことに胸をなで下ろした。
「あなた。お兄様と面識があるようですわね」
「まあ、ちょっとね」
ちょっとどころの話ではないのは容易に想像がつく。ヒュルネの経験則から察するに、金欠の理由はアレンが絡んでいるのだろう。
「あの……率直に聞きますけど、お兄様からいくら盗まれたんですの?」
唐突な質問だったため、剣士はキョトンとした顔になった。が、その顔は苦々しくも、いつもの微笑に変わり、
「たしか一億かな?」
とんでもない金額を口にした。
「逃げますわよ、ヴァン」
「ガッテン承知です」
阿吽の呼吸で、逃走姿勢を作る二人。
「いいよ。俺はアレンから直接返してもらうから」
「あら? 意外と真っ当な人間ですのね」
あまりの威勢のなさに、ヒュルネは拍子抜けしてしまった。
「金はないけど、自分だけは失わないようにしないとね」
『上手いこと言おうとしてスベってますね』
火竜に冷静に指摘されている。知らぬが仏とはこのことだろう。
「しかし、金の価値が分からないアレン様のことですから、もう手元にはないでしょうね」
「こら! ヴァン! 煽るな、危険!」
「あはは……そのときはそのときだね」
愛想笑いをする剣士。
ヒュルネは剣士に向けて、半眼を作った。
「あなた、お人好しで損をするタイプですわね。お兄様から盗まれたのも『すぐに返す』とか言われて貸したのでしょう?」
「な、なぜそれを……?」
「マジですの? アホですわね……」
嘆息混じりにヒュルネは呟く。同時に、一つの提案を剣士に掲示した。
「仕方ありませんわ、雇って差し上げますわ」
「お、お嬢様! 気に入った男を引き連れようとは……ハーレム気取りですかお嬢様! どこのセレブですかお嬢様!」
反応したのは、剣士ではなく使用人だった。
「ええい、うるさいですわね! 弱き者を救うのは上に立つ者の勤めですわ!」
「あのデブ商人のときとは、大違いの対応ではありませんか! 何か下心的なものが見え隠れしてますよ!」
「お黙りなさい、使用人! 使いやすい駒を手に入れようとして、何が悪いんですの!?」
『ぶっちゃけの本音出たぁ!』
ギャアギャアと騒ぐヒュルネとヴァンを端から見ていた、剣士は笑みを濃くして言った。
「悪いけど、断らせてもらうよ」
ピタリと口論は止まり、二人は鏡のように同時に剣士の方を向く。
「傭兵のくせに、雇い主を選ぶんですの?」
「そう言われると耳が痛いね。でも、若い女性の雇い主は基本的にNGなんだ」
なぜかヴァンが後ずさる。
「アレですか。最初にホがついて、最後にモがつくヤツですか」
「ホモじゃないから。女性と一緒にいるところを、嫁に見られたら殺されるんだ」
自然に出た台詞であったが、意外性のある単語が含まれていた。
「嫁って……あなた、結婚してますの?」
「そう。だからごめん」
告白を断られた、みたいな空気になっているのは気のせいだろうか。気のせいにしておこう。
「お嬢様、早い失恋でしたね」
「面倒だからシカトしますわよ」
これ以上、使用人ごときに振り回されるのも癪なので無視を決め込む。
「それでは残念ですけど、雇う話は白紙ですわね」
「あぁ、悪いね。……それで、ちょっと訊きたいんだけど、君達はコアパレイで何をしてるんだ?」
剣士の質問にヒュルネはどう答えるべきか考えた。
下手に嘘を言っても見抜かれるだろう。こちらの一挙手一投足を見逃さぬよう、剣士は決闘相手に向けるような目をしていた。
剣士を偽るのに、骨が折れることは容易に想像ができる。しかし、よくよく考えてみれば、相手はアレンのことを知っている。どういう関係かは分からないが、自分の目的を告げることくらいなら支障はないはずだ。
「わたくし、お兄様を捕まえに来ましたの」
「あの化け物を?」
「大丈夫ですわ。化け物のようなスペックを有するお兄様でも、所詮はわたくしのお兄様ですもの。捕まえられないことは、ありえませんわ」
「凄い自信だね」
「自信なんてものはありませんけど、確信はありますわよ。お兄様を捕まえる。それがわたくしの使命ですもの。ですから、そのために――」
ヒュルネは剣士の目を見て言葉を続ける。
「あなた、道案内してくださる? わたくし達、南門に行きたいのですけれど、どこをどう行けばいいのか分かりませんの」
試すような言い方に、剣士が応えるように笑った。
「分かったよ。道案内くらい、引き受けよう」
「助かりましたわ。ところで、わたくし達、まだ名乗ってすらいませんでしたわね。わたくし、ヒュルネ=シュルーケンですわ。この失礼な使用人がヴァン=ノディアス。それでこちらの火竜がセルドラですの」
「ヒュルネに、ヴァンに、セルドラか……よし、覚えた。俺は――クラフトとでも呼んでくれ」
剣士クラフトの名を聞いた途端、ヒュルネは条件反射でクラフトの『嘘』を理解してしまう。だが、それを口にすることはない。
ヒュルネは疑念を抱かず、クラフトの道案内に従った。
*
道中、露店で購入した串焼きを食べながらヒュルネ達はコアパレイ南端に到着した。
祭り前の賑わいは、ここにはない。きらびやかな舞台の裏側のように、不思議なくらいの静寂さが立ちこめていた。
その理由はすぐに分かった。
クラフトの案内で、南門に訪れたヒュルネ達。その前にあったのは――
『娼婦館じゃねぇぇかぁぁぁぁ!』
「何を叫んでますの?」
『え? 違うんですか?』
そんなもの、あるはずがない。
ヒュルネ達の前には異様な光景が広がっている。
南門は――門としての機能を果たしていなかった。
一見すれば、ヒュルネ達が入ってきた東門と同じ造形をしている門ではある。唯一違うところは、その門は閉ざされていた。まるで何かを拒絶するように、固く、頑なに……封じ込めているかのように。
そして南門の前には、数え切れないほどの墓石が建ててあった。
「なんですの、これ?」
「南門の惨劇だよ。人によっては、南門の奇跡とも呼ばれてる」
答えるのはクラフトだった。その声は、感情を抑え込むように淡々としている。
「二年前の鎧人形のことは知ってるだろ? あの軍団はコアパレイにも牙をむいた。南部から進撃してきた鎧人形に対して、コアパレイは南門を閉じようとしたが、そこで南門の魔法陣の欠陥が発覚したんだ。魔法陣の誤作動により閉門に時間がかかる。もはや、鎧人形は目前に来ていて、侵入されるのは時間の問題」
「倒せなかったんですの?」
「言っておくけど、鎧人形はたった一体で、一国の精鋭部隊を壊滅させるほど強いんだ」
「……化け物ですわね」
あまりにもスケールの違う比較対象に、ヒュルネは安易な言葉しか出てこなかった。
鎧人形の驚異を直に味わっていないヒュルネには、デタラメな強さを持つ化け物が想像できない。
「それで結局のところ、コアパレイは鎧人形の侵入を許したんですか?」
ヴァンが墓石に捧げられた無数の献花に目を落としながら、問いかけた。
「いや。鎧人形はコアパレイに足を踏み入れることはなかったよ」
「どうして?」
クラフトが顎で墓石を示す。
「魔法兵団の九割の兵が南門から進撃し、鎧人形の部隊と正面から迎え撃った」
「時間稼ぎ……ですか」
「兵士一人一人の稼いだ時間が、コアパレイの未来を作ったんだよ」
クラフトは、その後「綺麗事だけどね」と付け加える。
その時の表情を、ヒュルネは見逃さなかった。
悔いを含み、苛立ちを隠しきれない顔。まるで、その光景を目の当たりにしていたかのような複雑な感情が現れていた。
「わたくし、ここに来たことを忘れませんわ」
ヒュルネは鎧人形のことを、他人事のように思っている節があった。しかし、こうして百を越える墓石を前にしたとき、そこに彼らがいたことを思い知らされた。
今、ここに立っていられるのは彼らの人並み越えた覚悟ある行動によって、もたらされたものだ。
「そうしてくれると、ありがたいよ。巷では、英雄志士が大陸を救った、なんて言われてるけど、本来英雄と呼ばれるべき者は――あそこにいる彼らのことを言うんだよ」
墓石に視線を送りながら、クラフトは言った。
『いつになく……シリアスですね。僕、まったく喋れないんですけど……そろそろハシャぎたくてウズウズしてるんですけど……!』
「喋らなくて結構ですわよ」
軽く睨みつけて、セルドラを黙らせた後、ヒュルネは墓石に目をやる。
ふと、そこに先ほどまで居なかった人影を見つけた。
墓石の陰に隠れていたのだろうか。いつの間にか、姿を現した一人の男は、こちらへと歩いてくる。
アッシュブロンドの髪から、突き出る特徴的な耳が彼がエルフであることを語っている。凛々しい顔立ちであるものの、その表情は怒気が混じる。
「まさか、貴様だったとはな」
エルフは、ヒュルネに向けて言い放つ。
「実った稲穂のような金色の髪、神の造形物のごとき美しさ、まるで一国の王子が持ち合わせるような気品に溢れた振る舞い……情報通り。貴様がアレンか!」
「…………………………は?」
予想にしていない発言にヒュルネは目を点にする。
「アレン=グランド=シュルーケン。無血のアレン。最悪の演出家。あぁ、知っているぞ。俺は、おまえのことを知っているぞ、アレン!」
エルフの血走った目が怖い。
「いえ、あの……わたくし、アレンの前に女なんですけど?」
「それは驚きだ。まさかアレンが女だったとはな」
『知ってないじゃん!』
「あのですね。お兄様……ではなく、アレンは男でしてよ? わたくしはアレンではございませんの」
「ほざけ、悪党め。……あぁ、くそっ! なぜだ! なぜ貴様なのだ! くそっ!」
唐突にエルフは顔を歪ませ、理解不能なことを口走る。
端から見てたら、ヤバい奴だ。まず関わりたくない。
「アレン! 貴様は俺のことを知っているか!?」
「いえ、まったく」
「ならば、教えてやろう! 俺はリリット=ヴィアムの兄、リオル=ヴィアムだ!」
リオル=ヴィアムという名を聞き、ヒュルネは風伝屋でアレンにメッセージを送った人物と同じことに気づいた。
だがしかし、それ以前にエルフことリオルが言った妹の名の方に注意がいってしまう。
「リリット……? あぁ、あの勘違い少女ですわね。なるほど、あなた、あの少女のお兄さん…………ん?」
大量に入り込んだ情報を、一度脳内で整理する。
・リリット=アレン=ヴィアム:アレンLOVE。勘違いエルフ。
・リオル=ヴィアム:リリットの兄。勘違いエルフ。
・重要な情報:リオルはヒュルネのことをアレンだと思っている。
おかしい。常識的に考えてリオルの言い分は、前提からしておかしい。
「あの……もう一度、一般常識的な質問を訊きますけど、よろしくて?」
「なんだ!?」
「わたくし、女ですわよ?」
「だから、驚きだと言ったのだ! まさか、リリの想い人が女だったとはな!」
「ええええええええー!? そんな無茶な勘違い、ありですのー!?」
「なにを言ってるか、全くわからんが、問答無用! 俺の妹を誑かし、歪んだ恋愛感情を目覚めさせた罪は重いぞ! 死罪だ! ということで、死ね!」
「無茶苦茶ですわ、この男ー!」
ヒュルネが叫ぶと同時、リオルは風の魔法詠唱を始めた。
次の瞬間、不可視の刃がヒュルネに向かって殺到する。
目には見えない。だが、肌で危険を察知したヒュルネはとっさに回避行動を取ろうとして――クラフトに手を引かれた。
あまりにも不意な出来事に、ヒュルネは体のバランスを崩してクラフトに抱き込まれるようにして寄りかかった。
風の刃はまさに空を切り、建物の外壁に深い切り傷を作る。
「ふっ……! さすがはアレン=グランド=シュルーケン! 俺の得意とする“気付かれぬ者の刃”を躱すとは、さすがだな! だが、いい気になるなよ! 俺はまだ本気を出してない! ヴィアム家伝承高速詠唱術で貴様を三枚におろしてやる!」
その舌の動きはすでに高速に至っている。
「クラフトさん、ありがとうございますわ」
「いや、余計なことしちゃったね。俺が何もしなくても避けれたでしょ?」
「聞けよ! いいかっ!? この俺が本気を出したら、貴様らのような劣等種は一瞬でミンチにできるんだぞ! クククッ! せいぜい、俺を怒らせたことを後悔しながら切り刻まれるがいい! 食らえっ! 我がヴィアム家伝承の高速詠しょ――ガチン!」
『……ガチン?』
「かっ……! ひ、ひた、はんふぁ……!」(訳:舌噛んだ)
舌を思い切り噛んだリオルは口元を押さえて、のたうち回る。
「なんですの、この馬鹿は……」
自滅した馬鹿を睥睨しつつ、ヒュルネは嘆息した。
「お嬢様、チャンスです。埋めてしまいましょう」
「おやめなさい。犬じゃあるまいし、何でもかんでも埋めようとするんじゃありません」
「了解ですワン」
ヴァンの悪ノリはスルーしておく。
リオルは、いまだに地面をドタバタと転がり回っていた。
どうしたものかと隣にいたクラフトに助けを求めるように視線を送ると、
「リオルお兄たま!?」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、そこに立つのは若年の女エルフ――リリだった。
リリは駆け足でヒュルネとクラフトの間を通り過ぎて、リオルの傍らに座り込む。
「およよよ……リオルお兄たま……こんな荒れ果てた姿になるなんて……」
何か演技めいたアクションをした後、リリはふわふわとしたドレスのスカートの中をまさぐり始めた。
シャキーンという効果音と共に取り出したのは、救命道具――ではない。
エグい手斧。死亡促進の道具である。
「それではリオルお兄たま、見苦しいので即行介錯しますねっ」
「ちょっと! あなた! 何で急に笑顔になって、実兄殺そうとしてますの!?」
「邪魔しないでください! リリは、このキモ男が嫌いなんです!」
「嫌いで兄を殺してはいけませんわよっ!」
『ヒュルネ様が言うと、すごく説得力がないですね』
ヒュルネは大股でリリに近寄り、手斧を取り上げる。
まるでお気に入りのぬいぐるみを奪わされたかのように、リリは悲しい表情をする。だが手斧を惜しむ少女の姿は猟奇的で、怖すぎる光景であった。
リリは頬を膨らませて、こちらを睨んでくる。
「またリリの邪魔をするんですか! このデカ乳淫乱女!」
「誰が淫乱ですの! 誰が! このナイ乳メルヘン女!」
手斧を放り投げて言い返した。
思わぬ反撃に、リリは口元をキュッと閉めて涙目になる。
「な、ナイトさん!」
「いちいち呼ぶな。呼ばれなくても、しっかり出てやる」
悠然と歩んでくるメイド服姿の女性――ナイト。先ほどリリがやってきた方向から、姿を現した。
『で、出たー! 殺人メイドォォォォ!』
「メイドのくせに、偉そうな人ですね」
わざとヴァンがナイト自身にも届くような声でぼやく。
「使用人のくせに、弱そうな奴だな」
売り言葉に買い言葉。ナイトはヴァンの姿を眺めた後、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「ほほう。この私に喧嘩を売るつもりですか? いいでしょう。使用人をやっていなければ、格闘王となっていたであろう私に挑戦したことを後悔させてあげます。もちろん、女性だからといって手加減は無しですよ? 私の好きな言葉は男女平等なのですから」
ナイトの体格や歩き方から、体術に心得があることを察したのだろう。ヴァンは豪気な発言で、相手を威嚇する。
しかし、ヴァンを制する者がいた。
「やめておいた方がいいよ」
妙に顔を青々とさせているクラフトだった。
「この人だけは……この女だけは絶対に逆らっちゃいけない」
クラフトの様子がおかしい。デフォルトの笑みはどこか引きつっており、ナイトに対して怯えているように見えた。
対するナイトにも変化がある。剣呑な雰囲気が、さらに鋭利となり、彼女の背後に鬼神の幻影が映し出される。
「貴様、こんなところで何をしている?」
ナイトがクラフトに向けて言った。
「知り合いですの?」
クラフトは何とも複雑な表情を浮かべてナイトを指さし、
「えっと……こいつ、俺の嫁」
嫁宣言をした。
「…………」
場の空気が凍てつく。
一番早く氷解したのはヒュルネだった。
「……失礼ですけど、ぶっちゃけ言いますわよ。こんな歩く暴力と、どう失敗したら結婚するんですの?」
「失敗を前提としてるんだね」
「人生失敗ですわよ」
「お嬢様。本人達を前にして歯に衣着せぬ物言い……素晴らしいですねっ!」
「貴様ら、上半身と下半身を分離させるぞ」
殺気立ったナイトが、凄みを効かせる。
猛獣使いの鞭のごとく、ヒュルネ達はナイトの凄みに萎縮してしまう。
「クラフトさん! この凶悪な嫁を説得してくださいまし!」
意を決したように、クラフトは前に出る。
「なあ、ここは穏便にいこう?」
「なんだ貴様。その女の言いなりか? 殺すぞ」
途端クラフトが180°ターンして、
「無理です。勘弁してください」
深々と頭を下げた。
「諦めるの早っ!」
意外と使えない駒にヒュルネはがっかりする。
しかし気を落としている場合ではない。この凶悪なメイドをどうにかしなければならないのだ。
視線を起こした瞬間、リリが回収した手斧でリオルを殺そうしている姿が目に留まった。
「えい!」
「はひっ!」
ガコンと仰々しい音を立て、手斧が石床を砕く。
リオルは間一髪のところで躱していたものの、白目を剥いて気絶した。
「リリ! 今は兄を殺そうとするな!」
さすがのナイトも、リリの凶行には血相を変え、リリへと歩み寄って手斧を没収する。
「でも……リオルお兄たまはリリの恋路をジャマするから……早めに始末しないと」
目をウルウルとさせて懇願する。が、言っていることは人道的にアウトだ。
ナイトは苦々しい表情になり、リオルを担ぎ上げる。
「……貴様ら、今日のところは見逃しておいてやる」
順々にヒュルネ達を睨めつける。特にクラフトへの睨みは半端ではなく、まるで親の仇に向けるような眼光であった。
魂でも引き抜かれるかのようにクラフトは真っ青な顔に変色する。家庭崩壊と家庭内暴力が起こるのは目に見えていた。
「駄目です! ナイトさん! リオルお兄たまごと、皆殺しにしてください!」
ナイトの袖を掴み、リリが訴えかける。だが、ナイトの態度は一層キツくなった。
「リリ。私は貴様の道具ではない。勘違いするな」
「……っ!」
唯一の仲間であるはずのナイトにさえ突き放され、リリは二の句が出てこない。
その隙にナイトは流れる動作でリリを小脇に抱える。一人前の男を担ぎながらも、その動作に淀みはなかった。
「ク、ラ、フ、ト……後でゆっくり話し合おう」
絶対話し合いではないことは容易に想像ができた。
歩み去るナイトの背を見送り、一同は張り詰めた空気を抜くように深く吐息する。
「それで離婚はいつにしますの?」
「嫌なこと訊くなよ」
満更でもない様子で、クラフトは答えた。
「さて。俺はあいつに見つかる前に、どこかに隠れるとするかな」
「コアパレイから出て行きませんの?」
「アレンも見つけてないし、他にも気になることがあるから、ここに留まるつもりだよ」
「そうですの。機会がありましたら、またお会いしましょう」
互いに別れを告げて、ヒュルネ達は帰路につく。
結局アレンの情報は得られなかったが、無駄足ではなかった。
*
時刻はすでに夕方を迎える。
ガリアンの家に着くと、ヒュルネはそそくさとリビングのソファーで横になった。
「あーもー、ぜんぜんお兄様に会えませんわぁ」
いろいろなことが起こったが、収穫は乏しい。要らぬ恨みを買ってしまい、総合的に見ると状況は右肩下がりとなっている。
「私は会いましたけどね」
「お黙りなさい」
『ヒュルネ様! 僕も会ってないですから! ね!?』
何の同意を求める「ね!?」なのかが、わからずヒュルネはいつも通りにセルドラを無視する。
「お嬢様、気を急くことはありません。アレン様のことですから、そのうち自ら姿を現すでしょう」
「そのときには、もうすべてが終わっていますわ」
それでは三年前と同じだ。すべてアレンの思惑通りに事が進み、結局最後の最後まで彼が作り出したシナリオが紡がれる。
思い出すだけで、ヒュルネのストレスゲージが上昇していく。
セルドラでも虐めようかと思い、手を伸ばそうとした――そのとき。
「ぶー!」「さー!」「とかげー!」
『ひぃ!?』
三つ子がリビングに乱入してきた。
「みー!」「つー!」「けたー!」
餌を見つけた野犬のごとく、セルドラを包囲する。
『くっ! いつまでもやられている僕だと思わない方がいいですよ! このクソガキども! 火竜の怖さを教えてやります!』
先手必勝といわんばかりにセルドラが三つ子の一人(長男)に飛びかかった。しかし、セルドラの突進は失敗に終わる。逆方向から接近していた三つ子の一人がセルドラの尻尾をダイビングキャッチし、セルドラの体は無防備なまま地面に叩きつけられた。
『ぎゃひん!』
反逆は一瞬にして終わり、一方的で無情な遊びが始まる。
『ぎゃああああああああああああああああああ! ヘルプミィィィィ!』
身も毛のよだつような光景に思わずヒュルネは目を背けた。
「あらあらぁ? 帰ってたの?」
三つ子に続いて現れたのはイリシャだった。
イリシャは薄暗くなっていた部屋に光を灯す。
「申し訳ございません。お嬢様は見た目通りに図々しいお方ですので……今日も厄介させていただきます」
「あらん。いいのよ、いつまでいても。あの子たちも楽しんでるし、お家が賑やかなのは嬉しいことだもの」
「……? ガリアン団長は家に帰ってくることは少ないんですの?」
イリシャの物言いに引っかかりを覚えたヒュルネは、試しに訊いてみる。
「家に帰ってくるのなんて四日に一度くらいかしら?」
「奥様に寂しい想いをさせるなんて酷い男ですわ。今度、キツく説教しませんと」
「違うのよ」
「はい?」
決して聞き逃したわけではないのだが、今までとは毛並みの違う声音に聞き返してしまった。
「あっ、いいのよ、別に。あの人は多忙の中に身をおくことで、自分を安心させているんだから」
はぐらかされたのは分かったが、深く踏み込もうとはしない。
ただ。その代わり相手から話してくれるのを待つように、ヒュルネは口を閉じ、相づちさえ打たなかった。
ヒュルネの態度に気づいたイリシャは、無邪気な三つ子に視線を送りながら口を開く。
「……ガリアンはね。多くの重荷を背負ってるの。何度も降ろせと言っても全然降ろそうとしない」
「どういうことですか?」
ヴァンが話を催促してしまった。
懲らしめるように強くヴァンを睨みつけるものの、当のヴァンは気づかぬ振りでやり過ごす。わざとなのだろう、性格の悪い奴だ。
「南門は見てきた?」
「えぇ。あそこでなにが起こったのかも大まかですけど、知りましたわ」
意図的に一息の間を入れて、イリシャが口を開く。
「……ガリアンには弟がいたんだけどね、南門の奇跡で鎧人形と戦って、死んじゃったの」
南門の墓石を思い出す。数え切れない墓石の中に、ガリアンの弟も含まれていたのだ。
「当時のガリアンは魔法兵団の団長としてコアパレイに残り、南門を閉じる作業を行った。弟を見送ることしかできなかったことに彼は何度も悩んでたわ。町一つ救えた英雄と言われても、たった一人の弟を守れなかった――ガリアンはずっとそのことについて悩んでいるの」
「……ガリアン団長にとって、英雄という響きは重すぎますわね」
奇跡を起こせたのはガリアン自身の栄光ではない。積み重ねられた命達があってからこそ、ガリアンは南門を閉じることができた。彼にとって英雄と呼ばれるべきは魔法兵団なのだ。
「私達も……本当は荷物なのよ」
懺悔のように言い出すイリシャの言葉を、ヒュルネは上手く理解できなかった。
「降りたくて、支えてあげたい……。でも、ガリアンは真面目だからそれを拒むの」
深い――とヒュルネは思った。
イリシャの瞳に潜む感情が、イリシャとガリアンの間に潜む軋轢が、刻まれた過去が、消えない傷が、深い。底見えぬほどに深い。
まるでイリシャ自身も、大切な何かを失ったかのように――
「あらま、お喋りがすぎちゃった」
「?」
「明日から、お祭りだから楽しんでね」
「は? 祭りって、明日からですの?」
近いとは思っていたが、まさか明日だとは予想だにしていなかった。
「あらあら、そうよ。明日から魔法大宴祭で、精霊に感謝するために魔法を使わないのよ。ヒュルネちゃん注意してね。間違って魔法なんか使っちゃうと罰金なんだから」
「明日……ですのね」
魔法大宴祭は行われないだろう。この町にアレン=グランド=シュルーケンがいるということは、明日には別の祭りが始まる――いや、すでに舞台の幕は上がっている。誰も彼もそれに気付いている者はいない。配役は割り当てられ、知らぬ間にアレンの思い通りに物事は進むだろう。
誰も止めることはできない、最悪の始まり。
熟考するヒュルネを驚かせるように、爆発音が響いた。
我に返ったヒュルネは、とっさに身構えるものの、それは徒労で終わる。
「あらま、もうそんな時間?」
イリシャが窓を眺めながら呟く。
「何ですの、今の爆発は?」
「花火よ、花火。魔法大宴祭が始まるときのカウントダウンで、一時間ごとに打ち上げるようにさせてるの」
花火――火の精霊を圧縮させて、空で飛散させる高等魔法だ。最近では、魔法以外でも似たような物が発明されたらしいが、魔法で出来ることをわざわざアナログ式にする必要はなく、流行るとしても一時的なものだろう。
「夕方から一時間ごとに鳴って、夜中0時の花火が最後の魔法となるの。最後のは盛大に打ち上げられるから、起きてたら見てみたら?」
「えぇ、是非そうしますわ」
「お嬢様のことですから絶対寝てますよ」
笑顔でヴァンのつま先を踏み潰した。
ヴァンの泣き声と、セルドラの悲鳴が重なり合う。
ついさっきまで真剣に考えるのが馬鹿らしくなるほど、気の抜けた光景にヒュルネは思わず笑みをこぼしてしまった。