2話:魔都コアパレイ
〈Ⅱ:魔都コアパレイ〉
館を出てから二日が経つ。集落を転々としながらヒュルネ達はようやく魔法都市コアパレイにたどり着いた。
コアパレイの東門。まるで巨人族が通るために作られたような大きさに、ヒュルネは喉をさらすほど顎を上げてしまった。
「いつ見ても、無駄に大きいですわね」
「今は開門されていて見えづらいでしょうが、門扉には大規模な魔法陣が描かれていて、そのビックサイズに併せて門が大きくなってしまったわけです。情報によると防護魔法によって閉ざされた門は、ツァラスト王国の王都に次ぐ鉄壁だとか」
ヴァンはやけに詳しく答える。
「一体、何のためにそんなものを作りましたの?」
コアパレイは重要な都市であるが、敵対国が近くにあるわけでもないし、王都との距離も比較的近い。過剰防衛な大門を設置したところで、税の無駄使いに市民が不満を持つだけだろう。
「元々は小規模な魔法陣だったんですが、二年前の鎧人形対策で再建されたようです」
ガルバメント大陸で、その名を知らぬ者はいない――鎧人形。二年前、十を越える国を滅ぼし、無差別な虐殺を繰り返した魔物の軍勢。
当時、大陸全土が鎧人形の恐怖を抱き、眠れぬ夜が続いた。しかし鎧人形の驚異が一瞬にして膨れ上がったのと同様に、その恐怖も刹那のごとき早さで幕引きを迎えた。
「英雄志士の活躍もあり、コアパレイには大した被害は出ていないようですね」
『たった四人で大陸全土を救うなんて、ファンタジーですね』
何となく、一番言ってはいけないキャラが一番言ってはいけない言葉を言ったような気がする。
「お嬢様、英雄志士の説明もした方がいいですかね?」
「しなくて結構。というか、その手に持ってるパンフレットはどこから持ってきましたの?」
先ほどから無駄にヴァンが詳しかったのは、彼が持つ町案内のパンフレットのおかげであった。
「落ちてました」
「拾うんじゃありませんの。……セルドラじゃあるまいし」
『僕は落ちてる物なんて拾いませんよ! ただ、ヒュルネ様の髪の毛とかは拾ったりしますけどね! もちろん、ゴミ拾いとして! 僕の巣にポイです! ……あれ? ヒュルネ様? なぜ、そのような冷たい眼差しを――ひぎゃあああああ!』
ヒュルネは無言でセルドラの首を持って、胴体を風車のごとく、ぐるぐると回す。
端から見ていたヴァンが、ヒュルネの突発的な奇行をなま暖かい目で見守っていた。
「さあ、行きますわよ」
*
東門の門番に簡単な書類を書かされた後、ヒュルネ達はようやくコアパレイの門を潜ることができた。
石畳のメインストリートには、多種多様な種族が行き交う。人間を始め、エルフ、ドワーフ、ゴブリンなどなど。ヒュルネ達が住んでいた町では、このような光景はなかった。
種族が異なれば文化も異なる。種族を越えた居住は多くの問題を抱え、実質的に不可能だと教えられていた。
だが、ここコアパレイでは同じ区画で異なる種族が肩を並べる――まるで絵本の中に登場するような不思議の町だった。
「魔都と表現してもよろしいですわね」
「魔法都市ですから。言い間違いではないと思われます」
よくよく見ると、町並みも常軌を逸脱している。統一性のない建物が並び、原理のわからない物体が空をフヨフヨと飛んでいたりする。住む種族が滅茶苦茶ならば、住む町も滅茶苦茶だ。
奇怪な町並みにヒュルネは軽いホームシックになる。
コアパレイに訪れたのは初めてではない。しかしこの地に立つ度、自分の価値観が上塗りされるような感覚に陥ってしまうのだ。
「さて、宿はどうしましょうか」
『ヒュルネ様ー! 僕、お腹空きましたー! ぺこぺこぺこりーんです! お腹、キュルキュル鳴ってて、今にも餓死しそうです!』
セルドラに言われ、気づいたが、時刻はお昼時に近づいている。
「ヴァン、あなた馬屋のある宿を見つけてきなさい。わたくしは、食事にしますわ」
「仕方がありません。お嬢様に宿探しのスキルはないでしょうから、このヴァンが、このヴァン=ノディアスが行ってあげましょう」
「あなたって時々、わたくしに対して横柄な態度をとりますわね。情緒不安定にもほどがありますわよ」
「そんな……いつ私が横柄な態度を? まったく、いくら乳がデカいからって、偉そうにしてはいけませんよ」
「今ですわ、いま! というかムカつくから、さっさと行きなさい!」
殴り飛ばしたい衝動を抑えておき、代わりにヴァンのケツに蹴りをたたき込んだ。
スイミーを連れて、そそくさとヴァンは雑踏に消えていく。
そんなヴァンの後ろ姿を見届けた後、ヒュルネは飲食店が並ぶ通りに歩を進めた。
人混みは激しくないものの、よそ見をしていれば、すぐに人とぶつかってしまう。普段、道を歩くときは他人から避けてくれるので、こういう雑踏はヒュルネにとって苦手意識があった。
肩がぶつかってしまうときが多々あり、その度にヒュルネのイライラが蓄積されていく。
正直、ヒュルネはどこでもいいから適当な店に入りたかった。しかし土地勘がないため、下手な料理店でゲテモノを食わされる可能がある。
現に……隣を歩くオークが食べ歩きをしているものの、その手に握られている食べ物は昆虫のような造形をしており、決して胃袋を刺激されるモノはない。むしろ不快感を刺激され、ストレスゲージの上昇を促すだけである。
すぐにオークから視線を外す。
文化が違う故に、食文化も違う。この町での店探しは闇鍋のようなものだ。
旅に出てから累計三桁になるであろう、ため息が漏れる。
正面から来た人間との接触を躱し、ヒュルネは視線を上げた。目の前に、無機質な文字で書かれた看板――『本格庶民派レストラン・ゴルゴン三号店』が目に留まる。
まさかのフランチャイズ。
少しだけ思考し、結局考えるのが面倒になり、ヒュルネは店の扉を開けた。
柔らかいイメージを与える木造の内装。店内は団体客も対応できるほど広く、席同士の間隔もゆとりがある。庶民派と名乗りながらも、店内の装飾はどこか高級感を醸し出していた。
「いらっしゃいませ」
店に入った途端、ウェイトレスが満面の笑みで歩み寄ってくる。
しかし次の瞬間、その笑みは消え、
「ひぃ!?」
ヒュルネを――否、セルドラを見て小さな悲鳴を上げた。
『おや? 僕を見て驚いてますね? まさか、生き別れの弟にでも似てたんでしょうか?』
「ボケがハイレベルすぎて、突っ込む気が起きませんわ」
「お、お客様、そちらにお連れしているペットは……そ、その……」
「この火噴きトカゲは安全ですわよ」
「で、でも――」
「安全、で、す、の、よ?」
語尾を強調して、ヒュルネは言う。ついでに目つきも鋭くなっていた。
何か色々と言いたそうな顔をしつつも、ウェイトレスは小さな声で「かしこまりました」と押し負ける。
ひきつった笑みのウェイトレスに案内され、ヒュルネは窓際の四人席に座った。
客は少ないのにも関わらず、ウェイトレスは慌ただしく小走りに去っていく。おそらく店長に迷惑な客が来たことを報告しに行ったのだろう。
大してヒュルネは気にも留めず、テーブルに置かれたメニューに目を通す。幸運なことに、ここは主に対人用食品を扱っているレストランだった。
『お肉♪ お肉♪ お肉が食べたい♪』
「セルドラ。あなた、少しは野菜も食べなさい」
『えぇー、草なんて美味しくないですもん。というか、竜の食文化に草なんてモノはありませんし』
竜に食文化なんて洒落たものがありますの?――そんなことを思ったヒュルネであったが、それを口にする気は起きなかった。
メニューに目を通し、ある程度のオーダーが決まる。いざ、ウェイトレスを呼ぼうとしたとき、
「すいません」
ヒュルネは、年端も行かぬ少女に話しかけられた。
年や服装を鑑みて、ウェイトレスではないのは確かだ。ヒュルネよりも年下――十二歳くらいだろうか。目尻の下がった気の弱そうな顔つきが更に年齢の不確かさを深める。
しかし少女の出生は、一目で分かる。平民では、まず振れることのできない清楚なドレスを身にまとい、磨かれたように綺麗な指先をしている。完全にヒュルネと同じ世界住む人種である。だが、何より目を引くのは、人間のものとは異なる長い耳だった。
少女はエルフ――それも上級階層の身分に属する娘だ。
「わたくしに、何かご用?」
あくまで子供に接するような柔らかい笑みで、ヒュルネは問いかけた。
「――やっぱり、アレンさまに似てる」
「へ?」
少女の口から出た兄の名に、ヒュルネは虚を突かれた。
「あ、あのっ! お姉さまは、アレンさまを知っていますか!?」
続く、唐突な発言に目を点にさせる。
「アレン? あのシスコンカス野郎……違いましたわ。いえ、違わなくもないんですけど……。え……えっと、あなたが言うアレンというのは、アレン=グランド=シュルーケンのことですの?」
少女はコクリと頷く。
「大陸一の賞金首のアレン?」
コクリ。
「悪名高き無血のアレン?」
コクリ。
「無類のおっぱい好きのアレン?」
コク……リ? 今のだけは、首を縦に振りきらずに傾げてしまった。
「少し待ってくださいまし」
ヒュルネはこめかみに指を当てて熟考する。
なぜ少女がアレンについて訊いてきたのか――そこが要点となる。
少女はアレンのことを知っているような口振りだった。
つまり、それは……
「あなた、もしかしてお兄様に何かされた――」
ヒュルネが言い切るよりも先に、事態が動き出した。
ガタンと椅子が乱雑に引く音が、レストラン内に響く。
何事かと視線を送らせば、丁度ヒュルネの背後の席に座っていた男が立ち上がり、こちらを向いていた。
それも男は、人とは思えないほどの体格だった。カエルのようなギョロリとした目はヒュルネではなく、少女を捉えている。
「いま……おまえ……あれん、いった……?」
辿々しい言葉遣いに、すぐにヒュルネはこの男が人と巨人のハーフであることに気づいた。
「は、はい」
威圧的な男の巨体に臆したのか、少女は怖ず怖ずと答える。
「あれん。おまえと……どうゆう、かんけい……?」
「え? 関係、ですか?」
「ゆえ……」
『ヒュルネ様、ヒュルネ様。なんか、ヤバイ感じじゃないですか?』
セルドラの言うとおり、剣呑な空気が流れていた。
男がただの旅人でないことは、腰に下げられている無骨な斧が物語る。
少女の返答次第では、何か起こるかもしれない。
ヒュルネは男にバレないように腰を浮かせ、いつでも動ける姿勢を作る。
「アレンさまは……リリの……その……」
リリとは、おそらく自分のことを指しているのだろう。少女――リリはもごもごと言葉を濁らせる。恐怖によるものなのか、その顔は赤くなっていた。
「はやく……ゆえ」
男に催促され、意を決したように少女は口を開き、
「あ、アレンさまは、リリの“初めて”を貰ってくださった人なんです!」
ヒュルネに稲妻のような衝撃が走った。
「昨晩、リリを優しく受け入れてくれた王子さまなんです!」
二度目の衝撃。ヒュルネの脳内がスパーキング。
「あああああ、あのド畜生カス野郎。ついにやりましたわね。おっぱい好きやシスコンだけじゃなく、ロリコンまで発症させやがりましたのね。腐ってますわ。性根が根本からごっそり腐ってますわー!」
『ヒュルネ様! 目が殺し屋みたいになってますよぉ! こわひっ!』
男が不可解な視線をヒュルネに向けるが、すぐにリリに戻す。
「おまえ……あれん、しってる?」
「アレンさまのことなら、このリリット=アレン=ヴィアム、誰よりも知っています!」
『うわぁ……ミドルネームにアレンの名前入れるとか相当ヤバイですね、このエルフ。アレン汚染度90%越えてますよ……。ってか、ヒュルネ様? さきほどから呪詛みたいに、アレンへの暴言を言うのはやめてください。本気で怖いです』
アレンに対する罵詈雑言を吐くヒュルネを余所に、男がリリに詰め寄った。
「あれん……いばしょ、おしえろ。あいつ、しょうきんくび。おで……あいつ、ころす……かね、もらう……」
血走った目がリリを映し込む。
だが先ほどまで弱々しかった少女の表情に険が混じった。
「だ、駄目です! アレンさまを殺しちゃいけません! リリのお婿さんになるんです!」
リリは身長の三倍近くもある相手に食ってかかる。
「ぜったい……ころす……。だから……いばしょ、おしえろ。じゃないと……いたいこと、する」
互いの主張がぶつかり合い、男は腰に下げた斧に手をかけた。
「駄目です! もうっ! ナイトさん! 殺っちゃってください!」
リリが頬を膨らませて男を指さした瞬間――、男の顔面に殺傷力の高い跳び蹴りが叩き込まれた。
もちろん、その凶悪な蹴りはリリのものではない。リリの合図と同時に、どこからともなく跳び蹴りをかます人物が現れたのだ。
ナイトと呼ばれた人物――ヒュルネの視覚が正しければ、その人物はやたらとフリルの付いた家政婦の服装をしていた。
「あがっ……!」
完全に蹴りを受けた男は、レストランのテーブルやら何やらを巻き込んで、ぶっ飛んだ。
ヒラヒラと丈の長いスカートをひらめかせながら、メイドことナイトは華麗に着地する。
『なんと! ヒュルネ様に負けず劣らずのお胸――いえ、お美しさですね!』
切れ長の目に綺麗なリーフグリーンの瞳が覗かせる。使用人とは思えないほどの色白の美人だが、周囲に対して牽制するような剣呑なオーラをまとっていた。その鋭利な刃のような危険を孕む美しさは、身分とは不相応だが、高嶺の花と呼ぶにふさわしい。
ナイトはぐるりと周りを見回した後、セルドラを注視し、
「不細工なトカゲだな」
『焼き殺しますよ、失礼メイド!』
初対面の相手に辛らつな言葉をぶつけられ、セルドラは目を三角にする。
「ナイトさん、見事でしたっ。見てください、あの人。顔がぺちゃんこです!」
「ふむっ、少々やりすぎたか」
顔が変形させるほどの蹴りを入れておきながら、ナイトの態度は飄々としていた。
『ヒュルネ様ヒュルネ様、なんか殺人的にヤバそうな人ですよ……』
「うるさいわよ、セルドラ。今、わたくしはお兄様をどうやってブッコロスか考えていますの……。ふふふ、生皮を剥ぐのって楽しそうですわね……」
『ヒュルネ様、戻ってきてー!』
セルドラが必死に叫ぶ。
その瞬間、木製の床に何かが突き刺さった。
巨大な刃――肉切り包丁。
店の奥から鬼の形相をした店長が現れ、肉切り包丁を引き抜く。
「てめぇら、俺の店で乱闘とは良い度胸じゃねぇか」
包丁の峰を手のひらに叩きつける姿は、凶悪犯でも裸足で逃げ出すほど恐ろしかった。
ゴルゴン三号店の店長にしこたま怒られたヒュルネ達は、ぶっ飛んでいった巨漢と共に店外に放り出された。
仕方なく近場にあったオープンカフェで食事を済ませる。
「ふぅ……セルドラ、おいしかったですわね?」
『お肉を食べれなかったのは残念ですけど、たまにはサラダも良いものですね。まあ、僕って完全な肉食生物なんですが』
腹ごしらえも終えたところで、食後の紅茶を飲んで一息――つきたかったのだが、それもできなかった。
ヒュルネは目尻をつり上げる。
「それで、あなた達は何者ですの?」
レストランを追い出された原因である、エルフ・リリとメイド・ナイトが地べたに正座していた。
「お初にお目にかかります。リリの名前は、リリット=アレン=ヴィアム。ヴィアム家の長女であり、将来アレンさまの妻になる者です」
「……そちらは?」
『今、絡むのを完全に面倒くさがりましたね』
次に問いかけたナイトは正座をしているものの、偉そうに腕を組んでおり、使用人とは思えないほど図々しい態度をしていた。
「私の名は……ナイトだ。ヴィアム家の雇われメイドをしている」
『ボーイッシュな口調ですね。キャラ作りに必死なのでしょうか』
「雇われメイドって……まあいいですわ」
リリに続き、ヒュルネは些細なところに気を向けるのをやめておく。
「それでリリットさん。アレンとは、どこで会いましたの?」
話を本題に進めると、リリは頬を赤く染め、花も恥じらう乙女の表情に変わった。
「そう、あれは忘れもしない、風が囁き合い、星が芽吹く夜――」
「誰もアレンとの馴れ初めなんて訊いてませんわ。というか、あの畜生が幼女に手を出す経緯なんて聞きたくないんですの。というか、吐き気がしますわ!」
『ヒュルネ様、「というか」を二回も使って、そこまで言わなくても……』
リリは目を丸めていたものの、遅れて怒りが湧いてきたのか、眉間にしわを寄せた。
「あ、あなた、アレンさまの何ですか! まさか、あなたもアレンさまのことが……!」
「ちょっと、お待ちなさい! 今のをどう解釈したら、そうなりますの!?」
「アレンさまは誰にも渡しません……! アレンさまはリリだけのアレンさまなのです! ナイトさん、殺っちゃってください!」
むくりとナイトが立ち上がる。その目は百戦錬磨の猛者のものだった。
ヒュルネは慌てて席から離れる、
「だから、お待ちなさいと言っているでしょうが! わたくしはアレンなんか好きじゃありませんわ!」
「嘘です! ナイトさん、この淫乱女の乳をもいでください!」
「だ、誰ですの!? この早とちり少女に刃物よりも危険なものを持たせたのは!?」
『ここは、僕の出番ですね! このセルドラ、鬼畜メイドを成敗してくれます!』
後ずさるヒュルネと入れ替わるようにセルドラが前に出る。
「不細工トカゲ、やるつもりか?」
『このクソメイドっ! 僕は不細工でもトカゲでもありません!』
鼻息を荒くして、セルドラは言い放つ。しかしながら言葉は、まったく通じていない。
『これでも火竜の端くれ。伝説の生き物である竜は、一匹で一つの国を滅ぼすほどの力を持っています。一度、吼えれば地震が起こり、その眼に睨みつけられれば幾百の人が意識を失う、と言い伝えられるほどなんです。つまり! 僕が本気を出して吼えれば、地震が起こるわけです! えぇ! きっとそうなんです! 食らえ! 火竜ですが、大地震!』
「クルルゥ!」と顎が外れんばかりに口を広げ、咆哮を上げる。
「やかましい」
間髪入れずにナイトに頭を叩かれた。
「キュゥ~!」
セルドラは泥団子のように地べたにへばりつく。
『な、なぜ地震が起きない!? ならば、セルドラの睨みつける攻撃!』
「不細工な面してるな」
『れ、冷静に対処された……』
ズーン、とショックを受けるセルドラ。
「リリ、このトカゲも殺すのか?」
ナイトは心底面倒くさそうな表情を作り、セルドラを指さした。
問いかけられたリリは首を横に振り、
「我がヴィアム家は無用な殺生を許しません。その不細工なトカゲはリリのペットにします」
『おまえのペットなんかイヤです!』
「わたくしを殺すのも無用な殺生でしょう!」
セルドラとヒュルネがほぼ同時に叫んだ。
「え? 何か言いましたか?」
「無視しました!? 無視しましたわね!?」
「え? 何か言いましたか?」
「あぁん、もう! このガキ、どうにかしてくださいまし!」
眼前、ナイトがゆらりと身を揺らす。怖い、超怖い。
ヒュルネは思考を巡らしたものの、この場における一手は戦略的撤退しか思いつかない。がしかし、逃げてもおそらく追いつかれるだろう。
動きから察して、ナイトの体術における技量は半端なものではない。その上、体格も向こうが優っている。メイドのくせに生意気な。
どこか自分の家の使用人と似通ったものを感じつつ、ヒュルネは一歩下がる。
視野を広げれば、通行人の姿が目に入る。利用してもいいかもしれない。
何かしら叫んで、注意を逸らせば――
「……むっ?」
突然、不快な声を上げたのはナイトだった。片膝を着き、苦悶の表情が浮かぶ。
「ナイトさん!? どうしましたか!?」
『ふふっ。どうやら、今頃になって僕の眼力が効いたようです。クククッ、生意気なメイドめ、ようやく僕の怖さが――』
「足が……しびれた」
『……そうですか』
そういえば、さっきまで正座していたことを思い出す。
「逃げるわよ、セルドラ」
これは好機。即座にヒュルネは走り出した。
「あぁ、待ってください! この淫乱デカ乳女!」
追おうとしたリリさえも足がしびれて動けない。
「殺されるのがわかってて、待つバカはいませんわ! ――このナイチチ!」
『ヒュルネ様、ナイス罵倒です! 相手はダメージ受けてますよ! 効果はバツグンだ!』
四つん這いになるリリとナイトを放置して、ヒュルネとセルドラは脱兎のごとくオープンカフェを後にする。
その十分後。勢い良く飛び出したものの、ヒュルネは迷子になってしまった。
今、ヒュルネが居る場所は居住区の街路であるのだが、ここからどこに行けばいいのか皆目見当が付かない。何か目印になるものがないか、視線を上方へと送る。が、背の高い建物のせいで、目印になるようなものは見あたらなかった。
ここは正攻法が一番なのだろう。
丁度、目の前を通り過ぎた人物に話しかけた。
「ちょっといいかしら?」
「ごめん、もうお金はないんだ」
「……………………」
話しかける相手を、完全に間違えた。
水墨で描いたような黒髪に、澄んだ青い瞳。ここまではいいのだが、その腰に下げた剣、軽装の鎧、古びた荷袋などと、あきらかにこの町の住民ではない。
剣士という装いをしながら細身で、しかも虫一匹殺せなさそうな優男であった。
「……あっ、ごめん。違った。何かな? お金はないけど、話は聞くよ?」
この際、何が『違った』のかは訊かない。
なんかもう逃げ出したいとか色んな欲求を抑え込みつつ、ヒュルネは話を続けた。
「東門まで行きたいのですけれど、あなた道分かります?」
「あぁ……お金……どうしようかなぁ……。これで、家に帰ったら殺される……」
「あれ? わたくし、今なんて言いましたっけ?」
話しかける相手をチェンジしたい。
こういう時に限って、ほかの通行人がいないのは日頃の行いが悪いせいなのだろうか。
『この男、話聞いてませんね。火、噴いときますか』
皮膚が焼けない程度の炎を、剣士の鼻先に噴く。
「おあぁつぅわぁ! おかねぇぇぇぇ!」
「まだ言いますか!?」
『ヒュルネ様! おっかない、と言いたかったんですよ! 自信ないですけど!』
鼻を押さえる剣士は、火を噴かれたことさえ気に留めていないのか、視線を下げて肩を落とし、
「おかねぇ……」
「また言ってますわよ!」
『おっかねぇ、です! すごく自信ないですけど!』
「どんだけお金に困ってるんですの!?」
ヒュルネは我慢の限界に達する。ここまで意志疎通ができないとなると、この剣士はもはや生き物ではない。生き物でない何か……そう、無機物の類だ。そう考えないと、色々と疲れる。
「……ん? そいつは……」
無機物と決めつけた瞬間、嫌がらせのように剣士がヒュルネの肩に乗るセルドラに興味を示した。
「お金……じゃなくて、火竜か」
『今、僕がお金に換えられませんでしたか?』
「売ったら高そうですものね、火竜」
『ひどい!』
剣士が一歩だけ近づく。
反するようにヒュルネは一歩退いた。
「大丈夫だよ。別に、取って食おうというわけじゃないから」
「取って売ろうと?」
「ははっ、他人のモノを奪うほどお金には困ってないよ」
『どの口が言ってるんでしょうかね!? かね!?』
ヒュルネは心中で激しく同意した。
「――ただ、人に懐いてる竜なんて初めて見たからさ」
剣士の言動がヒュルネの意識の奥に引っかかる。少しだけ考えて――分かった。
「あなた、竜を見たことがありますの?」
剣士は竜を知っていることを前提で話している。
「まさか。君の火竜が初めてだよ」
「――嘘ですわね」
剣士の表情に現れた、わずかな動揺を見逃さなかった。
常人なら気付くこともできない些細な異変だ。だが、ヒュルネには『平然と嘘を吐く兄』がいるため、他人の観察は自然と身についていた。
嘘を吐くことが悪意に直結するわけではない――が、それは時と場合による。
今、剣士はセルドラに興味を示しており、その興味の種類が見えてこない。
知的好奇心なのか。金を得ようとする欲求なのか。それとも別の何か、か。
「あー、ごめん。嘘吐いた」
剣士は肩の力を抜いて言う。
「俺、実は傭兵でさ。昔、竜の討伐の仕事をしたことがあるんだよ――うわぁ! 火噴くのやめてくれ!」
『同族のカタキー!』
「おやめなさい」
轟と炎を吐くセルドラの口を、右手で摘むようにして閉じる。上顎と下顎が合致したことで、炎が口内で暴発し、セルドラの口から煙突のごとく黒煙が吹き出た。
『あっつぅ! ヒュルネ様、危ないじゃないですか!』
危ないのはおまえだ、と目つきで答えるが、セルドラには通じていなかった。
次に剣士を見る。
「下手に警戒されたくなかっただけですのね?」
剣士は首肯する。どうやら嘘は吐いていないようだ。
「そう、そうですの。分かりましたわ」
セルドラへの興味の理由が判明できていない以上、この剣士に関わることは避けた方がいい。
「それでは失礼しますわ」
きびすを返し、ヒュルネは歩き出す。すると――
「東門に行くなら、そのまま直進して二つ目の十字路を左に行けば、大通りに出るよ。そこから東門は見えるから。あぁ、それと。もうすぐ祭りがあるから、子供のスリが多いよ。気をつけて」
振り返ると剣士は背を向けていた。
「……ありがとうございます」
声は届いたかは分からない。
ただ、剣士は肩を落とし、
「はぁ……これからどうしよう」
『迷子でもないのに、さまよってますね』
*
東門に向かう途中のことだった。
人混みの激しい大通りにて、見覚えのある馬が目に留まる。
間違いなくスイミーである。近寄ってみると、見覚えのある使用人もいる。ヒュルネが昼食を済ませた店とは違うオープンカフェで、ヴァンがティータイムをしていた。
「なに、サボっていますの?」
「おや、お嬢様ではありませんか。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「答えになっていませんわよ?」
宿を探しているはずのヴァンが、なぜこんなところでスイミーを連れたまま、ティータイムにシャレ込んでいるのか。
答えから目をそらしたいが故に、ヒュルネは問いかける。
「宿はどうしましたの?」
「……ところで、お嬢様」
「あなた! 先ほどからわたくしの質問に一つも答えてませんわよ!」
「はい。答えてませんね」
このときだけはケロリと答えてきた。
「うわぁ! ムカつく! こういうときだけ答えるとか本気でムカつきますわ! 肥だめにたたき落としてもいいかしら!?」
「お嬢様……仮にもシュルーケン家の長女であるお方が、うんこなどと口にするのは、いささか品格を疑われてしまいますよ」
「うんこなんて言ってませんわよ!」
『いま、言いましたけどね! ひぎゃあ!』
セルドラを地面に力一杯叩きつけて、ヒュルネは高まった感情と息を静める。
深呼吸を一回。ついでに、ヴァンの金的を三回ほど蹴り上げる妄想をした後、平静を取り戻した。
「……ふぅ、クールですわ。クールビューティ・ヒュルネですのよ。もう何事にも動じませんわ」
「そうですか、それはなによりです」
一瞬、殺意が沸き起こったが、脳内でヴァンの喉元にチョップを五連続叩き込んで、クールビューティに徹する。
「それでお嬢様。実は悪いニュースと良くないニュースがあるのですが、どうしましょう?」
『い、良いニュースがありませんね』
今さっきまで地面にノビていたセルドラが肩によじ登ってくる。
「悪いニュースから聞きましょう」
「祭りの影響か、宿がありません。このままだと野宿決定です」
予想通りの答えが返ってきた。
「それは良くありませんわね」
「えぇ、どこでも寝れるお嬢様と違い、私はベッドがないと眠れません」
『ヒュルネ様? どうして僕の尻尾を掴んでるんですか? ひぃ! ぎゃあああああああああ! 取れちゃう! 尻尾取れちゃう!』
クールクール。
すぽーん、と手からセルドラが放り出され、宙へと飛んでいく。
「では、良くないニュースは?」
殺意だらけの笑顔をヴァンに向ける。
「実はさっき、アレン様と会いました」
ヒュルネは笑顔のまま数秒間だけ凍りつき、
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 捕まえなさいよ! このバカ! いえ、ヴァカ!」
「私ではアレン様を捕まえられませんから。アレン様のスペックって、めちゃくちゃじゃないですか。私程度では、指一本も触れられませんので」
「そこは、がんばりなさいよ! 死ぬ覚悟で! というか死になさい!」
「お嬢様! 本音! 本音が漏れてます!」
ヒュルネはギリギリと歯軋りをして自制を行い、話を元のレーンに戻す。
「それで? お兄様と何か話をしましたの?」
「主におっぱい談義でした。いやいや、アレン様のおっぱい好きは流石ですね。あの方の巨乳至上最強理論に、私はただただ時間を忘れて聞き入ってしまいました」
「死ねばいいのに……あなたもお兄様も」
汚物を見るような目でヴァンを睨む。
たまらず、ヴァンは汚名返上するように話題を切り替えた。
「それだけではありません。別れ際アレン様は、祭りを盛り上げる、と言っておりました」
「……本当ですの?」
「今は、その下準備中とも言っておられました」
ヒュルネは遠くを見つめる。
「この町で、やらかすつもりですのね」
今まで彼が引き起こしてきた事件は竜巻のようだった。誰も彼もが巻き込まれ、否応が無しに行動を起こさねばならない。
緊迫した空気が流れる。
雑踏の中、ヒュルネの浅いため息が紛れ、
「ま、どうでもいいですけど」
「いいんですか?」
あまりの空気の抜きように、ヴァンがキョトンとする。
「あのカス野郎が、この町にいることが分かったんですから重畳ですわ」
そんなことよりも、とヒュルネは続ける。
「今、やらなければならないのは今日の宿ですわ」
「そのことなのですが、耳寄りな情報があります。もしかしたら泊まれるかもしれません」
「本当ですの?」
正直ヒュルネの頭の中では、七割以上の確率で野宿決定だったのだが。
「お嬢様が少しだけ我慢していただければ、大丈夫かと」
「大丈夫ですわ。多少汚いところでも我慢――」
「出来ませんわよっ!」
今、ヒュルネ達は表通りから離れた路地にいる。
そこには確かに金を積めば一泊できる施設があるのだが――
「ここ……娼・婦・館じゃねぇぇぇかぁぁぁぁ!」
さすがのクールビューティもここで打ち止め。ブチ切れたヒュルネはヴァンの側頭部にハイキックを食らわせた。
『ヒュルネ様! キャラが! キャラが崩壊してます! というか、ショーフカンってなんですかー!?』
「汚くてもかまわないと言いましたけど、わたくしの貞操を汚してどうするつもりだぁぁぁ!?」
倒れるヴァンに豪雨のような激しい蹴りを叩き込む。
「え? お嬢様、しょじょ――ゲヴォッルフゥ!」
「黙れぇぇぇぇぇ!」
『ショジョってなんですかー!?』
ヒュルネは顔を真っ赤にして猛攻に拍車をかける。
数秒後、ヴァンがボロクズとなった。
「ふぅ、スッキリしましたわ」
『……途中から、楽しんでませんでしたか?』
セルドラがボロクズ(ヴァン)をわき目に、戦々恐々とする。
「お嬢さん、宿にお困りかな?」
ヒュルネ達に近寄る男がいた。小綺麗な黄色の服を着た恰幅の良い男。体重はおそらくヒュルネの三倍はあるだろう。深みのない営業スマイルが商人であることを語っていた。
「良い宿、知ってるよ」
「本当ですの?」
「あぁ、ついてきなさい」
もの凄い既視感を抱きながらも、ヒュルネは商人の後に付いていく。
……二分後。
「同じじゃねぇか!」
商人の鳩尾に膝蹴りをぶち込むヒュルネの姿があった。
「お嬢様の貞操をお守りするのが、私の役目!」
尽かさずヴァンが、背を丸める商人の首筋にエルボーを入れる。
「あなたも同罪でしょうが!」
商人と同様、ヴァンにもヒュルネの膝蹴りが決まった。
ヴァンが商人と並んで、地に転がる。
「まったく、わたくしの周りには何で変な輩しか来ないのかしら」
『それはヒュルネ様自身が変な輩だからじゃないんですか?』
キッと睨み、セルドラを黙らせた後、ヒュルネは目の前にある娼婦館を眺める。
こんなところに泊まるつもりは毛頭ない。さっさと店から離れようとしたところで、不意に商人のすすり泣く声が聞こえてきた。
「あぁ、俺はついてない。変な男に奴隷を逃され、副業もままならないとは……ついてない。うぅ……」
変な男。その単語に反応して、脳裏に一人の男が浮かび上がる。
「あの……もし?」
「おぉ! 娼婦になってくれるか!? 君だったら、すぐにうちの店でナンバーワンに――うわっ、やめ! 蹴るな!」
「あのっ! ですね! その変な男って! 金髪ではありませんでしたか!?」
「蹴りながら喋るな! つーか、蹴るな! 俺はそういうプレイは好きじゃない! あいたたた! そうだ、金髪だったよ! それがどうした!」
商人が肯定したところで、ヒュルネは蹴るのを止めた。
「やはりお兄様ですのね。まったく……奴隷を逃がして何をするつもりなのかしら?」
『パレードでも開くんでしょうかね?』
「なんだ、君達。あの男の知り合いなのか?」
商人が服に付いた砂を叩きながら立ち上がった。
「えぇ、わたくしのお兄様ですわ。その名もアレン――」
「ほほう。君の兄、ねぇ……」
商人の顔に、凶悪な一面を孕んだ笑みを浮かべる。それは勝利を確信したときの指揮官のものと同じだ。
地雷を踏んでしまったような気がする。
一歩後ずさると商人は一歩踏み込んでくる。
「兄の不始末は妹がするものだろう? 奴隷百人分、いやぁ……君一人が一生働いても払える金じゃないねぇ」
ヒュルネの体を舐め回すように動く目が、生理的な嫌悪を感じさせた。
「金を払え! もしくは体で払え!」
「……仕方がありませんわ。兄がしてしまったことを償うのもわたくしの役目ですわ」
「お嬢様! いけません! 私が言うのもなんですが、お体を大事にしてください!」
ヴァンが食ってかかる。するとヒュルネは商人以上に邪悪な笑みを浮かべて、ヴァンの腕を取った。
「だから! この男を借与しますわ!」
「へ?」
商人とヴァンがほぼ同時に素っ頓狂な声を出した。
「さあ! おホモに引き渡すなり、用心棒にするなり、食用にするなり、どうとでもするがいいわ!」
「お嬢様、いやです。特に食用は無理です」
真顔でヴァンは首を横に振る。
反面、ヒュルネは清々しい表情で応えた。
「あなたの返事は『はい』か『うん』だけでしてよ?」
「きょ、拒否権がない……!?」
『日頃の行いが悪いんですよ、クックックックッ!』
「ついでに、オプションとして火竜の子供も付けますわ。かなりレアでしてよ」
『あっれー!?』
ヒュルネは容赦なく、ヴァンとセルドラを突き出す。
商人が目を点にさせた後……
「そんなんいるかぁ!」
高らかに拒絶した。
「何ですと!? この私が要らないと!?」
『複雑ですねー!』
「あら? 要りませんの? それでは、交渉決裂と言うことで」
「待て待て待てぇい! そんな乱暴なやり方が通るとでも思っているのか!」
立ち去ろうとするヒュルネに向けて、商人が呼び止める。
ヒュルネは小さく舌打ちをして制止に応じた。そしてヴァンを手招きして、内緒話を始める。
「あの商人、どうしましょう? なんか、いろいろと面倒くさいですわね」
「お嬢様、このヴァン=ノディアスに秘策があります。思い切って、殺っちゃいましょう。今なら誰も見てませんし、土に埋めとけば、きっとバレませんよ」
「あぁ~、なるほど。その手がありましたわ――って、あぶなっ! 駄目ですわよ! 一瞬、肯定しそうになってしまいましたけど、駄目ですわ! 駄目駄目!」
ヴァンの目が本気だから、尚更恐ろしい。
ならば、どうするべきか。
ヒュルネは腕を組み、思案する。結局出てきた案は、
「逃げましょうか」
「それは妙案です。あのボヨボヨボディでしたら、簡単に逃げきれるでしょう」
結論が出た途端、二人は商人に向けて手を振る。
「それでは、ごきげんよう」
一瞬、商人は何が起こったのか分からなかったらしく(当たり前な話である)、口を丸く開けたまま硬直してしまった。
ヒュルネとヴァンは全速力で逃げた。
*
都市はすでに黄昏に染まりつつあり、火の小精霊が宿る街灯が点々とつき始めた。それでも街道に人混みが減ることはなく、活気盛んな町の雑踏は止みそうにない。
そんな町並みをヒュルネ達は全速力で走り抜けた後、見知らぬ偉人の石像が建てられた広場にたどり着いた。
「あ~、疲れましたわ。少し休憩にしましょう」
白い煉瓦で造られた花壇の縁に座り、ヒュルネは自分の足をマッサージする。
「あーもー、足が張ってしまいましたわ。もう今日一日で、どれだけ走らされるんですの」
「お嬢様、一休みするのもいいのですが――」
立ち止まったヴァンが困り顔になり、とある方向を見つめる。
釣られてヒュルネも同じ方向を見ると、
「ぬおおおおおお!」
先ほどの商人が鬼の形相で走ってきていた。
「ひっ!?」
『凄い執念ですね! 商い魂って奴ですか!』
ヒュルネは即座に花壇の縁から腰を浮かし、駆け出そうとした――が。
「あいたー!」
不運なことに足がつってしまった。
ヴァンが手を貸そうとしたものの、時すでに遅し。商人の魔手がヒュルネの腕を捉えた。
「ふぅははははは! 捕まえた! 商人だからって舐めるなよ! ちなみに俺は走れるデブだからな! ちなみに明日から酷い筋肉痛だけどな!」
『ご愁傷様です』
商人は下卑た笑みを見せつけるようにヒュルネを引き寄せた。
「さぁて、どうしてくれようかなぁ……んん? 足使いは荒いが、器量はいいからな。VIP会員専用にしてやろうか。クヒヒヒッ。良い金が手に入ったぜ」
「くっ! 変なところで良待遇なのがムカつきますわね! ヴァン! 早く助けなさい!」
悪寒が背筋を走り、ヒュルネは半泣きになってヴァンに助けを求めた。
「えー。お嬢様、私を売ろうとしてましたよね……」
「この野郎、根に持ってやがりましたわね!」
ヴァンは見捨てる気満々。同時にヒュルネは殺る気満々。
ヒュルネが汗くさいデブを実力行使で始末しようとしたところに、乱入する人物がいた。
四十代くらいの銀髪の男だった。ローブの上に鎧を着込んだような独特の服装。その鎧の胸には、刀身の部分が杖に入れ替わっている剣の紋章が描かれている。歩く姿は、まるで獣の王が我が道を進むかのごとく。眼光は、すべてを見通すかのように深い。その男には、膨大な剛力を凝縮させたような威圧感があった。
「離してあげてください」
竜の吐息のような静かで重みのある声が響く。
「……これはこれは“総団長”殿。町中で武具を纏ったまま闊歩するとは、市民に恐怖心でも植え付ける気で?」
商人は嫌悪の色を隠すことなく、言い捨てた。
総団長と呼ばれた男は、かぶりを振る。
「祭りの時期は人の出入りが多く、物騒ですから。いまは見回りをしていたところです」
それはそうと、と総団長は話を変える。
「その方は、私の知人です。何があったのかは分かりませんが、ここは見逃してやってくれませんか?」
ヒュルネは総団長に言われて、ようやく気づいた。
知っている。顔見知りだ。
総団長――コアパレイ魔法兵団・総団長ガリアン=アニミット。一年前、ツァラスト王国で行われた舞踏会で顔を合わせた記憶がある。
そして、記憶に色濃く残っている理由も覚えている。
彼は――英雄だ。
「営業妨害だ。失せろ、役立たずが」
商人は吐き捨てるように言った。そして畳みかけるように罵り始める。
「これは越権行為だなぁ……。マグレで栄光を得られたボンクラ兵団――その小山の大将ごときが商売の邪魔をするつもりか? 王国軍でもない、たかが治安維持部隊風情が崇高なる市場に関与するつもりか? 俺の言ってる意味が分かるか? まあ、分からんだろうな。知性が低いキサマのためにもう一度、言ってやる。キサマがやろうとしているのは越権行為だ。小汚い装いで、神聖な市場に踏み込んではならない。身の程を知れ、ゴミが」
息をつかせぬほどの言葉を浴びせる。
総団長ガリアンは無表情のまま、
「その通りです」
端的な肯定を口にした。
すると商人は鼻で笑った。分かっていないのだろう、理解できていないのだろう、キサマらはバカだからな――とでも言うような嘲笑だった。
「キサマらがやるべきことは、二年前の南門の惨劇を起こさないよう、いかに商人様方のために死ぬかを考えてればいいんだ」
商人は言葉を止めない。
「いいか? キサマらがうまい飯を食えているのは、俺達の儲けをキサマらに税として分けてやっているからだ。感謝しろ。ひれ伏せ。逆らうな」
「その通りです」
ガリアンは否定しない。ただ無感情に商人の言うとおりに肯定していく。
ヒュルネの中で、激情が胸の奥からこみ上げてくる。
そのとき――
「やはり埋めるべきでしたね」
やけに冷え冷えとした台詞を口にしたのはヴァンだった。
「あ? 何か言ったか、下郎?」
商人の口撃の矛先がヴァンを捉える。だが、敵意を向けられたヴァンの表情は険を混じらせるどころか逆に、気味の悪いほど柔和な笑みを作った。
「いえ、何も。それより、そろそろお嬢様から、その小汚い手を離してくれませんかね?」
そう言いながらヴァンは商人の前に立つ。ヴァンの長身は立っているだけでも、かなりのプレッシャーを与える。
無言の睨み合いが続き、
「……あっ」
ふとヴァンは空を見上げた。その唐突な行動に商人が空に何かがあるのかと思い、顎を上げる――その刹那、ヴァンが顔色一つ変えず、商人の金的を蹴り上げた。
「――――!?」
粘土に棍棒が食い込むような強烈な一撃である。
「ほごぅ……!!」
商人はヒュルネを離し、股に手をやる。そのまま丸い体を更に球体化させるように、うずくまった。
「おやおや? どうかなされましたか?」
えげつない一撃を放っておきながら、ヴァンは道化のごとく素知らぬ顔をする。
「き、キサマァ……! い……いま、お、おれ……おれのぅ……!」
『良い蹴りですね。僕には速すぎて何も見えませんでしたが』
「感染病ですか? 女には気をつけてくださいね」
「ち、ちがっ……!」
口をパクパクと開閉させ、商人はガリアンに同意を求める。
しかしガリアンは今まで鉄壁を保っていた無表情を少しだけ崩す。それは微笑だった。
「誰も何も見ていませんが? もちろん、総団長である私も例外はありません」
「キサマァ……っ!」
その場で商人はピョンピョンと飛び跳ねる。そんな商人にガリアンが耳打ちをした。
「それよりも気を付けてください。近々、王国の監査団が、組織化した人さらいの大量摘発を行う予定ですので、少しでも怪しい行動は包まれた方がよろしいかと」
「……っ!」
「情報はタダで結構。商人にとって、タダより怖いものはないかと思いますが、どうしますか?」
ガリアンの達者な口車に、ヒュルネは舌を巻く。
「くぅ……! 今日は……見逃してやる……ぅ!」
背を丸めて、ウサギのごとく跳ねて去っていった。
少しだけ惨めに見える商人の背を見届け、ヒュルネは改めてガリアンと向き合った。
「助かりましたわ。ガリアン団長」
「ヒュルネ嬢、俺は何もしてない。その言葉は、そこにいる優秀な執事にでも言ってやれ」
ガリアンが頬の筋肉を緩ませた途端、その口調はがらりと変わった。威圧的な雰囲気は払拭され、どこか愛嬌のある動物のようだ。
「どうも、優秀な執事です」
鼻高々と、ヴァンは謎のポーズを決め込む。
「はいはい、あなたはとてもユーノーですわね」
「どうも、超有能な執事のヴァンです。お初にお目にかかります、アニミット様」
また馬鹿なことを言っているかと思いきや、今度はガリアンに挨拶を送っていたようだ。しかし、変なポーズは続けている。
「ガリアン=アニミットだ。コアパレイの自治を主とした兵団の長をしている。老婆心だが――その足癖は治した方がいいぞ」
「これはお嬢様譲りです」
「こら! 変なことを言うんじゃありませんの!」
ローキックがヴァンの太股に炸裂した。
痛みのあまり、四つん這いになったヴァンは、涙目になりながらもガリアンに同意の眼差しを送る。
ガリアンは、同情の意味を込めて首を縦に振った。
「それにしても……お嬢様、アニミット様とはどのようなご関係で?」
「依然、王都のパーティでお会いしましたの」
「それだけにしては、やけに親しげですね」
ヴァンが意味有り気な口振りをするが、ガリアンは微塵も動揺せずに理由を述べた。
「実は、パーティで王都陥落を企む組織が暴れてな。ヒュルネ嬢とは共に戦った戦友だ」
「お嬢様がトラブルメイカーでしたか」
「何ですの!? 今までの出来事をひっくるめて、わたくしのせいにするような言い方は!」
四つん這いのヴァンの胴を蹴り上げようとしたが、ヴァンはひらりと躱して体を持ち上げる。
「元気そうで何よりだ。ところで、ヒュルネ嬢。なぜコアパレイに?」
「あー、えっと……それは……」
一瞬、本当のことを言おうとしたが、一抹の不安から出かかった言葉を喉元で押さえ込んだ。下手にアレンの名を出せば、更なるトラブルを引き起こしそうな気がしてならない。
間を空けすぎないよう、必死に考えた後、
「……そ、そう! 魔法大宴祭ですの! いま、名前が出てこなくて、焦ってしまいましたわ。わたくし、魔法大宴祭を見に来ましたの」
「なるほど。王都で行われるものと比べれば、魔法大宴祭など大したものではないが、楽しんでいってくれ。……そうだな、良ければ知り合いに祭りの案内でもさせよう」
「それは嬉しい話ですわね」
社交辞令としてヒュルネは笑みで言ったものの、実際に祭りを見て回ることはないので、すぐに遠慮するつもりだった。しかし次の句を言うよりも先に、ガリアンが口を開く。
「宿はどこだ? 祭りの朝は早いからな。日の出と共に、ガイドを送ろう」
「せっかくのお誘いですが、遠慮させていただきますわ。祭りは自分の足で好きなように見てみたいので。それに……まだ宿も決めていませんし」
宿がないことを思い出し、ヒュルネは頭が痛くなってきた。
野宿は辛い。夜風の冷たさは突き刺すように肌に染み込み、固い床は疲れを蓄積させる。その上、壁のない外ではいつ浮浪者に襲われるか不安で安眠など絶対にできない。三年前の旅で嫌というほど味わった思い出の一つだ。
「まだ宿を決めていないのか? それは不味いな。コアパレイには宿が少ない。祭りの四日前から宿はすべて埋まってるぞ」
「……それだと、教会などを利用して祭りまで誤魔化すしかありませんわね」
「だったら、俺の家に来るか?」
「お嬢様の貞潔のピーンチ! 気をつけてください! この男、部屋を貸す代わりにお嬢様を手込めにするつもりです!」
ヒュルネをかばうように前へ出るヴァン。
「やめい、この失礼男が!」
その後頭部にヒュルネはチョップを食らわした。
「しかし、お嬢様! 危険です! 男は、みんな狼なんです! 埋めてやりましょう!」
「その前に、あなたを埋めてやりますわ!」
わき腹にミドルキックを入れて、叩き伏せた。
「……失礼しましたわ。この使用人、時々ノリで動くときがありますの。大目に見てやってくださる?」
謝りながらも、うつ伏せに倒れるヴァンの後頭部に足を乗せて追撃を行う。
「本気でないことは分かってる。気にしてはいないさ。それよりも、どうする? 俺としては王都での借りをここで返したいのだが?」
王都での借りというのは大したことではないのだが、ここで拒否してしまえば、ガリアンの顔が立たない。どうせここで何かしらの理由を付けて断ったとしても、結局路頭にさまようことになるわけで、
「お言葉に甘えさせていただきますわ」
ヒュルネは頭を下げた。
すると――ふと先ほどから静かな人物(?)が、沈黙を破った。
『ヒュルネ様ヒュルネ様。僕、さっきから気になってたんですけど……スイミーって、どこ行ったんですか?』
「あっ……」
顔を上げる。近くに愛馬の姿は、ない。
思い返せばいつからいなかったのだろう。
ヒュルネは焦り、周囲を見回す。
いなくなったのは、おそらく娼婦館に行く前からだ。ここで、探してもスイミーを見つけることはできない――はずだったのだが。
いた。
広間の中央にある石像。その背後から顔半分だけ出して、こちらを窺う奇妙な馬がいた。もちろんスイミーである。
なぜかスイミーの顔からは哀愁がにじみ出ており、セルドラだったら「僕のこと、忘れてたんですね……しゅん」みたいなことを言ってきそうだった。いや間違いなく、そう思っている顔だ。
「す、スイミー? わ、わたくし、忘れていませんのよ? ただ、ちょっとだけ思い出せなかっただけで――って、ちょっと待ちなさい! スイミィィィィ!」
その後、泣きながら逃げるスイミーを捕まえるのに、一時間以上も費やした。
ガリアンの家は、密集した住宅街に紛れるように建つ一軒家だった。一人暮らしをするには少々大きいものの、スイミーが入れるような馬屋はない。そのため、スイミーは魔法兵団の馬屋に預けられている。
ガリアンに招かれ、エントランスの扉を開けると、意外なことに出迎えがあった。
「あらー、ガリアン、もうお帰り? ……あらあらー? そちらはどなた?」
使用人とは思えない砕けたしゃべり方の若い女性は、目を丸める。
『年の差夫婦! 差が開きすぎてて犯罪臭がしますね!』
お黙りなさい、と目で訴えた後、ヒュルネは女性に一礼した。
「お初にお目にかかりますわ。わたくし、シュルーケン家の長女ヒュルネ=シュルーケンと申します。それで、こっちが使用人のヴァンですわ」
「あらそうなの? 可愛い子達ねー。ガリアン、どこで拾ってきたの?」
子猫みたいに扱われ、ヒュルネは呆気に取られた。
「すまないな、ヒュルネ嬢。こいつはイリシャ。悪気や敵意があってやっているわけではないが、どうもマイペースでな。許してくれ」
「別にかまいませんけど……」
横目でイリシャを見ると、ヴァンを見上げて「あらまー。大きいわねー。天井のお掃除とか得意?」と暢気に言っている。
「変わった奥さんですわね」
「あ、いや、あいつは――」
何か言おうとした瞬間、家の奥から多数の足音が聞こえてきた。
歩幅は小さいが、その音源の数は多い。
ヒュルネは何事かと警戒していると、
「おー!」「きゃー!」「くー!」
現れたのは三人の子供だった。
三人とも顔がそっくりで、一瞬その姿を見たヒュルネは、
『分身の術ですとー!?』
悔しくもセルドラと同じことを考えてしまった。
「お前達。客人の前だぞ。静かにしなさい」
「いー!」「やー!」「だー!」
まるで示し合わせたかのように息がぴったりで答える。
三つ子は嬉々とした表情を浮かべ、それぞれヒュルネとヴァンにしがみつく。
「あー!」「そんー!」「でー!」
「え? 遊ぶんですの?」
「いー!」「えー!」「すー!」
「ヒュルネ嬢、かまわなくていい。疲れただろう? 部屋に案内しよう」
「いえ、大丈夫ですわよ。子供戯れることくらい、余裕ですわ」
「やー!」「っー!」「たー!」
『真ん中の子、器用な発音しますね』
その場に飛び跳ねる三つ子。
ヒュルネは、ヴァンの腕とセルドラの尻尾を掴んで、
「ほら、このトカゲとお兄さんが遊んであげますわよ」
「ちょっ、お嬢様ぁ!?」
『なんで、僕達だけ――うひゃあ! やめてぇぇぇ! 首は掴まないでー!』
三つ子の玩具となるヴァンとセルドラを放置し、ヒュルネはそそくさとガリアンに部屋を案内してもらう。
部屋の外から漏れる、一人&一匹の悲鳴と三つ子のハシャぎ声は、夕食前まで続いた。