Prologue・2
皇国シュラウドネ
数多空に浮かぶ島々のうちでも最も巨大な島、シェルラ大島他数島を統べる世界有数の国家であり、特に発達した錬金術と魔道工学及び紋章術は有名であり、各島より毎年多くの留学生を受け入れている国家でもある。
その皇国を統治する皇の名はスヴェルランツ=ゲルト=フィルドネス=シュラウドネ。
若かりし皇太子時代には空賊の討伐でその武名を上げ、『武勇と無謀が紙一重』『側近殺し―主に精神疲労で』『脳筋』『若禿生産者―主に側近に』等々のあまり有難くない二つ名を贈られた豪放かつ愉快な人物でもあった。
そんな愉快な人物ではあったが即位後はさすがに多少は自重するようになった……が、それでもまだまだ自らの手で近衛隊に稽古をつけ……というよりも日々の精神疲労を発散するそんな毎日を送っているような人物である。
四〇を過ぎたのだからいい加減落ち着け娘も生まれたんだしとの証言は、彼の若かりし頃からの親友でもある近衛騎士団長の弁であった。
そんな豪快にして豪放磊落な人物が、先刻提出された報告書の書面を見て珍しく渋面を作っていた。
「ふん……第三次調査隊も壊滅か……今回はかなり慎重に部隊と装備を整えて送り出したはずだがな……」
皇が言う調査隊が送り込まれた先は、遥か眼下に広がる不動の大地。この世界唯一の大陸であり、公式の記録にある限り人が降り立ったことが一度としてないとされている緑の魔境でもある。
もっとも、島々を追放された重犯罪者が降り立っている可能性はあるが……それは今の報告書の内容とはあまり関係はない。
その地を埋め尽くす木々は、第一次調査隊が贈られる以前の予備調査隊が大陸外周部から確認したモノだけでも、平均で樹高七〇ロード(約九〇m)を越えるモノがほとんどであり、その梢に隠された大地がどうなっているのかを窺い知ることは殆どできない。
地形もそうだが、さらに問題なのはそこにどういった生物が住み、どういった生態系が構築されているのか……大まかなことも判然としない。
それらの事を含め、彼の地が皇国から住人を送り込むことが可能な地なのかどうか、それを知るためにこそ送り出した調査隊だったのだが……第一次と第二次の調査隊は調査地で全滅、帰還者なし。
その結果を踏まえて送り出した第三次調査隊はそれなりに入念な準備を整えた上で送り出したはずなのだが……報告書に記された内容は、惨憺たるものだった。
それなりの戦力も添えて送り込んだはずだったのだが……第三次調査隊員のほぼ全てが死亡、装備の大半は遺棄、生き残り辛うじて皇国まで戻った者も半死半生というありさまだった。
「化物……巨獣か……」
辛うじて生き残った者から得られた数少ない目撃証言から、かの大地には人が振るう武器や魔法では太刀打ちできないほど巨大な獣が生息しているらしい。回収された装備品からもそれは推察できると、報告書にも記載されている。
辛うじて回収できた食い千切られた調査隊の死体に付けられた歯形は、その牙一本だけで胴体の半分ほどになると推測されるとのことだ。
魔道院の生物局の局員が予測した大きさは全高約一五ロード(約二〇m)全長二八ロード(約三七m)。これですら小さいかもしれないかもしれないという報告だ。
「確かにこれは不可侵になるわけだ……」
皇は呆れたような表情で、掠れた声を漏らした。
かつてこの空を支配していた竜……現在は一部の島にのみ生息するそれらよりも一回り大きい化物が存在する。
かの大地が過去から不可侵とされていた理由、その一端を知った皇だったが、諦めるという選択肢を採ることはできない。
なにしろこの皇国が存在するシェルラ大島が空中にとどまっていられる期間は、あと五〇年ほどしかないのだ。
原因は未だ定かではない。
判っているのはこの浮遊島を空中に浮かべている力の源、浮遊鉱石がその力を徐々に失っていっているという事実だけだ。
その減少率から計算すると、この島が空中にとどまっていられる期間は最長でも六〇年。何かがあればもっと短くなり、最短では四〇年でこの島は堕ちると予測報告が上がってきていた。
先日も、軍事強国として知られたミレイド帝国が突然、一夜にして海中へ没している。脱出できた住人は王族を含めて数えるほどしか存在しない。
その数少ない生存者を皇国は受け入れはしたが、今後似たような事態が続くようなら非情な決断を取らざるを得ない事態も発生することだろう。
その前に何とか移住先を手に入れなくてはならない。空の上に皇国の人口を受け入れられる島は存在しない。ならば目指すべきは地上しかないのだが……その地上には開拓を拒むものが存在する。
「……どうしたものかな……」
諦めることを知らない皇でも、とりあえずどういった対抗手段を採ればいいのかすぐには思いつかない難事である。
「魔道院に化物に対抗できる対抗術式の開発を進めさせるくらいか……あとは戦闘用の個人型空船の強化になるが……あの森の中で空船が役に立つのか?」
個人型の空船は確かに旋回性能等は優れてはいるから、無理をすれば樹林の中での移動も可能であろう。が、その性能を十全に発揮する前提として、ある程度の速度を出さなくてはならない。
鬱蒼と茂る樹林の中でその速度を維持できるのかと言えば……一部の操船士でなければ無理だろうと結論付けるしかなく……それでは軍という数の優位を活用することができない。重ねて言うならば、報告にあった巨大な獣に個人用の空船に搭載できる程度の武装で対抗できるのかという問題もある。
実際に投入してみなければわからないが……結果が芳しくなかった場合、皇国は急激な戦力低下に見舞われることになる。
いくら開発がこなれてきて建造費が下がってきているとはいえ、空船を作るにはそれなりの資金と資材が必要になる。
魔道の力で船を空に飛ばせるという事は、そういう事なのだから。
飛竜の投入も考えたが、空船とは別の理由でだがやはり断念をせざるを得ない。機動性、攻撃力ともに飛竜の方が確かに高いが、数が少なすぎる。これから攻略せざるを得ない大陸ばかりに敵がいるわけではないのだ。
その具体的な攻撃能力よりも抑止力の象徴として存在する飛竜。それを軽々しく何もわからない地上へと投入することは出来ない。
皇は珍しく深いため息をついて椅子にその体を沈めた。今後に向けての方策なら多少は思いついたが、当面の取れる手段が本当に思いつかなかったからである。
ともあれ一人で考えていても仕方がないと、皇は立ち上がると執務室の外に控えていた侍従を呼び、同様の報告書が届いているはずの腹心……宰相を執務室へ呼ぶように伝えると長椅子に座り直した。
「とにかく打てる手は何でも打たなければ……」
先日崩壊した帝国……その島が堕ちた時期は予想されたそれよりもさらに一〇年も早かったらしい。
ならば皇国が存在するこの島が、予想よりも早く落ちる可能性も考慮に入れなければいけない。
対策は早ければ早いほどいいのだが、ともかく現状すぐに……少なくとも一〇年以内に効果を発揮しそうな手段を思いつけない。
皇都から離れた所に所領を持つある貴族……サーディス=ゴラン=エンドランツ男爵の奇矯な噂を皇が耳にするのは、それからしばらくしてからだった。
エンドランツ大陸侯爵が誕生し、巨大な人型機兵『森を征する者』がその一歩を踏み出した日……その日より七年程前の出来事である。
主人公より先に皇様登場という変化球もいいトコロな展開ですが、とりあえず次回でようやく主人公登場になります。
人型機械は……本編始まってからという事で……