1-15 馬鹿二人(下)
少女はまず最初に自身の両目を疑った。
いつも通りの朝の目覚め……しかし感じた違和感の正体にかが付いた少女は上着を着る手間も惜しんで窓辺に駆け寄り勢いよく窓を開け、そこにいた人物を目にして言葉を失ったのだった。
静音性を極限まで追求した、父自らが設計から組み立てまで行った小型刻印機関『ネムリガメ』。それを軸に、やはり父自らが完全に趣味を追求しまくって組み上げた、隠密性と速度性能に特化した騎乗型空船『夜来雀』。
それはかつて父が『敬意というよりも友情?ていうか共犯者?もしくは魂の友かな?』と、笑いながら語った相手であるこの国を統べる皇スヴェルランツ=ゲルト=フィルドネス=シュラウドネに贈ったものであり……つまりそれを操っている人物は、皇その人に他ならない。
遮光加工がされた風防眼鏡のせいでその表情は判らないが、恐らく間違いはないはずだ。
――……交差する剣と鍬の紋章を機首部に刻んでるんだから間違いはないでしょうけどでも……
咄嗟にあげそうになった悲鳴を飲み込んで、少女は冷静に目の前で浮遊している空船を観察し、疑問の一部分を自身に納得させる。
普段ならこんな近距離に空船を近寄らせるまで寝こけていることなどないのだが、研究塔で稼働している刻印機関と同系列であり、基本的にこの島の外部には存在しない刻印機関の魔力波動であったため、危機感が反応しなかったのだろうと……空船の接近に気が付かなかったことに対する理由をそう結論付けた。
問題はもう一つの方。
早朝――時刻はまだ朝の五時をいくらか過ぎた程度のこんな時間に、空船を駆って一〇歳とはいえ、またいくら成り上がりであるとはいえ仮にも侯爵の息女である自分の部屋にいきなり空船を横付けするその非常識。
その非常識を行ったのが、ほぼ間違いなくこの国の皇である男が行ったのだという事。
わざわざそんな非常識を行ったのだとしたら、そこには何らかの理由があるはずだ。
「……こんな時間にわざわざこのような場所にお越しいただくとは……理由をお聞かせ願いますでしょうか、陛下?」
多少言葉が刺々しくなってしまったのは、訪問時間と場所を考えれば致し方ない事だろう。
無論これが人の目がある所ならば、少女ももう少し人目を考えて取り繕ったはずである。
しかし、自分が気に入った人間にしか敬意を払わない父と、光翅族としての意識が強くヒト族の間で認識される階級といったものに重きを置かない母。そんな二人に育てられた上、建前だけでも身分制度が存在しない世界の記憶を持つ少女にとって、身分の上下などあまり重きを置く要素ではない。
一応人の目がある場所では、余計な波風を立たせないために十分礼節を伴った態度を取るように心がけているが、そうでない場合……少女の態度は時たまひどく辛辣になる場合がある。
例えば早朝早々に、窓の外から訪問を受けた時であるとか。
実際今、皇とみられる人物に対して取った口調、態度は最低限の礼儀に則っている。しかし少女の内心としては対応してあげているだけ上等、問答無用でふっとばされていないだけ感謝しろ、といったものだった。
そんな少女の内心に気が付いているのかいないのか。あるいは気が付いているのに面白がっているのか。
「早朝からすまんな、シェリーマイア=ロット=エンドランツ」
皇はそう言うと風防眼鏡を外し、鋭いながらもどこかいたずら小僧の様な眼差しで少女を見据えて声をかける
「朝駆けの最中に用事を思いついてな。一旦城に替えるのも何かと面倒なんで直接こちらまで来させてもらった」
「……左様でございますか」
少女はそう言葉を返すと、自身でもよく判らない対抗心……あるいは少女だと思ってやや侮るような雰囲気を感じ取ったからか……満面の微笑みをその幼い美貌に浮かべ、言葉を続けた。
「ではそういう事にさせていただきます。宰相閣下から連絡があった場合、皇が自ら一騎駆けでこちらに参られましたとお伝えいたしますので……それともこちらから連絡を差し上げた方がよろしいでしょうか?」
意趣返し、という程のものではないがその少女の言葉に皇は思わずその太い眉を歪ませ、少女はその反応に内心小さな笑い声をあげる。
わざわざこんな時間にこのような形で訪問をしたという事は、側近にのみ打ち明けてからやってきたのか、あるいは側近にすら何も告げずにやってきたのかの二択しかない。
「……意外と意地が悪いな、シェリーマイア嬢」
苦りきったその表情から察するに、恐らく後者だったのだろう。
「こんな早朝から女性の部屋の前に陣取る様な、非常識な方と比べれば可愛いものでしょう?」
「ぬ……それに関しては申し訳なく思うが……」
「まあ、いらしてしまったものは仕方ありませんが、こんな所から出入りさせるわけにはまいりません。どうせ誰もその空船に手を触れることはないでしょうから下に降ろして玄関前でお待ちください。着替えたらすぐに伺いますので」
「……その手厳しい所はリリアスフィーア殿にそっくりだな……」
ぼそりと呟く皇の言葉に、少女はわざとらしく大きく目を見開いて驚いてみせる。
「陛下がお母様の事を御存じとは知りませんでした」
「む……リリアスフィーア殿は一五年ほど前に行った空賊の大規模討伐で活躍されたからな。一〇年ほど前に不意に消息が不明になったかと思えば……エンドランツ男爵と結婚していたとは思わなかったが……」
「貴族の結婚は皇宮に連絡と許可が必要かと思っていましたが?」
「あれはもともと貴族同士が結託し、皇家以上の勢力を築くことを防ぐための方便だ。確かに届け出は必要だが、貴族同士の婚姻でない限りは書類の処理だけで済む話だな」
「なるほど……納得のいく話ではありますね」
とても成人前の少女と、この国を統べる貴人のものとは思えない内容の会話を一旦区切った少女は、改めて一見慈愛に満ちているかのように見える笑顔を浮かべて、話題を最初のモノに戻した。
「ともあれそんなお母様を御存じならば、お母様が手厳しい対応を取られる時の事をよくご存知かと思います」
「う……ま、まあよく知っている……」
「例えば、このような時間に押しかけてくるようなことをする殿方には、あまり容赦をしないのではないでしょうか?」
「……正直済まなかった……」
弱り切った表情で謝罪の言葉を漏らした皇に対し、今度こそ満足そうな微笑みを浮かべた少女はようやくそこで追及の手を緩めた。
一連の流れのどこを切り取っても十分不敬罪に問われるような内容だったが、幸いなことにこの場には少女と皇以外の人物は――母のリリアスフィーアは気が付いて放置している可能性は高いが――誰もいない。
皇が一臣下の娘に謝罪の言葉を漏らしたのも、その辺りを判っていての事だろう。
――あるいはお母様が絡んでくるのを怖がっているから……かも?
過去、母とこの皇の間に何があったのかは知る由もないが、恐らく頭が上がらなくなるような何かがあったのだろうことは、母の名を出した際の視線の揺れ具合からある程度は察することは出来る。
が、さすがにその点をつついてみる気は少女にはない。
普段はどこかおっとりとした母ではあるが、本気で起こった時の恐ろしさは身に沁みてわかっている。
闇夜に石を投げて、結果出てくるのが赤の飛竜では冗談にもならない。
「まったく……二年前のお披露目の時と、先日の遠話の際に受けた印象とここまで違うとは思わなかった……」
皇のぼやく声に、少女は小首を傾げて見せる。
「どのように思われていたのです?」
「噂話ではエンドランツ侯爵家の秘蔵の姫とか、才色兼備の小淑女とかか。空賊の殲滅を独力で行い父の事業をその歳で手助けしているあたり、それだけではないとは思っていたが……いや、所詮は成人前の少女と侮っていたことは素直に詫びよう」
「小娘なのは間違いありませんので、気にされなくても構わないかと思いますが」
「とても“たかが小娘”とは言えん気がするがな。ところでシェリーマイア嬢、一つ頼まれて欲しい事があるのだが」
「この小娘で出来る事であれば何なりと」
「そう絡むな。少女とはいえ女性に毛嫌いされるのはかなわん……まあ、そう難しい事ではない。朝駆けに出る際に弁当を持参するのを忘れてな……その、実のところいつ腹の虫が鳴きだすのかと先刻からひやひやしておるのだ……そのようなわけで、何か食べる物を所望したいのだが……」
大型犬が餌をねだる時の様な眼差しで見つめながらそう告げる皇の言葉に、少女は苦笑を漏らし、簡単なものでよければと返答を返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今朝から何度目になるのか、少女は深々と溜息をついた。
なんでこうなったのかは少女自身にもよく判らない。まあ、うまうまと丸め込まれてしまったというのが正しいのだろうが、それを認めると些か腹立たしいので少女は敢えてその事実を無視して眼前の光景に視線を戻す。
そこにあった光景は、巨人機械専用の機能試験場の中を縦横に飛び回る試作機『飛び亀』の姿だった。
「いいいいいいいぃぃぃぃぃやあああぁぁっっっふぅぅぅうううっっっっ!」
そして馬鹿みたいな声を上げているのは、その跳ね回る『飛び亀』を操っている皇の口から発せられているものだった。正直ここまで狂喜乱舞な状態になるとは予想もしていなかった少女は、若干引き気味にその光景を見詰めている。
「……ひょっとしたら馬鹿なんじゃないかと、ほんの少しだけ思っていましたが……」
地を蹴り、空を舞い、壁を走り急激な回転で身を躍らせる。
その技量だけを見るならば、現在ガードラント三級技師が指導している『訓練生』よりも遥かに上である。基本動作の講習を二〇分ほど受けただけとはとても思えない。
「さすがは『その武誉れ高き皇』という事なのでしょうけれど……」
少女は感心するのと同時にやや疲れの滲んだ表情を浮かべて『飛び亀』を見る。
「ひゃあっはぁあああぁああっ!最っ高だなこれはっ!」
寸劇に登場する野盗のような叫びを聞かされた少女は頭を横に振り、小さく息を吐く。あれでは『馬鹿みたい』ではなく、『馬鹿そのもの』だ。
しかしそんな少女の不敬極まりない内心など全く窺うことなく、皇はおもちゃを買い与えられた子供のようなはしゃぎっぷりで『飛び亀』を跳ね回らせる。
「はっはっはっはぁぁっ!凄いなこれはっ!巨人機械の動きは些か重苦しいものだったがこいつの取り回しの良さは別格だっ!限定条件下では空船に勝る機動性能だぞっ!しかしそうだな……もう少し高く跳ぶには……そうか!」
「陛下!?」
さらに動きが変わった『飛び亀』に、少女は先刻とは違う感情のこもった声を上げた。
「壁がなければ作ればいいのだな!」
そう声を張り上げながら皇は、『飛び亀』の機動に使われていない刻印機関の余剰魔力で防御壁――空船の交戦時に用いられる、物理攻撃をある程度防ぐ魔法障壁――を内向きに展開し、そこを足場にして更に大空へと駆け上がっていく。
無論『飛び亀』の様な砲弾や射出槍よりも遥かに質量のある物体を、防御壁が支えきれるわけがなく、ある程度の負荷がかかるたびに崩壊していくが、そのわずかな反動で巧みに機体を操る様は、皇にある種の適正……才能が存在していることを如実に示していた。
「あの激しい機動の中での“防御壁”の構築がもうできるようになるなんて……」
騎乗型の空船の操縦経験はあっただろうが、『飛び亀』の操縦は正真正銘今日が初めてのはずだ。なのに『飛び亀』の試験稼働中に自分達が考え付いた機動方法に自身で気が付き、実践してくるとは……父には劣るだろうが、それでも規格外なことには変わりない。
「さすがは我が魂の友。本当、皇陛下なんてやってるのがもったいない才能だよねぇ」
「……お父様……」
不意に聞こえてきた、相変わらずのんびりした父の声に、少女はげんなりした表情を浮かべたまま振り返った。
「おはようシェリー。わざわざ朝食作ってくれて助かったよ」
「おはようさん嬢ちゃん。また朝からえらい目に合ってるみたいだな」
普段と変わらないにこやかな笑いを浮かべながら少女に声をかける父と、跳ね回る『飛び亀』に一度視線を送り、苦笑交じりの挨拶をして来るガンドウ小父様の二人に、少女も頭を下げる。
「おはようございますお父様。ガンドウ小父様。別に、陛下が朝食を所望されたついでに作っただけでしたから」
「ああ、あの方普段毒見された後の冷めた料理しか食べられないからねぇ……泣いて喜んでたでしょ?」
「さすがに本当に泣きながら召し上がっていたわけではありませんが……それよりもお父様、小父様……」
少女の問いに、父親は苦笑を浮かべつつ頷き、ガンドウもあまり愉快そうでない笑いを口の端に浮かべる。
普段は領地経営やら皇宮との書類のやり取りを丸投げにしている二人ではあるが、さすがに今回のこの突然の訪問は気になるらしい。まあ普通の貴族が今回の様な事をされたら“気になる”程度の反応で終わるわけがないのだが。
「なんでこんな変則的な時期に一人でこの島にやってきたか……だよねぇ……シェリーはどう思う?」
「わざわざここに来るという事は、計画の前倒しを願われているのではないでしょうか?……理由は色々でしょうけれど」
『飛び亀』が跳ね回る音が響く中、娘から返ってきた言葉にエンドランツ侯爵サーディスは僅かばかり眉を顰め、ガンドウは節くれだった手で頭をかきながら、自身の考えを簡単に纏めて口を開く。
「まあ、恐らくシェリーが考えている通りだと思うよ」
「依頼主が技術屋の所に来る時は督促のためって相場が決まってるからな」
二人は同じ意味の言葉を、それぞれ違う科白で表現し、その答えに少女も小さく頷く。
「やはりレグニスラウムの件のせい……でしょうか」
「まあ、あれも原因の一つだとは思うよ?」
「いくつかの国でここでやってることの模倣が始まったという話もあるから、それも関係しているかもしれねぇな」
「新たな兵器と誤解する気持ちもわからなくはないけどねぇ……こんな障害物が存在しない浮遊島の上じゃ、中型の空船数隻束ねて手中砲撃すれば簡単に無力化できることくらい簡単に判りそうなものなのに」
エンドランツ侯爵はそう言うと肩を軽く竦めて見せる。
「ま、将来を見越せば有望な兵器にも見えるだろうさ」
「問題はその将来が甚だ不安定……そういう事でしょうか」
「だからこそ発破をかけに来たんじゃないかなぁ。レグニスラウムの崩壊のせいで、各国が大陸に目を向け出しているのかもしれない。皇国がかなり以前から大陸に関心を向けてることくらいはどの国も周知してるだろうし、正直変な横槍を入れられる前に、大陸にある程度の直轄領を得ておきたいんじゃないかな」
「恐らくそんな所だろうよ。大公国の辺りはかなり躍起になって、ここの情報を集めてるらしいしな……で、とりあえず坊主、お前さんはある程度の形を整えるまでにどれくらいかかると思う?」
ガンドウが発した古い呼びかけに方にエンドランツ侯爵は苦笑を漏らし、それから『飛び亀』に視線を向け、言葉を返した。
「三年てところかな」
その言葉を妥当なものと判断したのか、ガンドウは軽く肩を竦めて答えを示す。
「第三世代機はもう試作機の組み立てに入ってる。不具合の洗い出しに一年、ある程度の数を揃えるのに二年。その間に『飛び亀』の量産と兵装の研究を進めておけば、三年で何とかある程度は形になると思うんだ」
「……確かにうまく進めば……ですけれどもでも、それだと時間的な余裕がほとんど取れないと思います。どこかで躓いたら取り返しがつかなくなるかも……」
父の言葉を肯定しつつも、少女は難しい表情を浮かべる。父から概要だけは聞かされている皇国首脳部……具体的には企てている大陸の開拓計画と、その際に相手取らなければならないだろう謎の巨大生物。準備をし過ぎるという事はないだろうに、
「ま、技術屋は無茶振りされるのが仕事だからさ。な、ガンドウ?」
「一番無茶振りしやがる手前ぇにだけは言われたくはないがな……まあ、現状何時この島も落ちるか判らねぇからな。計画の前倒しは悪い事ばかりじゃねぇさ。ところで……」
ガンドウは言葉を切ると、未だ試験場の中を飛び跳ねまわっている『飛び亀』を見据えて呆れ半分怒り半分が混ざり合った声を漏らした。
「いったいいつまであの馬鹿は遊んでやがるんだ?」
久々の更新です。
書いててなんですが、皇陛下も大概な馬鹿な気がします。が、メカに乗ったらはしゃいでしまうのは男の性という事で一つ。
本文中に出てきた大公国は1-3で出てきたアーキエルデ型小型刻印機関の製造と開発をしているタールメイヤ大公国になります。人型機械の情報を探ってる理由はそのうち本編で……出るかな?