1-14 馬鹿二人(上)
皇国シュラウドネの皇族が住まう場所である皇邸。
その役割は他国とそれほど変わらない。皇が政務をとり、官僚が様々な書類仕事をこなし、皇族が生活する。
細かな点を割愛するならば、以上の様な日常を繰り返す場であることは相違ない。
ただその皇邸の造りは他国と比べて一風変わっている。
他国の皇城、王城と呼ばれるそれらはその名が示す通り、基本的には戦闘に転用できる“城”であり、四層五層の複雑な構造を持つ高層建築物であることは間違いない。
しかしここシュラウドネにおける皇族の住まいは“皇邸”という呼び名が示す通り、敷地面積こそ広大ではあるが、城とはおよそかけ離れた複数の平屋の建築物で構成されている。
皇が執務を取り、謁見の間を備える“皇殿”こそ二層造りであるが、その他の建物は全て一層平屋の建物ばかり。各建物は渡り廊下や玉砂利が敷かれた歩路で繋がれ、建物同士の間には築山山水が配されている。
おおよそ戦というものを考慮しない造りであるが、皇邸を作り上げた先代の皇である“練武皇” シャルディエット=エルド=メイディエス=シュラウドネ曰く
『空船に攻撃されたら城壁なんて意味ないだろう?』
との言葉により、現在の形で皇邸が造営されることになった。
無論空船の攻撃に対して“城”が完全に無力であるわけではないのだが、その建築にかかる費用を鑑みるとそれほど有効な投資とは言えない。
結果“皇邸”は現在の形として造営されることになったのである。
ただし戦に対する備えを完全に放棄したわけではなく、かつての城が有していた機能の大半は“皇邸”の地下へと移管されている。一朝有事があれば地下約二〇~三〇エルド(約三〇~五〇m)に設けられた施設に政治機能を移して戦に臨む態勢が取れるようになっている。
ともあれそんなシュラウドネ皇邸の皇殿へと繋がる渡り廊下を、皇国宰相メレ=シディルは本日処理すべき書類を傍付の執務官に持たせ鷹揚とした調子で歩いていた。
レグニスラウム崩壊に伴う余波でこのところ雑事が増え、睡眠時間も大幅に削られているが、だからこそ朝のこのひと時を宰相は大事にしている。皇邸を囲む庭は他国に比べて控えめ……あるいは地味な造作であるが、それ故自然の香りが色濃く残る造りになっている。若い頃は物足りなさを感じた築山山水であるが、それなりに人生の年輪を重ねてきた今ではその地味な造作が心地よく感じられる。
そんな庭を眺めて英気を養い、皇が訪れる前に執務室へと伺い、皇の執務の準備を整えることが日課であり、日常であるのだが……今日は少々様子が違っていた。
いつも通りに皇殿へと入り、いつも通りに最も奥まった場所に設けられた執務室へと入り、いつも通りに部屋の中に視線を巡らせると、いつもとは違うものが視界に入る。
「む?」
その、いつもと違う要素である紙片……精緻な技法で白の飛竜を掘り込んだ、握り拳ほどの大きさの白黎石の文鎮で押さえられた紙片を手に取った宰相は、そこに書かれていた走り書きを目にして息を詰まらせた。
――ちょっと行ってくる――
それだけ書き記された一枚の紙片。
その紙片を震える手で握りしめたまま身体を震わせていた宰相は、やがて身体の震えを止めると皇殿すら震わせるような怒声を張り上げた。
「また逃げ出しおったかあの洟垂れ小僧がぁぁっ!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巨人機械開発現場である皇国魔道機研究第三塔の朝は意外と早い……というよりも基本的にこの施設は二四時間体制である。
その主な業務は無論巨人機械開発に関する研究であるが、その他にも使えそうな技術や思い付きがあれば現場の最高責任者である金剛族の男、ガンドウに申請し各自に割り当てられた業務に支障がない限り自由に研究、開発を行ってよいことになっている。
その研究内容は刻印機関の改良、装甲板の加工技術の改良、より効果の高い魔法刻印の開発から、効率的な燻製作成機械、強度の高い硝子の作成、荷車牽引用の低空飛行に機能制限された騎乗型空船までとおよそ節操がない。
もっともその節操のない研究の中から簡易型の巨人機械と呼んでよい『飛び亀』の基礎概念が出来上がったり、第一世代機に試験搭載された多重関節腕の基礎理論がもたらされたりするのだから侮れない。
『結局何でも作ってみなくちゃわからからねぇんだよ……グダグダ言う前に製図して削り出して組み立てやがれ』
現場の最高責任者であり、皇国でも有数の技術力を持つ事を保証する称号“導師”の位階を持つガンドウ=ガルズバンが常から言っている言葉が先のものであることからして、現在の現在の混沌とした状況は確定していたのかもしれない。
その、一種の不夜城である研究塔の一室。
今朝方シェリーマイアと会った際に手渡された荷物を片手に下げながら、入った部屋の中で見つけた者にガンドウは最初大きく目を見開き、ついで開けた目の分だけ大きなため息を一つついた。
「……何してやがるこのウスラ木槌」
一応研究開発がその主目的である建物とはいえ、さすがに責任者のための部屋くらいはある。
総責任者であるサーディス、現場責任者であるガンドウ、そして意外なことに書類仕事をそつなく熟すという稀有な才能を有していたことから、秘書もどきの仕事を押し付けられたガードラント。
その三名が使用している管理者室の中にいたのは、リリアスフィーアとシェリーマイアの二人が一日おきに代えている花瓶の花、その花弁を口に咥え、シェリーマイアが知人から頂いたという観賞魚の水槽の中に両腕を突っ込んでいるという、端から見るなら馬鹿以外の何物にも見えないエンドランツ侯爵サーディスの姿だった。
「……そんで結局晩も朝も食いモン抜きってわけか」
ガンドウが腰に巻いている工具入れの中に常に忍ばせている香蜜飴。押し戴くように頂いたそれを口の中で転がしながらサーディスは小さく頷いた。
「で、ひもじくて花瓶の花を喰っていた……と」
「ああ」
「で、まさかとは思うがお前……あの水槽ン中の魚も食おうとしてたのか?」
「いや、まあ……焼けば食えるかな、と」
「お前、あの魚は嬢ちゃんが街の奴から譲ってもらったもんだって忘れてないか?」
ガンドウの言葉に、サーディスは今更のように表情を引きつらせ、それを見てガンドウは盛大にため息をつく。
「大体腹が減ってんなら町まで食いに行きゃあいいだろうが。それくらいの金は持って歩いてるんだろう?」
「……財布持ってると無駄に使うからと言って、リリアに取り上げられた……」
「……一応侯爵様なんだから、街で飲み食いする分にはツケぐらいきくだろう?」
「前に一度それやったのがばれてて……今回はシェリーが街に通達出してて……ムリだった」
「相変わらずあの二人は無駄に徹底してるな」
かつて『蒼穹の魔女』と呼ばれたサーディスの妻であるリリアスフィーア。
普段は朗らかでたおやか、どちらかというと細かなことにもよく気が付くおっとりとした性格なのだが、一度目標を定めると迅速果断。かつ目的のためには人道に反しない限り手段を択ばない所がある。
「……まあ、だからこそこのいい加減な男の嫁にはよかったのかもしれねぇが……」
そのリリアスフィーアの娘であり、母の血を色濃く受け継いだシェリーマイア。
彼女もその見た目と物腰だけ見ればわずか一〇歳であるという事が信じられない、立派な振る舞いを身に着けた淑女であるのだが、やはり一旦こうと決めると断固として物事を為そうとする頑固さがある。
しかもリリアスフィーア以上に厄介な搦め手を、意識的にか無意識的にか使ってくるのだから……正直あの娘と結婚する男は誰であれ、尻に敷かれるのは間違いないだろう。
現に今目の前に、完全に行動を読まれている男がいる。
「……とりあえず、魚を喰わなかったのは正解だったな」
ガンドウはそう言うと、今朝方ここへ来る前にサーディスの娘から預かった荷物を机の上に置いた。
「もし食ってたら向こう一〇日ぐらいは口をきいてもらえなかったところだぜ?」
「……これは?」
「嬢ちゃんから預かったもんだ」
月下皮樹から削り出した細く長く白い短冊で編み上げた蓋付き籠。その中から微かに漂う香りに、サーディスは思わず鼻をひくつかせる。
「花を齧るくらいならいいが、魚まで食ってたらお預けにしろって言われてたが……水槽に手ぇ突っ込んでたことは見逃してやるからさっさと食っちまえ。厄介な客が来てるから相手をしてもらわなきゃならん」
「……ひゃっはいなきゃふ?」
伝える言葉が終わる前に籠の蓋を開け、中に入っていた丸麺麭を横に切り分け、その間に葉物野菜やタレを絡ませ焼いた肉を挟んだシェリーマイアのお手製らしい即席料理。それを手にし、齧りついていたサーディスがもごもごと言葉を返すさまをガンドウが冷めきった眼差しで一瞥する。
「厄介な客?」
その視線にさすがに気圧されたか、サーディスは口の中の物を無理矢理飲み込むと改めて尋ね返す。
「まあ、厄介というよりも面倒な客というか……ったく、いい加減落ち着きゃあいいのにフラフラしやがって」
「ああ、我等が出資者様がいらしているのか……何で?」
「知るかよ」
「そりゃまあそうか」
「……まあ、あれがここに来る時は面倒事しか持ちこまねぇ……そいつだけは間違いないだろうよ」
「面倒事か……やっぱりレグニスラウム関連かな?」
「連中を巻き込むのはもう既定路線にしてるだろうさ。何のために昨日模擬戦なんかやらせたのかくらいわかるだろう?あれだけで恐らくあの主祭司の嬢ちゃんは正解に辿り着くだろうし、結果この計画に一口噛んでくる事になるだろうしな」
「迂遠かつ陰険だよねぇ……考えたのは陛下かな?宰相閣下かな?」
「思いついたのはあの落ち着きのない皇陛下だろうよ。図面を引いたのはあのクソ爺だろうがな……まあ、今回こっちに来たのはどうせ奴の気まぐれだろうがな」
「あの方も大概落ち着きがないよねぇ」
「……お前にだけは言われたくないと思うぞ……ほれ、食い終ったんならそろそろ行くからな?」
「はいはい」
指先についた肉汁を舌で舐め取ると、サーディスは立ち上がった。
「ま、何を言われても僕のやることは変わらないだろうけどさ」
こんなサーディスを尊敬してるシェリーはやっぱりどこかずれてる気がしてなりません。
基本的に浮遊島世界なので、地面を掘るという発想はあまりないので、皇邸地下施設はかなり例外的な存在です。
ちなみに国家間戦争というものは空船の普及により減少していき、現在はほぼ行われていません。
相手国の首都を直接叩ける攻撃手段である空船の存在は、その攻撃力はともかく影響力的には大陸間弾道弾に等しいので、結果として戦争といった手段を取り辛くなった感じです。
なにしろ後先考えなければ(つまり負けそうになったら)持てるだけの空船ごと相手国の首都、あるいは居城なりに特攻かけて共倒れを狙えるわけです。(無論その間搭載兵器であたりに攻撃しまくるでしょうし)