1-13 夜の帳の下で
2012/05/16:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
「はぁ……」
何度目になるのかわからない、深いため息をつくエンドランツ侯爵サーディス。ため息をつきながらも操機室の壁面内部に仕込まれた魔力受容機器、魔力変換機器、各種の呪印が施された魔力刻印板の確認作業および、破損個所の修復に関しては一切の滞りを見せない。その手際の良さは研究塔における技術者の位階こそ得ていないが、導師であるガンドウに勝るとも劣らないと言える。
が、その陰々滅々とした雰囲気はこの上もなくうっとおしい。
「はぁぁぁぁぁ……」
「いい加減にしやがれ! 玄瀬蟹の甲羅みたいなツラしやがって……こっちまで気が滅入っちまうだろうが!」
何度目かの溜息に、第二世代機の下半身の整備監督をしていたガンドウがいい加減頭に血を登らせ怒鳴り声を上げると、ついでに手に握っていた木槌をぶん投げ……サーディスの頭に命中し、中身が空っぽそうないい音を立てる。
「……っっっっいきなりなんてもの投げんだ髭オヤジ!」
「どやかましいわっ!娘に平手喰らったくらいで三時間もうっとおしい空気醸し出してるんじゃねぇっ!」
顔を真っ赤にして操機士室の中から声を張り上げるサーディスと、第二世代機の足元でそれよりも大きい怒声を上げるガンドウ。
そんな光景にもいい加減慣れた周囲の技術者達は、その大人げないやり取りを無視して自分達の作業を黙々と続けている。何しろ下手に関わったらどんなとばっちりが来るのか判らないし、何より作業の手が遅れればよくて残業悪くすれば徹夜作業になる。無視するのが賢明と、そういうことだ。
「おまっ……シェリーに嫌われたかもしれないんだぞ!?」
「自業自得だろうがこのすっとこどっこい!あの最後の機動はさすがに嬢ちゃんが怒るのも無理ないだろうが!」
「……いや、だって……出来ると思ったんだし……大体!お前だって今回の操機士室周りの改装でこいつがあれくらいできるってわかってただろう!?」
「……お前、改装の内容嬢ちゃんに言ってないだろう?」
「それが何の関係がある!」
「改装前の操機士室で今回みたいなことやらかしたら下手したら死んでたって言ってるんだよこの空樽頭!」
「な痛ぁっ……!?」
怒鳴るのと同時にガンドウの腕が再び動き、今度は測距用の道具である水平儀を投げつけ、それを額で受けたサーディスが思わず苦鳴を上げた。
「ちゃんと事前に話をしてなければそりゃ心配するだろうよ。で、慌てて駆けつけてみりゃあ、嬉々として改装自慢始めやがって……嬢ちゃん涙ぐんでたのに気が付かなかったのか?」
呆れたような声で告げられたガンドウのその言葉に、サーディスは今更のようにはっとして口を閉ざし……ポツリと言葉を漏らした。
「……気が付かなかった……」
「このうすら馬鹿が……大体どうして説明してなかったんだ? 事前に改装カ所に関しては説明することになってただろう? ど忘れでもしてたのか?」
「いや……ちょっとびっくりさせてやろうと思ってつい……言いそびれたというか」
「一〇〇回死んで来い」
ガンドウは冷めきった眼差しを一応は上司という事になっている男に向かって送り、端的に感想を述べると、大きくため息をついてから声を張り上げた。
「そんなわけで手前ら! 今日の残りの作業はこの馬鹿に全部やってもらうことになったから帰っていいぞ!」
「ちょ……ガンドウっ!?」
「お前はとりあえず機体の疲労検査終わらせろ。さすがに破断箇所の修復までやれとは言わねぇから安心しろ」
「安心できるか! いくら今日やる分は疲労検査だけだっていっても一人で二体分はすごい時間かかるしっ!?」
「うるせえ。これは嬢ちゃん泣かせた罰なんだからしっかり働きやがれ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
軽快な音を立てて泡立てられる卵白。粉砂糖を混ぜたそれが軽く角が立つ程度に攪拌出来た事を確認した少女は、小さく頷くとすでに用意してあった粉砂糖を混ぜ、練乳状にした牛酪が入った深底鉢に半分ほど投入。
ほどよく馴染ませると今度は適量の薄力粉を入れ、更に混ぜ合わせる。十分に馴染んだ頃に泡立てた残りの卵白を投入し手早く攪拌。
出来上がった生地に、ようやくその不機嫌そうな表情をわずかばかりに緩め、少女は防水加工された紙でできた絞り袋に生地を入れ、竈に入れる鉄板の上に敷かれた調理用の薄紙の上に慎重な、しかし手慣れた手つきで生地を絞り出していく。
最後に綺麗な円形の生地の上に、薄紅色の干した果肉の薄片を乗せ、温めておいた竈に生地を乗せた鉄板を入れ、蓋を閉じた。
大小さまざまな六つの月が浮かぶ夜空。
全ての月が同時に天球に存在する珍しい夜ではあるが、その六つの月から放たれる強すぎる月光のせいで星の輝きが遮られているのは、異世界の記憶を持つ少女には些か風情がないようにも感じられる。
時たま母と共に開く夜間のお茶会。
自分が今その場にいることを思い出した少女は軽く頭を横に振り、小さく溜息をついた。
「……正直今回ばかりはお父様には呆れました」
甘蔓を煮出し、プルムナ……少女の記憶で照合するなら桃に似た果実の汁と牛乳を加えた甘味湯。その仄かな香気を漂わせる飲み物を淹れた湯器を両手で抱えながら、少女は囁くようにそう零した。
少女が自作の焼き菓子を甘味湯の供にして、寛ぎつつも少々落ち込んでいる場所は、エンドランツ侯爵邸がかつての兵舎であったことを示す名残ともいうべき、屋上に設けられた見張りの兵のための休憩室だった。
四本の柱に簡単な屋根が載せられただけのそこは、このエンドランツ侯爵領であるコーレリア連島の中でも最も見晴らしの良い場所であり、少女が自分の部屋の次に気に入っている場所でもある。
侯爵位の貴族が使うにはやや無骨な、兵舎時代の名残である円卓と、同じく造りだけはやたらしっかりした……双子の弟妹達の悪戯程度ではびくともしない程度には頑丈な椅子。
成人男性である兵士が使う、その大きな椅子に小さな身体を委ねるそんな愛娘の事を見詰めていた、エンドランツ侯爵夫人である光翅族の女性リリアスフィーアは苦笑しながらも、娘に問いかける。
「一応経緯は聞いたけど……そんなに驚いたの?」
母のその問いに、少女は小さく頷き口を開く。
「その時はただ、また勝てなかったと思っただけでした。それでいつも通りにお父様が行った巨人機械の機動を自分に置き換えて考えてみたんです……」
それは第二世代機を操り、父との模擬戦が終わるたびに行っていた習慣だった。第一世代機の操縦方法と第二世代機のそれは大きく違うが、どういった仕組みと意図で機動を行ったのかという事を振り返ることは、巨人機械の改良には必要なことであり、そしていつの日か父を超えるためには必要な復習でもあった。
「……本当に、ぞっとしました……」
レグニスラウムの生き残りであり、レグニス教徒の頂点に立つ女性である主祭司様に見せるために行った今日の模擬戦。その最後に父が操る第一世代機が見せた機動……あれは思い返してみるとそうだが、はっきり言ってしまえば滅茶苦茶だった。
その全高一五ロード(約二二m)を越える巨人機械に側転をさせるなど、思いついたとしてもいったい誰が実行するというのか。
いざとなれば自力でかなりの強度を持った身体強化を行える、あるいは“膜”と呼ばれる防御魔法を展開することができる自身とは違い、父はほぼ魔法を使うことができない。
無論人並みの魔力は保持しているのだから、きちんと練習を積んでいれば身を守るための最低限の魔力の行使はできないわけがないのだが……『時間がない』の一言で、魔法理論の勉強以外はすべて放棄してきたというのだあの父は。
そんな、最低限身を守るための術すら持たない父があの場面であんなことをしたという事が、少女には信じられなかった。
多重関節で構成されているせいで、第二世代機よりも遥かに長い腕を持つ第一世代機。その長さと関節間の遊びのおかげで胸部にある操機士室が、最も回転加重の少ない移動軸線上を滑るように移動したのだが……一歩間違えば常人ならばとても耐えられない上下動に巻き込まれていたはずである。
そのことに気が付いた少女は思わず背筋を震わせた。あの父が、そんな無謀を行った事に……何かがどこかで狂ったら今日、父は大怪我……あるいは命を失っていたかもしれないという事に少女は言いようのない不安を覚え、模擬戦終了後にとにかく何かを言ってやろうと思い、父に駆け寄ったのだが……
「……まさか対策済みだったとは思いませんでした」
完全に座った目で彼方を見詰める娘に、母は思わず頬が引き攣りそうになるのを必死になってこらえる。そして自分の夫が一体何をしたのか何を言ったのか……簡単に予想がついてしまい、心の中で小さく溜息をついた。
恐らく間違いなくあの機械馬鹿は、嬉々として新しい機能を説明したに違いない。事前に第一世代機と第二世代機の改装改造箇所は話しておくことになっていたはずなのだが、それをしなかったというのは……
「……驚かす為だけに黙ってたに決まってるわ、あの馬鹿……」
胸を張って愛していると言える大切な夫ではあるが、そういったどうにも子供っぽすぎる点がままある。普段なら微笑ましいの一言で流してしまうのだが……さすがに今回は後で一言釘を刺しておかなければならないだろう。
「……でも」
一体どういった折檻をすればいいのか考えを巡らせ始めたリリアスフィーアの耳に、娘の小さな、しかし安堵したような呟きが届いた。
「でも?」
「お父様が無事でよかったです……その、最後に思わず引っ叩いちゃいましたけど」
「思い切り?」
「思い切り、です」
「そう」
それだけ言葉を交わすと母娘はどちらからともなく、小さな笑い声を漏らす。
「とりあえずサーディスの朝食は抜き、でいいかしら?」
「よろしくお願いしますお母様」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エンドランツ侯爵領唯一の街であるラーセ。
その町は不意に訪れた避難民により大きく賑わっていた。故郷を失った人々には申し訳ないかもしれないが、その理由が何であれ突然大量の来訪者が訪れれば町が賑わいを増すのは道理である。
通常ならば着の身着のままで逃げだした避難民が財貨を多量に持ち込んでいることは考えられないが、領主である侯爵家から出来るだけの便宜を図ることと、よほどの事がない限り避難民が購入する物資の代価は侯爵家が持つという通達が同時に届いている。
まさしく商売時と言えるだろう。
もっとも、エンドランツ男爵を慕ってこの島に移り住んだ者がほとんどを占めるこの街の住人ならば、そんな通達がなくとも出来る限りのことをしようとしただろうが。
「聞くと見るでは大違いとは……よく言ったものですね……」
逗留先に指定された宿の一室。質素ではあるが品の良い調度が整えられたその部屋の中、天蓋こそないが十分以上に手の込んだ寝台の上で夜着に着替えて寝転んでいたレグニス教徒の長である主祭司クオレリアは、昼間見せられた光景を思い出し小さく声を漏らした。
皇国が新しい兵器を開発している。
それは数年前から公然と各国で囁かれている噂だった。
今までにない強力な兵器……それは超長距離を狙撃できる投槍機であると言われることもあれば、整備不要の刻印機関であるとも言われ、あるいは都市の人口全てを乗せることができる規模の空船であるかもしれない。
そんな囁きであったが今日見たあれは、その何れとも全く違うものであった。
人の形をした巨大な機械仕掛けの騎士、その姿はまさに圧巻であったが……
「……あれは本当に兵器なのかしら?」
未だ開発途上らしく、遠距離攻撃用の手段を持たないあれが囁かれていた“兵器”という言葉にどうもうまくあてはまる気がしない。
確かに巨大な人型の機械騎士の姿を見たならば、その異様さに最初は戸惑うだろう。あるいは恐慌に駆られるかもしれない。
しかし、それだけだ。
最後に見せた白い巨人の動きは確かに目を見張るものではあった。まるで人が行うような滑らかな動きはそれが、人が作り上げた巨人の動作であると考えるのならば驚嘆すべき物であっただろう。
だが、だからどうしたというのだろう?
いくら機敏に動けたとしても、大型の空船を多数動員して行われる集中砲撃の前ではそれは全く意味をなさないだろう。あの巨体では身を隠せる物など殆どないだろうからなおさらだ。
「つまり……あれは兵器じゃない?」
ふかふかの枕を両手に抱きしめ、浮かんだ疑問を零す。
少なくとも浮遊島世界を支配する国家同士の戦闘で、使用することは想定されていない。あれが使用されるその想定する戦場は――あれが兵器だと仮定するならば――浮遊島世界ではない。ならばどこか。あの機敏に動く巨体がその力を発揮する場所は、すなわちあの巨体を隠せるほどの遮蔽物が存在し、空船がその優位性を発揮できない場所。あるいは空船の使用が躊躇われる場所。
「……まさか……大陸?」
自分が漏らした言葉に、クオレリアは思わず絶句した。
別に禁則地とされているわけではない。しかし古来より冒険心溢れる人々を飲み込みそして、一人として帰ってきたことがない事から不可侵とされてきた大陸。巨大な木々が生い茂るあの大陸で使用することを考えるならなるほど、あの巨大さも人型をしていることも納得がいく。
仮定に仮定を重ねることになるが、皇国がやろうとしていることはつまり……
「大陸への移住? いやでもまさか……」
あの大陸を調査しようという動きは過去に何度もあった。不可侵という話が独り歩きしているせいでその数こそ少ないが、計画もされたし実行もされてきた。
しかしその度に失敗、全滅、生存者なしという記録だけが積み重ねられてきたはずだ。者祭司職に就任した際に閲覧を許された記録の中には数年前、皇国が数回調査隊を送りやはり失敗したという記録もあった。
もしかしたらその時、あの大陸に存在する謎の一端を手に入れたのではないか?
巨人機械の開発自体はエンドランツ男爵の道楽として、続けられていたらしいことは掴んでいる。それが四年前、どういった功績があったのか突然エンドランツ男爵がエンドランツ侯爵になり、その時点で他国にも噂になりつつあったエンドランツ男爵の道楽の噂がぱったりと聞かれなくなったのだ。
「……もしそうならば……」
クオレリアは親指の爪を噛み、虚空を見据える。
もし皇国が大陸の開拓を行おうとしているのならば、レグニス教徒に対して……具体的には自分に対して何らかの要請を行ってくるだろう。そしてそれは、よほどの事がなければ断れない内容に違いない。
何しろ皇国は逃れてきた避難民に対して皇家の所有する浮遊島の一つを解放、新たなレグニスラウムとして活用して欲しいとの声明を発表している。
要請を拒否したからと言ってその言を翻すことはないだろうが、それでもその要請を断りにくくするための地歩を着々と固めつつある。
「……いずれにしても、結論は皇との面談の後……そういう事かしら」
明々後日には皇都シュラウセンへと移動することになっている。皇との面談は、その翌々日あたりだろうか?
いずれにしろクオレリアとしては信徒達を守るための方策を、面談の前に考えなければならない。
「かといっても、こちらが切れるモノなんてほとんどないのよね……」
以後数日は悩むことになるだろうことを思い、クオレリアは深くため息をついた。
GWと書いてGIRIGIRIまでWORKINGと読みます……とは誰が言ったのか。
サービス業って連休中休みないというかむしろ忙しい?……いや、連休終わっても休みがあるわけではゲフンゲフン
ちなみにシェリーが作っていた焼き菓子はいわゆるラング・ド・シャ。……残った卵黄をどうしたかは不明(笑)
玄瀬蟹
ヤシガニみたいな外見の一種の沢蟹。その黒い甲羅には特徴的な三つの歪んだ円形模様がある。見る者の不安をあおるようなその微妙な円形のせいで敬遠されがちな蟹だが、その身はよく締まっており、吸い物の具材として供されることが多い。




