1-11 波紋
2012/0426:誤字修正・ご指摘ありがとうございます
執務室に据えられている皇の座である御座に腰を下ろし、皮肉気な笑みを隠そうともせずに陳情を聞いていた皇国シュラウドネの頂点たる皇、スヴェルランツ=ゲルト=フィルドネス=シュラウドネは、陳情の言葉が終わるとむしろ楽しそうに言葉を漏らした。
「つまり貴公等はこう言いたいわけだな? 『正式な調査はこれからだが、浮遊島が落ちる原因は過剰な魔力の放出によるものと考えられ、その為には人口の抑制、あるいは強大な魔力を持つ者の処分が適当である』と」
自身の叔父であるエーデリア=スラウ=シュラウディア公爵を筆頭とする陳情団の長々とした、かつ婉曲表現に満ち溢れた迂遠なこと極まりない訴えを短く纏め上げた皇は表情はそのままに、陳情内容をではなく“なぜそのような陳情をこの忙しい時期に持ってきたのか”について考える。
あからさま、そう評していい内容が示しているモノは……考えるまでもない。
彼らの狙い、それは恐らくエンドランツ侯爵の失脚。
『強大な魔力を持つ者』とは迂遠な表現だがそれは間違いなく、人間の数倍の魔力を生み出し、場合によってはたった一人で赤の飛竜と互角に戦える力を持つ、光翅族の事を指すに違いない。
何しろ皇国には、この世界で最大の光翅族が住む自治領が存在するのだ。
現在より七〇年ほど昔、光翅族の生地であるヒューロニクス崩壊により生活の場を失った光翅族を受け入れたことによりはじまるその自治領には、混血も含めて現在一万人ほどの光翅族が生活している。
彼らに対する『処分』とは、すなわち皇国外への追放か……さすがに処刑まで口に出す覚悟はない、おそらくはだが。
そして皇国で最も高名な光翅族といえば、エンドランツ侯爵サーディスの妻である『蒼穹の魔女』リリアスフィーア、そしてその娘であり、混血であるのに既に三対の翅を持ち将来的には母を凌ぐ魔力を持つ事になるだろうと言われているシェリーマイア。
もしこの二人も皇国外への追放となった場合、夫であるエンドランツ侯爵にも何らかの責任を取らせようという動きが必ず出てくる。いや、あの男の事だ。自ら巨人機械開発から手を引き妻子と共に何処かに流れていくことを選択するだろう。
下手をすればガンドウ=ガルズバン……皇国で最も豪胆で繊細な技術を誇る、エンドランツ侯爵よりも年嵩の友人であるあの男も、共に姿を消すかもしれない。
皇国魔道機導師というその地位も枷になりはしないだろう。あの男がその地位に就くことを承諾したのは偏に侯爵の……男爵時代には道楽であった巨人機械作成のための材料購入に便宜が図れるから、ただそれだけの理由に過ぎないのだから。
――あるいはそっちの方が狙いの可能性もあるな……
主神以外の四柱の神々が抱えるそれぞれの祭司ども、そのいずれかが画策したか、あるいは帝国に続き、人口ではないが膨大な信徒を抱えるレグニス教徒の要であるレグニスラウムの崩壊により、この世界で最も強大な存在となった皇国に危機感を覚えたいずれかの国からの干渉があったのか。
あるいはもっと迂遠な計画……エンドランツ侯爵とガンドウガルズバンを手中に収めんとする意図すら想像することができる。
――レグニスラウム崩壊を好機と見たか
いくら情報を統制しようとも、エンドランツ侯爵が携わる計画は、皇国のそれに組み込まれてからでも四年、準備期間を考えれば一〇年、男爵時代の道楽から考えれば実に二〇年もの間進められているのだ。
それなりに情報が漏れだしていることは間違いないと思っていい。
――普通に考えれば確かに『新しい兵器』を開発していると思われても仕方がないが……
それは一面の真実でもあり、断片的な情報をまとめ上げれば恐らくはそう結論付けられても仕方がないともいえる。
その新しい『兵器』を自らも手に入れるため、その中心人物を穏便に……例えば国から追放された者に便宜を図る様な体裁を整えた上で手中に収める。そう言った事を考え付いた何処かの陣営が囁く何重にも偽装が施された甘言が、この目の前の凡庸な貴族……代を重ねた事以外に誇るべき点のない貴族どもの耳に注がれた可能性さえ考えながら、皇は小さく溜息をついた。
――仮にそうだとしても……侯爵排除に動くのは、今更過ぎるだろう
誰に吹き込まれたのか知らないが……今さらな話を持ち出したこの叔父達に向ける皇の視線がより厳しいものへと変わる。
巨人機械の開発は確かに第三世代機の開発の目途が立ったことで、一応ひと段落したと確かに考えてもいいだろう。
ある程度の道筋が立ったのだから、侯爵を排除して誰かが後釜に座ったとしても計画の進捗に顕著な影響は出ない、そう考えたのだろうこの愚か者どもは。
並べ立てられた理屈はなるほど、確かに一応の理屈は通っているかのようにも見える。
人よりも遥かに強い魔力生成能力を持つ光翅族の住んでいた島ヒューロニクスが最初に失われたことはなるほど、その通りと思わせるかもしれない。
しかしそれならば人並みの魔力しか持たず、面積に対する人口比が低かった金剛族の島コンフォートレットが落ちたのは何故か?
三対の翅を持つ光翅族に匹敵する魔力を持つ、赤の飛竜を頂点とする知恵ある飛竜達が住まう赤の島がいまだ落ちていないのは何故か?
ヒューロニクス崩壊に伴い各地に散った光翅族……その大多数を受け入れた皇国が未だ健在なのに対して、受け入れを拒絶したミレイド帝国が海中へと没したのはなぜか?
――むしろ原因を考えれば、刻印機関の放出する魔力の方に問題がある可能性が高いだろうに……
それでも原因の一つと数えられるだけだろう。
「せめて正式な調査を行ってから陳情に来い」
長々と考えた末、皇はそれだけ言い放つと右手を振り、退室を促した。
どちらにしろこんな憶測と希望的観測に塗れた陳情など聞くに値しない。せめて数字くらいそれなりに整えてくればこちらの動きも縛られるだろうに、その程度の事も出来ない一団には呆れるしかない。
レグニスラウム崩壊からまだ二日だ。避難民の受け入れこそとりあえずは完了したが、やらねばならない仕事はまだまだ残しているし、これからも増えていくことだろう。
正直愚か者どもの妄言に付き合っている暇はない。
それでも公爵は何事か言い募ろうとしたが、完全に興味を失った皇が宰相を呼び、執務を再開したところでさすがに諦めたようだった。
略式の礼を行い、背中を向けて退室しようとする集団、その背中に声がかけられたのは執務室の扉に一行の中で最も身分が低い子爵が、扉に手をかけた時だった。
「ああそれから」
まるで今思い出したかのように、書類に目を通しながら皇は唇だけを動かす。
「この件でどこぞからよくない噂が出た場合は、それが例えどこから出たモノでもお前たちが漏らしたものとして処理するから気を付けるように」
「な……その様な事を申されましても!」
皇の言葉に公爵が慌てて声を上げた。そのようなことを言われては、不用意な根回しもできなくなる。場合によっては事実無根の罪で何らかの罰が与えられるかもしれない。
いくら相手が皇とはいえ、そのような言葉に従うことは出来ないと口を開きかけた公爵に向かって、皇が人の悪い笑顔を向ける。
「冗談だ」
「陛下……」
「まあ、俺がそう言った噂を耳にした場合、お前たちに対する心象が思い切り悪くなるだけだから気にするな」
「……陛下!」
「それが嫌なら全力で噂を潰せばいい。安心しろ、その労には報いてやる気はあるからな」
そう言うと皇は傍らに控える宰相に対して何気ない様子で尋ねる。
「ところで宰相、無用な民族対立をあおるような噂を流す奴らに対しては、どのような罪が適用される?」
「そうですな……基本的には騒乱罪にあたりますが……仮に光翅族をその誹謗の対象にした場合、一段罪が重くなる可能性がありますな」
「ほう? それはどうしてだ?」
「彼らは皇国軍の中でも特に高い戦力でありますからな。流浪の身が落ち着く場所を与えてくれた皇国に感謝し、皇国を第二の祖国と考え高い戦意でもって兵役についております。彼らを誹謗し結果として皇国から追い出すことになったならば……噂を流す輩は皇国の戦力低下を願う反逆者と言えましょう」
「だ、そうだ。下がっていいぞ」
今度こそ公爵たちは口をつぐみ、悄然としながら執務室から出て行った。
「あいつらが自分の頭で考えた事だと思うか?」
侯爵の一団が姿を消し、書類の山を一つ崩したところで皇は宰相に尋ねた。
「さて……私は皇が考えている通りだと思いますが」
「ふん……では、どこが囁いたと思う?」
「流石に現在では情報がなさすぎますな」
レグニスラウムの崩壊が与えた政治的動揺、恐らくその波は当分収まることはあるまい。
「計画を前倒しにするしかないか」
巨人機械開発計画と、その結果を持って行われる大陸開拓計画。その計画に各国からの妙な横やりが入ることは出来るだけ避けなければならない。
前代未聞の規模で行われる予定の大陸開拓計画だが、各国との共同計画などに姿を変えたら進むものも進まなくなる可能性が高くなってしまう。結果待っているのは全滅だ。
「しばらく休暇を取れるか?」
「三日後からなら四日ほどは取れましょう」
「書類と重要な面談を片付けたらエンドランツ侯爵領に行ってくる。後は任せる」
「御随意に」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『八勝一敗だったっけ?』
お気楽そうな口調でそう言う父に対し、シェリーマイアはやや疲れた表情で言葉を返した。
「……八勝一引分けですお父様」
勝ち越しているのは無論父の方である。
第一世代機に比べて遥かに人間に近い動きができるはずの第二世代機。その操縦方法も無数の機器を操作しなければいけない第一世代機に比べて遥かに簡便な、自身の動きをなぞらせるという方式を採用しているというのに、未だに少女は父から勝ちを得ることができないでいる。
――性能のせい……ではないですよね……
恐らく少女の父は、天才なのであろう。
機械を操作するという、そのことに関しての天才。
あるいは少女の記憶の中にある言葉で語るのならば重度のゲーマーといった所か。対戦格闘ゲームの上級者は僅か一フレームの動きを見切るという、そんな能力に酷似した才能をあの父は持っているに違いない。
――普段は何もない所で転んだりするくせに……
『それじゃ始めようか』
「よろしくお願いします」
その言葉を合図に、模擬戦は始まった。
圧巻。
二体の巨人が激突する様をみた主神レグニスの主祭司であるクオレリアが抱いた感想は、ただそれだけだった。
人間の一〇倍もあろうかという巨人の動きは、それが作り物であるという事を忘れるほど人間の動きに酷似していた。
敢えて差を述べるなら白い巨人の方がより緻密に動き、赤い方の巨人はそれよりも繊細さに欠ける分力強い動きで相手に打撃を与えようと、その鈍重そうな見た目よりも遥かに素早い動きで攻守を絶えず入れ替えている。
赤い巨人が鞭を振るえば白い巨人はそれを爪でいなし、白い巨人が距離を詰めようとすれば、赤い巨人は逆に自ら間合いを詰めて打撃を与えようとする。
その巨体を構成する装甲板には強化術式が組み込まれているはずだが、巨人同士が激突するたび、激しい軋みを立てながらあちこちが一かけら二かけらと削れていく。
優勢なのは、クオレリアにとって意外なことに白い巨人の方だった。
空賊をたった一人で殲滅した少女、その少女が操る赤い巨人の方が強いのだろうと、模擬戦前には漠然と思っていたのだが実際の所は違うらしい。
白い巨人を操っている少女の父親……
あのような動作を施錠刻印の鍵として設定している人物とは思えないほど、巨人の扱いは繊細かつ大胆で、少女が操る赤い巨人に対して少しずつ優勢になっているようだった。
その感想は護衛としてついてきてくれている船長も同じだったらしい。
「これは、白い方が勝ちますな」
その言葉を船長が漏らした直後、赤い巨人の攻撃をいなしていた白い巨人が不意に地を蹴り赤い巨人に対して肉薄する。
その動きに赤い巨人は冷静に鞭を振るう事で対応しようとした……が、不意に白い巨人の身体が横方向にぶれる。
「尻尾!?」
よく見れば白い巨人の背部から垂れる、飛竜のそれのように長い尻尾が強く地面を叩き、その反動で鞭が振り下ろされた位置から身体を僅かにずらして鞭を避けている。が、そのことで僅かに体勢が泳いでいる。
それを好機と見たのか赤い巨人が追撃の鞭を振るい……
「……嘘」
白い巨人は体勢が崩れるのに任せるかのように、その巨大な身体で側転を行うと赤い巨人の側面で体勢を整える。あの三本の爪しか無い腕で一体どうやって側転を行ったのか甚だ疑問だが、ともかく目の前でそんな光景を見せつけられてしまえば納得するほかない。
『……参りました』
首筋に爪を突き立てられた赤い巨人……少女の声が、試験場の中に小さく響いた。
メカ戦の前の前振りが長くなっちゃいました。
今回は外側から見た戦闘なので、少々淡泊ですた。とりあえずもうちょっと細かい中の人目線の戦闘は次回という事で。