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女神と宗次とヌシの事情

 逆さまに浮いた状態で登場するのは、この山の神たちの習性なのか。

 神々が全てそうだったら…と思うと、ありがたみが三割減な気がする。

 女神と宗次の前に姿を現したヌシは十かそこらの童子の姿をしていた。

 身に纏うは真っ白な腰布のみ。

 きっと切れ長で理知的にのびた目じりと、産毛のように薄い眉。

 頂点近くできつく一本に結わえられた青銀の髪は、本性が蛇である為か。

 ふっくらとしてほんのり桃色の頬は、幼さを残して柔らかそうだ。

 なんにせよ、女神の好みの容姿である事に疑いは無い。

「俺は、大井宗次と申します」

「そちもこやつにたぶらかされた口か?」

「…俺も?」

 ヌシの物言いは、宗次以前にも前例があったと物語るものだ。

 なかなか鋭い。

「先ほど、稚児の霊と申されましたが、もしや、我々の探している者のことではありますまいか?」

「んん?」

 ヌシが、宗次の問いに関心を示し片目をひそめた。

「我々、か。夜叉の仲間気取りか?」

――夜叉?

「確かに。久方ぶりに我が山に帰ってみれば、見知らぬ稚児の霊がうろうろしておった。夜叉の気質は身に染みてわかっておったからの…、これはと思うた」

 年輪を感じさせる話方。

「案の定、夜叉の祠には姿絵が隠してあるわ…こうして、そちのようなおのこまで傍らに侍らせておる…。これは、神格を得た者としては由々しき事であるとは思わぬか?のう?」

 夜叉という固有名詞が、女神のものであると理解できた時、宗次はヌシの口調に見え隠れする”優しさ”に気付いた。

 名前を呼ぶほどの、親密さが感じ取れる。

 それは、女神の執拗な恋情を厭き山から逃げたという過去と、矛盾しているように思えた。

「のう?ではありませぬ!サトミをかどわかされたのですね!?」

 女神が、ヌシを言及する。

「うるさい。元はそちが蒔いた種ぞ」

 この二人には何かある。

 そう直感させる雰囲気があった。

「サトミは!行き場を失った哀れな魂なのです!返していただきたい!」

 食い下がる女神を軽蔑の…宗次には蔑んでいるというより、心底女神の事を心配しているように見える眼差しで見上げて、ヌシはさすがとも言うべき威風堂々とした態度で言い放つ。

「そちの傍らが、あの稚児の居場所だとうぬぼれるか?」

 女神の表情が凍りついた。

「傍らに留め置き、行き場を失わせたのは、夜叉、そちぞ?」

 心臓を、鷲づかみにされた感覚が、女神をそうさせた。

 その言葉に心臓を鷲づかみにされたのは、宗次も同じだった。

 自分の居場所は、…―――?

「うぬぼれて居るわけではありませぬ!サトミが!あの子が自ら決めたこと!ここにいる宗次とて相違ありませぬぞ!?」

「…通過点に過ぎぬ事が、解らぬのか?」

 ヌシの言葉は、どこまでも冷たくて、重かった。

「彼の魂は、半ばそちの神力に影響されておる。もはや黄泉路へ参ること叶わぬであろう。あれは、そちと同じ道を歩く事になる」

「……まさか…」

「そちは我と同じ雨神が眷属、故にあれも眷属となろうぞ」

 二体の霊威ある者が、サトミの未来を予見していた。

 神格を有する者へと昇華する、その命運を。

「ヌシ様…。サトミはどこに居るのです?」

 顔に暗く影を落として、女神が尋ねる。

「…そこまで、あれを欲するのか?詮無きことぞ?」

「サトミは、貴方が居られぬ間私を助けてくれた大事な子なのです…」

「格が上がるのが、嫌か?」

「いいえ。ですが…」

「そうであろう?そちがこうも意地になるのは、自分の愉しみを奪われたからに過ぎぬ。目を覚ませ。そちはこの地の龍神ぞ?」

 膝を折る女神の肩に、小さなヌシの手が添えられた。

 その行為からも、ヌシは決して女神を嫌悪しているは無い事が見て取れる。

 だから。

「ヌシ様は、何故この山から出て行かれたのです?」

 宗次は、その疑問を口にせずにはいられなくなった。

「宗次?」

 女神が顔を上げた。

 その理由は話して聞かせたはずだと、無言のうちに主張している。

「存外、眼力の鋭い童だのう…。気になるか?」

「…はい」

 宗次の、真摯な態度は女神にも伝わってくる。

 ヌシにとってもそれは同じ事なのだろう。

 女神に対しているときとは比べ物にならないほど穏やかさで、宗次に対峙する。

「夜叉も聴くがよかろう?どうせ、自分の所為で我が出奔したと思うておるのだろう?」

 女神の事は全て見透かしているという物言いだった。

 ぽかんと、女神が口を半開きにしている。

「違う…のですか?」

「単にそちから逃れたかったわけではない」

 ヌシは、宗次に聞かせると同時に女神にも聴かせた。

「出雲への道中であったそちをここへ呼び寄せたのもワシじゃからの」

 ヌシは一層柔らかな表情で、告げた。


「他で子をもうける為じゃ」


 はい?

 張り詰めた空気に、ぽわわんと花が飛んだ…ような。

「ななな、何故私ではなく他の女子に?!私ではだめなのですかー!?」

「女神様、問題はそこでは無いと思うのですが…」

 宗次が脱力しながらツッコミを入れる。

 なんだ?

 なんでこう大井の霊格はこうもアホ丸出しなのだ?

「そちはどこまでも間抜けじゃな!?夜叉!そちは我が眷属だと申したろうに!」

――俺もそう思います、ヌシ様。

「子というは、その眷属のことじゃ!誰かと夫婦になりまぐわって生まれるものではないわ!」

 ヌシにも恥じらいがあるのか、体を真っ赤に染め上げて声を張り上げた。

「我には、雨神の眷属を増やす役目があるのだ。夜叉、そちとて同じ事ぞ!そのような者に言い寄られても困るわ」

――まぁ、そうでしょうね。

 大体、こんな子供の姿でどうこうできるわけ無いだろうに。

「土地の有能なる守護者たるものへ力の片鱗を与え、霊格を上げる。その者がその地の神になるべく教えを施すのだ…」

「では、サトミは…!」

「あれは例外だが、そちの力に影響されておる。あれも神になる。そして、そちの元を離れればならぬ」

 ヌシから感じられた感情は、ある意味親としての思いに似ていたのか。

 宗次は納得した。

「いいかげん、童子に心浮つかせる事を止めよ…。そちにそのような顔をさせたいわけではない…」

 ヌシの言葉に、宗次はハッとした。

 今にも泣き出しそうな、女神の顔が目に入った。

「…私から姿絵を奪ったのも、サトミをかどわかしたのも、私のためと申されるか…?」

 声が、震えているのが解る。

「少なくとも、あの稚児の格を調整するのはあれのためだ。不安定な霊体のままではいずれ消えてしまう。そのような哀れな末路をたどらせたいか?」

「そうなるとは限りませぬ!」

「なる。ワシはそちより長ごうこちらの世に住まう者ぞ、解らぬと思うてか?」

 女神がヌシに勝る事は無い。

 それが、彼女達の世界の法則。

 サトミが、彼女達の世界へ入る事も…。

 女神は地に座りこんで、サトミが居るであろう池へと首を傾けた。

 よほどサトミを大事に想っているのか、呆けて視点が定まっていないように覗える。

「全て、女神様のための行いだったと、おっしゃるのですね…」

 つぶやきながら、宗次はヌシの考えを理解しようと勤めた。

 だが、今の女神の状態を見るに、それは本当に彼女の為になっているのか不安に思う。漠然とした、不安。

「あぁ…。その方は、夜叉がいつまでも童子を追い掛け回していて良いと思うか?」

「……」

 そう言われると、はっきり言って困るかもしれない。

 ということは、自分も女神の側を離れなくてはならないのか。

――あぁ。俺はまた居場所を失う事を恐れている…

 不安は、自分のもの。

 でも。

 でも。

 ちらと女神の様子を見る。

「!?」

 思わず、宗次の肩がぎょっとすくめられた。

 宗次の反応に、ヌシも宗次の視線を追った。

「夜叉!?」

 ヌシもびくっと体を振るわせた。

 それほどに、女神は異様…というかなんというか。

「ふふふふふふふ…」

 無気味な笑いを振り撒きながら、小躍りしている。

 命名、「歓喜の舞い」

 顔が、とろけんばかりに緩んでいたからだ。

「私は何を深く考えていたのだ…」

 ついに頭がおかしくなったのか、女神がゆらりと立ちあがった。

「サトミが神格を得る?そうか、私の元を離れるか…。ふふふ」

「……女神様?」

「…夜叉?」

「ヌシ様…!貴方に私の好みをとやかく言われたくはありませんからね…?いいですか?」

 凄みが増している…。

 怖い。

 目が据わっている。

 何を考えているのか読み取れない、怖さ。

「サトミの住む場所は、私に決めさせてもらいますよ!?」

「何…?」

「神になるという事は!同格という事!会えなくなるわけでは無いのでしょう?出向いてやる!」

「守護地を離れる事はならぬぞ!?」

「ヌシ様に言われたくはないですね!」

「我の役目の事は話しただろうに!」

「ずるいです!私にもその役目とやらをやらせてください!」

「そちはなぜそこまであの霊に固執するのだ!」

「あれぇ?嫉妬ですか!?ヌシ様!」

「愚か者!」

 母と子が喧嘩しているようにしか見えない。

「嫌だなぁ、私の一番はヌシ様ですからね?」

「そちはその性格を直さぬか!」

「こういう神が居てもいいじゃないですか!」

「雨神の格に関わるではないか!」

「格、格!格!格ばかり気にしてもしょうがありません!」

 いや、十分大切だと思う。

 二人の言い争いにあっけに取られ、宗次は呆然と立ち尽くす。

 そう言えば、女神が自分の妄想世界へ飛んでいったら、どうするんだった…?

――サトミさんが…。


 ぱしーん!


 少し冷たい風が吹いて、

「叩いて差し上げなさいと、申したでしょう?」

 少年の声が耳に届いた。




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