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女神と宗次と女神の過去

「だって、かわいかったんだよ」

 女神が言うには、この山のヌシはとてつもない美貌の持ち主であるらしい。

「力も強いし」

 当時齢数百年で、まだ若い部類に入るヌシは人間の姿をとる時も童子形だったそうだ。

「全身に稲妻が走ったって感覚かな?」

「いや、死にますから。そんなことになったら」

「私があんまり嫁にしてくれってうるさいもんで…」

 女神は、元は人間だったと話してくれた。

 南都に居を構える有力氏の、末の娘だったそうだ。

「ヌシ様の方があなた様から逃げ出した、と」

「有体に言えば」

 現大井村は、南都奈良から出雲に抜ける街道の通り道だったことがある。

 今となっては海路も開かれ、またわざわざ山を越えなくてもよい新しい街道が整備されているが、たまに、出雲に参詣する人たちが村を横切っていくことがあった。

 女神も、かつてはそんな参詣者の一人に過ぎなかった。

「私はね、幼いころから体中に鱗があったのだよ…」

 女神は、言いながら衣の上から腕をさする。

 今は鱗が生えている風には見えない。

「これは恐らくスセリヒメの神力を備えた者だと、生まれたころから囁かれていてね…」


 出雲にお送りして、その神力をお返しせねば。


「態よく厄介払いしようって、魂胆が丸見えでさ。なんせ、実際気色の悪いことこの上ない体だったからね。八百万の神の末座にでも加わってくれよ、それがせめてもの親への償いと思え。そう言われて家を出た」

 女神の身の上話を聴きながら、宗次は「みな同じだ」と表情を厳しくした。

 自分も、サトミも。

 女神も。

 みんな家族から置き去りにされた。

 放り出された。

 邪魔なものだと。

「ところがさ、この山を越えようとした時、不思議なことに山を抜けることが出来ず、あの沼…今住んでる場所な?…に辿り着いた」

 陰鬱な影を生み出す淀んだ沼。

 されども、決して嫌悪感を伴わない不思議な場所。

「気になって水面を覗き込んだら、私の目は水中から空を見上げていた」

 沼は、外から伺えるより遥かに澄みきっていた。

 呼吸も苦しくない。

 ふと体を見ると、鱗がきれいに無くなっていた。

 陸上で歩くのと同じ感覚で水の中を移動する。

 自然に、龍神へと姿を変えた女神は「私は、ここで生きていく」と確信したのだという。


 宗次の心に礫が投げ込まれた。

 波紋が体中に広がっていく。

「私はさ、自分の生きていく場所はここなんだって、すぐに解って、素直にうれしかった」

 宗次が女神の元で生きていくと宣言した時と同様、女神にも後悔の念はないようだ。

 ほどなく親類が社を建て女神の御霊を奉った為、神格が宿ったらしい。

 存外、神様になるのは簡単なのだろうか。

「しばらくは、龍の姿のまま山の中をうろうろしてた。そしたらさ!」

 急に、女神の調子が上がってきた気がして、宗次は嫌な予感がする。

「目の前に輝かんばかりに清げな男が佇んでいるじゃないの!」

 ここで雷に打たれたのだよ~、とにんまり微笑む女神。

 宗次は「そうですか」と返すしかない。

「ヌシ様との出会いだよ」


『そは、我が眷属なりしか』


 良く通る、凛とした声音でヌシは言ったらしい。

 きっと、後で後悔したに違いない。

 もし、女神の変わった志向を知っていたら、決して近づけなかっただろう。

「で、それなら嫁にしてくださいと?」

「あぁ。頼み込んで、我は妻帯などせぬと断られて、じゃぁ傍に侍ることをお許しくださいといえば、寄るなと言われ…」

「あきらめなかったのですか?」

「まぁな。類まれなる美童をみすみす逃してたまるか」

 そんな、偉そうに言われても。

 いや、偉いんだろうけど。

「私はさ」

 サトミの痕跡を探しながら、山の中を歩き回る。

 そうやって神経をサトミ探しに傾けながらも、一方では昔語りを止めない。

 女神が自分の過去を話すのは、心に穴が空いている証。

 宗次にはそう思われた。

「ヌシ様の気持ちを考えなかった…。だから、サトミも…」

「サトミさんは女神様をお好きですよ?」

「わかってるよ。違う、私が言いたいのは、サトミも私の気持ちを考えていないということさ!」

 女神は、歯がゆそうに下唇をかみ締めた。

「黙って、しかも姿絵まで持ち出して、一体どこへ行ったのか…!」

 容れ物によって形を変える水のように、女神の豊かな髪が左右に奇跡を残す。

 振り返った反動で、空気が道を作る。

「ヌシ様の力に頼れない。私の力の及ぶ範囲にもサトミの痕跡はない。まず何をするべきか?」

 真剣な女神の眼差しに、宗次は影を踏まれた感覚に陥った。

 この女神。

 好みの美童の為なら、なんでもやってしまうに違いない。

 そんな気迫のこもった眼光。

「…ど、どのように?」

 その考えを聞きたいような、聞きたくないような。

 宗次は、その細い手で体を庇うように抱きしめた。

 緊張に…女神の闘志に体が緊張して震えている。

「サトミが消えた原因を検証!及び山外への捜索拡大だ!あわよくばヌシ様も捜索の手にひっかかるやもしれぬ!」

 とことん、類まれなる美童を逃すつもりはないようだ。


::::


 自分の体ではない。

 自由にならない四肢の感覚を、サトミはそう結論付けた。

 別の入れ物に、魂を移し替えられているような。

 神経が連結されていない。

 どこだ?

 ここはどこだ?

 見えるのは真っ暗な水中。

 ?

 そもそも、視界は明瞭か?

 水だと解るのは、たゆたう感覚を前にも体験した事があるからだ。

 見えているわけではない。

 ここで何をしている?

 何故ここにいる?

 直前まで、何をしていた?

 …

 思い出せ。

 記憶を拾い上げろ。

――!!

 サトミの思考は、鈍い刺激のために途切れた。


「余計な事は、思い出さずともよい」


 誰がの囁きが、心地良い。



 女神が住む沼の辺。

 一見、人の入る隙間のないように見えて、実は内部はただっ広い(本当に広いだけ)祠の中で、女神と宗次は向かい合っていた。

「まずは、サトミさんが消えた状況を説明してください」

「あれは夜中の事だった…」

「えぇ。真夜中に女神様の叫びで起こされましたから」

「姿絵を持ち去ったのだ!」

「はい。承知してます」

「…行方が掴めぬのだ!」

「お伺いしました」

「……ヌシ様も行方知れずだ!」

「存じ上げております」

「……」

「サトミさんの失踪理由に見当は無いのですか?」

「……」

「無いのですね」

「……」

 宗次はため息を一つ。

 女神は空しいから笑い。

「では、何故サトミさんが女神様の…収集品を持ち出されたのかは?」

「わからぬ。ただ…」

「ただ?」

「…何時の間にか消えていた」

「え?もしかして、サトミさんが持ち出す現場をご覧になったわけではないのですか?」

 宗次の声が、一段高くなった。

「…あ、あぁ…。気付いたら、姿絵も、サトミも居なかった…」

 軽く結った後頭部の髪に手を入れ、乱暴に掻きながら、女神は苦笑して見せる。

「サトミさんが咎人だと断言できないのではありませんか!?」

 まだ罪も何も明確にされていないのに、咎人呼ばわりする宗次も宗次である。

「そう言うがなぁ、ここに入る事が出来るのは私と!宗次と!サトミだけだろう!?」

 そうれもそうである。

「ヌシ様ならともかく…」

 ヌシ、という単語に、宗次は反応した。

「ヌシ様は、何でもお出来になる方なのですよね?」

 頭脳の中で、途切れ途切れだった糸が一本に縒り合わされていく。

「あぁ…。あの方の力はすさまじいぞ?だから、村で雨による災害が起きたと聞いた時は、まさか戻ってこられたのかと…って、あぁ?」

 表情を歪めた女神が、考え込む宗次を上から見下ろす。

「まさか…いや、もしヌシ様だとしても、私が気付かぬわけが…」

「ヌシ様は、この山のヌシなのですよ?大体、すごい力の持ち主だとおっしゃられたばかりではありませんか。女神様に気付かれずに祠に潜入するなんて、容易い事では?」

 宗次も負けずに女神を見上げた。

「では、何故サトミまでいなくなる?」

 ヌシが全ての根源などと勘ぐられては、良い気がしない。

 謎が消えぬ限り、食い下がらなくては。

「それは、ヌシ様直々にお話していただくほかありませんが…」

 宗次が、口を尖らせて言った。

「そこまでおっしゃられるなら、女神様もしっかり考えてくださいよぅ」

――ずきゅん。

 宗次の意図しない「攻撃」をくらい、女神はしばらく、まともな思考を展開できなかった。


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