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宗次と女神と宗次の決意

:::

 明け方になって、宗次の姿が見えないことに気付いたのはサトミだった。

 探しに出ようとするサトミを制し、女神は言う。

「大丈夫だ、私が行こう」

 女神は身に絡みつくような衣を翻した。

 女神にははっきりと宗次の居場所が見えていた。

 まだ、森の中にいる。

 山中に張り巡らしている感覚の糸が、少年の息遣いを捕らえていた。


 宗次は、森の切れ目に立ち尽くしていた。

 じっと森の先を見つめている。

「この森を出ても、またあなたに会えますか?」

「お前に、その気があれば、だがね」

 背後に立つ龍神の気配に、宗次は気づいていた。

 人の住む場所と、人の住まない場所とは、明確に境がある。

 それは山であったり、海であったりするが、人々はこの境から先の空間を人の住む常世とは大概区別し、特別な界域と考える。

 山に入るならば、その山の一部となる可能性を覚悟しなければならない。

 だから、それが贄になるという目的ならば尚のこと、導きも無しに出入りすることは相当な勇気を必要とした。

 宗次は、女神の言葉を導に、一歩、片足を踏み出した。

「少し、行ってきます」

 女神が見守っているのを背中で感じながら、もう片方の足も前の足に揃えた。

 今、宗次の体は山の領域外にある。

 自分に託された役目を一時捨て、自分のやるべき事をやるために。

「昨日、サトミさんの話しを聴いて気付いたんです」

「……何をだい?」

「俺は、人の言うことにばかり気にして、自分で考える事に臆病になっていた…」

「そうかい?私が知る限り、そうでもないよ?」

「……ありがとうございます。でも、伝えるべき相手に伝えなければ、意味の無い事なんです」

 贄として捧げられる事は、村を救う事になると自分に言い聞かせた。

 必要とされているのだと、都合よく解釈した。

 逆らう事無く、偽りの愛情と哀惜を信じた。

「帰ってきたいと思っています」

 走り出す間際、宗次は穢れの落ちた顔を見せた。

――磨けば良い美童になるなぁ……

 幸か不幸か。

 宗次は女神のそんな邪心に気付かずにすんだ。



 始めは。

 何が起こっているのか理解できる者は居なかった。

 村を救うために山へと見送った大井の少年が、五体満足で村に舞い戻ってきたのだ。鬼神の類でない事は、土に落ちる影が証明していた。

 それがどれほど恐ろしい事なのか、現場にいる災厄の当事者にしか解るまい。

 宗次は、恐れおののき農作業を中断する村人には目もくれず、自分が生活していた屋敷へと歩いた。

 つい最近まで自分がいた地位にいる幼い弟を追い出そうなどとは思っていない。

 ただ……。

 村の誰かが知らせたのだろう、屋敷の門の前には父頼里ととらが数人の家人を従え待ちうけていた。

「どうした事だ?…ヌシはお前をお気に召してくださらなかったのか?」

 傍から見てもそれと分かるように、頼里の体は打ち震え恐怖していた。

 だが、それでも我が子には変わりない。手を差し伸べようとする頼里を、

「お止めください!あの者は一度なりとも山のものとなった身!御身まで引きずられますぞ!?」

 とらの叱責が止めた。

「ふん!よくも帰って来れたものだね?さっさと沼に入水すればよかったものを」

 とらが、ハッキリと宗次を倦厭した。

「とらさん……」

 宗次は、とらを「母」とは呼ばなかった。

「一体誰に頼んで、田畑を荒らしたのですか?」

 責められる事は気にせず、宗次は明かさなければならない事を簡潔に尋ねた。

 とらが息を飲んだ。

「な、何を?誰が?あたくしがか……?」

 とらは、宗次の問いのおかげで、平静を装えなくなってしまう。

 聴き返す声がうわずっている。

「とぼけられるならばそれでも構いません。起こった事実は変わらないし、作物がよみがえるわけでもない」

「そ、そうさ!しかも、山から贄が降りてきたとなれば、ヌシ殿の加護もなく、む……村はおしまいだ!」

 とらの後ろで、家人たちが囁き合ってる。皆が、とらの所作に注目していた。

「龍神様はお怒りです……」

「何?」

 以前の宗次を知る村人達は、少年の表情に見入ったに違いなかった。

 見送ってから1日と数刻。

 彼の溌剌とした瞳は、まるで別人だった。

 大きな眼をしっかりと開き、とらの目をまっすぐ見る姿勢は、確固たる意志を持った者のそれ。

「あなたのした事は、龍神様に筒抜けだと言う事です」

 とらの表情筋が固まった。

 離れた位置からでも、とらの喉を下る唾液の音が聞えてきそうだ。

「あたくしを脅そうというのか?」

「脅されていると思われるほどのことを、したのですか?」

 宗次が、とどめの一言を発した。

 しまった!

 というように、とらは咄嗟に自分の口を覆った。

 宗次が、不敵に笑う。

 神がかったような、心の深淵を暴く嗤いだった。

 おとなしく人の言われるままに行動することしか出来なかった少年が、今とらに意見し、彼女の罪を諌めに立ち戻ったのだ。そして、自信に満ちた笑みを作る。

 それほどに少年が変わってしまったのは、まさに異界へと旅だったからか、龍神に近しくなったからか。

 墓穴を掘ってしまったとらが、自棄になったように叫んだ。

「えぇい!おとなしく朽ち果ててしまえば良かったものを!」

 言うが早いか、とらは着物の袂をひらめかせ、宗次に躍り掛かる。

 獲物を狙う獣のように、両の指を鉤型にして。

 驚いたのは宗次ばかりではない。

 頼里も、集まった村人や家人も我が目を疑う。

 とらが、自らの行った罪を認めた瞬間だった。 

 身構える宗次に、とらはつかみかかる。

 つかみかかったからといって、罪が明らかになった今、どうなるというものでもないのだが、そんなこと一々考えて行動できるだけの冷静さはない。

 二人は、もみ合いになりながら地面を転がった。

 はっと。

 我に返った頼里が止めに入る。

「やめないか!」

 その声を合図に、近場にいた男衆たちもとらを引き剥がしにかかった。

 引き離されたとらは、充血した目で宗次を睨みつけている。

 宗次も、噛み合った視線をそらそうとはしなかった。

 真っ向から受け止める。

「おかしいいとは……思っていた」

 頼里が、さかった獣のように荒い呼吸を繰り返す妻に問いかけた。

「お前がやっいたことだったのか?」

「それがどうしたとういうの!?」

 投げやりに答えたとらだが、まったく悪びれている様子はない。

 とらが拘束されたのを見て、何人かの男たちがその場から逃げ出していた。

 頼里は逃げ出す村の者をちらと確認し、ため息をつく。

「宗次……」

 大井村の指導者は、自らが与えた成人の印で息子を呼んだ。

「……ヌシ殿はどのように思し召しか?」

 とらの行った行為は、神を冒涜するもの。

 本来ならば守護を失ってもおかしくはない。

 頼里は、抵抗する妻の体を抱きしめた。

「あの方は…女神様は正しくは山のヌシではあられません。ですが、これからも沼の龍神としてこの村をお護りになるでしょう」

 宗次自身、とらを如何こうしてほしいなどと願い出るつもりもない。

「もし、これから先……、あの方の解せぬ所で神の領域を冒すようなことがあれば、その時はこの村も終わりになってしまうでしょう」

 着物についた土を払う。

 村を出たときと同じ、白地の綿の衣……。

「お前は、この村に帰ってくるのか?」

 ある種、望んでいるとも聞き取れる頼里の問いに、とらが目を剥いた。

「お前など、邪魔なだけだ!!」

「とら!」

「……」

 深呼吸して。

 宗次はとらに告げた。


「俺は、帰らない」


 大地に染み入るような澄んだ声が、頼里の願いに「否」と返した。

 しんと静まりかえる村人たちの前で、宗次は初めて臆することなく意志を述べる。

「俺は、女神様の傍で生きていきます」

 その場にいたすべての人間が、安堵とも感嘆ともとれない微妙な吐息を漏らした。

 唖然とするとら。

 伏し拝む村人たちを残して、宗次は山へと帰っていく。

 民に望まれるまま神の元へ行くのとは違い、自分の望むままに神の元へ帰る。

 胸のつかえの取れた、晴れ晴れとした気分で。

――ちゃんと、言える。俺は自分で居場所を見つけるんだ


 しっかりとした足取りで女神の沼へと帰ってきた宗次の顔には、はにかんだような笑顔があった。

「おや?早かったね」

 出迎えたのは、女神だった。

「宗次?」

 サトミも顔を出す。

「俺、帰らないって言ってきました」

 宗次の堂々とした報告に、二人は目を点にした。

「何!?お前、帰らないでどうするんだ!?」

「女神様の好みの顔でなくて申し訳ありませんが、改めてよろしくお願いします」

「はぁ!?」

「……宗次、考えを改めるなら今のうちですよ?この方の相手はヌシ様でも苦労なさっているのですから」

「そうだ!……ってサトミ!お前は一言多いんだよ!」

「どうしても、だめですか?」

 震える声で。

 儚げに持ち上げられて華奢な左手。

 そっと伏せられた瞼。

 不安に形を変えた眉は、なんとも言えぬ美童ぶりを演出する。


 どっきーん!


 おずおずと、涙の膜に覆われた瞳が女神に向けられた。

 着物の袷から覗く鎖骨が艶かしい。


 どっきゅーん!


「お願い……しますぅっ!」

「――――!」

 宗次の攻撃に崩されていく女神の理性を感じながら、サトミは主に対し無表情にも冷めた視線を投げる。

「しかし、宗次。あなたは生ける者。死せる私とも、神格を持つ女神様とも違う存在……。それを肝に銘じられますか?」

「俺は、ここで学びたい」

 サトミの諭す言葉に、宗次は意見を重ねた。

「生きる術を。護るということを。そして意志を持つ意義を」

 世渡り術は十分ではなか?とは思ったが、言ってやらない。

「よし!万事この私に任せるがいい!」

 鼻息も荒々しく下心丸見えな態度で、女神は胸を張る。

「本当ですか!?ありがとうございます!」

 がばっと叩頭する宗次のうれしそうな顔といったら、この上なくかわいらしい。

「……良いのですか?」

「あ?何か?」

 確認するサトミの意図がわからず、女神は反問する。

「私たちは特に栄養を摂取する必要性はありませんが……」

 サトミが言わんとするところを悟って、一気に女神の顔から血の気が引いていく。

 ここには、人間である宗次が生活していけるだけの用意がない。

「まずきちんとした厨と、食料調達の手はずをしなければなりませんね?もしかして、山を開放するおつもりですか?いえ、私は構いませんよ?あなた様が何もかも整えて下さるというのなら?」

 サトミの嫌味な言い方に、女神は気おされる。

「いや、それはえっと……ヌシに許可を取って……ぼちぼち……」

 女神はずりずりと後ずさった。

「あの、サトミさん。そんなのお世話になる俺が……」

「いいえ、宗次。こういうことは許可した張本人がなすべきことなのです!金物などは厳禁ですからね」

 水の神は、金物を嫌う性質を持ち合わせている。

 故に、煮炊きに金物の鍋類は使えない。

「それだけのもの、ご用意していただかなくては、宗次の生活は保障できませんよ?」

 サトミのこめかみが痙攣している。

 あまりにも胆略的な女神の嗜好に、いささか怒り心頭といったところか。

「宗次、夕餉までにはすべて整いますからね?」

「夕餉まで!?そんな短時間に用意できるか!?」

「あなた様には、少しは責任というものをご理解いただかなくては」

「鬼!畜生!」

「はいはい。さっさとご用意なされませ?」

「宗次!助けてくれっ!」

「宗次に迷惑をかけない!ヌシ様に言いつけますぞ!?」

 あまりにも逆転的な体制の二人を目の当たりにしながら、宗次はどこが浮かれた気分でいられずにはおれない。

――宗次

 そう、女神が初めて自分の名を呼んでくれたから。

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