宗次とサトミと沼の水
「我々は、よりどころを失うては生きられぬ」
弱音を吐く「神」の姿に心が縛られる。
神になる前も、おそらくそれ以前も、サトミが他者にすがるような言動を取ったとは思えなかった。
疎まれ育ってきたからこそ身に着く処世術。
他を頼らず生きるすべ。
だから。
今自分を頼るサトミの言葉が重く感じられた。
宗次は暗雲を見上げたまま動けなくなる。
人に頼るしかない弱い存在を放り出すことはできない。
やっと独りではなくなった安堵を手放すことは未知の恐怖。
神とは。
人をひれ伏させ畏敬を集める存在でありながら、それに依存するものであると。
まざまざと見せつけられて怖気づく。
何と不安定な存在なのか。
ましてや、サトミは神格を得て間もない言えば赤子同然。
――どうすればいい。
女神様たちに、大井に何か異変が起こっている。
それは、自分を狙うものの仕業だとサトミは言う。
山を吹き下りる風が、冷たく境内の木々の梢を揺らす。
女神が体を預け子供たちを見守っていた神木に視線が止まった。
「あ」
「宗次?」
「サトミさん!そういえば女神様の沼の水があります!」
「ああ、それがどうかしましたか?」
「俺、あの水を使って京とここを通り抜けたんです!」
「女神様の神気が宿っておるからな。あの方が欲しいものは自在に……」
宗次の考えを正確に読み取り、その思考の回転の良さに頭が下がる。
「私の力ではのぞき見ることしか出来ぬかもしれぬがよいですか」
「声も届きませんか?」
「わかりませぬ。私の力の及ぶ範囲に女神様たちがおられれば」
宗次はすぐさま沼の水が入ったかめを整えた。
人の足では遠い大井への道のりも、もしかしたら一瞬で超えられるかもしれない。
「ああ、まだ少し女神様の力の残滓がありますね」
水面にサトミの白い指が触れる。
波紋が美しく均等に広がり、世界の繋がりを示している。
「こればならば、なんとかなるやもしれぬ」
サトミの瞳に力が満ちるのを間近で感じた。
ぼんやりと。
波紋の中心に黒い靄が広がった。
彼方の天にかぶさる暗雲と同じ闇。
「サトミさん!」
「案ずるな……女神様の気配を感じる」
沼の水が揺れる。
漆黒の靄を突き破るように、ぷつりと泡が浮いた。
ざわめき。
毛穴が総毛立つ。
あの時。
雷鳴とともに龍神の本性を現した女神の姿を目の当たりにしたときと同じ感覚が全身を覆う。
女神の存在を感じる。
心強く感じる自分の心境をおかしいと思った。
ぐ、と。
心臓のあたりに安定感が生まれた。
これほどまでに信頼していたのか。
宗次の顔からは不思議と不安が消えている。
――待っててください女神様!