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宗次と女神と宗次の気持ち


 最近斜面が決壊したのは、大井村の南東の斜面だった。

 そこは、日照りがよくないせいで、一向に乾燥しない。

「これはひどい。収穫が台無しではないか」

 山の斜面から田を見下ろし、女神は重い表情で倒れた稲を見下ろしている。

 女神は、明らかに収穫の見込めない田をよく観察した。

 決壊したという、山の斜面も。

 宗次の心臓は、静かにだが確実にその拍動を早めていた。

 田畑の被害が、神の起こした雨のせいではないというのなら、一体何者がそうしたのか?

――何者が…?

 そう考えた自分に、宗次は笑った。

 まさか村の誰かが、という“何者”という言葉に秘められた馬鹿げた可能性を振り払うために。

――そうだ、動物かもしれない。もしかしたら夜盗かなにかがいたのかもしれない…

「……」

 そんなこと、ある訳ない。

 宗次がそうして悶々としているうちに、女神は、崩れた斜面の様子を見ながらぶつぶつとつぶやいている。

「少年!」

 女神が宗次を呼んだ。

「ここに来てみろ!面白いものが残っているぞ」

 宗次は、慎重に崩れた山腹を移動し、ちょうど土の抉れた斜面の真上に来た。

「ここだ。よく見ろ。お前、これがなんに見える?」

「……鋤、ですか?」

「ああ。道具は何か判らぬが、板状の何かで削ったようなきれいな跡だな」

 確かに、ある程度幅のある板か何かを突き刺したような形状が、雨に流されることなく残っていた。

 それは、雨が溜まり、土をさらいながら流れるよう広い範囲にわたり溝として掘られた形跡。

 斜面が決壊した時は、神の祟りだと言って誰も近づこうとしなかったから、発見されることもなかったのだ。

「人の、したことなんですね」

 妙にすんなりと事実を受け入れる宗次に、女神は片眉を吊り上げた。

「見当でもついていたか?」

「はい…。女神様がお怒りになった時から、もしかしたらと」

 握り締められた宗次の両手が、小刻みに震えていた。

「お前、家に帰ってもいいよ?」

「え?」

「別に、私は贄を求めていたわけではない。この噂も大概偽りなのだが…、ま、当然帰ると言っても私に止める権利はないのだよ?」

――あぁ、やっぱり俺は女神様の好みではないんだな…

 頭の隅ではそんな事を考えながら、

「でも、村人が…」

 宗次はためらった。

 村人は、宗次に期待していた。

 これ以上、災害が広がることのないようにと。

 宗次の脳裏には、継母とらの顔が浮かんでいた。両端が引き上げられた、真っ赤な唇が。

 女神は、歯切れの悪い宗次に痺れを切らして怒鳴った。

「えぇい!うじうじするな!するならもっとこう儚げに!相手の同情を誘うような潤んだ瞳で上目遣いだ!」

 怒る点がずれてはいたが。



 頼里の部屋には、今年取れた果物や、乾燥させた魚、その他被害を免れた農作物の類、村人が副業として営む藁細工などが届けられていた。

 その「供物」に埋もれて、頼里は額に汗まで浮かべて苦悶していた。

 そんな男の傍らで、とらが笑んだ形の口元に濁った酒を運んでいる。

「何をそんなに悩んでいらっしゃるの?」

「こんなもの、宗次と引き換えに手元に置いてよいものか…」

「何をおっしゃるの?あれ以来厄災も起こらなくなって、村の者たちは感謝しているのです。その気持ちを無下にするほうが、あの子のためにもならないのではありませんか?」

 とらは小袖の襟を正しながら、頭を抱える頼里の部屋を辞した。

 頼里の部屋から十分に離れた所で、

「あの男は支配者に向かぬ…」

 と、夫の苦悩するさまを鼻で笑った。

 自室まで戻ると、控えていた家人を遠ざけ、火もともさずに再び酒の入った杯を傾けた。

「邪魔な跡取も素直に山に入ってくれたし、このままうまくいけば……」

 自分の思惑通りに事が運んでうれしいのか、とらはくすくすと女性らしくしとやかに笑った。

「村の誰にも文句を言われることなく、この家は私の息子の物…」

 家を継承するということは、実質的村の統治権をも掌握するということ。

 今は落ちぶれた地方豪族ではあるが、土地ごと大寺院に寄進するも良し、幕府に収めるも良し、京の貴族か皇族に寄進するも良し…。そうして徐々に力を付けていけばよい。

「おほほほほほほほほほほほ」


 この一部始終を見ていた一団があった。

 一団といっても、祠に帰ってきた女神、宗次、サトミの三人であるが。

 どこかで湯を沸かしてきたのだろう、宗次の膝元には湯気のたった白湯が置かれている。

 他の二人の分は用意されていないことから、やはり普通に人間と同じような食物摂取をしているわけではないようだ。

 ある意味、作物の良し悪しに左右されない事はうらやましい。

「何ということでしょう」

 サトミは嫌悪を示し顔をそむけたが、みなの視線が集まる中心には水が張られた素焼きの甕があった。

 座っていて、ちょうど覗き込める高さのその甕に入った水の水面には、先ほどから大井家の様子が映し出されている。

 甕の水は、女神の住む沼のものだという。

 こんな便利なものがあるのなら、わざわざ決壊した斜面まで出向く必要もなかったのでは?と思ったが、宗次はそれを口にしなかった。

 すぐに自分の世界に飛び込み、事の順序を忘れがちだという女神だが、まさかこういう道具があったことまで忘れていた、などとは考えたくない。

「この女は?まさか母か?」

 女神の問いに、史憲はぼそぼそと答える。

「継母です」

「だろうな。まったく同じ血というものが感じられない…」

「俺の母が他界して、すぐに嫁いでまいられました。でも、村人には嫌われています」

「でしょうね。このような性格ならば頷けますよ」

 本気で嫌そうな顔をしたサトミが横から口をはさむ。

「十中八九、この女が首謀者だな。人為的に土砂崩れを引き起こさせたのだろうよ」

 女神は、じっと水面を見つめつづける宗次に言った。

「お前、この女の策略に乗せられて私の元に来させられたのだよ?無事帰って肝を冷やさせてみるのも一興じゃないか」

「俺は……このままでよいのです。俺が女神さまの好みでないことは承知しておりますが…」

「おい、いつそんな事を言ったよ」

「あれ?違うのですか?」

「…少年は良い!」

「あー、ごほん」

 キラン

 と目を輝かせ、はつらつと言う女神の言葉を、サトミが妙な咳とのどの慣らしで牽制する。

「…いや、本当に、家には帰らずともよいのか?」

 ははは~とサトミから視線をはずしながら、女神は再度帰宅を薦める。

「帰りたくありません」

 先ほどまで自身なさげにぼそぼそとしゃべっていたのとは異なり、宗次の声ははっきりとしていた。

「は?」

「あんな風に邪魔だと思われているのは知っていました。俺は、何ひとつまともにできない盆暗でしたから」

「だから、言われるままに贄になったと?」

「あの家にいても、俺にできることはなかった。何も期待されていなかった。だから、俺がこうして女神様の元に来ることで村の為になるなら、それでいいと思ったんです」

 うつむいて、組んだ足の上でこぶしを作って。

 宗次はゆっくりと、語った。

「どんな思惑があったにせよ、俺が一人山に入ることで、村は、村人は安心することができた…。だから、今更帰ってしまったらまたみんなが不安に思ってしまう…」

 宗次の、肩から背にかけて大きな重しが乗せられている。

 サトミの目にも、ましてや女神の目にもそのようにしか見えなかった。

 サトミが、すっかり冷めてしまった宗次のための湯を取りかえるため、水がめを囲んでいた輪から抜けた。

 サトミが気を利かせて席を外したように感じられた。

 宗次の緊張感が高まる。

――おそらく、女神様に何か言われる…。また、怒られてしまう…。

 体が凍っていくようだ。

 以前。

 とらに、「お前は口がきけないの?」と皮肉を言われたことがあった。

 村を治める首長となるため、自分がするべきことは何だと問われた時。

 幼い頃から、お前は私の跡を継ぐのだと教えられつづけ、思い描いていた村の未来はいくつかあった。

 でも。

 その頃にはもう、何一つ人並みに出来ない子だと陰口をささやかれ、自分の意見すらまともに口に出せなくなっていた。

 お前の意見など、人並み以下だと笑われてしまうかもしれない。

 そんな根拠の無い不安が、幼い少年の口を貝にさせていた。

 村の人たちの、言うようにしたい。

 そう言って俯いていたら「人の言う事にしか従わないのか」と、怒りとともに嘲笑われた。

 怖くなった。

 意見する事も、される事も。

「…では、一生私の下でしなくても良い奉公をするというのか?」

 祠の内部に響いた神の声は、まっすぐに宗次の体を射抜いた。

 衝撃に、跳ねる様に面を上げた。

「……今宵はもう休むがよかろう…」

 女神は、それ以上何も言わなくなった。

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