宗次と女神と宗次の上洛
「ただいま戻りました」
社の戸を開けると、女神は宗次が出かけたときのまま、床に横になっていた。
「おかえり」
やはり、声音に力は無い。
「お加減は?」
「よくも無く、悪くも無く…。これというのも、今日はおぬしが居らぬせいで美童が寄り付からじゃ…」
「…それは、申し訳ありませぬ」
苦笑して謝りはしたものの、「それ、俺のせいですか?」と加える。
「おぬし、最近サトミに似て反抗的ではないか?」
女神も、苦笑しながら体を起こす。
「で?林太郎とやらは?」
「それが…」
宗次は、林太郎を見舞った先での一部始終を話した。
「ほう?それは真にどこぞの坊主か?」
女神の問いに、はっきりと答えを返せない。
「寺の名や宗派は聞かなかったのか?」
「…洛中に…造ったと。宗派に関しても、家族はわからないといっていました」
「洛中?お前、あんな場所に寺など普請するものか」
「え?そうなんですか?」
「桓武帝が南都より逃れて築いた皇都の市中ではないか。門跡でも洛外、あの天台も叡山におるのだぞ。そうやすやすと寺は建たぬよ」
女神が述べる理屈がいまいち理解できなかったが、相変わらずの自分の学の無さを露呈するのも癪なので、黙って受け入れる。
とりあえず、都の中心に得たいの知れぬ寺院を建てることはない、ということか。
「物の怪にでも憑かれたか?」
「その線ですか?やはり」
「坊主は本物だとして、だ。祈祷がいるような怪異が林太郎の身に降りかかっておるのは間違いなかろう。寺を建てるとなると、それなりに実力を示す必要があるしな。しかし都合が良すぎる、か」
懸念は次々に浮かび上がる。
「お父上は、蛇の祟りがあると信じておられました」
「蛇ねぇ…。サトミの村で蛇の祟り…。都合よく現れた坊主…」
女神はしばし考えをめぐらせ、あらたまって宗次へ向き直った。
「宗次、その京の寺とやら、探して来い。林太郎は私がなんとかしよう」
京へ上る街道は、いくつかの峠越えとなる。
宗次の足ならば1日はかからぬと目算するが、いかんせん初めて行く土地なので感覚がつかめない。
簡単な身支度を整え、軒に立つ。
不安がよぎる。
「…」
林太郎はなんとかする、と言っていたが、どうするというのだろう。
この村には女神の沼の水もなければ、神域も少ない。
「宗次、これを持って行け」
「はい?」
渡された布の中には、女神の髪がひと房包まれていた。
「それと、途中沼に寄って行くが良い」
「はぁ」
「何、案ずるな!私を誰だと思っておる!」
「…」
宗次は、「あなただから心配なんですよ」とは言えなかった。
宗次は、一刻の内に大井村に入り、女神の本拠に立ち入った。
久方ぶりに訪れる沼は、相変わらずだ。
沼に寄れ、とは言われたが寄って何をしろとまでは言われなかった。
腰を下ろし、一休みする。
女神が不在の為か、心なしか水がよどみ神々しさが欠けている気がする。
「女神様は…何を考えておいでか…」
誰にともなく発せられる言葉。
ちゃぷん、と
沼の水面が揺れる。
瞬間、水面下より大きな水柱が上がった。
「うわっ」
沼の水を全て持ち上げたのでは、と思われるほどの大きなしぶきが舞い、水柱が霧散する。
と、そこに女神が現れた。
「ええぇぇ!?」
「うるさいのう、宗次は」
「林太郎は!?」
「だから、うるさい。今の姿は仮初じゃ。沼の水を私の形代にしているに過ぎぬ」
「…へぇ」
仰天してか、敬意が払えなくなっている。
「宗次、飛び込め」
「は?」
「何死にはせぬ」
「はぁ」
「はよう」
「え?何で!?」
「京に運んでやる。六波羅に出るよし、そこからは自ら歩くがよい」
六波羅のどの当たりなのか検討がつかないがあいまいに頷く。
「てゆうか、濡れません??」
「うるさいのう、細かいことは抜きにせい」
「うわ」
ぐい、と。女神の力により引き込まれた。
沼の水に顔から突っ込む形となる。
「ぐふっ」
息を吸い込むのを忘れた。
少し苦しい。
「ほれ、行って来い!収穫期待しておるぞ!」
「ぎゃぁぁぁ」
時々。自分が生身の人間だと忘れられている気がする。
ぐるぐると回る水流の中、宗次はそんなことを考えた。
びちょびちょ。
そんな表現の態で、宗次は川のほとりに立っていた。
―――やっぱり…。
右から左に川が流れている。
下流はもっと大きな川か、海。
背後には山が迫る。
太陽の位置と影で、川上が北と知れた。
「ということは…」
ぼんやりと、都の図を思い描く。
ここが六波羅だとすると、京の東側。目前の川は鴨川である。
後の山は東山か。
後方の山中に、伽藍が見える。
洛中は、この鴨川よりも内側である。
神職をかじる程度の宗次にも、巨大な結界が張り巡らされているのが分かった。
「さて…」
怪しい自分の姿をどうするか、戸惑ったが、とりあえず橋を渡って洛中に入ることにする。
女神も、細かいことだと言っていた。
「はは」
苦笑するしかない。
欄干ですれ違う人々に怪訝な目で見られることなど、瑣末なことに違いない。
「…そんなわけないだろ」
独り言は、むなしく空に逃げた。