死んだふり男爵様は死人としての自覚が足りません
私――レティアは街で小さな葬儀屋を営んでいる。
作りすぎた夕飯を明日のお弁当に詰めながら一息ついていた夜更け、明日の葬式に出るご遺体が到着した。
棺桶の中身は若くして亡くなったというシード男爵。
明日は彼のお葬式である。
重い棺桶を運ぶのも明日の会場設営も私の細腕で全てやらなければならない。
はあ、と特大の溜息を吐いてげんなりしていたその時だった。
「……ぐぅ」
――心臓が止まった。
嘘でしょう、棺桶の中から音が聞こえた!?
いやいや、まさか。気のせいよね。
「……すー、ぐすぴー」
恐る恐る耳を澄ますと、立派な棺の中からなんとも間抜けないびきが聞こえてくるではないか!
ちょっと待って、ご遺体っていびきをかかないわよね……!?
震える手で棺桶を開けた私の目に飛び込んできたのは安らかな死顔――ではなく、無防備に爆睡するシード男爵の姿だった。
「え、死んでないよね?」
思わずぽつりと漏らした私の声に、男爵の目がぱっちりと開く。
完全に目が合った。
「……や、やぁ?」
「え、死んでないよね?」
「うん。でも死んだことにしたいんだ。ここって葬儀屋であってる?」
妙に落ち着き払った声で、とんでもない爆弾発言が彼の口から飛び出した。
大混乱する私は棺桶の中でくつろいだままの彼から事情を聞き出した。
平民から男爵へと成り上がった彼は順調に出世しすぎたせいで命を狙われる日々を送っていたらしい。
しかも方々の弱みを握りすぎており、ただ貴族を辞めるだけでは暗殺者を差し向けられ続けるだろう。
かといって夜逃げを行方不明扱いにされれば、親代わりの叔父夫婦に遺産が渡らず生活が立ち行かなくなる。
「だから叔父夫婦と結託して仮死薬を飲んで『死んだこと』にしたんだ」
そして折を見て逃げ出すつもりが目覚めたら、葬儀屋に運ばれていたというわけだ。
さて、これは非常に困ったことになった。
実は私の営む葬儀屋も家計は火の車なのだ。先日亡くなった両親の借金があり、明日の葬儀の報酬が入らないと明後日来る取り立て屋に払うお金がない。
最悪、私が奴隷として売られるかもしれないのだ。
――そんなの、絶対に嫌だ!
「よし!明日の葬儀は死んだふりをして何とか乗り切りましょう!」
「わかった、協力するよ」
かくして、崖っぷち葬儀屋と死にたい男爵の利害は見事な一致を見たのだった。
葬儀を乗り切るため、私は得意の『死化粧』を彼に施すことにした。
本来、死化粧とは亡くなった方を生前のように美しく整えるものだ。しかし、どうすれば生気が出るかを知り尽くしている私には逆に『どうすれば死相が漂うか』も分かる。
とはいえ生きた人間に化粧をするのは初めてだ。
近くで見るとシード男爵の整った顔立ちに思わずドキッとしてしまう。
……いやいや、この無駄な血色の良さは死人として問題よ!
「――よし、なんとかしてみせる!」
葬儀屋としての誇りと借金返済への執念が私の筆を走らせる。
結果、シード男爵は息を呑むほど『美しい死体』へと変貌を遂げたのだった。
こうして本人の目の前で本人の葬儀が行われるという前代未聞の珍事態が幕を開けた。
私は人生最大のポーカーフェイスを気合で顔に貼り付けていた。
参列者もまさか棺の中の男爵が生きているとは思わず、式はしめやかに進行していく。
しかし、育ての親である叔父夫婦が棺の前に立った時、事件は起きた。
「愛は何より崇高だって教えたのに、俺たちを置いて逝きやがって……っ!」
――いや、あなた達、彼が生きてるの知ってますよね?
迫真の演技に周囲からもすすり泣きが漏れ始める。
すると、あろうことか棺の中のシード男爵の目にまでホロリと涙が溜まり始めたではないか!
だから!お互い生存確認済みですよね!?
化粧が落ちる!!
「……お顔を、少し整えますね」
内心で冷や汗を滝のように流しながら私はさりげなく彼の涙を拭き取った。
ピンチはそれだけでは終わらなかった。
至近距離で大量の焼香の煙を嗅ぎ続けたシード男爵がついに限界を迎えたのだ。
「ごほっ!」
死体が、咳き込んだ。
――まずい!!
「……ンンッ!ごほっ!ごほぉっ!!」
私は死体の咳をかき消すように全力で不自然な咳払いを重ねた。
参列者たちから「なんだこの葬儀屋?」という冷ややかな視線が突き刺さる。
私は内心泣きそうになりながら、鉄のポーカーフェイスで式を強行突破した。
ああ、本当に生きた心地がしない。
無事に葬儀が終わった時、私は寿命が十年は縮んだ気がした。
◇
参列者が帰り、ひっそりとした葬儀場。
「ああ、体が凝った……」
棺桶から這い出してきたのはシード元男爵。
……いや、もう貴族じゃないのだからただのシードでいいや。
こっちも気疲れで体中がバキバキだ。
「さて、これで叔父さんたちの屋敷に使用人としてかくまってもらうかな」
「は?やだよ。お前がうちにいたら偽装がバレるかもしれないじゃん」
シードの言葉を、叔父は鼻で笑って一蹴した。
「愛は何より崇高だってさっき泣いてたじゃん!」
「知らん知らん。愛を見つけるのは自分で何とかしろ!」
叔父夫婦は訳の分からないことを言い捨てると、彼を置いて嵐のように去ってしまった。
完全に捨てられたシード。少し哀愁が漂う。
彼は肩を落として呟いた。
「じゃあ、どこか宿でも探すとするよ……。葬儀の偽装、本当にありがとう。いつかお礼をするよ!」
彼が玄関に向かって歩き出した途端、さっきまでドタバタしていた部屋が急にひどく静かに感じられた。
――両親が亡くなった翌朝と同じ、冷たい静けさ。
「待って!」
気づけば私は彼を引き止めていた。
思わず出た声に私自身も驚いていた。
だから、引き留めてしまった理由を後付けして彼に言う。
……まあ、悪い人ではなさそうだし。
「昨日の夕飯、多く作っちゃったの。それに葬儀屋として重い棺桶を持つ男手も欲しかったし。両親の部屋が空いてるから……ここで暮らさない?」
我ながら強引な提案だったと思うが、行き場をなくした彼は二つ返事で了承した。
こうして私は行き場のない死人を家に拾うことになったのだ。
その日の夜。
作りすぎた夕食を彼に振る舞い、食器を洗っていると隣の両親の部屋からシードが立てる生活音が聞こえてきた。
両親が亡くなってからというもの、静かすぎる家で私はずっと上手く眠れずにいた。
でも、彼の立てる物音を聞いていると、その日の夜は不思議と深く眠ることができたのだ。
翌朝、すっきりと目を覚ました私は苦笑いする。
「会って間もない男を拾ったんだからもう少し警戒すべきよね……」
頭ではそう思うのに、昨夜の安心感がずっと胸の奥に残っている。
……これは、困ったな。
◇
「……あれ。また、こんなに作っちゃった」
湯気を立てる山盛りの料理を前に私は苦笑いした。
先日両親が亡くなってから一人暮らしになったというのに、まだ三人分の食事を作る習慣が抜けないのだ。
久しぶりにぐっすり眠れたからって張り切りすぎたかもしれない。
いつもなら余った分はお弁当に回すけれど……。
これだけの量を一人で食べ切ったら確実にお昼に気持ち悪くなるだろう。
そんなことをぼんやり考えていると。
「お、おいしそう!」
『自分自身の葬儀の片付け』という、シュールすぎる力仕事を終えた彼が目を輝かせて食卓についた。
そして私が作りすぎた夕飯を面白いほどにもりもりと平らげていく。
さすがは若い男性だ。凄まじい量がぺろりと消えていく。
「……ふふっ」
その見事な食べっぷりを見ていると作りすぎたことも間違いじゃなかった気がして、なんだか嬉しさが胸に広がった。
「よく食べますね。食費はしっかりお給料から天引きしますよ?」
「え、俺って給料出るの?」
「いいえ。当面は家賃と食費で相殺なので実質タダ働きです」
「なんだよそれ!」
文句を言いながらも、彼はいかにも楽しそうに笑う。
静かだった家の中に響く、賑やかな声。
……明日は何を作ろうかな。
自然とそんなことを考えている自分に気づいて、私は少しだけ自分自身がおかしくなった。
「よし、今日もきりきり働くぞー!」
「……お葬式の最中には絶対にその大声を張り上げないでくださいね?」
彼は本番の式中こそ静かだが、裏方の仕事中はとにかくよく喋る。
「そういえばこの棺桶ってどこで作ってるの?」
「向こう通りにある細工屋のおじさんのところです」
「へえ!じゃあ、すっごいでかい人が死んだらはみ出さない?」
「ちゃんと特注の特大サイズもありますよー」
元々あまり会話が得意ではない私だけれど、私が淡々と答えるたびに彼は「ふへえ!」といちいち大げさなリアクションを返してくる。
会話の内容自体はどうでもいいようなことばかりだ。
でも……。
もし両親が亡くなった後一人きりでこの暗い葬儀屋を続けていたら、きっと私の気持ちまで塞ぎ込んでいたと思う。
彼の無駄に大きいオーバーリアクションのおかげで、私は沈み込まずにいられるのかもしれない。
……なんて、本人には言わないけれど。
まあでも先日、納品に来た花屋のおじさんと彼がめちゃくちゃ親しげに談笑しているのを見た時はさすがの私も肝が冷えた。
「へえ!新しいお手伝いの兄ちゃんかい!大層きれいな人が入ったねぇ!」
あなた『死んだはずの男』ですよね!?
なんでそんな簡単に近所の人と打ち解けてるの!?
「あなた、死人としての自覚が足りないんじゃないですか!?」
気づけば私は、これまでの人生で『絶対に言う機会がなかったであろうセリフNo.1』を彼に叩きつけていた。
翌日。
私は彼に怪しげなカツラとサングラスを突きつけた。
「今日からこれで変装してください」
「う〜ん、まるで他国の諜報員にでもなった気分だ」
「そんなこと言っている場合ですか! 見つかったら連れ戻されちゃうんですよ!」
――と言いながら、ハッとした。
私が今心配したのは自分への飛び火ではなく、彼が『連れ戻されてしまう』ことだった。
これでは、まるで彼を大事な家族みたいに……いや、家族?
お父さんやお母さんに抱くことはなかったこの焦りのような感情は、この特殊な状況のせいだろうか。
……なんだか急に恥ずかしくなって、私は彼の頭に無理やりカツラを押し込んだ。
また別の日の、葬儀の準備中。
ご遺体に死化粧を施す私の手元をシードが真剣な眼差しで覗き込んでいた。
「……きれいだな」
ぽつりとこぼれたその一言に私の筆は止まってしまった。
死化粧を「きれい」と言ってくれる人に出会ったのは、両親以外で彼が初めてだったからだ。
「私、死化粧は得意なんです。両親も『もう敵わない』って褒めてくれて……」
「本当にすごい。職人技だな」
死化粧は普段おおっぴらに褒められるような技術じゃない。
むしろ「よくそんな気味の悪い仕事ができるね」と遠巻きにされることの方が多かった。
……私に友達が少ないのも、きっとそのせいだ。
なのに彼は。
私が一番誇りに思っている技術を、真っ直ぐに「きれい」と言ってくれた。
シードに褒められたのが嬉しくて、私は緩みそうになる口元を必死に引き結んだ。
絶対にニマニマが隠しきれていない自覚はあるけれど。
――でも、まあいいや。
「……レティアはさ、ご両親が亡くなった時、泣いた?」
ふと、シードが少し神妙な顔つきで尋ねてきた。
私は化粧道具を置いてゆっくりと口を開く。
「……両親は急に亡くなったから。葬儀屋の仕事もいきなり引き継がなきゃいけなくて、泣くどころか二人の葬儀をする暇すらなかったんです」
皮肉な話だ。
他人の葬儀を取り仕切る葬儀屋が、自分の一番大切な両親の葬儀をできなかったのだから。
「じゃあ、生活が落ち着いたら葬儀をしないとね!」
「え?」
「ご両親のこと、愛していたんだろ?」
「……うん。大好きだった」
私の答えを聞くとシードは満面の笑みで言い放った。
「じゃあ絶対に葬儀をしないと!なにせ『愛は何よりも崇高』なんだから!」
葬儀、か。
確かに転がり込んできた彼をこき使うおかげで火の車だった家計も落ち着いてきた。
彼がいなければ今頃一人で悲壮感を漂わせながら棺桶を運んでいたことだろう。
彼がいてくれて本当によかった。
……本人には言ってやらないけれど。
「……『愛は崇高だ』って言ってた叔父さん、あなたをあっさり見捨てて帰りましたよね?」
「うっ、それは言わない約束……!」
うめくシードを笑いながら。
いつかちゃんと両親の葬儀をあげてあげようと、私は心の中でそっと決意したのだった。
◇
シードと一緒に騒がしくも平穏に葬儀屋を切り盛りしていた、ある日のこと。
都で幅を利かせていた大規模な犯罪組織が摘発された、という噂が飛び込んできた。
「ふーん。これで少しは都の治安も良くなるのかね?」
完全に他人事として明るく笑うシードに対し、私は心臓が凍りつくような思いだった。
――笑い事じゃない。全然、笑い事なんかじゃないのだ。
そして、彼の呑気な言葉を遮るように。
乱暴に葬儀屋の扉が開かれ武装した憲兵たちが踏み込んできた。
「葬儀屋のレティアだな? 明日の朝、憲兵の詰め所まで出頭するように」
用件だけを事務的に告げると憲兵たちは嵐のように去っていく。
私の顔面が蒼白になっているのを察したのだろう。
シードが心配そうに覗き込んでくる。
「レティア?どうしたの、何かあるの?」
私はぎゅっと拳を握りしめ、意を決して口を開いた。
「……たぶん、私がシード男爵の殺害容疑をかけられてるんだと思う」
「そんなことありえないだろう……」
シードが呆れたように言う。
そりゃあそうだ。なにせ『殺された本人』が目の前でピンピンしているのだから。
でも世間的には彼は死んでいるのだ。私は観念したように息を吐く。
「先日、両親が事故で急死したの。実は葬儀屋って死体を扱う関係で、今回摘発された犯罪組織と少し繋がりがあったみたいなの。……おまけにお金も借りていたらしいわ」
両親が亡くなったまさにその日、家に借金取りが押しかけてきたのだ。
「借金を返せ。金がないなら葬儀屋を潰してお前を奴隷として売るしかないなぁ」
「まあ我々の目の上のたんこぶである『シード男爵』でも暗殺できたら、話は別だがな!」
半笑いでそんな理不尽極まりない要求を突きつけると、奴らは「一週間後にまた来る」と言い残して去っていった。
……葬儀屋の小娘に貴族の暗殺なんて、できるわけがないのに。
両親が遺してくれた愛着のある葬儀屋。
それが奪われ、自分は奴隷落ちという絶体絶命の状況。
しかし、不条理すぎる運命にできることは何もなかった。
三日ほど途方に暮れていた、まさにその時――『シード男爵、暗殺される』というニュースが舞い込んできたのだ。
「お前……まさか、本当に男爵を殺したのか!?」
血相を変えて飛んできた借金取り。
私はここぞとばかりに、全身全霊のポーカーフェイスと演技力を込めて、こう答えてやったのだ。
「ええ。やれと言ったのは、そちらでしょう?」と。
――人生最大の、全身全霊をかけたハッタリだった。
「そうか、葬儀屋……。いや分かった」
勝手に納得してくれた借金取りは引き下がり、私の暗殺成功と葬儀屋の存続が決定した。
ああよかった、これからは不安もあるけどなんとか生きていける……。
――そう胸を撫で下ろした直後、運ばれてきた男爵の死体がいびきをかき始めたのだから!
そりゃあ、死ぬほど驚くに決まっている!!
とはいえ、だからといって棺桶の中で寝ぼけているシードを借金のために本当に殺す?
……そんな恐ろしいこと、私にできるはずがない。
だから私は彼に提案して『死の偽装』に協力することにしたのだ。
結果として葬儀は無事に終わり、一生かかっても払えないような莫大な借金は犯罪組織によって正式にチャラにされた。
「あの時の嘘が、全部返ってきちゃった」
組織が摘発され、私の嘘も憲兵に伝わったのだろう。
間違いなく冤罪だがそれを明かす証拠もない。きっと濡れ衣を着せられる。
そうあきらめて憲兵の詰め所に向かおうとした私をシードが力強く引き止めた。
「嘘で愛する家を守ったんだろう? ならいいじゃないか。……『愛は何より崇高』だって、世の中決まってるんだからさ」
そしてシードは私が無理やり被せたカツラとサングラスをむしり取るように剥がした。
現れたのは自信に満ちた『シード男爵』の顔。
「――あとは、俺に任せろ」
彼はそう言い放って背を向ける。
頼もしいその言葉の意味を理解した瞬間、私は焦りを感じた。
変装を剥がす。それはつまり『シード男爵』として憲兵の前に姿を現すということだ。
死んだはずの人間が生きていたとなれば街中を巻き込む大騒ぎになる。
そして――彼はもう二度とただの居候としてこの家には戻ってこられないかもしれない。
「――待って!」
気づけば、私は彼の袖を強く握りしめていた。
彼は少しだけ目を丸くする。
隣の部屋から聞こえてくる彼の生活音。
「おいしい!」と私が作った夕飯を頬張る、子どものような笑顔。
私の死化粧を「きれいだな」と褒めてくれた声。
――全部、なくなってしまうの?
けれど、彼を引き留める言葉はどこを探しても見つからなかった。
彼は私が被らされそうになっている暗殺の罪を晴らしに行こうとしてくれているのだから。
身勝手な言葉で縛り付ける理由なんてない。
声を失い、二の句が継げなくなった私は、ただ黙りこくって彼を見つめる。
視界が滲んでいくのをごまかしながら。
言葉にならない私の不安をすべて見透かしたように。
彼はとびきり優しく微笑むと、私の手をそっとほどいて迷いなく家を出て行った。
詰め所にいた憲兵たちは文字通り腰を抜かしたらしい。
なにせ数ヶ月前に葬儀が行われたはずの『シード男爵』が堂々と正面から歩いてきたのだから。
「俺が死んだ? 一体何の話をしているんだ?」
自分が数ヶ月間、完全に行方不明になっていたことなど見事に棚へ上げ。
シードは白々しくそう言ってのけ、周囲の憲兵たちを大混乱の渦に叩き込んだ。
上層部まで巻き込んだ本人確認の末、信じられないことに「男爵の生存」が確定した。
……が、事件はそこで終わらない。
生存が認められた直後、男爵が突然バタリと倒れ伏したのだ。
すぐに呼ばれた医師が脈を測って絶望的な顔で叫ぶ。
「し、死んでおります……!」
彼が生きていると証明された数分後に『シード男爵の2度目の死』が正式に確認されたのであった。
この『棺桶から這い出してきた男爵事件』は瞬く間に街中を駆け巡った。
『暗殺された無念を晴らすため、男爵が自ら這い出てきて憲兵に訴えて再び息絶えたのだ!』
そんな噂が出回り、かつての彼の政敵たちは文字通り震え上がった。
そして。
彼が「生きていた」という事実が一度挟まったことで、私の暗殺容疑はうやむやのまま完全に立ち消えたのだった。
◇
「もう一度丁重に葬るべきだろう」という憲兵たちの話し合いの結果。
彼は今、再び立派な棺桶に納められて葬儀屋である私の目の前に届けられていた。
「……え、死んでないよね?」
まさか本当に命を落として私を助けてくれたのだろうか。
嫌だ、そんなの絶対に嫌だ。
「ねえ、死んでないよね……?」
震える声で祈るように棺桶を見つめていると――
「……ぐぅ」
中からなんとも気の抜けたいびきが聞こえてきたのだ!
蓋を開けると、そこには寝ぼけ眼をこするシードがいた。
「……ただいま」
「バカ……っ!」
本当に心臓が止まるかと思った。
でも、無事に帰ってきてくれた彼がたまらなく愛しくて。
私は彼の首に縋り付いてぽろぽろと涙をこぼした。
「……ありがとうっ」
泣きじゃくる私の背中を撫でながら、彼は真剣な顔で言った。
「泣くのはまだ早いよ。まだ終わっていない」
彼は説明してくれた。
今度の葬儀には彼の生存を恐れた政敵たちが必ず確認に来る、と。
「俺が死んだと信じ込ませるために、もう一度、死化粧をしてほしい」
「私が……」
「ああ。君の腕なら俺を完璧な死人にしてくれるって信じてる」
私にできるのはこの筆を握ることだけ。
彼を救うため、私はもう一度真剣に彼への死化粧を始める。
1回目の時はただの綺麗な顔をした知らない男だった。
けれど、今は違う。
「うまいなあ」と私の料理を食べてくれた時の、少し幼い顔。
私の仕事を「きれいだな」と褒めてくれた時の、優しい声。
あの時、この唇から紡がれた言葉が嬉しくて、ニマニマしてしまうのを隠すのに必死だった。
私が「待って」と縋った時、少しだけ驚いたように見開かれた目。
その全部を、私は知っている。
――この顔の繊細な表情の変化を、世界で一番知っているのは私だ。
白粉を重ねるたびに、彼の肌から生き生きとした血色が消えていく。
でも、この冷たい化粧の下にある確かな温かさを、私だけが知っている。
一筆ごとに、彼を完璧な死人へと作り上げていく。
彼を助けるために。
また一緒に、あの騒がしい日常を続けるために。
――世界で一番上手に、あなたを死なせてみせる。
そして始まった、異例の『2度目の葬儀』。
今回は叔父夫婦の泣き落としで彼が涙ぐむこともない。私も一切の感情を排した無表情で淡々と進行を務め上げた。
参列者の中には明らかに政敵らしき人物が混ざっていた。
棺の中の彼を覗き込んだその顔が、恐怖に引きつりながらも安堵に緩むのを見逃さなかった。
私の死化粧は完璧に機能したのだ。
こうして、二度目の葬儀はつつがなく終了した。
参列者が全員帰り、静まり返った葬儀場。
「――終わったよ」
私が棺桶の蓋を開けると彼はにこやかに身を起こした。
「ありがとう。レティアなら俺を完璧な死人にできるって信じてたよ」
『信じていた』という言葉の温かな響きに、胸の奥がぎゅっと熱を持った。
喉の奥が熱く引きつって、気の利いた軽口どころか、まともな呼吸すらできなくなる。
彼から向けられた真っ直ぐな信頼に、ただただ胸が締め付けられた。
「私は……っ」
言葉を発した瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
せき止めていた涙が、後から後から溢れてくる。
「私は、ホッとした……っ。あなたを守れて、また明日も一緒にいられるんだって思ったら……!」
ぼろぼろと泣き崩れる私を、彼は長い腕で優しく包み込んだ。
私の涙を吸い込む、彼の冷たい服。
頭の上から、ほう、と深く安堵したような彼の溜息が降ってきた。
「……俺の方こそ、君がいてくれて本当によかった」
私の髪を撫でる彼の手が、ひどく愛おしむように熱を帯びているのが分かって、さらに涙が溢れてしまう。
「レティア」
「……」
「俺と、結婚してくれないか?」
唐突すぎる愛の言葉に、私の体はビクッと大きく跳ねた。
「ずっと、俺と一緒にいてくれないか」
その言葉の重みと温かさに触れて、私のしゃくりあげる声は少しずつ小さくなっていく。
彼は急かすことなく、私が落ち着くのを待つように、背中をぽんぽんと優しく叩き続けてくれた。
やがて涙をごしごしと袖で拭うと、私は彼から少しだけ身を離す。
「……バカ」
「えっ?」
「相変わらずあなたは、死人としての自覚が足りませんね」
そう言い捨てて。
私が施した死化粧が残る彼の冷たい唇に、そっと自分の唇を重ねた。
◇
翌日。
彼はふいに真面目な顔をして私に言った。
「ご両親に、ご挨拶しないとね」
「挨拶って……」
「きちんとお二人を送ってあげないと」
その一言で、ずっと後回しになっていた両親の葬儀を行うことになった。
思えば葬儀屋の娘のくせに親の葬儀を後回しにするなんて、本当におかしな話だ。
空の棺を用意し、私の手で花を手配し、私の手で祭壇を整える。
自分の身内を送るためにこれらを準備するのは、きっと私の人生でこれが最初で最後だろう。
葬儀は私とシードの二人だけで執り行われた。
聖職者すら呼ばない、本当にささやかな、身内だけのお葬式。
「お父さん、お母さん。遅くなってごめんなさい」
遺体のない空の棺を見つめながら、私はぽつりとこぼす。
両親が亡くなった直後から借金取りに追われ、自分の命すら危うかった私には、冷静に彼らの死を悲しむ時間すらなかったのだ。
――でも、ちゃんと送れてよかった。
そう思った途端、奥歯を噛み締めても、目頭の熱を抑えきれなくなってしまった。
溢れ出す水滴を、私は拭うこともできずに立ち尽くす。
両親を送るために流す、初めての涙だった。
自分でも驚くほど、温かい涙が溢れて止まらなかった。
「……これで私、天涯孤独になっちゃった」
もう、一人じゃないと分かっているのに、わざとそんな言葉を口にする。
少しだけ、彼にすがりたかったのだ。
一生に一度くらい、思いきり寄りかかっても、許されるだろうか。
「いや……」
シードは何か反論しようと口を開きかけたが、すぐにその言葉を飲み込んだ。
そして、私の肩を引き寄せ、力強く、そして優しく、抱きしめてくれたのだった。
◇ シード視点 ◇
ひどく懐かしくて忌まわしい、幼い頃の夢を見た。
俺の両親は早くに亡くなっている。だが正直に言えばそれは俺の人生にとって幸運なことだった。
父と似ていない髪と瞳の色。
母の不貞の証として両親から激しい虐待を受ける日々。
思い出したくもない、地獄のような日々。
「いっそ俺なんていない方が良かったのかな」
子供心にそう絶望していた矢先。両親は揃って、あっけなく事故でこの世を去った。
もう殴られなくていいという安堵。
実の親の死を悲しめない自分への、強烈な自責の念。
俺なんていない方が良かった、と言う気持ちは両親が死んでも変わらなかった。
なにせ、実の親すら満足に涙で送れない壊れた子供なのだから。
いろんな感情がないまぜになって、自分の吐き気と戦っていた葬儀の最中。
ふと視線を上げると、見習いとして働く小さな彼女――レティアの姿が目に入った。
彼女はただの仕事として、徹底した無表情で粛々と葬儀を進行していた。
親の後を追って死ぬべきだ。
薄情な子供は涙を流せない代わりに命を差し出すべきだ。
そう思っていた、空っぽの俺。
だが、そんな彼女の淡々とした態度が不思議と俺の心を軽くした。
――ああ。無理に悲しまなくてもいいんだ。
――親の死を悲しめない俺でも、生きていていいんだ。
そう肯定された気がして、俺はその時初めて、両親の葬儀でボロボロと涙をこぼした。
俺の命は間違いなく、あの時レティアに救われたのだ。
あの日、彼女が俺の止まっていた時間を動かしてくれた。
だから今度は絶望の中で立ち止まってしまった彼女を俺が救い出す番だ。
築き上げた男爵という地位も莫大な財産も彼女の命と天秤にかけるまでもない。
手の中にある小さな薬瓶を俺はぎゅっと握りしめる。
過去の回想から現実へと意識を戻すと、心配そうな声が降ってきた。
「本当に、その薬を飲む気か?」
仮死薬を見つめる俺に声をかけてきたのは育ての親である叔父夫婦。
両親の葬儀の後、抜け殻のようになっていた俺を引き取った叔父さんは言った。
「お前は親に愛されなかったのか。それは悲しいことだ。だが、お前は愛を知らなければならない」
「なにせ、愛は何より崇高だからな!」
そう言って、二人で力強く俺を抱きしめてくれたのだ。
不器用ながらも必死に俺を愛してくれた彼らのおかげで、俺は少しずつ人間らしい感情を取り戻した。
何とかこの二人に恩返しができないか?
そんな思いで必死に勉学や鍛錬に励んだ結果、才能を開花させた。
平民から貴族に成り上がるまで出世できたのも全ては二人のおかげだ。
まさに『愛は何より崇高』というわけだ。
もちろん、俺の命を救ってくれた彼女――レティアのことも忘れた日は一日たりともない。
だが俺から彼女に接触することは一度としてなかった。
平民から貴族へとのし上がる過程で俺の手は決して綺麗とは言えない泥にまみれてしまった。
俺にとって彼女は絶望の淵から救い上げてくれた女神のような、不可侵の聖域。
薄汚れた俺が関われば彼女の平穏な日常を汚してしまう気がして恐ろしかったのだ。
だから葬儀屋として真面目に働く彼女を時折遠くから眺めるだけで十分だった。
彼女が今日も無事に生きて笑ってくれている。
それだけで俺の心は満たされていたのだ。
――しかし、ある日俺は最悪の事実に気付いてしまった。
俺を暗殺しようと企む裏組織が、あろうことか両親を亡くしたばかりのレティアに借金の取り立てを行っているということに。
いてもたってもいられず葬儀屋に行った俺は、窓から見てはならないものを見てしまった。
「奴隷として売られるくらいなら……」
彼女が自らの首元にナイフを突き立てていたのだ。
心臓が止まるかと思った。
飛び出して助けようとした瞬間。
「……なーんて、無理よね」
彼女は力なくナイフを下ろすと、静まり返った家の中を見回した。
「お父さんとお母さんとの思い出があるこの家を……私、守れないのね……」
そう言って、一人きりでポロポロと涙をこぼす彼女の姿を見て、俺の中で何かが完全に決まった。
俺は底冷えした頭で考える。
今ここで俺が『シード男爵』の権力を使って彼女を庇ったらどうなるか。
奴らは確実に「この女は男爵の弱みだ」と察知し、ハイエナのように永遠にレティアを狙い続けるだろう。
ただ資金を援助しただけでも「極上の金づるだ」と絶対に彼女を離さないはずだ。
……根本から犯罪組織を壊滅させるには、あまりにも時間が足りない。
だが。
なんとしてでも、俺は彼女を救わなければならないのだ。
だから俺は叔父さんたちに犯罪組織を摘発するための裏工作を頼み込み――手元にある『仮死薬』を強く握りしめた。
「本当に築き上げた地位も名誉も全て投げうって、その葬儀屋の娘を救うつもりか?」
心配そうに問う叔父さんに、俺は笑って答えた。
「叔父さんに教わったんだよ。『愛は何よりも崇高だ』ってね」
その言葉を聞いた瞬間、叔父さんは呆れたように苦笑し――けれど、どこか誇らしげに力強く頷いた。
「そうか。ならば逝ってこい」
「ああ。元々、あの時彼女に救われた命だ。なら、返す相手はとっくに決まってる」
そう言って、俺は迷いなく仮死薬を喉の奥へと呑み込んだ。




