紅葉賀②
気高き妻が、どれほど深く、揺るぎない愛を自分に注いでくれていたか。
それを知りながらも、己が心の隙間を埋めるため、亡き藤壺の宮の幻影にしがみつき続けたことへの、酷薄な報い——。
あれほど魂を分け与えるほど藤壺の宮に恋い焦がれていたはずなのに、いま胸の奥を占めて離れぬのは、春の光を宿した幼い紫の上の、無垢な面影ばかりなのです。
もう一度、あの小さな肩の温もりに触れたい。
あの子が、心底からの安堵で微笑んでくれたら——。
ただ、それだけでよい。
根源的な渇望に、光る君は囚われておりました。
しかし同時に、鋭い恐れが彼の心を締めつけます。
「また過ちを繰り返すことで、紫の上に同じ孤独の淵を背負わせてしまうのではないか」
『……孤独……でした……これ以上なく。
ずっと……ただ、ひとり……』
死の床で、涙ながらに告げられた最期の声が、寄せては返す波のように、耳の奥に響きつづけます。
一度として忘れたことなどない。
それは光る君にとって、永久に鳴りやまぬ懺悔の鐘でした。
どうか、ただ生きていてほしい。
二度と、あの子の魂が悲しみの色に染まらぬように。
春の淡い日差しのような、あの柔らかな笑みだけは、この世から失いたくない。
ふと、光る君の脳裏に、背筋が凍るような思いがよぎりました。
「俺以外の、別の男が紫の上を深く愛し、幸せにする?」
できるでしょう。誰もが。
あの子は、その気高さと美しさゆえ、どの家に嫁いでも必ずや深く愛されるに違いない。
愛されぬ道理など、この世にあるはずもない。
あれほどまでに紫の上を絶望へ突き落とし、孤独のうちに死なせた自分ではありますが、それでも——
この与えられた二度目の生でなら、今度こそ過たず、紫の上ただ一人を誠実に、深く、真っ直ぐに愛し抜ける気がする。
それが身勝手な傲慢であり、愚かたる思いに過ぎぬと知りながらも。
従者の制止の声も、命婦の言も、光る君の耳には風音のようにしか届きませんでした。
心の安寧を求め、激情のままに藤壺の宮の御所へ走った、
かの暗い夜を思い返すたび、胸の奥にざらりとした後悔の砂が広がります。
あの夜彼が得たものは、永遠の幸福ではなく、最愛の妻の喪失だけでした。
今、浮かぶのは遠い幻影となった藤壺の宮ではありません。
『わたくしは……あなたが……好きで……好きでした……』
あの、極めて単純でありながら、あまりにも深く、苦しく、
そして美しい響き。
その言葉の重みを思い返すたび、光る君は息を吸うことさえ苦しくなります。
どうして、あの一途な愛に、生ある間に気づき、応えることができなかったのか。
どうして、あの愛しい人を、孤独から守り切れなかったのか。
胸の奥に残るのは、悔恨と渇望が入り混じる、果てのない痛みだけでした。
もうすぐ、あの子のただひとりの親代わり——
尼君が、世の定めとして亡くなられる時が訪れます。
どうか、その悲しみの時まで無事で。
どうか、己という名の破局の種に触れぬよう、誰にも見つからないままで。
そう願い、そう誓ってきた光る君はふと気づきました。
藤壺の宮のもとへ向かおうとして胸を焦がしてきた永年の執着が、いつのまにか胸の奥からすっかり姿を消していることに。
紫の上を喪ったあの深い悔恨が、執着という病を根こそぎ治したかのようでした。
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