紅葉賀①
純粋で、剥き出しの怖れを告げたその一言に、光る君の胸は、
鉄の爪で強く掴まれたように締めつけられました。
それは、死の床で紫の上が『孤独は……これ以上なく』と告白した、あの痛ましい声と、あまりにも冷酷なほど似ていたからです。
守れなかった。
生涯、その悲痛な叫びに気づけなかった。
この幼い子の心の奥底に、時とともに降り積もっていく孤独という名の雪に——結局一度も触れてやれなかったのだ。
光る君は、自らの罪の重みを全身で受け止めるかのように、
静かに膝を折りました。
手を伸ばせば届く距離。
愛おしく、玻璃のように儚く、未来を変えうる唯一の存在が、
春の霞の中に立っています。
その声は驚くほど柔らかく、深く、春の庭へ吸いこまれるように落ちていきました。
「……もう、何も怖がらないで」
「……雀の子を……犬君が逃してしまったの。伏籠に入れていたのに……」
か細い声。
泣きそうな瞳。
それは残酷な未来へ向かう少女ではなく、ただ『ひとりが恐い』と震える幼い魂そのもの。
光る君は胸の奥底で、乾いた地面に水が沁みるように祈りが生まれるのを感じました。
「あなたを……二度とひとりにはしない。
あの暗く寂しい未来へ……決して向かわせはしないから」
少女はびくりと肩を揺らしながらも、おそるおそる顔を上げました。
その幼い唇の端に、花弁の蕾のような、ほころびかけた可憐な笑みが宿ります。
光る君は、そのわずかな微笑みに、胸を深く貫かれました。
ああ、この尊い子を守り通せるなら。
もう一度、すべてを賭けてやり直せるのなら。
いかなる運命でも、神仏の摂理でさえ、この手で変えてみせる——。
彼はそう誓わずにはいられませんでした。
彼女はまだ、自分が未来の夫であることを知らない。
そして彼は、彼女が辿る孤独な最期をすでに知っている。
誰にも頼れず、ただ独りで死んでいった夜を。
秘めた涙を飲み込み続けた永い時を。
そして最後の瞬間まで『ひとりはこわい』と震えた声を。
光る君は静かに、熱い涙をひと筋落とし、唇を震わせて言いました。
「……今度こそ、ただ貴女ひとりを……」
風が吹き、桜の花弁が歓喜の舞いのように空へ舞い上がります。
時を遡る世界は、一人の男の切実な愛と、未来への贖罪を背負い、静かに歩みを始めました。
「藤壺の宮様が、まもなく御所を離れ、御自邸へお下がりになられるようでございます」
その報告を受けた瞬間、光る君の胸の奥で、乾いた何かがかすかに軋みました。
あれほど永き歳月、ただひたすら焦がれつづけた御方。
瞼を閉じれば、衣に焚きしめられた甘やかな香の気配まで蘇り、祈っても祈っても収まらぬ想いは、荒れ狂う波濤となり、
燃え盛る炎となり、止めようとしても止まらぬ大河のように、
日ごと光る君の魂を呑みこんでいったものでした。
二度と会えぬかもしれぬ——
そんな焦燥に背を押され、神仏の咎と知りながら、禁断の愛として藤壺の宮を抱いてしまった、あの秘めたる夜。
あの瞬間の幸福は甘露にも等しく、けれどその後は、どれほど華やかな女たちと肌を重ねようとも、安らぎの影すら胸に射すことはありませんでした。
そして——
紫の上を孤独のうちに喪ったとき。
光る君は、あれこそが天より課された避けられぬ罰であった、
と悟ったのです。
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