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源氏物語溺愛逆行絵巻―紫の上を失った光る君は、もう一度春へ戻る―  作者: 木風
第一帖 若紫

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若紫④

「……これは……いったい……」


言葉は喉の奥で震え、形をなさずに消えます。


庭先の笑い声。

その奥底に、ふと——

あまりに淡く、しかし確かに、微かな鈴の音が混じった。


光る君の全身の血が、一瞬で凍りつきます。

紫の上が最期の夜、袖口から落としたあの小さな鈴の音が、

鋭利に脳裏で蘇ったからです。


そして庭の向こうから、その音が——

風に乗って、かすかに——

探し続けた響きが、彼のもとへと届きました。


光る君の心臓は、痛みと渇望で破裂しそうなほど脈打ちます。

死の秋から、生の春へ。

絶望の終わりから、奇跡の始まりへ。


紫の上を腕の中で失った、そのすぐ次の瞬間に——

彼は、時間そのものを遡っていたのです。


二度と過ちを繰り返すまいという、祈りにも似た決意を胸に、

光る君は戸惑いを飲み込み、震える足で歩みを進めました。


——この侘びしい鈴の音を、俺は誰よりも深く知っている。


彼は、息を呑むように、几帳を押し分けて外へ出ました。


春の光が、目に痛いほどの明るさで降り注いでおりました。

桜の大樹の陰に、一輪の花がそっと咲いたかのように、一人の少女が立っております。

風に揺られる藤色の織物。生まれたての柔らかい頬を撫でてゆく、生あたたかい春の風。

そして——まだ何の憂いの影すら知らぬ、あどけない瞳。


そこには、生がありました。

確かで、揺るぎなく、どこまでも澄んだ『息づく命』が、

まっすぐにそこにありました。

その無垢な腰には、あの絶望の夜に小さく鳴ったのと同じ鈴が下がっています。


紫の上が——

幼く、小さく、しかし美しく、かつ健やかに——

そこに生きている。


光る君の喉は、喜びと痛烈な切実さでつまってしまいました。

胸の奥で凍りついていた何かが、一瞬にして溶け、熱い奔流となって込み上げてくる。


「……紫……」


その名を呼ぶ声は、飢えた旅人が初めて清水を得たときのような、震えるほどの渇望と感謝を孕んでおりました。

それは祈りであり、奇跡への礼であり、彼の人生そのものを捧げる誓いでもありました。


春の残照を浴びて、桜の陰に、小さく愛らしい影が立っています。

薄い藤色の衣は風にふうわりと膨らみ、まだ何の翳りも知らぬ幼い面差しの少女は、空を舞う花弁の雪を手のひらで受けようと、たおやかに腕を伸ばしておりました。

陽光がその髪に反射して艶やかに輝き、清らかな光の筋が幼い横顔の上で珠のように揺れています。


その姿が、あまりにも——

光る君が秋の夜に喪った最愛の妻の面影と、恐ろしいほど重なっておりました。


春の生命に満ち、無垢そのもののようにそこに立つ少女と、

数刻前まで彼の腕の中で冷たくなった亡骸が、同一であるなど——どんな道理があるでしょう。


光る君は、声を枯らして名前を呼びたい衝動を、血を吐くような苦しみで抑え込みました。


手を伸ばせば、再び運命の緒に触れてしまうのではないか。

この無垢な魂を、再び孤独と悲嘆の淵へと追いやってしまうのではないか。


未来を知る者としての罪深い知識が、彼の胸を締めつけます。

彼女の幸福を願うなら、己の影を落とすことなく、このまま静かに、俗世の穢れから遠ざけて生かすべきなのではないかと。


「……あなたは——」


声は意図に反して低く震え、乾いた喉から絞り出すように漏れました。

名を呼んではならぬと誓ったはずなのに。

最期に瞼の裏に残った幼い日の紫の上が、今、春の陽光そのもののように輝いている。

こんなにも、何の翳りもない、朗らかな光を湛えた顔をしていたのかと、その事実に、胸を激しく穿たれました。


少女はびくりと肩を震わせ、鹿の子のように身をすくめて逃げようとしました。

大きな瞳が水鏡のように揺れ、まだ言葉という鎧を身につけていない幼い不安だけが、その奥底にはっきりと浮かんでおります。


そして、震える唇が、かすかに開きました。


「……ひとりは、こわいの……」


そのただ一言が、光る君の胸を深く貫きました。

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