二周目の世界
四月十日、時刻は七時ちょっと過ぎ。深雪は自室に戻り、母に言われるがまま学校へ行く支度をしていた。
部屋をよく見まわすと、閉め切っていたはずのカーテンは空いているし、クローゼットの奥にしまい込んだ制服は、ビニールを被った新品の姿で一番手前に置かれている。その他にも、勉強をするスペースの無いほど教科書の積み重なった机が、綺麗になっていたり、そもそも高校の教科書自体が無かったりと、レイアウトが二年前のものへと変わっていた。「変わっていた」というよりも「戻っていた」という方が正しいのかもしれない。
いまだに、現実だと受け入れられない深雪であったが、目の前に写る景色は間違いなく本物であった。
(やっぱり、戻っちゃったんだ)
深雪は新品の制服に目をやる。
「はぁ…」
不登校だった深雪にとって、学校に行くのは約一か月振りである。学校に行きたくないとは思わない。それどころか、不登校で親に迷惑をかけるような未来にならないように、二回目の学校生活を良いものにしたいと思っている。
けれど、登校するにあたって大きな問題がある。それは、霧江優斗の存在である。不登校である期間、深雪は少なからず優斗を避けていた。
母親のようすからみて、優斗も記憶をなくしているだろう。つまり、今の優斗にとって、深雪に迷惑をかけられたという認識はない。
それでも、深雪には少なからず罪悪感を覚えていた。
◇
結局、まだ彼女の居ないこの世界の優斗を一目見たくて、深雪は登校することに決めた。
(遠くからでも良い、一目だけで良い、霧江に会いたい)
その後のことなんて考えてなかった。混乱するかもしれないが罪滅ぼしのために謝罪したいのか、それとも何事もなかったようにこの世界で生活していくのか、はたまたそれ以上の何かを望んでいるのか…。
(やっぱり、気が重い…)
深雪は今、高校までの通学路で優斗が現れるのを物陰で待っている。この世界を二周目とした時、一周目の世界では入学式の日、深雪は優斗と登校する約束をしていた。深雪にとって二年前の約束だったが、それを頼りに待ち合わせ場所まで来ていた。
時間が過ぎていく度に、鼓動が速くなるのを感じる。冬の気配を残した冷たい風のせいか、指先も震えている。
今まで感じたことのない緊張に、心を落ち着かせるので精一杯だ。
「震えてるけど、大丈夫?」
「え……」
深雪が声のする方へ目を向けると、そこには優斗が立っていた。
優斗の顔を見て、今までの最悪な想像はすべてどこかへ消えてしまった。不安も、緊張も、罪悪感も、それを上回る衝撃で上書きされたのだ。
約一か月ぶりに見る、霧江優斗の姿。深雪の記憶にある、優しくて愛おしい想い人の姿がそこにあった。
そして深雪は確信する。
自分はまだ彼のことを諦めきれていないと……、彼のことが好きなのだと。
「大丈夫、少し緊張しちゃってて…」
「蒼も?俺も昨日からずっと緊張してて、あんまり寝た気がしないんだよね」
「そっか、でももう大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
「それなら良かった」
二人は自然に、高校の方へ歩き始めた。
◇
学校へ着くまでの間、これから始まる高校生活について話し合った。
友達ができるかなとか、同じクラスがいいねとか…。どれも深雪が一周目の世界で、経験してきた会話であった。
やはり、優斗にも一周目の世界の記憶はないようで、深雪だけがこの先の未来を知っているみたいである。
例えば、一年生のクラス分けで深雪と優斗が同じクラスになることや、二年の体育祭の日に優斗に彼女ができてしまうことなど。二つ目は余計な想像だった。
逆に言えば、二年の体育祭までに優斗との関係を深めることができれば、優斗が他の子と付き合うことを阻止できる。
会話中、そんな事を考えているうちに学校へと到着した。
生徒玄関の前には人だかりができていた。皆、クラス名簿を確認しているのだ。深雪の苗字は「あおい」で大体出席番号が一番なので見つけやすい。それ以前に深雪は自分のクラスを知っているため探す必要はない。
それでも、不審がられないように名簿から自分の名前を探すフリをする。
『1年2組
1番 蒼 深雪』
自分の記憶と同じクラスで、少しだけ安堵する。さりげなく目線を落とし優斗の名前もあるか確認する。
『9番 霧江 優斗』
出席番号までは覚えていなかったが、同じ組で同じクラスメイトであることは記憶と相違が無い。
(あぁ、そうか……)
どうやら本当の本当にタイムスリップしてしまったようだ。クラス名簿を見て、ようやく確信に至った。
一周目と仮に呼んでいる世界は、予知夢であったのだろうか。夢であったなら相当の悪夢であった。
いまだに、この現象の理屈は理解できないが、この世界で唯一未来を知っている深雪は、特別な存在であることは確かだ。
覚えているかは置いておくとして、テストの問題も、体育祭で優勝するクラスも、今後の高校三年の春までの出来事を知っている。全知全能まではいかなくとも、深雪にとって有利な世界であることに他ならない。
仮に深雪が株について知識があれば、どの企業が今後成長して、どの企業衰退するのかを知ることができていた訳で。数年後、お小遣い程度のお金は苦労しなかったかもしれない。それどころか、宝くじの当選番号を覚えていれば手っ取り早く億万長者だってなれたかもしれない。
(はは、そんなのチートじゃん)
もちろん今のは、可能性の話であって実際には深雪に株の知識はないし、宝くじを趣味で買っていたなんてことはない。
それでもタイムスリップなら、そんな空想を現実にしてしまえることは確かであった。
そんな思いをはせている間に、優斗がクラスを確認して戻ってきた。
「蒼は何組だった?俺は二組」
「私も二組だったよ」
「同じクラスじゃん、やったね!」
優斗の純粋な笑顔を見て、胸が高鳴る。それと同時に先ほどまで考えていた思考に罪悪感を覚える。
自分だけ知識チートみたいな状況にあり、すでにクラスを知っていたことがズルだったのではいかと心配になる。本来なら優斗と同じ、ドキドキを感じて、喜びを感じていたはずなのに…。
例えるなら、ゲームでネタバレを食らった状態の深雪と初見プレイの優斗。自分がすでに知っている事柄に対して驚き、感動する純粋な反応に後ろめたく感じるような。
なぜだろうか、近くに居るはずなのに遠くにいるような寂しさを少しだけ感じた。
「どうかした?」
少しの間、立ち尽くしていた深雪に優斗が覗き込むように声をかける。
「何でもない。教室行こっか」
深雪は平静を装いつつ、校舎へと歩きだした。
◇
入学式はそこまで緊張しなかった。
それよりも、先生方の長い話を聞くのが大変だった。久しぶりに頭を使ったからか睡魔に襲われ、なんとか耐え抜いた。座り順的に、優斗から深雪の姿が視界に入るため、高校生活初日で優斗からの信用を崩さないようにと必死だった。
ホームルームでは、既に知っている担任の自己紹介と配布物、懐かしい聞き覚えのあるような先生の意気込み。どれもこれも二回目の深雪にとって予定調和で退屈なものであった。唯一の救いは今日が午前授業であったということだ。
クラスメイトのことを知っている状態で今日の皆の様子を見るのは何となく面白かった。最初はこんな感じだったの、と意外な一面を見せていた人が居たり、それぞれの言動に納得ができたりで、勝手に知ったような気で居た。
いつも騒いでいる男子たちも、今日ばかりは緊張があってか静かだったし、身だしなみをよく注意されるギャルたちも着崩さないでいて、二年後との違いも楽しかった。
それでも、これからずっとこの感じだと思うと、気が滅入ってしまうだろう。新しい発見はあれど、すでに一度視聴したドラマやアニメの再放送を見ているような感覚だ。余程、好きな作品でもないと楽しむのは難しいだろう。この場合における好き嫌いは分からないけれど。
一回目と同じ道をなぞっていく。そんな一日であった。
途中から、初期化したゲームをプレイしているような気持ちになっていた。もったいないような、清々しいような、複雑な気持ち。会話をスキップできない分、退屈な時間が多いだろうけど…。
そんな気持ちを胸の奥にしまい、再び始まった学校の疲れに押しつぶされ、帰宅して早々、深雪は眠りに着いた。




