やり直したい現実
「もしも、過去に戻れるなら…」
誰もが一度は考えたことがあるだろう、現実逃避の思考。その根源にあるのは実際に行動を起こせなかった者の後悔ではないだろうか。
あの時こうしていれば良かった、あの時ああしていれば良かった。例えば、友人と仲直りできないままに疎遠になってしまったり、雨の日傘を持たずにずぶ濡れになってしまったり…。人生を変えたかもしれない大きな事から些細な事でも良い。
そんな「もしも」を望むのは、結局目の前の現実から逃げたいだけの、自分の弱さの表れではないのか。
「それでも、最後だから許して」
◇
蒼深雪は不登校であった。高校三年生、これから受験で忙しくなるという時期にも関わらず、家の中で怠惰な日々を過ごしていた。
「深雪ー!行ってくるね!」
部屋のドアが開き、深雪の母が顔を覗かせる。深雪の両親は共働きであり、平日は深雪は家に一人だった。
不登校となった現在でも、家族との関係は良好である。たまに三人でご飯を食べたり、会話をしたりするほどに。
母は深雪の返事を聞く前に、家を出て仕事場に向かって行った。
「はぁ」
深雪はため息を吐く。反抗期で母がウザったいと思っているのではない。むしろその逆である。
母は不登校で親不孝な深雪を、ちっとも迷惑だと思っていないように接する。実際に迷惑に思っていないのかもしれない。
そのことを分かっていて、改善しようと思えない自分に嫌気がさしているのだ。
現実逃避するように、SNSをぼんやりと眺める。生産性のない、くだらない投稿をただ眺める。時折、時間を浪費している感覚を覚えて自己嫌悪する。そんな毎日を過ごしていた。
「なにしてんだろう、私…」
誰に言うでもなく呟く。
カーテンの閉め切った暗い部屋。それと同じくらい真っ暗な深雪の心。
こんな風になったのはある原因があった。
◇
深雪には想い人がいた。霧江優斗という同級生である。
小学校で知り合って以来、同じ高校に通っている。いわゆる幼馴染のような存在であった。幼馴染といっても互いの家族を知るほどの密接な関係ではない。ただ、長い付き合いの中で、深雪にとって幼馴染のような特別な存在となっていた。
深雪はそんな優斗のことが好きであった。優斗と同じ高校に進学するほどに。しかし、交際はしていなかった。
深雪は慢心していた。「きっと霧江は、自分のことを好いている」と。だからこそ、告白をするなんて考えていなかった。もちろん、向こうから告白されるなんて考えたこともないが、いずれチャンスが訪れて、なんとなく結ばれると、そんな風に思っていた。
しかし、現実は違った。高校二年の時、クラスが別になってから少し疎遠になってしまった。
仲が悪くなった訳ではない。話す機会が減ったのが主な理由である。また、自ら話しかけに行く勇気もなく、気づけばすれ違うと軽く挨拶を済ますような関係となってしまった。
それから一年間、深雪と優斗の関係の進展がないまま過ぎていった。
三年生になって、深雪と優斗は同じクラスになった。以前のように、優斗と過ごす日々が再開すると心躍っていた。
けれど、そこで知ってしまった。優斗には彼女が居た。二年生の時に付き合ったらしい。深雪はショックで言葉もでなかった。
ただ、目の前にある「優斗に彼女が居るという現実」を受け止めるしかなかった。
それから少しして、深雪は不登校になってしまった。想い人に彼女が居るというのは、考えていたよりも辛かった。その事実を知ってからも少しの間は学校に通っていた。その時はまだ受け入れ切れていなかったのだろう。
優斗とその彼女は、あまりカップルらしくなかった。はたから見ても、ただの友人程度の距離感であった。けれど、時折見せる、お互いを信頼しているような仕草に心をえぐられ、自分が優斗の彼女ではないという現実を叩きつけられた。
そうして、次第に学校に行かなくなってしまった。
◇
深雪が体を起こしたのは、十二時の少し前であった。
お腹が空いたため、部屋を出て食卓の方へと向かう。
(そういえば、お母さん仕事行ったんだっけ…)
今日は五月のゴールデンウィーク明け、休みの間は母がご飯を用意してくれていたが、今朝は忙しかったのだろうか、食卓の上には千円札と「お昼ご飯代」と書いてあるメモ紙が置かれていた。
深雪は千円札を無造作にポケットに入れて、メモ紙を丸めてゴミ箱へと捨てる。
外出するのを面倒に思いながらも、体を伸ばしながら部屋に戻り、出かける準備を始めた。
部屋に脱ぎ散らしてあったパーカーを拾い上げ、軽く掃ってから腕を通す。次に、タンスから色気のないズボンを取り出し着替えた。最後に、先ほどの千円札を財布にしまい、その財布を入れた小さなカバンを背負い出かける準備を終える。
玄関に行き可愛げのないスニーカーを履く。深雪はほとんど外出しないが、靴は並べられている。何も言わないが両親があえて置いといてくれているのだろう。深雪はそんな気も知らず、当たり前のように並べられているスニーカーを履いた。
久しぶりに履く靴は、少し冷たく、足を締め付ける。足元に少し違和感を覚えつつも、靴をかかとまでしっかりと履き、玄関のドアを開けた。
◇
外は、嫌になるくらい眩しく太陽が照っている。深雪は逃げるように日陰に入る。
深雪が目指しているのは家から一番近くにあるコンビニ。ゆっくりした足取りで、コンビニまで歩いていった。
少しして大きな通りに出る。この道路を横断すればコンビニはすぐである。深雪は押しボタン式の信号のボタンを押し、ボーっと信号が変わるのを待っていた。
平日の昼頃だというのに、交通量はそこそこ多い。ほとんど真上まで上った太陽が、ジリジリと深雪を照らしている。
やがて、信号が変わり深雪は歩き出した。
その時、一台の自動車が速度を落とすことなく深雪に向かって突っ込んで来た。
運転手はよそ見をしていたようだが、信号がギリギリ変わったところで通り過ぎようとしていたようだ。一方深雪の方も、車が停止したことを確認せずに横断を始めた。
どちらか一方が悪いわけではない。ただ、お互いに気づいたときには、すでに避けることは不可能であった。
(嘘っ!死ぬっ!)
自身に向かって突っ込んでくる自動車に恐怖する。深雪は脳をフル回転させる。
(ちゃんと、確認してから進めばよかった。小学生で一番最初に右左確認することを習ってたよね?)
(向こうは、向こうで何で止まらないの?)
(走って避ける?前に?後ろに?ていうか間に合うの?)
(ダメだ、何にもまとまらない!)
ここで深雪の頭に一つの考えが過る。
(私って、生きる意味あるのかな?)
(勝手に期待して、何もできないままフラれて、逃げるように不登校になって、学校に行く理由をなくして…)
(親に迷惑かけて、何もせず引き籠って…)
(それなら、もう…)
いっその事死んだ方がましだなんて、不謹慎な考えが頭を過った。
焦りがなくなり、妙に冷静になった。鼓動がどんどん大きくなり、指先が震えている。恐怖は消えた訳ではない。後悔もたくさんある。
けれども、覚悟を決めた。
深雪はそのまま、向かってくる自動車に体を委ねた。
深雪の体と自動車が衝突する。骨が軋む感覚を覚え、今まで感じたことのない痛みが全身を襲う。
声を上げる間もなく、前に投げ飛ばされ、コンクリートに頭をぶつける。
(痛い、辛い、怖い……)
衝突した右半身が痛い、撥ねられ打った頭が痛い、こんな状況が続くのが辛い。何よりも、今まさに死に近づいている実感がして怖い。
ぼんやりとした意識のまま、周囲を確認する。地面は傷口から流れた深雪の血液で赤く染まり、辺りは悲鳴やクラクションで騒がしい。
徐々に騒音が聞こえなくなっていき、深雪の意識が遠のく。
(あぁ、どこで間違えたんだろうか)
不登校になったことだろうか。根本を辿れば優斗に彼女ができたことだろうか。そんなこと、深雪にはどうしようもない。
そもそも、優斗を好きになったことが間違いなのか。そんなことはない。
何がいけなかったか深雪は本当は分かってる。
(原因は私__)
(私が消極的だったから、霧江にアピールをしてこなかった)
(私が楽観的だったから、それでも大丈夫だと思ってた)
(私が弱かったから、現実を直視できなくて不登校になった)
(だからこんな目に遭ってるんだ。全部、私のせいで今がある。そのことに今更気づいた)
気づいたとて、何かが変わる訳じゃない。深雪は気づくのが遅すぎたのだ。
深雪はそのことを理解した。そうして自責を終わりにする。
そうして、深雪の意識が途切れた。
◆
【もしも、過去に戻れるなら…やり直せるなら、どんな未来が待っていたのだろうか。望む未来が訪れるのか。それとも、霧江への未練を捨てることができるのか】
【どうしようもない現実逃避だけど、思い残すことはなくなるのかな】
◆
深雪が目を覚ますと、自室のベッドの上にいた。妙に気だるく、目覚めは良くない。
なんだか、夢を見ていたような気がするが内容は全く思い出せない。
(あれ…?)
意識がはっきりして気づく。
(私、事故に遭ったような……)
深雪は、バッと体を起こし自身の体を見る。点滴に繋がってなければ、包帯も巻かれていない。それどころか、外傷も痛みも全くないのである。
深雪は事故に遭った時のことを思い返す。右半身に車が衝突して、骨が折れたかのような痛みを感じた。地面のコンクリートに頭を激しくぶつけた。地面を染める流血と、血液の錆臭いにおい。周囲の悲鳴とクラクションの騒音。
事故のことは、いまでも鮮明に脳裏に焼き付けられている。辛いと感じられるのにその痛みが今はまったくないのである。
(あの事故何だったの。夢?それにしては痛みや感覚がリアルだった)
深雪にとってあの事故は、現実のようであった。けれども、その事故があったと証明するはずの外傷が存在しない。
傷が治るまで寝ていたのだとしても、ここが病室でなく深雪の自室であることに矛盾が生じる。
どんなに頭を働かせても、答えが見つからない。とりあえずお腹が空いたので部屋を後にする。
部屋を出る前にもう一度、自身の部屋を見渡す。もう一度見ても、日に照らされた自分の部屋である。
深雪は違和感と疑問を抱えたまま、部屋を後にした。
◇
「おはよう」
「あぁ、おはよう…」
母からの挨拶に、反射で返事をする。返事をしてから違和感に気づく。
「あれ、お母さん仕事行かなかったけ?」
「何?寝ぼけてるの?今日は早めに準備していかないと、入学式当日から遅刻したら恥ずかしいよ」
深雪が入学式に行く用事なんて心当たりがなかった。深雪には兄弟姉妹は居ないし、そもそも深雪自身は高校三年生である。また、入学式には他学年の生徒は参加しない。
それに、入学式は四月の初めごろに行われる。深雪が始業式から少し経った後、不登校になったため時期がとっくに過ぎている。
「お母さんこそ寝ぼけてるの?今日は五月の……」
正確な日付が分からない深雪は、カレンダーを見ながらゴールデンウィーク明けの日付を確認する。
深雪が確認したカレンダーは四月のものであった。
「これ、カレンダーめくり忘れてるよ」
「本当?じゃあ、めくっておいてくれない?」
キッチンの方から母の声だけ聞こえる。
深雪が四月のカレンダーを破ろうとした時、不意にテレビの音声が耳に入った。
『本日は、四月の十日。天気は晴れ……』
「は?」
深雪は声を漏らす。現代人にとって最もメジャーで、利用者の多いテレビメディアがよりにもよって日付を間違える筈がない。それなのに、深雪の認識している日付とは異なる日付を堂々と口に出し、訂正する素振りもない。テレビに映るニュースキャスターもコメンテイターも誰一人として今日が四月十日であることに異議を申し立てないのである。
慌てて、スマホで日付を確認する。そこには「4月10日」という数字が浮かびあがった。
(どういうこと?私は高校三年生で、現在不登校で、今は五月の初めで、コンビニに行く途中に事故に遭って…)
自身の記憶を確かめるように、自分の認識している事実を次々と挙げていく。
ふと、先ほどの母の言葉を思い返す。「入学式」、つまりこれは深雪の入学式ということ。しかし、深雪は三年生であり、入学式に参加する必要がない。
ここで、五月の初めから四月の十日へと日付が戻っているもしくは、進んでいるというありえない事実を思い返す。もしやと思い、西暦を確認する。
(……二年前)
深雪は頭を叩きつけられた時のような、衝撃を受ける。
(どういうこと?過去に戻ったの?それとも今までの高校生活は夢?)
どれだけ頭を働かせても、納得のいく結論は出せない。目の前には、今までの高校生活の全てが白紙になった世界が広がっている。それしか分からない。
白紙ということは、深雪にとって失敗に終わった高校生活を、初恋をやり直せる、最大のチャンスが降ってきたということである。
寝覚めの憂鬱な気怠さも、記憶に残っている事故の痛みも、全てが消し飛ぶような衝撃であった。
あとがき
無口と申します。
作品について、疑問に感じたところや分からないことがあれば遠慮せず質問してください。すぐ返信できるか分かりませんが、ネタバレのない範囲にでお答えいたします。
この作品は、明確に何曜日の何時に投稿するとは決まっていません。最初の二、三話は連続して投稿しますが、基本的に週に一、二話投稿を目指してます。毎週投稿することがプレッシャーとなってしまったり、投稿することが目的となってクオリティが下がったり、すると本末転倒なので、ゆる~く投稿してきたいと思います。ご了承ください。好評の場合、モチベが上がって投稿頻度が上げる可能性もあります。無理のない範囲で頑張るので応援お願いします。




