星霊の告げしもの 〜ある夫婦の最後の春〜
春の終わり、冷たい風が街の端をかすめる夕暮れどき。
今日最後の占い客として、小柄な中年女性が占い小屋の扉を開けた。
「ごめんなさいね、こんな年で来るなんて場違いかしら。でも……ちょっと、心配になっちゃって」
柔らかく笑うその人は、どこか憂いを帯びていた。
名はマリナ。近くの商店街で花屋を営む女性だという。年の頃は五十前後だろうか。
「最近、夫が冷たくて。前はあんなじゃなかったのに……。なんだか、私を避けてるみたいで」
言葉の端々ににじむ寂しさと不安。
私は静かにうなずき、机に置いた星霊盤に手をかざした。
盤の上に星のような光点が浮かび上がり、いくつもの軌道が緩やかに揺れる。
彼女と、その“夫”の未来。
私はいつものように、目を閉じて、その軌道の行く末に意識を沈めた。
……そして、星の光が示した答えに、心がひやりと凍る。
「――近いうちに、大切な人との別れが訪れます」
言葉を選びながら、私はそう告げた。
マリナさんは一瞬、口を開いたまま動かなかった。
だが、やがてうつむき、小さく息をついた。
「やっぱり……離婚、かしらね。もう、覚悟してたのよ。最近じゃ、まともに目も合わせてくれないし」
その声には、泣き笑いのような感情が混ざっていた。
私は迷った。
占い師として、どこまで伝えるべきなのか。
星霊盤の示した“別れ”が、単なるすれ違いではないことを。
でも、マリナさんはその迷いを見透かしたように、目を上げた。
「あなたの目……全部言ってないわね?」
私は、そっと目を伏せて言った。
「――旦那さまは、あなたの元を“離れる”つもりです。けれど、それは離婚ではありません。……もっと深い、別れです」
その意味を理解したとき、マリナさんの瞳が大きく揺れた。
それでも、彼女は涙を流さなかった。ただ、手を強く握りしめて、長いこと黙っていた。
⸻
それから数週間後、彼女が再び占い小屋を訪れた。
顔色はよくなかったが、不思議と穏やかな表情をしていた。
「当たってたわ。あのあと、思いきって問い詰めたの。……そしたら、夫が“もう長くない”って。医者にも通ってたのに、私には何も言わずにいたのよ。迷惑をかけたくなかったって」
私は黙って頷いた。
「でもね、聞けてよかった。まだ、間に合ったのよ。……ご飯を作ったり、昔話をしたり、手をつないで散歩したり。占いで“もうすぐ別れが来る”って知ったから、私は残りの時間を悔いなく過ごせたの。あのとき言ってくれて、本当にありがとう」
涙をにじませながら、それでも笑っていた彼女の姿が、今も脳裏に焼きついている。
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さらにしばらくして、マリナさんから一通の手紙が届いた。
リュミさんへ
夫は静かに、朝の光の中で旅立ちました。
私の腕の中で、ありがとうって言ってくれました。
最後の夜、夫がこんなことを言ったの。
『未来を知ったって、何も変えられない。でも、お前が笑ってくれて、本当に幸せだった』
星の導きが、私たちに“間に合う時間”をくれました。
あなたに占ってもらって、本当によかった。
ありがとう。
マリナより
私はその手紙を両手で抱きしめながら、そっと星霊盤に手を伸ばした。
星の光は、未来を変えるものではない。
けれど、それを知った人が“今”を大切に生きようとする――
その選択を支える、ささやかな灯になれるのなら。
私はこの手で、これからも星の声を伝えていこう。
たとえそれが、哀しみを含んでいても。
未来が痛みを伴っていても。
それでも、人は誰かを想って生きられる。
そう信じている。