星を継ぐ者
その夜、山間の空は晴れていた。星霊盤を回すにはうってつけの夜だった。
師匠は黙って盤を広げ、火を灯したランタンの光を遠ざけて、手元を月明かりの下に置いた。
「静かな夜ほど、星はよう語る」と、よく言っていた。
リュミは、焚き火の前で静かに膝を抱えていた。
まだ十代だった。だが、占い師としての才は確かにあった。
迷いも、傷も、戸惑いもあった。けれど、それを隠そうともせず、誠実に人の運命と向き合おうとする目を、師匠は何よりも愛おしく思っていた。
「……師匠、今日はわたしの星を見てください」
不意に言われて、手が止まった。
「自分の未来が、気になるか?」
「……はい。でも、自分で占うのは、まだ……怖くて」
それはそうだろう。占い師というのは、ときに他人よりも自分の未来に臆病になる。
だからこそ、師は黙って星霊盤を静かに回し始めた。
盤が音もなくゆっくりと回転し、星の軌道が重なり、交差し、一つの線を描き出す。
しばらくして――盤から微かな金の光が立ち上った。
それを読み取ると、師匠は目を細めた。
「お前は、ひとりで立っていける。占い師として、胸を張って生きていける」
リュミは、わずかに眉を上げた。
「本当、ですか……?」
「本当だ。お前は“選ぶ”ことができる。誰かの言葉ではなく、自分の意志で。……そういう星の動きじゃ」
そう言った師匠の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「ありがとう、師匠」
リュミは目を伏せて、焚き火の炎を見つめた。
その横顔を、師匠は静かに見つめていた。
――この子は、もう大丈夫だ。
そう、確かに思えた。
だが星霊盤は、もう一つの兆しも告げていた。
《お前の旅路は、彼女の中で終わる》
それが意味するところは、占いの熟練者ならわかっていた。
自分の命が、この弟子の旅立ちと引き換えになるのだと。
けれど――それを口にすることはなかった。
•
それから数ヶ月、二人は町を巡り、時に野宿し、時に祈りの地で星を読んだ。
弟子としてのリュミは、成長の著しい少女だった。
ある夜、リュミが珍しく酒場で占いを頼まれ、ひとりで対応を終えたあと、少し誇らしげに戻ってきた。
「“当たってしまいました”。……でも、それでいいのかなって、まだ思います」
「当たっただけで満足せず、その先を考えるのが占い師じゃ。お前は、ちゃんと向き合っておる」
師匠は酒のカップを置き、そっと焚き火に薪をくべた。
「……わしはな、リュミ。いつか一人で立てるように、ずっとお前を見てきた。占いは、お前に向いている。けれど、何より、お前の心が人を救う」
「……師匠?」
「心配するな。何があっても、お前はやっていける。そういう器じゃ」
それは、別れの言葉のようだった。だがリュミはその夜、疲れていたのか、気づかずにうなずいて火の前で眠った。
師匠は、しばらくその寝顔を見つめていた。
•
ある朝、リュミが目覚めたとき、師匠の姿はなかった。
小屋に残されていたのは、古びた旅鞄と、一冊の分厚い占い帳。
中には、これまでの教えのすべてが記されていた。
「師匠……?」
焦るように周囲を探し、宿の主人に尋ねると、師匠は早朝、ひとりで出て行ったという。
それきり、消息はなかった。
何度も探した。街で噂を尋ね、占いまで使って足取りを追った。
けれど――星霊盤は、何も語らなかった。
リュミは気づいた。
《自分で選ぶ未来に、師匠の影はもう映らない》と。
•
それから月日が経った。
ひとりで占い小屋を持ち、リュミは町に住むようになった。
人々の悩みに耳を傾け、星霊盤と向き合う日々。
けれど時折、思い出す。
師匠のあの静かな眼差し、焚き火の向こうで語った言葉。
――お前は、やっていける。
それは、厳しくも愛のこもった祝福だった。
ある夜、リュミはふと思い立ち、自分の星をもう一度占ってみた。
星霊盤は、やわらかく金色に光った。
《継いだ星は、いま静かに輝いている》
それは、あの人の星が自分の中で生きていることを示すようだった。
リュミは、そっと目を閉じた。
「ありがとう、師匠。わたし……やっと、わかった気がします」
星は、教えてくれた。
大切な人は、いつまでも隣にはいられない。
けれど――その教えは、灯として残り続ける。
だからこそ、リュミは今日も占い小屋に立つ。
星霊盤の光に耳を澄ませながら、誰かの未来を、そっと照らしていくのだった。




