星に選ばれし日
その日、空は雲一つなかった。
澄み切った青の下、山小屋の庭に風が渡り、木々の葉をさわりと揺らしていた。
焚き火の煙は真っ直ぐに立ちのぼり、まるで空へと道を描いているようだった。
「リュミ。こっちへ来い」
低く落ち着いた声に呼ばれ、リュミは小走りに小屋の裏庭へ向かった。
師匠は、大きな布で何かを覆い、土台の上に慎重に据えていた。
「師匠、それ……?」
「これはな、星霊盤じゃ」
リュミは思わず息をのんだ。
星霊盤――それは、ただの魔道具ではない。
占い師の証であり、人生をかけて使い続ける“魂の器”だ。
普通の弟子に、それは与えられない。弟子が“本当に”占い師としての道を見つけた時、初めて師が自らの魂の一部を込めて創り出す、それが星霊盤だった。
リュミは何度もその話を聞いていた。だからこそ、信じられなかった。
「……わたしに?」
「ああ。お前のために作った」
布がゆっくりと取り払われた。
そこに現れたのは、漆黒の円盤。中心には金と銀の細い環が重なり合い、精密な魔法刻印が静かに輝いていた。
盤の縁には、星の名を記した古代語と、魔道の線が流れるように刻まれている。
リュミはしばらく、声も出せなかった。
「この盤はな、お前の星の形に合わせて作った。……お前が今までどれだけ迷い、泣いて、それでも前に進もうとしてきたか、わしは見てきた。だからこそ……渡す気になった」
師匠の声は、いつになく静かだった。
「だがこれは“重い”ぞ。占い師は、当てることが目的ではない。迷いに手を添え、道を照らす者だ。時に嫌われ、時に恐れられても、相手の心を真っ直ぐに見つめる強さが要る」
リュミは、小さくうなずいた。
「……わかっています。でも、わたし……やりたいんです。誰かの“本当の願い”に、気づける人になりたい。星が示すことがすべてじゃない。けれど、その星を一緒に見てあげられる人には、なれると思う」
師匠は目を細めて、その言葉を聞いていた。
そして、星霊盤を両手で持ち上げると、リュミの胸の前に差し出した。
「これは、わしの魂の一部を込めた盤じゃ。つまり……お前がこの道を進む限り、わしはずっとお前と一緒にいる。……それが、星霊盤というもんじゃ」
リュミの指先が、そっと盤に触れた。
瞬間――小さな光が、盤の縁に宿った。リュミにだけ見える、師匠の“星の名”が、淡く輝いていた。
「師匠……ありがとう」
「礼など要らん。これからが本番じゃ」
照れたように師匠は背を向けたが、その声はほんの少しだけ震えていた。
•
それから、リュミは星霊盤と共に生きた。
最初はうまく読めず、星の軌道がただの光にしか見えなかった。
けれど、少しずつ、問いかけるような星の声が聞こえてきた。
「星は、信じた者にだけ、語る。盤はお前の手足じゃない。心の延長だ。迷った時は、まず自分を見つめろ」
師匠はそう言って、何度も焚き火の前で語ってくれた。
厳しい教えの裏に、リュミは深い愛情を感じていた。
ある晩、リュミが一人で占った結果に悩み、声も出せずに落ち込んでいた時。
師匠は星霊盤をそっと持ち上げて、彼女に返した。
「それでも、見たことから逃げるな。……目をそらさず、誰かの痛みに手を伸ばせる者こそが、本物じゃ」
その言葉が、リュミを支え続けている。
•
今、リュミはその星霊盤を小屋の奥に静かに置いている。
もう、師匠はそばにいない。
けれど――盤には、あの人の魂の温度が、たしかに宿っている。
迷う夜、盤に触れるだけで、不思議と背筋が伸びる。
「占い師は、星に代わって言葉を紡ぐ者。お前なら、大丈夫じゃ」
その声が、今も耳に残っている。
盤の縁にある、金の星座のひとつ。そこに刻まれた古い文字は、師匠の名を意味していた。
リュミは今日も星を読む。
そして、誰かの願いを、そっと見つめる。
それが、あの日、師匠から託された運命だから――。




