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その願いは、他人のものです

朝霧がうっすらと残る森の小径。木々の葉の隙間からこぼれる日差しが、古びた占い小屋の屋根を柔らかく照らしている。


小屋の中では、リュミが魔道具《星霊盤》の埃をそっと払っていた。青と金の輝きを内包する盤面は、問いに応じて未来の兆しを読み取る不思議な道具だ。リュミがまだ占い師として立ち始めた頃、亡き師匠が遺した唯一の宝物だった。


その日、小屋を訪れたのは十歳ほどの少女だった。まっすぐで、どこか張りつめた瞳をしている。ぎゅっと結ばれた口元から、緊張がにじみ出ていた。


「こんにちは、リュミさん。占いをお願いしたいんです」


「いらっしゃい。どんなことを占いましょう?」


「……私、将来、宮廷画家になりたいんです。その夢、叶うかどうかを」


夢。それはきらきらとした響きを持ちながら、時に重たい鎖にもなる言葉。リュミは微笑みながら、星霊盤に指を添えた。


「では、あなたの“願い”の行く先を、見てみましょう」


少女の名前を静かに唱えながら、星霊盤の縁に手を置く。盤面の中心が微かに光り、星々のような粒が浮かび上がった。だが——


《その願いは、借り物です》


冷たい言葉のような光が浮かび、盤面はやがて沈黙した。


リュミは少しだけ顔を曇らせた。星霊盤はときに残酷な真実を告げる。けれど、それをどう伝えるかは、占い師の役割だった。


「……すぐに答えを言うのは難しいけれど。ひとつだけ聞いてもいい?」


「はい」


「その“夢”、いつから抱いてたの?」


少女は戸惑いながらも、ぽつりぽつりと語り始めた。


「お母さんが……昔、画家になりたかったんです。でも家が貧しくて諦めて。だから、私に“絵を描くのが上手ね”って、いつも言ってくれてて……。きっと、私が画家になったら、喜んでくれると思って……」


「うん。お母さん、きっとあなたのこと、大切に思ってるんだね」


「……はい。だから、夢を叶えたいんです」


リュミは小さく息を吐いた。優しさから生まれた願い。でもそれは、少女自身の心から湧いたものではない。


「それは、とても立派な想いだと思う。でも、星霊盤はこう出たの。『その願いは、他人のものです』って」


少女の目が揺れる。唇が震え、小さな肩がこわばった。


「でも、わたし、ずっと……!」


「夢を否定したいわけじゃないよ。ただ、“その夢を持っていたときのあなた”と、“本当に描きたい未来のあなた”が、違うのかもしれないって思ったの」


リュミはそっと、棚からスケッチ帳を一冊取り出した。旅人の子どもが忘れていったものだ。中には、草花や動物、町の風景が、自由な線で描かれていた。


「これを描いた子は、画家になるつもりなんてなかった。でも、“好き”が詰まってる。あなたはどう? “好き”って思える?」


少女はページをめくる。何度か瞬きをして——ぽつりとつぶやいた。


「……私は……人の顔を描くのが、好き。特に、おじいちゃんとか、おばあちゃんとか……。しわのある顔って、優しくて、描いてて落ち着くんです」


「それなら、その“好き”が、あなたの本当の願いかもしれない」


沈黙が、そっと二人の間に流れた。外では鳥のさえずりが聞こえる。少女は、胸に手を当てて、目を閉じた。


「……私、誰かに認められるためじゃなくて、自分が好きな絵を描いてもいいんですよね?」


「うん。そのために、夢ってあるんだと思う」


少女は小さく、でもはっきりとうなずいた。瞳に浮かんでいた涙は、決して悲しみだけのものではなかった。


「ありがとう、リュミさん。私……もっと、自分の“好き”を大事にしたい」


そう言って少女は帰っていった。背筋はまだ幼さを残しているけれど、その足取りは、来たときよりもずっと軽やかだった。


リュミは一人になった小屋の中で、そっと星霊盤を見つめた。


(あの子の未来は、まだきっと定まっていない。でも——)


“夢”はときに借り物として心に残る。けれど、自分自身の“好き”が見つかったとき、それは“自分の翼”に変わる。


星霊盤の表面に、小さな星粒が一つだけふわりと浮かんだように見えた。


それは——誰かが初めて、自分の意志で未来を選んだ証だった。


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