09 勲章
「可愛いからあげる。良かったら、またあそぼ!」
私はどう見ても可愛い男の子から、大きな花束を受け取って、戸惑って……それで、とても嬉しくなった。
「うん。またあそぼう!」
満面の笑みを浮かべたクロードは、庭師の子だった。本来ならば、貴族と使用人の私たちは気軽に遊べるような身分ではなかった。
それが叶ったのは、ひとえに私がクロードと遊ぶことを望んだからだ。
私の両親は私に甘かったし、クロードの両親だって、主人の娘である私に逆らえるはずもない。私はクロードを気に入っていたし、何処に行くにも彼を同行していた。
それをおかしいと思う前に、彼には会えなくなった。私の家がもう既に傾きつつあり、絶対に居て貰わなければならない使用人には暇を出して、小さな邸へと移り住んだのだ。
引っ越しは急で、クロードには挨拶も出来なかった。
泣いて泣いて泣き疲れても、クロードに会える訳もない。私には元住んで居た邸へ、戻る知識もなかった。
あの時の……クロードへの初恋。美しいままで終わっていた。
……まさか、クロードが私のことをまだ覚えているなんて、思ってもいなかった。
もし、私が『貴族令嬢』のまま、彼が『庭師の息子』のまま。
トレイメイン伯爵令嬢と呼ばれていたままであれば、絶対に叶うはずなんてなかった。
今なら……?
今なら……誰も……彼が私を求めるのであれば、誰も、文句なんて言わないはずだけど。
けれど、思い出せない。
クロードによると『私以外、絶対好きにならないで』と私は言ったらしいけれど、その時のことがまったく思い出せない。
お気に入りのクロードと離れることになり、誰かに取られてしまうのが、嫌だったのかもしれない。
我慢をすることを一度も強いられずに、ただただ大事に育てられた『甘やかされた子ども』。
――――まぎれもなく、幼い日の私のこと。
◇◆◇
「俺は、家を見てみたい。シュゼットが今、住んで居る家」
再会した私たちは飛空挺内に併設されたカフェで朝食を食べながら、そんなことを話した。
ノディウ王国への下船日はすぐそこまで迫っていたし、そうなるとクロードはこれからどうするんだろうと私も思っていた。
「……私の家に? その、すごく……小さな部屋で、誰かを入れるような空間がないわ」
それは謙遜ではなく、単なる事実だった。
私はローランス侯爵邸の使用人部屋を出て、近くに部屋を借りていた。
何故かというと私には今こなしているような特別任務のことがあるので、掃除メイドとしてローレンス侯爵邸に務めている日以外は、別の仕事をしていることになっているのだ。
だから、住まいも別に借りておいた方が良いだろうと、雇い主であるローランス侯爵の口利きで借りてくれていたのだ。
金払いの良いローレンス侯爵の邸は実は人気の職場で、私のように邸外で暮らしている使用人も多く居るので目立たない。
お金を貯めたいので家賃を払いたくないという使用人は、邸内にある何人かで共有する使用人部屋を使っているようだ。
けれど、賃金は良いとは言え使用人の住めるような家賃で借りられる部屋が、誰かに見せたいと思うような部屋であるかというと、それは違っていた。
「自分のお金で借りた、シュゼットの大事なお城だろう? 別に卑下する必要なんてないよ」
「……後悔しても……知らないわよ」
意味ありげに微笑んだクロードは、掃除メイドとしてなんとかお金を稼ぐ今の私と、いかにも世間知らずの貴族令嬢だったあの頃の私を同一視しているのかもしれない。
そんなことがある訳はない。
私は親戚の家を家出してからというもの、それまでいかに自分が守られ甘やかされていた子どもだったのか、今では思い知ってしまっていた。
家出して行く先もなく、どうしようと思って居たところに……今の雇い主ローレンス侯爵に雇って貰えたのは、ただの奇跡だった。
そして、掃除メイドとして働くことになった今ならばわかるけれど、あの時の私は騙されて売られてしまってもおかしくなかった。
そうはならなかった……だから、本当に運が良かった。
考え事をしていた私はカップに手をぶつけて倒し、濡れてしまった手袋を条件反射で外した。
「……シュゼット? 大丈夫?」
「ええ……あ。ごめんなさい。驚いたでしょう」
私は特別任務をこなす時、なるべく手袋を嵌めて、手を見せないようにしていた。それは薄い素材のものだし、食事するにも邪魔にならないようになっている。
礼儀作法では食事中は手袋を外すことになっているけれど、手に傷があり隠したい方などは許されている特例などもあるので、私も人前では付けたままで過ごして居た。
……その理由が、掃除をしていて出来てしまった手の荒れだった。
「ああ……手袋していたから、気が付かなかった」
クロードは私の荒れた手を見て、驚いたようだけど仕方ない。
クロードが良く知っている私は、水仕事なんて一度もしたことのない……育ちの良い貴族令嬢だったもの。
水仕事をしなければならない私は肌が弱く、寒い季節には、皮膚が割れてあかぎれが良く出た。今ではそれが積み重なってしまい、肌はかさかさに荒れて水分が抜けてしまっている。
ハンカチで水分を拭い、手袋を付け直した。
「……ええ。わかるでしょう。ドレスを着た貴族のお嬢様は、手荒れなんてしないもの……隠してたの。でないと、身分を偽って飛空艇に乗る使者なんて務まらないでしょ」
「いや……痛くないの? それが心配なんだけど」
「ええ。これは勲章よ! 私にとっては」
これは、私が自分で一人で生きて来た証拠。誰にも恥ずかしくない。けれど、役目をこなす上で隠して居るだけだ。
「だったら、それで良いよ。元は育ちの良いお嬢様なのに、シュゼットは一人で生きて、頑張っていたんだね……凄いよ。尊敬する」
しみじみとした口調で、クロードは言った。
私が掃除メイドをして手が荒れたことを知った彼は、思ったことそのままを言っただけだ。
……なのに何故か、その時の私の目からは、涙がこぼれ落ちそうになってしまった。