霧を吹く井戸②
喫茶「雪塚」の窓の外は、相変わらず真っ白な霧に包まれていた。
いつもの街並みはすっかり見えなくなり、まるで異世界にでも迷い込んだような気分になる。
そんな中、少女はカップを弄びながら、意味ありげに微笑んだ。
「でも、こんなに深い霧の中だったら、いつもは見えない妖とも出会えるかも知れませんね」
「……」
悠真と千鶴は顔を見合わせる。
(これは……ツッコミ待ちなのか……?)
迷った末、千鶴は意を決して聞いてみた。
「あのー、お客さんは妖とかにあったことがあるんですか?」
少女はくすっと笑い、カップをそっと置いた。
「ええ、まあ……しょっちゅう、ですね」
「いやいやいや、普通そんな簡単に妖怪に遭遇しないでしょ!? どこで?」
悠真が即座にツッコむと、少女は涼しい顔で答えた。
「たとえば、このお店とか?」
「いるのかよ!!」
悠真と千鶴が声を揃えて叫ぶ。
「そんな怖いことサラッと言わないでくださいよ!? ここ、普通の喫茶店ですよ!?」
千鶴が慌てて周囲を見回すが、特に変わった様子はない。強いて言えば、猿の全身タイツを着た老人がコーヒーを飲んでいるくらいだ。
……いや、十分変だ。
少女はそんな二人の反応を楽しむように、小さく笑った。
「ふふっ。冗談ですよ」
「いや、その笑顔が一番怖いんだけど」
悠真が肩をすくめた瞬間、店の扉がギィィ……と軋んで開いた。
霧の向こうから、スーツ姿の男がふらりと店内に入ってきた。
「……」
「……」
「……」
悠真と千鶴が固まる。少女だけが、静かに微笑んだままだ。
――霧の夜、いつもは見えないものが見えることがある。
喫茶「雪塚」の空気が、少しだけ冷たくなった。