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潮騒①

 夏の日差しが石畳を白く照らし、蔵造りの街並みの影をくっきりと浮かび上がらせていた。悠真は、喫茶「雪塚」へ向かう道すがら、ふと足元で光るものを見つけた。


 しゃがみ込んで拾い上げてみると、それは掌に収まるほどの小さな巻貝の殻だった。表面は虹色に輝き、見る角度によって青や紫、金色にも変わる。


「落し物…?」


 だが、こんな貝殻を持ち歩く人がそういるだろうか。しかも、海のない川越で。


 しばらく眺めていたが、やがて悠真は「交番に届けるようなものでもないしな」と呟き、ズボンのポケットにそっと入れた。貝殻の硬質な感触が太もも越しに伝わる。


 雪塚に着いたのは午前10時だった。扉を開けると、コーヒーの香りがふわりと鼻をくすぐった。


「あ、悠真、いらっしゃい」


 カウンターの向こうで、千鶴が明るく声をかけてくる。いつもこの時間にいる常連のおばさま三人組は今日は見当たらない。


「こないだ借りたマンガ、返しに来たよ」


 悠真は持ってきた紙袋をカウンターに置いた。


「どうだった?」千鶴が袋を受け取りながら尋ねる。


 マンガのタイトルは『異世界に転生したら、芋けんぴだけ大量に持っていた件』だ。お菓子工場に勤める主人公は、商品の配送中、交通事故に巻き込まれ、気がついたら異世界にいた。彼と共に転生したのはトラックに満載された”大量の芋けんぴ”だった……


 千鶴はニコニコしながら、悠真の返事を待っている。


「…うん、芋けんぴを献上することで領主に取り入り、街のお菓子の流通を牛耳るところまでは着いて行けたんだけど」


「うんうん」


「芋けんぴの製法を探ろうとしたスパイを、尖った芋けんぴを使ったトラップで撃退したときは、さすがに他の方法でもいいだろ…って思ったよ」


「だよね。少ない材料で、面白い話を作れるところは芋けんぴと同じだよね」


 ……こいつ、業界の回し者か。


「で、どうする?続きも貸そうか?」


「……うーん、気になるから借りておくよ」


 いいよ、と千鶴はごそごそとカウンターの下から続きの巻を取りだした。表紙にはきつね色の剣を構えた主人公が、魔王らしき影と対峙しているシーンが書かれていた。まさか、この剣の正体は……


「あ、そういえば」


 バッグにマンガをしまおうとした所で、悠真はポケットの中のものを思い出した。カウンターの上にコトリと置く。


「これ、お店の近くに落ちててさ」


「へー、なんだろう?置き物?」


「いや、何の貝か知らないけど、本物っぽいよ」


「ふーん、でもキレイな貝殻ね」


 千鶴はそれを指先でつまみ、照明に照らした。10センチほどの巻貝は、淡い光を受けて七色に光る。


「持って帰るのも何だし、誰かの落とし物かもしれないからさ。お店に置いておいてくれない?交番に届けるほどでもないし」


「うん、いいわよ」


 千鶴は、そう言って、レジの近くに貝殻を置く。


「じゃ、今日はこれで…」と、悠真は腰を上げて店を出ようとした。


「え?もう帰るの?」


「これからちょっと用事があって」


「ふーん」千鶴はわずかに不満そうな顔をする。


「今日も暑いから、あんまりお客さん来なそうなんだよね。暇だったら、また帰りに寄ってよ」


 そう言われれば、悠真に断る理由はない。


「いいよ、夕方にまた来るよ」


 悠真はそう言って、カウンター席から降り、入り口のドアへと向かう。さきほど千鶴が置いた、レジ上の貝殻が何となく目に入る。


 ………


 これまで見たことのない貝殻だった。貝殻の内側が真珠のように光っているものは見たことがあるが、外側まで虹色に光る貝を悠真は知らなかった。


 悠真は、何となく不思議な貝殻に心を惹かれながらも、クーラーの効いた店内から、熱気で溢れた街へ出ようとドアを開けた。カランカランと、ベルが鳴る。


 ………


 落し物のメッセージを書いていた千鶴が、ふと顔を上げる。悠真が入り口で固まったまま動かない。


「どうしたの?」


「外が」


「え?」


 千鶴は、カウンターからレジを通り抜けて歩き、悠真の背後から外をうかがった。


 ……喫茶「雪塚」の外には、果てしなく広がる碧い海と、白くまぶしい砂浜があった。潮の香りが、店内までふわりと流れ込む。


 穏やかな波に水面がきらめき、長い海岸線の先には木々で覆われた岬が遠く見える。


 悠真と千鶴は、打ち寄せる波の音を聴きながら、ただ茫然と、南国の海を見つめていた。

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