妻が猿に見えた話①
いつものように、悠真は喫茶「雪塚」の扉を開けた。
「いらっしゃ……」
と千鶴が言いかけるよりも先に、店内から聞こえてきたのは少女のワクワクとした声だった。
「ねぇ千鶴、川越の昔話でね、”妻が猿に見えた話”って知ってる?」
「は?」
悠真は一瞬、入り口で固まった。
「え?何の話?」
「お、悠真さんも来ましたね!」
白い着物を着た少女は、嬉しそうに身を乗り出した。
「ちょうどいいところでした。今から妻が猿に見えた話をするので、悠真さんも聞いてください」
「いや、聞く前から意味不明なんだけど……」
千鶴はカウンターの向こうで苦笑しながら、コーヒーを淹れていた。
「まあまあ、落ち着いて。で、どんな話なの?」
少女は嬉しそうに語り始めた。
「むかし、川越に暮らすある男が、美しい妻を娶りました。しかし、ある日、ふと妻を見たら猿に見えたのです」
「いや、どういうこと?」
「男は驚いて、あちこちの寺や神社を巡り、ついには名高いお坊さんに相談しました。すると、お坊さんはこう言ったのです。”お前さんの妻は、猿に憑りつかれておるな”」
「サルに?」
悠真は思わず聞き入る。
「どうやら、男は前世で猿を殺していたらしく、その因果で妻が猿に見えるようになったらしいのです」
「サルがねぇ……」
いまいちピンと来なかった。
「で、その後どうなったの?」
千鶴が続きをうながす。
「お坊さんの指導のもと、男は懸命にお経を唱えたり、バナナを供えたりして善行を積み、ついに妻の顔が元に戻ったのです」
「え、解決するの!?」
「でも、これっとちょっと面白くないですか?昔話なのに、どこからバナナ出したの!?って」
少女はクスクス笑う。
「なんだ、作り話かよ」
悠真は、そう言いながら、バナナをお供えしているチョンマゲ姿の町人を想像して笑った。
「この間、観光客が話しているのを聞いたんです!適当過ぎて、ちょっと笑っちゃいました」
そういって、カップに入ったホットミルクを飲むと、少女はにっこりと笑った。
悠真も、同意した。
「だな。だって、本当は全然違う話だもんな」