細い道④
喫茶「雪塚」は、古民家を改装した落ち着いた雰囲気の店だった。
「へぇ、いい感じの店だね」
悠真が辺りを見回しながら言うと、杏は微笑んだ。
「ここ、昔からあるのよ。雪塚稲荷のすぐそばだから、神社帰りの人がよく立ち寄るの」
悠真と杏は、店の奥の座敷席に腰を下ろした。年配の店主が静かに茶を運んできて、2人は湯気の立つ湯呑みに手を伸ばす。
「うまい!」
「そうでしょ?やっぱり、日本人はお茶よね」
店主が出してくれたのは、ほうじ茶だった。
店内で焙煎しているのか、香ばしい香りが店中に漂っている。
悠真は、店内に飾られた古道具に懐かしさを感じながら、しかし、何か違和感を感じていた。
(・・・あれ?雪塚って、こんなところだったっけ?)
辺りを見渡すが、古い鳩時計や、レコードプレーヤーなどが目に入るばかりだ。
「どうしたの?」
「・・・いや、雪塚ってこんなところだったっけ?と思って」
「前にも来たことあるの?」と、怪訝な表情をする杏。
(そうだ。今日は、杏に連れられて来たんだっけ!)
悠真は、自分の勘違いに気が付いた。初めて来る場所なのに、”前と違う”なんてことがあるはずない。
「ふふ、変な悠真」杏はおかしそうに笑う。
杏とは、3か月前に知り合った。杏が自転車のチェーンが外れているところに悠真が出くわし、直してあげたのが出会いだった。それから、何度か会って話をするようになり、付き合い始めたのは、先月からだった。
(こんな可愛い子が、自分の彼女なんてな・・・)
悠真は、自分の幸運に感謝したい気持ちでいっぱいになった。
杏は正直言って可愛い。性格も良いし、話も合う。
それに加えて・・・
「・・・ねぇ、悠真。いま誰もこっち見てないみたいだよ」杏はそう言って、悠真の隣に座りなおす。
杏は、意外と積極的なのだ・・・!
肩と肩が触れ合う。杏は悠真を見つめると、そっと目を閉じて上を向いた。
(・・・い、いいのか?)2人の席は、店内の死角になっており、誰の目線もない。
悠真は、意を決して、杏に顔を近づけて、そして・・・
「どうしたの?」
杏が不思議そうな顔でこちらを見る。
悠真は、杏から離れると、改めて店内を見回した。
使い込まれた古民家に、懐かしいインテリア。
ほうじ茶の香りが漂う店内には年配の店主がいて・・・
「ちがう。ここはおれの知っている雪塚じゃない」
首をかしげている杏に向かって、悠真は話しかけた。
「さっきも言ってたよね?このお店は初めてでしょ?」
「いや、おれが知っている雪塚はこのお店じゃなくて・・・あれ?そもそも、なんでこのお店に来たんだっけ?」
なんだか頭が働かずよく考えがまとまらない。
「もう。そんなこと、どうだっていいじゃない?」
杏は笑いながら、悠真に体をぶつけてくる。
・・・いい香りがした。
じゃない!そもそも、おれに彼女なんていたか!?
「なんか、違う気がするんだけど!?」
「はいはい。話は後で聞きますよー」
そういうと、杏は妖艶に笑うと、悠真を押し倒した。
「いや!待って!」
「待たない」
悠真は驚き、周りを見回すが、喫茶店だった店内は、いつの間にか障子に囲まれた個室になっていた。
ご丁寧にも布団まで敷かれている。
「どういうこと!?」
「もー。話は後で聞くってば」
そういうと、馬乗りになった杏は、ニコニコしながら悠真のシャツを脱がそうとする。
「やめてくれー!」
悠真は抵抗したが、シャツを脱がされてしまう。いや、本当は抵抗できたのだが、「え?抵抗する必要ある?」と、悩んでいる間に脱がされてしまったのだった。
「まー!細いと思ってたけど、意外とガッシリしてるのね!ステキ!」
杏はウキウキとした表情で悠真の身体をペタペタと触る。
・・・もう、ダメだ。悠真はもう諦めそうになった。
(これ、絶対、怪異だよな・・・)
悠真は、自分の身に起きたことを大体理解したが、理性が誘惑に勝てない。
きっと、アレやコレがあった後に、自分は肥溜めに肩まで浸かるのだ。
(はぁ~、いいお湯じゃわい)とか言いながら・・・
きっと、千鶴には軽蔑されるだろう。雪塚にはもう入れてもらえなくなるかも知れない。
そう思うと、悠真は悲しくなってきた。千鶴と会えなくなるのは辛い。
自分は意思が弱い。誘惑に勝てない。先日もお金に目がくらんで恥をかいたというのに・・・
「・・・や」と悠真は声を振り絞る。
「や?」杏は手を止めた。
「やっぱりダメです!!!」
悠真は、かろうじて残った理性を総動員して、杏から逃れ、
「自分には好きな人がいますから!!!」
と大声で叫んだ。
すると、ピシッと何かが割れるような音がして、周りの障子が粉々に砕け散った。
ふと、ひんやりとした空気を感じると、悠真は真っ暗な地面に向けて土下座をしていた。
「は?」
気が付けば、悠真はまだ神社の中にいた。辺りはすっかり夜になっている。
「あれ?喫茶店は?杏は?」
悠真はキョロキョロとするが、周りには誰もおらず、ただサワサワと木々のざわめきが聞こえるだけだった。
「危機一髪でしたね」
呆然とする悠真は、突然、背後から声をかけられた。
「うわ!」
振り向くと、そこには脱ぎ捨てられた服を持った雪がいた。
「なぜ、君は上半身裸なんだ?」
雪は、藤木のまねをしてメガネを上げるしぐさをする。
「いや!これには理由があって・・・」
悠真が慌てて弁解しようとすると、
「わかってますよ。うちのおばあちゃんが失礼しました」
と、ペコリと雪が頭を下げる。
「・・・おばあちゃん?」
「はい。先ほどはずいぶんお楽しみのようでしたね」
雪は、合掌した手のひらを口元に合わせると、ちょっと気まずそうに言った。
「楽しんでないわ!!てゆうかおばあちゃん!?」
「はい。おばあちゃんです。危機一髪でしたね。悠真さん、ナイスファイトでした!!
ほとんどの人は、行きつくところまで行ってしまいますが、あそこまで行って断れるとは、ちょっと見直しましたよ?」
そう言って、こぶしを握り締める雪。
「・・・ちょっと意味がわからないんだけど」
「あの人は・・・。あ、私の本当のおばあちゃんではないですよ?
道行く若者をたぶらかしては、ひどい目に遭わせる困った人なんです」
そういう雪は、眉間に手を当ててこまったなーというポーズをする。
「悠真さんには、どう見えていたか分かりませんけど、本当は皺くちゃのおばあさんですからね・・・」
雪は怖い話をするようにゆっくりと話す。
あるはずのない喫茶店。いるはずのない店主。
そして、理想の彼女・・・
「ひぃ!」と悠真は小さく叫んだ。
(あのまま続けてたら、おれは・・・)
急に恐ろしくなった悠真は、両腕をさする。
「雪さん、服を返してください・・・」
「それはダメです。まぁ、千鶴さんには秘密にしておいてあげますよ?
こんどは抹茶パフェが怖いなぁー」
「・・・奢らせてください」
昼間はあんなに暑かった街も、夜になると涼しい風が吹いていた。
悠真は、素肌に吹き付ける風にクシャミをした。
ここは、とおりゃんせの伝承が残る三芳野神社。
・・・行きは少女で 帰りは老婆 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ・・・




