霧を吹く井戸⑤
千鶴と藤木の話は止まらなかった。
「この店の立地は観光客の動線的にもいいんですよ。ちょっと手を加えるだけで、今より集客できます」
「なるほど……やっぱりやるなら、思い切った方がいいよね」
千鶴は楽しそうに話を聞いている。悠真と老人は、そんな様子が面白くない。
(まずい、このままだと改装計画が進んでしまう!)
悠真と老人は、さりげなく邪魔をしようとした。
「えーっと、千鶴! そんな大掛かりな工事したら、しばらく店休業しちゃうんじゃない?」
「そうそう! それに、古き良き雰囲気が台無しになるかもしれんぞ?」
しかし千鶴は、そんな2人の懸念を軽く流した。
「そこは工事期間を調整すれば大丈夫だし、雰囲気も、昔ながらの良さを活かす方向でやれば問題ないでしょ?」
「ぐぬぬ……!」
悠真と老人は、密かに目を合わせる。
(作戦変更だな……)
次に、悠真はわざと注文をややこしくして千鶴の気をそらそうとした。
「あ、やっぱカフェオレじゃなくて、エスプレッソにして……いや、やっぱりウインナーコーヒーがいいかな……」
しかし、千鶴は涼しい顔で言った。
「悠真、いつも通りホットミルクね」
見透かされていた!!
ここで老人が立ち上がる。
「そういえば藤木よ、お主、この話を知っておるか?」
「はい?」
老人は渾身の語りモードに突入した。
「…昔、川越のある侍が家に帰ると、妻が猿に見えたそうな」
しかし藤木は、スッとコーヒーを飲み、あっさりと言い放った。
「……それがどうしたって言うんです?」
「ぐぬぬぬぬ!!!(第二弾)」
悠真と老人は、完全敗北した。
藤木は話を元に戻し、千鶴と改装計画の続きを話し始める。
悠真と老人は、心の中で悲鳴を上げる。
(このままでは、本当に改装されてしまう!!)
そんなとき、少女がふと窓の外を見た。
…悠真は、なぜかその仕草が気になった。
その瞬間だった。
ボワァァァァァ……!
店の入り口から、濃い霧が流れ込んできた。
「え、ちょっ……こんなに急に!?」
驚く4人。店内は一瞬にして白いもやに包まれた。
「うわっ、手元が……!」
藤木が持っていた書類の束が、霧に紛れてどこかへ飛んでいく。
「ちょっ……書類!? どこ!?」
藤木は焦って辺りを探すが、霧が濃すぎて何も見えない。
悠真と老人は、心の中でガッツポーズをする。
(ナイス霧!!)
「くっ……仕方ない、今日はこの辺で。また改めて話しましょう」
藤木は悔しそうに言い残し、書類を探しながら退散していった。
悠真はなぜか勝ち誇った顔で、藤木を見送る。
藤木が去った後、店内の霧は少しずつ晴れていった。
……何だったんだ、今の霧。
悠真と老人はホッと胸を撫で下ろしたが、少女だけは微笑みながら、小さく呟いた。
「……だから言ったでしょう? 霧の中では、妖と出会うかもって」
……喫茶「雪塚」は、今日も不思議な出来事に包まれていた。




