つけものさん
ボクの溜め息は今日も重い。
漬物石のように重い。
「どうしたんですか? つけものさん」
起伏の激しい顔が男前な『からあげ君』が、不思議そうな素振りで聞いてくる。彼のような人気者に、ボクの気持ちはわからない。
「……いや、最近悩んでてね」
それでもやっぱり聞いて欲しくて、ボクは仕方ないとばかりの態度を前面に押し出しながら口を開いた。
あぁ、ボクって嫌なヤツだなぁ。
こんなだから食べてもらえないんだろう、きっと。
「つけものさんみたいな古参のヒトでも、悩んだりするんだ」
「古参だから悩んでるんだけどね」
ガラスのボールに盛られたオシャレな『サラダちゃん』は見た目以上に軽い子だ。繊維ばかりだからだろうか。やはり調味料が足りないと、味にも思考にも深みは出ないらしい。
「で、今日はからあげくんに嫉妬かい?」
「そんなんじゃないよ。自分に人気がないことくらい、とうに認めてるさ」
この中では唯一昨日から一緒に居る『煮物さん』は、ボクの内情を知る数少ない友人の一人だ。完食されることのない売れ残り同士だからこその共感なのだろう。それ故にか、彼の言葉には遠慮というものがない。
まぁ、それが彼の良さでもあるのだから、怒るつもりは毛頭ないのだけど。
「でも毎日毎日、目の前を人気者達が通り過ぎていくのを見ているのは、さすがに辛くてね」
「まぁ、人気がないという点では私も同様だが」
煮物さんが深く頷く。そんなボク達の様子を見て、からあげ君が口を開いた。
「オレなんかは少し羨ましいけどなぁ。目が合った瞬間食われるんじゃ、感慨も何もあったもんじゃないし。一度くらいは自分を食べる相手をしっかり見届けてみたいよ」
まったくもって羨ましい悩みだ。
「サラダちゃんもそう思わない?」
そんなからあげ君の質問にサラダちゃんは少しだけ悩んでから、やや困惑した表情を見せた。
「私はやっぱり、食べてくれた方がうれしいかな。でも子供はきらい」
「どうして? あんなに美味しそうに食べてくれるのに」
「からあげ君はそうでしょーよ。でも私なんかはさ、けっこうイヤイヤだったりするんだよね。しかめっ面で思いきり目を閉じて食べられるのって、ちょっと悲しくなるのよ。イヤなら食べなくてもいいのにさ」
「それでも、残さず食べてくれるだけ幸せだろうさ。私やつけものさんなんて、残るのが当然なんだから」
そんな煮物さんの言葉に「まぁね」と呟くサラダちゃんもわかってはいるのだろう。そもそも、ドレッシングという武器があるだけでも羨ましい。ボクも一度でいいからマヨネーズとか装備してみたいものだ。
似た物同士でも、おひたしさん辺りだと醤油をかけてもらえるのになぁ。
「まぁ、かく言う僕も、明日には何とか完食してもらえそうだけどね」
煮物さんのそんな発言を受けてか、皆の視線がボクへと集中する。わかってはいたことだし、自分から振り撒いた話題でもあったから仕方のないことでもあるんだけど、その眼差しには溢れんばかりの同情が満ち満ちていた。
そんな目で見ないで欲しいとは思う。
でも一方で、可哀想な自分という存在を認めて欲しいのも事実だ。
ボクはきっと、羨ましいだけなんだ。ばくばくもりもり食べられる他のおかずさん達みたいに、自分も一度くらい食べてもらいたいだけなんだ。完食された上に『おかわりっ』とか宣言されたりなんかしたら、一体どんな気分なんだろう。
そんな日なんて、この先一生訪れないんだろうなぁ。
虚しい現実に溜め息が漏れる。
「げ、元気出してくださいよ。つけものさん」
からあげ君が、作り笑顔で励ましてくれる。
「そうだよ。明日はもしかしたら『つけものの日』かもしれないんだし」
よくわからない慰め方をしてくれるサラダちゃん。
「そろそろお昼だ。そんな顔をしていたら、ますます箸が遠のいてしまうぞ」
煮物さんの言い分ももっともだ。
今日はお昼に子供が帰ってくるらしい。いつもなら冷蔵庫にいるボク達がテーブルに並んでいるのも、その子供のためである。
でも子供か。また一度も食べてもらえないんだろうなぁ。
悲しくなる。
「でも実際、残って良いことって何もないんですか? オレ残ったことないんで、そういうのわかんないんですけど」
嫌味にも聞こえる質問だけど、裏表のないからあげ君らしい疑問でもあった。煮物さんが心配そうにこちらを見ているけど、ボク自身は大して気にしていない。変に気を遣われて遠巻きにされる方が辛かった。
「そうだなぁ……」
だからボクは、普段と変わらない口ぶりで話し始める。これ以上場の空気を濁すのは、ボクだって本意じゃない。それを察してくれたのだろう。煮物さんの表情が和らいだ。
「たまにだけど、お父さんの晩酌に付き合って延長することならあるよ。他のおかず達が片付けられるのを見るのは、不謹慎かもしれないけど少しだけ優越感かな」
「延長とかしたことないよ、私」
「僕もないな」
サラダちゃんと煮物さんも乗ってくる。まぁ、夕飯でほとんどなくなっしまうサラダちゃんやからあげ君が延長したことないのは当然だし、煮物さんはおかずとしての地位をしっかり確立しているから、ボクの話なんて羨ましくもないだろう。それでも、こうして話に付き合ってくれる彼らが、ボクにとってはありがたかった。
「まぁ、缶詰さんとかスルメくんが出てきたら、ボクの出番なんてなくなっちゃうんだけどね。はは……」
乾いた笑いが食卓に木霊する。
とっておきの自虐ネタだったのに、どうやらあまり面白くなかったらしい。三人の表情が見事に凍り付いている。まぁ、確かにボクのネタはいつだって冷たいんだけどね。
つけものだけに。
あ、こっちの方が面白いかも。
「そ、そういえば! つけものさんの仲間にも人気のあるヒトいるよねっ?」
ボクが珠玉のネタを披露するよりも早く、サラダちゃんが割って入るように口を開く。まるで何か都合の悪いことから逃げるかのように早口だ。
「人気者? ボクの仲間で?」
ネタを披露できなかったことは少し残念だけど、そんな仲間に心当たりのないボクは、そう聞くしかない。
「この前なんて、メインだったハンバーグ君がかすんじゃうくらいだったよ。それだけでおかわりするんだって、すっごい勢いだったもん」
そんな激しい仲間がいただろうか。記憶にないけど。
「あのホラ、真っ赤な感じの……」
「ひょっとしてキムチくんのこと?」
煮物さんが気付いたように言葉を繋ぐ。
「そうそう、キムチくん!」
「あー、彼は凄いよねー。ご飯が友達って感じでさ」
スターであるからあげ君ですら、一目置くらしい。
でもボクは、正直言って素直に喜べなかった。
「まぁ、彼は特別だから」
ボクは笑顔のつもりだったけど、皆の表情は少し沈んだ。
「……キムチくんて、仲間じゃないの?」
「ボクは仲間だって思ってたけどね。向こうはきっと迷惑してるよ。確かにキムチくんも一度に完食されることは少ないけど、食べてもらえる回数は段違いだからね。ボクみたいな底辺とは違うさ」
実情に、サラダちゃんが申し訳なさそうな顔をする。
どうしてだろう。
皆にそんな顔をして欲しくて、こんなことを言ったんじゃないのに。
それとも、嘘でも喜んだ方が良かったのかな。
だからボクは、いつまで経っても箸休めなのかもしれない。
「あ、あの……」
勇気を振り絞って、皆の顔を見渡す。
「ボクも頑張るからさ、皆で完食を目指そうよ。今日が駄目でも明日には、明日が駄目でも明後日には、少しずつでも完食に近付いていくんだから」
そうだ。何も次の昼食で完食してもらえなくてもいい。
ボクはつけものなんだ。すぐに腐ったりしない。
「良く言ったな、つけものさん」
煮物さんが笑顔を見せる。
「そうだよ。諦めなければ、きっと!」
「だよね。みんなでがんばろうねっ」
からあげ君とサラダちゃんも目を輝かせている。
良かった。ボクのせいで皆がやる気をなくしてしまったら、きっと味気ない食卓になってしまう。そんなのは間違ってるし、今のボクがすべきことじゃない。ボクはつけもので、この食卓に並ぶ紛れもない一員なんだ。
でも、少し恥ずかしい。何と言うか、つい熱くなってしまった。
つけものなのに。
あ、これもちょっと面白いかも。
ともかく、そんなボク達の意欲が伝わったのか、昼食の子供はたくさん食べてくれた。僕も二切れ減った。夕飯では、明日まで残ると思われた煮物さんも完食された。
これなら、この勢いならきっと、完食の日がやってくる。
そんな希望を抱きながら冷蔵庫へと向かう途中、お母さんが呟いた。
「そろそろ味噌漬けを補充しなきゃね」
ボクは泣いた。