マリサと姫
うち、マリサ・サクラは人生を楽しいと思ったことがないのさ――
パパはいなかった。私にはママしかいなかったのさ。
それが普通だと思っていた。ママに殴られるのが普通だと思っていた。ご飯はたまにしか食べれないのが普通だと思っていた。狭い世界の中ではママだけが常識だった。
お金が無い家族向けの学校に通い出した時、それが普通じゃないと理解したのさ。
でも、みんなひどい境遇だった。可哀相なのはうちだけじゃなかった。
うちはチビでガリガリだった。頭も良くなかった。読み書きが出来なかった。授業が全くわからなかった。
だから、うちはその中でも最底辺になった……、いじめられるのが普通になってしまったのさ。
そんな絶望の子供時代は心を殺して過ごした。
中等部に上がり、比較的落ち着いた日々を過ごしていたある日、うちは同級生の女子生徒たちから遊びに誘われた。森の奥にある教会に珍しい薬草が生えている。
それを取りに行って売りさばこう、と――
ほんの少しだけ期待した自分がいた。
ここ数ヶ月はいじめも収まり、穏やかな日々をすごしていたのさ。
だから、油断していたのさ――
森の探索は順調であった。女子生徒たちはグループになって談笑している。時折うちにも話を振ってくれる、それだけでうちは舞い上がってしまった。
教会に着くと、薬草が生えている場所を教えてもらった。教会の裏庭にあるみたいだ。
うちは意気揚々と薬草取りに励んだ。
……気がつくと教会には誰もいなかったのさ――
『ねえ、み、みんなどこにいるのさ……、も、もう暗くなるよ? か、帰ろうよ……』
返事は返ってこなかった。
教会の中を探した。教会の周囲の森を探した。
……結局、教会の扉には書き置きが捨てられていた。
『ここの薬草を取り尽くすまで帰って来ないで』
――――
私はずっと泣きながら教会の隅っこで座り込んだ。真夜中の森を徘徊するのは自殺行為……。
もう生きているのが嫌だった。死にたかった。
魔物に食われたっていいと思った――
そんな時、私の前に優しそうな神父様が来て――
こんな森の奥、しかも真夜中に神父なんて来るわけない。だけど、当時はそんな事疑問に思わなかったのさ。
『――鑑定。……ふむ、【戦乙女】中々稀有な才能の持ち主ですね。……ほら、怖がらないで下さい。私の名前はフルーチェ。……ここは魔草の生息地でジャンキーが採集に来るので危険です。さあ、こちらへいらして下さい――』
これが私と女神教の始まり。
そして、私は力を得て、学校へ戻り――、暴虐の限りを尽くしたのさ……。
フルーチェの言葉が心に染み込んだ。徐々に自分の思考が殺されてくのを感じた。
悪意が心を埋め尽くした。
今まで受けたいじめを全てやり返す。
女子生徒たちの泣き叫ぶ声が耳に残る。先生が苦痛の声を上げる。ママが泣きながら私に謝る――
『や、やめてよ……、も、もう死んじゃうよ……』
『ま、まて! お、俺はお前を更生させようと――、ぐふっ……』
『マリ、サ、ちゃん……? ご、ごめんなさい……、謝るから……、娼館に売るって言わないから……、だからこれ以上は――』
自分を止められる事ができなかった。復讐が虚しいとは思わなかった。
だって、あの教会で私の心は壊れたのさ――
でも――今は違う――
まだ自分の過去とは向き合えないけど、マサキさんに頭を握りしめられた時、私の中で何かが砕けた音がしたのさ。
……そのまま頭を叩きつけられて、更に正気に戻ったのさ。
痛みは感じたけど、何故か温かい力を感じた。パパが叱るってこんな感じなのかな?
目が覚めたら頭が混乱していたけど、もふもふが私の心を落ち着かせてれた。
「ビビアン、もっと本気出すのね!! 極大魔法放つのね!」
「くっ、待て、ま、魔力がうまく使えないのだ……、体術でどうにかしのぐのだ!」
「ゼンジ爺!? くっ、司祭の相手は俺が……」
「ふぅぅぅしゅぅぅぅぅ――わしは老い先短い、ここは肉壁に――」
地獄のような光景が目の前に広がる。
優しくてもふもふしているアリスが私を守るために大きな剣を振り回している。
ビビアンは下等悪魔を従えながら中級魔法で司祭をいなしている。
司祭の数は三人。あれは大司教の子飼いの上級司祭――
微笑のビッツ、悲哀のメントス、激怒のマドレーヌ。
私よりも格上の司祭たち。
「あっ――、ア、アリス、後ろがヤバいのさ!?」
アリスはメントスが放った風魔法によって天井に叩きつけられた。そのまま床に落ちる――
フルーチェが私に向かって悠然と歩いてきた。
「おやおや、マリサ、私の可愛い子供よ。……誰があなたの洗脳を解いたのですか? あの犬っころですか、それとも小汚い兎ですか?」
「や、やめてほしいのさ!! う、うちが女神教に戻るから……」
「ふむ? それは当たり前の事です。あなたは稀有な才能を持っているのですから女神教のために働くのが常識です。……どうやらここには王系スキルの持ち主がいないようですね。ですが、あの魔獣たちは優秀な駒になりそうです。弱らせて洗脳をしますか――」
うちの身体が震えている。
……フルーチェは残忍な男なのさ。今は遊んでいるからなんとか戦線を維持しているけど、この男が本気を出したら一瞬で殺されるのさ。
「きゅきゅ……、マリサに触るな。気取ったフリをしてるけど、あんたから聖女と同じ匂いを感じるのね」
フルーチェは倒れているアリスを一瞥して、うちを見据える。
冷たい目が心を射抜く。
「ふぅ……、なるほど、あの兎はマリサが大切なんですね。……なら、ここでマリサを破壊して、兎の心を壊しましょうか? 大切な人が目の前で狂うのを見てなさい。ふふ、いつの時代も情に厚いモノの方が心が折れやすい――、なーに、ちょっと死ぬほどの痛みを味わうだけさ――」
フルーチェの伸ばした手から紫色の光が発する。光が現れる。
うちの頭めがけて光の塊が――
「させないのね――」
身体に衝撃を感じた。アリスが私に体当たりをして――、光をその身体に受けて――
アリスが甲高い叫び声をあげる。フルーチェの笑い声が止まらない。
「ふははっ、すごいぞ、弱体化しているのにこの力に抗えるのか! 私の素晴らしい手駒になってくれるだろう!」
自分が傷つくのは平気だった。心が壊れていたから。それだけの行いをしたから――
ギルドで初めて受けたアリスの優しさが嬉しかった。
久しぶりに食べたご飯が美味しすぎて涙が出ちゃった。
自分は価値がないと思っていた。みんながうちを優しく包み込んでくれた。
だから、大切な――友達が傷ついているはもう見たくない。
うちは弱い。変わりたかった。変えたかった。
うちは拳を握りしめる。アリスの痛みをうちに――
――うちは覚悟を決めた。
死んでもいいから友達を守る――
うちは光に包まれて苦しんでいるアリスに抱きついた。
光が私に襲いかかる。尋常じゃない痛み。気が狂いそうになる。だけ、ど、これで、アリスの痛みが、和らいで――
その時、頭から声が聞こえてきた。
『――覚悟を確認したわ。私が偽装していたスキルの解除をするわ。――スキル【聖魔姫】を発動。……アリスちゃんとビビアンちゃんを助けてね』
頭の中で知識が流れ込んでくる。スキル【戦乙女】が【聖魔姫】に変換されていくのを感じる。
うちの身体に魔力が駆け巡る――
紫の光に抗いながらうちは自然と魔法を行使した――
『――聖魔法【完全回復】』
紫の光が消滅して、うちとアリスが淡い光に包まれる。
痛みが消えてなくなった。心が軽くなった。
アリスは目を開けて驚いた顔でうちを見た。
「……姫? え? なんで姫と同じ魔力を感じるの?」
フルーチェは本性をむき出しにして舌打ちをすした。
「はっ、詠唱省略だと? 魔帝クラスのスキルか……、ふんっ、まあいい。捕獲が少し面倒になっただけで攫ってゆっくり洗脳すれば――」
うちはフルーチェに言い放った。
「もうあんたの言うことなんて聞かないのさ!! うちがみんなを守るのさ!! こんな結界なんてぶち壊してやるのさ!! ――聖魔複合魔っ!?」
フルーチェの身体がぶれたと思ったら、喉を握りしめられていた。フルーチェの魔法でアリスを拘束される。
うちの魔法の行使が不十分だ……。淡い光がギルドを包んだだけで終わった。
だけど、まだ諦めないのさ――
「ふむふむ、まだ抵抗しますか。半殺しにして連れていきますか――さて、お遊びはおしまいです。ビッツ、メントス、マドレーヌ、さっさと仕上げて本部に戻りますよ」
「ふしゅ、ふしゅ……、我の力をなめるでない。マリサ、でかしたのだ。結界にほころびが、でた、のだ。これで――この身を犠牲にして魔力に変換して――」
三司祭と攻撃を受けながらビビアンは魔力の集中を行う。
全身傷だらけのビビアンが力を振り絞って魔法を行使した。
その瞬間、ビビアンの身体から血が吹き出した。
三司祭がビビアンに止めの一撃を加えようとした時――
その刃はビビアンに届かなかった。三司祭が暴風によって吹き飛んでしまった。
ビビアンは突然現れたマサキさんに身体を支えられた。
「――安心しろ。あとは俺に任せろ……」
ビビアンは安心しきった笑みを浮かべながら目を閉じる。
マサキさんはビビアンをゆっくりと床に寝かせた。ビビアンの身体が光って傷口が塞がる。
マサキさんと一緒に現れたヒカリさんが三司祭と対峙する。
いつも温厚でニコニコしてておちゃらけているマサキさん。
だけど、そんなマサキさんはそこにいなかった。
恐るべき威圧を放ち、鬼神のような表情で大司教フルーチェを睨みつけた――
「――――死ねると思うなよ。てめえの相手は俺だ」