見えざる夜の墓場
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
私たちは、どうして相手の帰りが遅いと、心配するのかしら。
――え? なによ、そのかわいそうな人を見るような眼は?
冷血、薄情、人非人……そんな感じのこと、考えているんじゃない?
でも、私が考えているのは、人間関係とかは置いておいて、たとえば夜遅くになっても帰ってこないときの、心配のことを考えているの。
夜遅くの電話とか、不安に駆られたりしない? こんな時間でも伝えなきゃいけないほど、大切な用件なのか、とね。
夜には危険がつきまとう。光に満ちることが多い現代だって、事件事故の気配は絶えない。それが昔ともなれば、危うさは倍増でしょうね。
そして光で照らすことができないぶん、姿を見せづらいものが悪さをしやすい環境が整っている。
ひとつ、夜に潜む怖さについて、昔話を聞いてみない?
むかしむかし。とある街道の途中で、早朝にこと切れている旅人が発見されたわ。
旅人に外傷は見当たらない。血を吐いた様子もない。何かしらの発作を起こして、亡くなったのかと判断されたわ。
その身元は、とある商家の三男坊。遺族によれば、彼は特に持病を抱えているわけではなかったらしいの。先の死の状況を聞かされても、悲しみはすれど、原因には思い当たらない。
地元民にとっては、少し縁起の悪いできごとだった。
その日は、かの地域の神社の大規模な修繕作業が終わったばかり。吉事を与えうるはずの聖なる建物に、多少なりともケチがついた形になる。
とはいえ、このことを知っているのは一部の人だけ。その他大勢の、事情を知らない人にとっては、これまで何度も過ごしてきた晩が、またひとつ終わったに過ぎない。
実際、毎日人が生まれて死んでを繰り返している。自分に関係ない人の生死なんか、気に留める手段すらないんだから。
けれども、そんな影の存在でいることを嫌ったのか。それ以降も、似たような死が、たびたび確認されるようになったわ。
犠牲者に共通しているのは、必ず外で発見されること。ケガなどの出血をともなう傷病は確認されなかったこと。そして何かしら、大勢が活動をした日だということ。
お祭りなどの行事から、戦から皆が帰ってくるときまで。正確な基準かははかりかねたものの、件数を重ねるにつれて、情報を知る地元民たちは夜に外を出歩かなくなった。
その代わり、家の外の小屋などで飼っている家畜たちが、次の日の朝には冷たくなっていることがままあったわ。ついには夜を徹する早馬や飛脚などにも影響が出たこともあり、時とともに、この話はどんどんと広がって、お殿様の耳にまで入るようになったとか。
お殿様は、どうにかその犯人のことを突き止め、民の不安を取り去らんとしたわ。
しかし、これまでの事件の情報を洗ってみても、下手人は一切の証拠を残してはいない。
凶器を使った様子もなく、殴打や絞殺といった身体に痕が浮かぶような、手段を用いたわけでもなかった。足跡をはじめとした現場の状態も不審な点が見つからない。それこそ、被害者が自ら息を止めて、命を絶ったとしか思えないような状況ばかりだったの。
それではいけない。いまでこそ情勢が落ち着いているけれども、もし有事に夜を徹しての行軍をする必要があった際、遅れにつながりかねない。「件の被害を出さないために、一晩足を止めました」で、前線にいる者たちを危険にさらすなど、ばかげている。
しかし具体的な対策を打てないまま、やがて季節は秋へと入っていく。
かの領内の一部の地域では、川を下る船を使って年貢を運搬していたわ。
期日が決められて、その日のうちに年貢が集められ、運ばれる。それに遅れると、自らの足で城まで届けにいかねばならず、米俵を背負っての長丁場を強いられることになったわ。
とある家の若者は、その年貢納入の時期に、間に合わせることができなかった。この年、自分の父親が件の奇妙な事故で、命を亡くしたのを皮切りに、立て続けに家族を失ってしまい、働き手が足りなかったらしいわ。
かの領地では検地がさほど徹底されていない。彼の家族に関する訴えは、役人に年貢逃れの詭弁と断じられてしまい、本来の量を納めるように通達される。あまりにも遅れるようならば、相応の罰を与えるとも言い添えられて。
彼は米俵を背負い、何里も離れた城下を目指して歩き出した。
米俵の数は5つ。背負って歩くだけなら、若者にとって問題ない段階。しかし、期日を切られているとなると、話は別だったわ。
どう計算しても、夜を徹しなくては間に合わない時間。彼はあらん限りの力を込めて、予定より大幅に先へ進んだけれど、あとひとつ山を越えなくてはいけないところで、夜を迎えてしまう。
ここで寝入ると、期日には確実に間に合わない。若者は疲れた体をおして、先へ先へと進んだわ。
途中、幾度か獣の声は聞いたけれど、その主が姿を見せることはなく。けれども、若者の足を急激に鈍らせるものがあったの。
疲労感。先ほどまではみじんも感じていなかったそれが、山を下り出したところから、急に首をもたげ始めたの。
石のように重くなる足取りに、身体のふらつきが伴う。意図せず左右へ揺れる視界と足元は、急坂を目の前に控えていることもあって、ちょっとだけ休もうと、若者はそばにある木の幹へ身体を預けたそうよ。
ところが、彼は一度下ろした腰を、もう持ち上げることができなくなっていた。足に力が入らず、踏ん張るどころか、座った状態から前へ伸ばすことさえおぼつかない。
実際に手で触れてみたけれど、足にはもはやどのような感覚もなかった。触るどころか、つねっても爪を立てても、みじんも痛みを覚えない。まるで他人のものを扱っているかのよう。
くわえて、急激に襲ってくる眠気。不意打ち気味に落ちようとするおのれのまぶたを、彼はどうにか跳ね返した。
――まさか、これが父の命を奪った……。
すぐに思い当たる。なるほど、確かにこのような手で来られたら、殺しの証がどこからも出てこないはず。
きっと、一度でも「ぐっ」と意識を持っていかれたら、それがこの世との別れの合図になってしまうのだと、彼は気を張り続ける。
ふと、彼のお腹の虫が盛大に鳴いた。そこからみるみる間に、身体から力が抜けていくのを感じ、けれども両腕の力だけは妙に強まっていく。彼の意思に反し、ぶるぶると震え出すその姿は、まるで力を持て余しているかのよう。
すっと自分の顔が動く。その目の先には、下ろしたばかりの米俵……。
まさか、と思ったときには、彼の両こぶしが俵を貫いていたわ。
ぼろぼろとこぼれ落ちる米粒を、変わらず、意思に従わない両手が拾い、すくっては若者の口へと持っていってしまう。
ばりばりと音を立てながらかみ砕き、口が空になるや、いまだこぼれる米を必死にすくって、同じことを繰り返す身体……結局それは、俵ひとつの米がすっかり空になるまで続いたらしいわ。
そのころには、彼の身体から不思議と疲れがなくなっていたわ。元のように、自分の足にも感覚が戻っていたけれど、おじゃんにしてしまった俵ひとつの米について、どう申し開きすればいいのか、頭を悩ませることになったわ。
予想していた通り、若者には処罰が下されそうになったけれども、話を聞いたお殿様のとりなしで、いったんは猶予をもらえた。
――かの奇怪な現象を防ぐには、大量の食糧を携えておく必要があるのでは。
そう察したお殿様は、従来の腰兵糧の量を増やし、兵糧丸の携帯も徹底するように指示したわ。民たちにも、緊急の用があるときには、たっぷりと飯を運ぶよう申し伝えたわ。
結果として、以前より被害はおさまったわ。たまに携帯した飯が足りず、動けなくなってしまう者もいたけれど、お互いの助け合いにより、犠牲者は抑えられたみたい。
事態がやむまでは、戦国が終わるまでの数十年がかかったそうね。のちに易者の一人が語ったところによると、「疲労の墓場」がめぐっていたのだとか。
身体を休めることにより、抜けていく疲れ。
それは多くの人が眠る夜に、多く抜けていくものであり、それが外で集まった結果、かち合ったものに命を奪いかねない、極度の疲労をもたらしたのだろう、とね。