5.突然の来訪者
お兄様と出かけたあの日から、私はお店の経営を任されました。表向きはお兄様の名義なので、裏で私が仕切っていることは内緒です。
初めこそ不慣れな事ばかりで毎日が勉強でしたが、お兄様が根気強く経営学を教えくださり、なんとかお店の起業までたどり着きました。
資金の調達、品物の仕入れ、雇用の採用などやる事が多すぎて忙しい日々でした。ですが、任せて貰えることが嬉しくて楽しくてやり甲斐がありました。
今までヴォルベルク家は土地運営や領地の治安判事を主な生業にしていました。そこに新たな庶民向けの飲食店を起業するとあって、話題は想像以上でした。
お店オープンの当日は、長蛇の列ができ、あれからひと月経った今でも、経営は順調のようです。
ですが気は抜けません。そろそろ常連さん獲得の為に、新規メニュー開発に取り掛からねば!
そんな慌ただしい日々の中、私はすっかり忘れていたのです。
彼女がこの屋敷に来るまでは。
突然の来客は、初夏の昼下がりでした。
家の前に止まった馬車に、執事が応対しています。約束が無かったのか、お客様が騒ぎ立て口論になっていました。
手を焼いた執事が、私の元にやってきました。
「お嬢様、カリアード令嬢がお越しになりました。お会いになりますか?」
「カリアード?」
聞いたことのある名前に、しばし考えてやっと思い出しました。リカルドの恋人、カリアード男爵のご令嬢です。
名前はなんといいましたか。お会いした事がないので、名前まで思い出せません。
「彼女が私に会いたがっているのですか?何のご用でしょうか?」
「それが、理由を話さずに、早く会わせろの一点張りでして。お嬢様の恋敵ですから追い出してもよろしいでしょうか?」
「べルック。淑女に対して、そんなニコやかに酷い扱いをしてはいけませんよ。今日は用事もありませんから、お通しして下さい」
「え、よろしいのですか?」
執事のべルックは驚いた顔の後に心底嫌そうな顔をしました。相変わらず表情が豊かですね。考えている事が丸わかりです。お兄様もこれくらい分かりやすければいいのですが。
客間に入ると、カリアード令嬢が座っていました。
貴族の礼儀では、位の高い私より先に座るのは失礼だと思うのですが。ツンとした彼女は気が強そうで、羨ましいほどの豊満な胸を持っていました。
リカルド…巨乳好きだったのですね…。
私の慎ましやかな胸ではさぞかし不満だったと、自分の身体を見て肩を落とします。
「初めまして」
「ふーん。貴女がリカルド様の元婚約、サラリア様ですか」
挨拶もせずに、自分から名乗りもしないのですね。後ろでべルックとレティが顔を引き攣らせています。
男爵家でも最低限の礼儀作法は習うはずなのですが。なにか事情があって勉強できなかった方なのかもしれません。私は気にせずに向かいのソファーに腰掛けました。
「それで、本日はどのようなご用件ですか?」
「…白々しいですね。私に婚約者を取られて嫌がらせをしているのは貴女じゃないですか」
「嫌がらせ?私が?」
キョトンと目を見開きます。心当たりが無くて反応に困りました。
敵意剥き出しの彼女は、今すぐ襲い掛かりそうな程に声を荒げます。
「リカルド様のお店を奪って借金を押し付けたのでしょう?!許せませんわ!」
「待ってください。何のことだか」
「新しいお店はリカルド様のものでしょう?!返しなさいよ!」
レティが口を挟もうとしたのを止めて、私は彼女の意図を理解しべルックに言いました。
「なるほど。べルック、あの書類を持ってきて下さい」
「はい。お嬢様」
べルックは書斎から数枚の書類を持ってきました。お店を起業するにあたり、契約書は大事だとお兄様に耳ダコになるほど教えられたのです。
「貴女が主張している権利は、リカルドにはありません」
「なっ…、」
「これは、彼が過去に起業して負った借金の全てはヴォルベルク家と無関係である書類。そして、新しく開業したお店はヴォルベルク家のものという契約書です」
お店の経営には、契約書が付き物です。
婚約時代にリカルドが起業したこの契約書は、ヴォルベルク家とはまったく無関係であることを証明しています。逆にいえば利益を得たら全てリカルドが得られると、意気揚々とサインしたと聞きます。
結局は、全て上手くいかずに負債だけが残ったようですが。
「こ、こんなもの!証明になりませんわ!」
「何を言っているのですか。これ以上の証明はありません。契約内容は国に提出し承認を得ています。異を唱えるならば、裁判でもしますか?こちらが断然有利かと思いますが」
「だってリカルド様は、全て貴女のせいだと!」
「申し訳ありません。彼は昔から見栄っ張りなので」
彼女の前で格好を付けたかったのでしょう。借金だらけの男では、振られてしまうかもしれませんし。
ですが、真実の愛を貫くと言っていた彼のことです。心配は杞憂でしょう。
「お話はそれだけでしょうか。べルック、お客様がお帰りです」
「待ちなさいよ!貴女では話にならないわ!責任者を呼びなさい!エルリック卿はどちらにおりますの!?」
「経営者なら私です」
「え」
「責任者は私です。お兄様に迷惑をかけないで頂けますか?」
私もお兄様の名前を出されて、少し堪忍袋の緒が切れそうになりました。
にっこりと笑顔で彼女を出口へ案内するよう合図します。
彼女は、信じられないとワナワナ震えます。
「女が経営なんてできるわけないでしょう?!馬鹿にしないでよ!第一、実子でない貴女がそんな権限持っているわけないじゃない!」
「ギャーギャー煩い害鳥だな」
声をする方を振り返れば、入り口の扉にお兄様が佇んでおりました。
「お兄様…」
「え、この方がエルリック様…?」
会うのは初めてだったのでしょう。彼女は突然現れたお兄様の風貌に目を輝かせました。
先程までの騒がしい態度が一変して、しおらしくなります。
「声が廊下まで響いていたぞ」
「申し訳ありません。お帰りなさいお兄様」
「ただいま、サラ。ところで、ソレは何をほざいているんだ?」
彼女はお兄様に一瞥されて、慌てて立ち上がり礼をしました。
「初めまして、エルリック様。私はローズ•カリアードと申します。お会いできて光栄ですわ」
貴族らしい挨拶もできたのですね。自己紹介されて、やっと彼女の名前を知りました。
しかし、私との態度の違い。これが恋敵というものですか。
「客人はお帰りか?サラ、土産に街で評判の菓子を買ってきた。お茶にしよう」
「本当ですか?ありがとうございます」
「ちょ、話はまだ終わっておりませんわ!」
挨拶を返すこともなく、お兄様は私をお茶に誘います。要件は済んだので、私もローズ嬢を庇うのはやめました。
「話は終わりました」
「いいえ、嘘ばかり言って私を追い出そうとしただけの癖に!」
「サラが嘘を?ソレは何を言っているんだ?」
「エルリック様、酷いのです。この人はエルリック様のお店を自分が経営してると嘘をついていますのよ」
お兄様の名を勝手に奪っていると、ローズ嬢は言っているのでしょう。
お兄様は不機嫌そうに、私を見ました。
「それは酷いな」
「そうでしょう?」
告げ口が成功したとローズ嬢は勝ち誇った顔を向けます。
しかし、お兄様の反応は別のものでした。
「こんなヤツにサラの実績を話してしまったのか?このことは私達だけの秘密だと約束したじゃないか」
「え」
お兄様の言葉に、ローズ嬢は目を見開きます。お兄様もお人が悪いので、私には明らかな笑顔を向け、ローズ嬢の方を見向きもしません。相手にされていない事に次第に腹を立てていくローズ嬢。せっかくの可愛らしい顔が歪んでいます。
「有り得ない…だって、この人にそんな権利…」
「あるさ。サラはヴォルベルク伯爵夫人になるのだから」
「え」
今度は私が目を見開きます。
振り替えると、お兄様の悪戯が成功したような笑顔。
今、なんと言いましたか?お兄様?