3.お兄様とお出かけ
翌日、朝から着飾られた私は、玄関を出てお兄様を待っていました。城下町に行くだけなのに、気合いを入れ過ぎて逆に恥ずかしいです。これでお兄様が普段着だったら、裸足で逃げ出します。
しかし、お兄様はシンプルな服装でも容姿とスタイルが抜群なので、安い服でもブランド物に見えてしまうでしょう。
そう考えると、隣に並ぶからにはこれくらい着飾らないと釣り合いが取れないということですね。なるほど、レティの思惑をやっと理解しました。
しばらくすると、馬車がこちらに向かってきました。玄関の前で止まり、降りてきたのはお兄様です。
ツヤツヤの髪に皺ひとつ無いシャツを纏ったお兄様は朝から抜け目のない身だしなみです。
「サラ、おはよう。待たせたな」
「おはようございますお兄様」
お兄様の笑顔。ここ数日で過去10年分の笑顔を見ている気がします。未だに慣れない対応に戸惑っていると、お兄様が私の手を取り馬車の中へと誘いました。
「さぁ、行こうか」
紳士的な仕草に、まるで私はお兄様の恋人にでもなったようです。女性に興味がないと思っていたお兄様も、女性への扱いには長けているのですね。手慣れた様子に、実は裏では百戦錬磨なのでは…と疑ってしまいます。
馬車は貴族仕様のフカフカな座り心地でした。
お兄様は向かいに座り、私を見て笑みを深くします。
「そのドレス、とても似合っているな。淡い桃色がサラの金色の髪に合っている」
「そ、そうですか?ありがとうございます」
城下町でも浮かないながらも上品で清楚な服をレティが選んでくれました。髪も綺麗に結ってくれて、レティの仕事ぶりが褒められたのだと嬉しくなります。
「お兄様、今日のお仕事は何時からですか?こんな朝から出かけるならば、午後には執務に戻られるのでしょう?」
「…何を言っているんだ?今日の仕事は休みだ」
「え?」
あの仕事の鬼のお兄様が?!
今まで休みの日など見た事がありません。てっきり、私との用事を午前中に済ませてから仕事に行くのだと思っていました。
「それは、大丈夫なのですか…?私のせいで」
「一日休んで支障が出るような仕事はしていないつもりだが?サラが心配する事ではない」
「そうですよね。失礼しました」
下手な気遣いでお兄様の仕事を侮辱してしまうところでした。たしかに、お兄様が考え無しに仕事を休むなどあるわけがありません。
朝の柔らかな日差しを浴びて、私たちは城下町の朝市に向かいました。
朝から沢山の人で賑わった市場は活気に溢れています。
城下町は初めてではないにしろ、お店の並ぶ町並みはいつも心が躍ります。
売られている野菜や果物も、どれも朝採れでツヤツヤしています。新鮮な食材を求めて市場には多くの商人が訪れていました。
「わぁ、すごいですね!」
「サラ、はぐれてはいけないよ。掴まりなさい」
お兄様は腕を曲げ、私に視線を向けました。
これは、腕を組めとおっしゃっているのでしょうか。
リカルドとさえ、こんな恋人のように歩いた事はありません。ワタワタと戸惑う私を見兼ねて、お兄様は一息すると私の手を掴みました。
「仕方ないな」
そして自分の腕に手を添えます。服の上からでも分かるお兄様の逞しい腕。こんなスキンシップは、今までありません。ありませんよ!
「お、お兄様!」
「早く行かねば、良い品は売り切れてしまうぞ」
お兄様は素知らぬ顔で歩き出します。
気にする方がおかしいのでしょうか。
羞恥する私には経験が無さ過ぎて、何が正しいのか分かりません。
初めは困惑していたものの、市場には目を奪われる面白い物が沢山あり、すっかり緊張は解れていました。
外国から取り寄せたという、見たことのない食べ物や、朝にしか採れない珍味など、初めて見るものばかりでした。ですが、商人の話を聞いては驚き楽しそうにすると、その横でお兄様は商品を買付け屋敷に送るように言います。
何枚目かの小切手を切るお兄様に、流石に焦ってきました。
「お兄様…買い過ぎではないでしょうか…」
「なに、お前が好きなら金は厭わん」
「それなら、お嬢さん。これなんかいかがです?今日取り寄せたものですよ」
「それも頂こう」
「まいどあり!」
商人は手を揉みながら満面の笑みで接待します。
お兄様。それはすっかりカモにされてますよ。私が興味を示したら、否応無しに買ってしまうお兄様を止めなくては。
流石にこれ以上のお金を使わせられないと、私も下手なことは言えず口数を少なくします。
一旦、この場を離れようと人の波をかき分けて歩きました。
すると、そこに見慣れた家紋と寂れたお店が目に入ります。
お店の中は空っぽで営業はしていないようです。入り口に残った家紋。これはリカルドの家の物でした。
「ここは」
「あぁ、ついに潰れたのだな」
お兄様は素知らぬ顔で言います。
商会を運営していたリカルドの家。うちの支援が無くなってしばらく経ちました。
「そんな顔をするな。なに、元々商売下手でいつ潰れてもおかしくなかった。うちからの支援が無くなったことだけが原因ではない」
「それは…否定しませんわ」
リカルドの家は、新しい事業に手を出しては上手くいかずに潰れていました。起業しては幾つもの金融機関から借金していたとも聞きます。
リカルドの新しい恋人は、その事を知ってるのでしょうか。男爵の娘とはいえ、借金の肩代わりができるとは思いませんが。
ですが、自分を振った男の恋路を心配するほど私も優しくありません。
「そうだ。どうせここが空き家になったのだ。次はサラが店を起業するか?」
「え、私が?」
「元々、サラの婚約者という名目で、うちが買った店だ。家紋を変えて、うちの店にすればいい。立地も良いし、建物も新しい物だ。あの家の資産に渡すつもりは無かったからちょうどいい」
お兄様は許可もなく店の中に足を踏み入れます。鍵は掛かっておらず、私もお兄様に続いて店に入れば、中には棚も椅子も何も無い空っぽの空間がありました。
それでも、白い壁は新築のまま綺麗で、日当たりも良く、窓の外にはお城が眺められる良い建物です。
「以前は骨董品を売ってたと言っていたな。サラならどんな店にする?」
「私なら…」
私はお店の真ん中に立って想いを馳せます。
目を瞑るとお店の妄想が広がりました。
「私なら、室内に沢山の植物を置いて、風通しを良くして、この白い壁とよく合う木のテーブルと椅子を並べます。それから、今流行りのふわふわのパンケーキ。それに様々な種類の紅茶を選べるアフタヌーンティー。そうだ、棚に茶葉を入れた透明な瓶を並べて、気に入った紅茶はお店で買えるといいですね。あとは、時間を忘れて寛げる座り心地のソファーも置いて、本を置いて読書もできたらいい。誰でも気軽に来れて、ゆっくり寛げるカフェを開きたいです」
矢継ぎ早に妄想を膨らませて言葉にしてしまいました。ハッとしてお兄様を見ると、満足そうに私を見ていました。
「なるほど、それはいいね」
経営学に詳しいお兄様から賛同を得られて、私は驚き嬉しくなります。
「ですが、私には経営は無理ですわ。理想だけで上手くいくほど甘い世界じゃありませんもの」
「やけに弱気じゃないか」
「リカルドの失敗を何度も近くで見てましたもの。それくらい素人にも分かります」
「お前はアイツとは違うだろう?」
「女性が起業できるほど世の中甘くありません」
「もったいないな」
お兄様はガッカリとわざとらしい溜息を吐きます。
ですが、仕事の世界で女性が活躍できるほどこの国は女性に優しくありません。お兄様には分からない男女の違いがあるのです。
リカルドにもよく『女が口を挟むな』と言われていました。
「体裁が悪いならば、名目を私にすればいいだけの話だ。お前のアイデアをそのまま頂こう」
「え、お兄様?」
「やりたい事を我慢させる、そんな家庭は望まないからな」
お兄様は手を伸ばし、私の頭を撫でました。
小さい頃、両親が恋しくて泣いた時、こうやってお兄様に慰められたことを思い出します。