2.婚約者の言い分
リカルドから手紙を貰って数日後。
私は中庭でお茶を飲んでいました。
最近仕入れたオレンジペコーがお気に入りでついついアフタヌーンティーを頂いてしまいます。
メイドがお代わりを淹れてくれた、その時。突然リカルドが中庭に入ってきました。
「サラ!酷いじゃないか!!父に告げ口したな!」
急いで走ってきたのでしょう。軽装で髪は乱れ、息も絶え絶え。怒りと泣きが五分五分の情け無い顔です。
婚約破棄をしてから初めての顔合わせで、まさか謝られるより先に怒られるとは思わず、目を見開きました。
「告げ口?何のことです?」
「しらばっくれるな!せっかく俺がこっそり婚約破棄を伝えて穏便に終わらせようとしたのに!父に知られて激怒されたんだぞ!」
「え…」
こっそり?穏便に?
まさか、婚約破棄を父親にも相談せずに決めたのです?
しかも紙切れ一枚で済ませる気だったのですか?
驚いて言葉も出ません。
「うちの持ってる商会への支援も断たれてしまった!なぁ、これは俺達の問題だろう?家の話を持ち込むなんて卑怯だ!」
「なにを、」
何を言っているのでしょう。
あまりに、意味不明な内容過ぎて、理解が追いつきません。
婚約というのは、そもそも両家の問題であって、それを無くして成立するものではありません。家の話を持ち込まずして何が婚約でしょうか。
「嫌がらせをして俺の気を引いているつもりか?そんなことしても、俺はお前とヨリを戻さないからな!」
「それは願ったりですね。この下衆野郎」
リカルドの声を遮って、凛とした声が響きました。現れたのはお兄様です。
背筋を伸ばしリカルドを見下すように立ちはだかります。
いつも無表情で冷たい印象の顔が、怒りを含んで更に冷血さを増していました。
「五月蝿いから来てみれば…なぜ貴様がうちの敷居を跨いでいるんだ?」
「…エ、エルリック…卿、」
「馴れ馴れしく名を呼ばないで頂きたい。貴様とは縁を切ったはずだ。なのに、なぜここに居る?不法侵入で処罰しても文句はないな?」
「ひっ!」
リカルドは顔を真っ青に染めガタガタと震え出しました。お兄様の怒りを前に、恐怖を抱かない者はおりません。
私も場の空気があまりに冷たく、背筋が震えました。
「あぁ、サラ可哀想に。泣いているのかい?こいつに酷い事を言われたのだな」
「いえ、泣いてなど」
「侮辱罪と不敬罪で更にあの屑を裁いてあげよう」
罪をでっち上げ、重ね続けるお兄様に、リカルドは全速力で逃げて行きました。
何も言わなければいいのに、捨て台詞を吐いて。
「お、お前なんか!この家の娘じゃない癖に!」
昔からリカルドは私と喧嘩して言い負かされて追い詰められると、最終的にこの捨て台詞を吐きます。私が一番傷付くと分かっているからです。
何度も言われた言葉なのに、胸がズキンと痛み気持ちが沈みました。
「サラ、大丈夫か」
「大丈夫ですわ。いつものことですもの」
「いつもの?あんなことを何度も言われていたのか。…私はとんだ勘違いをしていたようだな。まさかあれほどのクズ男だったとは」
リカルドの言う通り、私はこの家の正式な子供ではありません。
10年前。私の両親は流行り病で亡くなりました。権力を失った男爵家の娘で身寄りの無い私を、遠い親戚であるこの家が養子として迎えてくれたのです。
同じ時期にヴォルベルク夫人が我が子の出産で母子共に命を落としたと聞きました。ちょうど現れた私は、産まれる予定だった女の子の身代わりだったのでしょう。
元々愛情深いお父様は、血の繋がらない私を我が子のように愛してくれました。私を身代わりにすることで悲しみを癒していたのかもしれません。最近では過保護すぎるくらいです。
けれども、私が養女になった時にすでに15歳だったお兄様は、突然現れた私を妹と認めることは出来なかったようで、年を重ねるごとに冷たく距離を置くようになりました。
昔から私に興味がなく嫌っていると、この時までは思っていたのです。
「ど、どうしたのですか、お兄様!」
どういうことでしょう。何故私はお兄様の膝の上に乗っているのでしょうか。
あろうことか、背後から抱きしめられ頭を撫でられ続けています。
身長差もあり、腕の中にすっぽりと包まれる形ではありますが、この年になって小さな子供のように扱われるとは。
恥ずかしさと、緊張で硬直したまま動けません。
「お兄様…そろそろ」
「私は、サラが幸せなら良いと思っていたんだよ」
お兄様が頭上でポツリと言葉を漏らしました。それは、近くで聞くにはあまりに艶かしいものでした。
私でなければ、熱で溶けてしまうところです。
「そうだ。明日城下町に出かけようか」
「え?」
「綺麗に着飾ってくれ。楽しみにしているよ」
私の頬に手を添え、優しい笑みを向けるお兄様。
今、一緒に出かけると言いましたか?
長くこの家にいて、初めての誘いに私は戸惑いました。返事をする間もなく、お兄様は明日の約束を取り付けて去って行きます。
すっかり冷めてしまった紅茶を、私は一気に飲み干しました。
おかしいです。
婚約破棄をされてから、お兄様の様子がおかしいのです。
「レティ。お兄様は何が変な物でも食べたのかしら?」
「何を言っているのです、お嬢様。エルリック様は通常運転ですよ?寧ろやっと素直になったと言いますか…。それよりも、明日のお出かけ用の服を見繕わなければですね。腕によりをかけますよ!」
側近のメイドであるレティは、従者の血が騒ぐと張り切っています。
私は着せ替え人形のように沢山の洋服を着せられることになりました。